筆者の選んだ本がズラリと並んだ正統派の書評集は、どちらかというと苦手です。最後まで読んだのは、斎藤美奈子ぐらいではないでしょうか。岡崎武志の「人生散歩術」(芸術新聞社1300円)みたいに、著者の生き方、或は人生哲学と本がシンクロしているものは、私はあまりお目にかかったことがありません。

けれども、平松洋子「野蛮な読書」(集英社文庫450円)は違いました。こういう本を待ってました。

この書評集は、取り上げる作家も、紹介の仕方もバラエティに富んでいます。例えば、開高健の一冊の本と共に、彼女はあちらへ、こちらへと動き回ります。散歩ついでに買った「戦場の博物誌」は、モスバーガーで先ず読み出し、翌日能登半島へ向かい、半島尖端の宿でつづきを読むといった具合です。移動しながら「戦場の博物誌」を読み続け、開高健を語ります。旅から戻り、風呂で冷えた体をあたため、最終章に進みます。「掌のなかで自分の分身が無に帰する。さいごのあの一瞬。がらんどうの空虚ささえ呑みこむ圧倒的な静寂に、何度読んでもわたしは身じろきもできなくなる。」

面白かったのは、宇能鴻一郎を論じた一章です。「あたし、レイコ。人妻看護婦なんです」とか「あたし、濡れるんです」で始まるお馴染みのポルノ小説の第一人者。平松はこの作家を嬉々として描いていくので、あはは、と笑ってしまいました。しかし、宇野は「鯨神」で芥川賞受賞をした文学作家でもあります。その作品とポルノ作家としての宇野の世界を結びつける辺りの描写が秀逸です。メルヴィルの「白鯨」の如く、神のような鯨と闘う男の話と、「あたし×××なんです」の世界がどう繋がってゆくのか、スリリングですよ。

「男の願望を女の肉体にぴたりと同一に重ねてみせる一人称独白体など、だれもかんがえつかなかった。書きえなかった。むしろ超俗。それは、文学と官能をひとつの頂にさだめて登攀しつづけた宇能鴻一郎ただひとりが達した険しい峰のように思われる。」とは見事な指摘です。

平松は、例えば「箸で食べる『カステラ』。それはびっくりするほど新鮮だった。フォークとか黒文字で粛々と食べるときはまるでちがう。ざくっと箸をつっこんで切り分ける動きは冷や奴を食べるときとそっくりなのだが、ふがふがと頼りなくて、正体のないものを相手にしている感触に調子が狂う。ところが、快感もいっしょに湧いてくる」という具合に、食に関するエッセイで抜群のタッチを出す女性です。宇野が料理好き、食べる事が好き、というのに俄然興味を持ち、珍しい彼の食にまつわるエッセイについても書かれています。

 

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谷崎潤一郎の本に初めて出会った時、それはかなり昔の話ですが、全く改行なしで延々続く文体に辟易して、すぐに投げ出したことを覚えています。

池澤夏樹編集の日本文学全集で、丸ごと谷崎という巻に出逢ったところ、え?え?こんな活劇書くの??!

その小説は「乱菊物語」。「ハリー・ポッター」か「指輪物語」か、はたまた「里見八犬伝」か、と驚くほど面白い物語が進行します。室町末期の瀬戸内、海に怪現象、跋扈する海賊、お家騒動、幻術師の暗躍、悪女、「待ってましたぁ〜!」と大向こうから声が掛かりそうな謎のヒーロー。もう善悪入り乱れての大バトルが展開します。

ところが、残念なことに小説は未完で終りました。元々、大阪朝日新聞に連載されていたのですが、連載中に谷崎の妻を巡るスキャンダルが起きたことや、舞台となった家島の住人が、自分たちの島が海賊の島と書かれたことに憤慨、新聞の不買運動を展開したことなど様々なことが原因になっています。しかし、もったいない、前半だけでもこんなに面白い小説なのに。

