池澤夏樹個人編集による「世界文学全集」と「日本文学全集」について書かれた「池澤夏樹、文学全集を編む」(河出書房新社1300円)が入荷しました。この「日本文学全集」は、当店でもいくつか販売していますが、割と直ぐに売れていきます。

今さら全集か?と首を傾げる方も多かったと思います。しかし、「世界文学」の方は、先の大戦までの文学はばっさり切り捨てて、20世紀後半に書かれた作品を集めました。戦後の新しい流れ、池澤はそれを「ポストコロニアリズムだったり、フェミニズムの流れだったし、それから国境線がおぼろげになってしまった後の、国家単位でない見方であると同時に、人が移動することによって国家を崩してきた結果の『移動の文学』なんだ」と定義しています。

一方の「日本文学」は、「古事記」に始まり「源氏物語」に終るというオーソドックスな構成ですが、すべて新訳、しかも、現代の第一線の作家によるものです。森見登美彦、川上弘美、中島京子、堀江敏幸、江國香織、酒井順子、高橋源一郎、いとうせいこう、三浦しおん、いしいしんじ、町田康、等々、新鮮な顔ぶれが古典に挑戦しています。

「池澤夏樹、文学全集を編む」は、この独創的な全集を巡って、池澤へのロングインタビュー、柴田元幸、鈴木敏夫、藤井光らの全集に入っている作品への思い、「世界」「日本」両方に収録されている石牟礼道子と池澤との対談、大江健三郎との「日本文学全集」刊行についての対談、新訳に挑戦した森見登美彦、川上弘美、中島京子、堀江敏幸、江國香織のトークなど、盛り沢山の内容が収録されていて、この一冊が、これからの新しい文学のムーブメントを予感させるようになっています。

古典文学の現代語訳では、川上弘美が担当した「伊勢物語」が秀逸でした。最後の百二十五段目。病に苦しみ、もう今日明日の命の男が最後に詠んだ歌「つひにゆく道とかけねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」を、川上はこう訳しています

「いつかは ゆく道と 知っていたが それがまさか 昨日今日のことだとは」と書き、こう続けています「生きるとは なんと 驚きにみちたことだとは」

お勉強対象(苦手の)でしかなかった古典がぐっぐっぐっと近づいた瞬間でした。

古典も面白かったですが、お薦めは「近現代作家」と題して全3巻に収録された短編シリーズ。江戸から現代まで、それぞれの時時代を描いた短編が並んでいます。こんなに面白く、どんどん読めた短編集はありません。泉鏡花から円城塔まで、文学の楽しさを思い切り味わうことができます。(各1800円)

なお、「日本文学全集」は角田光代訳で「源氏物語」が刊行中です。

「NASAでは小便の色は同じだ!」

と、のっけから品のない台詞で申し訳ありません。これ、映画「ドリーム」に出て来る極めて象徴的な言葉です。時は1960年代、ソ連に宇宙開発で遅れをとったNASAは、有人飛行計画を必死で進めていました。学歴のある黒人女性達も、膨大な量の計算や、演算(パソコンはまだありません)のために、雇われています。

しかしこの頃は、まだ黒人と白人の間にはあからさまな差別がありました。黒人は黒人だけのオフィスで、黒人だけの食堂。バスなども後方に専用座席が区切られている状況です。映画はNASAに雇われている三人の黒人女性たちが、白人、しかも男性至上主義の世界の中で、己の実力で宇宙開発に携わってゆく姿を描いていきます。

キャサリンは、数学の実力で宇宙開発の花形である特別本部に移動します。しかし、そこはオール白人の、男性中心で、女性は秘書か事務員しかいない。黒人の、まして女子用トイレなどありません。そのため彼女は、用を足すためには遠くの黒人用オフイスまで走らねばなりません。雨の日も、風の日も膨大な資料片手に走ります。やっと彼女の窮状に気付いた部長(ケビン・コスナーがいい感じです)が、トイレの”White people only”の看板を叩き割ります。その時、唖然とするスタッフ達に言うのが冒頭の台詞です。

