いつも曇天で、肌寒い雰囲気が漂うこの牧場をカメラが捉え、映画「ゴッズ・オウン・カントリー」は始まります。厳格な父親と家を支える祖母、一人息子ジョニー。イギリスヨークシャー地方で牛と羊の牧場を細々と経営する一家が、この映画の主人公です。

息子の母親は、始終難しい顔をしている夫に耐えきれず、この地を去っています。病気で倒れた父親に、常に命令されながら、牧場の全ての仕事をこなしているジョニーに、喜びは見受けられません。仕事が終われば町へ行って酒を飲み続け、毎朝吐くという日々の繰り返しです。楽しみも未来もない毎日。同性愛者の彼は、酒場で引っ掛けた男と束の間の欲望に耽るのですが、その表情は少しも晴れません。

映画は、有無を言わさぬ力強さでそんなジョニーの毎日を描いていきます。ある日、病気の父親に代わって、季節労働者としてルーマニア出身の青年ゲオルゲがやってきます。羊を山にあげ放牧し、一緒にボロボロの山小屋で寝泊まりする二人。ごつごつした岩山、青空が全くないほど、雲が幾重にも大空を覆い、冷たい風が吹き抜けていくきます。

ジョニーは、この青年も同じ同性愛者だと見抜き、二人の男は野外で抱き合います。閉塞感、孤独が漂う中、最初は、ゲオルゲに差別感情を抱いていたジョニーでしたが、ゲオルゲの遠くを見つめる雰囲気や、ふと見せる優しさや、牧畜の仕事に対する真摯な姿勢に、少しづつ魅せられていきます。羊の扱い方も見事で、観ているこちらもこの青年に惹かれていきます。

「美しいけれど寂しい」とは、ゲオルゲが言ったヨークシャーの風景を表現する言葉ですが、それはそのままジョニーの心境につながっていきます。楽にならない暮らし、一向に距離の縮まらない父親との関係、将来への不安で苛立ちながらも、ジョニーはゲオルゲの登場で、少しづつ変化していきます。一度はゲオルゲと別れたジョニーですが、彼と共にやり直す覚悟を決めて、彼の元へ向かいます。画面後方に広がる空は、何と青空です。この空がとても美しい。泥まみれ、クソまみれ、精液まみれの中から、掴み取った幸せの予感が溢れるラストシーンが印象的です。

多くの映画祭で絶賛されたことも納得できる傑作です。

 

 

 

 

★イベントのお知らせ

6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

       

 

 

 

密林の奥に分け入ってゴリラの世界を研究する、霊長人類学者山極寿一と、言葉の森に分け入って物語を紡ぎ出す小川洋子という、全くフィールドの違う二人が対談する「ゴリラの森、言葉の海」(新潮社/古書1100円)は、知的好奇心がムクムクと起こる素敵な一冊でした。

2014年紀伊国屋のホールで開催された二人のトークショー、同年および翌年に行われた京大の山極研究室での二回にわたる対談、そして2016年、屋久島の深い森の中で行われたフィールドトークがまとめられました

「ずっと私は山極さんの声に耳を澄ましていた。言葉の響きに残る、言葉のない世界の気配を感じ取ろうとしていた。そこにはゴリラのドラミングやインパラの足音が、人間を圧倒する意味深さでこだましていた。霊長類学者と作家が同じ地点を見つめて対話できたのは、全て山極さんのおかげである。」という小川は、あらゆるゴリラへの疑問や、思いをぶつけていきます。それを山極は、ある時はユーモアたっぷりに、ある時は人間社会に置き換えて論理的に答えていきます。

「一人で行動するゴリラのオスというのは、本当に孤独なんですよ。いったん群れを離れてしまうと、ほかの群れからも絶対に相手にされないし、ひとりゴリラ同士の付き合いもほとんどない」という話から、ゴリラも孤独をかみしめるという、笑ってはゴリラに可哀想だけれども、なんとなく笑えてくるような雰囲気を作る二人のペースに乗せられて、ゴリラの社会を知ることで、私たち人間とは何者かという根源的な疑問へと向かっていきます。

