「『ピアノで食べていこうなんて思ってない。』 和音は言った。『ピアノを食べて生きていくんだよ』部屋にいる全員が息を飲んで和音を見た。」

読んでいる私も息を飲みそうになりました。

宮下奈都「羊と鋼の森」(文藝春秋1100円)の一部です。この本は、2015年のブランチブックアワード大賞を受賞し、翌年の本屋大賞にもノミネートされた、言わば”売れ線”の小説でした。ピアノの調律師を目指す青年の青春小説ね、あっ、そう、とゴーマンかまして見向きもしませんでしたが、いや、どうしてどうして素敵な物語でした。(先入観だけで判断するって最悪ですね…..)

読み出して暫くして、敬愛する作家、原民喜が登場しました。え?ピアノの調律師の話に、なんで原爆の悲惨を作品にしていた原が登場するの?と思っていたら、主役の青年が憧れるベテラン調律師が、原のこんな言葉を紹介するのです。

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

ベテラン調律師は、原が理想とする文体こそが、自分が理想とするピアノの音だと青年に伝えます。

青年は、多くの人びととの係わり合いを通じて、自分が進むべき道を模索するのですが、物語の進行があざとくなく、大げさな事件も起こらず、静かに進んでいきます。まるで、美しいピアノソロを聴いているかのようです。物語の中で、ピアノを弾く双子の女の子が登場しますが、その一人が、冒頭に引用した台詞を言う「和音」という少女です。何故、双子の一人がこんな意味不明な発言をしたのかは、小説を読んで下さい。成る程、これはいい台詞だと納得されるはずです。

「ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ」

青年の成長を見守りながら、読者も美しい物を知るという喜びを見出します。小説を読む楽しさを味わえる一冊。出会えて良かった、と思います。

 

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祇園祭の鉾立てが始まりました。京都の夏はこれからが本番…..とはいうものの30年前とは真夏日の多さが違い老体にはこたえます。

今年は、17日(月)が鉾の巡行日に当たりますが、レティシア書房は定休日です。京都のこの辺り、つまり中京区の烏丸通り近辺で、御池通より御所までの北の方は、巡行日は、車の交通規制があり、お商売をしているところは、昔はよくお休みになったものでした。

さて、そんな夏本番の時期に、藍染めの涼しげなのれんが、ギャラリーを飾りました。土本照代藍染め作品展『あいぞめのゆめ』が、今日から始まりました。レティシア書房での土本さんの個展は、2015年7月に続き2回目。一昨年もちょうど祇園祭の時期でした。

彼女の染め方は、「おりがみ絞り」と呼ばれているもので、生地を折り紙を折るようにたたんで縛り、藍液に浸けて染めます。布のたたみ方、防染する箇所によって様々な模様ができます。と言っても、染織などの経験がなければ、ピンとこないかもしれませんが(我が店長もその一人)、幾何学の模様が広がるステキな作品です。ぜひ実物をご覧下さい。

夏、京都の街中にまだまだ残っている町家で、軒先のかすかな風に揺らぐのれんは涼感を呼びます。玄関に水など打ってあるとなおさらほっこりしますが、一方マンションの白い壁に、藍染めのれんもまた合うようです。幾何学模様のこの染め物は、どこか懐かしく、そして柔らかく、丁寧に作られたやさしさを感じます。

木綿の手ぬぐい(2500円)もたくさん揃いました。藍染めは使いこむうちに、いい感じに色が落ち着いて来ますが、最近はインテリアとして、専用の額などに入れて飾っているのもよく見ます(写真・左上)。藍色は、お部屋に落ち着きと涼しさをもたらすかもしれません。

オススメは、絹のストール(12000円〜20000円)。冷房で身体が冷える時など、幅広で、軽くて、上品な藍色のストールは重宝します。他に、日傘・ブローチ・髪ゴム・手帳・ポチ袋など販売しています。

京都の夏、ここ最近は特に過酷な暑さです。外出も控える方が多いところでしょうが、祇園祭の鉾町から、もう少し北へ上がるおついでがあれば、ぜひお運び下さい。目にも涼しい藍染めをお楽しみ頂けたらと思っています。(女房)

 

土本照代藍染め作品展「あいぞめのゆめ 5」は7月11日(火)〜23日(日)

