ちくま文庫のオリジナル企画「文学館」シリーズは、これまで「猫の文学館I・II」「月の文学館」「星の文学館」と刊行され、今回が「森の文学館」(古書600円) になりました。カバーデザインは、今回もヒグチユウコ。不思議な雰囲気の少女が、森の奥へと誘っています

この本では、「深い迷路の森で」「森の音に耳を澄ます」「森で迎える死と祈り」「ウィーンの森、ラインの森」「高原/別荘/ふくろう」「森林限界とアルビニズム」「アルプスの少女とやまふところ」と七つに分類されて、37人の作家の作品が並べられています。収録されているのは小説エッセイばかりではありません。深澤七郎の「戯曲・楢山節考」や、宮崎駿のインタビュー「森の持つ根源的な力は人間の心の中にも生きているー『もののけ姫』の演出を語る」なども入っています。

「深い迷路の森で」は、そのタイトルが示すように、迷い込んだ深い森をテーマにした作品が並んでいて、古井由吉の「谷」が一押しです。谷底が印象的に使われた傑作「杳子」と同じ世界が展開します。

「森の音に耳を澄ます」には、宮沢賢治「狼森と笊森、盗森」や、倉本聰「森の音」などのファンタジー系に混じって、多和田葉子の「きつねの森」があります。なんとも不思議なお話で、このタイトルと全く結びつかない世界が展開してゆきます。

最も気に入ったのが稲葉真弓の「森を歩く」という数ページの作品です。稲葉は、もともと好きな作家で、当ブログでも「半島へ」と「エンドレスワルツ」を紹介してきました。本作では、森は登場しません。彼女が自宅近くを散歩していた時、こんなものを見つけます。

「路地の真ん中に、もうとうに姿を消したと思っていた古い手押しポンプが残っているのを見たとき、私は懐かしさの余り、思わず足を止めていた。」

このポンプが残っている長屋の向こうには、「以前はうっそうとした森のある古い屋敷だった」後に高層ビルが建っています。そのビルに森の幻影を見るというお話です。あっという間に読めますので、まず、この作品を店頭で読んでみて下さい。

 

 

 

東京西荻窪で雑貨店「FALL」を2005年より営んでいる三品輝起が書いた「雑貨の終わり」(新潮社/古書1400円)。雑貨に関わってきた著者の歩みを描いたエッセイです。おしゃれな雑貨に囲まれて、日々素敵な店作りをしている店主の”軽い”エッセイ集と思われるかもしれませんが、全く違います。こういう本によくあるような綺麗にディスプレイされた雑貨の写真やら、可愛いイラストなどはありません。ここには、雑貨と向き合ってきた著者の思索があり、これから自分は、そして雑貨は、どんな方向へ向かうのかを試行錯誤しています。

「さまざまな物が雑貨の名のもとに流通し、消費されていくことを『雑貨化』と呼んで、その資本が運ぶ河のうねりに耳をすました。この河はどこを流れ、なんのためにあるのか。気づけば雑貨の領野ははるか遠くまで拡大し、古い雑貨界の地図は役立たなくなってきた。」

物という物が雑貨化する渦中で、自分が何を売っているのかがわからなくなってきた著者。では、「物と雑貨の境界」とは何か。雑貨業界の外にいる私にはわかりません。が、この本にはその問いに真摯に答えていこうとする著者の姿勢が見えます。

レディメイド、マガジンハウス、吉本由美、アルネ、無印良品等々、雑貨の世界を取り巻くキーワードから、全てが雑貨化してゆく時代を、時にペシミスティックに、時にメランコリックに描いていきます。雑貨をめぐる話から、来るべき消費社会の話へと広がります。

「だれかの部屋であれ、どこかの街角であれ、目の前にあるものに端末をかざすかスマートグラス越しに視線を送りさえすれば、それがどういう物であるかを瞬時に説明し、インターネット上に漂う類似品の値段や購入方法を示すようになるだろう。物に目をやることと買い物することがかぎりなく近づき、売り買いされない物がほとんど残っていない世界。われわれはそこへ、あと数歩で辿りつくはずだ。」

そんな消費社会で、持つことが可能ならば、「ひとと物との静かなつながり」が大事なことだというエピソードで締めくくられています。

 

