東大東洋文化研究所の教授安富歩の本のご紹介、と書き出すとなんか難しそうな本かなぁ〜と引いてしまわれそうですが、ちょっと違います。先ず、表紙をご覧下さい。大きく「男性のフリはやめました」と書かれた横に写っている方が教授です。本のタイトルは「ありのままの私」(ぴあ)

若き日に、「自分は男性のフリをしている」ことに気づいた著者は、そのストレスから抜け出るために、男性の服装を脱ぎました。では、女装趣味か?いえそうではありません。こう書いてあります。

「私は『女装』をしているのではないのです。ただ、普通に服を着ているだけなのです。それが女性の服なのです。なので、私がしているのは『女装』ではなく『女性装』と言うのです」

この本は、著者の女性装から始まり、自由に生きること、自分らしく生きること、そして異なるものを排斥するこの国の窮屈さが、軽やかな文体で書かれています。

最初に女性服を着た時の印象「それは柔らかくて薄い、ということでした」。それが自分の身体にフィットして、心まで軽くなってくることを知った著者は、多くのバリエーションを持つ女性服の豊かな世界へと入っていきます。最初はオズオズと、やがて、その姿で社会に出ていきます。講演会に出たとき、会場にいた女性から「おきれいですよ」と言われて、一歩前に出る事ができたのだそうです。そして、教授会にも女性装で登場します。

話はちがいますが、同じ色のスーツ姿のサラリーマンがぞろぞろと出て来ると、私は気色悪さを感じてしまいます。個性も無いし、それにまるでスーツが戦闘服みたいで、組織の暴力をそのまま背負っているイメージがするからです。

さて、やがて、おネエ好きのTV界からもお声がかかります。最初の声をかけてきたのはフジTV。マツコ・デラックスを看板にした「アウト×デラックス」でした。この番組以外では、保守的なTV界でかなり嫌なこともあったそうですが、「アウト×デラックス」は彼を「男装をやめた東大教授」ときちんと紹介して、主張も視聴者にわかりやすく的確に編集されていたそうです。

けれども一方で、LGBTに対する差別がひどいテレビ界への苦言も書かれています。「日本のテレビが下らないのは、『わかりやすさ』と称して、視聴者が事前に抱いているステレオタイプに寄りかかった番組を作るからです。そして対象となる人や出来事に対して、ステレオタイプを押し付けるのです。これが大変な暴力を生み出します。これが差別なのです」ステレオタイプに挑戦する心構えがなければ、早晩視聴者からは見放されるというのは、全くその通りです。

この本で私が最も面白いと思うところは、マツコデラックスという存在を、歴史学者、網野善彦の「無縁・公界・楽ー日本中世の自由と平和」で述べている「無縁」の原理に体現者ではないかという考え方です。

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 


 

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個人的に、ゾンビもの、吸血鬼もの、そして半魚人もの映画は、大好物です。昨今、吸血鬼や半魚人は、絶滅危惧種でスクリーンでお目にかかることは滅多にありません。しかし、ゾンビものは手を変え品を変えて登場して、ファンを喜ばせてくれます。

先日、韓国映画「新感染ファイナル・エキスプレス」を観に行きました。傑作です。監督ヨン・サンホという人は、スピルバーグの「JAWS」、あるいは黒澤明「天国と地獄」辺りの映画文法を熱心に研究していたんではないかな、と思いました。

映画は、バイオ企業が垂れ流した薬に感染した人間がゾンビ化し、その一人が超特急に乗り込んで、一気にゾンビが増加。列車内が大パニックに陥るという(もちろん)荒唐無稽なお話ですが、監督が映画の技術を自分のもににしているので、バカバカしいなんて全く思うことなしに、一気にラストまで見せてくれます。ゾンビが登場するまでの伏線も巧みで、例えば主人公が勤務する投資会社が、問題のバイオ企業に絡んで来るというオチなんて、上手いですね。

主人公と娘が列車に乗り込み、娘が何気なくホームを見ていると、ホームにいた人物が襲われるます。えっ!と思った途端に、列車は発車。その間、僅か数十秒のカットですが、映画とはこれだ!と思う瞬間です。列車内で孤立した乗客達が、次々とゾンビ化していきます。あ、この人は襲われるな、きっとこいつは好きな女を守って死んでゆくな、こいつは他人を押しのけても生き残ろうとするな、と思った通りに進んでいくのですが、途中でその定石の展開がガタガタと崩れていきます。

