昨日の夜、NHK総合で19時30分から放映していたドラマご覧になりましたか。 技ありの、刺激的で挑発的なドラマを作るプロデューサーに拍手。タイトルは「ドラマ&ドキュメント 不要不急の銀河」。

コロナ感染拡大の危険な状況下、三密の条件揃った現場でどうやってドラマを制作してゆくのか。スタッフ一同の涙ぐましい努力が、先ずドキュメンタリーとして作られました。もちろん出演者全員、このドラマに関わっているスタッフです。ドラマの方の脚本を書いている又吉直樹も登場します。さて物語の舞台は、「銀河」というスナック。コロナ感染拡大で営業が苦しくなっています。マスターをリリーフランキー、その妻を夏帆、祖母を片桐はいりが、それぞれ演じています。

マスターの台詞で「スナックが、自分の生きがいを担っていて、ここがなければ人生終わっている人もいるはずだ」というのがありました。おぉ〜、これは小池知事が、夜の飲食業を十把一絡に「夜の街」と、なんだかバイキンの巣窟みたいに発言し続けたことへの、異議申し立てみたいに感じました。そういえばドラマの背景には、必ずと言っていいほど東京都庁が画面に入っているのです。いやでも「夜の街」を連呼した知事の顔が浮かんできます。

この知事を、武田砂鉄は「日本の気配」(晶文社/古書900円)でこう語っています。

「小池は徹底的にテレビを意識している。『いいね!』や『リツイート』で自分の人気を”メディア ミックス”してきた人たちとは異なり、とにかくワイドショーのトップニュースに君臨することに力を注ぐ状態が続いた。」

記者からの質問の最後に微笑む所作など、まさにTVの向こうにいる視聴者対策でしょう。武田は「テレビに氾濫することが政治家の力量だと思っている節がある」とまで書いています。

武田砂鉄は、以前ブログで紹介した栗原康「死してなお踊れ」の巻末に載っていた見事な解説で、印象に残りました。

「日本の気配」では、様々な政治家(首相夫人も登場します)や、社会の現象を基にしつつ、この国を覆い尽くそうとする嫌な雰囲気をあぶり出していきます。

著者曰く「ムカつくものにムカつくと言うのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。」

もともと、晶文社のHPに連載したものを中心に、各種メディアに発表したものを一冊にしたものですが、「改めて読み返すと、いちいちそんなことまで言わなくてもいいのに、と思うのだが、今、いちいちこんなことを言わなくてはいけないのだ」と後書きに書いてます。それほどに、日本にイヤな雰囲気が重苦しくのしかかっているのかもしれません。

無防備にTVやメデイアの情報に晒されて、判断力低下に陥りそうな今こそ、ズバリ切り込んでゆく武田の文章は心強い味方です。最後まで通読していませんが、ことあるごとにページを開いて刺激を受けています。

 

 

 

 

林立夫の名前を聞いて、あぁ、あのドラマーかとピンときた方は、多分40代以上の日本のポップスファン。林は1951年生まれで、12歳の頃からドラムを始め、ユーミンのバックや、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆らと組んだティン・パン・アレイなどで活躍しました。林の自伝「東京バックビート族」(リットーミュージック/古書1500円)は、音楽ファンはもちろんこと、仕事の本質を考えている人にも読んでほしい一冊です。

高橋幸宏との対談などが収録されていて、貴重な話が聞けます。その中で、一世代若いドラマー沼澤尚とのトークで面白いことを言っています。

昨今のコンピュータ制御の電子ドラムセットには、数多くの有名ドラマーの叩く音がサンプリングされていて、誰でもがそれらしい音を鳴らす音ができるのだそうです。それに対して、林は「色気がないね」と答えています。自分が追い求め、鍛錬した結果出てくるものにしかない感じを、彼は「色気」と呼んだのだと思います。

