クラフトエヴイング商會の著書に「じつは、わたくしこういうものです」(1300円絶版)という、人を食ったような楽しい本があります。

その中に砂針音楽師という職業(もちろんフェイクです)が登場します。彼女は「世界でいちばん小さな音楽をつくる人であります。演奏される時間も短ければ、音量、楽器、楽譜……..何もかもが小さく扱うテーマまでも小さい。ささやかなもの、静かなもの、かけらのようなもの……..。聴こえるか、聴こえないかという程に小さな音で奏でられる」ような音楽を「針の穴のために音楽」と表現しています。

「聴こえるか、聴こえないかという程に小さな音で奏でられる」とは単にボリュームを絞って聴くだけの行為ではありません。ボリュームの如何に関わらず、ほんの少しだけ体に染み込んでくる音楽のことです。

オランダの女性シンガー、レイチェル・グールドがトランぺッターのチェット・ベイカーと組んだ”ALL BLUES”(2000円)は、そんな音楽です。歌われているのは、所謂スタンダードナンバーですが、あからさまにスィングせず、静かに静かにアルバムは進みます。チェット・ベイカーって、最も”汗臭くない”やる気があるんだか、ないんだかわからないミュージシャンなのですが、そこが良かったみたいです。あっ、ジャズが鳴ってたな、いつ終わったんだろうみたいに煙の如く消えてゆきます。

スウェーデンの名ソプラノ歌手アンネ・ソフィ・フォン・オーターが、イギリスの元パンク小僧で、今や温厚な中年ロッカー、エルビス・コステロと組んだ”Otter meets Costello”(1400円)は、透明な空気に満ちあふれたアルバムで、ロックでも、クラシックでもない、この二人だけが作りえた音楽です。J・レノン。トム・ウェイツ、バート・バカラック、そしてコステロ自身の曲が散りばめられていますが、穏やかに、じんわりと、少しずつ心の中に溶け込んできます。ボリュームに関係なく慎ましく流れるところが、二人の音楽家としての技術力の高さです。

今年観た映画で、ベスト3に入るであろう「メッセージ」にも使われていた、作曲家マックス・リヒターが、英国を代表する女性作家ヴァージニア・ウルフの生涯から着想を得た”Three Worlds Music from Woolf Works”(2200円)。クラシックでもなく、環境音楽でもなく、一時流行ったヒーリングと呼ばれた安易なイージーリスニング音楽とも違う不思議な音楽は、ジャケット通り、まるで波が打ち寄せては、引いてゆくように心に染み込んできます。アルバムはヴァージニア・ウルフの3つの作品『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』からインスパイアされています。静かな海原に包まれたような安らぎに満ちた音楽です。

この三枚の音楽を聴いていると、どれも深い精神性と音楽への深い理解を内包していることがわかります。だからこそ、大きさに関わらずにリスナーの心に響いてくるのです。

もちろん、読書に最適なことは言うまでもありません。

歳を重ねると、なんとなく読んだ詩が、じんわりと心に響いてきます。

「その夜は粉雪がふっていた/わたしは独り書斎の机の前に坐って/遠い除夜の鐘を聴いていた/風の中に継続するその寂しい音に聴き入るうち/わたしはいつかうたた寝したやうに想った/と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた/わたしは眼をひらいた/と、そこには誰もいなかった/羽織だと想ったのは/静かにわたしの身に積もった一つの歳の重みであった」

羽織だと思ったものが、実は「わたしの身に積もった一つの歳の重み」だったというのが泣かせます。老いてゆく孤独と、自分の生きてきた時間のそれなりの重みを感じて何もいえません。

この詩を書いたのは西條八十。「吹けば飛ぶよな 将棋の駒に」で始まる村田英雄の「王将」や、「若く明るい 歌声に雪崩は消える 花も咲く」でお馴染みの「青い山脈」等の作詞で有名な人物です。また、森村誠一の小説「人間の証明」 でも小道具として「西条八十詩集」が巧みに使われていました。

「「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」

映画のキャッチコピーとして流れていました。

最初にご紹介した「ある大晦日の夜の記憶」は詩集「美しき喪失」に入っています。ここには

「いつの日からか/わたしは手鏡で/やうやく老いた我顔を/眺めるのを愛するやうになった」で始まる「我顔」とか、「養老院の秋の灯の周遍に/さまざまな眼が寄ってくる」という「秋の灯」とか、なんだか書出しは気が滅入りそうな作品が並んでいますが、叙情的で深く美しい詩ばかり。

