捨てられたり、虐待されたりした犬や猫をレスキューするARK/アニマルレフュージュ関西が発行するカレンダー2018年度版が入荷しました。12月末まで販売します。壁掛け型1000円(写真左)、机上型800円(写真下)の2種類あります。

当店では、ARK支援のための写真展や、カレンダー販売を毎年実施していますが、原田京子さん撮影の写真で構成されたカレンダーは、今年も素敵な出来上がりです。来年は戌年ということで最初のページをめくると、日本犬がズラリ並んでそれぞれの特徴が書かれています。秋田犬、四国犬、紀州犬、北海道犬、柴犬、甲斐犬、土佐犬、狆(チン)など。ARKでは、その殆どの種類を保護した経験があるそうです。それだけ多くの犬が捨てられたり、虐待されているという事ですね。

1月から12月まで様々な犬や猫が登場しますが、その写真の下に、一言文章が添えてあります。「にんじん」で日本でもお馴染みの小説家、ジュール・ルナールの「平穏の理想形は坐る猫の姿の中に存在している」、或は「ドクター・ヘリオット」シリーズの人気作家ジェイムズ・ヘリオットは「猫とは、心地良さの鑑定家だ」という一文を読むことができます。

我が家にも老犬マロン(写真左・ARK出身です)がいるので、ボニー・ウィルコックスの「老犬は、履き古した靴のように心地よい。どちらもちょっと形は崩れているし、すり切れたところがあるかもしれないが、ぴったりと身に馴染む」が心にしみます。

来年のARK写真展は9月12日(水)〜23日(日)の予定です。なお、原田京子さんの個展も4月24日(火)〜5月6日(日)に開催予定。原田さんの、犬猫とはまた違う、魅力的な写真に出会えると思います。

そして、こちらも売上げの一部を動物保護に役立てる町田尚子さんのミニカレンダー(500円・写真左下)が入荷します。(発売は10月29日から)シュノーケリング、カーリング、ボクシング等々のスポーツに頑張る猫たちの、ムスッとした表情に思わず笑ってしまう傑作カレンダーです。500部限定生産で、当店には50部入荷します。人気商品ですので、売切れの場合はご容赦ください。

 

町田尚子さんの絵本「ネコヅメの夜」の原画展を、新春1月5日(金)〜1月21日(日)開催いたします。「ネコヅメ」ファンは是非お越し下さい。なお著者による”ご当地イラストサイン”入の「ネコヅメの夜」を限定で販売する予定です。お楽しみに!

 

 

九州の書肆侃侃房から、京都在住の歌人、林和清さんの新作「去年マリンバードで」(2052円)が入荷しました。理解できたような、できなかったようなアラン・レネのフランス映画のタイトルと同じ題名ですが、映画とは全く関係ありません。

個人的には歌集は、殆ど手に取ったことがないのですが、この出版社が出している「現代歌人シリーズ」が十数冊入荷したので、これを機会に読んでみようと思っています。

「二十七年前のクリスマスイヴの朝わたしのベッドで仔猫が生まれた」

幸せをもたらすようにやってきた猫の表情が、映画みたいなフレームの中に取り込まれています。

「家の中でどこをさすらっていたのだろう東山から月がのぼる」

ちょっとシュールな感覚ですが、なんとなく微笑んでしまう作品があるかと思えば、

「寒月に遠く清水寺が見ゆ死者からもこちらが見えているだろう」

という、ぞっとする視線を感じる作品もあります。映画のタイトルを作品名につけるだけあって、映画がお好きみたいです。例えば、「『タクシードライバー』のラスト五分は死んだあとの夢だよなんて気づかないんだ」など、映画タイトルを入れてある作品が何点かあります。

「旅に出れば旅の記憶がかぶさっていくつもの時を旅する」

という歌に出会うと、当ブログでも紹介した「メッセージ」という新感覚派のSF映画を思いだしました。

京都観光に来られた方には、

「寺田屋事件のあとは即座に血まみれの畳替え客を迎へしお登勢」などいかがでしょうか。

「現代歌人シリーズ」は、どれも素敵な装幀で、手に取りやすいシリーズです。気楽に歌集を開いて、沢山の言葉を楽しんでいただきたいと刊行作品すべて仕入れました。

その中で、岡井隆の「暮れてゆくバッハ」(2376円)の中にある「にがにがしい結末であるしかれどもそれに傘などかりてはならぬ」が目に止まりました。この歌、いいよなぁ〜と思える歌人を探してみてください。

