福岡出身の医師中村哲さんが、アフガニスタンのジャラーラーバードで武装勢力に銃撃されて死亡したのは2019年のことでした。パキスタン、アフガニスタンでの医療活動を通して、日本以上に現地では高く評価され、尊敬されてきました。

本書は1993年、若者向けに編集された新書「ちくまプリマーブックス」の一冊として発行されたもが文庫化されたものです。(古書/400円)

「私を最初にこの地と結びつけたのは、雄大なカラコルムの自然と私の好きな蝶であった。何も初めから『海外医療協力』などという大仰な考えがあったわけではない。」と著者は語り始めます。その後、何度も現地を訪れて、その魅力に引き込まれていきます。荒涼たる自然、モスクから流れる祈り、現地の人々の人情など、異国であるはずのこの国への郷愁があったからこそ、困難を極めた後年の医療活動を進めていけたのでしょう。

1984年、パキスタン北西辺境州のらい病根絶計画の支援のため、ペシャワールに着任。86年にJAMS(日本-アフガン医療サービス)を組織。87年、活動を国境山岳地帯の難民キャンプへと伸ばします。そして翌年、アフガニスタン復興の一環として、農村医療計画を立案し、活動を広げていきました。

彼の医療活動の記録であり、同時に彼が見つめたイスラム社会、その社会への国際社会の偏見とエゴが書かれています。「私は一介の臨床医で、もの書きでも学者でもありません。ただ、生身の人間とのふれあいを日常とする医師という立場上、新聞などで伝わらぬ底辺の人々の実情の一端を紹介することができるだけです、」という言葉通り、読む者は戦争と飢餓と病気の中で生きてゆく人々の日常を見つめることになります。「もの書きでも学者でもありません。」と著者は言いますが、その抑制の効いた文章故に、リアルな現状が伝わってきます。

以前、内藤正典著「となりのイスラム」(ミシマ社/1760円)という絶好のイスラム文化入門書をご紹介しました。無知であることからくる差別、偏見ほど恐いものはありません。一人の医師が、はるか彼方の国で奮戦した本書を読むことで、世界はこうなっているんだという理解に結びつくのではないかと思います。

文庫版あとがきはこう結ばれています。

「人が人である限り、失ってならぬものを守る限り、破局を恐れて『不安の運動』に惑わされる必要はないということである。人が守らねばならぬものは、そう多くはない。そして、人間の希望は観念の中で捏造できるものではない。本書が少しでもこの事実を伝えうるなら、幸いである。」

コロナウィルス蔓延の恐怖の中で、私たちが立ち止まらなければならない言葉です。

★お知らせ 4月27日(月)〜5月6日(水)は休業いたします。

尚、コロナウイルス感染拡大の状況を考えて、営業時間短縮・休業もあり得ます。変更情報はHPで告知いたしますので宜しくお願いいたします。

★4月28日〜5月10日に開催予定の「Setti Handmade」(バッグと雑貨)展は、中止になりました。楽しみにしていてくださったお客様、すでにDMをお配りした方々には、大変ご迷惑をおかけしますが、ご了承くださいませ。

4月1日店長日誌に書いた「アンパサンド私的なるものへ第1集」刊行を記念して、版元の灯光舎と、本誌を編集した間奈美子さんが発行するインディペンデントプレス「空中線書局」のコラボによる展示会が本日より始まりました。

 

前のブログで「一つひとつの美術や著述、それぞれの作家の仕事をより見澄ますことができる雑誌の編集の形態はないだろうか。テーマが精彩をもって浮かび上がるような編集の仕方はないだろうか。新しく立ち上げられた出版社『灯光舎』のフラッグシップとなるような雑誌との話を受けて、『アンパサンド』と名付けたこの袋入りの小雑誌を計画した。」という趣旨のもと、様々なジャンルで活躍する作家が、「詩的なるものへ」というテーマに沿った作品を作り上げ、一つの袋に入れた第一号が届けられたと紹介しました。そこで、創刊号に封筒にパッケージされた作品を、開けて展示という形でご覧いただくことになりました。改めてそのスタイルの面白さを楽しんでいただければと思います。