俳優・劇作家・小説家としてマルチに活躍している戌井昭人。1997年パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」を旗揚げし、2009年発表の小説「まずいスープ」で芥川賞候補になりました。

今回ご紹介するのは川端康成文学賞を受賞した「すっぽん心中」(新潮社/古書900円)です。短編小説三作品を収録してあります。受賞した「すっぽん心中」は、職を失って生活が苦しくなった若い男が、家を飛び出して危ないお店で仕事をしていた娘と、ひょんなことで出会います。ゆきずりの二人は、金儲けのため高級すっぽん店に売りつけるすっぽんを取りに、茨城県霞ヶ浦へと向かいます。

が、素人の二人にすっぽんが捕まるわけがありません。その道中と、グロテスクと笑いとが入り混じった結末が描かれます。へらへらと生きてきた男と、ワイルドサイドをなんとか歩んできた少女と、ぐちゃぐちゃに潰されたすっぽんが描き出す奇妙な道行です。

二作目「植木鉢」は、帰省する前日の夫婦と小さな子供の描写から始まります。田舎へ帰る車中、噛み合わない夫婦の会話が印象的に描かれていきます。イラつき出す夫。地元に戻ると、近所で殺人事件があり、植木鉢で家人が殴り殺されていました。なぜか、その殺人犯探しに血道をあげる夫と、無視する妻。思考停止した挙句に夫が、放り投げた自宅の植木鉢に頭をぶつけて気絶するという話です。

三作目「鳩居野郎」は鳩が大嫌いな男のお話。鳩の鳴き声を聞くだけでいたたまれなくなる男は、家の周りに寄ってくる鳩との戦いに消耗しきっています。鳩よけに張り巡らした罠に鳩がかかって、もがき苦しみ出し、耐えきれなくなった男は鳩を救い出そうとします。恐ろしい形相に、近所の人は気が狂ったと錯覚してしまいます。

それぞれ、奇妙な味のある作品です。ブラックユーモア的な部分もありますが、ある日、突然立ち現れてくる非合理的なものに取り憑かれた3人の男の姿を描いています。合理的な判断を下す私たちが、一歩ずれると非合理的な存在になることを、喜劇的でも悲劇的でもなく、じっと見つめている世界がここにはあります。私は、どの作品も面白く読みました。

なお、この作家の作品で小説「俳優・亀岡拓次」(フォイル/古書900円)も在庫しています。脇役俳優亀岡の奇妙な人生を描いた小説は、映画化され、安田顕が主役を演じていました。

京都シネマで上映中の、期待度大のドキュメンタリー映画「ようこそ映画音響の世界へ」を観てきました。「映画音楽の」ではありません。「映画音響の世界へ」です。

映画には、役者のセリフ以外にも多くの音が存在していることをご存知ですよね。屋外ロケなら、車の走る様子、人の話し声、信号機など町の音や、自然の奏でる、例えば川のせせらぎや風の音などが背景に流れています。室内なら靴音や食器のぶつかるカチャカチャという音、赤ん坊の泣き声等々。また、アクション映画には、銃撃音や爆破音、殴り合いの様子、SF映画ならば、宇宙船やロケットのエンジン音や宇宙人の声等々、音響を担当する音響デザイナーがいなくては映画は成立しません。試しに、DVDなどで映画を観る際に、音をオフにしてみたら随分印象が変わります。映画をより密度の高いものにするための技術者が音響デザイナーです。

1927年に初めての本格トーキー映画『ジャズ・シンガー』が誕生。それ以降、映画音響は様々な形で進化しています。本作では、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、ソフィア・コッポラ、デヴィッド・リンチ、アン・リー、クリストファー・ノーランなど、独創的なスタイルを持つ映画監督たちが、作品における音へのこだわり、音響の芸術性を語っています。そして彼らと組んできた音響デザイナー達が、それぞれの現場で苦労の末にどれほど素晴らしい”映画の音”を作り出してきたかを、具体的な作品を示しながら尊敬を込めて振り返っています。「ゴッドファーザー」も「地獄の黙示録」も、何度も観ている映画ですが、音響という視点でもう一度観てみようと思いました。