ずらっと歌集が揃ったなぁ、と思っていたところへ、今度は京都で作り続けている御手洗友紀さんが歌集「こいのうた』(600円)を持ちこんでこられました。ミニプレスのコーナーで販売中ですので、こちらもご覧下さい。

 

 

昨夜、北海道のネイチャーガイド&ペンション「ヒッコリーウインド」のオーナー安藤誠さんをお迎えしました。毎年、秋には釧路を出発して、札幌、東京、大阪など依頼のある所で、北海道の自然や魅力について、伝道師のように講演されています。当店でのネイチャートークは、今回で6回目。つまりレティシア書房開店以来、毎年開いています。お会いする度、私とは大好きな音楽談義で盛り上がります。安藤さんは写真家としても活躍されているので、美しい写真を見ながら、クマとの超接近遭遇の驚きの話など、14人のお客様(小さな店は満杯です)とともに時間を経つのを忘れて聴き入りました。

彼の来店に合わせてというわけではないのですが、北海道関連の、特にアイヌ民族関連の本で面白そうなものが入荷しました。岡和田昇&マーク・ウインチエスター編集による「アイヌ民族否定論に抗する」(河出書房新社1500円)、杉山四郎「武四郎碑に刻まれたアイヌ民族」(中西出版1200円)です。

前者は、2014年、札幌市議会議員、金子やすゆきの「アイヌ民族なんて、いまはもういないですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっている」というネット上での発言が引き金になって、アイヌ差別発言の嵐が吹いていることへの異議申し立てを、香山リカ、池澤夏樹、寮美千子、当店でも個展をしていただいた版画家、結城幸司さんなどが、それぞれの立場で意見を述べたものを編集したものです。

北海道出身の精神科医、香山リカは、この発言の後、エキサイトするヘイトスピーチには、アイヌと申告する人へのDNA鑑定の義務付けを主張した輩がいることに愕然としました。これって、かつてナチスドイツがやったような民族の選別へと繋がる危険があると指摘しています。在日韓国人、沖縄、そしてアイヌと、私たちは知らず知らずのうちに、恐ろしい立場に立っていることを示唆する一冊です。

後者の「武四郎碑に刻まれたアイヌ民族」は、江戸末期から明治にかけて、当時蝦夷地と呼ばれていた北海道をアイヌの道案内人と共に何度も探検し、地図を作成し、北海道という名称を付けた松浦武四郎と、アイヌの歴史を克明に調査した報告書です。この地には、30もの武四郎碑がありますが、一人にこれ程多くの碑があることは驚くべきものです。筆者は丹念にこれらの碑を調査していきます。その中から浮かび上がる武四郎とアイヌの関係は……。因みに、彼はアイヌ民族への搾取を温存する政府の開拓使を批判して、官僚の職を辞めています。

さて、昨日入荷した帯広発の雑誌「スロウ」最新号(税込905円)では「ちいさな絵本のお店」と題して、「絵本屋カフェ南風」を営む出町南さんと、札幌の絵本専門店「花さき山」の道端友子さんが紹介されています。道端さんは、京都旅行で、当店に立ち寄っていただいたというご縁があります。道端さんがその時持っておられた絵本「ぼく、生きたかったよ」を初めて見て原画展の運びになったことを、改めて思いだしました。

1989年「その男、凶暴につき」で監督デビューして以来、彼の作品はだいたい観てきました。独特の映像美学と間の取り方で演出を行い極めて作家性の高い作品は、国内よりもフランス、イタリア等のヨーロッパっで高い評価を得てきました。私は「ソナチネ」「HANA-BI」辺りが、その最高作品だと思います。

2003年「座頭市」で大娯楽映画を成功させて、一般の観客にも支持を広げます。もとより、娯楽と芸術に一線を引くような愚かしいことをする監督ではありません。面白い映画でも撮ろうか、ぐらいの気分で始まったヤクザ映画「アウトレイジ」も、三本目で最終を迎えました。

ヤクザ映画など観ない方に、一言だけその特徴を言うと、情念の映画だと言う事です、高倉健が主役をやっていた任侠映画は、義理と人情秤にかけりゃ、の世界ですし、その後を受けた菅原文太の実録ものは、もう金、金、金の欲望剥き出しの世界でした。どっちにしてもそういう感情が爆発するのがヤクザ映画です、しかし、北野武の映画には、それが欠落しています。やくざ社会のトップの言葉を、今風に言えば「忖度」して、殺戮に走る末端の子分たちのバイオレンズは、即物的です。