林は、細野やユーミンたちと作ってきた音楽を「自分たちが東京で生まれて育ったことが大きい」と発言していますが、皆それなりに裕福な家庭で、お坊ちゃん、お嬢ちゃん育ちの良さが音楽に反映しているのだと思います。林自身、青山育ちの慶応ボーイです。ここで、彼の義兄のことをこんな風に語っています。

「ひとりでシルクロードに行ったり、レースはやるわアイスホッケーはやるわ、そういう人だった。ちょうど加山雄三さんを思い浮かべてもらえればわかりやすい。スキーはうまいわギターも弾くわヨットにも乗るわ、そういう万能さがヒーローだった時代。もちろん、それができた経済力があってのことだけれど、加山さんも慶応だし、加山さんのカルチャーのラインというもがあったと思う。」

主義主張はともかく、学生運動をしている連中は「ダサい」というのが私の大学時代の風潮でした。神戸のミッション系の大学に通い、金銭的に不自由な思いもあまり経験したことがなかったし、プロテストソングよりも、林たちの作り上げた東京シティミュージックに惹かれていました。大学の集会にもいかず、女の子のことばかり考え、山下達郎に夢中になっていた時代でした。そして今でも、林たちが築き上げた音楽を聴き、彼の本も夢中に読んだのでした。

1976年TVに出演した荒井由実とティン・パン・アレイの演奏風景など貴重な写真も沢山収録されています。youtubeには、ユーミンと林、細野、鈴木、松任谷が会したライブの模様がアップされています。こちらもぜひご覧ください。

 

庭に植えられた桜の苗木が、40年ほど経った現在二階家の屋根をおおうばかりに大きくなり、その桜の木を「叔父さん」と呼んで、暮らすご夫婦の素敵な写真展が始まりました。

2002年から京都発文芸誌「APIED」を発行されている金城静穂さんが、大きな桜の木の家の住人である吉田さんご夫妻の暮らしを、写真とエッセイで構成した本「桜の木が一本」(1980円/税込)を出版されました。この本については今年1月の「店長日誌」で紹介しています。

吉田一之さんは綴れ織の作家。吉田道子さんは児童文学者。慎ましやかで、豊かなお二人の毎日が、道子さんの文章と酒谷薫さんの写真で綴られた一冊です。酒谷さんは、吉田さんとお母さんが知り合いという関係で、幼少の頃から桜の木の家には馴染んでおられたとか。そのせいか、写真には彼自身の懐かしい想いもつまっているような暖かさがにじみ出ています。

一之さんが大動脈解離で倒れられてから、生と死を強く意識されたようで「先に思いを馳せるのではなく、今を生き切る。そうしたい。成長した暁にではなく、今、その瞬間を生きる子どものように。生きているこの短くて膨大な時間。束になってしまう時間の一瞬をいきるのだ。そう思うと、さらに二重写しの風景の中の束の間を強く感じる。」と書かれています。静かな写真に、そういう思いが秘められているようで、目を凝らして見てしまいました。愛しい時間が切り取られています。

発行人の金城さんもまた、吉田夫妻とは長いお付き合いの中で、お二人の家の佇まいや暮らしやお人柄を大切に記録しておきたかったのだろうと、写真展を見ていてしみじみ思います。今回の写真展には、一之さんの綴れ織の作品を並べていただきました。緻密でモダンな作品もぜひご覧くださいませ。道子さんの児童書も同時に販売しております。

尚、「APIED」のバックナンバーも揃えました。「APIED」は、毎回一つのテーマを決めて、内外の文学を紹介する文学専門のミニプレスです。最近のラインナップは、33号が「萩原朔太郎」、34号が「ジョージ・オーウェル」、35号が「チーホフ」です。価格は770円とお安めで飼いやすい価格なので、文学好きには好評の雑誌です。(女房)

「桜の木が一本 」出版展示会は7月22日(水)〜8月2日(日) 13:00〜19:00

 月・火定休日

 

