面白い女性に出会いました。先週末、岡崎のみやこメッセで行われた「京都文学フリマ」に参加するために夜行バスで来て、フリマ終了後、当店でフェアの話をまとめ、大きな荷物を引っ張って、再び夜行バス乗り場に向かっていきました。

その人は、モノ・ホーミーと言う名前で挿画を中心に幅広い活動をされています。夏葉社から出た大阿久佳乃「のどがかわいた」の表紙絵といえば、思い当たる方も多いと思います。

全6巻が出ている「貝がら千話」は一枚の絵と、奇妙なもの、楽しいもの、悲しいもの、へんてこりんなものなどの短い物語が、一緒になっています。彼女は先ず、絵を描き、それに合わせた物語を作り上げていくのだそうです。
第1夜「あなたの種、売ります」が書かれたのは2019年2月6日。第100夜「パブリックディスクロージャー」が同年5月16日。ここまでが第1集として単行本化され、最新刊は、2020年6月20日の第501夜「ぼくのかわいいぬいぐるみ」から同年9月27日の第600夜「風船」までを収録した第6集。いや、凄い!ここまでひたすら書き続けているのが。これ、どこから読んでも大丈夫。表紙と本文に挟み込まれている絵の、気に入った巻からお読みください。美しく輝く小説の導入部を読んでいるような気分になりますよ。
今回のフェアでは、つけペンとインクで描かれた「モノ・ホーミー線画集」も出ています。京都の出版社「さりげなく」より刊行された”お風呂で読める”長湯文庫「するべきことは何ひとつ」に収められている、33篇の短編のもとになった図案から描き起こしたものです。
また、詩画集「ユー・メイド・ア・ポエット、ガール」は、翻訳家で詩人の 高田怜央さんとの探索ユニット”海の襟袖”の第一作です。日本語で書かれた詩が、英語でも読める凝ったスタイルの本に仕上げました。このユニットの第二作「窓新聞『トキオタイムス』」は、モノ・ホーミーさん曰く「覗き込むと日常に風景から詩が浮かび上がる風景詩化装置」というさらにユニークな作りになっています。
その他にもポストカードセットや、原画カードもお持ちいただきました。ぜひ、ごらん下さい。
☆レティシア書房のお知らせ   
次週1月25日(水)〜29日(日) 「海外文学」セールを行います。特価商品がいっぱい!

「いい湯だな」をもじったようなタイトル「いい絵だな」(新刊/集英社2420円)は、伊藤孝行と南伸坊の二人のイラストレーターの対談による絵画案内です。「海の向こうから来た写実」「絵画と写真の間」「俺たちの印象派」「ヘタよりうまいものはなし」「シュルレアリスムはまだ終わっていない宣言」「イラストって何?」「現代美術のいただき方」「服を脱ぎ捨て裸の目で見よう!」の8章に分かれていて、明治から現代までの美術の流れを学習できます。帯に「ゆるくて面白い絵画談義」とあるように、ゆるゆるでありながら、時には辛辣な意見も飛び出して、刺激的な一冊に仕上がっています。

例えば、最近人気の川瀬巴水。南伸坊曰く「きれいだし、うまい。デッサンとかきっと小林清親や井上安治よりも正確だよね。だけど、何かつまんない。」「なんて言うかさ。手際がよすぎる。小節きかせすぎの演歌みたいなさ。手探り感がないっていうのかな。」と言います。

川瀬は当店でも人気ですし、私も好きな画家ですが、う〜んうまいこと言うなぁ、と感心しました。川瀬、小林、井上の図版が載っていますので、見比べてください。

「ピカソがルソーの絵を褒めたのも決して上から目線じゃなく、心の底から感心したんでしょう。絵がうまいってつまんねえことだな……って気づいたピカソは、やっぱり偉大です。」と言う南伸坊のコメントで始まる「ヘタよりうまいものはなし」でも、二人はあぁだ、こうだと語り合うのですが、これがめっぽう面白い!