最終作「アウトレイジ最終章」に至っては、彼らの武器は拳銃でもなければ、ドスでもありません。言葉なのです。もちろん、マシンガンぶっ放すシーンもありますが、ヤクザ社会のトップに君臨する男たちの激しい言葉の応酬で終始します。メインの役者たちは、胸から上の、所謂バストショットでカメラ正面に向かって速射砲のように台詞を言い放ちます。とりわけ、関西ヤクザを演じる、西田敏行は圧巻です。部下に「迷惑かけてすいません」と頭下げられて

「メイワクもハローワークもあるかえ!」なんて背筋が寒くなるようなオヤジギャグも、刃物のように突き刺さってきます。関西人ではないのに、見事に大阪弁を駆使して、この役者の力量に驚かされます。

或は、NHK朝の連ドラ「あまちゃん」で、気のいい琥珀職人の勉(べん)さんを演じた塩見三省の強烈な喧嘩言葉には、ただただ驚くしかありません。(左の写真)

最終章を観ながら、漫才師として毒のある言葉を投げつけていた「ビートたけし」を思いだしました。北野武のヤクザ映画でありながら、これってビートたけしの毒舌を聴く映画じゃないのか、と思いました。どなたにも、お薦めとは言いませんが、まるでアスリートが全力疾走するような、突っ走る『言葉』の応酬に耳と目を傾けるのも面白いと思います。

ただし、第一作、第二作を見ていないと、人物関係がさっぱりわかりませんので御注意を。

「はなとメルヘン」の梶間千草さんが、ギャラリーで作品展を申し込んで下さったのは、5年前。最初は6人のグループ展、次は布のアートフラワーと二人展、そして一昨年は初個展、今回2回目の個展です。

紙で作った花のリースやウェルカムボード、箱に詰まったバラなどが並びました。前回は、一人でギャラリーのスペースを飾る量が掴め切れなくて、沢山作ったつもりでも白い壁が目立っていた、と反省されていましたが、今年は華やかです。1年間、時間を作っては様々な展覧会に出かけ、レイアウトや表現方法を見て回ったとお話してくださいました。

生花の花の部分だけを箱詰めにして贈り物されるのを最近よく見かけます。生花を紙に替えて、微妙な色合いで出来上がったバラの箱など、時間をかけて取り組まれた作品は実に美しい。自分と相性のいい好きな材料に出会って、こうやって見よう、次はこんな工夫を、という風に、毎日作り続けることができるなんて本当に幸せなことだと思います。本屋に坐っているだけで、積み重ねられた時間の結晶を少しわけてもらえてありがたいことです。

梶間さんは、夏休みや、七夕飾り、ハロウィン、クリスマスなど、子供たちや地域の女性会などで、紙を使ったリースなどを教えておられるそうです。紙で作られたものとはいえ、脆いものではありませんので、プレゼントやお土産にも。(300円〜3000円くらい。バラの箱詰めは5000円・7000円)

軽くてきれいなので、ウェディングのフラワーシャワーとして、1000個ほどの花を作られたこともあるそうです。きっと素敵な思い出になったことでしょう。まだまだいろいろな可能性が広がりそうなペーパーフラワーの世界です。(女房)

★「はなとメルヘン」展は10月24日(火)〜11月5日(日)まで

12時〜20時 月曜定休日

 

お知らせ 明日10月25日(水)は『安藤塾』イベントのため7時までの営業になります。ご了承ください。

 

 

 

 

ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」の最新号(1620円)の特集は「教育×地元」です。この中に、誠光社の店主、堀部篤史さんが「地元的なるもの」を巡ってのインタビュー記事が載っていました。同業者として、成る程とか、共感するところが多々ありましたのでご紹介します。

彼は地元をこう定義しています。

「コミュニティという意味での『地元』は、町内やご近所のことではなく、同じような姿勢、規模で、同じような嗜好品や文化的なものを扱うお店やそのお客さんになるんです。」そして「通ううちに、だんだんとだけど、つきあいが深まってゆく。ぼくが言及している『地元的なるもの』は、エリアのみによるかつてからの『地元』よりはもうちょっと擬似的な共同体なのかもしれませんね。」

私についていえば、新刊書店の店長だったときと大きく異なるのは、同業古書店や、個性的書店の方々とのお付き合いや、交流が深まり、そのお店のお客様とも親交が出来た事です。そんな事は、ただただ忙しいだけの新刊書店時代には全くありませんでした。