 

ミシマ社の新刊、いとうせいこう著「ど忘れ書道」(1760円)は、50歳以上の皆さま必読の書。「私の崩壊。その過程をみなさんに目撃していただきたいと思う」と著者は書いていますが、これは、あなたの「ど忘れ」の現場を経験する本でもあります。

「忘れてしまった言葉を一枚の紙に、そのたびごとに丁寧に書き記していく。それが『ど忘れ書道』である。」

その書き留めた言葉の数々を、2011年2月から19年10月まで記録しました。「しぼり染め」という言葉が、中々出てこなくて、そこにいた人に著者はこんな風にたずねます。

「あのー、ほら、布とかで点々になってて、染料をそこだけ抜いて」

こんなこと、ご経験ありませんか?「えーと、あの人誰だっけ。あの俺の大好きな人、ほらほら…….」なんて事、もう私などしょっちゅうです。さらにそこに、人間の脳みそのメモリの不具合で、言い間違いも多くなってきます。

ミュージシャンでもある著者は、ハモニカの名手「ピアニカ前田」を「ハモニカ前田」と発言したり、「ボジョレー・ヌーボー」を「「ムーランルージュ」と発言して、その場を繕うのに冷汗をかいたり。我が身のこと思うと笑えません。

さらに、「ど忘れ書道」に「言い間違い書道」に「書き損こない書道」が加わってきます。

「爪と瓜に関しても、どちらかを書く前に『爪にツメなし、瓜にツメあり』と口の中で言う。考と孝も一瞬詰まる。『考える』と書きたいときに、親孝行の孝がよぎる。」という具合です。PCや携帯の変換機能で文章の大半を書いている者にとっては、世代を超えて、これは日々起こっています。

私もほぼ毎日のように、知っているはずの名前が浮かんでこない。著者は、紅白歌合戦に出ていた美輪明宏でした。

「『いやあ、昨日のあれはやっぱりすごかったね。あの人の歌は』と言い出している自分がいて、これは絶対に名前が出てこないと気づいている自分もいた。黒蜥蜴とか三島由紀夫とか類縁語はいくらでも出てくるが、固有名詞というものはおそろしい。」

と、こういう事例が山のように登場してきます。でも、心配ご無用。著者は最後にこう言い切っています。

「もはや何をどう忘れたのか、その真実の層が幾重にもなっていてよくわからない。すべては霧の中だし、それでいいと近頃の私は考えている。いや、感じている。」ありがとう。気が楽になります。

 

「あの墓地にね。九百体近い混血の赤ちゃんが埋葬されているらしいんです。名前も素性もわからないまま………」

「どうしてそんなことが」

「ほとんどが、遺棄されてた赤ちゃんらしいんです。だから素性もわからなかったんですね」

「遺棄って、つまり棄てられたということですか。死んだ状態で?」

刑事小説の話ではありません。れっきとした事実なのです。横浜にある根岸外国人墓地。数奇な縁で、この墓地に関わることになった山崎洋子の「天使はブルースを歌う」(亜紀書房/古書1200円)は、戦後占領下の横浜に生きた女性たちの悲哀に満ちた人生を追いかけたノンフィクションです。

筆者が、この墓地の取材にのめり込んだのは、往年のGSバンド「ザ・ゴールデンカップス」が発端でした。ひょんなことから、このバンドのギタリストだったエディ・バンのライブを聴きに行き、引き込まれていきます。俳優の藤竜也が詞を書いてエディが作曲し、彼が歌う「横浜ホンキートンク・ブルース」は、やがて原田芳雄、松田優作、石黒ケイなど渋いシンガーの持ち歌へとなっていきました。わたしも大好きな曲です。

エディから、山手ライオンズクラブの会長と副会長を紹介され、彼らの口から戦後占領軍兵士に体を売っていた女性たちの子供が、根岸外国人墓地に遺棄されていたことを知ります。1946年から47年にかけて、およそ900人。通称GIベイビー。このままでは可愛そうだと、ライオンズクラブとしては慰霊碑を立てる計画があると知らされます。