 12時〜20時(最終日は18時まで)  17日(月)は定休日

 

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先日、「虹色の小舟」(2700円)という自主制作のCDを出された日高由貴さんが来店されました。ほぼ全曲、自作の詞で歌われた、あるジャンルにカテゴライズされない、素敵な作品です。

ジャズのようでそうではない、語りかけるようなシンガー&ソングライターでもない、ましてやクラシックでもなければ、ソウルフルなものでもない。こういう音楽って、上手く出来上がればオリジナリティーの高い作品になるのですが、どっちつかずで、失敗することにもなりかねません。

日高さんは、ジャズをベースにしながら、その世界に捉われることなく、良質のポップスを目指したことが良かったと思います。編成は、彼女のボーカルにサックス、ギター、ピアノ、ドラムス、ベースという典型的なジャズ五重奏団。

昨今、CDショップに並ぶべっぴんさん女性ジャズボーカルアルバムの、大げさな感情表現と無理にスイングしようとするアルバムとは逆の仕上がりになっています。大事なことは小さくつぶやくと言った詩人がいましたが、そういう世界です。

日本語で歌われている「マングローブの森へ」はこんな歌詞です。

「月夜のかなたで だれかが泣いている ただひとり いまこの想いを あなたのところへ ほらそっと ひとしずく 虹色の小舟にのせて ひとひらの花びらに 涙をのせて 流れゆく水のおく いまあなたからだれかへと 虹色のかなしみの向こう側 みどりの森へ」

サックスとピアノが静かに月夜に照らされたマングローブの森へと誘います。

私の最も好きなナンバーは、7曲目の「Shenandoah」です。19世紀から歌われているアメリカ合衆国の古い民謡で、歌詞から「オー・シェナンドー」(Oh, Shenandoah)とも、「広大なミズーリ川を越えて」(Across the Wide Misouri)とも呼ばれています。バージニア州を流れる大きな河で、西部劇「シェナンドー河」他でも使用されていて、何度か耳にした曲です。故郷への哀愁を思い起こさせるのですが、彼女は饒舌にならず静かに歌っています。この曲ではクラリネットも演奏されています。(出だしのクラリネットの音には涙が出そうです)

ゆっくりと、何度も味わってもらいたい音楽が、ここにはあります。

★試聴大歓迎です。本選びにも良い効果があるかも…….。

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大学卒業後、なぜか幻想文学やファンタジーばかり読んでいた時期がありました。月刊ペン社という小さな出版社が「妖精文庫」というタイトルで十数点出版していて、その内、何点かを買った記憶があります。本には「妖精画廊」という小冊子が付いており、それが楽しみでした。

今回、シリーズの中の一冊、ウィリアム・モリス/中桐雅夫訳「サンダリング・フラッド」(月報付き1200円)が入荷しました。あぁ〜懐かしいな、この細かい字体を読んでたなぁ〜と思いだしました。

ウィリアム・モリスは、アーツ&クラフツ運動を牽引した人物として有名です。モダンデザインの創始者として、そのデザインは、あっ、モリス柄とすぐに分かります。一方で、モリスは文学活動も比較的早くから行っており、ファンタジー文学中興の祖と評価される「世界のかなたの森」は有名です。若者の幻想の中に存在していた美しい娘が生きる森の中で、繰り広げられる死闘を描いた作品で、世界観の美しさに唸りました。一時、晶文社が「ウィリアム・モリス・コレクション」全9巻を刊行しており、全部揃えたいと思った事もありました。(最近は古書市でも見かけません)

さて、「サンダリング・フラッド」は、悲恋ものだった….と記憶しています。(なんせかなり昔の読書体験だったのでね)

街を流れる大河サンダリング・フラッドを巡る、幻想的なユートピア小説とでも表現すればいいのでしょうか。やや時代がかった表現がありますが、ファンタジー好きなら外せない一冊でしょう。(ただし、上下二段でびっしりと印刷されているので、もう年寄りの私には再読不能です)

本を開けると、画家エドワード・バーンジョーンズデザインでモリスが織ったタピストリ、同じくバーンジョーンズのイラストとモリスのデザインによる「チョーサー物語集」、モリスデザインによるキルトの模様などの図版が収録されています。中世をユートピアとして捉えようとしたモリスらしい世界です。