「地域も属性も無関係に、同じスタートラインに立って何を買うかによって差異をつくる、ヨコのつながりでなくて、経験の長さや深さによる時間軸の積み重ねの中で、いわばコミュニティに属する人どうしがタテのつながりも重視しておたがいを認識するところからはじまるゆるやかな『地元』」

こういうコミュニティを彼は「物語的」なものと呼んでいます。

ミニプレスの編集者、ギャラリーで個展をしていただいた作家の皆さん、そして私が選んだ本を、これ、これやがな〜と嬉しそうに書架から抜かれたお客様達と、同じ時間軸を共用してゆくことで、物語的なものが形成されるのかもしれません。そういう意味では、お店って小さな物語が沢山ぶら下がった木なのかもしれません。

堀部さんは「物語的」なコミュニティと対立するものとして、「消費的」な場を上げています。「ブランド品だから」「雑誌が推薦しているから」という、時間軸が介在しない場や関係性のことです。

「要するに記号を選択して消費することによって自分の属性とする行為です。そこには『こういう状況の自分にとって』とか『何故それに至ったか』というストーリーがありません。話を単純にすることで考えることを放棄しちゃっているのと同じ」

カズオイシグロがノーベル文学賞を獲得した時、ただ日系であるというアイデンティティのみに執着し、号外まで出すわ、大幅増刷をする場面をニュースで見ましたが、それで本を買った人のどれ程が最後まで読むのだろうと、疑問符がつきました。そこには、どうして彼の小説を読もという気分に至ったかという「物語」が欠如している気がします。当店にあった彼の小説も完売しましたが、その方々には、ちゃんとカズオ作品に至る読書時間がありました。

まだまだ堀部さんのインタビューは続きますが、多くの方に読んでもらいたいと思います。

この本を出したミシマ社×誠光社×古書&レコードの100000アローントコの三者共同による「かもがわご近所マップ」(500円)が入荷しました。吉田篤弘、いしいしんじのコラムも載っていますよ!

1961年、一曲の歌が日本中に流れていました。

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思いだす春の日 一人ぼっちの夜」

坂本九の「上を向いて歩こう」。中村八大作曲、永六輔作詞のこの曲は、国内はおろか、全米ヒットチャートで”Sukiyaki Song”というタイトルで1位に輝くまでになりました。音楽プロデューサーの佐藤剛が、「上を向いて歩こう」に関わった坂本九、中村八代、永六輔を中心に戦後の日本の風景を視野に入れながら、稀代の希望の歌が誕生するまでを、広範囲に調べ、彼らの人生に分け入ったノンフィクションが「上を向いて歩こう」(岩波書店1450円)です。

この曲が「言語の壁を超えて世界中の人々に受け入れられたのは、歌詞の内容が哀歌、エレジーであったことが、大きな理由」だと論じています。

ギリシア語に語源を持つ「哀歌」とは、人生に起こる悲劇の断面への思いが、整った音律や用語で歌われる叙情詩であり、悲嘆から始まった感情が、永遠の慰めへと昇華する歌であると辞書では解説されていることを前提に、「上を向いて歩こう」にはそのすべてが揃っている、だから、世界中の多くの人々の心に届いてきた、というのが著者の考えです。

「幸せは雲の上に 幸せは雲の上に 上を向いて 歩こう 涙がこぼれないように」

愛する人を失ったのか、辛い別れを経験したのか歌にはなんの描写もありません。人生は「涙がこぼれないように 泣きながらあるく」ものだというペシミスティックなものだが、リフレインされる「上を向いて歩こう」という歌詞が希望を歌います。

坂本九の歌の特徴は、キュートなファルセットボイスにあります。ファルセットボイス、日本語で言うなら「裏声」。著者は坂本の裏声に注目し、こう書いています。

「裏声とは鳴き声に通じる。泣き声とは理性ではなく本能の声である。赤ちゃんの泣き声も、悲しみの泣き声も、歓喜の泣き声も、理性を超えて、本能的な泣き声に通じている。坂本九は裏声を多用して歌っている。楽しそうな歌声の裏には、知らず知らずに泣き声が混じっている。これが坂本九の真骨頂なのである。子供や赤ちゃんに通じる泣き声だからこそ、世界共通のコミュニーケションとなり得たのである。」