「ゴリラやサルと付き合いながら自然の森を歩いていると、生きることに意味などないような気になる。それぞれの生物に与えられた時間があり、それをあるがままに生きるのが生命の営みというものだ。」と、山極は後書きに寄せています。「あるがままに生きる」とは深い意味を持った言葉です。

ところで、映画「キングコング」でコングがドラミングをして、相手を威圧するシーンがありますが、実際は全く違って、「戦いの宣言ではありません。ゴリラたちは、自分の意想を相手に危害を加えずに紳士的に伝えることを編み出したんですよ。」というのが真実です。危害を加えずに紳士的に伝えるか。何かと物議を醸し出すトランプ氏も、彼らの教えを受ければ、もっと平和的になれるかもしれませんね。

 

★イベントのお知らせ

6月5日(水)より「世界ひとめぐり旅路録」展をされる小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)

当店での個展が3回目となる、たがわゆきおさんの個展「夏を旅する」展が始まりました。サブタイトルに「水彩で描く南欧の風景」とあるように、2015年〜2017年にかけて旅したイタリア、フランス、スペインの各地を水彩で描いた作品が展示されています。

イタリア北部、ミラノ付近に位置するコモという町にある、コモ湖はスイスと国境を接したリゾート地です。湖畔の町レンノでサマーバケーションを楽しむ人たち、街角の静かな風景を描いた作品など、ゆったりとした時間が流れます。

また、パリ近郊の港町オンフルールを描いた一枚は、帆船とその向こうに広がる街並み、そして夏空が描かれています。プロヴァンスにある、エクサンプロヴァンスという街角にあるカフェを描いた一枚。午前中のカフェの雰囲気が素敵です。このカフェの前の道はセザンヌのアトリエへとつながっていて、その向こうに広がるレ・ローブの丘をたがわさんは描いています。杉木立の彼方には、サン・ヴィクトワール山が見えています。ご存知のようにセザンヌも、この山を何度も描いています。

古代ローマ時代に整備されたアッピア街道(写真左)は、古代ローマの歴史好き、遺跡好きには欠かせない軍事街道です。大きな松の木の向こうに遺跡が見えていて、イタリアの暑い夏を吹き抜ける風の音が聞こえてきそうですが、本当に暑い場所だそうです。

イタリア中部の町アッシジにある城壁と、仕事帰りのライトバンに乗せた犬を描いた作品には、夕暮れ時のほのぼのとした風情が漂っています。

ヨーロッパの街角が見せる、様々な表情をお楽しみください。

 

★「夏を旅する。展」水彩で描く南欧の風景は19日(日)まで開催中。

12時〜20時(最終日は18時まで)月曜日定休

 

大半をアラスカで過ごし、オーロラやここに生きる動物たちを撮影している写真家、松本紀生著「極北のひかり」(Creuus/古書1300円)を読んでいて、不覚にも泣いてしまいました。なんて、この著者は幸せ者なんだろう。

それはアラスカの荒野でキャンプをしている時のことです。近くに狼の小さな群れが来ていることに気づいた著者は、彼らに語りかけようとして、遠吠えの真似をします。「ワオーーーー」と声を張り上げますが、無反応でした。ところが暫くして、「アウ〜〜〜〜〜」と応えたのです。

「鳥肌がたった。野生のオオカミが返事をしてくれたのである。どう贔屓目に聞いても狼のものではないニセの遠吠えに対して、人間を避けるようにして生きる孤高の野生動物が声を返してくれたのである。」

その後も、彼らは反応をしてくれました。「相手の遠吠えに対してこちらが吠える。するとそれに対してまた相手が吠える。そうすることで、あたかも野生動物と自分との間で会話が成立しているかのような錯覚を覚えたのである。」

この話には続きがあって、翌年、同じ場所にキャンプをした時、やはりその狼たちが、やってきたのです。そして、同じように彼の遠吠えに応えたのです。

「顎を反らして、耳を下げ、うっすらと目を閉じながら、腹を震わせるような野太い声を返してくれたのです。折しも昇り始めた太陽が、遠吠えで発せられた吐息を逆光で浮かび上がらせていた。」