生きてきた長い時間の中でふと浮かび上がる思い出を、モダンな言葉使いで多くの詩に残しました。繊細な心象風景を描く技術が、多くの歌謡曲や民謡の作詞にも大いに貢献したのは間違いありません。

本日ご紹介した「西條八十詩集」(ハルキ文庫400円)には、詩だけでなく童謡、歌謡に至るまでの広範囲な詩作から120遍が選ばれています。大正時代を代表する詩人の魅力が楽しめます。

彼の人生を読むと、決して楽なものではなく、悲惨な体験もしています。しかし、妻とともに眠る霊園の墓石にこんな言葉が刻まれているのだそうです。

「われらたのしくここにねむる 離ればなれに生まれ めぐりあひ 短き年を愛に生きしふたり 悲しく別れたれど ここにまた 心となりて とこしへに寄りそひねむる」

幸せな人生だったんですね。

蛇足ながら、お孫さんの西條八兄は、エレキギターの製作者なんですね。

 

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京都シネマの予告編で、全身刺青のダンサーが、縦横無尽に駆け抜ける映画の予告がありました。なんて、かっこいい!

そのドキュメンタリー映画「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン  世界一優雅な野獣」を昨日見てきました。

ウクライナ出身、史上最年少の19歳で英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルとなったセルゲイ・ポルーニン。しかし、幼少の時からバレエ学校に通い、田舎からキエフでバレエ教育を受けるのには、さらに高い学費が必要になります。父と祖母が他国に出稼ぎに出て、息子に付き添う母とは別居、両親はやがて離婚し、家族が崩壊します。家族のことが大好きだった彼は、その事で深く傷つきます。プレッシャーの中で、クラシックバレエダンサーには相応しくない刺青を彫り、薬物に手を出します。心身とも傷つきながら、舞台で踊る鬼気迫る孤独な彼の表情が映し出されていきます。2年後、ポルーニンは突如バレエ団を退団。バレエ界全体に衝撃が走ります。

映画は、幼少の頃からダンスに抜群の冴えを見せる彼の映像を混ぜ合わせながら、世界の頂点から、自滅的などん底へと落ちてゆく彼を見つめていきます。ここまでなら、よくある悲劇のスターの物語ですが、ここからです。

先ずは、映画の公式HP、或はyou tube でホージアのヒット曲「Take Me To Church」に合わせて踊る彼を見て下さいた。写真家のデヴィッド・ラシャペルが監督し、ポルーニンが踊ったこのビデオは、一旦は踊ることから離れた彼が、再度空中を舞うことに、その技術と精神のすべてを捧げた瞬間を捉えています。苦悩から歓喜へと躍動する肉体、ありのままの自分を表現する姿に心底感動します。その映像がyou tubeにアップされて、世界中の人々からの熱い支持を受けたことが、彼を再びバレエに駆り立てることになりました。

クラシックバレエの窮屈な制約から飛躍したポルーニンは、プリンシパル時代決して呼ばなかった家族を招待します。一度はバラバラになった父と母、祖母たちは、彼の素晴らしい舞台を観る為に集まるのです。最も大切にしていた家族の再会です。息子のバレエダンサーへの道の反対しながらも、学費を工面した父親を舞台に呼んだ映画「リトル・ダンサー」の感動的なラストを思いだしました。

長く、曲がりくねった道を経て、ポルーニンはやっと自分の人生を手に入れたところで映画は幕です。エンドクレジットもお見逃しなく。惚れ惚れする程美しい彼の踊りが観られますよ。お薦めの一本です。

 

 

 

暑い毎日が続いています。京都五条通りで毎年行われる「陶器まつり」も、暑いのと突然の大雨などの影響でしょうか、今年は「さっぱりでしたわ」と、関係者の方から聞きました。

本日から始まった「器(うつわ)展」の長元宏さんも、五条陶器まつりにいつも出店しておられます。1959年京都生まれ。現在は、日吉町胡麻で作陶されています。

陶器まつりや、以前グループ展などで購入した長元さんの器は、使いやすくて我が家のごはんにはよく登場します。グレーがかった青の表情が素敵な器は(写真左上)、ガラスのようなつるっとした手触りで汚れも付きにくい(うちでも一回り小さな器を使っています)。貫入の美しいお皿(写真右)は、また違った趣で、むっくりした温かさがあり、夏野菜の素揚げでもフルーツなど、なにを盛っても美味しそうですね。今回の新作でスッキリした意匠のお皿(写真左下)も、ちょっと心魅かれています。大きな声で自己主張しないけど、はっきりした輪郭をもった器たちには、作家の人柄が出ているような気がします。

