「耳のなかで縛られた真紅の焔が/高くころがり大きなワナ/焔の道に火とともに跳ねる/思想をわたしの地図としながら。/「せとぎわであろう、じきに」とわたしは言った/ひたいをあつくして誇らかに。/ああ、あのときわたしは今よりもふけていて/今はあのときよりも ずっとわかい」

象徴詩のような言葉が並んでいますが、最後のフレーズで音楽好きの人には、あ〜あれか、とピンと来るでしょう。そう、ボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」の一番の歌詞です。なんのこっちゃ理解不能にもかかわらず、”Ah , but I was so much older then ,I’m younger than that now.”というリフレインに心躍らされて来ました。

大学時代に初めて聴いて、衝撃を受けて、片桐ユズルの翻訳した分厚い詩集を買って、解った様な気分でキャンパスを闊歩していたことを思いだします。しかし、その後、ディランは、うっとおしい存在になったり、聴きたくもなくなったり、しかし、急にのめり込んだりという事を繰り返してきました。ボブ・ディランというミュージシャンは、私にとって不思議な人です。

思うに、気分的に後ろ向きの時とか、やましい時なんかに、ディランは忍びこんでくるのかもしれません。だからと言って、癒してくれるとか慰めてくれるとか、そんなことはありません。その時のそのままの姿を肯定してくれて、ま、そんなものでしょう、とため息混じりに去ってゆく・・・ような気がします。

64年、ディランはこんな言葉を残しています

「内側から素直に出て来る歌だけを歌いたい。歩いたり、話したりするのと同じように歌が書きたいのさ」

彼の言葉を集めた「自由に生きる言葉」(イーストプレス600円)には、そんな言葉がギッシリ詰まっています。

私のお薦めはアルバム”SLOW TRAIN COMING”(US盤800円)です。

「ぐだぐだ言わず、働いて、安酒飲んで寝ちまえ」みたいな積極的後ろ向き人生を歌ってくれているのが、心地よいアルバムです。忌野清志郎が、名曲「いい事ばかり ありゃしない」で、「新宿駅のベンチでウトウト、吉祥寺あたりで ゲロ吐いて すっかり 酔いも 醒めちまった 涙ぐんでも はじまらねえ 金が欲しくて働いて 眠るだけ」と歌っていますが、あの気分です。

でも、そんな歌こそが、ほんの、ほんの少しだけの生きる力を与えてくれると思うのです。

 

 

「特集−寺泊、弥彦、岩屋、巻編」

と言われても、え?どこ?何県?、て感じですが、新潟発のミニプレス「Life-mag」最新号(972円)の表紙に書かれた地名です。新潟県弥彦山周辺の地域の、歴史、文化を見つめた特集です。長岡市の「寺泊」、西浦原郡弥彦村の「弥彦」、新潟市の「岩室」と「巻」。

越の国、開祖の祖神「おやひこさま」の姿を追いかけるルポからスタートします。この祖神を祀る彌彦神社の起源を権宮司に聞き、神事、様々な行事に参加しながらひも解いていきます。なにやら「ブラタモリ」的楽しさもある内容です。宮司へのインタビューで、神様も間違いをおかす?という話は見逃せません。

そして、もう一つの特集は、東北電力が角海浜に建設予定の原子力発電所をめぐる、旧巻町で行われた住民投票です。65年ぐらいから東北電力はダミー会社を動かし、大型レジャー施設建設という名目で土地の買収を開始、69年に「新潟日報」にすっぱ抜かれました。そして94年、建設計画が具体化してから、紆余曲折を経て、96年、日本初の条例に基づく住民投票が実施され、建設反対の結果を出しました。

が、電力会社、国、県はそれを無視。長い裁判闘争を経て、2003年計画は中止されました。その長く苦しい道程を、元巻町長や、反対運動を起こした人へのインタビューと、当時の貴重な写真で見せてくれます。

京都から新潟は遠い場所ですが、知らない地域のことを知って、行ってみようかなと思わせたら、ミニプレスの力って、そこらの付録だらけの雑誌より強いと、私は信じています。

その他にも、巻出身のシンガーソングライター(ステージ写真がとてもステキなじぃちゃんです)や、弥彦生まれで「劇団新派」唯一の女形の役者、英太郎さん等々が登場しますが、どなたも魅力的です。

「Life-mag」は、これから当店で取り扱いを始めますので、新潟出身の方も、そうでない方もぜひ一度、手に取ってみてください。

もう一点、南房総発のフリーペーパー「0470」も店頭配布を始めました。紅白の鯉が表紙のフリーペーパーです。こちらは数に限りがありますのでお早めに。

 

