先日TVをみていたら、バブル全盛時代のディスコが大いに盛り上がり、またもやバブルが来るかもなどと、頓珍漢な希望を持っている人達がいることを知りました。まぁ、ブームを作ろうとした一部メディアや業界の仕込みだとは思いますが…..。

そんな折、名古屋発の雑誌「棲(すみか)」をバックナンバーを含めて入荷しました。雑誌「ソトコト」が特集していたミニプレスの中にみつけたので、連絡して送っていただきました。

「等身大の暮らし提案誌」と書かれている通り、地に足を付けてしっかりと生きている人達が続々と登場します。

例えば10号の特集は「生きなおす棲」。京都市内にある築百年の町家を、住み手自らが、掃除から始めて、解体、撤去、補修等々を、幼なじみの建築家の指導を受けながら、作り上げてゆく話からスタートします。いわゆる”Do it yourself”。でも、一人でやったことが、結局他者とつながり、町とつながってゆきます。ここに登場する人達の棲は、埃ひとつないクリーンなマンションではありません。しかし、自分たちの生きている町や、様々な価値観を持った人達と結び、開放的な空間に生きています。

幸せに生きる空間を特集したかと思えば、11号では「いのちの終わりに」で、死に直面した時のことを特集しています。この中に、『上野千鶴子が聞く小笠原先生、ひとりで家で死ねますか』に登場する小笠原医師へのインタビューが載っています。病院で亡くなった時、その棺が玄関から出ることはありません。先生は「人ひとりの人生が終るとき、裏口から隠れるように病院の外へと出されるような、そんな終り方でいいの?」という疑問を口にされます。

「家の玄関から笑顔で出棺。いいでしょう。」先生が看取った患者の家族は、親戚や友人とともに、笑顔でその時を迎えることが多いとか。みんなでがんばったからと、親族一同ピースサインをした写真もあるそうです。親しい人の笑顔に見守られて、好きな場所から旅立つなんて最高のフィニッシュだと思いました。

最新13号は『「装う」の向こうに』で、装うことへの考察です。

ここに登場する前田幸三さんは、60本ものオーバーオールを取っ替え引っ替え着てきた60年の人生。絵を書きながらシンプルに生きてきた男の人生。ズラリと並んだオーバーオールに、生きてきた時間が染み込んでいるようです。「本当は、外見はどうでもいい。人に幸せを与えられる人間だったらいいと思うけど。」なんてセリフは、そう簡単には出てきません。

各号972円で販売中です。この雑誌に登場する人達の生き方を、そのままあてはめることはできませんが、自分にとって、等身大の暮らしを考えるきっかけになりそうです。バブルが来る!なんてはしゃいでいる人には関係ない雑誌かもしれませんが…….。

雑誌の後ろに連載されている本屋さん紹介、センスのいい音楽を紹介する「こんな時、こんな音楽」」もお見逃し無く。

 

西アフリカ・セネガルで1000年もの間、人々の暮らしを見つめ、聖霊が宿る木として敬われ続けているバオバブの木を、写真に収めた本橋成一の写真絵本「バオバブのことば」(ふげん社2484円)の販売を始めました。

本橋は60年代から現在に至るまで、炭鉱や、サーカス、屠殺場などを取り上げ、そこに生きる人びとの姿を写してきました。写真家としての活動の一方で、98年には、チェルノブイリ原発事故の被災地で暮す人々の日々を追いかけた「ナージャの村」で、映画監督をしました。その後、数本の作品を監督しています。その中には「バオバブの記憶」というバオバブをテーマにした作品もあります。映画と同タイトルの写真集もあり、こちらは店に置いています。(平凡社1900円)

今回ご紹介する「バオバブのことば」はすべてBWで撮影されています。何百年もの間、アフリカの乾燥した大地に、ぐっと枝を広げて立つバオバブを見ていると、その強い生命力と深い精神性を感じてしまいます。

写真集は「トゥーパ・トゥール村で たくさんのバオバブに出会った。」という本橋の言葉で始まります。様々な枝の曲がり方、幹のくねり方は、まるで舞台で踊るダンサーの姿みたいです。やがて、バオバブの周りに集まってくる人々、家畜を捉えた作品が登場します。

