東京の本屋さんTitleの店主、辻山良雄さんのとても素敵な本、それが「小さな声、光る棚」(幻冬舎/新刊1760円)です。本書は幻冬舎のwebsite「幻冬舎plus」に連載された「本屋の時間」からセレクトされたエッセイ集です。

「まともに思えることだけやれば良い。

それは個人経営のよいところであり、その店が長く続いていくための秘訣でもある。

仕事量は増え、肉体的には勤めていたときよりもきつくなったが、それでも続けていられるのは、その小さな自由がわたしには合っていたのだろう。」

これは、名言ですね。私が大型書店に勤めていた頃は、会社の利益のためにまともじゃないこと、例えば置きたくもないヘイト本を販売せざるを得なかった経験もありました。でも、「小さな自由」を獲得した今は、書店員として、人として「まともに思えることだけやる」権利を持つことができました。

本屋として、あぁ、この気持ち一緒だな、と思った文章にも出会いました。店主のお知り合いで、いつも忙しくしている方が、店で買った本を撫ぜながら、本はいいなぁと日頃の忙しさを忘れたように呟きました。併設されているカフェでコーヒーを飲んだ後に出てきたその人の表情には少し正気が戻っていたように店主は感じました。そして、店主はこう思います。

「本屋が自分を取り戻すために役に立つのであれば、その人には気の済むまでゆっくりと過ごしてほしい。」

帰り際に「いい時間を過ごしました」と言われたことが、何度か当店でもありました。それを聞いた瞬間、店をやっていて一番幸せを感じる時なのです。

本書では、コロナで休業を余儀なくされ、その後、幾度かの緊急事態宣言下での営業についても語られています。

「社会はまた走り出そうとしている。そのことにわたしは違和感がある。いまはすこし仕事をスローにしても、もっと深く本のことを知りたい。何をのんきにやってるんだといわれようとも、自分の速さで歩きながら考える。

そうした根っこがないと、それはわたしの仕事であるとはいえない」

「自分の速さで歩きながら考える。」とても大事なことだと思います。

一昨年辻山さんにお会いした折、オリンピック期間中は閉店して、喧騒の東京から逃げるとおっしゃていた辻山さん。結局一年延びて、その計画は実行されませんでしたが、ひょっとして明日からそうされるのかな…….。

当店はせめて、オリンピッ最終日までしつこくミシマ社の本を勧めるフェアを展開して、テレビ観戦より読書!と、いい続けてみます。

辻山さんの本は「ことばの生まれる景色」(ナナロク社/古書1850円)も置いています。こちらも本当にいい本です。

 

本日より、安田登著「三流のすすめ」発売記念「ミシマ社フェア」が始まりました。2018年に、ミシマ社のフェアを初めて開催した時同様、今回もギャラリーの壁一面、平台も全部を使い、スタッフ五人が数時間かかって製作してくれました。ご苦労様でした。

安田登氏は能楽師ですが、能楽以外にも多くのジャンルに足を突っ込みながら、面白い著作を連発しています。今回のテーマは「三流」。ご丁寧にミシマ社三島社長が、自らも三流出版社と名乗りをあげる挨拶文を掲げてくださいました。

「三流」とは何か?は、ぜひこの本を読んでいただきたいのですが、店内に「三流人の特徴」が貼ってあります。項目は以下の通りです。

「・飽きっぽい ・ものにならない ・役に立たない ・評価をされない ・求めない ・短絡的 ・究めない」

私などは、見事に合格です。あ、私もそうかもと思われたら、ぜひ一度遊びに来てください。

「ミシマ社のここが三流」と題して具体的事例が写真と共に説明されています。曰く、「オンライン配信をすぐに事業化しちゃう」し、「いろんなジャンルに手を出しちゃう」し、「場所関係なくどこでも本を売っちゃう」し、「シリーズ物が動かず……」だし、「本作り以外のことにも手を出しちゃう」し、「本じゃないものも作っちゃう」など。でも、だからこそ、近年、とても内容のある素敵な本を世に送ることが可能だったということですね。常に楽しく、自由に本を作っている出版社の雰囲気が展示からも伝わってきます。そんな同社が誇る傑作が、所狭しと並んでいます。

そして、「京都書店MAP」の最新バージョンがお目見えです。全て手作りの京都市内地図に、点在する書店を描きこまれた地図は、もう「作品」と言ってしまいましょう。まだ、見たことのない方は、この機会に是非にも見てきてください!