ところで、この本を翻訳した中桐雅夫は詩人として有名で、私は「会社の人事」(晶文社)という、およそ詩集らしくないタイトルが面白そうだったので買ったことがあります。

「老い先が短くなると気も短くなる このごろはすぐ腹が立つようになってきた 腕時計のバンドもゆるくなってしまった おれの心がやせた証拠かもしれぬ」

という「やせた心」は、「おのれだけが正しいと思っている若者が多い学生に色目をつかう芸者のような教授が多い 美しいイメジを作っているだけの詩人でも 二流の批評家がせっせとほめてくれる」という嘆きを経て

「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は おれは絶対風雅の道をゆかぬ」という詩人の強い決意で終わります。心に残る詩集でした。

モリスの全集も、中桐雅夫も発行元は晶文社。若い日の読書体験に、この出版社の影響を受けたのは間違いありません。私が新刊書店の店長だった時、最初にやった企画が「晶文社ベストセレクション」でした。

 

アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」は63歳のセールスマン、ウィリィ・ローマンとその家族の物語です。自立出来ない息子や、過去の幻影にさいなまれつつ慨嘆するローマンは、誇りを持っていた仕事まで失い、最後には自ら死を選ぶ、という悲惨なお話です。 

その舞台を演じる役者夫婦の身の上に起こった出来事を、舞台進行に絡ませて描くという、斬新な構成のアスガー・ファルハディ監督のイラン映画「セールスマン」は、じっくりと見せてくれるサスペンス風映画でした。

夫の留守中に、引っ越して間もない新居で、妻が侵入者に襲われてしまいます。外傷はそんなに深くはなかったのですが、執拗に犯人を探し出そうとする夫と、表沙汰にしたくない妻の感情が少しづつずれていきます。心通わず、すれ違う夫婦。しかし一方で、舞台の稽古は、どんどん進行していきます。やがて犯人を見つけた夫がとった行動は…..。

ゆっくりと理性をかき乱されていく夫婦を中心にして、映画は破局へと向かいます。まるで舞台劇のように、廃墟と化した、かつて夫婦が住んでいたアパートで、この夫婦と、犯人とその家族が一同に会します。様々な感情、怒りや不安、悔恨が渦巻まく圧巻の場面。

人間の複雑な感情のせめぎ合いを、2時間でじっくりと描いたこの作品は、ヨーロッパでは高い評価を得ました。そして、米アカデミー賞外国語映画作品賞を受賞したのですが、トランプ大統領のイスラム系人間への入国拒否令に反撥して、スタッフは授賞式をボイコットしました。トランプ大統領は、多種多様な人種が集まる映画界を、敵に回してしまったのです。

見終わって、元気になる映画でもなければ、清々しい気持ちになる映画でもありません。しかし、ラスト、舞台のメーキャップを黙々と続ける二人の虚ろな表情を見ていると、人に寄り添うべき時にそうできなかった、人間の複雑な感情の重さを思い知らされました。

「サラリーマン」は京都シネマにて上映中です。

 

左京区の個性派書店ホホホ座が出版した「焙煎家案内帖 京都編・一」(1000円)を、山下店長自らお届けいただきました。

ページを開けると、「焙煎」「焙煎の方法」「焙煎の度合い」等々、焙煎コーヒーに関する基本的用語の解説が載っています。知ってる人も、知らない人もここを読んでから紹介されているお店に進みましょう。

「京都編・一」で取り上げられているのは、六曜社、swiss coffee plants、ガルーダコーヒー、Hifi Cafe、Windyの五件の店主さん達です。当店のお客様で、いつもレコードを買っていただいているHifi Cafeオーナー吉川孝志さんが登場!Hifi Cafeは、当店から歩いて十数分の所にあり、民家そのままをカフェにしてオーナーの趣味で集められたレコードが整然と並んでいるお店です。オーナーは、本当の深煎り豆の珈琲の味を求めて日夜研鑽されています。

