ご近所のギャラリー&BOOKSのお店「nowaki」さんに、DMを持って行った時のこと。ちょうど「nowaki」さんで開催されていた個展を観た瞬間、うわぁ〜、お腹の減る作品ばかり!と驚いたことがありました。

美味しそうなうどんが描かれた作品がズラリ並んでいたのです。絵を描かれたのはマメイケダさんで、このうどんの考案者が一井伸行さん。その時、ギャラリーにおられたので、ご挨拶させていただきました。

昨日、大阪のミニプレス出版社BOOKLOREから「ノブうどん帖」(1728円)という本が送られてきました。著者は一井伸行さん、絵はもちろんマメイケダさんです。

一井伸行さんは、「私はごく普通のサラリーマン家庭に生まれましたが、ある日突然うどんを打ち、出汁をとることになりました。今ではいろんなところで、うどん出汁のワークショップを開催しています。」と言う方で、プロの料理人ではありません。

著者自身もユニークですが、そのお父さんがまた格別に面白い。40年程前、お父さんは唐突に会社を辞め手打ちうどん屋を始めました。最初は閑古鳥が鳴いていたのですが、当時珍しかった手打ちうどんの美味しさが評判になり、大繁盛して支店を出すまでになりました。軌道に乗ったと思った途端、今度はアメリカ村でパスタやる!と言い出して、パスタ屋にさっさと転身してしまいます。ここで終わるかと思いきや、これからは農業や!と、10年以上続いたパスタ屋を閉じて、さっと長野県白馬村に移住してしまいました。著者も「すごい親父」と語っています。

そんな父の店で作ったうどんの出汁の味が忘れられず、多くの人に知ってもらいたくて、ワークショップを続けておられるのだそうです。この本には、著者のエッセンスが凝縮されています。すぐに役立つものばかりです。第一章はお父さんの話を中心にしたエッセイで、第二章はお出汁のレシピ。そして第三章が、友人たちのイメージに合わせて考えたうどんです。

「私が思い描くその人の印象を紙に書き出して、それを味や香りや食べ心地に置き換えて組み立てる。思いつきは良くても、食べておいしいと言うところに辿り着くまでには、なかなか仕上がりません。何度も試作を重ね、おいしく出来上がったらその人を訪ねて、一緒に食べる」という遊びを続けてきました。そんなうどんのレシピが溜まってきたので、マメイケダさんが絵にしました。名付けて「うどんスケッチ集」です。全て一井さんの友人知人のイメージに合わせたうどんが、たくさん描かれています。nowakiの店主、菊池美奈さんも登場。「ごまつゆ肉みそ」が、彼女のイメージとか。実に美味そうな面白い一冊です。

 映画「女王陛下のお気に入り」を見ました。時は18世紀初頭、アン女王(オリヴィア・コールマン)が統治するイングランドが舞台です。当時英国はフランスと戦争中。宮中には女王の幼な馴染で、英国軍を率いるモールバラ公爵の妻サラ(レイチェル・ワイズ)が女王を操っていました。そこへ、上流階級から没落したサラの従妹アビゲル(エマ・ストーン)がやって来て、召使いでも何でもいいから雇ってくれと頼みます。ところがこのアビゲルがなかなかの曲者でした。巧みに女王に近づき、侍女の地位を獲得すると、ついにサラを追い出そうと画策します。

こういう英国歴史物語って、一見きらびやかな王朝絵巻か、はたまた悲恋ものかと思いがちですが、映画開始10分ぐらいでそれは見事に裏切られ、え?これいつの時代?と錯覚するほど現代的です。クソ、バカ、ブス、ブタ、等々下品な言葉が、機関銃連射の如く飛び交います。痛風に苦しむアン女王に取り入り権力を手に入れようとする二人の女と、二人を手なづけようとする女王のパワーゲームへと突き進んでいきます。濃いわぁ〜、この映画……。

