この書店の店主に会いに行きたい、という新刊書店があります。東京「Title」、博多「ブックスキューブリック」、岡山「スロウな本屋」、そして熊本「橙書店」。

「橙書店」店主の田尻久子さんは、お店の傍ら、文芸誌「アルテリ」を発行されています。最新5号では、「ことば」というタイトルで書かれています。

識字実践活動を続けながら、学校教育から排除され、切り捨てられ、文字の読み書きをできなくさせられた人たちとの出会いと交流を描いた、大沢敏郎「生きなおす、ことば 書くことのちから」をテキストにして、文字がわからないとはどういうことかを自分に問いただします。

「まわりの人に、読めない書けないと知られてしまうことへの不安。どんなに心細いだろう。生命にかかわることもあるだろう。表面に見える不自由しか想像できないということが、いかに人を傷つけるかということに思い至る。」

さらに、「読み書きどころか、ことばそのものを奪われた人たちがいる。」と、胎児性水俣病患者を思います。一言も発することなく、この世を去った人達。彼らは「ことばだけではない。生活そのものが奪われた。」と。彼らだけではなく、美しく、豊かな世界を持っていたアイヌ民族も、土足で踏み込んで来た日本政府によって、その言葉を奪われていったのです。私たちが日頃、何気なく使っている「ことば」について考えさせられます。

このエッセイの最後が素敵だと思いました。「生きなおす、ことば 書くことのちから」の本のことを、田尻さんに教えてくれたお客さんが、橙書店のカウンターで話していた時に差別的な物言いをしてしまった、と反省のメールを送ってこられました。田尻さんも気づかないくらい些細なことでした。メールには

「橙書店だから、気が付いたのかも、と書いてあった。本の目がありますので、そう書き添えてあった。そうか、わたしは毎日、生きていることばに囲まれている、彼女の文章を読んで、思わず襟を正した。」

「本の目」とは、なんと良い言葉でしょうか。静かに書架に収まっている本たちは、その主人たる人間がどれほど真剣にことばに向き直っているのかを、見ているのかもしれません。私も大いに襟を正さねばならないと思いました。

「アルテリ」は3号、4号のバックナンバーも少しあります。また。今月下旬にはナナロク社より、田尻さんの「猫はしっぽでしゃべる」という単行本も出ます。もちろん、当店でも取り扱います。

5月15日(火)から「ほんまわか作品展 紅型染めと小さな絵本」が、始まります。

 

 

 

アメリカ人のフィギュアスケート女子選手として、初めてトリプルアクセルに成功し、92年アルベールビル、94年リレハンメルの冬季五輪にも出場したトーニャ・ハーディング。92年、彼女の元夫ジェフが、トーニャのライバル選手を襲撃して負傷させた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」を引き起こし、トーニャのスケーター人生は転落していきます。映画「アイ、トーニャ史上最大のスキャンダル」は、彼女の栄光と悲惨を描いたドラマです。

映像表現、脚本、音楽、そしてキャスト、どれを取っても満点に近い出来です。本物のトーニャそっくりのマーゴット・ロビーが、インタビューを受けるシーンから映画は始まります。

幼年時代、暴力的な母親のもと、スケーターとしての実力をつけた彼女は、徐々に頭角を表していきます。他の選手が流麗なクラシック音楽に乗って演技をするのに、トーニャはハードロックです。特訓を受けたというマーゴットが、リンクを滑り、カメラが彼女を追いかけます。フィギュアスケートを撮ったシーンとしては、最高の出来上がりではないでしょうか。

トーニャは、知り合った男ジェフと結婚します。この男がDV男なのですが、殴り倒されても、母親との暴力に慣れていた彼女は、夫の急所を蹴り上げます。こんな夫婦が上手くいくわけがありません。なんと、夫は、彼女のライバルを脅迫することで、トーニャの女王の座を守ろうと思いつきます。その相談を受けた友人が、過食症気味で、仕事もせず、自分を英雄視するどうしようもない男。アメリカの貧困層であえぐ若者を象徴しています。

脅迫で終わらせるつもりが、これまた暴力的な友人がライバル選手ナンシーを襲撃してしまい、大きな事件になってしまうのです。マスコミに追われ窮地に追い込まれてしまうトーニャは、FBIの追求に晒されます。