その後に登場する「蘆刈」。出ました、改行なしの、あの谷崎調です。でも、年をとるというのは良いことですね。すらすら読めるんです。

9月のある日、主人公(谷崎自身)が、ふらりと大阪と京都の境にある水無瀬へ散歩がてら出掛けるところから話は始まります。後鳥羽院が水無瀬の中州に作ったとされている離宮跡で出会った1人の男の話から、一気に幽玄と幻想の世界へと飛翔します。そして「ただそよそよと風が草の葉をわたるばかりで汀にいちめん生えていたあしも見えずそのおとこの影もいつのまにか月のひかりに溶け入るようにきえてしまった。」の一文で終ります。主人公が登場し、ドラマがあり、そして静かに消えてゆく能の舞台をみているような気分でした。

美しい日本語を堪能したのは、旅行記「西湖の月」。谷崎が中国を旅するエッセイですが、杭州の西湖で過ごした数日が描かれています。偶然、その湖上で入水自殺した娘の死体に遭遇します。その時の様子をこう書いています。

「私は舷から出来るだけ外へ半身を乗り出して、屍骸の首の上へ自分の顔を持って行った。彼女の高い鼻はほとんど擦れ擦れになり、何だか息が私の襟元へ懸かるようににも感じられる。あまりに彫刻的で堅過ぎる憾みがあったその輪郭は、濡れて浸って居るために却って人間らしい柔らかみを持ち、黒味がかって居るほど青かった血色さえも、垢を洗い落としたように白く冴え返って居る。そうして、上衣の繻子の青磁色は、朗々とした月の光にその青みを奪い取られて、鱸の鱗の如く銀色に光って居たのである」

グロテスクな情景なのに、ここまで美しく書けるんですね。谷崎アレルギーを治してもらった一冊でした。(1900円)

 

 

明治から昭和にかけて活躍した、京都の日本画家木島櫻谷の回顧展(泉屋博古館で開催中)に行ってきました。

京都画壇にあって、二十代で頭角を表し、明治後期から大正時代にかけて花形の画家として活躍した木島櫻谷は、動物画で抜きん出た才能を発揮しました。野を駆け下りる一匹の猪をダイナミックに描いた「野猪図」(明治33年)や、強風に向かって今飛び出そうとする鷲を描いた「猛鷲図」(明治36年 写真左)には、思わず身を避けたくなるような臨場感があります。「勇壮」という言葉は、こういう作品にこそ相応しいものだとおもいました。

熊と鷲が見つめ合う「熊鷲図屏風」(明治時代 写真右下)では、雪原に立ち、内省的で深い優しさを湛えた眼差しで遠くを見つめる堂々たる熊と、太い幹に鋭い爪を立てて、やはり遠くを見据える鷲を描いています。こちらは「静謐」という言葉が思い浮かんで、暫くの間、作品の前から動くことができませんでした。

さらに、高さ250cmの巨大な画面に描かれた、疾走する二人の騎馬を描いた「かりくら」(明治42年)になると、うかうかしているとこちらが馬に蹴り飛ばされそうな、ど迫力。風に舞う馬の毛並みの徹底的な描写力も忘れられません。一方で、彼の代表的傑作と呼ばれている「寒月」(大正元年 写真下)では、冴え渡る月光に照らし出された雪深い竹林を、周囲を警戒しながら歩む一匹の狐が描かれています。静まり返った竹林、鋭い目つきの狐。厳しい環境に生きる生命の一瞬です。

木島の作品で、最も多く登場する動物は馬だそうです。厩からのぞく馬の上体を描いた「厩」(昭和6年)は、哲学者のような知性と優しさを兼ね備えた馬が描かれています。

この展覧会を開催している泉屋博古館は岡崎近辺にあります。美術館自体も素敵な空間で、テラスから見渡す山の美しさが印象的です。ここから東に向かうと哲学の道で、今の季節、まぁ恐ろしいぐらい混み合ってます。この静かな空間で、京都の秋を心ゆくまで楽しまれることをお薦めします。

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昨日、東京で活躍中の写真家、疋田千里さんが新作ミニプレスを持って来られました。

彼女とのお付き合いは、「とちぎのいちご」(売切れ)というミニプレスを作って来店されたのがきっかけでした。最初は「とちぎのいちご?」売れるのかな〜と思っていましたが、店に置いてみると特に女性が手に取られる事が多く、結局完売しました。

その後、ブラジルへ行って”A Vida no Brasil/A Day in The Life”(1200円)という写真集を、次はインドへと渡り”Traveling with Spiices”(1404円)という写真集を出されました。