真にプロフェッショナルで魅力的な女性が、黒人ということだけで差別されている現実が、切実なトイレのエピソードを取り上げて描くことで、見事に浮き彫りにされます。差別を描く映画となるとどうしても、悲惨な生活から立ち上がってゆく、あるいは白人の暴力で命を奪われるといった辛い人生に重点がおかれますが、この映画は、そういう方向には進みません。ゆっくりと、しかし確実に歩んでゆく女性たちの日々を見つめていきます。

監督のセオドア・メルフィはCMディレクターとして業界ではトップクラスの人物ですが、それらしい華麗なカメラワークや最新の映像技術を封印して、アメリカ映画が健全だったころの、オーソドックスな演出スタイルです。だから、後味がとても心地良いのです。元気が出ます。

因みに、三人の女性は実在の人物で、NASAの発展に大きく貢献しています。エンドクレジットで、彼女たちのその後の写真が登場しますので、お見逃しなく。

 

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11月に入り、京都も秋らしくなってきました。今年もあと2ヶ月・・・。

さて、本日より紙工芸kotohana「クイリング展」が始まりました。kotohanaさんはレティシア書房ギャラリー最多出場、今年で6回目の個展となります。毎回、ペーパークイリングについて簡単な説明をさせていただいていますが、今年はkotohanaさん作の美しい額に入った「ペーパークイリングとは」の解説が掲げられていますので引用いたします。

「ペーパークイリングは英国発祥と言われる紙工芸です。中世の昔、聖書を製本した際にできた細長い紙の切れ端を、鳥の羽(クイール)で巻いてパーツを作り、修道院で宗教画や宗教道具に装飾したのが始まりとのこと。時代を経た今では、欧米を中心に世界中でアート、ホビーとして楽しまれており、日本人作家の作品は技巧の精緻さが高く評価されています。」

6年前の初めての個展から、kotohanaさんは幅2〜3㎜の紙を巻き続けてきました。もともとの几帳面さに磨きがかかり、美しさ、正確さ、速さと、技術力は確実にアップ。努力の賜物である紙の花々が咲き誇っています。

新作のひまわりの額(写真上)は鮮やかな色違いで3つ並んでいます。また、メッセージを組み込めるような新しいデザイン(写真右上)もできて、ますます楽しい作品が増えています。白一色で作られた葡萄(写真左下)も素敵です。白色は構造がよくわかり、形としての面白さが際立つ様に思いました。

単純なようで意外と難しいのが、虹の作品(写真右下)。これは、まず中心の色(ここでは薄紫)を芯に巻付け、その続きに次の色を、というふうに一番外のいろ(赤)まで切れ目無しに巻いていくのです。きっちり巻かないと、最後に芯を抜いた時、正円にならないというのです。とてもじゃないけど、がさつで根気の無い私には無理!です。

kotohanaさんは、クイリングの教室も開催されています。作品を見て、チャレンジしたいと思われた方は教室のご案内もありますのでお問い合わせください。会場では中級者向きのクイリングキットを販売しております。1セット1200円〜1500円ですが、2セット購入の場合は二つで2000円となっています。この機会にぜひ。

なお現在、東京の作品展に出している新作が帰ってくるので、来週には展示の一部が変わります。後半もお楽しみに。(女房)

 

 

紙工芸kotohana「クイリング展」は、11月8日(水)〜19日(日) 12時〜20時(最終日は18時)月曜定休日

 

 

書評家の岡崎武志さんの新刊が出れば、ついつい買ってしまうのですが、今回の「人生散歩術」(芸術新聞社1300円)は、彼のベストの本ではないかと、私は思っています。

サブタイトルに「こんなガンバラナイ生き方もある」とあり、そんな人生を実践したと著者が確信した人物たちについて書かれています。選ばれたのは、井伏鱒二、吉田健一、木山捷平、田村隆一、佐野洋子らの作家、フォークシンガーの高田渡、そして落語家の古今亭志ん生です。