え?え?え〜!この人もゾンビに?! まさか、まさか、この人までも!そんなぁ〜、という悲痛な思いのまま進行。非情な演出が冴え渡ります。さぁ、ここで泣いてくださいと言わんばかりのケレン味たっぷりの演出に、まんまとはまって泣いている人もいましたね。ハリウッド映画だったら、絶対こんな展開にはなりません。

ディーゼル機関車に飛び乗ってやっと脱出した主人公たちにむかって何十人ものゾンビが走ってきます。機関車に乗り込もうとして引きづられてゆくシーンを俯瞰で撮るという、とんでもない映像美学まで楽しませるヨン・サンホという映画人は、第一線級の実力者です。

ラスト、主人公の娘が歌う「アロハ・オエ」に、私も(まんまとはまり)思わず泣いてしまいました。

 

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映画好きイラストレーター、朝野ペコさんと楠木雪野さんのユニットによる「続・荒野の二人展 /私たちのするめ映画」が本日より始まりました。

2年前、「荒野の二人展」をしていただいた時、映画の話で盛り上がり、次はいつ?と楽しみにしていた第2弾です。前回は、連想ゲームのように、ある映画の一場面から次の映画がつながって、二人のイラストレーターが交互に絵をならべていく趣向でしたが、今回は「私たちのするめ映画」という副題がついています。「するめ映画」とは、作家・エッセイストの吉本由美さんが提唱した「地味で渋くてゆるゆるなんだが噛めば噛むほど味の出るスルメのような映画の総称」だそうです。映画大好きのイラストレーター二人が選んだ、シブい映画が12点並びました。いずれも大ヒット作は微妙に避けた、センスの良い面白い選択になっています。何より、この自分だけの「するめ映画」を選んでいく時が一番楽しかったとか。この映画のここが大好き!譲れない!という、自分の好みを改めてみつめることのできた時間だったそうです。

その一点、一点には映画の解説と「するめポイント」と題した小ネタを書いた解説プレートが設置されています。例えば、1931年製作のドイツ映画「会議は踊る」の「するめポイント」は、気楽に楽しめ、笑える軽妙で良質な歌劇との評価のあとに、「皇帝の影武者は登場するときにいつも歌をくちずさんでいるが日本語吹き替え版だとそれが『与作』っぽくて、それも好き」と鑑賞のポイントが書かれています。

1967年のSF映画「縮みゆく人間」(写真右)なんて、80分たらずのB級作品があるかと思えば、1969年のグルジア作品「放浪の画家ピロスマニ」という人知れず公開された傑作も選ばれています。(暫く前に、無くなった立誠シネマで再上映されてました)或は、能天気な1967年公開にハリウッド映画「ハタリ!」や、1984年公開のスタイリッシュなフランスアクション映画「サブウェイ」など。展示されている作品すべてを紹介するわけにはまいりませんが、二人とも映画のジャンルに拘ることなく、新旧、ヨローッパ、アメリカ、日本の映画を縦横無尽に楽しんでこられたことがよくわかりました。

映画好きはもちろん、最近あんまり観てないなと言う方も、ぜひ一度ご覧下さい。個性の違うお二人の絵がほんとうに楽しいです。朝野さんの、モノクロのキリッとしたイラストは、スクリーントーンを使って丁寧に、好きな映画を愛おしむように描かれています。一方、楠木さんの生き生きとした線と大胆な構図は、そのまま映画のポスターになりそうです。(作品はすべて販売しています)

なお、同時企画として映画パンフレットフェアも開催中です。新旧の映画パンフが100円から販売中です。すこしずつ秋の気配が漂う今日この頃、映画館へ出かけてみませんか?ちなみに昨日の定休日、店長はゾンビ映画に、女房は時代劇にとそれぞれ好みの映画館へ行ってきました。(女房)

「続・荒野の二人展 私たちのするめ映画」は9月24日(日)まで 月曜定休日 最終日は19時まで。

北海道に行けば、かつては必ずと言っていいほどお土産になった、鮭をくわえた木彫りの熊。どこの家にも飾ってあって、でもその内にどこかにしまい込んでしまった、というお宅も多いと思います。

