音楽には、ジャズ、ロック、ソウル、ニューミュージック、クラシック、歌謡曲そして演歌と様々なジャンルがあります。おそらく人間の体のどこかで、その音を聴くのに相応しいスイッチがオンになって楽しむものなのでしょうね。けれども時には、ジャズのスイング感も、ロックのビート感も、クラシックの美意識も、あぁ〜めんどくさい!と思うことがあります。

そんな時、生活のリズムを邪魔しない、でも遠くで鳴っている美しい音が聴きたい時、ジャンルを逸脱した音楽はいかがでしょう。

大阪生まれのドラマー&作曲家、福盛進也のアルバム”For 2 Akis”(ドイツECM1900円)は、ジャズアルバムなんですが、これほどスイングしないアルバムもありません。編成はサックス、ドラム、ピアノのトリオです。ゴリゴリのジャズファンからは、お高く止まりやがってなんて声も出そうですが、難しくもなく、まるで大きな森の奥深くから聴こえてきそうな音楽です。選曲も全くジャズらしくありません。宮沢賢治「星祭りの歌」、小椋佳「愛燦々」、滝廉太郎「荒城の月」、そして阪神淡路大震災の時に歌われた「満月の夕べ」が並びます。一つ一つの音に込められた音楽家の深い思いが、余計なものを排除した、まるで水墨画みたいな世界へと誘ってくれます。満天の星空の下、一人で聴いてみたい音楽です。

 

もう一枚。伊藤ゴロー・アンサンブル「アーキテクト・ジョビン」(Verve国内製作2400円)。

伊藤ゴローは、作曲、編曲、音楽プロデュース、そしてギタリストとしてマルチに活躍する音楽家です。彼が、ボサノヴァ生みの親アントニオ・カルロス・ジョビン生誕90周年記念プロジェクトでリリースしたアルバムは、ジョビンだからと言って、お洒落なカフェで鳴ってる心地良いブラジル音楽ではありません。

ジョビンは後年、環境問題に深く関与し、アマゾン熱帯雨林保護運動を熱心に行っていました。そういう彼の音符ひとつひとつに彫り込まれた思想を深く読み取り、再構成した作品集で、ショパン、フォーレあたりの室内楽アンサンブルを聴いている感じです。かと言って、クラシック音楽にならず独自の世界を作り上げているところが良いと思います。

これら2枚のCDは、決して高揚感を与えてくれたり、夢見心地にしてくれるものではありません。けれども、心落ち着かせてくれます。

★連休のお知らせ 19日(月)20日(火)連休いたします

「月光アパートは、H線、飛田駅の近くにあった。昭和初期に出来たアパートで、壁の色も、今はわからない程古び、玄関からはすえた匂いの漂う。侘しいホテルであった。この辺りの人々は、この月光アパートを、通称、飛田ホテルと呼んでいた。それは売春防止法以来、多くの夜の女たちが、このアパートに住みこんだためであった。」

で始まる「飛田ホテル」は黒岩重吾の短編小説です。

黒岩は1924年大阪に生まれ、同志社大学在学中に、学徒動員で満州へ向います。戦後小説家としてスタート、60年「背徳のメス」で直木賞を受賞した社会派推理作家の一人です。ちくま文庫から出た「飛田ホテル」(古書/500円)は、大阪を舞台に、社会のどん底で生きる男と女の姿を描いた作品集で、酒、煙草、むせ返る様な体臭が漂ってくる男や女が徘徊する街が舞台です。

表題の「飛田ホテル」は、現在の大阪西成のあいりん地区、以前の釜ヶ崎辺りが舞台で、実際の黒岩もこの辺りに住んでいたことがある街です。古びたこのアパートに、刑期を終えた男が戻ってきます。ここには妻が住んでいました。しかし、戻ってみると彼女はいなくて、住人たちもよそよそしい。男は街をさ迷い、妻を探します。そのディテール描写が読みどころです。戦後、盛り上がったイタリアのネオリアリズム映画みたいなザラザラした小説です。