「バオバブは大地の許しを得て芽を出す だから村人は決してその居場所を侵すことはない。ずっと守られてきたバオバブとの約束」

守り、守られている村人たちの姿が伝わってきます。木の下で草を食べる山羊、それを見つめながら休息する村人たちの写真は、バオバブと共に平和に暮す、この村が表現されています。特に素敵なのは、子どもたちです。ズラリと根本に並んだ子どもたちは、まるでバオバブから昔話を聴いているみたいです。

「4000年を生きたバオバブが突然枯れて、消えた『役目を終えたからさ』と村人」

消えたバオバブに代わって新しい世代のバオバブが、村を守ってゆく。そんな光景が永遠に続けばいいのですが……。

 

年に何度か、冒険小説、或はサスペンス小説を一気に読むことがあります。この正月にも一冊読破しました。中山可穂「ゼロ・アワー」(朝日新聞出版/古書700円)です。

中山は女性同士の恋愛をテーマにした作品を多く書いています。個人的に印象的だったのは、能の演目を小説にした作品集「悲歌」の中にある一編「蝉丸」です。以前ブログにも書きましたが、幸せな家庭を持っている男が、かつて溺愛した青年のことが忘れられず、「彼は僕のすべてだ」と言い放ち、妻を置き去りにして、アンコールワットの遺跡をさまよう話です。

その作家が、初のサスペンス小説を書いたことを、年末の新聞の読書欄で知りました。殺し屋に一家全員惨殺された少女が、その殺し屋への復讐を誓い、裏社会へ入り、コードネーム<ロミオ>と呼ばれる殺人者になり、伝説の殺し屋<ハムレット>をターゲットにするまでを描くノワールものです。東京とブエノスアイレスを舞台に、アルゼンチンの軍事政権時代の闇に歴史を絡ませながらターゲットに接近してゆく様を、ノンストップで描いていきます。ややケレン味が濃すぎる部分がありますが、ヒロインの疾走感に、エキサイトしました。狂ったように突っ走るヒロイン<ロミオ>には、破滅的な恋愛にすべてを投げ打つ、中山の小説に登場する女性たちとダブってみえてきます。

短篇集「氷平線」(文春文庫300円)を読み終えて、ノワール小説を書いてほしいなと思ったのは、桜木紫乃です。

釧路在住で、北海道を舞台にした作品を発表。ラブホテルを舞台にした直木賞受賞の「ホテルローヤル」で、いわゆる”性愛文学”の一人になっていますが、北の大地で、空虚な人生を彷徨いながらも、明日につなげようとする男女の哀感を描き出していました。

突然、牧場に嫁として連れて来られたフィリピン娘と、昔の女が忘れられない牧場の跡継ぎ息子の葛藤を描く「雪虫」や、無意味な夫婦関係にピリオドをうち、娘と共に閉鎖的空間を脱出する女性を描いた「夏の稜線」など、牧場を舞台にした作品が並びます。

「凍り付いたコンクリートの階段を、道路沿いの街灯と月明かりを頼りに下りる。根雪がほんのりと、人幅に踏み固められた道を照らしていた。その家はオホーツク海に面した幅一キロほどある入江に建っていた。黒や灰色のトタンを継ぎ接ぎしながら、ようやく雨風をしのいでいる。」

なんていう情景描写の文章は、そのまま犯罪小説にも使えそうです。ノワールもの書いてくれないかなぁ〜と思っていたら「ブルース」という”釧路ノワール”ものを出していました。これも読もう!

コミックの世界は面白い!と思わせる新旧の作品を入荷しました。

前作「うとそうそう」(光文社/古書800円)では、極端に少ない線でアーティスティックな世界を作り上げた森泉岳士は、「報いは報い、罰は罰」(角川/古書/サイン入り上下巻1700円)で、圧巻のゴシックホラーが展開させています。塗り潰した様な真っ黒の画面の彼方に広がるおぞましい世界を堪能して下さい。古い館で起こる惨劇好き、なら必読ですぞ。

暗黒漫画から、ガラリと変わって「団地マンガ」の新星?、石山さやかの「サザンウインドウ サザンドア」(祥伝社/.古書700円)をご紹介します。昨年、団地小説の傑作、柴崎友香の「千の扉」(中古公論新社/古書1000円)を読んだり、坂本順治監督の映画「団地」や、サミュエル・ベンシェトリ監督の「アスファルト」といった、内外の団地映画に出会いましたが、コミックの世界にもあるんですね。