しかし、一刀彫の木彫り熊を作る藤戸竹喜(1934年〜)の作品は全く世界が異なります。

数年前、釧路湿原で「ヒッコリーウインド」を経営している安藤誠さんのロッジに宿泊した時、偶然にも藤戸さんのトークショーと作品に出逢いました。当時は、スミソニアン博物館で展示されているような人とも知らず、初めて作品を観せてもらったのですが、神が宿ると言っても過言ではないような輝きがありました。小さな熊の顔にとても魅かれたのですが、我々には高価で手が出ませんでした。無理をしても手に入れるべきだったと、後悔しています。

さて、新刊で入荷した「熊を彫る人」(村岡俊也・文/在本彌生・写真 小学館2484円)は、個人的にも持っていたい一冊です。藤戸さんの作品も沢山収録されています。森の中に置かれた熊たちの動きと表情をご覧いただきたいと思います。

「熊や狼という動物は、アイヌの人々にとって神なのだ。自身を取り巻くあらゆる自然、山であり、川であり、動物が神であるという考え方。いや、考え方というよりも、生き方と言った方が近いだろう。それは阿寒湖畔に暮す” 熊彫り”である藤戸竹喜の中にも息づいていて、その発露として木彫り熊はある」

写真ではわかりにくいかもしれませんが、つややかな熊の毛並み、大地を踏みしめる足先の力強さは、熊を神とあがめるアイヌの豊かな世界観が見事に結実しています。本の中程に、河原をぐっと睨み、鮭を探す一頭の熊の作品が載っています。全体にみなぎる緊張感が伝わってきます。

藤戸さんは17歳の時、札幌の植物園でエゾ狼の剥製に出会います。その剥製から何かが伝わったのでしょうか、40年ぐらい前から試作を初めて、20年ぐらい経過した頃から、いい埋め木があれば、狼の連作を作り始めています。雪の中に立つ狼。森の孤高の王者の尊厳が伝わります。藤戸さんはこう言います

「土に埋もれて灰色に変色した埋れ木で狼を彫って、なんとか狼を甦らせたかったのかもしれない。熊もとても大事な動物だけど、俺にとって狼はやっぱり特別な動物だ。」

作業場で一心に作品を彫り続けている彼の顔が、とてもいいんです。

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

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川上弘美が1993年に書いたデビュー作「神様」が「神様2011」(講談社650円)としてリミックスされました。そこには深い意味が隠されていました。

「神様」は、川上らしいというか、奇妙なテイストで永遠に残りそうな作品です。

「くまにさそわれて散歩に出る。河原に行くのである。」というふうに、フツーにくまと散歩する人が登場します。これって、ファンタジー?でも「三つ隣りの305号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越にしては珍しく、引越蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚づつ渡してまわっていた」などという律儀なくまは、なかなかファンタジーには登場しません。                       

二人は、近くの川に出向き、彼はくまに川魚を取ってもらい、干物にしてもらいます。そして、楽しい一時を過ごしてアパートに戻ります。部屋の前で、親しい人と別れるときの故郷の習慣だとくまに言われて、抱擁します。それだけの話です。この小説が描いているのは、ただ一言、平和な時間です。

2011年のあの震災のあと、作家は「神様」を書き直しました。「くまにさそわれて散歩に出る。河原に行くのである。」で、やはり物語は始まります。しかし、「暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持ってゆくのは、『あのこと』以来、初めてである」と震災後、原発事故で起きた放射能漏れに関する描写が、チラチラとでてきます。河原に遊びにきている男に、くまは放射能に強いからいいなぁ、などと言われても、

「そりゃ、人間よりは少しは被曝許容量は多いですけれど、いくらなんでもストロンチウムやプルトニウムに強いわけはありませんよね。」とさらりとかわします。そして、二人で河原で遊び、やはり抱擁して部屋に戻ります。ただ、オリジナル版と違うのは彼が、その日の総被曝量を計算して終わることです。

原発事故をことさら大きく取り上げている訳ではありません。

「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろん、この怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから、この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも『もうやになった』と、この生を放りだすことをしたくないのです。」