一人の選手の頂点からの転落を描きながら、アメリカの幻影と現実を浮かび上がらせていく映画です。他の選手より技術力の高いトーニャですが、大きな大会で1位になれません。審判を問いつめたところ、返ってきたのは、貴方の家族がアメリカ的でないからという答え。優しい母と立派な父に囲まれて、プールのある家で育つた子女というイメージかもしれませんが、そんなもの彼女にあるわけがありません。

インタビューシーンで、彼女はふとこんな台詞をもらします。「直ぐに敵を作ってしまう」と。アメリカの理想の人物でなかった彼女はマスコミによって、アメリカの敵になってしまいます。そう言えば、ブッシュさんも、トランプさんも簡単に敵国を作って、愛国心を煽っていました。

何かと言えば、「ファック!」と叫ぶ登場人物たちの言葉は、そのまま豊かで健全なアメリカというイメージへとぶつけられていきます。今年観た「スリー・ビルボード」と並んで、アメリカを描いた傑作です。ラストシーンも、やるなぁ〜というオチです。

因みに母親を演じたアリソン・ジャネイは今年のアカデミー助演女優賞を獲得。最後の最後までどうしようもない母親像を演じきりました。

 

 

 

内田洋子の「モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語」(方丈社/古書1400円)は、とてつもなく面白いノンフィクションです。

イタリアの辺鄙な場所にあり、これといった観光資源もない小さな村、モンテレッジオ。この村に住む男たちが、はるか昔、景気が悪くなると本を担いで、各地へ出向いたことを知った著者は、何故?という疑問に引っ張られるように、モンテレッジオへと向かいます。

夏から秋にかけて、イタリア各地では祭りが行われるが、「モンテレッジオの収穫祭は、本なのです」というこの村の出身者の言葉に、「鴨やフォカッチャの代わりに、本を肴に踊るなんて」と驚かされます。山、山、山に囲まれた村で、なんで本なんだ?読者にとっても疑問ですよね。内田が一つ一つ疑問を解いてゆく旅に同行して、その先にある本と村人たちとの深い繋がりを知っていきます。

300ページ余りある本の前半は、この村の生立ちに始まり、中世イタリアの政治まで語られます。でも、心配はいりません。写真が数ページに一枚挿入され、平易な文章で著者の驚きが語られているので、けっこうスラスラ読んでいけます。

さて、モンテレッジオの経済は、物々交換や自給自足が基本でした。春には山を越え北イタリアの荘園農地へ出稼ぎに向い、冬に村に戻ってくる、そんな生活が続いていました。ところが1816年夏、ヨーロッパをとてつもない寒波が襲い、農作物が全滅します。村人たちは出稼ぎ口を失います。その後も異常気象は続き、生活は困窮していきます。

売れるものは何でも売ろう!その時に白羽の矢が立ったのが、聖人の祈祷入りの絵札と生活暦でした。それを籠に入れて行商に出掛けたのが本との関わりの第一歩です。山で取れた栗や椎茸やら、枯れ枝を束ねたものまでかき集めて、男たちは行商に出掛けます。ここに興味深い記録があります。1800年代の行商人に、発行された通行許可証です。行商人の職業欄に「本も売る」と記載されていたのです。

そこへもう1人、本への渇望が大きい男が登場します。ナポレオン・ボナパルト。彼の登場は他民族からの独立、国家統一への民族意識を植え付けました。イタリアも例外ではありません。他国の支配から独立し統一国家として進むためには、何が必要か。それは情報です。世の中で何が起こっているのか知る、即ち本を読むことです。

モンテレッジオの男たちは本を詰め込めるだけ詰め、山を越え、各地の青空市場に露天に書店を開き、早朝から夜中まで本を売ったのです。大人たちは、子供たちにも本売りの魂を教え込みます。彼らも重い籠を背負って夜の山道を超えていきました。

当時イタリアを統治していたオーストリアは、独立を求める民衆の蜂起を恐れていました。独立を助長するような本には目をひからせ、発見次第没収していました。しかし、露天から露天へ移動し、所在不明、迅速に行動し、山中も平気で駆け抜ける本の行商人たちは、禁書を運ぶのに適任でした。治安当局は彼らを「文化の密売人」として最も恐れていました。

様々な困難を乗り越え、彼らはこの国の書店、出版文化を育てていきました。

村人たちは「本があるから生きてこられた」と言います。だから、本への感謝祭を開こう。それが「露天商賞」の始まりで、1953年最初の受賞者はヘミングウェイでした。文芸評論家も記者も出版社も加わらず、本屋だけで決定する文学賞の始まりです。我が国の「本屋大賞」みたいですね。

