どうしようもない迷路で、自分を見失った時や、あまりの自分の未熟さに茫然とする時、何気なく開いた本にある言葉や、文章に支えられることがあります。いかにも「人生応援歌」っぽい本の、上滑りの言葉ならきっと永く残ることはありません。

「わたしは女です。天の半分を支えています。わたしは女です。大地の半分はわたしが養っています。わたしは女です。虹がわたしの肩に触れています。宇宙がわたしの目を取り巻いています。」

これは、ネイティブ・アメリカンの言葉を集めたナンシー・ウッドの「今日は死ぬのにもってこいの日」(メルクマール/古書850円)の中にある一節です。「わたしは女です」。大地にすっくと立っている姿が浮かび上がってきますね。「大地の半分はわたしが養っています。」その自信と覚悟。ぐっと前を見つめる眼差しが、心に刺さります。

ちょっと前に、ネイティブ・アメリカンの言葉をイージーに集めた”癒し系”の本が一斉に出た時期がありましたが、そのきっかけを作ったのが、この本です。凡庸な寄せ集め本とは異なり、この本には、荒涼たる大地に生き、大きな宇宙の流れに身を置いて来た彼らの哲学が色濃く反映されています。だから、読んでも分からない部分もあるけど、その時の自分の心の有り様で、ストレートに響いてくる言葉も沢山あります。

もう一人ご紹介します。「路地の奥で生まれて、そだった」詩人は、路地に生きる様々な人達を見つめながら、路地のおしえをこう言います。

「ひとはひとに言えない秘密を、どこかに抱いて暮らしている。それはたいした秘密ではないかもしれない。秘密というよりは、傷つけられた夢というほうが、正しいかもしれない。けれども、秘密を秘密としてもつことで、ひとは暮らしを明るくこらえる力を、そこから抽きだしてくるのだ。」

日々の暮らしを、一歩前に押し出すのは「言えない秘密」だと詩人は語ります。「どんなちいさな路地にさえ、路地のたたずまいには、ひとの暮らしのもつ明るい闇が、そこにある。」

「明るい闇」って素敵な言葉です。

これは、長田弘「記憶のつくり方」(晶文社/古書1100円)に収録されている「路地の奥」の一部です。この詩人は、ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスの著書「自省録」にあるこんな文章を愛しています。

「そう考えない自由が私にあるのだ」

深い言葉です。付和雷同的に、みんなが一つ意見に賛同する危険がある時、そんなふうに考えない自由を、貴方も私も持っていることを、心に刻んでおきたいものです。

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★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催


 

「爪と目」で第149回芥川賞を受賞した、京都生まれの藤野可織の短篇集を幾つか読みました。

「狼が訪ねてきたのは五歳のときで、両親とともに郊外のマンションに引っ越した日のことだ。」で始まる「狼」(古書・「ファイナルガール」角川文庫/300円に収録)は、「赤ずきん」や「三匹の子豚」がベースにある物語です。

マンションに引っ越して来た自分を、狼が食べに来ると思いこんでいる少年の前に、狼がやってきます。ロックされたドア越しに対峙する二人。危機一髪の時、外出から帰ってきた両親が、持っていた瓶やら、何やらで狼を殴り殺します。そして45リットルのゴミ袋にその死骸を入れて共同のゴミ捨て場に持っていきます。そこに狼がいたこと、殺した事などなかったように日常が戻ります。やがて、成人した少年は、恋人と新居に移ります。そこに、再び狼がやってきます。襲われる寸前、彼女は手の持っていたラックのポールで、狼の顎を割り、のけぞったところを、めった打ちにして殺します。そして、やはりゴミ袋に入れて、ゴミ収集ボックスに捨ててくるというお話です。

ゴミ袋に狼を入れてしまうという描写が、極めてリアルです。それに比べて、何の疑いもなく狼を殺してしまう両親や、彼女の存在はかなり非現実的です。

現実と非現実の絶妙のバランスで進行してゆくという点では、藤野の「おはなしして子ちゃん」(古書・講談社/650円)も見逃せません。主人公は小学校に通う女の子です。学校の理科準備室には、ホルマリン漬けの瓶が一杯ありました。その中に猿がいました。