井伏は「自分なくしの旅」、高田は「気骨の人生風来坊」、吉田は「上機嫌に生きる、ただそれだけを」、木山は「危機脱出術」、田村は「恋と友とウィスキー」、志ん生は「「貧乏を手なずけた男」というふうにそれぞれタイトルが付けてあり、興味のある人物から読めるようになっています。取り上げられた人達の人生を見つめることで、そうなんだ、そうやって生きればいいんだということを知る本であり、著者も「私にとっては人生の『実用書』なのである。」と言っています。

例えば、古今亭志ん生の川柳を引合に出して、こんな風に書きます。

「人間は何もしないでいても、本来滑稽な存在である。滑稽と思われることを恥辱と思う人間は、それに抗い、精一杯、虚勢と見栄を張る。しかし、そのこと自体が、また滑稽であることを、志ん生は早くから見抜いていた。そして、自分の稼業である落語に存分に生かした。

我々は、何もくよくよと思い悩むことはない。なぜなら、志ん生の落語があるからだ。」

書評家が書いた「処世術」の本としてぜひお読みいただきたい一冊です。

本好きの人達が集まって作られている「本と本屋とわたしの話」の最新13号が届きました。当店の一箱古本市に毎回出店していただいている「古書柳」の中原さんが古書善行堂の思い出話を書かれています。また、いつも愛読している冊子「入谷コピー文庫」の堀内さんが「氷点」にまつわる話をと、本好きの人達の、マニアっぽくならない、小ネタ満載です。(250円)

 

★連休のお知らせ  勝手ながら11月6日(月)7日(火)連休いたします。 

 

 

少し長いですが引用します。

「インターネットとグローバリゼーションの時代において、ようやく僕らは、もう一度普遍的なものについて考え直すことができるようになった。だから僕たちは、現代社会が要求してくる、相も変わらぬ表面的な新しさの呪縛から、そろそろ本格的に降りてしまってもいいのではないだろうか。新しいことは価値とは何の関係もない、と言ってみることで初めて観えてくることは確実にある。」

新聞のコラムや、社会情勢を批判した文章からの抜粋ではありません。早稲田大学で英文学を教えている都甲幸治の「生き延びるための世界文学」(新潮社1600円)に登場する文章です。2000年以降に出版された英語で書かれた文学を読み続け、作者の生年順に並べて論評した文学ガイドとして発表し、文学に何が出来るのかを問うた本なのです。

「文学は、見ず知らずの人々の心の中にまで降りてゆくための強力なツールだ。見た目も言語も、背景となる歴史も違う人々の心の中にさえ、僕たちは物語を通じて入って行ける。そして、同時代を生きる世界に人々が、自分たちと同じ問題に苦しんでいることに気づく」

だから、日本語で書かれていないと言う理由だけで世界の文学を敬遠するのは勿体ない。西加奈子も「世界には、私たちを救ってくれる物語がこんなにあるのだ」と推薦の言葉を寄せています。

2010年に雑誌「ニューヨーカー」が発表した、アメリカの作家ベスト20人のうち、実に9人がアメリカ以外の出身者でした。例えば、タオ・リンは生まれはアメリカですが、台湾出身の両親の母国語は中国語だし、ドミニカとアメリカを往復しながら活躍するジュノ・ディアスは英語とスペイン語で発表しています。また、ラトヴィア生まれのディヴィッド・ベズモーキズは、カナダに移民後、LAで映画を学び、「ヴィクトリア・デイ」を監督し、映画祭に出品されています。

異なった文化背景を持った作家を読むことで、複雑に変化する世界を知る手助けになるかもしれない。本の中で紹介されている南アフリカ出身のクッツェーの代表作「鉄の時代」(河出書房新社1900円)をかつて読みましたが、南アフリカにおける黒人への暴力のリアリティーに圧倒されました。

もう一点、都甲幸治の対談集「読んで、訳して、語り合う」(立東舎1100円)も再入荷しました。以前ブログで紹介したことがありますが、こちらは、いしいしんじ、岸本佐知子、堀江敏幸、柴田元幸、藤井光等々の翻訳の第一線で活躍する方々との文学夜話的一冊です。この中で、藤井光は非英語圏生まれの作家が英語で小説を発表する事が増えているが、マジョリティーに差別され虐げられている世界や、相克する異文化に苦悩する類いの作品とは全く違う作品が、多数出ていると指摘していて興味深いですね。