彼が撮影した白オオカミの写真が載っています。この経験を生涯忘れることはないと著者は書いています。過酷な自然の中に身を置かないと経験できない至上の喜びが、この本にはあふれています。

その後も、この地に来ると遠吠えをしてみるのですが、反応はありません。

「それでもよかった。声を交わしあうことなどできなくても、彼らがどこか近くで暮らしていると想像するだけで、心が温かくなる気がした。オオカミが生きていけるだけの汚れのない自然がまだこの世には残っていると感じられるだけで、充分だった。」

自分の生き方を模索し、アラスカに出会い、極北の厳しい自然の中に身を置いてマイナス四十度の世界で見つけたもの。自分はどう生きるのかを探す彼の旅に参加してみませんか。

とても素敵な本でした。

最近、ちょっと阿部昭の小説に入れ込んでいます。阿部昭は、海軍将校阿部信夫の息子として広島に生まれ、その後神奈川県藤沢市に引っ越しここで育ちます。東大文学部に進みラジオ局に入り、62年「子供部屋」で文学界新人賞を受賞して作家になります。元軍人の父のこと、知的障害を持つ兄や息子など、自分の家族を書くことが多い私小説家系列の作家です。短編小説の名手として知られています。今回入荷したのは「阿部昭短編集」(水窓出版/新刊1728円)。

個人的に、私小説は波長が合わず、あまり熱心に読んではいないのですが、彼の作品だけは、どんどん読めるのが不思議です。父親がモデルと思われる元軍人の戦後を、息子の目線で描いた「幼年詩篇」など典型的な私小説なのです。会社員生活に馴染めない父親は、すぐに辞表を出して家にこもってしまいます。家にあったものを順番に売っては生活をしている様子が描かれていて、陰気といえば陰気なのですが、面白い作品です。

「未成年 」に登場する父親も似たり寄ったりです。この中で、やはり元軍人だった父親が自分の部屋で屑あつめをする様を、こんな風に表現している文章があります。

「僕には、おやじが自分の肉体がほろびてゆく音をじっと耳をすまして聞いている。そんな風に思えるのだ。なんの役にも立たないそんな紙屑やがらくたを、おやじがまるで生き物を可愛がるみたいににして身のまわりに寄せ集めているのは、なぜかそうしなければ心が寒いからなんだろう。温もれないような気がしているからなんだろう。 おやじの胸にぽっかりあいた暗い、つめたい穴をのぞきこむような気がする。」

軍人だった父親と息子の関係を通して、戦後の一つの姿を描いています。きっと、こんな家族は日本中にあったはずです。平易で飾りのない文章だからこそ、リアルにその姿が立ち上がってきます。

「おふくろが庭先に放り出してある壊れた椅子にぐったりもたれて、砂いじりしている幼い孫を見張っている」という文章で始まる「あの夏」は、よくある妻と母親の間で立ち往生する夫の日々を描いた作品です。後半「いまや自分も子供を持つ親になって、おふくろというものがただ老いた肉体というよりは、何か不仕合わせな魂のように感じられるようになった。おふくろの一生が、僕をふくめた男たちにくすねられた、はかない一生だったという気がするようになった。」と老いてゆく母を見つめています。

どこにでもある人生の一瞬を切り取って、生と死、そして老いを描き切った傑作揃いの短編集です。版元の水窓出版は、この本の他に、三木卓の「ミッドワイフの家」という、やはり地味な小説を刊行しています。この出版不況にエライ!