「お前の訳文が曲がっているのは、生き方が曲がってるからだ。」

こんなこと言われたら、落ち込みますよね。言われたのは、翻訳家の都甲幸治。これ、「都甲幸治対談集 読んで、訳して、語り合う」(立東舎1300円)の中の「翻訳家ができるまで」というテーマの対談の一部です。

対談相手は、今人気の岸本佐知子で、彼女も翻訳学校時代で、もう徹底的にしごかれて、学校の帰り道、「駅に向かいながらひっくひっく泣きました。」と告白しています。

因みに、冒頭の言葉を言い放ったのは、彼を教える立場にいた、柴田元幸。

岸本以外に、いしいしんじ、堀江敏幸、内田樹、柴田元幸、藤井光等とのユニークな対談を集めてあります。海外文学が専門の方々が多いのですが、村上春樹の「1Q84」をテーマにした都甲幸治×内田樹×沼野充義の対談は、そんなに村上フリークではない私でも、引きずりこまれました。

「僕は村上さんにはたぶん男性をどう『武装解除』するかということがひとつのテーマとしてあるような気がするんですよ。」と切り出した内田は、

「今の世界は、男性中心主義が解体されて、フェミニンな共産主義みたいなもののほうへ、ゆっくりと向かってるような気がするんですね。そのなかで『村上春樹的父親』はあらゆる家父長制が解体されたあとに最後に残りそうな、もっともしぶとい父性だと思うんです。それをどうやって武装解除するかということが村上さん自身のパーソナルなテーマ」と、結論づけています。

さて、爆笑ものの対談は、京都在住の小説家いしいしんじとの対談です。この中で、日本では海外文学を読んでると、おしゃれ!と言われがちですが、いしいさんは海外文学は「ぐちゃぐちゃで臭くて、下品で、ひどい話ばっかりですね。でも、ぐちゃぐちゃであるほど面白いんで。」と言っています。「ぐちゃぐちゃであるほど面白い」のは日本文学も一緒ですね。

 

 

 

 

 

人生は選択の連続です。この道を行くか、あちらの道か、電車にするか、バスにするか、から「死ぬべきか、生きるべきか」まで。

どういう仕事を自分の仕事とするか、誰と生きるか、何処で生きるかという選択の場面も何回も巡ってきます。その立場に立たされた人達へのインタビューを通して、なんで、何を思ってそっち選んだん?、ということを考える本がミシマ社から出ました。石井ゆかり著「選んだ理由」(1512円)です。

登場するのは、ほとんど京都の方々。河原町にある「エレファント・ファクトリーコーヒー」、合気道の篠原先生、フリーカメラマンの吉田さん、高校生の赤井結花さん等々七人が登場します。

新刊書店の平台でいばりちらしている自己啓発本やら、自分探しの本と、この本が、全く異なるのは、著者が全く相手のことを知らされずに、インタビューするという企画にあります。題して「闇鍋インタビュー」。その場を通して、その人だけが持っている選び方、選ぶべき拠り所が見えてきます。

「もし、本書を読んだ後に、読者がご自身の中にある、個性的な『選び方』『選ぶ理由』の存在に気づかれるようなことがあるとすれば、著者としてこれ以上の喜びはない。」と著者は書いていますが、個性的な方々の話に耳を傾けてはいかがでしょうか。

そして、実は、この本から浮かび上がってくるのが著者の生き方、考えかたなのです。例えばミシマ社の吉田さん相手のインタビューでは、こう書かれています。

「多くの人が『やりたいこと』を探す。『何がやりたいか解らない』と悩んでいる。でも、本当に見つめていなければならないのは、『やりたくないこと』なのかもしれない。自分の中の『NO』を知っていることが、羅針盤となることもある」

ところで、 後半登場する中川さんの肩書きが面白い。「イラストレーターと僧侶 中川学」であり「瑞泉寺 住職 中川龍学」。ご住職の名刺の下には「豊臣秀次ご一族の菩提寺」と書き込まれています。先日、大河ドラマ『真田丸』では、その悲しい末路が描かれていましたね。このインタビューがとてつもなく面白い。人生の岐路で、この道を選んだ時、あ〜あっちを選んでたら、と思うことって多々ありますが、中川さんは、そうじゃない。選ばれなかった選択肢などない、という驚くべき結論へと向かいます。詳しくは、本書をお読み下さい。

 