本を売ることの重みを、これほどじっくりと描いた本を知りません。深い感動でページを閉じました。この本を平台に積んでいる書店は、それを知っている書店として信用できると思います。

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。よろしくお願いします。

★5月15日(火)から、沖縄在住のほんまわかさんの「紅型染めと小さな絵本 ほんまわか作品展」を開催いたします。

 京都芸大出身の廣田美乃さんの個展が、5月8日(火)〜20日(日)ギャラリーモーニングで開催されます。廣田さんは、2012年にギャラリーモーニングさんと当店で、同時開催の個展をしています。(左の写真は当時のDM

今回の個展を記念して、彼女の作品を収録した小誌が出ました。(発行:ギャラリーモーニング800円)廣田さんは、1987年京都生まれで、京都市立芸術大学で油画を専攻し、作家活動を開始。2013年には京都美術ビエンナーレ産経新聞社賞を受賞しました。

性別を感じない若い(子供もしくは10代)人物の、ある時は淋しげな、ある時は哀しげな表情を捉えた作品が多く、この小誌には、2010年から16年までに制作された作品が収録されています

私は、登場する人物達の着ている服に白い色が多いことが、作品の世界観を表現しているように思えます。男女、老若、正邪、明暗、というように世界を二つに分けない、その間に漂っている様な透明な空気が感じられ、それが色のついていない白に通じている様に思えるのです。13年作「機密事項伝達」(写真右)は、白いシャツを着た三人の少年たちが、寄り合いひそひそ話をしている様子が描かれています。白いシャツが、彼らのピュアな連帯感めいたものを演出しています。その場を支配している空気は、静かで、清らかで、自覚のない悪意でしょうか。

 

じっとこちらを見つめているようで、もっと遠くの何かをさがしている視線や、虚ろに見えて、自分と世界の繋がりを考えているような表情のこどもたちの世界をお楽しみ下さい。

新作を並べる今回の個展のDMに、

「日常の中の些細なこと、気がつくと消えてしまう、ことばにするには難しい、その瞬間の、表情、感情、姿、空気」と書かれていました。(左は2018年・小誌には未収録の新作)

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

★5月15日(火)から、沖縄在住のほんまわかさんの「紅型染めと小さな絵本 ほんまわか作品展」を開催いたします。

 

 

「星影の小径」は、1950年、小畑実の歌で発売された歌謡曲です。

ロマンチックなメロディーと、”I love you”と英語を用いたセンスの良さが功を奏して大ヒットしました。85年、ちあきなおみがそれをカバーしました。CMでも何度か使用されていたので、お馴染みだと思います。この曲を含むアルバム「星影の小径」のCD(2300円)、LP(貴重!4800円)を入荷しました。

47年、東京生まれのちあきは、10代の頃から米軍キャンプや、ジャズ喫茶、キャバレーで歌っていました。長い下積み生活で、実力を磨き、やがて72年「喝采」でレコード大賞を受賞しました。どちらかというと、演歌、歌謡曲のジャンルに入る歌手ですが、アルバム「星影の小径」は、センスのいいポップスで、余韻に浸れる傑作です。演歌でも、歌謡曲でもなく、中途半端なジャズテイストのアルバムでもなく、豊かな表現力を持ったちあきの歌唱力が聴かせます。

「静かに 静かに 手をとり 手をとり あなたの囁きは アカシアの香りよ」という「星影の小径」の出だしでそっと忍び寄る彼女の色気に、くすぐられてしまいます。多重録音っぽいボーカルアレンジとシンセサイザーの音が、どこか異郷の香りを運んできて、さらにマンドリンのような音が流れてくると、ほのかな海風が吹いて来ます。

そして、「星影の小径」シングル盤発売当時の、B面に入っていた「港の見える丘」も収録してあります。

「船の汽笛 むせび泣けば チラリホラリと 花弁 あなたと私に 降りかかる 春の午後でした」という歌詞に込められた、アンニュイな感情がすばらしい。ほとんど盛り上がらない曲調の歌なのに、ちあきが歌うと男と女の様々な恋物語が浮かんでくるから不思議です。

その次に登場するは、「上海帰りのリル」です。私が最初にこの曲を聴いたのは、根津甚八がカバーしたものだったと記憶しています。シブい哀愁のある歌い方が、かっこ良かった一曲でした。一方ちあきは、イタリアのファド、あるいはアルゼンチンタンゴ風のアレンジをバックに、感情を大きく表現することなく、ストイックに終わりまで歌いきります。余韻のある終り方も抜群です。アルバムを編曲したアレンジャーは、彼女が世界のあらゆる音楽に対応できると、確信していたのではないでしょうか。