「飛田ホテルは、今夜も薄い夜霧の中に滲んでいた。彼は刑務所から出て、初めてその灯を見た時、それは霧の中に咲いた、オオエビネの花のようだと思った。でも、今彼の眼にうつった灯は、敗残の人間の中に宿る、魂を失った醜い欲望の輝きであった。」

妻を探す男の運命に希望があるのか……あるわけがありません。

作品集には、六つの短編が収録されています。その大半が、大阪、しかも天王寺や、阿倍野界隈が舞台です。

「浪速区馬淵町は中山太陽堂の工場の傍にあった。ごみごみした暗い町である。東は新世界、南は霞町の市電通りを境に西成の釜ヶ崎と向き合っている。終戦以来手を入れられたことのない古びた市営アパートや釜が崎の宿と変わらない旅館、掘建て小屋のような家がならんでいた。」

読者は、薄汚れた街に生きる人達の侘しい生活を凝視してゆくことになります。地の底みたいな場所で蠢く男と女の愛憎劇なんて、TV2時間ドラマのお得意ですが、中身のないドラマと違うのは、登場人物の心の明暗がきっちりと描かれているところでしょう。こういう小説も面白いものです。

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アンドレ・レトリア(絵)&ジョゼ・ジョルジュ・レトリア(文)によるポルトガル発の絵本「もしぼくが本だったら」(アノニマ・スタジオ・新刊1944円)は、すべての本好きに読んでいただきたい美しい絵本です。

「もしぼくが本だったら つれて帰ってくれるよう 出会った人にたのむだろう」

という文章にはベンチに置かれた一冊の本が描かれています。

「もしぼくが本だったら ぼくのことを<友だち>とよぶ人に 夜がふけるまで読まれたい。」

には、まるでキャンプ場に貼られたテントみたいな形で本が置かれています。本のテントの中で、夜更けまで本と一緒にいたくなります。

「もしぼくが本だったら だれかをしあわせにできるなら どこへでもゆこう」

という文章には、まるで凧みたいに空高くフワリと上がった本と、それを操る人物が描かれていて、本とこうしてつながっていられたらきっと幸せになる!と思えてきます。

本の主張も色々あります。

「もしぼくが本だったら ぼくをえらんだ読者を 飼いならすことなく自由にしたい」とは本の矜持ですね。

こんなのもあります。

「もしぼくが本だったら 戦争したがる心をいっぺんでうちくだく 効果的でやさしい武器になる」

読む人によって、本にはそういう力も備わっているのかもしれません。

「もしぼくが本だったら 流行や義務で 読まれるのはごめんだ」

これは、強い意志の表れ。

全編こういうスタイルで、読書の楽しみが淡い色彩で描かれています。その一ページ、一ページを、ゆっくりと開いていくと、もっと本を読みたくなってきます。本好きの方へのプレゼントとしてもぴったりです。

本が、本屋通いが好きで良かった、と思うのはこんな本にふと巡り会った時かもしれません。

★写真はこの本の日本語版デザインをされた岡本デザイン室のツイッターより引用させていただきました。

ウォーターゲート事件を覚えておられますか。1972年、ニクソン政権による民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まったアメリカの政治スキャンダルです。この事件の二年後ニクソンは辞任に追い込まれました。事件を追いかけて大統領を追い詰めたのが、ワシントンポストの新聞記者たちで、後に、この新聞記者たちの手記を元に「大統領の陰謀」というタイトルで映画化されました。(何度観ても、噛めば噛むほどいいスルメみたいな傑作です)

映画に登場する、新聞記者たちに政府の情報を流していた人物がいました。名付けて「ディープ・スロート」。実は、これが当時のFBI副長官マーク・フェルトだったことが、本人の告白で世に知れました。映画「ザ・シークレット・マン」は、なぜフェルトが本来漏らしてはいけない情報をマスコミにリークしたのかを追いかけた作品です。

彼が、リークした理由は只一つ。独立組織であるFBIに政権が介入し、コントロールしようとしたからです。政府機関である組織のナンバー2の立場にいる人物が、苦渋の決断をしていく過程を丁寧に描いています。マーク・フェルトを演じるは、リーアム・ニーソン。この人のスーツ姿、しかも後ろ姿が、もうかっこいい。中年のおっさんの後ろ姿って、人生を表してこんなにかっこいいのかと思いました。(おっさんにもよるが)