後者の写真集(写真右)には、今、本好きの間で注目されている、南インド、チェンナイの小さな出版社タラブックスが紹介されています。この出版社が出す本はすべて手づくりで製作されていて、疋田さんの写真集でもその工程を見ることができます。(東京板橋区美術館では現在タラブックスの展示会が開催中です)

さて、今回持ち込みの新刊は”ohashi_to”(1512円)。お箸を使う国、日本と韓国と台湾を巡る旅の写真とアジア料理研究家の外処佳絵さんによる「お箸が似合うごはんたち」というレシピ集がセットになったものです。フツーのおっちゃんやおばちゃんが大衆食堂で食事をしていたり、屋台のにいちゃんの姿を写した作品にご当地料理の匂いが漂っています。

外処佳絵さんのレシピは、「チャプチェご飯」、「韓国ジャージャン麺」、「塩レモン焼きそば」、「ビビン冷麺」、「卵焼きクレープ」等々、どれも美味しそう。彼女によると「韓国は歴史をさかのぼると、銀の箸は毒を盛られた際に反応する素材だったので使われていましたが、現代では、ニンニクや唐辛子といった香りや着色しやすい食材を多く食べるので、金属のお箸が主流」だそうです。

疋田さんの3つの写真集をパラパラとながめていて、面白いことを発見しました。ブラジルの写真集には、路路にせり出した果物屋の軒先で、台車に乗ってホッと一息ついたおっちゃんの後ろ姿があり、新作では、やはり路上に突き出た八百屋さんで黙々と作業をするおっちゃんの後ろ姿が捉えられています。のどかで平和な風が吹いています。ぜひ日本のおっちゃんの後ろ姿も撮ってください。

なお、12月3日まで、一乗寺に移転したマヤルカ古書店さんで”ohashi_to”発売記念の写真展が開かれています。

 

多くの古書が入荷してきました。文学史的に貴重なものというより、ほほぉ〜こんな本出ていたんだぁ〜と驚くようなものがワンサカあります。価格はワンコイン、あるいは、それにちょっと+(プラス)といった価格です。数回に分けてご紹介(全部一度に出せないので間があきますが)してまいります。

最初にご紹介するのは、京都の料亭、和久傳が出した「桑兪」(そうゆ)です。これ、京料理の紹介やら、観光地の案内ではありません。執筆陣が凄いです。渡辺淳一、杉本秀太郎、石川九楊、福岡伸一、宮本輝等11名。杉本はさすがご当地だけに、祇園祭の山鉾巡行のことを書いていますが、それぞれが好きなテーマでエッセイを寄せています。生物学者の福岡は、彼の本に出て来る「動的平衡」の言葉を解説しながら、狂牛病やハチの大量死についてこう書いています。

「狂牛病をこれ以上拡大しないために私たちは何をすればよいか。それはシンプルなことである。牛を正しく扱う。つまり牛を本来の草食動物として育てればよい。ハチを大量死から守るためにどうすればよいか。ハチの多様性を尊重し、できるだけハチの習性を大切に、ハチを物品ではなく、本来の生命体として扱う。」(500円)

料理屋が、単に宣伝や販促のために出した類いのものではないようです。

 

飲食がらみでいうと、キッコーマン醤油が昭和49年に出した松本延昌著「キッコーマン奥様大学特別シリーズvol.3和飲物語(700円)は、なんと函入りで、装幀が平野甲賀、挿画は鈴木康司という豪華布陣です。日本のワインの普及のために書かれたもので、サンケイ新聞に連載されたそれらの記事を中心にまとめられています。因みに「和飲」は「ワイン」を漢字に当てたものです。とても、一企業が作った本とは思えない程立派ですよ。

ガラリと変わりますが、日本画家、熊谷守一を見つめた画商、向井加寿枝の「赤い線それは空間」(岐阜新聞社900円)をご紹介します。熊谷との30年にも及ぶ付き合いで見て来た画家の姿を 綴った本ですが、晩年一歩も家を出ずに、庭にくる虫などを書き続けた画家の日常風景や、自宅の様子が撮影されています。庭には16カ所に及ぶ腰掛けが作ってあり、そこに坐ってじっと時を過ごしている姿も収録されています。また、パリのダビッド・エ・ガルニエ画廊で開催された個展の写真などもあり案外貴重かもしれません。彼のファンなら是非持っておきたい一冊です。