比較的最近出版された本を、けっこうお安く販売しております。

先ずは、片岡義男「ぼうやはこうして作家になる」(水魚書房200円)。これ、3歳の子供が大きくなって作家になったという片岡の一代記です。この人が育ってきた時代、文化が書き込まれていて、読み応えがあります。初めて知りましたが、彼は、一時サラリーマンしてたんですね。装幀は和田誠です。

もう一点、片岡作品で、「ミッキーは谷中で六時三十分」(講談社300円)。こちらは東京の街を舞台にした短篇小説です。雑誌「群像」に連載されたもので、「吉祥寺ではコーヒーは飲まない」を読んだ記憶があります。さすが、都会派小説をリードしてきた作家です。巧みな言葉使いで、大都会の片隅の袋小路に誘い込んでくれます。

今年出た、永江朗「51歳からの読書術」(六曜社500円)。
「ほんとうの読書は中年を過ぎてから」というサブタイトルからわかるように、中年の方の読書指南です。と言っても、堅苦しい読書論ではなく、自分の年齢で死んだ作家の本を読むとか、おじさんになると、なぜ時代小説が好きになるのかといったもので、成る程と思わせます。電子書籍は中年の味方という指摘は、そうそうと納得です。

もう一点、蔵書家の間で人気だった西牟田靖「本で床は抜けるのか」(本の雑誌社700円)も入荷しました。当店で人気のエッセイスト内澤旬子が、身の置き場もない程の本だらけの生活から抜け出た話とか、本に押しつぶされそうな方には必読の一冊です。

そして、今回の目玉は、これです。デブィット・ボードウェル著「小津安二郎 映画の詩学」(青土社2000円)。定価で9000円前後で、古書で5000円前後の大著です。600ページにわたり、小津的映像の分析を試みています。もうほとんど学術書ですが、小津の作品のDVDを観つつ、精読し、細部に至るまで検証してゆく、なんて日々を送れたら幸せですね。

そのほか、山田稔「特別な一日」(編集工房ノア800円)、阿川弘之「鮨、そのほか」(新潮社800円)、吉本隆明「食べもの探訪記」(光芒社200円)、竹岡凖之助「古塔の街」(幻戯書房500円)等もあります。

あの本、買うのをうっかりしてたわ!って方は、ぜひ。今後も入荷予定ですので、ご紹介していきます。

 

 

物理学系の科学者が中心の随筆、評論を主体としたミニプレス「窮理」(702円)最新4号が入荷しました。

理科系かぁ・・・・と思わずに、一度パラパラと捲って下さい。3号では「随筆遺産発掘」シリーズとして、湯川秀樹が、昭和21年に発表した「京の山」を読むことができます。昭和18年、再び京に住むことになった湯川が、深泥池に近い住居の2階から見える京の山並みを見つめたエッセイです。簡潔で美しい文章です。

又、宇宙物理学の吉田直紀が「宇宙人は攻めてくるのか」をマジメに検討していて、これが面白い。宇宙人が地球に攻めて来るみたいな映画やお話が多いのですが、吉田によると、地球に来るだけの科学力と知性を持っている種族は、わざわざ地球くんだりまで来ない、と結論づけています。

さて4号では、理学博士の池内了が、江戸時代商人でありながら、学問に親しみ、博物学的なコレクションをしたり、壮大な発想の著作を残した二人の人物を紹介しています。その一人、両替商の番頭の山片蟠桃は、著書「夢の代」で、とてつもなく大きな宇宙論を展開しています。それは、地動説に立脚し、恒星が無数に散らばって無数の太陽系を構成するというもので、学者でも何でもない人間が、この時代にこんなことを考えていたんですね。

蛇足ながら、日本文化に関する賞として82年山片蟠桃賞 が創設されました。第一回受賞はドナルド・キーンでした。

当店でも人気の物理学者中谷宇吉郎のエピソードを書いた、杉山滋郎の「中谷宇吉郎余話」もファンには見逃せません。彼は、周囲の人達の名文、名著が世の中に出るよう労を惜しまなかったという話が書かれていますが、ここに戦前の京都の出版社、甲鳥書林が出て来ます。中谷と甲鳥書林との関係も興味深いものがあります。