映画は、フェルトが正義の人という色合いに染め上げていきません。彼自身、他の事件で不法な盗聴を指示していたのです。だから、ラストは彼が裁かれる所で終わり、さらにエンドクレジットでは、長年連れ添った妻の悲惨な最期が出てきます。

しかし、組織の独立だけを守ろうとした男の在り方は、どこぞの国のお役所とは大違いで、ため息しか出てきません。さらに、映画の中で、アメリカ合衆国憲法の話がチラリと出てきたりして、この国では憲法が生きていることを実感させられます。そう言えば、「大統領の陰謀」でも「守るべきはアメリカ合衆国憲法修正第一条。表現の自由。」というセリフが登場しました。

まぁ、憲法の修正 第二条には「人民の武装権」が規定されているのは困ったものなのですが……..。

誰にも頼まれてないのに毎日このブログを書くために、何冊か同時進行で本を読んでいます。楽しいけれど、たま〜にツラい読書だったりします。スムーズに読了すれば順次アップするのですが、何かで止まったりするとあせります。ある日、立ち寄った新刊書店の文庫平台の堂場俊一の「Killers」(講談社文庫/古書800円)の上下巻の分厚い文庫が並んでいるではありませんか! いかん、こんな本読み出したら、ブログアップの計画がめちゃくちゃになると思いつつ、結局購入。もうそれからは、一気に読み上げました。

個人的に、日本作家によるハードボイルド、警察もの、新聞記者もの小説は大好きで、けっこう多くを読んできました。大沢在昌「新宿鮫」、逢坂剛「カディスの赤い星」、原尞「私が殺した少女」などは読み返すこともあります。最近、堂場瞬一が面白い作品を連発していて、上下巻で約1000ページある「Killers」も、読み応え十分のサスペンスものであり、しかも戦後から今日に至る渋谷という街を描ききっているところが注目点です。

「明治通りと直角に交わる細い橋の上に立って、渋谷駅方面を凝視する。渋谷川自体は、両岸をコンクリートで固められてしまい、川というより細い水路のようにしか見えず、川底には申訳程度に水が流れているだけだ。両岸には古びたビルが立ち並び、そこだけが昭和のままになっている。」

そんな今の渋谷に残された古いアパートで、老人の他殺死体が発見されたところから話は始まります。老人の顔には十字の傷が付けられていたので、捜査に当たった刑事たちは、1961年に起こった連続殺人件事件を思い出します。それらの事件の被害者の顔にも同じ傷があったからです。

小説は、現代から東京オリンピックで都市開発の進む渋谷に、時代が戻っていきます。警察の捜査と、犯人の異常なまでの殺人への執着を描きながら、繁栄の影で増幅されてゆく憎悪を炙り出していきます。

「ぞっとする、猥褻な指で背中を撫でられたような不快感が全身を駆け抜けた」

悪寒と恐怖の深い闇。都市開発の名のもとの街殺しは、2020年に迫った東京オリンピックに続いています。もちろん、これはフィクションですが、こんな人物が出てきてもおかしくありません。ラストはぞっとする幕切れです。

だから、東京オリンピックなんて止めましょうよ。

 

「街と山のあいだ」をテーマにしたミニプレスmurrenの最新22号が、なんと重版!これ、朝日新聞書評欄にて、最新号が取り上げられたからです。新聞掲載された途端に、どどどと注文が入ったとか……

で、この号の特集は何かというと、「岩波少年文庫」だったのです。表紙をめくると、murren編集長の若菜昇子さんセレクトの「少年文庫 私の10冊」が飛び込んできます。選ばれたのは、ローラ・インガルス・ワイルダー「長い冬」、ヨハンナ・シュピリ「ハイジ」、トラヴァース「風にのってきたメアリー・ポピンズ」、ヒルダ・ルイス「とぶ船」、バーネット「秘密の花園」、ルブラン「怪盗ルパン」、メアリー・ノートン「床下の小人たち」、ドッジ「ハンス・プリンカー」、アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」、トルストイ「イワンのばか」。すべての本について若菜さんのコメントが付いています。