このMAPには、ミシマ社とおつきあいのある京都の書店が「ミシマ社とは?」という問いに対するコメントを寄せています。

「新しい考え方、生き方を提供する柔軟思考の出版社」これは、私のコメントです。本当に、硬直した頭や心を解きほぐすのに最適の本が揃っています。

メッキのハゲたオリンピックなんか観ないで、この夏はミシマ社の本を読みましょう。本企画は、オリンピック終了の8月8日(日)まで、しつこくやってます。

 

私は積極的に詩を読む方ではありませんが、天野忠だけは読んできました。京都出身で、職を転々としながら詩を書き、1935年に同人誌「リアル」を創刊。戦後は出版社勤務、古書店経営などを経て、大学図書館に勤めながら、詩人として活躍しました。93年、京都の自宅において多臓器不全のため84歳で亡くなりました。

彼の詩集は、なかなか見つけるのが難しいのが現状です。傑作の「私有地」(81年)、「夫婦の肖像」(83年)など、めったにお目にかかりません。(当店でも入荷したのは一度きりです)

そんな中、「夫婦の肖像」と同年に出版された「古い動物」(れんが書房/古書3800円)を入荷しました。この詩人が使う言葉は平易です。「買物」という作品をご紹介します。

「スーパーへ 夫婦で行く。 お一人さま一本限りの 特価売出しの醤油二本 じいさんが持たされる、男だから。帰り道の 煙草自動販売機の前で チャリン、チャリンと硬貨二枚 ばあさんに入れてもらう、駄賃代わりに。 煙草のとなりの 小さな自動販売機にも 洒落た小箱が一つだけ ポツンと大事そうにおさまっている。

ーこれも煙草?ばあさんがきく

ーうん、いや、眠たい声でじいさんが云う。

ー煙草みたいなもんだが………

だんだん壜が重たくなってくる。

一本ずつにして だまって歩く」

情景が目に浮かんできますね。ペーソスとユーモアが程よくブレンドされた作品だと思います。この詩集には、じいさん、ばあさんが主人公として登場するものが沢山あります。

「出てきて 戸を締めながら ふうーっと 溜息をついてるんだ 厠の前で。 つれ添うて 四十年…….

この夏は めっぽう 長いねえ ばあさんや。」

これは「夏」という作品ですが、なんか、じいさん、ばあさんのたわいの無い会話が詩として成立しているんです。詩というと、難しい言葉の羅列で、なんだかイメージが湧かないままに、もういいやと本を閉じてしまうケースが多いのですが、天野作品は、初めて読んだ時からすっと入ってきました。

2018年の当ブログでも、彼の本を紹介しています。そこで、「京都言葉の巧みな扱いで、人生の機微をヒョイと描くところに良さがあるのだと思います。」と書きました。この年、当店で開催した古本市に出品されていた本でしたが、この時には、天野の詩集が2冊も出ていたんです! 今なら、あり得ない。

 

 

Tagged with:
 

「読書する一人の人間には二人分の価値がある」

という文章にグッときて読んだのが、カウテル・アディミ「アルジェリア、シャラ通りの小さな書店」(作品社/古書1950円)です。

幅4メートル奥行き7メートル。(うちの店とほぼ同じくらいです)アルジェリアに実在したこの小さな書店の名前は〈真の富〉といいいます。この書店を開けたのは、若干21歳のエドモンド・シャルロ。彼は書店経営と同時に出版も手がけました。昨今、出版部門を立ち上げている日本の個性的な書店の、先駆けですね。