「シュルレアリスムはまだ終わっていない宣言」では、つげ義春まで飛び出す奇想天外さ。でも、きちんとシュルレアリスムについて語っていて、それがよく理解できるのです。お、そうなのかと目からウロコだったのが「イラストって何?」で登場する小村雪岱。大正から昭和、挿画を中心にして活動した画家を、伊藤はこんな風に評価しています。

「雪岱は挿絵も描くし、デザインもやった。本の装丁や舞台美術、映画の時代考証なんかも手がけている。マルチです。やっていることは本質的に和田誠さんや宇野亜喜良さんなど六〇年代以降のイラスタレーターに近いですよね。」

と、まあこんな風に最後のページまで楽しく絵画についておしゃべりが続く素敵な本です。

ロシア・ポーランド文学が専門の沼野充義編著「対話で学ぶ<世界文学>連続講義」の最終第5集は「つまり、読書は冒険だ」(光文社/古書1100円)です。

この連続講義は2009年にスタートし、足かけ7年26回、ゲストを招いて対話をしたものが、全部で5冊の本になりました。対話をした作家や出版関係者は、平野啓一郎、綿矢りさ、加賀乙彦、谷川俊太郎、池澤夏樹、小川洋子、岸本佐知子等々。第5集の本作でも、巻頭を飾るのは川上弘美で、俳人の小澤實を含めて三人で、面白い文学論を展開していきます。

そして、「九年前の祈り」で芥川賞を受賞した作家であり、比較文学者の小野正嗣。

この中で沼野が、「辺境とか小さな場所とか、世界の産業や経済の中心からはだいぶ遠い、そういうところを描くこと、あるいはそういうところに徹することによって、逆に世界文学の広い地平に出ていくことがあると思うんです。それはすごく逆説的なことですが、さきほど話題になったように、作家は誰かのために書くのではなく、自分をどんどん掘っていくだけなのに、自分を掘っていったらそれがみんなのための場所になっていたということと同じかもしれない。小さな場所に徹することによって、広い文学に繋がるということについてはどう思いますか。」と問うのに対して、小野は「そういうことが起きるのが文学や芸術の不思議さ」と答えています。

海外文学の話なんか世界が広すぎて、こういうふうな対談でなければきっと退屈するのに違いないと思います。でも、沼野充義の話の持っていき方と、ゲストの知識と思想が相俟って、極めて知的な対話を楽しむことができました。

中国の比較文学者、張競との「世界文学としてのアジア文学」の中で、「随筆というのは、文字通り『筆の赴くままに』ということですね。だから最初はどこに行くかはわからない。それに対してエッセイというのは、フランス語でもともと『試み』を意味するものです。ある議論や思考を試みて、論理的に何らかの結論に到達しようとする。だから目的地を想定しているわけですね。そこが本質的に違う。」と沼野は言います。日頃、随筆とエッセイという言葉を無意識に使っていましたが、こういう違いがあるのかと知りました。

電車やカフェなどで、パラパラめくりながら読書欲が盛り上がる一冊です。ただし、ブルガリア出身の日本文学研究者のツベタナ・クリステワさんが展開する和歌、俳句、短歌を論ずる「心づくしの日本語 短詩系文学を語る」は、パラパラとは読めませんでしたが。

最終章「世界文学と愉快な仲間たち 第二部世界から日本へ」では、日本文学、日本語を研究している外国人の研究者・留学生たちが登壇します。これがとても面白い。一読をお勧めします。

昨年は一年間、三谷幸喜脚本の群像劇「鎌倉殿の13人」を楽しみました。こんな面白さを持った長編小説ないかなぁ〜と思っていたら、奥田英朗の長編小説「リバー」(古書1400円)に出会いました。

初期の「最悪」「邪魔」などから、最近の「罪の轍」まで骨太のサスペンス小説を発表し、そのつど興奮しながら読んできました。本作は、2008年に発表した「オリンピックの身代金」と同じように、様々な人間が関わってくる犯罪小説です。

 群馬県桐生市と栃木県足利市で、若い女性の遺体が相次いで発見されたところから始まります。二人とも同じような手口で殺害され、両手を縛られた上に全裸で放置されていました。発見場所はいずれも、群馬県と栃木県の県境を流れる渡良瀬川の河川敷でした。
それぞれを管轄する警察の捜査刑事たちは皆、嫌な気分がせり上がってきます。両県で十年前にも同じ渡良瀬川河川敷で若い女性の全裸遺体が発見されていて、結局犯人を逮捕できなかった苦い経験があったのです。犯人は十年前と同一犯か、あるいは、模倣犯なのか。