たまには、こういう理路整然とした文章を一杯頭に入れて、脳内空間をキリッと整えておきたいものです。

なお、バックナンバーは2号と3号のみ在庫があります。

梅雨らしく、じとじとと雨が降る日が続いていますが、そんな雨の音を聴きながら読むのに、と言うものの短篇ですので、夕立でも最適な一編をご紹介します。

ラテンアメリカ文学の巨人ガルシア・マルケスの「マコンドに降る雨を見たイサベルの独白」は、短篇集「青い犬の目」(福武文庫/絶版500円)に収録されている、雨の降る数日間の幻想的な小説です。

日曜日のミサの後、「空は灰色のゼリーのようにわたしたちの頭の上に垂れこめ」雨が降り出します。その日は同じ調子で降り続き、「午後の汽車に乗って旅をしているような気分になりました。でも、気づかないうちに、雨はわたしたちの感覚に奥深く入り込んでいたようなのです。」

そして月曜日。「その降り方は前日とちがい、わたしは心の中で何か異常な苦いものを感じ取りました。」という状況になり、火曜日はさらに激しく降り、「その音を聞いているとまるで心臓に穴を開けられるような痛みを感じました。」と事態は進行します。

ひたすら雨の音を聞いているようです。確か、サマセット・モームの小説にも降り続く雨の中で精神のバランスを崩していくお話があったと思いますが、雨は、何かしら人の心に影響を与えるものなのかもしれません。

やがて雨は止み、「静寂がわたしたちの周りを包んでいたのです。その静けさは神秘に満ちた深い幸福感をもたらし、死そのものと形容したくなるような完璧な状態でわたしを包みこみました」という心の変容を描いて、幻想的なエンディングに向かいます。

この文庫には「死をめぐる11の短篇」というサブタイトルが付いています。死者から日常の風景を見つめた「誰かが薔薇を荒らす」とか、生きたまま埋葬される男を描いた「三度目の諦め」とか死がつきまといます。濃厚なリアリズムの極地とも言うべきマルケスの世界とは、全く違う静謐な空気に満ちた作品集です。

★お知らせ

7月16日(土)〜8月5日(金)まで立誠シネマで『ラテン映画特集』が開催されます。

上映のイベントとして23日(土)、24(日)の二日間、映画館が入居している立誠小学校で「ラテンマーケット」が開かれます。食べ物や雑貨に混じって「ラテン文学古書市」もあり、当店もちょこっと参加しますので、お立ち寄り下さい。

ハーレムに1939年オープンした黒人関連の書籍を専門に扱う「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」のオーナー、ルイス・ミショー。

黒人は本を読まないと言われた時代に、あえて黒人のための本屋を開業したミショーの生涯を描いた「ハーレムの闘う本屋」(あすなろ書房1500円)は、チンピラ同然だった青年が全米ナンバー1の黒人専門書店を作り上げ、黒人の地位向上のため闘った男の一代記です。

物語は、1904年、ルイス・ミショーが、初めて自転車をかっぱらった9歳から始まります。一代記となると、幼少期からのことが延々書かれていて辟易することがありますが、この本は心配にはおよびません。本人、母親、父親、兄弟が交互に登場してルイスのことを簡潔に語っていきます。NHKのドキュメンタリー番組を観るようにポンポンと進んでいきます。また、随所に挿入されるグレゴリー・クリスティーのイラストや、当時の写真のレイアウトが見事で、飽きることなく読んでいけます。

ヤンチャな青年は、様々な修羅場をくぐり抜け、黒人のあるべき存在と何かという意識を高めていきます。

「わたしは『いわゆるニグロ』ではない。『いわゆる』とつけたのは、ニグロは物であって、人間ではないからだ。この言葉は作られた言葉だ。ニグロは使われ、虐げられ、責められ、拒まれる『物』なのだ。それが、この街でのニグロの役割だ。それをうけいれつづける黒人に未来はない。なぜなら、こうした『いわゆるニグロ』こそが、永続的な奴隷状態を助長してきたからだ」

自分は何者なのか、自分の価値は何なのかを知ってこそ、現状を改善できる。だからこそ黒人のための書店は必要なのだと考え、悪戦苦闘の末、ハーレムに書店が誕生します。

そして、そこには様々な人達が集まってきます。マルコム・Xもその一人でした。ラディカルな言動であからさまに白人社会に牙を向けたマルコムを、この書店は支援していきます。マルコムが書店内で談笑している写真も掲載されています。

もちろん、ミショー自身も無知な白人へは激しい言葉を投げつけます。スラム街のため、私たちは何をすべきかを問いかけてきた学生にはこう言い切ります。

「それなら、家に帰ってその上等の服を脱ぎ、エプロンをかけてほうきをもってこい。そして街の人々の中に入って家の掃除を手伝え。そうすれば、あんたたちが真剣だってことが伝わるだろう」と。