史実にはない物語を、それが真実であるかのように、徹底的にウソのない作品に仕上げたスタッフの力量に敬服します。実際にイギリスにある城をロケの舞台にして、装飾、美術、衣装の細部にまで徹底的に拘っていて、第一級の美術品を見ているようです。さらに、魚眼レンズを駆使して、城の中をカメラが自由に行き交い、アクション映画さながらに緊張感を演出し、また、権力争いに明け暮れる二人の女優を、真下から見上げるようなローアングルで撮影することで、この二人の強欲さを表現しています。さらにアビゲルに至っては、男性の扱い方の暴力的なこと。森で急所を蹴り上げらられた若い男の痛そうなこと,,,,,,,,。

もう、ここまでくれば笑って見るしかありません。英国王室の見てはいけないものを見てしまったなぁ〜と言う気分です。アカデミー主演女優賞は、グレン・クローズ!とブログに書いてしまいましたが、この映画で女王を演じたオリヴィア・コールマンは、狡猾さ、哀れさ、幼さ、孤独感など様々な感情を巧みに表現して、賞を取っても仕方ないと思えました。レイチェル・ワイズ、エマ・ストーン共々脱帽です。

 

イスラム研究者の内藤正典とイスラム法学者の中田考が、イスラムについて語った「イスラムが効く!」(ミシマ社1728円)を、時に笑ったり、時に成る程と頷いたりしつつ読みました。これ、大上段構えて、イスラムとその世界を論じたものではありません。こういう考え方もありか、と思って読んでいると不思議に心落ち着きます。

著者の内藤正典が、同社から出版した「となりのイスラム」(ミシマ社1728円)も以前ご紹介しましたが、さらに分かりやすくイスラム教と、その信者の人たちの生活を語りながら、窮屈で八方塞がりの日本社会でなんとか生きている私たちに、発想を変えてみませんかと教えてくれます。

「マー・シャー・アッラー」

これは、「アッラーが望みたもうたこと」という意味だそうです。

「悪いことがあっても、『それはきっと次に起こる良いことのためになるのだ』という考えなんです。

悪いことがあると、私たちは、こうしなかったからだ、ああしなかったからだと反省しがちです。しかし、イスラム教では、神様が次に良い事を望み、それを自分で発見することがげきる前触れなのだ、だから良いことなんだという、ノーテンキながら、そう信じていればラクになってくる考え方です。」

ところで、ムスリムはうつ病気になりにくいらしいです。え?そうなん?と思いますが、物事の結果責任が自分に返ってこないように出来上がっていることを考えると、納得できます。あ、それ、神様が決めたんで私の責任じゃありませんよ、と考えるのが当たり前ならそうかもしれません。日本社会はストレスを軽減するための知恵を生み出すことが下手だ、という指摘に著者の内藤はこう続けています。

「ものごとの結果責任が怒涛のように本人に押し寄せてくるんじゃ、生きているのもつらい。イスラームがもっているストレス軽減の知恵、言い換えれば『癒しの知恵』に学ぶべきところがたくさんあると思っています。」

イスラームの教えの基本は「人の言うことを気にしなくてもいい」です。神様がそれで良しなら、もうそれで完結です。神様に従っているから、あかの他人がどう言おうと関係ねぇ、もうこれだけです。そしてイスラム教には聖職者は存在しません。

「神様になり代わって、『あなたの罪は赦された』みたいなことを言う人がいない。カトリックでは司教さんの前で「懺悔』をすると言いますよね。ところがそれがない」

信者と神様だけのストレートな関係しか存在しないので、他人がなんと言おうとどうでもいいようになっているのです。このへんの考え方を読むだけでも、なんか心が楽になってきそうです。この本は、イスラムってこんなに楽チンですよ、と伝えてくれます。だからと言って、イスラムに改宗するとか、入信するとかそんなことを進めるトンマな本でもありません。

世界に3人に1人がイスラム教徒になるご時世、隣のイスラム系の人たちにラクに生きてゆく方法を聞く日って、そんなに遠くではないと思います。

さて、レティシア書房は開店から丸7年を迎えました。7年前の今日、前日からの雨が上がりとっても暖かな良いお天気でしたが、お客様は来て下さるのだろうかと不安を胸にシャッターを開けたことを覚えています。これまで支えて下さった皆様に改めてお礼を申し上げます。毎日のブログもこれからも頑張りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