「いやいやえん」の作者中川李枝子さんとの、児童文学をめぐる楽しいインタビューが続き、そして、現在岩波書店で児童書編集に携わっている愛宕裕子さんが、この時代に児童文学を出し続けるしんどさ、楽しさを語っておられます。この二つのインタビューは児童文学ファン必読です。

インタビューの間には、装幀の移り変わりが作品書影を元に解説されていたり、少年文庫の背表紙に印刷されている小さな数字の謎ときの楽しい読物があったりと、読むほどにのめり込んでいきます。

雑誌「PAPERSKY」を立ち上げた編集者井出幸亮さんも、10冊を選んでいます。今江祥智「ぼんぼん」、カニグズバーグ「クローディアの秘密」、舟崎克彦「ぽっぺん先生よ帰らずの沼」、エンデ「モモ」、マーク・トウェイン「トム・ソーヤーの冒険」、リンドグレーン「やかまし村の子どもたち」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、ケストナー「エミールと三人のふたご」、山中 恒「ぼくがぼくであること」、ロフティング「ドリトル先生航海記」の10作品です。

小さな小さな雑誌ですが、中身は大きな大きな一冊です。(当店でも人気ですので、お早めにお求め下さい)

 

★佐賀と長崎をめぐる無料配布のミニプレス「SとN」入荷しています。今回も、ほんまに無料??と言いたくなるような豪華な出来上がりです。こちらもお早めに。

 

 

 

ジョン・ネイスン著「ニッポン放浪記」(岩波書店2000円)は、読み応えたっぷりの一冊でした。ところで、ジョン・ネイスンってご存知でしたか?

1940年生まれのアメリカ人ジョンは入学したハーバード大学で、「瘭疽」(ひょうそ)という難解な日本語の神秘さ深く動かされて、日本語を学び、そして近代日本文学の世界に入っていきます。来日し、日本人女性と結婚し、翻訳の仕事に従事しました。やがて、ジョンに三島の小説を翻訳する仕事が回ってきます。それが、映画にもなった「午後の曳航」でした。ここから、煌びやかで、スケールの大きな、しかし最後は絶交状態になる三島との交際が始まります。

その後、ジョン自身「私たちの人生にもっとも深い豊かさを与えてくれた」と書いている、大江健三郎と安部公房との交流が始まります。後に大江がノーベル文学賞を取った時、授賞式に彼も参加します。こうして、日本文壇界と様々に交わり、時代の寵児が生み出す作品を翻訳して、世界へと広めていきます。

これだけだったら、一人の翻訳者が知る日本文学界の眺めみたいな一冊です。しかし、ここからなのです、ジョンの人生が大きく変化してゆくのは!

生け花の草月流創始者、勅使河原蒼風の長男として生まれながら、映画監督となった勅使河原宏との付き合いを切っ掛けにジョンは映画界へと転身します。先ず、大江の「個人的な体験」の映画化を試みるも、失敗。その後、ベトナム戦争でアメリカ人脱走兵が日本で身を隠す実話をもとにした「サマー・ソルジャー」の脚本を手掛け、勅使河原宏が監督しましたが、興行的には失敗。大学時代に見ましたが、焦点のあわない映画だった記憶がかすかに残っています。

しかし、彼の心のなかに自分で脚本を書き、監督もやりたいという野心が起こります。80年代に入り、ケンタッキーフライドチキンの日本進出を描いたドキュメンタリー映画で、高い評価を得て、次々と映画製作にのめり込みます。その中には、勝新太郎の記録映画も含まれていました。(観たい!)