そして、「『わたしたち」になにができるか、というが、それじゃだめだ。大事なのは、一人の人間として『きみ』がなにをするかだ」と締めくくっています。

1976年8月25日、ミショーは81歳で、この世を去りました。

「頭に知識を入れることより大事な仕事はない」

と、多くの貧しい黒人の子供たちに、本を読むことで、黒人としての誇りを身につけさせた人生でした。

 

聴覚障害をもちながら、数々の曲を発表し「現代のベートーベン」とまで言われた佐村河内守。しかし、「週刊文春」で音楽家の新垣隆が彼のゴーストライターとして曲を制作していたことを告白。また、佐村河内が楽譜を書けないこと、耳は聞こえており、通常の会話でやり取りしていた等をメディアに暴露した「ゴーストライター」事件は、皆さんご存知ですね。

一方的に悪者扱いされた佐村河内は沈黙を続けました。その彼への密着取材を映像化して、メディアと個人の関係、何でも白と黒に決めつけてしまう風潮を見つめたのがドキュメンタリー映画「Fake」です。

監督は「A」、「A2」でオウム真理教に切り込んだ森達也。15年ぶりの映画作品です。とてつもなく、面白い!映画でした。

得体の知れない『自主規制』という化物に放送禁止にされてしまった曲を巡るノンフィクション「放送禁止歌」を読んで以来、世の中を白と黒に分けない、白でも黒でもない灰色の部分にこそ真実があるという彼のスタンスを信用してきました。

耳が聞えないフリをして、人に曲を作らせた悪人というレッテルをメディアに貼付けられた佐村河内の家に、森は頻繁に訪問し、カメラを回します。彼と妻と愛猫と、時折出演依頼に来るTVメディアの人々が登場します。

「森さん、僕のこと信用してる?」と訊ねる佐村河内に対して、森は「信用してなきゃ、撮れないよ」と即答します。「もう、これは心中ですよ、貴方と」と言い切りました。森は、信念を持って、彼に肉迫していきます。その結果、えっ〜、えっ〜という驚愕のエンディングを観ることになります。

しかし、もし、森が新垣の立場に立って映画を撮っていたら、全く違うスタンスの作品を作っていたかもしれません。そして、文春の立場なら、さらに又別の作品になるかもしれません。真実はそう簡単に見えて来ないのですね。芥川龍之介「薮の中」を思いだします。

エンドロールの後、エピロ−グ的な映像が登場します。そして、最後に森が一つの質問を投げかけます。その時の佐村河内の表情。それをどう捉えるのか。

森達也の本は「A2」、「A3」、「A撮影日誌」、「ドキュメンタリーは嘘をつく」、「東京番外地」と揃えていますので、映画のお帰りにでもお立ちより下さい。

 

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高山さんの陶展は、レティシア書房では3度目。2012年秋、2014年春、に続き今年は真夏の新作展になりました。

目を引くのは、市松模様の作品です。個展の度に、必ず新しい試みをしてくれているのですが、市松模様に地の色が出るお茶碗やマグカップ、皿などは、カジュアルで普段使いができそうないい感じの食器です。壁には、いつものようにお手製の焼き板に花器をかけ、季節の野花を飾って頂いたので、蒸し暑い室内が清浄な空気に変わり、爽やかになりました。目に涼しげな工夫は、体感温度も下げるのですね。定番の青磁の花器も形を進化させて、相変わらずキリッとして滑らか。鮮やかなトルコブルーの、花器とぐい呑み、マグカップは新作ですが、夏の贈り物にいいかも。

本屋の中での陶器展っていうのが、実現出来るかどうか不安だった開店の年の秋、高山さんが引き受けてくれたおかげで、その後間口を広げることができたと感謝しています。

先月、お母さんが長い間化粧品店をしておられた家を改装して、甥っ子さんが「wakabaya」というお店を始められました。ここでは高山さんの作品が飾ってあり、いつでも手に入ります。

 

しかしまずは先日、窯から出したばかりの新作を手に取ってください。ちょうど17日は祇園祭の鉾巡行。今年は日曜日に当たり、例年以上の人出ではないかとはおもいますが、店のすぐ近く御池通りで鉾が見られますよ。なお、24日は後祭りです。京都の暑い暑い夏本番。水分補給をしっかりとってお回り下さい(女房)

高山正道 陶展は7月24日(日)まで。18日(月)は定休日。

        12時〜20時   最終日は18時まで。

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