と、あとがきに書いています。メルトダウンが起こるまで何もして来なかったという後悔を抱え、たとえ、如何なる状況でも平和な時間は手放さないという思いが、満ちあふれています。

 

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1990年頃だと思いますが、學藝書林が女性作家の「自選短篇集」を出していました。出版された作家は、津村節子、竹西寛子、河野多恵子、瀬戸内寂聴、岩橋邦枝、津島佑子、そして富岡多恵子です。

富岡多恵子は、「新家族」(學藝書林/初版1700円)というタイトルで、自ら選んだ短編集を出しています。あとがきで「短篇小説は、いかにもウマイと思わせるようなものも厭味で、かといって、いかにも『人生の味』『人生の断片』みたいなものもカンニンしてほしい。」と書いています。

タイトルになっている「新家族」は、動物園の動物達の家族と、それを観ている人間の家族を見つめる1人の女性の独白で始まります。幸せそうな家族と、それに馴染めない女性の孤独感を描くというよりは、家族の間の幸せなざわめきを、遠くから見つめる女性のモノローグ的な短編だと思います。

その次に収録されている「末黒野」は、悲惨な一家のお話です。農業を営む夫婦の間に生まれた男の子、米雄は成長しても農家の仕事を手伝わず、それどころか盗み癖で少年院に送られ、出所しても相変わらずの怠惰な日々を送ります。惰性で結婚した娘との間に子どもをもうけますが。愛想をつかした嫁は逃げ、幼子二人が残されます。凄まじいのはここからで、米雄は世話もせず、ほっとらかし。糞まみれで子どもは弱っていき、ついには凍死してしまいます。全く罪の意識のない男の半生を追いかけた物語。非情なまでの執筆力に驚かされます。

個人的なお気に入りは、「多摩川」です。映画的な作品、と言っても美しい風景や、様になる人間が登場するお話ではありません。多摩川に釣りにきた男と女。女は戦時中も父親に釣りに連れられた過去を思いだし、父親のありし日の姿に耽ります。そして、空襲で家が破壊され故郷を失くした記憶が甦ってきます。一方男も、東北の寂しい村に家こそ残っているものの、家族は誰も残っていません。故郷を喪失した男と女が、夕暮れせまる多摩川で釣りをしている数時間を描いた小説なのですが、ぐっと迫るものがあります。それが、何なのかはっきりした説明はできません。

「ふたりは、電車で多摩川を渡って、仮の宿へ帰った。電車の窓から見る多摩川は黒く、両岸にあるつれこみ旅館のネオンサインだけがよく見えた。」

という最後の文章が、やけにリアルに心に残ります。因みに映画化するなら、この男は光石研あたりがぴったりなんですが、主演にはちょっと華がないので、ここはやはり役所広司で…….。

 

 

 

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池澤夏樹編集による「日本文学全集」全30巻もいよいよ大詰めです。

「古事記」からスタートしたシリーズをすべて読破したわけではありませんが、エキサイティングな読書体験でした。古典から現代まで、編集者の巧みな切り口で堪能し、大いに勉強させてもらいました。今回入荷したのは近現代作家集の第三弾。「近現代作家集3」は、まだ第一線で活躍中の作家が多く収録されていて、へぇ〜、この人こんなに面白かったんだと再認識しました。

筒井康隆「魚藍観音記」は抱腹絶倒でした。観音菩薩と悟空のセックスを描いた前代未聞の爆笑話です。著者がわざわざ巻頭に「頁を繙くのに用いぬ方の手で静かに手淫行わば、結末間近にして大いなる歓喜法悦に導かれること間違いなし、ゆめゆめ疑うことなかれ」と断っていますが、そういう艶話です。このキャスティングが絶妙ですね。

これを載せてくれたか!さすが、と感心したのは野呂邦暢「鳥たちの河口」、村上春樹「午後の最期の芝生」、堀江敏幸「スタンド・ドット」、多和田葉子「雪の練習生」。多和田葉子の作品は長編で、その一部のみ掲載されています。主人公は立派な「人格」を持ったホッキョクグマの雌で、作家。ソ連の国籍を持ち、亡命し西ベルリンに向い、カナダへ移住するという破天荒なお話です。でもファンタジーではありません。因みにここに収録されたのは第一部で、この先は彼女の娘と息子の「ホッキョクグマ三代期」へと進んでいきます。笑いとカオスに満ちた物語で脳内洗浄してみたい方は、本編(新潮社800円)をご一読下さい。