連続殺人事件をめぐり、両県警の刑事やかつての容疑者、その男を取り調べた元刑事、地元の新聞記者、娘を殺された父親、地元の政治家の息子、利権に絡むヤクザ、新たな容疑者などが登場し、それぞれの視点から物語が描かれていきます。まるで、上空にあるカメラがさっと降りてきてそれぞれの登場人物の行動を追いかけているような感じです。

登場する人物たちの行動と心理を細かく描きながら、物語は進んでいきます。しかし新たに浮上した容疑者の内面などは、これだけ精緻に構築した世界の中で、わざと残した空洞のように全くつかめず、その行動からしか想像することしかできません。こういう犯罪小説は、ラストに罪を犯した者の動機や心理も全てはっきり示されるのものですが、本作では最後まで読者はもどかしさに付きまとわされます。

腑に落ちる答えが用意されていてこそ、小説は完了するのですが、それがありません。作者はあえてそうしなかったのだろうと思います。行き当たりばったりの殺人事件が起きる世界に生きているいまの私たちにとっては、リアルな世界に見えてきます。ゾッとする世界に生きているのだ、ということを再認識させてくれる小説です。

 

新潮社が発行している無料の冊子「波」に連載中の、北村薫の本をめぐるエッセイを愛読していますが、大きな書店にも少ししか置いてないみたいで、入手できなかったものがありました。2021年5月号から22年前半に連載されたものが収録されて、一冊の本になりました。

「水 mizu 本の小説」(新潮社/新刊1925円)は、帯に「謎解きの達人、7編の小説集」とありますが、エッセイ風の散文です。北村薫は、早稲田大学ミステリクラブに所属。1989年に「覆面作家」として「空飛ぶ馬」でデビューしました。「ターン」や「リセット」を面白く読んだ記憶があります。ミステリー系の作家としての顔とともに、読書家としても知られていて、本に関するエッセイも多数あります。最近では、宮部みゆきとの共同で「名短編、ここにあり」が印象に残っています。

本書では、小林秀雄から遠藤周作、橋本治から岸田今日子、芥川龍之介、そして金沢三文豪の泉鏡花、徳田秋声、室生犀星へと自由自在に作家の魅力を伝えています。作家だけでなく、歌舞伎の話や、立川談志の話、由紀さおりの歌からも詳細で深いエピソードが繰り広げられます。様々な人たちが発した言葉や、書き残した物語に秘められた力を掬い取って、ほらここにこんな世界があるよと教えてくれるのです。文学論や、書評集にありがちな硬さが全くなく、でも事実はきちんと押さえてある。とても信頼のできる本です。

こんな文章に出会いました。

「これは、こう聴くのですよ、こう観るのですよ、こう読むのですよ。という補助線に慣れてしまうのは、とても恐ろしいことです。感性が楽をするようになってしまうからです。 勿論、優れた評論を読むことには、大きな意義があります。斬新な解釈、想像的な読み方に教えられることは多い。しかし、考えるより先に道筋を示されてしまうのは、よいことではないでしょう。」

各章の初めに入る、猫をモチーフにした柔らかなタッチの大野隆司の挿画も本書にピッタリです。読書欲が上がる一冊です。

 

クリント・イーストウッドが監督した「ミリオンダラーベイビー」は女性ボクサーが主人公の傑出した映画でした。陰影のある画面、若いボクサーと年老いたトレーナーのドラマが静かに進み、やがて深刻な安楽死のテーマへと向かう、隅々まで丁寧に作られた作品でした。女性のボクサーを描いて、これほど深い感動を誘う作品はもうないだろうな、と思っていたところ………。三宅唱監督作品「ケイコ 目を澄ませて」(アップリング京都上映中)が登場しました。

聴覚に障害のある実在の女子プロボクサーがモデル。障害を乗り越えて栄光を掴み取る感動の物語か、という警戒は無用です。ホテルの客室係で生活費を稼ぎながら、古ぼけたジムで黙々とトレーニングするケイコの日々を、ストイックに描いていきます。映画には、音楽がありません。しかし、そのかわり様々な音が聞こえてきます。特にジムから聞こえてくる音、例えばサンドバッグを打つ音、ステップを踏む靴の音、パンチを繰り出す音。そんな音を聴きながら、私たちはひたすらケイコの日常に付き合います。