今回の展示では、「空中線書局」刊行の本も一緒に並べました。

「遥かに鉄塔そびえる草原に架空線が続く『 Fatherland/ファザーランド』。そこを舞台とする作品」が並びました。Biblio Antenna6「メルヒェノルガン『ピンクの助』、Biblio Antenn7「Fatherland Jamboree II『ファナテイック・エイメン』」、Biblio Antenna8「書割誌『スコーラ・カイロス」、そしてLibrini4「Haik『ファザーランド・ハイキング2」。(限定300部・限定300部記番サイン入り)

製本、紙質、フォント、判型に至る造本のあらゆる細部まで緻密に構成された本が、言葉の魔術を繰り広げていきます。言葉と言葉がモンタージュされ、あるいはモンタージュされずに飛び出してくるようです。

なんかようわからん、と思われる方も、先ずは、言葉の海にダイブしてみてはいかがでしょうか。

会期中に「アンパサンド私的なるものへ第1集」「空中線書局」の本をお買い上げの方に、野中ユリ著小冊子「空中線書局 未生響さんとの出会い」をプレゼントします。

 

 

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「淡雪や下駄の音ゆく上七軒」

京都の方は、北野神社近くの花街上七軒のことはご存知ですよね。北野神社に向かう道すがらにお茶屋さんやら、和菓子屋さんが並んでいますが、祇園より静かな佇まい(夜の街の状況は知りませんが)です。その花街の初春を歌った一句、詠んだのは安西水丸です。

平山雄一監修・編集による「水丸さんのゴーシチゴ」(ピア/古書1200円)は、とびきり素敵な一冊です。

「僕は水丸さんと”ぴあ句会”で出会った。文字どおり”ぴあ”の社長の矢内廣さんが中心となって運営されている句会で、俳句の上手い下手もなく、時には先生と弟子の境もなく、全員ざっくばらんに意見を言い合う。笑いの絶えない句会」とあとがきにあります。

本書は安西の俳句と彼のイラストをマッチングさせたもので、安西ワールドをいっぱい楽しめます。

「ひとり来て麦の青さにむせており」

という一句には、麦畑を走り去るランニング姿の少年の後ろ姿の作品が添えられています。この本は、巻末に全俳句の読み方(ひらがな表記)と季語が書かれてます。本作品の季語は「青麦」で春の季語です。でも、絵からは初夏の雰囲気があります。太陽の眩しさが感じられるからでしょうか。

「仏壇の柿の静かに熟れゆきて」

これは、季語が「柿」で秋というのは、私にもすぐにわかります。

「掬う手に光こぼるる初湯かな」

季語は「初湯」で冬。この句には、安西作品によく登場するちょっと影のある女性が温泉に浸かっている作と、こちらもドンピシャです。2018年に本書は発行されているので、2014年に亡くなった彼の死後に編集されました。監修の平山は、句とイラストのマッチングに悩んだそうです。でも、安西水丸事務所の助けで、あんまり表に出てこなかった作品を使うことができたとかで、極上の仕上がりになりました。

「すべてのマッチングを終えた初冬の日、水丸さんのお墓詣りに行った。丸みを帯びた墓石に水をかけると、石の黒い表面に『水』の文字がフワリと浮かんだ。『ふふふ』という水丸さんの笑い声が聴こえたようだった。」安西と平山の信頼関係を感じる文章です。

「桜の下猫と寝ころぶ呑気かな」

今の季節にぴったりの一句です。

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その昔、一乗寺にあった映画館「京一会館」は、学生だった私の映画学校でした。冬のある日、菅原文太の「夜桜銀次」だったか、小林旭の「京阪神殺しの軍団」だったか、のオールナイトを見終わって、冷んやりした早朝の市電乗り場に行くと、映画館から出てきた暗い顔をしていた青年たち。手にはヘルメットを持っていました。折りしも降り出した雪。黙ったままの青年たち。何か、違う世界を見た瞬間でした。数十年経った今も、あの光景は、まるで映画のワンカットみたいに心に残っています。