量販店などでそこそこの食器が手に入ると言われていますが、一つ一つ微妙な表情をみせる器を手に取ってみれば、ちょっと豊かな気持ちになります。終活に向けて食器の整理は課題のひとつなのですが、綺麗な片口をお酒の好きな友人のプレゼントにしようかな、と思ったりしています。

壁にかかった花器は、今回の個展で初めて見ることが出来ました。金属を思わせる質感とシャープなフォルムは、和洋を選ばず、また、花を活ける口が、正面と上方にありどちらでも使えます。小さな花でもOK。挿すだけで様になるのが私などには助かります。

さりげなくモダンな長元宏さんの器をぜひ一度ご覧いただければ、と思います。(女房)

長元宏 器(うつわ)展は8月29日(火)〜9月10日(日)まで

  月曜定休日

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モルモット吉田著「映画評論・入門!」(羊泉社1000円)は、最近読んだ映画関連の本の中で、すこぶる面白い本でした。映画なんて、しかも評論なんてと思われる方にも、或はジャーナリズムを勉強されている学生さんにも、お薦めです。

1965年、ベルリン国際映画祭に、日本から若松孝二のピンク映画「壁の中の秘事」が、公式コンペ作品として出品されました。どうしてそうなったかは、本書に書かれていますが、当時第一線にいた映画評論家から、あからさまな非難、中傷が巻き起こります。大手新聞が、「意に沿わない映画は<上映禁止>にして<破棄>せよ。」と主張する有様。きちんとした芸術映画ならいざしらず、エロ映画が海外に出てしまったことが屈辱だ!と、作品の中身を批評するのではなく全く違う所で起こった差別的発言です、65年7月の読売新聞は社説の中でこんなことまで言っています。

「ベルリン映画際で国辱をひきおこした問題の映画にしても、その後焼却されたということはいっこうに耳にしない」

それから40年後、若松の「キャタピラー」が同映画際で主演女優賞を獲得した時、おおいに褒めちぎるという、まぁマスコミってこんなもんねという対応でした。60年代、エロ映画への批判的視線は理解できますが、内容を差し置いてのヒステリックな非難や、作品を抹殺しようとしたことは、認められません。

1965年、市川崑監督「東京オリンピック」が、オリンピックの記録映画として相応しくないと、時のオリンピック担当大臣が怒り出し、作品を再編集して、上映しようという前代未聞の事件が起こりました。市川の映画は、記録というより、極めて大胆な詩的映像を丹念に積み上げた傑作で、今やスポーツドキュメントのお手本になっているのですが、日本人の勝ったシーンがないやらと文句を言い出します。この時、この映画を守ったのは、映画評論家ではなく、女優高峰秀子(写真)でした。新聞紙上で役人の批判に明確に反論しました。

「『記録映画』と一言にいっても内容の受けとり方が、市川氏と組織委員会ではずい分ちがっていたようである。私からみれば、お役人の不勉強の結果が『批判』という偉そうなことばになって出た、としか思えない。」

さらに、担当大臣に掛け合い、市川の映画を守ります。では、その時に映画ジャーナリズムが、何をしたかといえば、何も出来なかったのが現状でした。

この本は、その後登場する新しい映像表現、例えば日活ロマンポルノや東映実録やくざ映画、そして北野武の映画作品に対して、マスコミや評論家がどう言ったかを検証していきます。

映画評論の歴史を辿りながら、正しく批評することの難しさを知るというユニークな一冊です。

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「レティシア書房・夏の古本市」には、暑い最中にもかかわらず、多くのご参加、ご来店いただき、本当にありがとうございました。20日(日)に無事終了し、翌日から二日間で後片付けをして、お休みを頂きちょっと温泉へ行ってきました。

夕方、大阪南港からフェリーに乗船(初体験!)して、一路別府へと出航です。ライトアップした明石大橋をくぐるのが夜8時過ぎ。幻想的な美しさにうっとりして、いつまでも海の夜空をデッキでみていました。翌朝は6時前に起きて、船上から日の出を眺めたら、アッと言う間に別府入港。お天気にも恵まれ良い船旅でしたが、客室内の冷房が寒かった。USJ帰りの親子連れ、若者たちが多かったのですが、にしても、こんなに寒くてみんな大丈夫?と思いました。