ケイコを育てたジムは経営が難しくなり、会長(三浦友和が実にシブい!!)は閉鎖を決めます。将来の見通しの全く見えないケイコは、葛藤を抱え込みます。しかし、映画は彼女の心の中には踏み込みません。多くを語らないケイコの本心は、私たちにも、いや彼女自身にも理解できていないかもしれません。

このジムでの最後の試合に彼女は出場します。しかし、残念ながら判定負け。その翌日、朝のトレーニングをするかどうか迷っている時、建築作業服を着た女性が寄ってきて、どうもと挨拶します。よく見ると試合の相手でした。彼女も建築現場で働きながら、ボクシングを続けているのです。きつい状態でやっているのは自分だけではないと知って、ケイコはふと微笑みます。そして土手に上がり、走り出します。

一人で生きてはいないことを実感した彼女は、職場でも私生活でも少しずつ心を開いていくように予感させます。ケイコが、今後もボクシングを続けるのかどうかわかりません。映画はやはり距離をおいた所から見つめるだけ。でも、それまでほとんど怒ったような彼女の顔が、ほころんでいくのが眩しいラストでした。何と言っても主演の岸井ゆきのに圧倒されました。

年末から正月にかけてひたすら読み続けた本が、草山万兎「ドエクル探検隊」(福音館書店/古書2800円)でした。730ページにも及ぶファンタジー小説の大作です。

ところで著者の草山万兎って誰かご存知ですか?

実は、京大出身の霊長類学者河合雅雄です。本名で出した多くの著書の中で、「少年動物誌」「子どもと自然」「森の歳時記」などは当店でもよく知られている本です。専門は生態学の先生なのですが、草山万兎というペンネームで児童文学を発表していました。本作は、2018年94歳の時に発表した長編です。主人公は動物と自由に話せる通称”風おじさん”。

昭和10年、小学校を卒業した竜二とさゆりは、風おじさんの家に招かれます。そこには、おじさんと話す多くの個性的な動物たちがいました。二人はその生活に魅了されて、そのまま居ついてしまいます。ある日、アンデスにいるズグロキンメフクロウから一家に手紙が届きます。彼が住んでいる王国に危険が迫っていることが書かれていました。これは一大事とばかりにおじさんと竜二、さゆり、動物たちで探検隊が編成されて、一行は南米ペールーへと向かいます。

波乱万丈の物語が展開し、私の頭の中では映画「インディジョーンズ」のテーマ曲が鳴りっぱなしでした。第一部第二章は映画「指輪物語」ばりのアクションシーンやサスペンス。さゆりが誘拐されて、妖術師やら巨大アナコンダが待ち構える”黒い森”に竜二たちが救出に向かうあたりは、これぞ、冒険物語の醍醐味です。

第二部では一転して、かつて生息していた巨大哺乳絶滅への悲惨な道程が語られていきます。あとがきで著者は第二部についてこう語っています。

「残酷で無慈悲で凄惨きわまりない場面を書く段になって、戦中派の私は胸がしめつけられ、しばらく頭をかかえ、考え込みました。飢餓状態の動物たちが苦しむ状況と、人間の世界でいっこうにやむことのない、『戦争』という愚かしい営為とが重なったからです。」

確かに、第二部ではページをめくるのが辛くなる時がありました。しかし、だからこそラストの希望が迫ってくるのです。

「竜二とさゆりが小学校を卒業したのは、1935(昭和10)年の三月です。竜二とさゆりにこのあとすぐに訪れるのは、けっして平和な時代ではありません。でもきっと、ふたりは未来を信じ、苦しい時代を乗り越え夢を叶えたことと思います」と著者は締めくくっています。

もう一つ忘れてはいけないのは、挿画を松本大洋が担当していることです。可愛らしい動物の姿が方々に登場します。最後に登場する神獣ラウラの、悲しい過去の歴史を生き延びた憂いある表情など見事です。松本の参加は本書の大きな魅力になっています。

 

今、世界で最も重要なワードといえば、「共生」「多様性」ではないでしょうか。

「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」と、長ったらしいタイトルだけどとても面白い本を出した奥野克己の新作「文化人類学入門」(辰巳出版/新刊1760円)には、「これからの時代を生き抜くための」が、付いています。