「深く煎った珈琲っていうのは、酸っぱくない。酸味が飛んで苦みが増すんですけども、同時に甘味も増すんです。その苦みと甘味が拮抗して飲めるギリギリのところっていうのを目指すんですけど、それはある程度の濃度も必要なんです。それはペーパーでは落とせなくて、ネルでゆっくり落とさないといけない。」

職人さんの話を聞いている感じです。たかが珈琲、されど、その珈琲一杯に真剣勝負をしているオーナー達の姿が伝わってきます。ガルーダコーヒーのきたむらゆかりさんは、インタビューの最後でこう語っておられます。

「コーヒーは機会操作と化学変化が理解できれば誰でも焼ける。フライパンでも焼ける。だからこそ、誰がどんな思いで焼くかが大切なんじゃないですかね。」

「誰がどんな思いで」って、どんな商いでも、最も大切なことだと思います。

さて、コーヒーの香りの次は、ドーナツです。ドーナツの穴に関して、各界の気鋭の学者たちが論じる「失われたドーナツの穴を求めて」(さいはて社1944円)という本を入荷しました。ある種、オタクの極みの一冊ですが、いや立派です!

実際のドーナツ屋が登場して、ドーナツ屋に実情を語り、英国史の研究者がドーナツの歴史を紐解き、その一方で中国史の研究者が中国とドーナツの関係から東洋におけるドーナツの穴について論じ、果ては経済学者がドーナツの穴の経済的な価値を述べるという、もう四方八方に論考が飛んでゆくという内容です。

この本を作ろうと思い立った言語学者の芝垣亮介さんは、「ドーナツとドーナッツの違い」を検索したところ、画面に夥しい数の「ドーナツの穴」についての項目が出てきました。そこから、彼は「ドーナツの穴制作委員会」を立ち上げ、多くの学者をメンバーとして、不可思議な存在のドーナツの穴の解明に向かいます。その集大成がこの本です。

芝垣さんはこの本の目的を「今、そこにある謎を、今そこにある『知りたい』を探求する、その喜びと幸せを共有すること」だと書かれています。学問って、こういうところから発生するのかもしれません。

気合い十分の本書は、装幀にも力が入っています。本の右上にドーナツの穴らしきものがパンチされていて、本を貫いています。そして曰く「すべての穴はドーナツに通ず」。

知的好奇心の旺盛な人にはワクワクする本です。。

 

「震災で消えた小さな命展」では、東日本大震災で犠牲になった動物達の絵(複製)を展示しています。

かけがえのない命を失くした飼主に、天国へ旅立った動物たちの話を聞き取り、100名近くのイラストレーター、絵本作家が協力して、動物たちの絵を描きました。今も次々と描かれた原画の展示は各地を回っているのですが、最終的に飼主さんの元へ贈られます。それで、その後原画の中からいくつか複製画が作られ、各地のボランティアの働きで巡回しているのです。

京都での巡回ボランティアをしていらっしゃる松永さんは、2013年「ひとまち交流館」で開催された原画展を観に行って、お手伝いされるようになったとのこと。今回、松永さんとのご縁で、本日より5日間だけですが(今週日曜まで)レティシア書房で開催出来る事になりました。

主宰者の絵本作家うささんは、震災後、東北へボランティアに行き、そこで多くの人の命とともに、想像を絶する数の動物が命を落としたことを知ります。飼主さんたちの心の傷は癒えることがありません。何故、彼らは命を落とすことになったのか、動物の命は尊重されているのか。「見過ごされる命、声なき声を、展覧会を通して伝えたいと思います。」という主宰者の声を聞いて頂ければと思います。そして、震災から6年経った今も、動物の命の救われ方が変わっていないことを、この展示を機会に知って頂ければと思います。うささんが描かれた「ぼくは海になった」という絵本は、流されて亡くなったお母さんと犬のチョビのお話ですが、犬を飼っている身には涙なくしては読めませんでした。(絵本「ぼくは海になった」展示中販売しております。1400円)

池田あきこはじめ、絵本作家・イラストレーターの方々が、震災で亡くなった犬、ネコ、鳥、牛などの在りし日の姿を描き、絵には、それぞれのエピソードも書かれています。中には、飼主からの手紙も展示してあります。