ジョンが勝を知ったのも勅使河原を通してでした。本書でこの二人のことを、

「二人は日本の男としての共通点を持っていた。芸事の大師匠を父に持ち、裕福な家でちやほやされて育ち、父のあとを継ぐという期待を重く担わされ、ふたりとも反撥してその期待を裏切った」と書いています。

有り余る才能と情熱がぶつかり合い、酒に溺れ、時には罵り合い、絶交状態までなっても、またさらに野心を膨らませてゆく一人の男のクロニクルとしても、戦後日本文壇史を実際に見て来た男の貴重な証言としても面白い。作家の水村美苗が「ひたすら面白い」と帯に書いています。336ページ、ひたすら読ませる回想録です。

ジョンは、三島の死後、74年に三島の伝記”Mishima: A Biography”を刊行。その二年後邦訳『三島由紀夫──ある評伝』が上梓されましたが、三島の同性愛に踏み込んだために未亡人の怒りに触れて絶版に追い込まれました。しかし、夫人の死後、再び新装版として新潮社から刊行されました。(店にありましたが売切れました….)

 

京都御苑の梅林が、やっと咲きそろいました。季節外れの雪が降ったり妙に暖かい日が続いたりと、何かと不順なお天気ではありますが、今朝の散歩は春を間近に感じました。

さて本日よりギャラリーは高原啓吾さんの「猫描」展が始まりました。「猫」と「描く」という漢字が似ていて、「ネコネコ展」と言いそうですが、NEKOKAKUと読んでくださいね。

高原さんの描く猫は、何だか少しクールな印象がありました。2017年の個展の際に聞いたところによると、本人は猫アレルギー、したがって同居不可、でも猫は好き、とか。友だちのところの猫や近所で出会う猫たちをよく観察して、べったりくっついて猫可愛がりしていない分、絵にもちょっと距離をおいた感じが表れているのかもしれません。やたら可愛いだけの甘い猫には、決してならないのだと思います。

今回はいろんな手法を試しながら、猫にアプローチしています。キャンバス地に柔らかいタッチで描いたものは、猫をなでたときの安らかな気持ちが伝わってきます。ややぼかして、一気にかきあげるので、何枚も失敗を重ねて、やっとしあげた仔猫の愛らしい姿(写真上)をぜひご覧下さい。すーっと手を伸ばしている、黒い猫の精悍な風情(写真右)もとても美しい。

一方、黒い輪郭線を生かした正方形の作品群は、猫たちの一瞬の表情を捉えようとしていて、ユーモラスで楽しい。毎日つきあっている我が家の猫のしぐさにも似ていて、笑ってしまいます。そして、15センチ四方のドローイングの作品は、プレゼントにも喜ばれそう。新作も含めたカード(162円)、手ぬぐい(540円)、布製トートバッグ(1080円〜2592円)なども販売しております。

 

何枚も何枚も描き続けたからこそ生まれたシンプルな猫の形は、スッキリと爽やかです。高原啓吾のステキな猫たちに会いにどうぞお越し下さいませ。

レティシア書房もおかげさまで7年目に入ることができました。今後ともどうぞよろしくお願いもうしあげます。(女房)

★高原啓吾個展「猫描 NEKOKAKU」は、3月18日(日)まで  12時〜20時(最終日は18時まで)月曜定休日

 

 

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「女子の古本市」も本日(18時閉店)最終です。連日多くのお客様にご来店いただきました。本当にありがとうございました。

最終日(最後まで頑張ります!)に紹介するのは、三島由紀夫「不道徳講座」(300円/出品・徒然舎)です。これ中身より、注目は、本に被せてある自家製のカバーなのです。「欧風喫茶フランセ」で使用されていた包装用紙で、そこに描かれている女性は、東郷青児作なのです。包装用紙に書名、著者を書き込んだ紙を貼付けたお手製のカバー。本を買った人の愛情が響いてくる一冊です。これも、痕跡本なのでしょう…….。

ドラえもんの中国版(400円/出品・古書ますく堂)。最初は贋物か?と思ったのですが、裏表紙下に10桁の書籍ISBNコードが印字されています。つまり、正式に発売されたものだということです。中国語で「机器猫」と書かれ。その下に「探宝玩具箱」とあります。ドラえもんが、なんで机器猫なのか知りませんが、中身は日本で販売されているコミックと一緒です。発売は1989年。良質とは言えない紙を使用したぺらぺらのコミックです。贋物が跋扈する国にあって、これは案外レアなのかも?