「猿は膝を揺ゆるく曲げ、背を瓶の側面につけ、中腰のような、空気椅子に坐っているような恰好でじっとしていました。」

その猿と女の子の、不思議な物語が展開していきます。瓶の中でひとりぼっちの猿は、さみしくて、さみしくて仕方ありません。だから、女の子に、いろんなお話をしてと求めてきます。彼女が持っているお話すべてを語り終えても、もっと、もっと、と求めてきます。そして、遂に瓶から飛び出し、空腹のあまり、彼女を食べようと襲いかかります。しかし猿は、「ぴょんと跳ぶたびにぺちゃ、と音が響くのです。それは、皮膚組織が子猿から剥がれ落ちる音でした。つまり、体のほうぼうでずる剥けになった皮膚が、ホルムアルデヒト水溶液の水たまりに落下する音でした」という状態です。やがて、死に絶えた猿を少女は長時間抱きしめて、物語は終わりへと向います。

舞台となる小学校の雰囲気や、現実感のある生徒の感情の間に、ホルマリン漬けの猿が動き出すという、非現実が挟み込まれています。可愛らしさ、グロテスク、ファンタジーがごちゃ混ぜになりながら進行する文体や世界観は、生理的に付き合いきれない人もいるかもしれませんが、べったりと付きまとう不気味さを描いていて面白いです。私はこの作家の小説を初めて読みましたが、かなり好みです。

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写真家、富士元寿彦の「原野の鷲鷹 北海道・サロベツに舞う」(北海道新聞社/絶版2900円)が入荷しました。表紙から、勇壮な姿で飛ぶオジロワシの写真です。堂々たる風格ですが、若いオジロワシが、「われ、こんなとこで何しとんのや」(関西弁?)とタンチョウに攻撃されて逃げてゆく写真もあります。

この写真集は、「原野の勇者たち1」として、オジロワシ、オオワシ、シロハヤブサなど6種類が、「原野の勇者たち2」で、オオタカ、クマタカ、ハヤブサなど10種類がそれぞれ紹介されています。北海道内の猛禽類の生息地としては、知床などの道北地方が有名ですが、日本海に面したサロベツ原野でも、多種類のワシタカを見ることができるのです。

勇猛果敢という点では、オジロワシが最たる存在でしょう。猛吹雪の中、餌を巡る小競り合いを捉えた写真は、その特徴を良く捉えています。しかし、歩く姿は、なんとも滑稽です。ステテコはいたおっさんが、いばり顔で町内を歩いているみたいで、笑えます。このオジロワシより、さらに大きなオオワシは王者という言葉がピッタリです。でも、流木の上で、10羽ほどのオオワシが、おしくらまんじゅうをするように並んでいる姿は、なんとも微笑ましいです。

威風堂々たるオジロワシが、湖上をぐるりと旋回したところを見た経験がありますが、もうかっこいい!としか言いようがありませんでした。オオワシは冬にやってきて、夏には日本を離れます。しかし、オジロワシの方は、留鳥として、夏も見ることができます。夏休み、北海道に行かれる方は、ぜひ大空を舞うオジロワシの姿を探してみてはいかがでしょうか。

精悍で美しいのは、極北の地から北海道に渡来するシロハヤブサ。猛スピードで狙った獲物に襲いかかる姿を、写真家は「白くて太い矢が飛んでゆくようだ。」と形容しています。海上で、急降下してカモメを捕まえることもあるようです。ただ、渡ってくる量が少ないので、なかなか見ることの出来ない珍鳥だそうです。

「ワシタカ撮影日記」というコラムの中で、写真家は写りのいいオオワシよりも、地味なオジロワシが好きだと言ってこう結びます。

「いくら見ていても飽きない何かがある。私が作った格言めいたセリフで言うならば『桜とオジロワシは日本人の心だ』ということになるのだが、残念なことに未だ誰にも理解してもらったことがない。」

桜とオジロワシか………。 

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大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

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「京都でハモ、それがどないしてん」という、京都人への挑戦的フレーズの「飲み食い世界一の大阪」(ミシマ社1728円)でお馴染みの、江弘毅の新作「大阪弁ブンガク論」(ミシマ社1836円)は、ボケツッコミ満載で、笑いころげる文学論です。

生まれも育ちも岸和田の著者は、「社会的属性や世代も違う人々が普通に混じっているので、自然とコミュニケーション力が磨かれる。その際に中心となる『言語運用』は、小学校で習う国語だけでは『通用』しない。」といいます。

中学時代はおもしろいことを言うことが勝者であり、「おもろく表現する」ことが、他人を説得させる手段。国語の先生でさえ、宮沢賢治の詩を泉州弁で朗読し、英語の先生は大阪弁のイントネーションでした。

この本の中で、独特のエネルギーを持つ大阪弁を駆使した小説を取り上げて、その魅力を分析していきます。昨今、西加奈子、朝井まて、黒川博行といった関西の言葉で構成された小説が連発されています。著者は「彼らの書く登場人物の大阪弁〜関西語コミュニケーションの技法こそ、その魅力にほかならない」とし、先ず黒川博行の小説を取り上げています。