このコミックは、団地に住む様々な人々の、人生のある瞬間を切り取ってゆくという手法で、映画や小説ではお馴染みのスタイルです。団地を舞台にしているところがミソです。リアルに描いてしまうと、現代の悲惨なドラマの集大成になってしまうところを、懐かしさという感情を巧みに織り込みながら、団地の住人の人生を肯定していきます。妻に先立たれ、一人暮らしをする夫と、一人娘の交流を描いた「わたしの団地」は、いい短篇小説を読んだ気分です。

もうひとつ、ほっとリラックスできるコミック。益田ミリ「結婚しなくていいですか」(幻冬舎/古書650円)は、40才が見えてきたOL、すーちゃんと仲間の日々の暮らしのスケッチ集です。老後のことを心配したり、このまま1人で生きてゆくのかなぁ〜と不安になったりしながら、それなりに元気に毎日を送る彼女と、同世代の女性たちへの応援歌みたいな作品です。一日一日、歳をとってゆくという現実を、淡々と描いた作品です。

最後にご紹介するのは、小林エリカの「親愛なるキティーたちへ」(リトルモア/古書1400円)です。彼女には放射能をテーマにした「光の子ども」という傑作がありますが、「親愛なるキティーたちへ」はアンネ・フランクがテーマです。しかも、これはコミックではなく、エッセイです。

幼少の頃、彼女は家の本棚の奥で、「アンネの日記」を読み、いかなる不条理にも困難な状況にも立ち向かってゆくアンネの姿に感動します。そして、それから21年が過ぎ、30才を越した彼女は再び実家の古びた本棚の奥でもう一つの日記を見つけます、それは、アンネと同じ年に生まれた自分の父親が敗戦の日々を綴ったものでした。

「ユダヤ人たちを虐殺したナチス。ドイツと日本は同盟関係にあった。歴史的な事実を考えると、戦争の中で、彼女は死に追いやられ、彼は間接的に彼女を死に追いやったということになる。それと同時に、彼女は私が心から尊敬し夢中になったアンネ・フランクであり、彼は愛する私の父小林司だった。」

二つの日記に誘われるように、著者はアンネが収容されていた強制収容所を巡る旅に出掛けます。それは2009年3月のことでした。アンネがタライ回しにされた強制収容所のあった場所に立ち、著者の心の中に浮かび上がってきたものが描かれていきます。

アンネが死ぬ、ほぼ一年前の1944年4月16日の日記と、同じ頃の昭和21年4月15日の小林司の日記、そして、著者が旅から戻ってきた2009年4月15日の思いが並ぶラストまで一気に読んでしまいます。

今、最も行ってみたい本屋の一つ、東京の「title」店主の辻山良雄さんの二冊目の本「365日のほん」(河出書房新社新刊1512円)を入荷しました。

「本屋は本を紹介することが仕事です。Title では開店依頼、『毎日のほん』と題してウェブサイドで一日一冊、本を紹介していますが、この『365日のほん』は『毎日のほん』とは別に本を365冊選びなおし、紹介文を書きました。日本には四季がありますが、性格が異なる四つの本棚を思い浮かべて、その季節の本棚に合った本を並べています。そうしてでき上がった小さな本が、この『365日のほん』。暮らしの近くでいつでも手に取っていただけるよう、ポケットサイズの大きさにしています。」

考える本、社会の本、くらし・生活、子どものための本、ことば、本の本、文学・随筆、旅する本、自然の本、アート、漫画の各ジャンルに分けて、春夏秋冬それぞれに相応しい本が紹介されています。「春ははじまりの季節」と書かれた「春の本」の巻頭を飾るのは荒井良二「あさになったらまどをあけますよ」。

「いまこの瞬間に世界のどこかで、今日も窓を開けている人がいる。開け放った窓からは風が吹き抜け、透き通った朝の光は、山ぎわ、海辺の町、川面を同じように照らす。それだけのことがいかに奇跡的で、人の心をどれだけなぐさめてきたことか」