ハリウッド全盛時代、各スタジオは音響にはほとんどお金を使わず、すでに使用してきたものをくり返し使ってきたのだそうです。西部劇では、どの映画でも銃撃音が一緒だったという例も登場します。
そこに、革命的手法をもたらしたオーソン・ウェルズやアルフレッド・ヒッチコック、さらにビートルズが映画音響に与えた影響、そして最近のSFX技術とともに更なる進化を遂げる姿を描いていきます。「スターウォーズ」で人気のキャラクター、チューバッカの声が出来上がるプロセスも興味深いです。
監督はミッジ・コスティン。本人も音響デザイナーとして活躍し、数々の賞を受けています。女性の視点で、この業界の多くの女性達の活躍を描いています。嬉々として仕事をしている姿がとても素敵でした。じいさん内閣を立ち上げた首相にもお見せして、勉強をしていただきたいものです。(写真はコスティン監督)

「笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑」

これ、間違って入力したのではありません。鈴村温さんの「SamePose」(さりげなく/1650円)を読んでいると、こうなるのです

朝起きて、先ずページをめくる。そしてムフフと一人笑いして、眠気を追っ払います。昼は、店に出る前に違うページをめくりハハハと笑い、顔を整えます。そして、夜。缶ビール片手にページを開き、ウヒャヒャと笑って、その日のストレスを発散させる。と、まあこんな風に、私はこの本を活用しています。

鈴村さんには今年3月、個展をしていただき、多くのお客様にご来店いただきました。兵庫県たつの市出身。成安造形大学イラストレーションクラスを卒業後、しばらく奈良の就労支援施設「たんぽぽの家」アートセンターHANAのアトリエで、障害者の方達の絵を描くサポートの仕事をされていましたが、2年前から地元に戻り、制作に専念しています。

3月の個展で、彼女の絵が描かれた手ぬぐいを買った方がきっかけで、出版社の目に止まり、今回この面白い「Same Pose」が、発行されることになりました。

彼女が描くのは、様々なポーズをとった動物(人間も含む)です。そして、そのポーズが左右に向かい合って配置されています。もともと何とも言えないコミカルな格好が、左右シンメトリーに配置されることで、ヒートアップしています。

不思議な魅力がある本です。ぜひ、ベッドサイドに置かれて、パラパラめくって下さい。きっと楽しい夢を見ると思います。

なお、鈴村さんは来年2021年11月3日から、2回目の個展をしていただく予定です。

 

以前、町田尚子さんの「ネコヅメのよる」(WAVE出版/古書1150円)発行記念の原画展を、していただいたことがありました。待望の町田さんの新作「ねこはるすばん」(ほるぷ出版/新刊1650円)が入荷しました。

相変わらず、ふてぶてしい面構えのねこが主人公です。飼い主が出かけた後、留守番をするのですが、大人しくじっとしているわけはない!ということで、物語は始まります。

洋服タンスの中を通り抜けて、ネコだけの世界へとトリップします。お茶したり、本屋に立ち寄ったり、散髪屋で毛を整えて、映画館で映画を見て、寿司屋に入って、「ちゅうトロさび抜きでね」などと注文するのです。帰りには腹ごなしにバッティングセンターに出向き、「カッキーン」と大きな当たりをかっ飛ばす。そして疲れた体を休めるために、銭湯でリラックス。

「さて、そろそろかえるとするか」と、またタンスの奥からこの世へ戻っていきます。ご主人が帰宅すると、何事もなかったような顔でお出迎え。ねこを飼っている人なら、ありそうな話だと納得されると思います。おしぼり片手に、ちゅうトロを注文する表情や、バットを思い切りスウィングする仕草など何度見ても、笑ってしまいます。

町田さんは、人間のことをなめてかかっている面白い猫の話を描く一方で、「なまえのないねこ」(小峰書店/新刊1650円)では、とても切ない物語を描いています。また、世界名作絵本シリーズ「ひきだしのなかの名作」のなかのアンデルセンの「マッチうりのしょうじょ」(フレーベル館/新刊1380円)も担当、彼女らしいタッチで、悲しい物語を美しく仕上げています。

 

 

 

 

ビン・リュー監督「行き止まりの世界に生まれて」(uplink京都で公開中)は、今年観たドキュメンタリー映画の中でベスト3に入れたい傑作です。9月9日のブログで「mid90sミッドナインティーズ」という映画を紹介しましたが、あの映画のドキュメンタリー版的な作品です。