さて、別府に住んでいる友人が迎えにきてくれて、お散歩へと連れていってもらいました。先ずはJRで3駅程先のとなり町、作曲家瀧廉太郎の出身地日出(ひじ)町へ。日出城(暘谷城)跡に建つ小学校は、なんと、石垣の上に建っています。炎天下、ちょうど野球の練習中のグラウンドを横切り、少し登ると、高台からは海が見渡せるというロケーション。懐かしい日本映画に出てきそうなのんびりした風景でした。鬼門櫓なんていかめしい櫓まで学校の前に残っていました。

風情のある城下町を散策しながら、平成6年に設立された二階堂美術館へと足を向けました。ここは、江戸時代から酒造りを営んできた二階堂酒造が、収集した美術品を公開するために作った小さな美術館。横山大観や竹内栖鳳、川合玉堂、上村松園など(中でも、京都画壇の菊池 契月を初めて観て端正な美しさに感動しました。)、近代から現代の日本画における代表的な作家の作品をみることができる美術館です。なんせ炎天下のこと、来館者は我々のみで、貸切でゆっくり楽しみました。

さて、午後からは、ディープな別府の露地裏散策です。往年の日活アクション映画に登場しそうな飲屋街などをぶらりぶらり。豊川悦司が映画「顔」で登場した一角もありました。別府駅前のブルーバード劇場は、レトロな佇まいで素敵でした。今やアートシアター系の劇場になっていますが、懐かしい映画の匂いプンプンの映画館でした。

汗だくになって歩いた後は、別府で最も古い温泉、竹瓦温泉(写真下)へ。入浴料100円で、素朴な建物の温泉を楽しみました。何しろ別府の町はあちこちに100円で入れる温泉があるので、タオルを持って散歩するのがお薦めだということでした。その後は、鉄輪(かんなわ)の静かな温泉街を、またぶらりぶらりとそぞろ歩き、もう一度100円温泉に入って、古本市の疲れを癒した旅行でした。

 

さて、本日より平常営業です。まだまだ暑さは続きますが、町歩きのおついでにお立ちより下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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先日、マクドナルドの創業から、全米トップのバーガー店になるまでの描いた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」という映画を観ました。マクドナルドの創業の話なんて面白い??と、これが今のアメリカを知る上でも役立つ、極めて面白い映画でした。

1950年代、ミルクシェイカーのセールスマンだったレイは、ディック&マック兄弟が経営するハンバーガー店<マクドナルド>に出会います。流れ作業の“スピード・サービス・システム”や、コスト削減・高品質という革新的なコンセプトにビジネスチャンスを見つけたレイは、壮大なフランチャイズビジネスを思いつき、兄弟を説得し、契約を交わします。アメリカのどんな町にも裁判所と教会はあるが、ここにマクドナルドも加えるという野望を達成すべく、全米へと進出していきます。

ここで、注目しなけらればならないのは、創業者のディック&マック兄弟は、地元で品質の良いバーガーが提供できれば満足で、会社を大きくする気などさらさらなかったことです。当然、低コストで利潤追求に突き進むレイとは、衝突してしまいます。そして遂にレイは、この兄弟を駆逐して、自らの帝国を築き上げるのです。これが、今日、全世界に広がるマクドナルドの原点です。

レイが、劇中で何度も、ビジネスで勝ち残る方法を語る男のレコードを聞いていました。ノーマン・ヴィンセント・ピールという元牧師が吹き込んだレコードで、『積極的思考の力(Power of Positive Thinking)』というものです。。今で言う自己啓発もの。ビジネスの勝者が人生の勝者だ!絶対に成功すると信じろ!みたいなことを力説します。ところで、このノーマンは、トランプ大統領が唯一尊敬している人物だと、映画評論家の町山智浩が指摘しています。弱肉強食のビジネス界をくぐり抜けて、アメリカンドリームを掴んだ!オレは強い!という正にトランプ的資質ですね。