世界文学の入門としてお読みいただきたい2冊です。蛇足ながら、都甲幸治の翻訳ものでは、フィッツジェラルドの「ベンジャミン・バトン数奇な人生」(イーストプレス/絶版900円)がお薦めです。ブックデザインも素敵です。

 

 

★連休のお知らせ 11月6日(月)7日(火)

森泉岳土の「うとそうそう」(光文社800円)は、「小説宝石」に2015年から翌年まで連載されたコミックを一冊にまとめたものです。「うとそうそう」とは、解説を書いている映画監督の大林宣彦によれば、「うと」は「烏」(う)と「兎」(と)のことで、「太陽に烏が、太陰(月)には兎が棲んでいて、そうそう(匆々)とは荒々しい様を意味する。因って、烏兎匆々とは月日が経つのが速いこと」と書いています。つまり、このマンガは「時間」がテーマなのです。そして長い時間の積み重ねの中で、貴方も、私も失った何かを愛しむように振り返る。各8ページ、主人公のモノローグだけを8Bのエンピツで綴った、短篇小説のような淡い世界です。

 

私が、森泉の作品に出会ったのは、確か2013年に出版された「祈りと署名」(KADOKAWA500円)でした。毛筆の様なタッチで描かれた独特の世界に引込まれていきました。この作品集の中に、中原中也の「湖上」をベースにした「夜は昵懇しく」は、3.11の後の都会に生きる少年と少女が公園でデートする姿に、中原の詩がかぶさってくるという構成になっています。

「ポッカリ月が出ましたら 舟を浮かべて出掛けませう 波はヒタヒタ打つでせう 風は少しあるでせう」で始まる中也の詩を巧みに使った短編でした。

新作「うとそうそう」は、余分な線や、背景を排除できるだけ排除して描かれています。さらに「名前はいらない」という作品に登場する猫は、大胆にもコマからはみ出て動き回っています。誰しも自分の生きてきた時間の中で感じる、悲愁、孤独、憧憬などといった感情の揺れをコミックのスタイルで描いていますが、これは詩に近い作品集です。あちこちに広がる余白は、フツーに時間をつみかさね自分の人生を生きてきた人が、様々な色合いで埋められるのかもしれません。

因みに、彼がカフカの「城」、漱石の「こころ」より“先生と私”、ポーの「盗まれた手紙」、ドストエフスキーの「鰐」に挑んだ「城」も近日中に入荷しますのでお楽しみに。

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします。

 

プロの歌手に向かって「程好い」などという、レッテルを貼られるのは嬉しくないことかもしれませんが、あまりにも上手すぎるシンガーも、ひたすら情感たっぷりに歌い上げるのも、静かな夜に聴くのには相応しくありませんね。赤ちゃんが気持ち良さそうに眠っているそばで、程好い加減で寄り添ってくれるシンガーこそ、この季節の友としたいものです。

NY出身のステイシー・ケントの2007年発表の”Breakfast on the Morning tram”(1800円)、訳すると「市外電車で朝食を」は、適度なスイング感と都会的センスに溢れたアルバムです。それまでスタンダードナンバーを歌ってきた彼女が、オリジナルナンバーに挑戦しています。その中の4曲の作詞は、ノーベル文学賞受賞でマスコミが大騒ぎした、日系作家のカズオ・イシグロ。元々、彼がステイシーのファンという縁で、作詞を担当したみたいです。因みにその内の「氷ホテル」は、柴田元幸翻訳「SWITCHvol.29/新訳ジャズ」(500円)に収録されていますので、イシグロファンはお見逃し無く。