最近出版された「LiLy-日々のカケラ」が、大ベストセラーになっている石田ゆり子の「京の手習いはじめ」(650円/出品・マヤルカ古書店)は、京都人から見れば、東京のお嬢さんが京都の伝統を学んだはるやなぁ〜。まぁお気張りやす…….と言われかねないみたいではありますが、中身はしっかりしてます。職人さんの紹介もきちんと描かれていますし、お着物もようお似合いで…..。とはいえ、九条ネギ畑の着物姿は如何なものかとは思いますが(京都人のいけずみたいな口調についなる)。因みにこの本は絶版で、ネットでは1800円以上の価格が付いていますので、この価格は安い!!

最後にご紹介するのは詩集です。谷郁雄(詩)、石川直樹(写真)による「空を見上げる」(300円/出品。橘史館)。「ほんとにきれいな夕焼けだ」で始まる「遺書」が心に残りました。おそらくテント生活で一生を終えた人物を描いた作品で、

「穏やかな 老人の寝顔を 夕陽が照らし 引いてゆく命の潮が ゆっくり沖へ遠ざかる 泣く人もいない 静かな 死の風景」

こんな最期でありたいものです。

本日は18時閉店です。5日(月)、6日(火)は連休いたします。

ギャラリーは7日(水曜日)から、高原啓吾個展「猫描 nekokaku」が始まります。お楽しみに。

 

いよいよ、古本市も明日までとなりました。まだまだ掘り出しもの沢山あります!

「幻のロシア絵本1920−30年代」(1200円/出品・星月夜)は貴重な資料です。ロシア革命を経たソヴィエトでは、1920年〜30年代、若手の画家、詩人たちが新しい絵本製作に参加しました。そこには、モスクワなどの大都市で勃興した、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる実験的芸術運動が影響していました。斬新なデザインとレイアウトは、ヨーロッパ各国でも注目されました。その後、国家の表現統制で、出版が困難になり消えていきましたが、日本人の画家、吉原治良が数多くコレクションしていました。この本は、彼の収集した作品をメインに編集されています。本国ロシアでは読み捨てられて消滅した本を、吉原が、保存状態良好のまま管理していたことに感動します。

ムフフと笑えて、成る程ごもっともだと納得させられるのが谷川俊太郎(詩)+広瀬弦(絵)による「考えるミスター・ヒポポタムス」(500円/出品・半月舎)です。ミスター・ヒポポタムスの愛らしいイラストと彼の独白が一体になった作品です。ヒポポタムス曰く、「町のい出るとやたら銅像がある。ぼくは銅像にだけはなりたくないと思う。」偉そうな輩にはならないという矜持ですね。「今日はレントゲンをとった。胃の中にピストルがあった。いつ食べたのかおぼえていない。」なんていうのもあります。でも、ラストはちょっと切ない。大好物のウィスキー持って、一緒につきあってやりたい気分です。

イヌ年に因んだ一冊をご紹介。小方宗次「犬は三日飼えば三年恩を忘れないは本当か」(500円/出品・マヤルカ古書店)は、犬好き、犬を飼っておられる方には、おススメの一冊。犬が登場する諺を集めて解説したもので、例えば、「豪家の門にやせたる犬なく、農夫の倉に肥えたる鶏あり」。これは、「誰もが、それぞれの場所で、状況に応じた暮らしを営み、それなりの利益を上げている」という諺です。「犬も尾を振る」は、「イヌでも尻尾を振って愛嬌をふりまく。人間も無愛想で人づきあいの悪いのはよくない」を例えたもの。諺の解説の後には、ちゃんとイヌについての解説があります。「犬も尾を振る」では、尾っぽの様子で、イヌの気持ちが分かるというけっこうためになる説明付き。元気のないイヌは尻尾が垂れてきて、最後には股の間に巻き込んで隠してしまいます。尾はイヌの健康のバロメーターでもあるようです。

 

★「女子の古本市」最終4日(日)は18時にて閉店いたします。なお、5日(月)、6日(火)は連休いたします。