そしてエディから、慰霊碑設立を記念した歌を作るから、作詞を頼みたいと依頼されます。

「GIベイビーたちの母親は戦争の被害者かもしれないが、死んだ嬰児たちにとっては加害者の一人と言えなくもない。育てられないならなぜ生んだのか、なぜもっと守ってくれなかったのか…….。口がきけるのならそう言いたかった嬰児も多いだろう。また母親のほうも、時代が悪かった、では済まされない罪悪感にさいなまれているかもしれない。自分が産む立場の女だからこそ、わたしはそう思う。」

そういう視点から、彼女は「丘の上のエンジェル」という歌を作詞します。本書は、この嬰児たちの物語を縦糸に、全員混血というレッテルで登場した「ザ・ゴールデンカップス」の物語を中心にGSサウンドが一斉を風靡した時代を横糸に、戦後から経済成長を続けた時代の横浜を描いていきます。

「亡くなった嬰児たちの魂を慰めようなんて、生きているものの傲慢ではないか。多くの犠牲の上にあぐらをかき、経済繁栄の恩恵をたっぷりと受けてきた私たちこそ、その罪深い魂を癒してもらう必要があるのではないだろうか。そう考えた末、同じ時代に生まれ、死んで、あの丘で天使と化した嬰児たちと、生きて、それなりの幸せも苦しみも背負うことになった私たちが、戦後という歴史を振り返ることで心を通わせることができたら……」という気持ちで彼女は作詞しました。(山崎は1947年京都生まれ)

その歌を会場で流し、記念式典をやる段取りだったのですが、硬直化した、過去を何も反省しない行政の壁が立ちふさがります。後半は、行政とのバトルの報告です。戦後の嫌なことを蒸し返すのは如何なものか、という立場に終始する行政。忘れてしまいたい過去。でも、何があったのかきちんと知っておくことが大事なのではないのか?

「日本人のそのような態度、考え方が、ひいては、韓国や中国などに対する戦争責任問題の解決を、かえって長引かせてしまったのではないか」

という山崎の推論は間違っていないと思います。因みに本書は1999年に一度出版されていて、新版として2019年再発行されました。なぜ新版を作ろうと思ったのか。それは行政の記念式典拒絶の姿勢でした。バカですね、行政は…….。

「『狼煙を上げるんだ』 まるでその狼煙が見えているように老人が空を見上げた。そして自らに言い聞かせるように言い放った。『東北独立だ』」

赤松利市の「アウターライズ」(中央公論新社/古書900円)の一節です。東日本大震災後、多くの作家がこの震災と格闘し、様々な作品が世に出ました。世間を挑発するようなタイトルで、震災後早期に発表された高橋源一郎「恋する原発」(河出書房文庫/売切れ)、自らのデビュー作を、震災後を舞台にリミックスした川上弘美「神様2011」(講談社/古書650円)など傑作もありました。

本作は、震災後何年か経過したこの地が、再度地震と津波に襲われ、その後、東北知事会が東北独立を宣言し、鎖国状態に入り日本国と断絶するというSF的発想で始まる小説です。

「独立後東北は鎖国政策を布いた。国としての実態が整うまで、という期限付きの鎖国だった。その期限が、独立から3年後だった。」

開国に際して東北国は、日本から多くのマスコミ関係者を招待することになり、招ばれたジャーナリストたちが、この新しい独立国の現状を見てゆきます。国民は、社会主義国家のような体制ながら自由に、平等に暮らしている一方で、国家独立にまつわる陰謀の影も見えてきます。