私も黒川の大ファンで、ほぼ読んでます。「よっしゃ、あのガキ、いてもたる」という、お下劣なセリフバンバンのヤクザもんや、上方漫才を聞いているような会話の刑事たちが活躍するサスペンスものなど、新刊台に出たら購入してしまいます。「後妻業」や「疫病神」が映画化されていますので、ご存知の方も多いと思います。ヤクザはヤクザの、デカはデカの、生活に相応しい言葉を巧みに使い分けているとことが、黒川作品の特質だと著者は指摘しています。言葉がリアルで、ノンフィクションであることが面白さを生むのです。その辺りを理解せずに、関西弁を使った上っ面だけの物語は、関西人から言わせてもらうと「おもんないわ、これ」になってしまいます。

直木賞受賞作品「破門」に、主人公二人の極道のこんな会話があります。

「たたでは済まんやろ。指飛ばして詫びいれんとな」「へ、おまえの指なんぞ、犬の餌にもならんわ」「そうかい、おどれの指はどうなんや。尻の穴もほじれんど」「おもろいのう、おまえ」

リズム良く、ポンポンと飛び交います。

黒川は、編集者に大阪が舞台でもいいから、東京弁の小説を書いてくれと言われた時、「なんちゅう安易な発想やと思いました。もちろん本の大半が首都圏で売れるというのは知っていましたが、大阪に住んでる人間がそんな言葉を喋るわけがない。そんな小説は書けません。」と拒否したそうです。エライ!!

その土地やそれぞれの社会集団に根付いた言葉で、そこに生きている人達が動いてこそ、物語は息づいてくるのですね。

本書は、谷崎潤一郎、町田康、山崎豊子等が登場します。どれも、これも独自の視点で論じていて、面白さ120%なのですが、これ以上書くとキリがありません。ぜひ、ご一読をお勧めします。

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アラスカ先住民クリンギット族の語り部、ボブ・サム。

宅地開発のために、掘り返され破壊された、祖先の墓に愕然とした彼は、たった一人で元に戻し始めます。20数年に渡るその活動で多くの遺骨や遺品が戻ってきました。と同時に、勝手に各地に持っていかれた遺骨、遺品を家族の手元に戻す、リペイトリエーション運動でも、中心人物として多方面で活動しています。

その一方、クリンギット族の長老から、彼らの部族に伝わる神話の語り部としての地位を託されて、世界各国の人々に伝えています。「かぜがおうちをみつけるまで」(スイッチ・パブリシング/古書1400円)は、ボブが創造した物語を、谷川俊太郎が翻訳し、イラストレーターの下田 昌克による美しい絵で綴られた本です。

「ひとがけものと はなしができ けものとひとと はなしができ どんなものにも こころがあった むかしむかしのおおむかし」が舞台です。

この時代、風にも心がありました。北へ、北へと風は、猛烈な寒さをもった大きな風になりました。凍りついて寒くなった風は、人やけもののいる南に向かいます。しかし、獣も人もすべて、風の寒さを嫌い、隠れてしまいます。即ち氷河時代の始まりです。ひとりでいることに耐えきれられなくなった寒い風は、勢いがなくなり弱くなり、海上を彷徨います。風の孤独に気づいた貝殻が、自分の貝殻で包んで温めてあげようと救いの手を差し出します。物語の最後はこうです。

「そんなわけで いま かいがらを みみに あてると かぜが おうちで くつろいでいるのが きこえる そして わたしたちは みんな そのすごい ひょうがじだいを いきのびた ひとにぎりの にんげんの しそんなのだ」

なんと優しく、力強いことばでしょう。

ボブはあとがきでこう述べています。「どんなものにもこの世界のどこかに<うち>がある、それを忘れずにいるのは大事なことだ。自分がしていることを、誰も気にかけてくれないなどと感じてはいけない。生きていくためにヒトは心を通わせることが大切だ。友だちと自然を分ち合うこと、顔に暖かい風が吹いてくるような気がする。この世界はすべての生きとし生けるものが分ち合う<おうち>なのだ。」

共生という言葉が隅に追いやられて、自らの優位性だけが声高に叫ばれる時代への警告でもあると思います。

自然界のあらゆるものは、それに相応しい場所があることを忘れないでおく、と言い続けるボブは、星野道夫の盟友でもありました。

「村上春樹を読んだことがないのではなく、『名前を知らなかった』と言うのにはさすがに驚いた。どんな暮らしをしていたら三十歳を超えるまで村上春樹の名を知らずにいられるかと興味が湧いた」