「避難所ではペット受け入れ不可だからと、避難できるのに避難せず、自宅に残った人、ペットを連れて避難所に向かったが、一緒に入室を断られたために、自宅に戻った人・・・・その人たちは、ペットと共に亡くなっています。姿かたちが違ってもその命を思う人にとっては、大切な家族です。ペットの命を助けることは、人の命を助けることにつながるのです。」

ペットだけでなく、畜産業者の牛の話もあります。生き残った牛が、子牛を産みますが、警戒区内で交通事故に遭い、亡くなってしまうという辛い体験談です。

「避難時に一緒に連れてくるものは、その人にとっては大切な存在であり、共に助かりたいから連れてくるのです。初めから救える命、救えない命と、命の線引きから決めるのではなく、命は全て救うもの、そこから考えていただきたいと切に願います。」

ペットを飼っている方も、そうでない方も、ぜひご覧ください。(女房)

◉7月9日(日)まで開催です。(会期中無休。最終日18時まで)

うささんの絵本・ポストカード・クリアファイルなど販売しております。

●展示した直後、京都新聞の取材を受けました。(写真左)

古典芸能の本、特に初心者が読んで面白い本を見つけると、つい仕入れてしまいます。

古い本ですが、堂本寒星「上方芸能の研究」(昭和29年河原書店2000円)は、上方歌舞伎、壬生狂言、さらに上方舞にまで及んだ書物です。この中で、京舞の井上八千代さんとの対談が載っていました。四世井上八千代襲名の時の対談です。厳しい先代とのお稽古の事や、これから四世としてどんな舞台を勤めてゆくのか、先代が三味線のお稽古にことの外厳しかった時のことなど、はんなりとした京都弁で話されています。

「わたしが上手に弾けまへんと、あんた、もういんどいてと、おこらはるのどす。さうなると、わたしは先代さんと二三日顔を合わさんやうにするのどした。」

当代の五世八千代さんも、祖母である四世のことを、それはもう厳しかったと話されているのをTVで観たことがあります。

人形浄瑠璃「文楽」の大夫として60数年活躍され、先日引退された竹本住大夫への聞き書き「人間、やっぱり情でんなぁ」(文芸春秋600円)でも、やはり厳しい修行の日々を語られています。思わず吹き出したのが、「コケコッーコあ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ、」という台詞を師匠宅で早朝から何度も何度も繰り返し言わされた時のこと、ご近所から苦情が出ました。

「『じゃかましいィっ、夜の明けたん分かってるわい!』と大夫顔負けの迫力の、ちょっと怖い声で怒鳴られました。これを聞いた師匠が血相変えて、言い返すために、物干し台に上がろうとされるのを必死で押しとどめて、大騒ぎになりました」とは、いかにも大阪的なエピソードですね。

だいぶ前に、竹本住大夫の舞台は拝見しましたが、全身全霊で向かって来る気迫に感動したことを覚えています。表紙のお顔も、なんとも深い人間味が漂っています。

舞台に上がる直前、どんな名人も上手くいくかという恐怖心が湧き上るのだそうです。その竹本住大夫の頭を過るのは、「どっちにしても、出たとこ勝負や」という一念でした。

「新人のときの『稽古はしてきた。よっしゃ、出たとこ勝負や』と自分に言い聞かせてました。初舞台から最後の日まで、毎日毎日思うことは一緒でした。」竹本住大夫ならではのきっぷの良さです。

もう一点、高田文夫監修の写真集「お後がよろしいようで」(ちくま文庫500円)は、高座や楽屋での、江戸前噺家の表情が数多く収録されています。キリッとした、いなせな雰囲気が満ちていて、折にふれパラパラめくっています。志ん朝のちょいと顔を上げた雰囲気なんかとても素敵です。

★勝手ながら7月3日(月)&4日(日)連休いたします

 

 

故星野道夫の全集、といっても写真の全集ではありません。新潮社が出版した全五巻「星野道夫著作集」は、彼が書き残した多くの文章を、可能な限り集めた写真家の文章だけの全集です。中々すべてを揃えるというのは難しいのですが、買いやすい価格で出ていれば入れています。