「現時点で判明している被害者数は6名です。」

と、再び大きな地震に見舞われた東北国政府の発表。そんなことがあり得るだろうか。大きな疑問を追求してゆくジャーナリストたちの行動は、サスペンス小説の楽しさもあります。著者は東北大震災後5年ほど東北に住み、土木作業員や除染作業員を経験しています。ここには彼のリアルな体験が反映されています。だから荒唐無稽なエンタメ小説に陥ることなく、震災後の現地と、そこで生きる人々が描かれています。

物語の中で、阪神・淡路大震災で孫を失った男が、復興マルシェで店を構える飲食店で、「ウニイクラ丼と発泡酒三本で大方五千円かいな。」とイチャモンをつけてきます。しかし、この男はこう続けます。

「気にせんといてや。何もあんたらに難癖つけとるんと違うで。そやけどな、人の痛みは他人様には分からへんのや。あんたらにはあんたらの痛みがあるやろうけど、それはあんたらで受け止めなあかん痛みや。焼け太り、大いに結構やないか。それだけの痛みを背負とるんやから。誰にも文句は言えるかいな」大阪弁って、なんでこんなに説得力があるんでしょうね。私が関西人のせいかもしれませんが。

ところで、著者はなかなか異色の経歴の持ち主です。全く作家稼業とは縁のなかったのですが、男と遁走した娘を追って所持金5千円で上京し、風俗系の店の呼び込みなどで食いつなぎながら、漫画喫茶で書き上げた『藻屑蟹』で18年に第1回大藪春彦新人賞を受賞。19年「鯖」が、第32回山本周五郎賞候補になり、翌年「犬」で第22回大藪春彦賞を受賞しました。本作は、その受賞後第一作となります。

 

 

昨日紹介した養蜂家のドキュメンタリー「ハニーランド」に引き続いて、蜂に関する本をご紹介。

芥川仁の写真集「羽音に聴く」(共和国/新刊2640円)です。藤原辰史が「芥川仁の写真はどれも、言葉になる寸前の空気の溜めと震えが映っている」と帯に書いています。ミツバチの羽音が聞こえるような写真を見ていると、藤原がいうことがわかる世界が広がっていきます。

「蜜蜂の言葉は『羽音』だ。小さな命の声に耳を澄ませてみよう」芥川仁の言葉です。

健気に働く蜂たちの姿。そして、その蜂たちを大事に育てる養蜂家の人たちの姿。ここまで養蜂家の仕事ぶりを収めた写真集って、多分なかったのではないでしょうか。

「蜜蜂は、自然界の変化に影響を受けやすい小さい命だ。花のない冬季を人間の世話なくして生き抜くことはできない。自然界の天敵スズメバチの来襲から守るもの養蜂家だ。」

という文章と共に、日本各地の養蜂家が登場します。「働き蜂が一生働いて、一万回飛んで、スプーン一杯の蜂蜜って言わすもんね。ちゃんとした蜜蜂の一生を終わらせてやりたいという思いはあっとですたい」とは、熊本の養蜂家、中村邦博さんの言葉です。

北海道歌志内市で養蜂をしている川端優子さんは、日本では珍しい女性養蜂家です。寒い北国でも越冬できる蜂を育てています。

「雪溶けの季節になったら、天気の良い日に(蜜蜂を)飛ばしてあげるんです。雪よけのワラやコンパネを取り除いて巣箱の蓋を開けると、元気で生きてて、みんな並んでこっちを見てて、なんとも言えないんですよ。あの顔、いやーっ、生きててくれたって」

彼女の笑顔と、そのときの蜜蜂の顔(もちろん向き合ったことはないですが)を思い浮かべました。養蜂家を通して、自然と共に生きる人たちの暮らしを捉えた素晴らしい写真集だと思います。

 

 

先月京都市内にオープンした映画館アップリンクに、一昨日初めて行きました。ギリシャの北に位置する北マケドニアで作られたドキュメンタリー「ハニーランド永遠の谷」を観るためです。