「だからいま、この映画が作られたんですよ。ドナルド・トランプ的なアメリカというものは、もともとこのマクドナルドなんだということなんですよ」と町田は言います。

この映画は、トランプ的勝者を賞賛する映画ではありません。マクドナルドの全米進出と共に、同じようなスーパー、同じようなホテルがチェーン展開しようとする時代であり、まさにアメリカの均一化、それはやがて世界の均一化へと向かう切っ掛けが、マクドナルドにあったことを描いています。主人公レイを演じるのは、マイケル・キートン。最近「『バードマン」「スポットライト」といった傑作で優れた演技を残していますが、今回の野心丸だしの男も実にハマってました。

因みに、この映画、本家マクドナルド社の協力は一切受けていませんが、もうバンバン、マクドナルドのロゴや店舗を使っています。アメリカでは、表現活動のために著作権のあるもの(ここではロゴ等)を使用するのは構わないという法律があって、表現者は守られているのだそうです。日本では考えられないですね。

久しぶりにマクドナルドに行って、バーガーを齧りながらトランプ的なるものをかみしめてみるかな。

 

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


 

「レティシア書房夏の古本市」もいよいよ明日まで。というわけで、出品されている本のご紹介は最終回になりました。

レコードを買う時、ジャケットの良さで中身のこと考えない”ジャケ買い”があります。本でも同様に装幀で買うこともありますが、この古本市にも、そんな本がありました。

細かく描かれた70年代の若者達の様々なスタイルが目を引く表紙は、イラストレーター小林泰彦の「若者の街」(晶文社1000円)です。収録されたスケッチは70年から73年までの3年間です。たった3年間とはいえ、「若い世界の風俗にあってはわずかではなく、この間にずいぶんいろいろな変化があったと思うし、それはまたいまも変わりつつあるものにつながっています。」と小林は書いています。アメリカの星条旗をかたどったTシャツなんて、もう着ている人はいないだろうけど、トラッド派は健在だし、古い布地で作った服を着ている人は大勢います。70年代に青春を過ごした人には、たまらんノスタルジックな一冊です。

写真の格好良さでは、立松和平「晩年」(人文書院800円)も際立っています。立松が身のまわりの死者を描いた短篇集の表紙に、鬼海弘雄の写真集「東京夢譚」の中で、文京区大塚のとある風景を撮ったものが使用されています。人っ子一人いない坂道にあるホテルと向こうに広がるビル群を捉えた殺風景な都会の一場面です。奇妙に静まり返った風景が、この短篇集の描く世界を捉えています。

函入文芸書の、函の絵と題字を中川一政が描いた尾崎一雄の随筆集「單線の驛」(講談社700円)は、味のある装幀です。「單線の駅」に、御殿場線というローカル線が登場します。この御殿場線にある小さな駅、下曽我部駅で下車して、駅の周囲を「ここで降りて北ある曽我山という低山に向かって十分ほど歩くと、もう山麓の大地」と尾崎は書いています。おそらく函の絵は、そのどこにでもあるような日本の田舎の風景を描いたのではないでしょうか。春霞がかかったような風情のある風景です。いや、もしかすると「中学を出るまで私は田舎で育った。二十年前小田原市に編入されたが、市とは名ばかりで、低い山の南麓台地にある畑の多い農村である」と尾崎が書いている故郷が描かれたのかもしれません。

最後にご紹介するは、もう楽しい!としか言いようのない一冊です。和田誠「Record Covers in Wadaland」(アルテス2000円)です。和田は多くのレコードジャケットを手掛けています。一見ジャズ等の洋楽が多いように見えますが、”水戸黄門”役者、西村昇の「三文役者の歌 まぁそんなもんさ」とか、舟木一夫「渡世人」とか、こんなアルバムまでやってるんだ!と驚き、さらにその質の高い仕事ぶりに感心します。なお、この本にも載っているジャズミュージシャン渡辺貞夫のアルバム「ENCORE JAZZ&BOSSA」は、古本市の期間中、壁に飾っていました。(アルバムは売り物です)

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」開催。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!暑い日が続きますが、ぜひお立ちよりください。

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


 

 

さて、何か文学に親しもうかなぁ〜と思った時、側に置いておくと良い(或は悪い?)のが岡野宏文と豊崎由美二人のコンビによる「百年の誤読」(ぴあ、海外文学編、日本文学編 各800円)です。本読みのスペシャリスト二人が、古今東西のベストセラーを丸裸にしていく楽しい文学案内です。武者小路実篤の「友情」を、岡野が「とりあえず文章のこんな雑な作家はいないだろう」と言えば、豊崎が「その珍妙さを丸ごと受け入れるとこから実篤くんの味わいがスタートするんだもの」と受け答えして、軽妙な実篤論が始まります。或は、「けた外れの怠け者」「駄目男ぶり爆裂」などと言いながら絶賛するのは、佐藤春夫の「田園の憂鬱」。ここまで言うなら読んでみようか、という気になってくる本が満載です。