著者は「本書で紹介する文化人類学とは、地球規模のタイムスパンの中で変化し、これからも変化し続け、遠い未来には消えてなくなってしまうかもしれない、あるいはさらに別のものになって存続するかもしれない人間を探求する学問分野」と定義しています。

第1章「文化人類学とは何か」から第2章「性とは何か」、第3章「経済と共同体」、第4章「宗教とは何か」、第5章「人新生と文化人類学」、第6章「私と旅と文化人類学」にわたり人とは何かを探っていきます。

基本的に文化人類学者は、研究対象の民族の暮らしに長期にわたって密着し、観察して研究を続けていきます。著者の場合、ボルネオ島の狩猟採集民プナンと長年行動してきた実績を持っています。なぜ、そんな私たちの社会とは全く異なる民族の暮らしや慣習が大切なのか?私たちの社会が作り上げる常識、当たり前のことを一旦白紙に戻し、そうか、こんな社会ならこんな風に人は考え、行動するのかという事実を通して、他の国の人々との共生に進めるのではないでしょうか。

「二〇世紀の文化人類学はそれぞれ異なる文化を同じ地平に置き、地続きで考え、その内部へと分け入ってゆくような視点を手に入れたのです。二〇世紀後半には、それぞれの文化を文化進化論的に縦に序列化するのではなく、横並びにしてどちらの文化より優れているのかということは問わず、いずれの文化もそれぞれ固有の価値を有しており、そのことを認める『文化相対主義』という考え方が広がってきました。これは西洋社会を最も進化した文化とする文化進化論に対する、批判と反省の中から生まれてきた考え方であり、地球上の人類諸社会の多様なあり方を民族誌をつうじて描き出すことで、文化人類学は著しい発展を遂げたのです。」

著者は、例えばシェークスピアの「ハムレット」を俎上に上げ、「相手の側から物事を考えてみるのではなく、自分が慣れ親しんだ考え方ややり方に照らして状況を一方的に判断することは、社会の分断を生み出す原因のひとつにつながります。それは人種主義に基づくヘイト・スピーチなどに簡単に結びつきます。」と論じています。

本書は教科書でもなければ、文化人類学を学ぶための参考書でもありません。だから、読みやすい。そして紹介された多くの民族の暮らしに、ヘェ〜、とかふぅ〜んとか、ええっ!?とか言いながら、多くの考え方があることを知り、それを知った上でともに生きてゆくことの意義を教えられます。

インドネシアのスラウェン島に生きるブギスの人々には、男性でも女性でもない「第三のジェンダー」ばかりか、第四、第五と、五つのジェンダーがあるなどという話にはひっくり返りそうになりますが、脳内を軟らかく、新鮮な状態にするにはもってこいかもしれません。

どこまでも刺激的で面白い本でした。

当ブログでは「マンガ人類学入門」も紹介していますので、興味を持たれた方はどうぞ。

 

本日よりレティシア書房は通常営業しております。今年もよろしくお願いいたします!

2023年のギャラリーは、神保明子さんのガラスと+eさんの織物「しましまガラスのお皿展+eの織物すこし」が始まりました。お二人は、倉敷芸術科学大学芸術学部工芸学科の同期生。

神保さんは2018年に個展に続いて2回目になります。ガラスには色々な技法があるのですが、神保さんのは、電気炉で焼成するキルンワークの一つで「パート・ド・ヴェール」(「パート」はケーキのたね、「ヴェール」はガラスの意味)というもの。

①粘土で皿の原型を作り、②耐火石膏で型をとる。③型に色ガラスの粉(または粒)を詰め(写真右)、④電気炉に入れて焼成する。⑤型からガラスを取り出し縁を削り、⑥裏をヤスリで手磨き。これは型の石膏などが付いているのをきれいにするためですが、手で磨くので時間がかかるそうです。⑦お皿の形にくぼんだ型にのせて、再び電気炉にかける。そうすることで皿の形を整え、ツルッとした美しい肌合いもできる。⑧最後に研磨してしあげます。

独特のセンスで作られる美しい色ガラスの縞模様は、作家がとても楽しんでいる感じが伝わってきて、心が浮き立ちます。春を待つような可愛いお皿をぜひ手にとってみてください。(3300円〜9900円)