ご承知のように、彼女は92年、夫だった俳優郷鍈治との死別をきっかけに一切の芸能活動を休止し、表舞台から姿を消して今日に至っています。95年公開の映画「GONIN」で、本木雅弘が、やくざの事務所に突っ込む、カッッコよすぎるシーンで、彼女の歌う「赤い花」が流れますが、これが最後のシングル盤となってしまいました。

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

 

 

 

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数日前、翻訳家の藤井光さんが来店されました。現在、同志社大学で英文学を教えておられます。英米文学の翻訳家として、村上春樹、柴田元幸とともに人気があり、当店では、代表作テア・オブレヒト「タイガーズ・ワイフ」(現在品切れ)、アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(新潮社/古書・2400円)など、藤井さんの翻訳本コーナーも設置しています。

藤井さんも参加されている「きっとあなたは、あの本が好き」(立東舎/古書・絶版1900円)は、スリリングな読書案内です。翻訳家の都甲幸治が中心となって、様々な作家を数人のゲストが論じ合うもので、「村上春樹が気になる人に」、「ルイス・キャロルが気になる人に」、「大島弓子が気になる人に」、「J・R・R・トルーキンが気になる人に」といった具合に、8人が選ばれています。

取り上げられている作家によってメンバーは変わるのですが、「大島弓子が気になる人に」では都甲に、藤野可織、朝吹真理子という芥川賞作家二人という興味深い組合せ。大島の「バナナブレッドのプディング」から入り、彼女が好きなら気にいる作家として、ミランダ・ジュライへととんでいきます。

藤井さんは、「村上春樹が気になる人に」と「ルイス・キャロルが気になる人に」に参加されています。

「キャロルについて三十〜四十代の男だけで語っているというこの状況も、普通にはありえないでしょ(笑)。でも、キャロルが『不思議の国のアリス』を書いたときには、三三歳。『鏡の国のアリス』が出たときは三九歳。広く見ればだいたい我々くらいのときに書いているので、書く側の心理がむしろわかるかもしれない。」

とおじさん三人(都甲幸治・武田将明・藤井光)で語り合うキャロル論が面白い。アリスが、ロリータファッションの起源の一つになっていることを踏まえて、このファッションの登場する嶽本野ばらの「下妻物語」を俎上に上げる辺りから、面白さのボルテージが上がります。ここに、キャリーぱみゅぱみゅまで登場させて、ロリータもキャリーも、その格好自体が、ハイブリッドでグローバルなアピール力を持っていると論じていきます。

さらに面白かったのが「トルーキンが気になる人に」です。都甲幸治が、トルーキンの「ホビットの冒険」と村上の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の類似点を上げた上で、「村上春樹には、もうちょっと現代文学面白くていいんじゃないのとか、もうちょっといろいろな仕掛けがあっていいんじゃないのみたいな考えがあって、大幅にファンタジーの手法を使っているんでしょうね。」と書いています。ファンタジーの面白さを理解していないと、春樹は読めないんだという考え方ですね。

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。よろしくお願いします。

 

講談社文芸文庫「群像短篇名作選1946〜1969」(講談社/古書1400円)は、さすが老舗の文芸雑誌に収録されただけの作品が網羅されています。三島由紀夫、大岡昇平、原民喜ら18名の作家の作品を読むことができます。以前、ブログで紹介した庄野潤三「プールサイド小景」も収録されています。吉行淳之介「焔の中」や円地文子「家のいのち」などお薦めの作品も沢山あるのですが、私がこの中から1つ選ぶとすれば、島尾敏雄「離脱」です。

これ、読みにくいと思われる方もおられるはず。私も途中でめんどくさくなりました。しかし、何故か後になってもその小説世界が頭の中に残っている不思議な作品でした。

お話は、不倫してばれて妻に言いなりになってしまった作家の話、それだけです。

「あたしはもうがまんしませんよ。もう何と云われてもできません。十年間もがまんしつづけてきたのですから。ばくはつしゃったの。もうからだがもちません。見てごらんなさいこんなにがいこつのようにやせてしまって、あたしは生きてはいませんよ。生きてなどいるもんですか。」