 

 

池澤夏樹個人編集による「世界文学全集」と「日本文学全集」について書かれた「池澤夏樹、文学全集を編む」(河出書房新社1300円)が入荷しました。この「日本文学全集」は、当店でもいくつか販売していますが、割と直ぐに売れていきます。

今さら全集か?と首を傾げる方も多かったと思います。しかし、「世界文学」の方は、先の大戦までの文学はばっさり切り捨てて、20世紀後半に書かれた作品を集めました。戦後の新しい流れ、池澤はそれを「ポストコロニアリズムだったり、フェミニズムの流れだったし、それから国境線がおぼろげになってしまった後の、国家単位でない見方であると同時に、人が移動することによって国家を崩してきた結果の『移動の文学』なんだ」と定義しています。

一方の「日本文学」は、「古事記」に始まり「源氏物語」に終るというオーソドックスな構成ですが、すべて新訳、しかも、現代の第一線の作家によるものです。森見登美彦、川上弘美、中島京子、堀江敏幸、江國香織、酒井順子、高橋源一郎、いとうせいこう、三浦しおん、いしいしんじ、町田康、等々、新鮮な顔ぶれが古典に挑戦しています。

「池澤夏樹、文学全集を編む」は、この独創的な全集を巡って、池澤へのロングインタビュー、柴田元幸、鈴木敏夫、藤井光らの全集に入っている作品への思い、「世界」「日本」両方に収録されている石牟礼道子と池澤との対談、大江健三郎との「日本文学全集」刊行についての対談、新訳に挑戦した森見登美彦、川上弘美、中島京子、堀江敏幸、江國香織のトークなど、盛り沢山の内容が収録されていて、この一冊が、これからの新しい文学のムーブメントを予感させるようになっています。

古典文学の現代語訳では、川上弘美が担当した「伊勢物語」が秀逸でした。最後の百二十五段目。病に苦しみ、もう今日明日の命の男が最後に詠んだ歌「つひにゆく道とかけねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」を、川上はこう訳しています

「いつかは ゆく道と 知っていたが それがまさか 昨日今日のことだとは」と書き、こう続けています「生きるとは なんと 驚きにみちたことだとは」

お勉強対象(苦手の)でしかなかった古典がぐっぐっぐっと近づいた瞬間でした。

古典も面白かったですが、お薦めは「近現代作家」と題して全3巻に収録された短編シリーズ。江戸から現代まで、それぞれの時時代を描いた短編が並んでいます。こんなに面白く、どんどん読めた短編集はありません。泉鏡花から円城塔まで、文学の楽しさを思い切り味わうことができます。(各1800円)

なお、「日本文学全集」は角田光代訳で「源氏物語」が刊行中です。

「NASAでは小便の色は同じだ!」

と、のっけから品のない台詞で申し訳ありません。これ、映画「ドリーム」に出て来る極めて象徴的な言葉です。時は1960年代、ソ連に宇宙開発で遅れをとったNASAは、有人飛行計画を必死で進めていました。学歴のある黒人女性達も、膨大な量の計算や、演算(パソコンはまだありません)のために、雇われています。

しかしこの頃は、まだ黒人と白人の間にはあからさまな差別がありました。黒人は黒人だけのオフィスで、黒人だけの食堂。バスなども後方に専用座席が区切られている状況です。映画はNASAに雇われている三人の黒人女性たちが、白人、しかも男性至上主義の世界の中で、己の実力で宇宙開発に携わってゆく姿を描いていきます。

キャサリンは、数学の実力で宇宙開発の花形である特別本部に移動します。しかし、そこはオール白人の、男性中心で、女性は秘書か事務員しかいない。黒人の、まして女子用トイレなどありません。そのため彼女は、用を足すためには遠くの黒人用オフイスまで走らねばなりません。雨の日も、風の日も膨大な資料片手に走ります。やっと彼女の窮状に気付いた部長(ケビン・コスナーがいい感じです)が、トイレの”White people only”の看板を叩き割ります。その時、唖然とするスタッフ達に言うのが冒頭の台詞です。