一方の+eさんは、20年ほど前から織物を始めました。が、ただ糸を織るだけではありません。なんと蚕を育て(蚕の餌の桑の木も植えて)、繭から糸を取って織るのです。

+eさんは、子どもの頃から虫が好きだったそうですが、20代〜30代に長野県に住み、養蚕農家の方に蚕のことを教えてもらいました。織ることと蚕を育てるのとは彼女の中では切り離すことはできません。蚕と出会い遊んでもらっているのだとか。今回は、愛する蚕と繭の写真と、その繭からとった糸を藍で染めて、丁寧に織った布を展示販売しています(ストール22000円)。蚕がなんども脱皮を繰り返し繭を吐き、作家が心を込めて織り上げたものだと知ると、風に揺らぐ美しい布が、勁い意志を持っているように思えてきます。

散歩コースの御所では梅が咲き始めました。春を感じる展覧会をお楽しみ下さい。(女房)

「しましまガラスのお皿展+eの織物すこし」は1月11日(水)〜22日(日)

13:00〜19:00(最終日は18:00まで) 月火定休

 

 

 

 

 

小鳥書房は東京国立市にある小さな本屋&出版社です。HPには「谷保の昔ながらのレトロな商店街である、ダイヤ街商店街。その一角で、小鳥書房の本屋さんをオープンしています。」とあります。

「書棚に並べられるのは、わずかな本と雑貨だけ。その本のなかから、お気に入りの1冊に出会える確率は高くはないかもしれません。そのため、『この本がほしい』という本をご注文いただき、取り寄せて、1冊1冊を大切にお渡しさせていただきます。たったひとりのための本屋さん。」

この本屋さんのことを知ったのは、店主である落合加依子さんの著書「浮きて流るる」(1400円)でした。いいタイトルだなぁと思っていたところ、お客様からこの本の問い合わせがありました。で、早速連絡しました。

本書は、2021年から2022年6月までの店主の日記をまとめたものです。「いいことも、よくないことも。たえまなく立ち現われるできごとに対して、ちゃんと今日も心が動くことをうれしく思いながら、毎晩、布団にもぐる前に日記を書いています。」と書かれています。書店主の日記ですが、もちろん本のことばかり書かれているわけではありません。

「旅先での日々の名残りで朝7時半に起き、窓を開け、掃除を済ませる。母の家に寄り、図書館で本を借りて国立駅まで散歩。あらためて美しい町だなぁと眺めまわす。」

自分の町を「あらためて美しい町だなぁと眺めまわす」と書けるセンスが、私は好きです。

この日記で面白いのは、日付の横の天気です。こんな具合です。「10月26日(火)でたらめな晴れ」、「10月31日(日)この町に似合う雨」、「5月5日(木)恥じさらす晴れ」え?その日、何を感じたの?と思って読んじゃいますよね。

他に入荷したのは、「本屋夜話『小鳥書房文学賞』詞華集」(1540円)、田中さとみ個人誌「 Hector」(著者サイン入り/400部限定シリアルナンバー入り1200円)の2点です。どちらも触った瞬間からこれはいいぞと思わせる本ですが、きちんと目を通してからご紹介いたします。

いつか「美しい町」国立に行ってみたいものです。

 

2022年もたくさんの方々にお世話になりました。初めてギャラリーを利用していただいた、shihomiさん、ミシシッピさん、油田さや香さん、オオナカミカさん、梶川友里さん、吹留節子さん・角谷麻衣子さん、上野かおるさん、古谷恵さん、スケラッコさん、菊池千賀子さん、桟敷美和さん、S &Sさん、magoさん。常連の作家さんの、棚からうさもちさん、山中さおりさん、中村ちとせさん、松本紀子さん、あかしのぶこさん、ハセガワアキコさん。書籍関係では、書肆侃々房さん、おしどり浴場組合さん、ミシマ社さん、化学同人社さん。皆様、素敵な展示をありがとうございました。そして、コロナがなかなか収束しない中でも、ご来店いただいたたくさんのお客様、心よりお礼申し上げます。来年もよろしくお願いいたします。(店長&女房)

 

新年は11日(水)より営業いたします。