と、震災後の祈りとも言える絵本を、簡潔な文章で紹介されています。とてもいい文章です。

今日マチ子の傑作反戦漫画「cocoon」を「男がはじめた戦争は、いつも本当にくだらない」とズバリ言い切っています。このコミックの真実をズバリです。私もこのブログで今日マチ子を紹介したことがありあますが、そうなんだ!!これが書きたかったんです。

「人間が住み着く以前から、変わることのなくそこにある地球。その本質に触れるのは、素朴で硬質な文章」と星野道夫「旅をする木」を紹介。何度か星野の本はブログで紹介しましたが、こんな文章、私には書けません。

紹介された本を実際に読み、その感想を本に一杯書き込むのは如何でしょうか。それを著者に見せてあげたら、喜ばれるかもしれません。

「本は誰かに読まれることで、はじめてその本になります。そして、その本を自分の本棚に並べておくことは、そのなかに書かれている世界が、いつでも自分の手の届くところにあるということです。普段からそうした一つ一つの世界と通じ合っていれば、その人はいくつもの世界を視ることができるようになるでしょう。」

著者は、そんな思いで日々、レジに立たれているのでしょう。新刊ばかりなので、どこでも入手できます。是非、今年の読書計画に役立てて下さい。

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大阪発の雑誌”PERSPECTIVE”の販売を開始しました。

この雑誌は「老い」を総合的にテーマにしているのですが、いわゆる健康雑誌の類いではありませんし、科学的アプローチから老いを考える専門誌でもありません。手に取った瞬間、え?こっれってどういう雑誌なん??と思ってしまう程に、スマートな編集で、アート系ですが、ブックデザインだけの、中身のない雑誌ではありません。

1号で特集されているのは「姨捨」という文化です。

「姨捨。日本における”老い”の歴史の中でこれほど象徴的で、かつ語り継がれている言葉は見当たらない。”棄老伝説”とも呼ばれ、現在においては『お年寄りを大切に』という敬老訓話として語り継がれている。果たして、この”姨捨”が事実であったかどうか諸説あり、未だにはっきりとされていないとされている。」

はるか昔の古今和歌集から昨今の様々な書籍に登場する姨捨を主題にした作品を拾いあげています。

西行法師との「隙もなき月の光をながむれば まず姥捨の山ぞ恋しき」から始まり、荻原朔太郎「老年と人生」、深澤七郎の「楢山節考」、さらには有吉佐和子「恍惚の人」へと文学史を辿っていきます。

2号はまるごと「認知症」の特集です。認知症を中心とした「記憶」が主要なテーマになっています。物忘れと認知症の違いに始まり、その治療とケア、その原因、認知症と社会の在り方まで、ズバリ切り込んでくる内容ですが、斬新なブックデザインのおかげで、ページをめくることができます。”about reflection of human aliving in now”という、とあるギャラリーオーナーのドキュメントに使われている写真だけ眺めていると、アート系写真雑誌と勘違いしそうです。

認知症のことを考えるのは、あまり楽しくありません。いや、私にとっては憂鬱でしかありません。しかし、この雑誌は避けては通れないジャンルに飛び込み、今までにないアプローチで挑戦しています。

“PERSPECTIVE”のタイトルの下に”from an oblique”というサブタイトルが目につきます。” oblique”は日本語に直すと「斜め」です。斜めの観点、即ち今までにない視線で、ともすれば見たくなかった老いの側面を捉えようとする編集方針が見えてきます。こんなミニプレスも、ついに登場してきたのですね。(1号は1400円 2号が1500円)

 

今年、正月一番に観た映画は、「猫が教えてくれたこと」(トルコ映画/京都シネマにて上映中)です。昨今の猫ブームのせいなのでしょうか、なんと満員で、立ち見の盛況ぶり。しかし、この映画、可愛らしい猫が登場するだけの映画ではありません。

トルコの古都イスタンブール。ここに住む猫たちは、街の中で日々の食料や安心な寝床を得ることできています。そして、心に傷を負った人にとっては生きがいとなったり、お店の人と適当に距離を取って仲良く付き合ったりと、様々なスタイルで生きています。