MATSUDA KAYOさんの「WANDER VOGEL」(ワンダーウォーゲル)展が本日より始まりました。

「VOGEL」は、さまよっていく鳥という意味があるそうです。DMに『そよかぜがふいて 空には大きな太陽 鳥たちは旅立ちを夢見る』と書いてあるように、渡り鳥が色々な場所へ飛んで行ってみた景色や、感じた風のような美しいアクリル画、版画などが並びました。

やさしい洒落た色合いのMATSUDAさんの絵は、小さく奏でる音楽のような優しさを運んでくれます。きっとどんなお部屋の壁にも、静かに落ちついてくれそうな作品です。可愛いいのだけれど、そう言ってしまうとちょっと違うような不思議な成熟度があります。風にヒラヒラ舞う葉っぱや、そよ吹く風ゆらめく植物にもそれぞれ話せば長い秘かな物語があるのかもしれません。

 

今回は本屋での個展ということで、こんな絵も柱にかかっています(写真左)。本を読んで巡る旅と鳥たちの旅。春になればちょっと遠出をしたくなってきました。

MATSUDA KAYOさんは京都精華大学芸術学部卒業後、グラフィックデザイナーを経てイラストレーターとして活動されています 。土の吐息のような色合い、ほんわか春先の暖かな温度を感じる MATSUDAさんの世界に少し浸りにお越し下さいませ。(女房)

 

★  KAYO MATSUDA「WANDER VOGEL」展は、3月5日(火)〜17日(日)

12時〜20時(最終日は18時まで)月曜日定休

 

今年、と言ってもまだ二ヶ月ほど過ぎただけですが、想像力全開させてくれて世界の果てまで連れて行ってくれた本に出会いました。中野美代子「あたまの漂流」(岩波書店/古書1800円)です。

「このあたまが年がら年じゅう漂流していて、よるべない木の葉ぶねのようなものだが、それだけに漂流譚や漂着譚が好きである。本書もそのあたりから。最も、そのあとどこへ漂流するものか、さあ、それはわからない。」

と最初に書かれているように、この本は、孤島に置き去りにされた者、世界の果て或は前人未到の山の彼方へと分け入った者たち、そして国境を越えて新しい文化に出会い、己を変革していった者たちで溢れかえっています。全22章、とんでもない輩や学究の虫たちのオンパレードです。著者は「西遊記」の研究をライフワークにしている北海道大学の元教授です。

イギリスが世界の海洋を支配していた頃、刑罰として島に置き去りにする罰が存在しました。置き去りにされた人たちの運命は過酷なのですが、「極度に受動的に悲劇につき落とされたかれらのサヴァイバル・ゲームは、孤島なるがゆえに観客ゼロであるにもかかわらず、孤島という閉じられた空間がそのまま舞台と構造的に似ていることがあって、陸上の『観客』から見てみごとな『物語』となるのである」

ただし、日本の島流しと違うのは、わが国の辺境に位置する島々は「お上」の支配地であり、人の匂いのする場所なのに、イギリス等のヨーロッパ諸国のそれは、人の手の及ばない絶海の果てであるというのです。成る程と深く頷きました。

島の話だけに終始しているわけではありません。万里の頂上を巡り、タージ・マハルを見つめ、「西遊記」でお馴染みの玄奘法師のインドへの旅を追体験し、果てはチベットにあると言われる楽園シャングリ・ラにまで目を向ける。因みに「シャングリ・ラ」というチベット語には、「理想郷」なんて意味は全くなく、「shanとは『肉屋』、griとは『ナイフ』、そしてlaとは『山道』または『峠』のことであるから、さしずめ『肉切包丁峠』とでも訳せば良いか。」と著者は指摘しています。それが、どうして白人にとって御都合主義的理想郷になっていったのか、興味深い論考が続きます。

考古学、地理学、歴史学等のアカデミックな内容を色濃く含みながら、読者を飽きさせない文筆力と想像力に押されて一気に読みました。しかしこの本、出版された時の値段が3400円+税。高い!60歳を超えた私なんぞ、映画3本見れるお値段です。値段以上に充実した内容とはいえ、版元さんももうちょっと考慮すべきでした。是非古本でお読みいただき、南海の孤島にお出かけください。PCや携帯で地図を見ながらお読みになることをお勧めします。