真にプロフェッショナルで魅力的な女性が、黒人ということだけで差別されている現実が、切実なトイレのエピソードを取り上げて描くことで、見事に浮き彫りにされます。差別を描く映画となるとどうしても、悲惨な生活から立ち上がってゆく、あるいは白人の暴力で命を奪われるといった辛い人生に重点がおかれますが、この映画は、そういう方向には進みません。ゆっくりと、しかし確実に歩んでゆく女性たちの日々を見つめていきます。

監督のセオドア・メルフィはCMディレクターとして業界ではトップクラスの人物ですが、それらしい華麗なカメラワークや最新の映像技術を封印して、アメリカ映画が健全だったころの、オーソドックスな演出スタイルです。だから、後味がとても心地良いのです。元気が出ます。

因みに、三人の女性は実在の人物で、NASAの発展に大きく貢献しています。エンドクレジットで、彼女たちのその後の写真が登場しますので、お見逃しなく。

 

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11月に入り、京都も秋らしくなってきました。今年もあと2ヶ月・・・。

さて、本日より紙工芸kotohana「クイリング展」が始まりました。kotohanaさんはレティシア書房ギャラリー最多出場、今年で6回目の個展となります。毎回、ペーパークイリングについて簡単な説明をさせていただいていますが、今年はkotohanaさん作の美しい額に入った「ペーパークイリングとは」の解説が掲げられていますので引用いたします。

「ペーパークイリングは英国発祥と言われる紙工芸です。中世の昔、聖書を製本した際にできた細長い紙の切れ端を、鳥の羽(クイール)で巻いてパーツを作り、修道院で宗教画や宗教道具に装飾したのが始まりとのこと。時代を経た今では、欧米を中心に世界中でアート、ホビーとして楽しまれており、日本人作家の作品は技巧の精緻さが高く評価されています。」

6年前の初めての個展から、kotohanaさんは幅2〜3㎜の紙を巻き続けてきました。もともとの几帳面さに磨きがかかり、美しさ、正確さ、速さと、技術力は確実にアップ。努力の賜物である紙の花々が咲き誇っています。

新作のひまわりの額(写真上)は鮮やかな色違いで3つ並んでいます。また、メッセージを組み込めるような新しいデザイン(写真右上)もできて、ますます楽しい作品が増えています。白一色で作られた葡萄(写真左下)も素敵です。白色は構造がよくわかり、形としての面白さが際立つ様に思いました。

単純なようで意外と難しいのが、虹の作品(写真右下)。これは、まず中心の色(ここでは薄紫)を芯に巻付け、その続きに次の色を、というふうに一番外のいろ(赤)まで切れ目無しに巻いていくのです。きっちり巻かないと、最後に芯を抜いた時、正円にならないというのです。とてもじゃないけど、がさつで根気の無い私には無理!です。

kotohanaさんは、クイリングの教室も開催されています。作品を見て、チャレンジしたいと思われた方は教室のご案内もありますのでお問い合わせください。会場では中級者向きのクイリングキットを販売しております。1セット1200円〜1500円ですが、2セット購入の場合は二つで2000円となっています。この機会にぜひ。

なお現在、東京の作品展に出している新作が帰ってくるので、来週には展示の一部が変わります。後半もお楽しみに。(女房)

 

 

紙工芸kotohana「クイリング展」は、11月8日(水)〜19日(日) 12時〜20時(最終日は18時)月曜定休日

 

 

書評家の岡崎武志さんの新刊が出れば、ついつい買ってしまうのですが、今回の「人生散歩術」(芸術新聞社1300円)は、彼のベストの本ではないかと、私は思っています。

サブタイトルに「こんなガンバラナイ生き方もある」とあり、そんな人生を実践したと著者が確信した人物たちについて書かれています。選ばれたのは、井伏鱒二、吉田健一、木山捷平、田村隆一、佐野洋子らの作家、フォークシンガーの高田渡、そして落語家の古今亭志ん生です。

井伏は「自分なくしの旅」、高田は「気骨の人生風来坊」、吉田は「上機嫌に生きる、ただそれだけを」、木山は「危機脱出術」、田村は「恋と友とウィスキー」、志ん生は「「貧乏を手なずけた男」というふうにそれぞれタイトルが付けてあり、興味のある人物から読めるようになっています。取り上げられた人達の人生を見つめることで、そうなんだ、そうやって生きればいいんだということを知る本であり、著者も「私にとっては人生の『実用書』なのである。」と言っています。