う〜む、もっと読まねばと思った作家がいました。それは、津島佑子です。太宰治の娘で、数々の小説を発表していますが、実は全く読んでいませんでした。取り上げられた短編は「鳥の涙」という寓話めいた作品です。

強制労働で駆り出されて帰ってこない父親。その父親のことを子守唄代わりとして聴かされた私が、母を回想します。連行される父は、まだ幼かった私を抱きしめて、こんなことを言いました。

「もし私がずっと帰ってこなかったら、気持ちのいい軽い風が海から吹いてこないか、気をつけるんだよ。そうしたらおまえは海辺に出て、遠い沖を見つめるんだ。すると鳥の群れが陸に向かってくるのが見える。いいね、その先頭に首のない鳥が一羽飛んでいる。それが、私なんだ。ちゃんとその私を見つけて、拝んでくれるね」

父を失った子どもの嘆きを、極めて音楽的に響かせた希有な小説だと思いました。

この全集には、月報が封入されていて、毎回多彩な作家が文章を寄せています。今回は編者の娘で作家の、池澤春菜がこんな文章を書いています。

「『近現代作家集3』は今、この世界の境界に立つものたちの言葉だ。暗さを増していく今の中で、星のように、灯台のように、波打ち際を示す夜光虫のように光る言葉だ」

この一冊が、読者の道しるべになってくれますように…….。

 

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島村 利正(1912年〜1981年)は、長野県の大きな商家の長男として生まれ、稼業を継がずに、家出して奈良の古美術写真出版社、飛鳥園に飛び込み、写真家小川 晴暘に教えを乞う一方、志賀直哉、武者小路実篤らと親交を結び、作家活動に乗り出します。1943年には「暁雲」で芥川賞候補になります。

店頭にある「奈良町登大路町」(講談社文芸文庫/絶版1300円)を読むと、作家が奈良にいた時代のことを描いた「奈良町登大路町」に出会いました。

「青く澄んだあの眼のいろを、奈良町登大路町を、私はときどき思いだした。あの眼との出逢いは、随分遠いむかしのことになるが、私は何かの機会に、ふと、その眼のいろを思いだした。」

と作者の回想で始まるのですが、この「青く澄んだあの眼のいろ」をした人物は、ラングトン・ウォーナーという実在の軍人です。彼は、ボストン美術館で岡倉天心の助手を勤め、1907年に同美術館の研修候補生として日本に派遣されました。彼の名前は、アメリカ軍上層部に対して、文化財の集まる京都を守るために、爆撃対象から外す様に申告したことで有名になりました。(まぁ、これは眉唾物というのが現在の結論ですが)

そのラングトン・ウォーナーと小川 晴暘との親交を見つめたのが「奈良町登大路町」で、小説というより、個人的エッセイの趣きです。奈良の町を描く簡潔で、端正な文体は、好き嫌いがあるかもしれません。ただ、静かな街並みを歩く主人公たちの足取りから、古美術を巡る幸せな日々が伝わってきます。

島村が読売文学賞を受賞した「妙高の秋」は商家を継がず、奈良にむかった若き日、その後の日中戦争で兄弟が出兵して、戦死する辛い日々を描いた私小説です。殆ど、島村の個人史を読んでいるようですが、叙情的で、明確な文章には引込まれてしまいます。

つまらない奈良の紹介本よりは、遥かに豊かなイマジネーションを与えてくれるのでは、と思います。

 

 

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スパイアクションシリーズ「ジェイソン・ボーン」は、大好きな映画です。TVで放映される度に何度でも観てしまいます。スタイリッシュな切れ味が最高。

だから、このシリーズの監督ダグ・リーマンが、イラク戦争に派兵されたアメリカ軍兵士を描いた新作「ザ・ウォール」は、きっと面白いに違いないろうと、勇んで劇場に駆けつました。

しかし、痛ぁ〜い!咽喉が猛烈に乾く!そして得体の知れない恐怖を持ったまま、冷えきった映画館で、冷えきった身体と心のまま帰路に着くという映画でした。お薦めしたいような、したくないような…….。