主人公は、首都スコピエから20キロほど離れた電気も水道もない谷間にある村で、寝たきりの盲目の老母と暮らす自然養蜂家の女性です。村には、この二人以外他に誰も住んでいません。3年の歳月、数百時間の撮影を経て、彼女たちの日々を見つめた作品です。ただただ、圧倒されました。

「半分はわたしに、半分はあなたに」

これは、彼女の養蜂の基本的スタンスです。できあがった蜂蜜の半分は私がいただくけれど、半分はハチに返す。そのことで微妙な自然体系の維持を可能にして、自然と共に生きていることを彼女は熟知しています。でも、生活は苦しいし、お母さんは、ひたすら寝ているだけです。たまに彼女が街に出て、蜂蜜を売ったお金で買ったバナナを口に入れるだけ。私たちの感覚からすると、極めて貧しく見えるのですが、彼女はそうは思っていません。蜂と共に生きることが彼女の人生なのです。

しかし、彼女の平和な生活は、エンジン音とともに7人の子供と牛たちを引き連れてきた一家が、隣に越して来たことで、徐々に変貌していきます。この家族が悪者なのではありません。幼子も、年長の少年も、両親と一緒に牛を追い、養蜂場で働きます。死んでいった、或いは今にも死にそうな子牛を死体処理場まで担ぎ上げ、蜂に刺されながら蜜を取る仕事をとる作業をこなす子供たちをカメラは捉えます。

 子供たちの学費、生活費のためお父さんも必死です。だから、出来上がった蜂蜜もすべて売ってしまいます。行き場を失った蜂たちが、彼女の養蜂場に侵入し、死闘を繰り広げ、殺し合いを重ね、彼女の巣は全滅状態になってしまします。

「もう、なにもない」呆然とする彼女。さら追い討ちをかけるように、年老いた母が亡くなります。ロングショットで捉えた彼女の家と、誰もいなくなった村に彼女の悲痛な叫ぶ声が響き渡ります。コヨーテが周りを徘徊する深夜、火をつけた木材を暗闇で振り回しながら、「悪魔よ去れ」と母の霊のために走り回ります。

しかし、ここからが力強い。最初のシーンで、彼女は落下したら即死するような急峻な山道を登っていきます。そこにも、蜂が巣を作っているのですが、再び、彼女は愛犬を連れてこの山を目指します。雪深い大地を歩む二人をカメラは優しく追いかけます。出来上がった蜂蜜の半分をもらい、愛犬にもおすそ分けしてあげます。誰もいないこの村で、最後まで、彼女なりの人生を全うするのです。

ラストシーン、遠くを見つめる彼女のアップに、人間の尊厳と強靭さが溢れています。国内外の政治家の品のない顔にうんざりする毎日ですが、人間ってこんな美しい顔になる動物なんだと再認識させてくれました。彼女の顔を心に焼き付けるために、何度も観たい映画でした。

ミュージシャンの原マスミが、イラストや絵本の世界に進出してきたのは、いつからだっただろうか。気がついたら吉本ばなな作品のフロントカバーの作品を描いていました。落語家の柳家三三著「王子のきつね」(あかね書房/古書1200円)は、彼女の大胆にデフォルメされた絵が、内容にぴったりはまった面白い絵本です。

原マスミの絵が楽しい、石津ちひろ作「南の島で」(偕成社/古書1500円)をご紹介します。南の島に行ってみたくなる絵本です。

主人公の少年ワタル君は、ある夏休み、お父さんの妹ももさんが住んでいる南の島でホームスティすることになり、初めて一人で飛行機に乗りました。ちょっと引っ込み思案で、ものおじする性格の少年は、ももさんに会ってもうつむき加減です。