フツーの青年の話なら、あ、そういう人もいるのね、というですが、これ、阪急京都線水無瀬駅の前にある長谷川書店水無瀬駅前店長、長谷川稔さんのエピソードです。この書店は、とても個性的で、面白いお店なのです。私の大好きな本屋さんです。

本というものに親しんでこなかった長谷川さんが、32歳で、家業の本屋さんになりました。最初に「人にとって読書をする喜びとはなにか?」と考え、彼は本を読み出します。そして出会ったのが、村上春樹著「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」でした。

「書かれた文章や言葉の一つひとつに、書かれなければならなかった必然性があるのだということ。文章とは、ただ言葉を並べているだけでなく、その背景や行間も含めて伝えている表現なのだということ。それらを初めて知り、衝撃を受けたという。なぜ人は本を読むのか 少しだけ分かった瞬間だった。」

石橋毅史著「本屋な日々青春編」(1944円)には、全国各地の本屋さんや、夏葉社のような独立系出版社など、販売不振に喘ぐ本の業界で、店主たちの考える書店の、出版のあるべき姿を模索する人達が沢山登場してきます。そして、第一章「伝える本屋」の最初に登場するのが、長谷川書店です。読書経験の乏しい書店員に、魅力的な書架が出来るのか?という著者の疑問を解消すべく、長谷川さんと話を続けます。

長谷川さんは「本屋は楽しい」、でもそれは「地域の人たちと本屋としてどこまで交われるか、とうことですね。このあたりは、本屋はウチしかないから、しょうもない棚をやったら申し訳ないというのもあるし。」と答えています。その熱意が、様々な試行錯誤を呼び起こし、狭い書店内の方々で、未知との本との出会いを作ってくれます。

著者の石橋は、本屋を選び取った若者達の姿を求めて、全国を旅していきます。安易に持ち上げたりせず、現実を見つめ、批判精神を忘れずに、でも本屋の未来を見つめる人達の姿を見つめています。今後、「風雲編」「激闘編」「番外編」と続刊が出るみたいです。こちらも期待しています。

 

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沖縄、那覇の市場通りにある日本一狭い本屋「ウララ」の店主、宇田智子さんの「市場のことば、本の声」(晶文社/古書1200円)を入荷しました。

宇田さんの「那覇の市場で古本屋」(ボーダーインク/古書850円)は、大きな新刊書店から、畳三畳分のスペースしかない小さな古本屋店主へとなった経緯が中心に描かれ、軽妙な文章で楽しく読みました。

単行本第二作となる「市場のことば、本の声」は、廃刊となったミニプレス「BOOK5」の連載コラムや、その他の小冊子に書かれていた文章を集めたエッセイ集です。沖縄に憧れて、移住し、地元で地元沖縄の本を売り出して9年の間に、沖縄の人々のこと、考えてきた本のことが、一杯詰まっています。

「沖縄時間=ウチナータイム」という言葉をご存知でしょうか。

「沖縄には独特の時間が流れているとよく言われる。確かにこうして市場で人を見ながら時間をはかっていると、多少のずれはどうでもよくなる。営業時間を明記している店のほうが少ないし、腕時計をしている人も見ない。業者との打ち合わせでも、何時に、と約束している人はほとんどいなそうだ。店は待つのが仕事であるから、相手にはいつ来てもらってもかまわない。こちらは開けたら閉めるまでそこにいる、それだけだ。」

そういう風土のもと、このお店には様々な人達が訪れます。日本中を回っている船乗りは、沖縄に寄港する度に、この本屋に立ち寄るお客さんで、船室に一杯ある本を譲りたいと申し出ます。「あした出航して今度は北海道から東北にまわって、次に沖縄に来るのは来年なのですが。」と、時間のかかる話です。でも著者は、「来年は、船旅を終えた本たちに会えるかもしれない」と楽しみに、その日を待つ事にしました。

きちんとお盆をやりたいという奥さんを亡くした男性に、「沖縄の冠婚葬祭祭」の本を売った話、市場通りの店舗にはトイレがなく、遠くの、しかも早く閉ってしまう公共施設まで行く不便さの話など、本を通して触れ合った人たち、市場通りの商店で、商いを営む地元の人達との交流がスケッチ風に描かれています。ですから、古本屋店主が書いた本とはいえ、けっして古書のウンチク本ではありません。素敵な、或は面白い人達に囲まれて、身の丈サイズで生きている一人の女性の幸せな日々報告と言ってもいい本です。