と、完全にキレてしまった妻と、ぐちぐちする夫の会話だけで成り立つ物語なので、暗い気分になりたくない向きにはおススメはできません。

「もう外泊はしません。ひとりでは外に出ません。外に出るときは妻やこどもをつれてでます。妻のほか、女と交渉をもちません。」防戦一方の夫。

こんな問答が昼夜関係なく続き、家事は停滞し、子供たちは御飯にありつけない。次第に陰険な空気が濃密になってきます。改行なしの頁が延々と続き、のたうち回る男と女の修羅場に立ち会っている自分に、ふと気づきます。なんでこんな小説読んでるんだろう………?けれど、頁を閉じさせないところに島尾の作家性があります。

「八日めの朝、眠りからときはなたれ、昼のなかにはいるのをおそれながらそっと目をあけると、じっとぼくを見ている妻のかわいた目にぶつかった。」もう、結構!と思ったのですが、結局最後まで読むことになります。

島尾の代表作「死の棘」は、精神症状に悩む妻との生活を描いた私小説で、こちらも読むのが辛くなるような物語なのですが、やはり読ませるのですね。かつて、島尾は酔ってからんできた中上健次に、「オレは苦し紛れに書いているだけだ」と答えたという逸話が残っています。「苦し紛れ」という言葉に秘められた作家の様々な感情が、昇華し、文学作品になったということです。

この「群像短編名作選」は「1970〜1999」編がすでに出版、「2000〜2014」編が5月中旬に出版される予定です。

 

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

映画館で見逃したアトム・エゴヤン監督作品「手紙は憶えている」をDVDで見ました。

認知症が進行し介護施設で暮らしている、90歳のゼブという名前の老人が主人公です。数ヶ月前に愛妻のルースが死んだ事さえ、忘れてしまう日々を送っています。

彼は、アウシュビッツ収容所に収監、生き残ったという過去を持っていますが、偶然にも同じ収容所で生き残ったマックスと、この介護施設で再会していました。ある日、ゼヴはマックスから、自分たちの家族を虐殺したナチスが生き残って、名前を変えてアメリカに住んでいるという情報の手紙を託されます。同じ名前の人物は、3人にまで絞り込まれていました。体の不自由なマックスに、復讐を頼まれた彼は、最後の力を振り絞るようにして、仇を探して3人の元へと向います。列車を、車を、バスを使ってカナダ、アメリカを旅する、一種のロードムービーになっていきます。

候補の一人目は、病院で瀕死の状態でした。しかし、彼は実はアウシュビッツ収容所に入れられていた同性愛者でした。愕然とするゼヴですが、二人目に向います。

二人目の男はナチスでしたが、アウシュビッツとは関係なく、既に死亡していました。警察官をしている息子が一人残っていましたが、この息子、実はナチの信奉者で、ゼヴがユダヤ人であることを知ると、侮蔑的な言葉を投げつけ、愛犬をけしかけ、険悪な状況になってしまいます。そしてゼヴは、誤ってその警察官を射殺する最悪の事態を引き起こします。ポツンと佇むちっぽけな家で、一人酒を煽る孤独な男が、ナチ信奉者だったという状況はゾッとします。

暗澹たる気持ちのまま、三人目の男を訪ねます。娘と孫に囲まれて平和に暮らしている老人。これがまさに、その人物だったことがわかるのですが、ここで、とんでもない展開が待っていました。家族を殺したと詰め寄るゼヴに、その老人は恐ろしい真実を伝えます。そこから後のことは、ぜひDVDでご覧下さい。最後には、ゼヴに手紙を託したマックスの正体も描かれますが、マックスが実はナチスだったか…..などいう単純な結末ではないです、念のため。

見終わった後、置いてけぼりにさせられた感覚が残ります。これって、サスペンス映画だったん?それともアウシュビッツの悲劇を描いたもの? もちろんそのどちらでもありますが、ここではゼヴの認知症が大きく関わってきます。

ゼヴを演じるのは、今年89歳のクリストファー・プラマー。マックス役は、TV「スパイ大作戦」でお馴染み、マーティン・ランドー。昨年89歳で亡くなりました。二人の老優が見せる、癒される事のない過去の苦痛、そして老いの悲しみ、切なさが見所です。

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

夏葉社から吉田篤弘の新刊「神様のいる街」(1728円)が出ました。

吉田と神戸、そして神保町の関わりを描いた私小説的短編「トカゲ色の靴」と、「二匹の犬の街」、幻の処女作「ホテル・トロール・メモ」の三作品が収録されています。

持っていたレコードを売り払い、それを旅費にして早朝、家を出る。著者二十歳の時です。「どうしても神戸に行きたかった。行かなくてはならない。(いま行かなくては駄目だ)と、どこからか声が聞こえてきた。」