ここで、ヤクザ映画もロマンポルノも、大島渚も小津安次郎も、郷ひろみ松竹青春映画も、山口百恵東宝文芸映画等々、多くの日本映画を観ました。この映画館のおかげで映画を観る力がついたと思うし、その映像の向こうにある世界を知ることができました。京一会館は、今でいうミニシアターではありません。日本映画を数本立てで上映する名画座でした。でも、その企画力や熱意は今のミニシアターの原点だと思います。

時は流れ、京都にも多くのミニシアターができました。朝日シネマから続く京都シネマ、綺麗になったみなみ会館。京一会館に始まった私の映画学校は、これらのミニシアターに引き継がれています。

そのミニシアターが、今危機に陥っています。コロナウィルス感染拡大の影響で、経営が難しくなってきているという記事が、4月9日付京都新聞朝刊に載りました。この危機を打開するために、関西のミニシアター12館が協力して、支援活動を始めました。

新聞にはこう書かれています。「第一弾として、6日からネットで予約販売を始めたロゴ入りTシャツは、1枚3000円。芸大出身の吉田館長(みなみ会館の館長です)が自らデザインした。各映画館のホームページやSNSからリンクしている特設サイトで、予約や寄付を受け付ける。集まった資金は、参加劇場に均等に分配する。」

映画を含めた文化というものに無関心な政治家ばかりの現状では、休業補償も国の支援も全くあてになりません。出町座の田中館長は、「通常この規模の館は、この状態が3カ月も続くと、どうにもならなくなる。つまり閉館を余儀なくされる。」と語っておられます。

私は“Save Our Local Cinemas”HPから、Tシャツを注文して、義援金の協力をすることにしました。自分たちの好きな場所がなくならないために。

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1971年から79年までに刊行された平凡社「太陽」を入荷しました。71年度版は、7月号から12月号までしかありませんが、72年から79年までは、すべて揃っています。価格はすべて500円です。企画によっては古書として高い価格のものもあるのですが、今回は均一価格での放出です。

一部マニアに人気があるのが、78年12月号の「日本鉄道物語SLからブルートレインまで」です。高橋三千綱が、「夜汽車で行くぜ」と題して「すずらん4号・大雪5号」に乗って函館ー札幌ー旭川ー網走と走破するエッセイあり、三木卓「公園に残る名機関車」の、公園・博物館に残る蒸気機関車を訪ね歩いたルポなど、楽しい読みものも満載です。そして、疾走するC55蒸気機関車の写真などは迫力大です。

79年1月号の特集「日記」もお勧めです。永井荷風、柳田邦男、正岡子規など文学者の日記の実物が並んでいます。驚いたのは、原民喜の「店ノ倉庫ノ中/タバコ/遺言状」と題された日記の一部分で、名作「夏の花」はこの手帳がベースになっていたということです。かっこいいなぁ〜と思ったのは、谷譲次の日記です。本名は長谷川海太郎。三つのペンネームを使い分けた大衆文学作家で、「丹下左膳」の原作者(ペンネーム林不忘)です。頻繁に海外に出かけていたみたいで、旅行中に集めたタバコの外箱を貼り付けたノート、夫婦で当時の流行のファッションを身にまとい、飛行機でドーヴァー海峡を渡るときの写真とか、見飽きません。岸田劉生の絵日記も注目です。

 

文学方面で、もう一冊。73年2月号は、丸ごと志賀直哉の「暗夜行路」です。「暗夜行路の旅」というタイトルで、吉村昭が小説に登場する各地に旅します。「食物に恵まれた地を舞台にした『暗夜行路』に食物の記述がないことはなんとなく興味深い。もしかすると、当時の志賀氏は味覚に無関心であったにかもしれない」という指摘が面白い。