登場人物は二人の兵士と、最後まで顔を見せない敵側スナイパーの三人のみ。舞台は砂漠のど真ん中。「ジェイソン・ボーン」みたいなアクションは皆無です。

どこからか狙ってくるスナイパーに一人が撃たれ、残された一人は孤立無援の状態になります。スナイパーは抜群の射撃能力で、この兵士の膝の、しかも止血しにくい部分を撃ち抜き、さらに所持していた水筒を、無線のアンテナを、破壊します。彼は猛烈な乾きに襲われて、傷口もふさがらず、救援も呼べない状況で一人ぼっちにさらされます。それだけではありません。スナイパーは英語が堪能で、アメリカ軍の無線を持っていて、兵士と会話を始めます。「なんで、イラクに来たんだ」とじわり、じわり追い詰められていき、精神の崩壊寸前で気絶してしまって、ふと痛みを感じて目を覚めると、なんと烏が銃撃された膝を啄んでいるという、イタァ〜イ世界。

戦場の恐怖を、ここまで描き込んだ映画は珍しいかもしれません。ハリウッドの資本家が泣いて喜ぶヒット作連発の監督が、もう殆ど低予算の、インディーズ映画みたいな作品を製作したことに驚きました。イラク戦争時、クリント・イーストウッドが「アメリカンスナイパー」で、戦場にいる恐怖を彼なりに描きましたが、ダグ・リーマンは、あれは甘い!と思ったのかもしれません。どこから撃たれるかわからない恐怖に晒されることのみを、映像化したのですから。

さて、映画は、救援にきたヘリに載せられて脱出となるところでクライマックスを迎えるはずだったのですが………。ゾクリとする悪寒を抱えたまま、なんの開放感もなく劇場を後にする始末。しかし、戦場に放り出されるとは、きっとこういう事なのです。

先程「お薦めしたいような、したくないような…….。」と書きましたが、戦争をしたがっているかの国や、この国のお偉いさんには、ぜひ見ていただきたいと思います。

 

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1980年広島生まれの作家、今村夏子を読んでいます。短編「あひる」が芥川賞候補になりました。物語は、初老の夫婦と娘の家にあひるが来たところから始まります。しかし、あひるはすぐに死んでしまいます。その後も父親は、ペットショップからあひるを買ってきますが、その内、近所の小学生たちに溜まり場になってゆきます。「あひる」を収録した単行本(書肆侃侃房1404円)には、他に「おばあちゃんの家」と「森の兄弟」、いずれも少年、少女が主役の短編が収録されています。

どの話もエンディングは悲観的なものではないのですが、何故かゾクリとする影、明日への不安みたいなものが忍び込んでいます。仮に、こんな物語を梨木香歩、小川洋子、あるいは森絵都あたりが描いたとしたら、ハッピー、アンハッピーに関わらず、きっちりとしたエンディングへ着地するはずです。しかし、この作家は、ザワザワしたものが残ります。なんか、未消化なものを抱え込んだまま本を閉じるような気分です。

それを不快と思うか、余韻と思うかは読者によるところですね。今村は、その影みたいなものを、ことさら強調するわけでなく、物語のほんの隙間に忍び込ませるのが巧みだと思います。「あひる」は、ハッピーエンディングですが、良かったねという安堵感の背後から、得体の知れない何かがふと顔を見せます。好き嫌いがはっきりする作家かもしれません。

ところで、「あひる」が最初に掲載されたのは、九州の出版社書肆侃が出している文芸雑誌「たべるのがおそい」でした。現在3号(各1404円)まで発行されています。執筆陣も、大手出版社の文芸誌に引けを取りません。最新の3号では、小川洋子、西崎憲、星野智幸、円城塔、津村記久子、森見登美彦、山尾悠子、そして今村夏子等が参加し、小説、評論、短歌、翻訳文学、エッセイと各ジャンルを網羅しています。小さい出版社ながら、内容の濃さは一級品です。

今号の今村の小説も、主人公の女性に絡んでくる子供たちが重要な役割を果たします。ハートウォーミングな幕切れのはずなのですが、やはり不安定なさざ波がひたひたと寄ってきます。安定した日常に忍び込んで来る不安を覗いてみたい方は、ぜひお読み下さい。

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