その思いはどこから来るのか。「神戸にいると、僕は神様の声が聞こえるのだ。(いいか、いまのうちに見ておけ)」と何度も囁かれて、街をさ迷います。海に突き出た人工島を、グルリと周回する無人電車(ポートライナー)に乗って一周したりして、時間が過ぎてゆきます。ここで時間は、しばらく前、東京の美術系大学を落ちて、専門学校に籍を置いていた頃に戻ります。授業にも出ず、自分の居場所が見つからず、無為の日々が過ぎていきます。

「学校にはほとんど通わず、毎日ひたすら神保町に通いつづけた」という具合に、この街の凄味に巻き込まれていきます。そんなある日、彼は老舗書店で、上林暁の本と出会います。貧しい生活の中から、高価な上林の本をいかに買うかという描写は、本好き、古本好きにはたまりません。

戦争の匂いにしみついたボロボロの本を読むことは、

「本に戦争は染みついていた。そこに時間が流れていた。本の中の時間が右手と左手からステレオで伝わってくる。ざらざらした紙に触れることは、そのまま時間に触れることで、古本を買うということ…..手に入れるというのは、こういうことなのだと、ようやく理解しつつあった。」

そして、自分も本をつくりたいという思いが強くなってゆく,,,,。

後半に収録されている「二匹の犬の街」は、ちょっと切ない恋物語です。ここで登場するのは、今はもうない新刊書店「海文堂書店」です。古本は神保町で買うが、新刊は”わざわざ”神戸元町のこの書店で買うその理由が語られていきます。

神保町と神戸を舞台にして、本との、街との、そして恋の物語が描かれた素敵な一冊です。相変わらず夏葉社の装幀は、美しい!

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

「読者はたとえ『つまらなかった』と読み捨てた本からも、何かを受け取る。一冊の本が読者の心を突き動かし、人生を変えることもある。本とはそういうものだ。自分たちが造っているものは、そういう大切なものだ」

「自分たちが造っている」という言葉から、これは編集者の物語?と思われるかもしれません。しかし、安藤佑介著「本のエンドロール」(講談社/古書1300円)の主人公は、印刷会社に務める若者、浦本。物語は、中堅どころの印刷会社営業部に勤務する浦本の、日々の仕事ぶりを描いています。

突然のレイアウト変更、印刷ミス、はたまたトンズラした編集者の後を受けて、迫り来る発売日を前に悪戦苦闘する日々が細かく描かれていきます。私たちは、著者が書いて、出版社で編集され、取次ぎへ回り、そして本屋に届くぐらいは知っています。しかし、その最終行程で、何がどんな風に行われているのか、そして会社内で働いている人達の思いがどんなものなのか、全く知りません。

変更、変更を押し付けてくる作家に対して、印刷会社の技術屋は、

「受けて立とうや。ぐうの音も出ねえ、文句なしのもんを造ってやれば、それで仕舞だ」とプライドをかけます。

日々、輪転機相手に格闘する彼らは、まぎれもなく本の職人です。

「作業を重ねた熱量や想いが、カバーを通して手に取る人の直感や潜在意識に訴えかけるはずだと思っている」

確かに店頭で、これは、と手に取った瞬間に心に飛び込んでくる本ってあります。

作家は、なんとか自分の本を多くの読者に伝えたいと様々な要求を出します。しかし、印刷する立場の人間は、全て要求通りには出来ません。「お言葉を返すようですが………色校にOKを頂いたので、紙は発注済みです」、「キャンセルは不可能です。今日工場に搬入されて、開封検品しましたので」

作家との格闘の日々です。

「本が売れなくなってゆく時代の中で、一冊の本の装幀にこだわるのは何のためか。その答えは分からない」と、自問自答しつつ、浦本は難問にぶつかっていきます。そして、彼は先輩社員のこんな言葉の深い意味を理解していきます。

「夢は、目の前の仕事を毎日、手違いなく終らせることです」

電子書籍の普及で、これから印刷がどう変わってゆくのか、未来への不安は消えません。それは、本を作る立場、売る立場でも同じです。でも、

「多くの人に祝福され、今日もまた新しい本が生まれる」

という最後の文章を、信じていたいのです。