シャルロはアルベール・カミュを世に送り出し、ここにはサン=テグジュペリやジッドらそうそうたる作家たちも集ってきました。

「1943年3月5日 ジッド、サン=テグジュペリと夕食。今後は二人ともアルジェに落ち着く。サン=テグジュペリは意気消沈しているように見えた。アメリカ軍が彼の飛行を拒否したからだ。」

こんな文章を目にすると、その情景が浮かび上がってきます。

シャルロはアルジェリア生まれのフランス人。小説は彼のメモを辿りつつ、ちっぽけな書店が大きな歴史の渦に翻弄されてゆく姿を描いていきます。

ご存知のように、アルジェリアはフランス領でした。第二次大戦をフランス側で戦いますが、やがて独立運動が起こります。本書でも触れられていますが、運動の過程で起こる大量虐殺があり、現代の戦争の歴史そのもののが凝縮されような国で〈真の富〉書店はこう宣言します。

「地中海的な概念を持つ友情の場所  言語や宗教の区別なく、地中海をめぐるあらゆる国々の作家や読者を呼び寄せる、ここの、この大地の、この海の人々を呼び寄せる場所。そして何よりも、偏狭なアルジェリア主義者に反対する。それを超越して進むこと!」

面白いのは、小説の構成です。シャルロのメモを中心にして、書店に長く住み込み守ってきたアラブの老人アブダラーの物語に、この書店の解体に来た現代青年リヤドの物語が絡んできます。最初はまごつきましたが、激烈な歴史を生き抜いてきた過去と現代がクロスしていきます。

アルジェリアだけではなく、我が国でも書店が激減しています。この本を読んでいると、書店とはいかなる存在なのか?と思いを巡らしてしまいました。人と本が出会い、その出会いが広がってゆく場所。そんな場所が少なくならないような世界であってほしいものです。

本作の著者カウテル・アディミは、アルジェリア出身の女性作家で、本作が長編3作目です。「アルジェリア生まれのフランスで一般にあまり知られていない出版社の事業を掘り起こし、仮構の手帳を創造して彼の半生を生き生きと描き上げた」ことが高い評価になったと、訳者があとがきで書いています。同感です。

様々なジャンルで活躍する安田登は、下掛宝生流能楽師です。「見えないものを探す旅」(亜紀書房/新刊書/1650円)は、古典文学、能楽などを、今を生きる私たちの目の前に表出させて、生きることを考えるヒントを提示してくれます。

「姥捨」という能は、主役(能楽ではシテと呼ばれる)は姥捨山に捨てられた老女です。孤独を受け入れ、夜空に光る月を友として暮らしています。そんな老婆のところに立ち寄った旅人の前で、「胡蝶の舞を戯れ舞い、ついに月と一体化して山気の中に昇華する」のです。

「かつて日本人は、孤独の中で一体化するすべを知っていた。それは、姥捨山に捨てられた老女という、絶対の孤独者であってすらだ。そして、それは芸能として長きに亘って人々に、老いとは何か、孤独とは何かという問いかけを投げかけていた。それは孤独の芸能、能だからできたことではなかっただろうか。

現代人である私たちは、そこから何を学び、未来に向けて何を提示することができるだろうか。」

 

本書は、「旅」「夢と鬼神 夏目漱石と三島由紀夫」「神々と非在 古事記と松尾芭蕉」「能の中の中国」そして「日常の向こう側」に分かれています。タイトルだけ見れば、文学評論、古典芸能評論っぽい感じを持たれるかもしれませんが、能の演目なんて知らなくても、著者がその世界へと連れて行ってくれます。

ところで、著者は能でいうワキ(シテに対して)役者です。能の舞台では、ワキだけが亡霊に出会えるのです。その理由を「ワキは、『分く』を語源とする『境界にいる人物』だからだ。この世とあの世、生者と死者との境界にいる。」と解説しています。

「ワキには、本来出会うことができないあの世とこの世とを『ここ』で出会わせてしまう力もある。だからこそ、能の観客も、ワキの目を通じてあの世を見ることができるのだ。」