第一巻は彼の初期作品を集めたもので、初期の傑作「アラスカ光と風」、「カリブーの旅」等を読む事ができます。

「大自然の中での用足しは本当に自然だ。これ以上すがすがしい用足しは絶対にない。現代人のなかで、どれだけの人間がこの快感を知っているだろうか。ぼくたちの変化というものは。自分たちの排泄物をできるだけ見ないようにきえしている。つまらないことかもしれないが、そんなことからさえも、ぼくたちは何かを失っている」

なんて、アラスカの大自然の中にいる喜びが伝わってくるような文章です。しかしその一方、私たちの生活が、自然の流れから離れてゆくことを危惧しています。

星野自身の性格だったのか、或はアラスカの自然がそうさせたのかは解りませんが、まとめられた文章を読むと、その謙虚さが目立っています。ライフル銃を持って長期の撮影に入ってた時、何故か違和感を持ってしまいます。

「銃で守られているよいう気持ちが、自然の生活の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ。ぼくは、今でも人間が本質的にもっている野生動物に対する狩猟本能というものを肯定しているのだけれども、自分の目的と銃の問題は、なかなか噛み合ないような気がしている」

より大きな存在である大自然に対峙した時、人は謙虚になるものです。しかし、その気持ちを永遠に持ちながら自分の人生を全うさせてゆくのは、簡単に誰にでも出来るものではありません。星野の愛したアラスカ、そこで生きた人びと、動物への限りない愛情が、すべての文章に宿っています。傑作「イニュイック」のこの文章は何度読んでも、感動します。

「一年を経て、同じ親子クマに再び出会う。彼等が過ごした一年と、自分が過ごしたこの一年が重なった。長い冬の日々、ストーブに火をおこし、本を読み、スキーで森を歩き、またオーロラを見上げていたその時、どこかの山の塒(ねぐら)で、この三頭のクマはひっそりと同じ冬を越していた。あたりまえのことなのに、初めて気付いたような思いがした。すべてのものに、平等に、同じ時が流れている」

クマと同じ時間が、私たちに流れているなんて考えは、なかなか考えないものです。

著作集は1巻(1900円)、2巻(1900円)があります。4巻も入荷していましたが、売切れました。なるべくこの価格帯で販売していくつもりです。

★連休のお知らせ 7月3日(月)4日(火)

 

 

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数年前、川端御池近くのギャラリー「nowaki」で、不思議な作品展に出会いました。

身の回りにある紙(新聞紙や広告紙など)を使って、動物、虫、絶滅した恐竜などをかたち作り、セロテープでグルグル巻いて、完成させるというもの。制作していたのは、植田楽(うえだ・ひらく)さんでした。あまりの面白さにその時「トナカイ」を購入して、店に飾っています。

今回、彼の作品を一同に集めた作品集「ずかんをひらく」(1080円)が入荷しました。タイトル通りに図鑑風に作られています。ページを開けると、恐竜編がスタートします。”暴君トカゲ”ティラノサウルスが登場。映画でもよく見かけるいかにも悪役づらしたあいつですが、すっくと立って、なかなかの男前。植田さんのコメントで「強そうな歯が特徴なので、一本一本、強度や曲がり具合もリアルに表現しました」というコメントが書かれています。

恐竜達に続いて、古代に絶滅した動物達が登場します。ダチョウのような「ジャイアントモア」。ユーモラスなスタイルが特徴的です。どの作品にも、図鑑のような解説が付いているところがミソですね。

そして、現代の動物。「忠誠心が強く、古くからチベットの牧畜民が牧羊犬や番犬として飼育してきた」チベタンマスティフという大型犬は、実物そっくりです。作者曰く「タテガミのフサフサ感を黒色で出すのに、苦労しました。ティッシュを丸めてふわふわ感を出しました」とコメントされています

植田さんが、紙とセロテープで作品を作り始めたのが6、7歳ごろ。最初に作ったのがボールとバット。私もボールなら作った経験がありますが、ここから先がアーティストとの違いです。10歳のころから動物の制作を開始し、市販されているフィギュアにないような無名の動物達の作品作りへと向かいます。彼は、新しい作品を制作する時、図案を描かずに、いきなり作り始めるというのが驚きです。設計図なんてなくても、きちんと立っています。

本の出版に合わせて、何点か作品を販売しています。お気に入りがあれば、ぜひ。(写真の作品はすべて販売中。7000円〜)