 

高山羽根子の新作「居た場所」(河出書房新社/古書900円)を読みました。この作家のものでは、パチンコ店の屋上で拾った奇妙な犬のような動物を飼育する三姉妹の人生をシュールに、時折ユーモラスに描いた「うどんキツネつきの」を読んだ記憶があります。「居た場所」は、第160回の芥川賞候補作品ということなので、ヘェ〜SF小説から純文学に進出してきたんだとページを開けました。

物語自体はあまり面白くありません。が、ここに登場する迷路のような街角に連れ出され、白昼夢のような世界を見せてくれる描写が面白い!

酒蔵を営む主人公の「私」と、妻となった「小翠(シャオツイ)」は、彼女のうまれ育った街(恐らく中国)、そして初めて一人暮らしをした街(恐らく香港あたり)を訪ねます。旅の準備をしている時、なぜか小翠の暮らしていた地域はPC上の地図に表示されません。その表示されない街を、二人は彷徨い歩きていきます。そして、彼女がかつて寝起きしていた廃墟で起こる不思議な出来事。この廃墟の描き方と出来事は、さすがSF小説から出てきた作家だと思います。

小翠は真っさらな地図に、歩いた場所見た場所を書き込んでいきます。執拗に自分がいた場所に拘る小翠。戸惑いながらも付いてゆく私。この街の描写がいいのです。シャープな映像表現ができる監督に、映像化してほしい。

ところで、私たちがかつていた場所にふと立ち戻ったとき、最初に感じるのは”懐かしさ “です。ここに小学校があった、よく遊んだ友達がいた、駄菓子屋があった等々。もし跡形も無くなっていたら、頭の中で私たちは居た場所を再生しようとします。長い時間の経過でズレてしまった、誰にもある居た場所。小翠は、その再生を空白の地図に書き込むことで確かめようとしているのかもしれません。或いは、そうでないかもしれません。最後まで消化することなく小説は終わるのですが、この不思議な街に戻りたくなってくるのは何故でしょう。

「さっきまで私の目の前にあった小翠の肩は、だんだん遠くになってゆく。私はその小さくて簡単な景色に混ざってしまいそうな肩先を、はらはらした気持ちで追いかける。人混みの体温が近くてべたべたした空気の中で、たくさんの派手な色の肩たちに埋まって見えなくなりかけている彼女を、眼で追いかけた。」

この街で、小翠を追いかけたい気持ちになる力を持った小説です。

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、北海道苫小牧で古本と雑貨を扱う「じゃんまめ書房」とブックカフェ「豆太」の店主黒谷真澄さんが宝物にしている言葉です。

彼女は大学時代に福祉を専攻して、人形劇などを通じて子供達に物語を伝えてきました。そして、語りを中心に絵で補足する”絵話"という手法を思いつきます。試しに、知り合いの小学4年生の男に子に語った時に言われたのが、冒頭の言葉でした。「小手先で何かしようとしたりウケを狙ったり、子どもだましじゃダメ」ということを痛感させられたと言います。真剣に物語を伝えてゆくことを通して「人間にとって一番大切なものが、ここ(物語)にあると思う。そして、(この店が)物語を共有できる場所であれたらいいな」と語っています。

退職したら二人で本の仕事をしようと夢を語り合っていた夫が、2014年突然の病でこの世を去ります。その三年後、彼女は書店をオープンします。ドアを開けると、古い机に椅子、本棚が迎えてくれます。幅広いジャンルの本を眺めながらコーヒーを飲めるという、本好きにはたまらない空間です。

北国のこの素敵な書店を紹介しているのは、雑誌「スロウ」の最新号(905円)です。掲載されたお店の写真を見ていると、何時間も居たくなる空間です。

 

「本の中に物語があると同様に、一人ひとりの中にも物語がある」

来店するお客様と話をしていると、その人の物語に一瞬触れるときがあり、それを実感すると話されています。小さな店が存続するには、いろんな物語が集まって、心地よい雰囲気がなければならないのです。「魂が入っていない」と、いい物語も紡ぐことはできないのかもしれません。 「本が、ここの雰囲気を作ってくれている」という彼女の言葉は、よくわかります。うちの店も私が作っているのでなく、本たちが作っているのです。苫小牧まで飛んでいきたい気分になりました。