次にご紹介するは、リー・ワイリーの”Night in Manhatan”(紙ジャケ仕様国内プレス1400円)です。ハロウィーンからクリスマスへと、喧噪の日々が続きますが、そんなざわついた街に背をむけて聴くなら、これです。古き良き時代のNYの香りが、そこかしこから漂うようなアルバムです。リー・ワイリーは、ベテランのジャズシンガー。「洒落すぎず、野暮にならず」に適度な上品さで歌ってくれるこのアルバムは、何度聴いても夢見心地です。暫く前に、ご近所の本屋さんの誠光社で安西水丸の個展があった時、このレコードがカウンター側に置かれてました。あ、ピッタリ!と店主のセンスの良さに拍手でした。

三人目は、日本人でボサノヴァを歌い続けている吉田慶子の「パレードのあとで/ナラ・レオンを歌う」(1600円)です。ボサノヴァのミューズと言われているナラのアルバムは、ブラジル音楽好きなら必ず持っているはず。60年代の軍事政権下のブラジルにあって、ナラは美しいボサノヴァを歌うことなく、暗い時代の母国に向き合ってきました。吉田は、そんな彼女の「強く、凛とした歌声、その生き方」に憧れてきました。ナラの没後20年の2009年に発表したアルバムでは、彼女へのリスペクトが一つ一つの言葉にあふれています。1998年、東北の小さなライブハウスで歌い始めて、今日までブラジル音楽一筋に来た吉田慶子。大好きなものを歌っているのよ私は、という自信と喜びに満ちたアルバムです。

すべて試聴OKです。

 

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします。

柴崎友香の「千の扉」(中央公論新社1000円)を読みました。この作家の本は、映画にもなった「きょうのできごと」(河出文庫400円)ぐらいしか読んでいませんでした。

「千の扉」の舞台は、古くからある都営公団住宅です。いや、この公団が主役と言っても過言ではありません。主人公は39歳の千歳という女性で、結婚した一俊と共に、公団住宅の一室に引っ越してきます。元々、この部屋は一俊の祖父、勝男が住んでいた部屋で、彼が入院したために、その間住むことになったのです。千歳は、彼から公団に住んでいるはずの高橋さんを探して欲しいという奇妙な依頼をされます。ほんとうにいるのかどうかもわからない人物を探して、物語は進むのですが、波瀾万丈の展開は全くありません。

公団の日常、千歳と一俊の生活、二人の知人の出来事が控え目に描かれていきます。どこにでもある公団を、季節の移り変わりと共にひたすら見つめるような作品なのです。そこに住んでいる様々な人達の、それぞれの人生をスケッチしたような物語は、広がることなく、小さな空間で進行します。しかし、その一方で、彼らが住む以前の戦中、戦後を公団で生活していた人たちの姿が挿入されたりして、時空がヒョイと飛び越えたりする構成にもなっています。

「建物も住人も、すべてがゆっくりと衰えて行く。新しいビルや高層マンションが次々と驚くようなスピードで増え続ける都市の真ん中で、ここは時間の速度が落ちてゆくように、千歳には感じられた。」

朽ちてゆく公団に生きた、多くの名もなき人々の過去と、千歳の今の人生が一瞬交錯します。千歳は勝男の奇妙な依頼を解決する過程で、公団が持っている長い時間の記憶、住んでいた人の記憶を旅していきます。そしてラスト、彼女は一つの幻影に出逢います。読み終わって、あれ?これって時間を旅するSF小説だったの?というような不思議な気持ちになりました。

 

 

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします。

 

 

ロビイストというのは、政治家に様々な陳情をして法案を通させるのが主な仕事です。アメリカのロビイストで、トップクラスの実力を持った女性を主人公にした映画「女神の見えざる手」は、面白さ抜群の映画でした。これは、観なけりゃ損です。

ヒロインのスローン(オリジナルタイトルは「ミス・スローン」です)は、事務所の社長に、銃擁護派団体代表という大物クライアントを紹介されます。銃規制法案を通さないために、法案に前向きな女性たちを取り込んで欲しいという依頼です。このクライアントが、トランプ大統領なみにマッチョで、どこか女性をバカにしています。こういうおっさんって、アメリカにも我が国にも一杯います。