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。

 

 

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いつの頃からか、松本竣介の絵画に惹かれてきました。静謐と、孤独が覆う作品は、何度見ても飽きることがありません。彼の画集は、古書で高価な価格が付いていますが、手頃な価格で入手できるものを探していたら、数点まとまって入りました。

中野淳の「青い絵具の匂い」(中公文庫/ 古書600円)。これは、松本と交流のあった著者が、出会いから死別、そして死後の評価を記録した本で、文庫オリジナルです。白黒ではありますが、松本の作品が収録されています。

コロナ・ブックスの企画で出版された「松本竣介 線と言葉」(平凡社/古書1400円)。こちらは、オールカラーで鑑賞することができます。「運河風景」「鉄橋付近」「議事堂のある風景」「Y市の橋」など代表作が並んでいます。私は、この本で彼が最も尊敬する人物として、宮沢賢治を挙げていることを知りました。

彼は東京生まれと思って、朝日晃の「松本竣介」(日動出版/古書2600円)を読んでいると、二歳の時、父親の仕事の関係で花巻に引越していました。父はぶどう酒を製造するビジネスを始めたのですが、ここに、当時25歳だった賢治が何度も訪れているのです。さらに、彼は賢治の卒業した小学校、中学校に通っていました。そんな環境で、賢治の世界に惹かれていきました。

朝日は本の中で、色彩の少ない風景を描く松本の世界への、彼が過ごした東北の風土の影響をこう書いています。

「きまって浮かんでくる三つの色彩がある。言うまでもなく、雪国としての盛岡の白と、その積雪が春先になって解け始め、やがて、白一色のなかからのぞかれる雪国の土の黒である。そして、冬空を仰ぐと、厚い雪雲の切れ目から、突然透明度のある輝くような碧空がのぞき、光は周囲のなかの唯一の明部として鋭角的に存在するのである」

賢治の死後、出された全集を松本は大事にしていました。東京という都会の人になっても、深い青に彩られた世界は、賢治の魂と同じ地平線に広がっているのかもしれません。

蛇足ですが、秋山洋一の詩集「雲母橋あたり」(幻戯書房/古書1400円)の表紙にも松本の「Y市の橋」が使われています。

 

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昆虫学者であり、フランス文学者でもある奥本大三郎の随想集。タイトルは「織田作之助と蛍」(教育評論社/古書1650円)です。

「ここで織田作之助をまっ先に取り上げたことには特に理由があるわけではない。私が大阪生まれで、この作家のものを折に触れて読んでいる、そしてその作品のところどころに虫が出てくるのが嬉しい気がするというだけのことである。」

ということで、「夫婦善哉」で有名な織田作之助を巻頭で取り上げています。著者は大阪の南の方、和泉出身。織田の小説で語られている大阪弁は、天王寺あたりのものなのだが、そこに和泉の方言が混じり込んでいるので、懐かしさを感じるのだとか。ここでは、「アド・バルーン」という作品を取り上げ、「口調の良さはオダサクの命であり、あえて言えば西鶴譲りなのである。」と書いています。

昆虫学の専門家だけあって、随所にそのウンチクが登場します。明治生まれの詩人、横瀬夜雨の詩集「雪あかり」に入っている「べっ甲蜂」を取り上げ、この蜂が狩り蜂の仲間であり、彼らは他の虫を捕まえて、毒針で動けなくして、巣の中に貯蔵する習性を持っていることを解説して、

「蜂はその、動けない獲物に卵を産みつける。 やがて蜂の卵から幼虫が孵り、獲物の虫の体、つまり生きた新鮮な肉を、命に別状のない部分から順に食べて行く。そして、ついには獲物がほとんどカラッポになるぎりぎりまで相手を生かしたまま食いつくすのである。」と続けています。

まるで映画「エイリアン」に登場する化物みたいですが、これがべっ甲蜂の生存戦略なのですね。しかも、この蜂、他の虫が嫌がる大型のクモを襲うのです。自然界の営みは凄いです!と、こんなふうに自然の世界に行ったり来たりするところが、この本の面白さです。

この本の中で知ったことなのですが、ファーブルの「昆虫記」を日本で初めて翻訳したのは大杉栄なのです。ご存知の通り、アナーキストとして官憲から目をつけられて、関東大震災のどさくさの中で惨殺された大杉は、大正11年に「昆虫記」第1巻を翻訳していました。彼なき後、仲間たちの手によって、翻訳が続けられました。