今回の「スロウ」には、以前ギャラリーで展示をした「茶路めん羊牧場」も取り上げられています。ここの牧場産のフレッシュなラム肉が紹介されています。

 

 

一般の書籍流通ルートに乗らなくても、良書を出している出版社の本を、オープン時から置いて来ました。ミシマ社、夏葉社、土曜社、ビレッジプレス等々、いつもいい本を届けてくれます。

一方、小さいながら志のある本を作っている、出版社ともおつきあいの窓口を広げてきました。先日、左京区図書館で装丁家の矢萩多聞さんと、本についてのトークショーに参加させていただいた時、我が国の出版社の大半が数人で経営している実態をお話ししました。

ナナクロ社は、九州にある宅老所「よりあい」の悲喜こもごもの日々を描いた鹿子裕文著『へろへろ』(1620円)以来のお付き合いです。その後、谷川俊太郎『幸せについて』(1080円)『バウムクーヘン』(1404円)、熊本県にある「橙書店」店主田尻久子著『猫はしっぽでしゃべる』、東京の新刊書店「Title」辻山良雄著『ことばの生まれる景色』(2484円)、そしてコミック「ニューヨークで考え中」でブレイクした近藤聡乃著『不思議というには地味な話』(1404円)など、本好きには120%満足できる傑作です。書籍に携わる人たちの魂をすくい上げた作品ばかりで、もちろん私の本棚にも並んでいます。

屋久島に住み思索を続けた、山尾三省の著作を出している野草社とも取引を始めました。『火を焚きなさい』(1944円)を初めてとして、『新版狭い道 家族と仕事を愛すること』(2376円)、『新版 野の道』(2160円)も山尾の傑作でしょう。今回入荷したものでは、野上ふさ子著『アイヌ語の贈り物』(1944円)がオススメです。

当店で、トークショーをしてもらった澤口たまみさんの『宮沢賢治愛のうた』(1944円)を出している夕書房も、まだ数冊しか出していませんが、いい本ばかりです。がんばって欲しいと思います。

先程紹介した、橙書店の田尻久子さんの新作『みぎわに立って』(3月20日発売2052円)は、女性一人でやっている里山社という出版社が出します。これからどんどん仕入れていきます。

私は書店をチェックする時、このような志のある出版社をどういう風に扱っているかを見ます。全く置いていない大型書店もあれば、チェーン店でもきちんと平台に並べているところもあります。ロクでもないヘイト記事満載の書籍をどかーんと並べている書店が多い中、いい本を何とか読者に届けようとしている店を見ると、ホッとします。因みに新刊書店に勤務していた頃、この手合いの雑誌を一冊だけ出して、あとは全て返本してワーストの売り上げを記録しました。当時の商品部の皆さん御免なさい……。

 

⭐️「ことばの生まれる景色」で挿画を担当したnakabanさんの原画展を、ナナロク社主催で7月3日(水)〜14日(日)に当書房で開きます。同時にご近所の書店でも、nakabanさんの作品展の企画も進行中です。乞うご期待を!

 

生物学者の福岡伸一著「ナチュラリスト」(新潮社/古書950円)は、彼が生命の本質を知るための長い学問的旅路で知った、ナチュラリストたちの「ひたむきさと好奇心を知ってもらいたい」という思いを本にしたものです。

「ナチュラリストであることは喜びです。世界の美しさと精妙さに気づくことは、心を豊かにしてくれます。そして何かを学ぶことは自分を自由にしてくれます」

先ず彼が紹介するのはドリトル先生です。動物と自由に話せるドリトル先生の持っている「好ましさの本質」を福岡ハカセはこう分析しています。

「ドリトル先生は、すべてのことに公平な人でした。最初の最初からフェアであり、フェアでありつづけた人でした。この『公平』こそが博物学の基本かもしれません。つまり、他の生物を人間の視点から有用、無用というふうにわけへだてしません。生きとし生けるもの公平に扱うのです。」