地面スレスレのカメラが、猫の目線で古都の姿を捉えていきます。7匹の猫と、それぞれに関わっている男たち、女たちのインタビューを交えながら、日常を追いかけます。猫と暮らす彼らは、そんなに裕福な生活を送ってはいませんが、どこにも暗さがないのです。いや、現実には大変なことが続出し、それぞれに苦しいのかもしれません。しかし、猫と共にいる時間だけは、穏やかに流れています。なんか日々の暮らしの小さな幸せを見つけ方が上手なのです。

猫でも犬でも、動物と暮す最大のメリットは何かと言えば、欲がなくなることではないでしょうか。おいしいものを食べたいとか、気持ちよく過ごしたいとかの欲求はありますが、分不相応な贅沢への欲は少なくなると思います。まぁ、一緒に生きてりゃ、いいかみたいになってくるのですね。もちろん、すべての飼い主がそうとは言えませんし、とんでもないお金をつぎ込んで、ペットを飾り立てている方もおられますが。

ところで、この映画に登場する人達は、ペットととして家の中に囲い込むことなく、共に、この街に生きる仲間として猫と暮らしています。「日々是好日」あるがままに、身の丈にあった日々を生きていければ、それは素晴らしいものだ、とこの街の猫たちは教えているのかもしれません。

 

★当店ギャラリーで現在開催中の「ネコヅメのよる」展(1月21日まで開催)で販売中のカレンダー「Charity Calendar2018」はあと数冊で完売です。また、著者の町田尚子さんの”ご当地サイン入り”絵本も十数冊で終了です。お早めにどうぞ。

 

昨年秋頃に出た「埴原一亟 古本小説集」(夏葉社2376円)は、読もう読もうと思っていたのですが、中々時間が無く、正月休みを利用して一気に読みました。

埴原一亟(1907−1979)は、古書マニアを除いて、今は殆ど知っている人の少ないと思います。明治40年山梨に生まれた埴原は、東京の中学卒業後、銀座松屋に就職します。5年間程ここで働いた経験が、初期作品には色濃く反映されています。

解説と作品の選書を担当された、「古書善行堂」店主の山本さんによると「資質として一亟は、私小説作家と見ていいだろう。また、働きながら、社会や組織に対して、またその中で働く人たちの、数々の問題のついても観察の目を向けていたことことも、一亟の小説から想像できる。それは、樺太での生活を描いても、古本屋の世界を描いても同様で、所謂私小説という枠からはみ出してゆくようなところがあるのも一亟の小説の個性になっていると思う。」

この作品集を一読して感じたのは、戦後に盛り上がったネオリアリズム映画、例えば「自転車泥棒」などに描かれた貧しさが色濃く出ていることです。

大陸から引き揚げてきた夫婦が、なんとか露天商の許可をもらおうと悪戦苦闘する「ある引揚者の生活」、百貨店の勤務していたものの、なんとなく辞めて生活に困り、古本屋を始めたところ、近寄ってきた親切そうな男に財産を巻き上げられる男とその妻を描いた「生活の出発」など、底辺の生活が漂ってきます。そのリアルな描写の中から、この時代を生きた男たち、女たちの真実が浮かび上がってくるところが、埴原の高い文学性ではないでしょうか。

私が、埴原を信頼できる作家だと思ったのは、「かまきりの歌」に出て来るこんな文章からです。

「敗戦後のある日、夕食の膳に向かって何気なくテレビを見ていた」

「終戦後」と言わず「敗戦後」と書いています。今では、メディアも、作家も平気で「終戦後」という言葉を使っていますが、いい加減な憶測で戦争を始めて多くの人間が死んだあの大戦は、未熟な国家の敗戦でしかありません。

ところで、先に引用した山本善行さんの解説は簡潔で、明確な埴原論です。私のブログはおいといて、先ずはこの本の解説をお読みいただき、読んでみたいなぁと思われたら、ぜひお買い求めください。

「強くなることが使命・・・・使命までいくか分からないですけれど、自分のすべきことだと思います。どのような景色が見えるのか。強くならなきゃいけないと思っています。将棋は奥が深い。強くなっても、強くなった先にある深遠さを見ていたいです。」

弱冠15歳の藤井聡太の言葉です。ベテランの棋士が言うならいざしらず、15才過ぎの青春真っ盛りの青年から、強くなった先にある深遠さを見ていたい、なんてセリフが出てきますか? なんとも凄味があります。