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いつも、優れたノンフィクションやエッセイを書いている森まゆみの「暗い時代の人々」(亜紀書房/古書1400円)は、大正末期から戦争に向かう昭和の暗い時代を、圧力をかわして生き抜いた九つの物語です。登場する人物の中で竹下夢二以外、一般にはあまり知られていない顔ぶれです。

その中に、斎藤雷太郎と立野正一という人物が登場します。1908年生まれの立野正一は、京都市立美術工芸高校(現京都市立銅駝美術工芸高校)卒業後、社会主義運動に関わり、治安維持法違反で投獄されます。その後1934年、西木屋町に「フランソワ喫茶室」を開きます。

「フランソワ喫茶室」。京都の人なら、あ〜、あのクラシカルな喫茶店か、と思い出します。森はこんな風に描写しています。

「高瀬川沿いの路地にある小さな喫茶店は、外観はスパニッシュ風の青灰色のモルタル塗りで、二階には手すり子があり、一階の窓にはステンドグラスがはまっている。木の扉を押すと、中にはビロードのような赤い布張りの椅子で、手作りのこげ茶の木のテーブル、壁にはレオナルド・ダヴィンチの『モナ・リザ』の複製画があり、ヨーロッパ調の古めかしいつくりだった。」

一方の斎藤雷太郎は、1903年の横浜生まれ。30年に京都松竹撮影所の大部屋俳優となり、役者稼業の傍ら、「京都スタジオ通信」などのミニコミ紙を発行していました。36年、哲学者の中井正一らと文化新聞「土曜日」を発行しますが、この新聞が反政府的、反ファシズム的だと当局に睨まれます。その時、この新聞を支え、活動を支援したのがフランソワ喫茶室だったのです。

鶴見俊輔は、「その頃治安維持法のもとでそんな小さなメディアが喫茶店を通じてたくさんの人に読まれていたのは奇跡的ですよ。」と語っています。

「土曜日」はフランソワ開店の2年後の1936年(2・26事件の年です)に発行。治安維持法下でも、映画や美術、ファッションの記事を中心にしながら、時事的な記事を載せていました。なお、当時映画記事を書いていた一人は、淀川長治でした。

フランソワの立野マスターは、この新聞を200部買取り、店で無料配布していたので当時の大学生たちが読んでいました。「理論や教条ではなく、感性と軽やかさを信条とした」ミニコミとして、支持を広げていきます。しかし、軍部のファシズム政権下で反社会的と見なされ、関係者は全員検挙されます。フランソワも空襲に備えて、テーブルや椅子を疎開させ、一旦閉店します。

戦後フランソワを再開し、店の片隅で左翼リベラルの本を販売するミレー書房を立ち上げます。やがてここは、多くの文化人の集うところとなっていきます。立野正一は1995年は亡くなりましたが、妻の留志子さんが引き継ぎ、店は続いていきます。私が文庫本を持って通っていた頃は、もう二代目の時代だったと思いますが、静かにゆっくりとコーヒーの飲める喫茶店でした。2003年、この店は国の登録有形文化財に登録されました。カフェが登録有形文化財に登録されたのは日本で初めてでした。2009年、留志子さんは亡くなりますが、店はその後も営業を続けています。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

 5月6日(月)〜8日(水)は連休いたします。

 

 

ここに、一人の牧師がいます。名前はトラー。NY郊外の古くからある教会が、任地です。彼の父親は、従軍牧師として戦地に赴き、そこで牧師として働き、同じようにトラーも戦地に向かい、彼の息子も戦地(おそらくイラク)に送りました。しかし、息子は半年で戦死。息子の死というトラウマに悩まされる彼の元を、妻は去っていき、悲しみと後悔から逃げきれないトラーは酒に走り、血尿に怯えて暮らしています。そんな牧師が、他人を救えますか?