「島についてその日のうちに、ももさんは、僕を浜辺につれていってくれた。ぜんぜんおよげなかったぼくは、海にいっても、あんまりうれしくなかった。」

おそるおそるみずに足を入れるワタル君。

ももさん曰く「きょうは、ここの海に<はじめまして>のあいさつができれば、それで十分」

それから毎日、ももさんと海に出かけ、流れてゆく雲や、鳥をみたりして過ごします。ベジタリアンのももさんの美味しいごはんを食べ、少しづつ島の暮らしに慣れてゆきます。

ある日、海からの帰り道、土砂降りの雨に出会います。

「ももさんは、たちどまって空をあおいでいた。そしてそのまま、両手をひろげてくるくる回り出した。ももさんが『ワタルくんもほら!』とさけぶ。

おもいきって、ぼくもおなじようにやってみたら、からだのおくから、自然にわらいがこみあげてきた。」

ふたりが天をあおいで、雨を喜んでいるシーンの絵に、こちらも雨の中に飛び出したくなります。

島で過ごす最後の日。ももさんが「耳を水のなかにつけているとね、ふとしたひょうしに、”ぽこぽこ “という音が聞こえてくるの」と言うので、ワタル君がおもいきって浮き輪を外すと体が浮きました。

「海のなかにしずんでしまうのがこわい、という気もちは、いつのまにかきえていた。」

そして、彼の耳元にも”ぽこぽこ “という音が聞こえてきます。

「青くすみきった空しかみえない。ひろい空をひとりじめしているよろこびと、世界のはてに、おきざりにされてしまったようなさびしさ。ぼくは、そのままずっと海にねころんで、耳の奥にひびいてくる、そのあたたかな音をきいていた。」

自然体で心豊かに生きる人間に出会った少年の夏の思い出は宝物です。絵本は、「それからしばらくして、ももさんは、その島をでた。島でであった人といっしょに、外国でくらすことになったんだ」ということを伝えて終わります。

最後のページには、大きくなって父親になったワタルくんが、自分の家族と一緒に海に浮かんでいます。彼らの満ち足りた幸福をおすそ分けしてもらいましょう。

 

 

 

京都に本社を置くローム(株)は、平成元年に創立30周年及び東京証券取引所一部上場を記念して、「ローム君の京都博物日記」(非売品)を発行しました。もともと「ローム君の京都博物日記」は、「京都を科学する」をテーマにして、長期間にわたり新聞に広告として掲載されてきたものです。

一冊の本としてまとめ直し、テーマごとにさらに詳しい解説を付け加え、それぞれの専門家に監修を依頼しました。「京都府の動物のはなし」、「京都府の植物のはなし」、「京都府の大地のはなし」、「京都府の産物のはなし」、「京都府の技術のはなし」、「京都府の歴史のはなし」に分かれています。各章の終わりには専門家がそれぞれの章にふさわしいエッセイを載せています。全体の監修は、今西錦司が行いました。

「日本新聞協会賞広告企画部門」優秀賞を獲得しただけあって、レイアウト、イラスト、中高生に理解しやすい文章など、見事な出来上がりになっています。「生きている化石ムカシトンボ」の項目では、そのトンボのイラストと貴船の渓流の様子がイラストで描かれています。「地下から見つかったまぼろしの『船岡連山』」では、地下鉄工事中に発見された幻の山について語られています。本当に知らないことが多いです。

大晦日の除夜の鐘ですが、妙心寺の鐘の振動数が一秒間に129回、即ち129ヘルツで余韻が長く、美しい音色だということ、皆さんご存知ですか。この寺の鐘は、唐時代の古律「黄鐘調」に似ていると言われる程、名調子だそうです。

「『徒然草』にも『鐘の音は黄鐘の調べなるべし、それ無常の調子』と書かれており、人々に無常を感じさせる良い音とされているらしい」と『広告』の中に解説が入っています。

「強い京弓 秘密は京の底冷え」

これも面白いです。と、こんな広告が次から次へと登場。さすが、地元の本!です。

企業が出した本らしくロームの佐藤研一郎社長の挨拶文が入っています。販売価格は950円です。