不思議な芸能ですね。

この世とあの世の境界にいる「ワキ」は、安田がよく使う「あはい」という言葉とも重なっています。「あはい」は、例えばお盆という時のようにあの世とこの世の接点で、それは、「間」とは違い、少し重なった「糊代」のようなもの。建築でいえば縁側みたいに外と内を緩やかに繋ぐような。生活の中でいえば、「門掃き」のように、自分の家の前だけでなく隣家の前も少しだけ掃除するような。または「掛詞」のように意味を重ねて使うような。

日本にはそういう「あはい」の文化がもともとあることを、能楽や古典から引っ張ってきて、その面白さを平易に伝えてくれます。

 

 

 

 

政治家の名前は、オードリー・タン。35歳という史上最年少の若さで台湾のデジタル担当大臣に就任した天才です。でも、それ以上に、2020年台湾の新型コロナ対策で、自国の薬局などで販売されているマスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリを導入し、瞬く間に全国民にマスクを配布したことで有名です。

そのオードリーがインタビューの形で、若い世代に向けて、これからの社会に通用する考え方を書いたのが「自由への手紙」(講談社/新刊1540円)です。本書は「格差から自由になる」「不安から自由になる」「ジェンダーから自由になる」「デフォルトから自由になる」「仕事から自由になる」という4章からなっています。各章ごとに、具体的な対応、考え方が述べられています。一読して、この人の頭の柔らかさには脱帽します。そして、キャパシティーの広さに驚かされます。

こんな文章があります。「私には、思春期が2回ありました。」どういうことか?

「2度目の思春期は、24歳のとき。ホルモン剤を服用し、女性として思春期入りすることを自分で決めた時で、それは2年ほど続きました。

こうして2回目の思春期を経験したのち、『男か女か』という二者択一的な考え方が、私の中から消えました。」

この人物がコロナ対策を仕切るのです。台湾における感染予防対策の成功要因を問われた時に、オードリーはこう答えています。

「速やかに、オープンに、公平に楽しくやることが大切です。」

「楽しく」??つまりこういうことです。全国民にマスクを配布した時、白色のマスクが不足して、ピンク色のマスクを配りました。それを付けて登校すれば、ピンクのマスクでは学校でいじめられると男の子の親から連絡がありました。その時に、オードリーが取った政策は、というと、担当各部署の官僚や政治家がTVに出るときは、全員ピンクのマスク着用に切り替えたのです。大臣以下全員ピンクのマスクで登場したので、全くいじめられることなく、クラスで一番クールな少年へとなったのです。

これ、日本でできます? そんな事を提案する官僚もいなければ、OKと即断する大臣もいないでしょう。過去から続いてきた、あるいはお上が決めた「正しさ」なんかに合わす必要など全くない、というオードリーの哲学が、随所に出てきます。オードリーの速射砲的な実行力もさることながら、その施策を実現させる台湾政界の柔軟さを羨ましく思いました。

思春期を二回体験した人物を政策のトップに据えるなんて、頭の枯れたジイさんが集まっている国では想像さえできませんね。

ホホホ座店主山下賢二さんの「喫茶店で松本隆さんから聞いたこと」(新刊/1540円)が、夏葉社から発売されました。

京都市内にあるお店、「ヤマトヤ」「イノダコーヒー本店旧館」「かもがわカフェ」「カフェ火裏蓮花」で、山下さんが松本隆さんにインタビューしたものをまとめた一冊です。これは音楽家としての松本隆を振り返る本ではありません。もちろん、音楽の話も登場しますが、本題ではありません。人生論?、このお二人で?? でも、ちょっとそんなニュアンスもあり、覚えておきたい言葉がたくさん出てきます。

「人と人ってすごく有機的だから、空気でも伝わるんだと思う。オーラも伝わるんだと思う。だから、できるだけ天才に会った方がいい。ものをつくる人はね、若いうちに。」

それぞれのカフェで、テーマを決めて話が始まります。例えばかもがわカフェでは、「賢さについて」。松本さんはこう言います。

「考える力というのは、その人が自分で鍛えないといけない。だから、若いときはとにかくたくさん暗記するのがいいと思う。ひとつでも多く単語を頭に入れておく。作詞力で言うと、それが語彙になる。」