という、とんでもなく辛いシチュエーションから、映画「魂のゆくえ」は始まりました。監督は、ポール・シュレイダー。名作「タクシー・ドライバー」の脚本家です。

さて、トラーの元に、信者の女性が夫の様子がおかしいと相談に来ます。彼は夫に会い、話を聞きます。夫は地球の環境問題を思い悩むあまり、妻の出産に反対しているのです。今後も話をしましょうと、トラーは別れたのですが、これが最後の話し合いになってしまい、さらに、夫の部屋から自爆用の爆弾スーツを発見してしまいます。そんな折、自分の従事する教会が、実は環境汚染をしている企業からの資金援助を受けていることを知ります。こんな風に話は進行していくので、どう転んでも、良かったねというエンディングはありえません。

映画は、トラーの心の葛藤、追い詰められてゆく様を描き出し、わびしいNY郊外の風景が心に染みます。自爆用スーツを着た彼が、鏡の前でポーズを決めるシーンは、「タクシードライバー」で主人公が、ホルスターを着用して、拳銃を撃つ真似をするシーンの凶暴さを思い出しました。トラーを演ずるのは、イーサン・ホーク。彼のベストの演技でしょう。

宗教者の心の闇と孤独を描く映画と言うことで、あんまり関係ないかもなぁと思っていたのですが、深く心に突き刺さってくるものがありました。自傷行為の果てのような、血みどろのラスト。トラーは、あれで本当に救われたのでしょうか。

 

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

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夏葉社の代表島田潤一郎さんが、「90年代の若者たち」(岬出版/1404円)を発行しました。

「一九九五年の冬に、日本大学商学部の文芸研究会というサークルに入部した。大学一年生で、まだ十九歳のころ。焦燥感と向上心があった。文学が好き、というひとたちから、なにかを学びたかった。」

という書き出しでわかる通り、これは島田さんの大学時代、そしてその後、やりたい事を見つけるまでの人生の彷徨です。読み終わって、これサリンジャーの世界だなと思いました。サリンジャーが描くのは、極端に言えば何をしていいのかわからない青年が、ブツブツ呟きながら、トボトボ歩く世界です。この本の中で、島田青年は未来のことが見えてこず、作家になりたいという思いだけが先行し、虚しい日々を送っています。

「ぼくが青春時代を送った90年代は、音楽の時代だった。もっといえば、CDの時代だった。アナログからデジタルに移行した時代。通信カラオケの普及によって、みながカラオケボックスへと通った時代。若者たちはみな、驚くぐらいにCDを買った。」

そんな時代、彼も浴びるほどの音楽漬けの生活を送ります。小沢健二、スピッツ、サニーディ・サービス等々、世代的に差がある私には縁遠いミュージシャンですが、「カラオケでよくうたったのは、小沢健二の『愛し愛されて生きるのさ』。それだけがただ僕らを、悩める時にも、未来の世界へ連れてゆく、と。九十五年も、九十六年も、九十七年も、九十八年も、大声でうたった。」という気持ちは、よくわかります。私だって、ジャズ喫茶にこもり、ロックイベントに通っていましたし。

島田青年は、就職活動に全敗しあてのない日々を送るのですが、音楽に常に支えられていました。九十年代を「ぼくにとって、重たい時代だったのである。バブルを知らないうちにバブルが弾け、楽しみに見ていたトレンディドラマの空気も、どんどん重たくなっていった。」と括っています。

1999年、彼は家を出て安アパートで一人暮らしを始めます。大量の本とCDを持ち込み、作家になるべく、ワープロに向かう日々が始まります。しかし、そう簡単に道は開きません。アルバイトに明け暮れる毎日、かけない文章、青春の出口でもがく日々が描かれます。早くに死に別れた友人への思い、仕事に価値を見出せない毎日、そして心を病んでいきました。

その後、彼が夏葉社を立ち上げるまでのことは、「あしたから出版社」(晶文社/古書950円)をお読みください。「90年代の若者たち」の最後の方で彼はこんなことを書いています。

「本というのは、人間に強さをもたらしたり、ポジティブな価値を与えるというより、人間の弱い部分を支え、暗部を抱擁するようなものだと思う。だから、ぼくたちは本が好きなのだし、本を信頼していたし、それを友だちのように思っていた。それは本だけでなく、音楽もそうだった。」

同感です。

レティシア書房はゴールデンウイーク中も通常営業しております。(4月29日は定休日)

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