例えば、古今亭志ん生の川柳を引合に出して、こんな風に書きます。

「人間は何もしないでいても、本来滑稽な存在である。滑稽と思われることを恥辱と思う人間は、それに抗い、精一杯、虚勢と見栄を張る。しかし、そのこと自体が、また滑稽であることを、志ん生は早くから見抜いていた。そして、自分の稼業である落語に存分に生かした。

我々は、何もくよくよと思い悩むことはない。なぜなら、志ん生の落語があるからだ。」

書評家が書いた「処世術」の本としてぜひお読みいただきたい一冊です。

本好きの人達が集まって作られている「本と本屋とわたしの話」の最新13号が届きました。当店の一箱古本市に毎回出店していただいている「古書柳」の中原さんが古書善行堂の思い出話を書かれています。また、いつも愛読している冊子「入谷コピー文庫」の堀内さんが「氷点」にまつわる話をと、本好きの人達の、マニアっぽくならない、小ネタ満載です。(250円)

 

★連休のお知らせ  勝手ながら11月6日(月)7日(火)連休いたします。 

 

 

少し長いですが引用します。

「インターネットとグローバリゼーションの時代において、ようやく僕らは、もう一度普遍的なものについて考え直すことができるようになった。だから僕たちは、現代社会が要求してくる、相も変わらぬ表面的な新しさの呪縛から、そろそろ本格的に降りてしまってもいいのではないだろうか。新しいことは価値とは何の関係もない、と言ってみることで初めて観えてくることは確実にある。」

新聞のコラムや、社会情勢を批判した文章からの抜粋ではありません。早稲田大学で英文学を教えている都甲幸治の「生き延びるための世界文学」(新潮社1600円)に登場する文章です。2000年以降に出版された英語で書かれた文学を読み続け、作者の生年順に並べて論評した文学ガイドとして発表し、文学に何が出来るのかを問うた本なのです。

「文学は、見ず知らずの人々の心の中にまで降りてゆくための強力なツールだ。見た目も言語も、背景となる歴史も違う人々の心の中にさえ、僕たちは物語を通じて入って行ける。そして、同時代を生きる世界に人々が、自分たちと同じ問題に苦しんでいることに気づく」

だから、日本語で書かれていないと言う理由だけで世界の文学を敬遠するのは勿体ない。西加奈子も「世界には、私たちを救ってくれる物語がこんなにあるのだ」と推薦の言葉を寄せています。

2010年に雑誌「ニューヨーカー」が発表した、アメリカの作家ベスト20人のうち、実に9人がアメリカ以外の出身者でした。例えば、タオ・リンは生まれはアメリカですが、台湾出身の両親の母国語は中国語だし、ドミニカとアメリカを往復しながら活躍するジュノ・ディアスは英語とスペイン語で発表しています。また、ラトヴィア生まれのディヴィッド・ベズモーキズは、カナダに移民後、LAで映画を学び、「ヴィクトリア・デイ」を監督し、映画祭に出品されています。

異なった文化背景を持った作家を読むことで、複雑に変化する世界を知る手助けになるかもしれない。本の中で紹介されている南アフリカ出身のクッツェーの代表作「鉄の時代」(河出書房新社1900円)をかつて読みましたが、南アフリカにおける黒人への暴力のリアリティーに圧倒されました。

もう一点、都甲幸治の対談集「読んで、訳して、語り合う」(立東舎1100円)も再入荷しました。以前ブログで紹介したことがありますが、こちらは、いしいしんじ、岸本佐知子、堀江敏幸、柴田元幸、藤井光等々の翻訳の第一線で活躍する方々との文学夜話的一冊です。この中で、藤井光は非英語圏生まれの作家が英語で小説を発表する事が増えているが、マジョリティーに差別され虐げられている世界や、相克する異文化に苦悩する類いの作品とは全く違う作品が、多数出ていると指摘していて興味深いですね。

世界文学の入門としてお読みいただきたい2冊です。蛇足ながら、都甲幸治の翻訳ものでは、フィッツジェラルドの「ベンジャミン・バトン数奇な人生」(イーストプレス/絶版900円)がお薦めです。ブックデザインも素敵です。

 

 

★連休のお知らせ 11月6日(月)7日(火)