モンゴル出身のバーサンスレン・ボロルマーが描くモンゴル遊牧民の四季を追いかけた絵本「ぼくのうちはゲル」(石神社700円)。宿営地のゲルで生まれた男の子ジルが、家族や家畜と共にモンゴルの大地を駆け巡るお話です。ゲルというのは、モンゴルの人達の組立て可能の移動式住居です。ゲルに住まいしながら、春夏秋冬、宿営地を羊とめぐっていく彼らの姿が、東洋的なタッチで描かれます。緑の大地に建つゲルの絵を見ていると、そこを駆け抜ける風が通過してゆくのが見えてきそうです。

 

 

淡谷のり子、と言われてもお若い方には??かもしれませんが、ある年代以上には、あの顔は、一度知ったら絶対に忘れられないと思います。1907年青森生まれの歌手で、日本シャンソン界の草分けであり、また、◯◯のブルースという題名の歌を連発して、『ブルースの女王』とも言われました。1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめます。ブルース的雰囲気を醸し出すため、吹込み前の晩は、酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌っていたそうです。また、戦時中の慰問には、もんぺを履かず、禁止されていたパーマをあて、ドレスに身を包み、禁止されていた英語の歌や、恋愛の歌を歌った根性の坐った女性でした。その彼女が自分の半生を物語った「ブルースのこころ」(新日本出版社900円)は、彼女が生きた昭和という時代が浮き彫りにされています。

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」開催。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!暑い日が続きますが、ぜひお立ちよりください。

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。


本日は、敗戦間近に出た古い雑誌を先ず紹介します。昭和20年1月、及び3月、翌21年1月、2月3月合併の文藝春秋です。

敗戦の前年の20年3月号「本土戦場下への決意」の最後は、「一人百人殺の決意は一億国民の合言葉でなければならない」で終わっています。今だからそんなアホなと言えるのですが、まだ、本土決戦やるつもりだったんですね。メデイアが戦争に加担していたことが明らかになる文章です。さらに、現地に派遣されていた報道員が戦争とは忍耐だ!「忍耐の顔はいつも明るい」などという、これまた今にして思えば理解不能な文章を寄せています。しかし、その一方で上林暁が森鴎外の「安井夫人」についての論評「醜男考」を書いたり、第二十回芥川賞受賞の清水基吉作「雁立」が掲載されていたりと、文藝誌としての面も保っています。

ところが、敗戦が決まり、アメリカの統治下に入った21年の新年号には「タイムやニューズウィークノヤウナアメリカでも尖端を行く週刊雑誌が一般に発売されるやうになった」ことから「アメリカ新語集」なるエッセイが載り、2月3月合併号では、宮本百合子が「逆立ちの公・私」という論評で、「戦争は常に残酷なものである」と表現しています。戦争を挟んだ時代の雑誌を開くことで、当時の社会が見えてきます。(価格は800円〜1200円)

戦争が終わった夏の日を思いだす意味で、何点か戦争を考える本が出ています。敗戦から独立、その後の世界情勢までを子どもたちにわかりやすく解説した「少年少女おはなし日本歴史14巻ー占領下の日本」(岩崎書店1500円)。朝鮮戦争にもページを割いて、金日成の生い立ちが詳しく描かれています。

第一次世界大戦から今日に至る世界各地の反戦詩を集めた「世界反戦詩集」(太平出版社1000円)は、33カ国108人にも及ぶ詩人の160編を収録した画期的な一冊です。

子どもが被写体の写真集って、はっきり言って嫌いなんですが、何度でも見ても飽きない写真集、菌部澄の「こどもの領分」(淡交社1000円)は、昭和20年代後半から40年代初頭の子どものいる風景を収めた作品集です。貧しかった時代から、高度経済成長時代へと差し掛かる時代、遊びに夢中の彼らの表情が伝わってきます。昭和30年。高松市の桟橋から出航する船を見送る母と子どもをシルエットで捉えた作品には、涙してしまいます。

 


★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 
夏の古本市」開催。個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!

 

暑い日が続きますが、ぜひお立ちよりください。

 

8月21日(月)〜25日(金)は、夏期休業いたします。よろしくお願いします。