「ものを片づけて手入れをするのは、すぎた時間に向きあうことであり、さらなる時間を迎えるための準備でもある。掃除して洗濯して、時間は一日ずつ刻まれていく。どんなに断捨離しても家事は終わりにできない。勇ましい三文字よりずっと地味な日々が、死ぬまで続く。」

いい文章ですね。

先日、 DVDで「20センチュリー・ウーマン」を観ました。三世代にわたる女性の人生に焦点をあてた良い映画でした。三人の中で、写真家を目指す若い女性アビーを演じたグレタ・カーウィグが、初めて監督した映画「レディ・バード」。各映画祭で、高く評価され、アカデミー賞レースでも監督賞受賞になるかと話題になっていました。

アメリカ西海岸の、ちょっと田舎の都市に住む高校生の娘とその母親の物語です。何の刺激もない町から出て、NYの大学へ行こうとしている娘と、その娘のために、細かいことまで指導する母。お互い、口喧嘩が絶えません。映画は、二人の毎日の些細な事柄を丁寧に描き出して、等身大の二人の女性の日々を追いかけていきます。好きになった男の子が、実はゲイだったとか、父親が職を失い、鬱になっていくとか様々な事は起こります。でも、殊更に大げさに取り上げて、強引に感動を呼び起こすような愚かな演出をカーウィグ監督は選択しませんでした。

誰の日常にもある、瑣末な、または納得しがたい事柄をなんとか乗り越えて、ほんの少しだけ前に進むことが、生きるってことだと励ましてくれるような映画です。自分の住んでいる町を出たいという娘の気持ちも、地元の大学に入って、着実に歩んでほしいと思う母親の気持ちも、よくよく理解できます。越えられない溝を残したまま、娘はついにNYへと旅立ちます。しかし、その一方で、彼女は母の愛情の深さ、人生の悩みに気づき始めます。映画はさり気なく終りますが、そこが素敵です。人が身近な人の深い気持ちを理解するのは、こんなものなのです。

娘を演じたシアーシャ・ローナン、母親役のローリー・メトカーフを見ていると元気になること間違いありません。気持ちが下向きになった時、不安に押しつぶされそうになった時、この映画は、きっとどこかで支えてくれるような気がします。

 

 

絵本作家の村上浩子さんが主宰する「えほん作家養成教室」の展覧会が始まりました。

この教室の展覧会は、昨年に続き2回目になりますが、前回同様、いえそれ以上の力作が揃いました。教室では6ヶ月かかって手づくりの絵本を1冊作ります。その原画と、世界に1冊の絵本を並べてあります。今回は、初参加2名を含む9人の方の絵本が出展されています。

大きなお魚の大きな愛に包まれて、皆楽しそうに暮らす「おーととハウス」(作・たじま しょう)の世界、お子さんたちの様子をヒントに、はぐれた友だちを探す「あえたね あえたよ」(作・いけなが けい)の楽しい話、いずれも初めての絵本ですが、苦労しながらやっと作り上げた達成感に満ちています。

ふんわりした水彩画が、優しいストーリーと溶け合う「なかよしおたすけぐみ」(作・かなたに なな)。美しく歳を重ねた先輩女性の笑顔を描いた「顔施のひと」(作・たに ゆかり)、自作の万華鏡から覗いた世界を描くユニークな「まんげきょうえほん・なにかな(作・かわばた ひでと)。「あ、めいちゃんだ」(作・かとう てるこ)は、2歳のめいちゃんが、大きな物はママ、小さな物はめいちゃんと思っている子どもの目線がかわいく、「だいこんのじんせい」(作・ふじむら まりこ)は、のびやかな絵とペーソスのある語り口が魅力的。超元気なおじいちゃんと孫が、クッキーの争奪戦を繰り広げる「クッキー」(作・かわい みゆき)は、センスのあるスピーディーな展開が楽しい。

どの絵本も、発想がとても面白く、描き方もそれぞれとても個性的で、上手下手というような基準では計れない、宝物のような絵本です。手に取って一人一人の大切な世界に触れてみてください。

こんなに個性的な生徒さんたちそれぞれの良さを引き出して、本に仕上げていく先生のご苦労も多いと思いますが、この中から絵本コンクールに入賞されたり、電子書籍絵本として出版されたりと、作家さんが育っています。えほん教室、目が離せませんね。先生である村上浩子さんの人気キャラクター「メルシーにゃん」の原画、すてきな絵本も一緒に並んでいます。こちらもご覧下さい。(女房)

 

えほん作家養成教室・京都第4期「えほん展」は、6月19日(火)〜7月1日(日)

  12時〜20時(最終日17時まで)月曜定休日