どの章も難しい言葉はなく、簡潔にまとめられているので、スッと頭に入ってきます。インタビューは、もっと長い時間だったのでしょうが、ここまでシンプルにまとめた山下さんの手腕に拍手です。ポケットに入れて、ひょいと出して読む。何度も。それがこの本の読み方かもしれません。

なるほど、と思ったのは松本さんが作詞するときに気をつけていること。

「僕が使わない言葉は、言わなくてもいい人称代名詞。つまり『僕』とか『君』とか『あなた』。理由は字数の無駄だから。重要なところに『あなたに』なんて書いてしまうと、それだけで四文字も使っちゃう。それを言わなくてもわかるように書けばいいわけだから、必要最小限度にとどめる。そうすれば、ほかでいろんなことが言える。」

最後まで読んで思ったのは、この二人、よほど気が合ったんだなぁ〜。気取ったところも全く無いし。

「思えば、松本隆という人はずっと異色だったのかもしれない。誰も囲わない。どこにも属さない。まさにボヘミアンのように業界も居住地も自分の気分のよい方向へと進んでいく人。その突然変異的な足どりが、僕みたいな人間とも親しくさせてしまったのだろう。僕は、七二歳の青年と出会ってしまったのかもしれない。」

という山下さんの言葉でも、二人の出会いが幸せなものだったということがわかります。

この写真は、ジャズアルバム”WE INSIST!”のジャケです。カフェのカウンターに座ってこちらを振り返る黒人三人。ちょっと迷惑そうな顔の白人のウェイターを後方に配しています。レコーディングされたのは1960年8月末。同年の2月に、北カロライナ州グリーンズボロで起こった黒人学生の座り込み運動など、黒人差別への抵抗運動の盛り上がりを受けて、アルバムのリーダー、マックス・ローチ(ドラムス)は公民権運動に関わっていた詩人/歌手のオスカー・ブラウンJrの詩を取り上げて、白人による人種差別に抵抗したこのレコードを録音しました。

推測ですが、ジャケットに写っているカフェは、白人専用の店舗で、そこに黒人がどかっと座ったものだから、ウェイターが至極迷惑そうな顔をしているのではないか。中身も過激で、寝る前に聴くジャズには適しませんが、私の大好きな一枚です。今、店にあるのはアナログ盤(1000円)で、ライナーノートは植草甚一が書いています。

黒人音楽家たちが受けた差別や偏見については、5月にブログで紹介した「歌と映像で読み解くブラック・ライブズ・マター」(1400円)をお読みください。また、本書でも大きく取り上げられているビリー・ホリディについては、油井正一&大橋巨泉訳による「奇妙な果実」(晶文社/古書1300円)もあります。今月末から、ビリー・ホリディのドキュメンタリー映画「ビリー」も上映されるようです。

もう一冊、ブラックミュージックの本を取り上げます。ピーター・バラカン著「新版 魂(ソウル)のゆくえ」(ARTES/新刊1980円)。ここでは、ソウルミュージックの今日までの歩みを、448曲のプレイリストを加えて紹介しています。

 

「これは専門家のための本でもなく、ソウルの教科書でもありません。ソウルミュージックとともに何かがなくなった、と僕自身はこの頃ずっと感じていて、その何かは一体どんなものか、その正体をちょっと考えてみたい、そう思ってこの本を書きました。」

最初に出たのは30年前。それが新版として蘇りました。バラカンの本は、どれもおススメです。

 

本2冊とビデオテープ2本セットの豪華な「資生堂宣伝史」(8000円)は、おそらく企業内で出され、関係各位に配布したと思われる企業内出版物ですが、さすが資生堂と言いたくなる程の美しい出来栄えです。発行は1992年。編集は資生堂宣伝部。

本の一冊目は「資生堂宣伝史 総合編1979〜1991」巻頭に、当時の福原義春社長のこんな言葉が載っています。

「時代ごとに永遠の美しさを追求したことは、決して商業活動を超える目的を持つものではなかったが、そのうちのあるものは歳月の荒波を経て、芸術作品とも比較される評価を得るようになり、時代の変節が繰り返される中で、文化の一部を担ってきたのではないかと考えてみたいのです。」