中村八大は、坂本のそんな声に触発されて「上を向いて歩こう」を書き下ろしたのです。

戦後の荒廃から、明るい未来めざして歩み出した人々の心に、希望という火をともした歌の力に魅入られた著者の力強いノンフィクションです。

蛇足ながら、敬愛する亡き忌野清志郎は、ライブで必ず、この曲を日本のロックンロールの名曲だ!と宣言して歌い続けてきました。彼にも、「上を向いて歩こう」の偉大さが解っていたのですね。

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読んでいる本の著者のお会いするなんて、なかなか叶わないことが実現しました。

先日、出版社のミシマ社設立11周年記念パーティーの席上で、同出版社から「あわいの力」(1836円)を出されていた安田登さんにお目にかかることができたのです。

安田さんは、ワキ方能楽師です。ワキ方というのは、簡単に云えば、主役(シテ方)を補佐したり、物語の進行をする道案内を行う立場です。じゃ、この本は能楽の本?いえ、全く違います。

著者は、現代を「心の時代」と捉えています。心を厳密に定義してゆくと、膨大な時間を要しますので、著者は「自己意識」ぐらいに思って下さい、と言います。主体的に意志決定したり、自我をぐいぐいと押し出すことを覚えた人類は、やがて得体の知れない「心」に振り回されます。古代から孔子、釈迦、イエス等が心との付き合い方を巡って悪戦苦闘してきましたが、その答えが出ていません。

著者は「心」という文字が出る以前、人類はどうしていたのか。「『文字』以前の人間は、身体の感覚に従って生きていました。それが『文字』を使い始めたことで、脳で思考することが増え、人間がいわば『脳化』していった。それによって『心』が肥大化し、『心』がもたらす副作用がどんどんどんどん大きくなっていきます」

自殺、精神疾患の急速な増加はその副作用ではないか、というのが著者のスタンスです。え?じゃ、癒し系の本なのこれ?それも違います。

ここから、能楽師としての経験を踏まえて、「心の時代」の次を生きる「あわいの力」について、実証的に、知的に論じられていきます。ちなみに、「あわい」というのは、あいだのこと。自己と他者、異界と現実界、時間と空間、あっちとこっち。能楽におけるワキは、両者をつなぐ象徴的な存在だということです。

個人的なことですが、小鼓を習い始めて数年、能の舞台も何度も見ましたが、もう〜めちゃくちゃ眠たくなる時があります。実際寝てる人もよくお見かけしますが……。

著者は「それでいいのです。能は『そういうもの』であるからです。そういうもの?はい、そういうものなのです。つまり目の前で流れている時間とは別の時間に生きていることになる。まさに、『あわい』の世界に身をおくことになるわけです。」

この先は、能楽の世界へ入り、日本の芸能から日本語の持つ動的で、身体的な特質へと向います。ここら辺りのお話が好きな方にはたまらん知的興奮をお約束します。

さらに著者は、もう一つの専門でもある古代文字の世界へと読者を誘い、文字のなかった時代、人々はどう心と向き合ったのかまで話が広がります。

昨日、このブログで伊坂幸太郎の小説をご紹介した時、物語が「もう飛び跳ねまくりです」と書きましたが、こちらの本も宗教、古代文字、文学、古典、歴史と方々に飛んでいきます。成る程、成る程と頷きながら、「あわいの力」という抽象的表現の意味するところを学んでいきます。日本文化って、こんなに深く、面白いものなのだったんですね、安田さん。

一つ、いい文章に出逢いました。

「学びというのは、役に立たなければ立たないほど面白い」

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真左・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

伊坂幸太郎の「a night  ホワイトラビット」(新潮社1000円)は、驚く程面白い小説でした。内容というより、その語り口と小説の構成が飛び抜けて上手い!伊坂は元々好きな作家なので、ちょいちょい新作を読んでいるのですが、これはとびきり面白い。

ある家の家族を人質にした立てこもり事件が発生。現場に向かう警察のスペシャルチーム。フツーのサスペンス小説なら、ここから犯人側と警察の息詰るやり取りを重ね合わせてエンディングへ持ってゆくのでしょうが、伊坂はそんなルーティンな作りはしません。本の帯に「展開が思わぬ方向へ飛び跳ねる可能性があります。足下を照らす懐中電灯をお忘れなく」と書かれていますが、もう飛び跳ねまくりです。