北野新太著「等身の棋士」(ミシマ社1728円)は、藤井聡太、羽生善治等の棋士へのインタビューと、対戦の日々をドキュメントしたノンフィクションです。私は、将棋のことは全く知らないし、やったこともありません。でも、これは面白かった。100%理解できたとは言えませんが、肉体と精神のギリギリのところで、勝負している人達がいることに驚かされました。

「棋士という二文字は『将棋を指す侍』を示している。プロ棋士という言葉を散見されるが、厳密には誤用である。力士と同じように、棋士という単語はプロフェッショナルであることを示す意味が初めから内包している。アマチュア棋士はいない」

勝つか負けるか、喰うか喰われるか、の世界です。筆者は、藤井や羽生といった人気の棋士だけでなく、非情な世界で生き抜く男達、そして女達を追いかけていきます。

驚いたのは、ワルシャワから日本に来て、女流棋士を目指すカロリーナ・ステチェンカという女性でした。彼女は15年12月、女流名人戦で山口恵梨子初段に敗れ、デビュー戦を飾れませんでした。遥か彼方の異国から、将棋を指しにこさせる原動力は如何なるものなのか興味は尽きません。

「等身の棋士」には、今まで読んだスポーツノンフィクションの傑作、例えば山際淳司の野球もの、沢木耕太郎のボクシングものと同じような匂いがします。簡潔でストイックな文体が、登場する男たち、女たちの心の襞を捉えていく手法です。

「かつて羽生は言ったんだ。将棋には人をおかしくさせる何かがあると。」

そんな奥深い暗闇でもがき続ける勝負師たちにストレートに立ち向かった筆者の愛情が溢れたノンフィクションです。

なお筆者には、ミシマ社からもう一冊「透明の棋士」(1080円)があります。こちらもどうぞ。

 

あけましておめでとうございます。本日よりレティシア書房通常営業いたします。本年もなにとぞよろしくお願いいたします。

2018年ギャラリーは、町田尚子「ネコヅメのよる」原画展で幕開けです。

ある夜、古い家に住んでいるネコが、「ん?もしかして今夜か?」と気づくところから始まります。一体何が起こるのか?

あちこちの露地から、ネコたちがぞろぞろと出てきて、お互い「いよいよですね。」などと挨拶しながら、ある場所に集まっていきます。そこで大勢の猫たちが楽しみにしていたのは、何年かに一度夜空に上がる「月」だったのです。人は全く登場しません。ネコたちだけで成り立っている、ネコだけが知っている世界。

初めてこの絵本をみたとき、表紙のなんとも不敵な面構えに私はぞくっとしました。素敵!!!カワイイ猫は巷に溢れていますが、こういう、昔の映画に出て来る悪役のような、味のある顔にはなかなかお目にかかりません。この猫様を原画で観ることが出来たら、という願いが叶いました。本屋で原画展を巡回中の、WAVE出版さんからお話があり、町田尚子さんと親しいギャラリーnowakiさんのお口添えで、わがレティシア書房で開催されることになったのです。こいつぁ、春から縁起がいいわい!!

インパクトのある構図で様々な姿が描かれています。原画で見ると、夜の空気感や、細かいタッチ、深い微妙な色彩にみとれます。

 

町田さんは、8才のネコを引き取りました。「白木」という名前のネコがこの物語の主人公だと、絵本のあとがきに書かれています。そして、保護猫の活動にも参加されている様です。年末から販売中の町田さんの猫カレンダー「CharityCalendar2018」の売上げの一部も、動物保護活動に当てられています。

原画展開催を記念して、”ご当地サイン”入りの絵本「ネコヅメのよる」(WAVE出版1512円)、「CharityCalendar2018」(500円)、「手ぬぐい」(1300円)、「ポストカード」(2種類各162円)、「シール」(302円)など販売しています。(数量に限りがありますので、お早めに)

このブログを書いている最中に、町田さんのTwitterで知ったという図書館司書のお客様が来店されて「きっと関西でも原画展が開かれると楽しみにしていました。」と言って頂きました。本当に幸せなことです。「この絵本を子供たちに読聞かせしたら、すっごい喜ぶのですよ。」とも。ミステリー調に話して、怖い物語かと思っていると、最後に楽しいところで終るのがとってもいいのだそうです。

町田さんの猫世界にぜひ浸ってみて下さい。(女房)