カメラは、先ず、街の中をスケボーで爽快に滑ってゆく3人の若者たちを捉えます。そのスピード感にこちらも気分良くなってきます。しかし、ここから語られる彼らの人生は、タイトル通り「行き止まりの世界」です。「アメリカで最も惨めな町」と言われているイリノイ州ロックフォード。キアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧困と家庭内暴力に晒されて生きてきました。過酷な現実から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいます。スケートだけが彼らにとって唯一の居場所、スケート仲間が一つの家族。
けれど、大人になるにつれ、いつも一緒だった彼らも少しずつ違う道へ進んでいきます。
ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、恋人との間に子供が生まれて父親になったザック、そして映画監督の道を歩み始めるビン(本作の監督です)。ビンのカメラは、自分自身を含めて一見明るく見える3人の、悲惨な過去や葛藤をあらわにしていきます。今まで問えなかった母親の事情と親子の確執が、監督として対話することで、緊迫した場面となっています。
希望が見えない環境、大人になる苦しみ、根深い親子の溝。ビンが撮りためた12年間のスケートビデオを巧みに編集して、この場所に生きる若者のリアルな青春が描かれています。
ロックフォードは、いわゆるラストベルトで、鉄鋼や石炭や自動車などの産業が衰退し、アメリカの繁栄から取り残された街です。街には生気がありません。静まりかえっています。「トランプのアメリカ」のリアルな姿です。
それでも、彼らの笑顔を見ていると未来は変えられるのかもしれないと思えます。事実、ラストでは3人のそれぞれのほんのちょっと明るい未来が紹介されます。でも、それが続くのかと問われたら、なんとも答えようがありません。
エンディングは、オープニングと同じように街中を疾走する彼らを追いかけてゆくシーンです。それぞれに不安と痛みを抱えながらも、前に進む彼らを応援せずにはいられない、そんな作品です。
アカデミー賞、エミー賞Wノミネート、サンダンス映画祭をはじめ数多くの賞を総なめ、オバマ前大統領もも絶賛した映画です。オススメ!

2005年に出た「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」以来、ノンフィクション作家として着実な歩みを続けている梯久美子。「狂うひとー『死の棘』の妻・島尾ミホ」「原民喜 生と死と孤独の青春」と傑作を出しています。

そして今回は樺太、サハリンと呼ばれている北方の島。大日本帝国時代は、半分が日本の領土で国境線が引かれていた場所です。この地には北原白秋、林芙美子が訪れました。また宮沢賢治は、最愛の妹トシを亡くした翌年に、故郷花巻からトシの魂を求めてこの地を旅し、多くの詩を残しています。日本人だけに留まらず、チェーホフもやってきていました。この地の何が彼らを惹きつけるのか、その答えを探しに、鉄道大好きの筆者が二度に渡ってサハリンを旅したのが「サガレン 樺太・サハリン境界を旅する」(角川書店/古書1300円)です。

筆者は鉄ちゃんですが、中でも廃線跡を歩くのが好きで、しかもそこに掛かっていた橋を見つける橋梁派であり、今回の旅でも、もう使われることもなく放置された橋に出会っています。「失われた鉄路を歩くことは、時間をさかのぼって旅をすることなのだ」と書いています。第一部は、寝台急行に乗車して、北へ、北へと旅するルポルタージュ。筆者も大好きな大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」を聴きながら読みたい紀行エッセイです。

第二部は、この地を旅した宮沢賢治をめぐる文学的ルポルタージュです。1923年、賢治は樺太へと旅立ちます。この鉄道の旅が、後年の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったのではないかと言われています。その前年に妹トシを亡くし、死者の魂を追いかけて北に向かったというのが定説になっていますが、

「正直言って、私にはいまひとつピンとこなかった。妹がなくなったのは生まれ育った花巻で、墓もそこにある。樺太には縁もゆかりもないし、死んだ人の魂が北方へ行くという考え方も、一般的なものではないように思う。」

きっと鉄道好きだった賢治が、日本最北の地まで汽車に乗りたかっただけという筆者の考え方に、私も納得しました。賢治の旅した行程を丹念にトレースし、彼が見たもの、聞いたものを探しながら、この地で書かれた賢治の詩を丁寧に解読していきます。この地を舞台にした作品に暗澹たるものが多数あったのですが、喪失から、新たな希望を見つけるのが彼の旅だったのです。この本のおかげでよくわかりました。

「見知らぬ土地で偶然に出会うさまざまなものたちー植物や動物、ふれあった人々、そしてときには空の色や空気の感触までーに、つかのまであれ救われ、力をもらうのが旅というものだ。」

トシの魂を追い求め、自らの死も覚悟した旅という定説を打ち破り、賢治を解放した一冊とも言えます。賢治ファンは必読です!