「太陽」は、よく絵本特集をしていましたが、79年3月号にありました。貴重な明治・大正の絵本が収録されており、当時の風俗研究に、大きな役割を果たした宮本外骨が発行した子供向け雑誌「ハート」なんて、初めて見ました。夢二の絵本については矢川澄子が、大正12年に刊行が始まった「コドモノクニ」については、武田百合子が執筆しています。資料としても価値があります。

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この本「風と双眼鏡、膝掛け毛布」(筑摩書房/古書1200円)を読んでいると、旅に出たいという衝動に駆られます。全国各地の地名から喚起された世界を描いたエッセイ集です。読む時は、PCをそばに置いて、ここに出てくる地名の画像、地図を見ながら読むことをお勧めします。私もそうしました。だから、梨木の本にしては通読するのに時間がかかりました。

日本各地の地名が登場します。「熊牛」は、そのまま「くまうし」と呼ぶのですが、著者がこの名を知ったのは、更科源蔵が書いた「熊牛原野」からでした。北海道川上郡にある熊牛原野は、更科の父が最初に開拓し、息子の源蔵が引き継いだ場所。土地を切り開き、酪農を始めた彼の生活は想像を絶する苦労の連続でした。その事実を認識した上で、梨木は「北海道開拓が大変なものであったことは違いないけれど、私たちの想像を遥かに超えたうつくしさや荘厳さ。楽しさにも出会えたのだ。」と思いを述べ、源蔵の本から引用します。

「夏は朝露をふくんだ牧草の穂波やジャガイモの花が、白々と朝露のようにひろがっていた。(略)冬は月の光がこうこうとうす暗い銀盤の舞台を作り、狐だの野兎だの、それから森の奥から木鼠たちまでできて、そこで不思議な舞台劇をやっているようだった。ほんとうに、兎や木鼠がいろいろな踊りをするのだと信じていた。」 まるで梨木の小説に出てくるようです。

東北は八戸にある「蕪島」(かぶしま)を訪れた時のこと。彼女はここに飛来するウミネコの群れを見て「ウミネコはかなり凶相の部類に入る。名前の可愛らしさに惑わされてはいけない。死骸を食することが習慣化している鳥に特有の目つきをしている。ハードボイルドを生きている」なんて、クスッと笑える感想を綴っています。

梨木は、かつて琵琶湖畔に住まいを構えていました。そのせいか滋賀県の地名も沢山出てきます。

「昔、大津に住んでいた頃、日常的に(車で)逢坂関を行き来していたが、京都から大津へ出るたび、一種の寂しみと、くねくねとした山峡を抜けて広々とした視野を得る開放感を同時に感じたものだった。京都文化圏のなかにありながら、明らかに京都の磁場から抜けている土地だった。」

その土地が持っている記憶、そこに暮らす人々の思いを巧みにすくい上げたエッセイです。

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古書善行堂」店主、山本善行さんの新刊「本の中のジャズの話」(書肆万屋1000円)を読んでいると、こんな文章に出会いました。

「先日、京都市中京区にあるレティシア書房という古本屋さんから六百枚ほどのジャズレコードが入荷したと連絡が入った。最近はCDばかり買うようになっていたが、座って一枚一枚見ていくと、徐々に若い頃を思い出した。久しぶりに至高の時間を味わった。このとき買った三十枚ぐらいのレコードを写真入りで紹介できたら楽しいと思うが、この場でジャズの本を紹介しないとね。忘れるところだった。」

うちに大量のジャズレコードが入荷したのは、数年前のこと。お客様や知人でジャズ好きの人だけに告知して、安い価格で販売しました。その時、山本さんの姿をみて、ホントに好きなんだなぁ〜と思いました。楽しくジャズ談義をしたのを思い出します。

この本は、ジャズ関連の記事で構成されたフリーペーパー「WAY OUT WEST」(4月号入荷しています)に連載されている「本の中のジャズの話」100回分をまとめたものです。山本さんのジャズ本についてのエッセイは、なかなかその本の紹介にいかず、他の本の話に飛ぶのが面白いところです。例えば、野川香文「ジャズ音楽の鑑賞」(第34回)では、織田作之助の「蛍」の紹介で、紙面の半分以上使っています。でも、日本文学を愛好する思いが溢れていて、ちょっとこの作品読んでみようか、と思えるところがさすが。

安西水丸の小説「70%の青空」(角川書店・絶版/古書2300円)を「ジャズを聴きながらぜひ読んでもらいたい小説」と書いているのには、私も同意見!と膝を打ちました。60年代の東京を舞台に、美大生の青春と挫折を描いています。物語全体を流れるクールな雰囲気が、ジャズの持っているものと一緒です。

山本さんは、安西の本をもう一冊紹介しています。それは「メランコリーララバイ」です。「この本はタイトルにもジャズを感じることができる。ベニー・カーターのアルトサックスの哀しい調べが、読む前から辺りに広がる。」

肩の凝らない文学とジャズ紹介本です。読んでいると、なんだか山本さんがそばで喋っているみたいです。(本書の販売は、善行堂と、南区にある「つるかめ書房」、それに当店のみとのことです)

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 今年、話題になった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、韓国の格差社会を描ききっていましたが、キム・へジン著「中央駅」(彩流社/古書1100円)を読むと、あの映画はまだ天国だったかと思うほど凄まじいものがあります。絶望のみが存在する社会の底辺を生きる男の物語なので、小説を読んで幸せになりたい方にはお勧めできません。

「これがどん底だと思っているでしょ。違うよ。底なんてない。底まで来たと思った瞬間、さらに下へと転げ落ちるの……..」

主人公は「俺」という一人称で語られる若い男です。彼が寝る場所を求めて駅にやって来るところから始まります。そこは、行き場のないホームレスの溜まり場です。小説は最初から最後まで現在形です。つまり、過去もなければ、未来もありません。凄まじい現実だけが容赦なく目の前に引きずり出されます。

「俺はぬるい水をすすりながら時間をやり過ごす。時間は、一滴ずつ、とてもゆっくり落ちる雫のようだ。地面に敷かれたタイルの数を数え、タイルの目地に詰まったホコリを観察し、壁にかかった案内板を読む。できることなら、誰かに俺の時間の一部を切り取って売ってやりたい」

無為に生きる彼の前に、一人の女が現れます。彼の唯一の財産とでも言えるキャリーケースを、女にパクられます。なんとか女を探して、取り返そうとした彼でしたが、この女と関係を持って しまいます。

「女と俺は互いに選んだわけではない。俺たちを引き合わせたのは路上の生活であり、駅舎内に淀む時間だ。」

家もなく、路上をフラフラするだけの二人が体を重ねるシーンは、生理的に受け付けられない人もいると思います。絶望、暴力、無力だけが二人を覆い尽くすのです。

「女は目を閉じて俺を強く抱きしめる。なんとか行為に集中しようとするが、真っ黒い建物の影や路面に散らばった空き缶、しわくちゃの紙やタバコの吸殻のせいで心が傷つく。丸裸の体だけが残された愛は、本当はこんなおぞましい姿だったのかもしれない」

傷つき、傷つけ、地べたを這いずりまわり、悪臭と汚物にまみれた俺と女の道行を小説は延々と描いていきます。そんな本よく読むなぁ〜と思われそうですが、何故か、ページをどんどんどんとめくりたくなるのです。小説の熱量が、こちらを麻痺させ危うくしているのかもしれません。

著者のキム・へジンは、1983年生まれの女性作家です。2013年、本作で「第五回中央長編文学賞」を受賞して、韓国文学の次世代を引っ張る作家として注目されています。ちょっと目が離せません。

 

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ただいま開催中の原田京子写真展「Spanish Sentiment& Ireland」のコラボ企画として、ピアニスト石塚まみさんのCD「スパニッシュ・センチメント」(2750円)が届きました。

原田さんが撮影したスペインの光と影、そして色彩に触発されて、作られたアルバムです。ジャケットには、夕暮れの草原に佇む犬の写真(2016年のレティシア書房の個展で展示していました)。今まさに沈もうとしている太陽の最後の輝きが美しい。CDの1曲目「Beyond」をかけた時、最初に響いてくるピアノの音は、その瞬間を奏でているようでした。そうか、写真家が捉えた微妙な光線を、音楽家はこんな風に表現するのかと感心しました。

ジャズでもなくクラシックでもない、いわゆるヒーリング系音楽って、耳触りは良くても繰り返し聞いてるうちに退屈してくるものですが、石塚さんは音の操り方が巧みです。饒舌な音楽ではなく、まるで雨粒がポツン、ポツンと手に当たるような感性で、聴いている者の心に忍び込んできます。アルバムタイトル曲「スパニッシュ・センチメント」では、フラメンコ歌手石塚隆充が参加して、ピアノとのデュオを展開していきます。静かに始まり、優しいメロディーが続き、フラメンコらしい手拍子が入ってくるのですが、抑えめです。いかにもフラメンコ風、の曲にしていないところがミソですね。

9曲目「 Hope」は、力強い音が心地よい5分の曲の後、1分少々の「 Improvisation」という即興を意味する曲で静かに幕を閉じます。ジャケットの写真のような平和に一日が終わってゆく瞬間が、最後の音にも感じられます。写真家の祈りにも似た「平和な一日の終わり」という、いま最も求められている瞬間を、音楽家が音にしたコラボ作品となりました。美しい余韻を味わってください。朝でも、昼でも、夜中でも、寄り添ってくれる音楽です。

 

★写真展およびCDの販売は12日(日)まで。

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何故か当店では、水木しげるが大人気です。入れた途端に、売れてゆくということもあります。水木しげるといっても、売れているのは「ゲゲゲの鬼太郎」ではありません。元々、戦時中の過酷な体験を漫画にした「敗走記」(講談社文庫/古書600円)や、ちくま文庫で出ている「ラバウル戦記」(売切れ)などは、コンスタントに出ていたのですが、火がついたのはヒトラーの生涯を描いた「劇画ヒトラー」(実業之日本社/古書1050円)でした。これは、詳細に20世紀最大の怪物を、歴史的事実に基づいて描いています。登場人物が多いので読みやすいとは言えませんが、あの時代のドイツを理解するには最適の一冊です。

この本を皮切りに、「雨月物語」(河出文庫/古書400円)「遠野物語」(小学館/古書1050円)「方丈記」(小学館/古書1450円)「日本霊異記」(角川文庫/古書500円)「泉鏡花伝」(小学館/古書1450円)と、チョイスして並べてみると手に取られる方が多いのです。

平安時代に書かれた日本最初の仏教説話集「日本霊異記」などは、いかにも水木先生好みのモノノケが登場するので、漫画にしたのかと思われます。そして、1900年代岩手県遠野地方の奇怪な民話を集めた柳田國男原作からの「水木しげるの遠野物語」も力が入っています。

「上郷村の民家の娘、栗を拾いに山に入りたるまま帰り来らず。家の者は死したるならんと思い、女のしたる枕を形代として葬式を執行い、さて二三年を過ぎたり。しかるにその村の者猟をして五葉山の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽いかかりて岩窟のようになれるところにて、図らずこの女に逢いたり。」で始まる柳田國男の第七話「山男」(岩波文庫/古書400円)の、原作をやや変えて山男の妻になってしまった女の悲しみを描いてます。原作と読み比べるのも面白いかもしれません。

 

「オフィス妖怪図鑑」(講談社文庫/古書300円)なるものも初めて入荷しました。会社勤めの方なら、あ〜いるいる、うちに会社にもこんな妖怪、と笑いながら読めそうです。人間関係のストレス解消に役立つかも………..。

 

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