彼が言うには、例えば銃を恐れる母親から銃で大切な子供を守る母親へ、というようなイメージチェンジなどで女性たちを取り込み、規制反対に向けて欲しいと、陳腐丸出しのキャッチコピーの数々を提示するので、スローンはあきれて大笑い。彼の提案を一蹴します。それどころか、大きな権力を持つ「銃擁護団体」に対抗心を剥き出しに、「銃規制は必要だ」と言い放ち、逆に規制法案賛成派のNPO団体の要請を受け、部下を引き連れて会社を辞めます。

映画は、ここからあの手この手で、大きな勢力にぶつかってゆく彼女の闘いを描いていきます。相手の出方を読み、その一歩先をゆく冷徹な彼女をジェシカ・チャステインが颯爽と演じます。この映画が並の作品になっていないのは、彼女を、銃犯罪の犠牲者だったとか、正義の人にしていないこと。最後に明かされる彼女の陳述は圧巻です。

味方が傷つくような事も、使えるものはすべて使って勝利に向かって邁進するのですが、罠にハマり、公聴会で査問を受け万事休すかと思った瞬間、稀に見る大逆転劇が待っているのです。いや、お見事でした。結末は言えないのですが、しゃべりたい!!誰かと一緒に観たら、あのシーンは、こんな意味があったんだとか、きっと話が弾む映画です。

羨ましいなぁ〜と思う事がひとつあります。ウォータゲート事件を扱った「大統領の陰謀」以降、政治を扱ったアメリカ映画には、必ず合衆国憲法が登場します。「大統領の陰謀」では修正第1条「言論の自由」、そして今回は修正第2条「人民の武装」を巡っての意見が飛び交います。我が国の映画やドラマで憲法の中身がフツウに登場するなんて希有なことです。憲法が根付いている国なんですね。

 

 

 

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします

 

 

カナダ東端、厳冬の島ケープ・ブレトンで展開するマクラウドの「冬の犬」(クレストブックス1300円)は、寡作で知られるマクラウドの傑作を集めた短編集です。ケープ・ブレトンってどこ?と思われる方が殆どだと思いますが、「赤毛のアン」で有名なプリンス・エドワード島の東側にあります。マクラウドは、作品の殆どをこの島を舞台にしています。

小川洋子は、「馬のひづめから舞い上がる、白い星のような雪の美しさ。遠い過去から受け継がれる死の記憶を、心静かに胸の洞窟におさめる人間達の哀しさ」という推薦の文章を寄せています。大都会の真ん中とは全く違う、針葉樹とごつごつした岩と吹きすさぶ風に取り囲まれた島で、小川洋子が言うように「人間も動物も、与えられたそれぞれの生をただ生きてゆくしかない」という人生の一瞬、一瞬を切り取ったスケッチで満ちています。

波乱に満ちた人生があるわけではありません。二番目に収録されている「二度目の春」は、牧畜の家に生まれて動物達と暮らしてきた少年と、牛の種付けの話です。嵐で牧場が吹き飛ばされるとか、少年が牧畜を捨てて、新しい人生に向かうというようなうねりのある物語ではなく、

「夏の季節には、今も述べたように、動物たちは力強く自由になった。乳牛だけは一日に二回、乳を搾るために納屋につれていかれたが、その乳牛でさえ独立心が旺盛で、ほとんどいばっているという感じになった。ほかの動物たちは、夏休みの長い長い一日一日を、心おきなく好き勝手に草を食んで過ごしていた」

こんな描写が続いていきます。なんだか、少年と一緒に牛を育てている感じです。少年が種付けに取り組んだ人生の一時、それもまた過ぎてゆく。

一番最初に収録されている、十数ページの「すべてのものには季節がある」は、ある一家のクリスマスの夜を描いたものですが、そのラストで、一家の父親は「誰でもみんな、去ってゆくものなのだ」と静かに子供たちに言うシーンがあります。そして、こう続けます。

「でも、嘆くことはない。よいことを残してゆくんだからな」

そういう人生でありたいものですね。

         

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