本書では、1979年から1991年までの12年間の間に資生堂が送り出してきた宣伝ポスターや商品を一堂に集めることで、その時代その時代の美意識、ライフフスタイル、この会社が作り出そうとしてきた新しい美を知ることができます。

1980年、同社はフランスに進出します。その時にイメージクリエーターとして起用されたのがセルジュ・ルタンスです。彼の広範囲にわたるクリエイティブ活動によって、ヨーロッパにおける同社のイメージが飛躍的に向上しました。セルジュ・ルタンスが担当したポスター、その他の宣伝素材を集めたのが「セルジュ・ルタンス編」という本になっています。

文字の配列、モデルの仕草、全体の色合い等、細部まで徹底的に考えられた作品群は、社長が言うように「芸術作品とも比較される評価を得るように」なったのですね。

資生堂の宣伝といえば、起用される女優に注目されがちですが、こんな男性も出ていたのですね。映画監督の森田芳光、ジャズピアニストの山下洋輔、作詞家の阿久悠、そして安西水丸も。新聞広告に登場するのですが、ピアノの前にジャージ姿で座っている山下の横に「僕はオジサンだ」のコピーが入っています。いいなぁ、この山下!

付属の2本のビデオは、「1960〜1976TV・CM編」、「セルジュ・ルタンス作品/TV・CM編1977〜1991年」です。

竹倉史人「土偶を読む」(晶文社/古書1550円)は、とにかく、とことん面白い本です。

みなさんご存知の、宇宙人みたいな縄文時代の遮光器土偶。これを著者は、本書の最後でこう結論づけます。

「遮光器土偶は サトイモの精霊像であり、その紡錘形に膨らんだ四肢はサトイモをかたどっていた」

サトイモ? 驚きの結論ですが、もちろん当てずっぽうで書いているわけはありません。縄文時代に数多く作られた土偶。その正体をめぐっては「妊娠女性説」「地母神説」など多くの説が出ていますが、確証はありません。著者は、土偶の形態を具体的に分析するイコノロジー研究の手法に、植物学、環境文化史などのデータを加味して、新しい土偶論を展開していきます。

340ページ余りの大作ですが、研究書風の難しさは全くなく、推理小説を読むようなスリリングな展開に時間を忘れました。

そしてこの本の良いのは、始まって4ページで、ズバリ著者の考えをこう言うところです。

「土偶は縄文人の姿を象っているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。植物の姿をかたどっているのである。」

これを、様々な形態の土偶を観察しながら、実証してゆくのです。あいつが犯人だ。その証拠はこれとこれ、みたいな方法です。ちなみに著者は、遮光器土偶のレプリカを購入し、「数日間は、私は嬉しくてベッドで一緒に眠ったほどです。」(25Pにその土偶の写真あり)

著者はなぜ、土偶と植物を結びつけたのか? 「植物栽培」にまつわる神話と儀礼に注目します。「ヨーロッパであればムギ、アジアであればイネ、南米であればトウモロコシやイモが主食として栽培されてきたが、こうした植物を植え、育成し、収穫して食用に供する人々は、それぞれの農事暦に沿って当該の植物霊を祭祀する儀礼を古代より行ってきたのである。」

縄文時代、広範囲な食用植物の資源利用が存在していたにも関わらず、植物利用に伴う儀礼が行われていた痕跡が縄文遺跡から全く発見されていません。ここから、著者のコペルニクス的展開がスタートします。いや、痕跡がないのではない。私たちが気づいていないだけなのだ。

「縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない」

と言う著者のシナリオに沿って、本書はスリリングに進んでいきます。各種土偶の写真や、実証データなどの配置も巧みに、読者を飽きさせない工夫が随所にあります。現代人が縄文人の気持ちを、超音速並みのスピードで知ることができる画期的な本でした。

「これまで男性たちによって独占的に形成されきた『職業としての学問』では土偶の謎は解けなかった」と、現在の学界を皮肉る最終章の「土偶の解読を終えて」も面白いですよ。