初めて自然の美しさ、巧妙さ、大きさに触れた時の、はっとする喜びは謙虚です。しかし、成長すると共に、自分の思考を整理し、制度化していき、最初のピュアな気持ちは抑えられていきます。ドリトル先生は、大人になってもそんな気持ちを忘れずに、全てをフェアに見つめる人物なのです。

「生物学者は、新種を見つけ出すことを、『新種を発見する』とは言わない。新種を『書く』と言う。新種を見つけることは、新種を書くこと。見つけ、名づけ、みつめること。」であり、名づけるという行為を通して、言葉が世界と結びつけられ、世界はひとつひとつ記述されていきます。ところが、ドリトル先生は違うのです。名付けて、見つめるのではなく、その相手の語る言葉に耳を澄まして、彼らの言葉を吸い上げてきたのです、それがドリトル先生の物語なのです。

ドリトル先生の物語をきっかけにして、ナチュラリストとは何かというテーマへと向かい、福岡ハカセが、あ、この人ナチュラリストだ!と思った方がどんどん登場してきます。その語り口は、穏やかで、相手へのリスペクトに満ちたものです。もちろん専門的な話も出てきますが、素直に理解できます。そして、最後で福岡ハカセは驚くべき発言をします。

「そろそろ私は分子生物学者をやめるときかもしれない。そして、私がほんとうに好きだったはずの生物学者にもどるときがきたのかもしれないと感じた。いまからでも本来のナチュラリストに戻ることができるだろうか。」

なんと研究室をたたみ、学生を送り出し、全く違う学部へと移っていきました。この本、実は福岡ハカセの人生の一大転換点を捉えた読み物なのでした。面白い!

 

 

 

 

 

 

 

これは、今の時代ならではの青春映画です。

主人公は父親を亡くした少年ユリシーズ。少年なんだけれども、心は女性。いわゆるトランス・ジェンダーです。ユリシーズは学校では、オカマ野郎といじめられ、小さな弟には、母のハイヒールを履いているところを見られてしまい、兄弟の関係もギクシャクしています。父を亡くした母子を心配して、母親が働いている間自宅に来て世話をしてくれている伯母は、厳格なキリスト教徒で、男の子が女性になるなんてぜったい許せません。

周りの差別的な視線に耐えられなくなったユリシーズは、ストリートで出会ったトランスジェンダーのグループに「土曜の夜の教会」へと誘われます。そこは静かな昼間の教会とは異なり、ダンスや音楽を楽しみながら、同じ境遇の仲間と語らう場として開放されていたのです。ユリシーズは、その自由な雰囲気に夢中になり、少しずつ自分を解放してゆく姿がミュージカルタッチで描かれています。

自分はこのままでいいんだと自信をもてるようになり、街中でダンスの練習をしたり、いつも逃げていたいじっめ子には、振り返って投げキスを送るほど変わって行きます。音楽といい、振り付けといい、ここは感動的なシーンです。

しかし、相変わらず伯母との関係は最悪で、ついに家を飛び出してしまいます。その先に待っているものは………。

長編映画初監督のディモン・カーダシスは、LGBT支援プログラムの「サタデー・チャーチ」でのボランティア活動をもとに脚本を作り上げ、トランスジェンダーの俳優たちを起用して、一人の若者が、自分を肯定して生きて行く姿を描いていきます。ラスト、憧れのハイヒールを履き、ドレスに身を包んで舞台に立つユリシーズは、自信と誇りに満ちています。母親が、一度きりの人生だから好きに生きなさい、と抱きしめて認めてくれたことが、きっとなによりユリシーズの支えになっているにちがいありません。

因みに、この作品「オースティング・レズビアン映画祭最優秀長編作品賞」、「サンフランシスコLGBT国際映画祭新人監督賞」、「シアトルレズビアン&ゲイ映画祭観客賞」、「カレイドスコープLGBT映画祭最優秀US長編作品賞」などを受賞しています。こんなにも多くのゲイ&レズビアン映画祭があるんですね。でも、平日とはいえ映画館のお客さんは少なかったし、上映期間は短いかもしれません。お早めに!