サスペンスが盛り上がりそうになると、では読者のみなさんには、少し前に某のその日の行動を見ていただこうと現場から連れ出します。え?事件は???などお構いなしに四方八方へと広がっていきます。昨今の映画によくあるリワインドムービー(一気に現在から過去へ戻り、また現在に戻る)手法や、多くの人物をバラバラと投げ出し、それぞれのエピソードをつなぎながら、大きな物語を作ってゆく方法、あるいはC・イーストウッド監督作品「ジャージー・ボーイズ」で、急に登場人物が画面の観客に向かって語り出すといった演出などが、巧みに取り入れてあります。

しかし、その拡散する話がバラバラになることなく、読者を離さず、しっかりラストまで連れてゆく技は、さすがです。ユーモア、ドタバタギャグのセンスも豊かで、この小説でも方々で笑わせてくれます。一番くすぐられるのは、登場人物の大半が、なぜか「レ・ミゼラブル」を読んでいて、その蘊蓄が語られたり、オリオン座の雑学的知識が小説の小技として使用されたりする部分です。大体、タイトルの「a night  ホワイトラビット」は、海外ならルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、日本なら「因幡の白兎」を連想させるもので、後者はチラッと登場してきます。本好きをクスリとさせる辺りも用意周到です。

私はこの本と、谷崎潤一郎の紀行エッセイ「吉野葛」、能楽師の安田登「あわいの力」、池澤夏樹「文学全集を編む」、吉田篤弘「京都で考えた」を同時進行で読むという、てんでばらばら、支離滅裂な読書時間を過ごしていましたが、それぞれの語り口を大いに楽しみました。古典も当代人気作家も、分け隔てなく読むのが最も楽しいと確信しています。

なお、読書中の「吉野葛」他も、順次ブログでご紹介していきますのでおつき合い下さい。

 

 

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真左・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

オオカミへのイメージって、決して良いものではないみたいですね。生まれて最初に接するのは、かの有名な童話「赤ずきんちゃん」に登場する、ずる賢い残忍なオオカミでしょう。幼少の時にこれをインプリントされたら、オオカミへの印象は悪くなります。

ジム&ジェイミー・ダッチャー夫妻の「オオカミたちの隠された生活」(エクスナレッジ)を読むと、彼らの本当の姿を、文章と魅力的な写真でみることできます。夫妻は、数年間にわたり、米国アイダホ州ソートゥーズ山脈で、オオカミの群れに囲まれた生活を送り、彼らの社会生活を記録しました。2005年には「リビング・ウィズ・ウルブス」というNPOを立ち上げ、保護活動や人々との共生を模索する活動を始めました。

 

このNPOの名誉理事になっているのが、俳優、監督そしてサンダンス映画祭プロデューサーのロバート・レッドフォードで、この本にも序文を寄せています。西部開拓が始まる以前は、彼らは他の動物たちと平和に暮らしていました。しかし、開拓が始まると、家畜を殺すという妄想に取り憑かれた人間は、徹底的な殺戮を始め、生態系のトップの座を奪い取りました。レッドフォードは、オオカミと同じ遺伝子を共有する犬が、ペットとして人間社会で贅沢な特権を得たのに、「とらばさみや、くくりなわ(どちらも苦痛を与えるワナ)に捉えられて拷問のような苦しみを味わい、子どもたちもろとも銃で撃たれ」ている状況を非難し、今日でさえ、有権者に媚を売る州政府に対し「彼らは真剣に問題を考えている野生生物研究者の助言を無視し、これからもオオカミを殺し続けることを可能にする令状を出し続けている。」と現状を憂いています。

本書は、悪者のレッテルを貼付けられたオオカミが、強い社会的絆を持ち、家族というグループの中で、子育てを行い、仲間を守ってゆく動物であり、知性ある存在であることを解説していきます。先ずは、夫妻が撮った写真をご覧下さい。オオカミの写真集と言ってもいい程に、魅力的な姿を見ることができます。

荒々しい大自然の中で生き抜く彼らの表情、体の動きに、時に獰猛さを、時に内なる心の思いに深さに、オオカミとしての尊厳を感じます。力強さ、優しさ、淋しさ、そして喜び等々、私たち人間が持っている感情を彼らも持っていることを知ることになります。

 

アメリカ先住民のことわざ「オオカミの目を見つめることは、あなた自身の魂を見つめることである」が載っているページの側に、こちらを見つめるオオカミの写真があります。深い憂いを湛えたその視線から、あなたはきちんと世界を見ている?という問いかけを感じます。