なお、本書のタイトルを「サハリン」ではなく、「サガレン」としたのは、賢治がそう呼んだからであり、ここを舞台にした「サガレンと八月」という未刊の小説もあるからだ、と筆者は最後に補足しています。

 

 

星野道夫の一枚の写真から、一冊の絵本が生まれました。「あるヘラジカの物語」(原案/星野道夫 絵と文/鈴木まもる 発行:あすなろ書房1650円)です。

あるヘラジカの群れに、見知らぬオスが侵入してきます。当然、リーダーであるオスは追い出そうと戦いを挑みます。激しい争いで二頭は傷つき、とうとうお互いのツノが絡まったまま動けなくなってしまいました。そのまま動けないヘラジカに、オオカミの一団がやって来て襲い掛かります。さらにはヒグマも匂いを嗅ぎつけてやって来ます。熊やオオカミといった生態系のトップにいる動物たちが去ると、今度はキツネやコヨーテがやって来て、ヘラジカに食らいつきます。さらに鳥たちが肉をつつき、骨だけになったヘラジカ。マイナス50度の冬のアラスカで、カンジキウサギが、その骨を噛みます。ウサギにとっては、真冬の大事な栄養源です。

やがて春が訪れます。巨大な二頭のヘラジカの頭の骨のみが残っています。そこにアメリカタヒバリがやって来て、骨の影に巣を作り卵を産みました。

アラスカに暮らす星野が、河原で、二頭の大きなヘラジカの角が絡み合ったままの頭蓋骨を発見します。それを撮影した作品に出会った鈴木まもるが、絵本を作ろうと思い立ち、出来上がったのがこの絵本です。生態系の中で、脈々と続く生と死の連鎖を描かれています。

「偶然ある日、星野道夫君と出会いました。年が同じということもあるし、アラスカと日本の山ではスケールが違いますが、ふたりとも自然の中で暮らし、動物が好きだということもあり。すぐ仲良くなりました。」

とあとがきに書かれています。鈴木は伊豆の山の中で暮らしながら、鳥の巣の研究、収集、巣の展覧会を続けています。

二人の出会いはとても素敵なものだったみたいです。ヘラジカに食らいつくヒグマの様子を描いた絵など、星野が生きていたら、きっと喜んだことでしょう。絵本の最後のページは「アメリカタヒバリのすのなかでは、4わのひながげんきにそだっている。」という素敵なシーンで終わっています。

アラスカの風を感じる絵本です。

 

Tagged with:
 

今日からギャラリーは、小倉ミルトンさんの楽しい絵に占領されました。

挨拶文に「友人は私が火星から来たのではないかと言います。私も時々そんな気がします。子供の頃の夢の世界 もしかしたら本当にあったのかもしれません」と書かれています。

ミルトンさんは、音楽を聴いているとき、お酒を飲んでいるとき、電車に乗っているときなどに、浮かんだ形をメモしておいて、その上をなんどもなんども自分の線になるまで描くのだそうです。そして下絵をパネルのサイズに合わせて拡大し、マスキングをして色を置き、気に入ったテクスチャーを作っていく。自由な線と、鮮やかな色の作品群は、見ている私を知らない星に運んでくれそうです。何もない画面からイメージを立ち上げていく、モノを作る人が持つことのできるワクワクする時間が、そのまま生きている時間に重なるような幸せな感じがします

 

生きることを肯定してくれるような、「なんかええことあるかもな」と肩を叩いてくるような、 ハッピーになれること請け合いです。コロナ禍の不安も和らげてくれる「Milton Loves Miltons」と題したワクワク・ウキウキの絵画展へどうぞお越しください。(女房)

Milton’s art exhibition「Milton Loves Miltons」は9月16日(水)〜27日(日)

13:00〜19:00(9/21・22は定休日)

 

Tagged with: