小説にしても、映画にしても、歌舞伎、落語、漫才、能、文楽等の日本の芸能を上手く取り込んだ作品って少ないように思います。

いわゆる芸道ものノンフィクションには、読み応えのあるものが多いのですが、少し柔らかめというのを探すと、中々見つかりません。小林信彦の「天才伝説横山やすし」は、そのラインのドンピシャの作品ですが、ノンフィクション。松井今朝子が、江戸歌舞伎の世界を描いた「仲蔵狂乱」が印象に残る程度です。

映画になると、さらに思いだせませんが、一本だけ強烈な印象を残した作品がありました。川島雄三監督、若尾文子主演の「しとやかな獣」です。

私は、何故かこの作品を3回見ています。大学生の時に映画館で、アメリカの大学の映画学科のアーカイブの上映会で(単細胞なアメリカの兄ちゃんに分かるのかと??でしたが、大喝采でした)、そしてTVです。

この映画はというと、もう滅茶苦茶とんでもない作品です。一家四人のお話ですが、息子は会社の金を横領し、娘は流行作家の妾になって、大金をゲットしている。こんなシチュエーションはよくあるのですが、なんと両親は、子供たちのお金で裕福な生活をしていて、なんの罪悪感もないのが凄いです。父親に至っては、親友が自衛隊員に避妊具を売る会社を立ち上げて投資するのでと無心する始末です。

この手のドラマって、最後はヒステリックな悲劇に終わるのが常なのですが、誰も逮捕されず「平穏無事」で「裕福」な生活は続きます。もう笑ってしまいますよ。

映画は、この家族に住むアパート以外は映しません。まるで、舞台劇みたいに部屋の中だけで進行します。そして、ドラマをもり立てるのが、能の音楽です。アパートの一室を捉えたオープニングから、音楽は能の調べで始まります。そして、何度も能の調べが場面を盛り上げます。さらに、出演者が能の役者の様に、すり足で舞台を歩く所作で、室内を歩き回ります(カメラはアップでその所作を捉えます)。

通常、能舞台では、物語を舞い終わったシテ方は、正面を向いて、まるで何もなかったような無表情な能面姿にもどります。映画も、この一家の母親を演じていた山岡久乃の、そんな表情のアップでエンド。まるで、このアパートを能仕立てにして、金をめぐるドラマを作ったみたいです。

3回目に観た時に、何度か能舞台を鑑賞したことがあったので、この構成に気づきました。もちろん、能のことなんか知らなくても、十分楽しめる作品です。騙されたと思ってレンタル屋で借りて下さい。1962年にこんなハイブロウな映画を作っていたことに驚かされます。

こんな映像作品には、もうお目にかかることもないと思っていた矢先、先日から始まったNHKドラマ「ちかえもん」(木曜8時)を見ました。人形浄瑠璃作家、近松門左衛門がスランプに陥り、悪戦苦闘する姿をコメディ調で描いています。彼が傑作「曾根崎心中」を書くまでをウソのような、ホンマのようなお話。

川島雄三が能を巧みにアレンジした如く、浄瑠璃の世界を上手に取り込み、遠い存在だった近松門左衛門を、ぐっと手前に引き寄せてくれそうです。さすが、朝ドラ「ちりとてちん」で、落語を描いてみせた藤本有紀の脚本です。近松を演じるは松尾スズキというのも見逃せません。

 

「ぼくらは知床(ココ)に暮らしている。あかしのぶこ 動物たちの肖像画展」(17日まで)には、関西出身のあかしさんの京都での初個展ということで、連日お知り合いの方々が、見に来て下さっています。

京都在住Yさんは、1年半前に南から北まで日本縦断旅をして、網走で出会った「はぜや珈琲」さんの所から、あかしさんのDMを送ってもらったのだそうです。親切にしてもらった北海道の人達との思い出、旅はとても楽しくて、そこで仲良くなったお店からの紹介なんて、それこそご縁ですね〜、と色々お話してしまいました。京都だから行ってみてあげて、ということだったのでしょうが、15日、在廊していたあかしさんと初めて会われて、北海道のことや制作についての話で盛り上がっていました。北海道はぜや珈琲さんのコーヒーはどうも絶品らしい。ぜひお訪ねしたいです。

そしてもうお一人は、今回の個展に一緒に出店してくれた「メーメーベーカリー」さんのパンを買いに来られたNさん。メーメーさんのパンは初日に完売してしまい、もう一度送ってもらったのですが、13日に着くや否や予約でまた完売してしましました。Nさんからは「なんでもいいから取っておいてください!!」と前日にお電話頂きました。「お知り合いですか?」と聞いたら、なんと昨年、旅先の斜里町のメーメーさんまでパンを買いに行ったのに売切で涙をのんだというのです。そうしたら、メーメーさんのTwitterで、今回京都で買えるのがわかり来ました、ということ。やっと会えた!!って感じで、なんかこちらまで嬉しくなりました。

昨日の夜、店内であかしのぶこさんのトークショーを開催しました。京都で生まれ、育った彼女が何故、知床に魅了されたのかというお話から始まって、絵本を書き出した時のこと、知床で知り合った自然財団にお勤めのご主人との生活、絵本への思いなどを参加された十数名の方に向かって、i-padを左手に、絵本を右手に1時間程お話いただきました。

中でも知床の流氷にまつわるお話は、興味深いものでした。シャチの一団が流氷に囲まれて身動きが取れなくなって、死んでいった後、解剖のため陸上げした写真で、その大きさに圧倒されました。海の王者の貫禄です。或は、流氷の上にいたオットセイが、どういう訳か、海に向かわず、山の方へ向かって動きだし、そのままでは死んでしまうので捕獲して、海に戻した話とか、北の大地で繰り広げられる自然の営みの不思議さに引込まれた楽しい時間でした。

この地方では、昔、アザラシが山を越えていったという伝説があるそうです。何を思って1700メートルの険しい山を越えたのでしょうか?ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」に、その頂き近くで、力尽きて死んだ豹の亡骸があるというストーリーだ登場します。豹が何を求めて頂上を目指したのか、誰も知りません。同じように、知床山系の険しい山の頂上に、アザラシの亡骸があったという空想の世界を楽しんでみたいものです。

北海道知床、って京都から随分遠いと思うのですが、つながっているな、と感じます。あかしさんの個展のきっかけは「シリエトクノート」というミニプレスだということは、前にも書きましたが、面白い出会いをたくさん頂き改めて感謝です。

そして、今度はあかしさんの紹介で、版画家、冨田美穂さんから、レティシアで個展をしていただけそうなメールが届きました。彼女は等身大の牛を木版で制作されていて、「シリエトクノート」に載っていた時、一度見てみたい!と思っていました。大きな牛が果たして本屋の壁を飾ってくれるのかどうか、定かではありませんが、念ずれば通ず。というわけで、まだまだ、北国とのお付き合いは広がりそうです。(店長&女房)

 

美術系ミニプレス「四月と十月」を主宰されている画家、牧野伊三夫さんが「僕は、太陽をのむ」(四月と十月文庫6 1296円)を「港の人」という出版社から出されました。ミニプレス「四月と十月」に連載されたエッセイと未発表のものを一冊にしてあります。もちろん、彼の絵画も載せてありますので、そちらも楽しめます。

高校の美術教師の井上先生のことを書いた文章が素敵です。

「君たちが絵を描いているときも、地球の裏側では、羊がのんびりと草を食んでいるんだよ。」

この先生の言葉を牧野さんがどう感じ、解釈したかが綴られています。先生の言葉から数十年経て、画家として活動されている今日でも、時々この言葉を思いだされるようです。

「技術や手数にばかり執着することは、かえって自由に宇宙へと広がる意識を閉ざしてしまい、絵にとっては障害ですらある。悲しいかな、絵の本質は、自分が意識してやることとはちがう次元に存在している。この言葉は、そんなことを考えながら絵を描くきっかけをくれたのだった。」

牧野さんとは、一度お会いしたことがあります。ほのぼのとした感じで、笑顔の素敵な方でした。そして、その通りの本でした。画家の本とはいえ、難しい文章など全くなく、伸びやかに絵画に接する自身の姿を描いておられます。

出版社「港の人」は、この「四月と十月文庫」以外にも、いろんな本を出版しています。今回、その中から、これはと思う本をセレクトしました。例えば「胞子文学名作選」(2808円)。苔やきのこ、かび等の胞子によって増える生物が登場する小説、詩を集めたアンソロジーです。収録されている作家は、太宰治、松尾芭蕉、小川洋子、内田百間、谷川俊太郎等々数十名。装幀も、デザインも凝りに凝った一冊です。

もう一冊ご紹介。橋口幸子著「珈琲とエクレアと詩人」。戦後、田村隆一らと「荒地」を創刊した詩人北村太郎と晩年交流していた著者が、詩人の日々の暮しを綴ったエッセイです。挿画・装幀の清水理江もとても楽しめます。

店内に「港の人」のコーナーを作ってありますので、ご覧下さい。

「蚕は手榴弾なんか使わないんだ。自分で繭を破るんだ。死ぬのは負けだ。繭を破ってふ化するんだ」

今日マチ子の戦争まんが「COCOON」(600円)に出てくる台詞です。

女性コミック雑誌「エレガンスイブ」に連載したもので、沖縄戦で悲惨な最後をとげた「ひめゆり学徒隊」をモチーフとした漫画です。特徴的なのは男の兵隊は繭のかたちでいっさい顔が描かれていないことで、悲惨な戦場の現場を描きながら、少女の広がる空想世界に視点を据えています。多くの親友を失った主人公が、敗戦を迎えて、「生きてゆくことにした」という独白と共に、紙面から消えてゆくラストシーンは、感動的です。

さらに、2011年には、戦争まんが第二として「アンネの日記」をベースにした「アノネ、」の連載を開始します。登場人物を、「アンネ」ではなく「花子」と日本名に改めて、彼女とその家族が死に追いやられるまでの過程を描いていきます。注目すべきは、花子とヒトラーとおぼしき青年の邂逅を少女漫画独特の細い線で描き出したことでしょう。上下巻(900円)となった単行本の扉には、前田敦子がこう言っています。

「花子の可憐さと残酷さ、強さ、絶望と。そのすべてに引込まれました。」

出来れば避けて通りたい戦争の醜悪な実体を、少女まんが独自の視点と手法で描ききった力作だと思います。私が彼女を知ったのは、「センネン画報」という本でした。松本隆が帯に推薦を書いていたので読みました。彼好みのイノセントな少女コミックでした。その後、東北大震災を扱った「みつあみの神様」を発表していますが、読んでいません。

「COCOON」の後書きで、彼女は戦争を描くことについて、こう語っています。

「描きたいことはたくさんあるのに、じぶんの表現の未熟さに悔しい思いを何度もしました。描くことを通してなにか根源的なものに触れるときがくるとしたら、そのときまで生きていたいと思っています」

ぜひ、その根源的なものを読んでみたいものです。アベちゃんにも送ってあげよう!

Tagged with:
 

「政治の原語はギリシアの都市、つまり、我々が住んでいる町といふ意味の言葉から転化したもので、経済の語源は家といふギリシア語である。そしてこれでも解る通り、炉返の幸福をしっかり掴んでいなければ、政治も経済も健全な発達を遂げるものではないし、この基礎的な感情を忘れてどんなに文化人的に利いた風なことを言ってもどうにもならない。先ず炉返の幸福、である。」

吉田健一のエッセイ「乞食王子」に入っている「炉返の幸福」の一節で、坪内祐三著「考える人」(新潮文庫300円)の「吉田健一」の章に収録されています。

坪内は、吉田の文章から、こう考えます。

「政治、経済というと大問題のような感じがします。しかしその政治、経済という言葉の向こうに都市や家という言葉を垣間見ると、それが一気に実質を持って迫ります。その上での炉返の幸福なのです」

朝日新聞社発行の雑誌「考える人」の中で連載されていた『考える人』というエッセイをまとめたのが、この本です。

坪内が「考える人」として取り上げたのが、小林秀雄、田中小実昌、中野重治、武田百合子、唐木順三、神谷美恵子、長谷川四郎、森有正、深代惇郎、幸田文、植草甚一、吉田健一、吉行淳之介、須賀敦子、福田恆存の論壇、文壇の大御所です。坪内は、これらの作家たちの作品論や人となりを解説しているのではありません。端的に言えば、彼らの思考が、どういう経路を辿るのか、を思考しているのです。取り上げた人物の著書を熟読し、それぞれの文章の中に、彼らの思考のベースを探してゆくスリリングな評論集です。

何が良いと言って、この本は難しくないのです。この手の評論集には、数ページ読んだだけで退屈になるものも多いのですが、一人20数ページの分量で、簡潔にまとめられています。最初に、何故吉田の文章を紹介したかと言うと、彼の著書の持ってまわった表現方法に何度も挫折した苦い経験があったからで、こんなに簡潔に社会を見つめていたのが理解できて、ここから吉田の世界に再度挑戦したくなったからです。

そういう意味で、本読み人としての坪内を信頼しています。新刊が出れば、取りあえず買ってます。彼が中学一年だった1972年をひとつの時代を「『はじまりのおわり』であり『おわりのはじまり』でもある」と捉えて、この時代を丸ごと裸にしようとした「一九七二」(文藝春秋1000円)は、彼の傑作だと確信しています。これを読むと、72年が政治、経済は言うに及ばす、文化、エンタメの分野まで目まぐるしい新陳代謝を起こしていたことが理解できます。

 

Tagged with:
 

大学に入った頃の事です。憂鬱極まりないある日、河原町三条近くにあったジャズ喫茶「BigBoy」にふらふらと入ってしまいました。(これ、ジャズ喫茶初体験)ビールを注文してチビチビ飲んでいた時、流れていたのが「All Mornin’ Long」(900円)でした。日本語に治すと、「午前中ずっと」とでもいう意味ですね。真っ昼間から酒飲んでいる自分に、ぴったりかなと聴いていました。思えばこれがジャズとの長い付き合いの始まりでした。

「気だるい格好良さ」というのでしょうか。けっ、また一日が始まった、だるいけど、起きるか…..。太陽が眩しいぜ、みたいな感覚。あぁ〜痺れる。レッド・ガーランドというピアニストが、ポロン、ポロンとソロを弾き出したバックで、ヴァヴァブァ〜バーン、と、間の手を入れるサックスとトランペット。ゆっくり歩き出すようなテンポのベース。いつの間にやら、憂鬱な気分なぞ吹っ飛びました。それからです。20数分に渡るこの曲聴きたさに、何枚のレコードを聴き潰したことか。

数年後、一時、ロス・マクドナルドの小説にはまった時期がありました。ご存知の通り、アメリカのハードボイルド小説の巨匠の一人です。「動く標的」(創元推理文庫300円)だったか、「縞模様の霊柩車」(早川文庫300円)だったかをポケットに入れて、入り浸っていた件のジャズ喫茶で読んでいたら、再びあのアルバムが鳴り出しました。

ロス・マクドナルドの描く世界は、ぐちゃぐちゃです。泥沼みたいなアメリカの家族関係の中、どっちを向いてもお先真っ暗な舞台で、私立探偵リュー・アーチャーが血みどろの事件に向かいますが、カタルシスはありません。同時代の活躍したレイモンド・チャンドラーのストイックな感性に満ちたものとは違います。村上春樹はチャンドラーの「かわいい女」を新訳して「リトル・シスター」(早川書房800円)として出版しました。「チャンドラー節」と言われる独特の文章表現に村上の資質が合っていたのか、「ロンググッドバイ」、「さよなら、愛しい人」と新訳していますが、マクドナルドは翻訳していません。

「早春のカリフォルニアによくある、明るく晴れた、夏を思わせる朝だった」で始まる「「リトル・シスター」は、どこまでも村上的爽快さが溢れています。しかし、暗澹たる世界に生きるマクドナルドの登場人物に、昔も今も魅かれます

魑魅魍魎たる男と女、女と女。重々しい疲労がアーチャーの肩にのしかかってきます。そんな世界に生きる彼を慰めるのは、こんな『後ろ向き」の音楽かもしれません。ジャズの魅力は、人様々ですが。どこか暗く、淋しい世界へ引っぱりこんでグジグジする部分ではないでしょうか。

「個人的に左京区にいる人たちは全員オシャレ、みたいな偏ったイメージを持っていて、劣等感があるんですよ(笑)。それは冗談としても、五条というのは、特色ある他の京都の街に比べると、まだノーブランドだと言えるんじゃないかと思うんです。しかも、京都駅と四条の間にあるので利便性が高く、その割には土地の値段は安かったりして、クリエイターにウケそうな材料も多かった」

いきなり京都市内の話題でスミマセンが、これは、五条堀川近くにある古いビルをリノベーションして、クリエイターの発信場所となった「つくるビル」を運営する石川秀和さんの言葉です。

新しい生き方、働き方を求めて東京を離れ、各地で模索する人達のインタビューを収録した「旅するカンバセーションズ」(カンバセーションズ・ブックス1490円)の中で「コミュニティーづくりに大切なことはなんですか?」というテーマで語られている一部です。

そしてこのインタビュー集の特色は、インタビューする側の人選にも拘っているところです。例えば、高松にある完全予約制の古書店「なタ書」オーナー藤井佳之さんが、高松にある家業の温泉を引き継ぎ、まち全体を旅館に見立てる「仏生山まちぐるみ旅館」プロジェクトを進める建築家の岡昇平さんへ、温泉を通して街づくりを聴いています。

また、大阪で人気の新刊書店「スタンダードブックス」店主、中川和彦さんが、大阪発の情報番組「ちちんぷいぷい」総合司会の西靖さんへ、これからの大阪は何を目指すのか?という関西人には見逃せない記事が掲載されています。この中で中川さんが、本屋は、本を買っておしまいではなく、人と人が触れ合ったり、何か新しいことが起こったりするような「場所にすることが大事ちゃうか」と述べていられますが、まさに正論ですね。谷川俊太郎さんが、「書店が本の専門店になっちゃっている」と指摘されていることにも言及されています。

或は、京都で雑貨&宿の「ウサギノネドコ」オーナー、吉村紘一さんが、新しい和菓子のスタイルを模索する和菓子ユニット「日菓」の杉山早陽子さんと現代的な和菓子の姿について語っています。

「京菓子というと花鳥風月しか語られないところがありますが、私たちはもう少し身近にある日常の風景などからテーマを引っ張り出して和菓子にしたいと考えています。」

これまた、和菓子を通して、新たなネットワークができていくことでしょう

こんな具合に、13組のユニークな、インタビューをする側とされる側の話がぎっしりと詰まった一冊です。マスメディアによって作られた、リッチなステレオタイプ人生とは、程遠いのですが、それぞれの場所で、地に足を付けて、この方向でぼちぼち行こかなぁ〜という方ばかりで、そうだよねと共感、納得のできる一冊です。

 

ただいまギャラリーで開催中の、「あかしのぶこ動物たちの肖像画展 ぼくらは知床に暮らしている。」よりお知らせ

知床斜里町のパン屋さんメーメーベーカリーから、美味しいパンが届きます。12日(火)到着予定。初日に売り切れてしま い、残念!という方、ぜひこの機会に味わってみて下さい。

15日(金)19時半より あかしさんのトークショーがあります。知床で出会った動物たちのお話が聞けます。お問い合わせはレティシア書房(075−212−1772)まで。

3.11を埼玉で経験した萩尾望都は、何も手につかず、茫然とした日々を送っていたそうです。そんな時、知人から

「68年チェルノブイリで原子力発電所が爆発する事故が起こり、土壌が放射性物質で汚染された。それで、土壌をきれいにするために、なのはなや麦を植えている。」と、聞いたのです。

その話に触発された彼女は、花が咲く話を書こう、それが希望になればいいと思ったのです。

「なのはな」はこうしてできました。舞台は震災後の福島。おばあちゃんを津波にさらわれた少女ナホちゃんが主人公です。マンガのストーリーを書いてしまうなんて野暮な真似はしませんが、ラスト、ナホちゃんはチェルノブイリにいるもう一人のナホちゃんに会います。それが、何を意味するのかは読者の想像力におまかせします。

単行本化するに当たり、書き下ろし「なのはなー幻想『銀河鉄道の夜』」が収録されています。賢治の「銀河鉄道の夜」と「ひかりの素足」をアレンジしながら、ナホちゃんとおばあちゃんの最後の出会いを描いています。さらに、放射性物質を”擬人化”した「プルート夫人」、「雨の夜」、「サロメ20××」もこの本で読むことができます。萩尾望都と言えば。個人的には70年代に出した「百億の昼と千億の夜」や「スタートレッド」等のSF作品に魅かれて読んでいました。放射性物質を擬人化して描くなどどいう離れ業をやってのけたのは、SF作家としての資質からなのでしょうね。

今回、「なのはな」(小学館900円)と一緒に、彼女の代表作も入荷しました。SF傑作選「AA’」(小学館900円)、「トーマの心臓」(小学館業書900円)、「モザイクラセン」(秋田書店650円)、「訪問者」(小学館800円)そして、「スターレッド」(小学館1300円)等、絶版になっている大型版が揃いました。ハードSF「バルバラ異界」も3巻セットの文庫で入荷しました。2002年、50歳を過ぎて描いた大作で、そのイマジネーションの豊富さに、こちらが追いつけない力作でした。

今回、ちょっと珍しい彼女の本も入荷しました。77年から79年まで「奇想天外」に連載された短篇小説を集めた「音楽の在りて」(イーストプレス1400円)です。こんな本が出ていたなんて知りませんでした。

 

「ぼくの人生では戦争中が一番平和なときだった」

ドキッとする文章に出くわす「ぼくのエディプス・コンプレクス」他10編を収録した「フランク・オコナー短篇集」(岩波文庫500円)は、お薦めです。フランク・オコナーって?? 村上春樹ファンなら、ご存知ですよね。

2006年、村上春樹は「フランク・オコナー国際短篇賞」を受賞しています。短篇の名手に贈られる賞で、すなわちオコナーも短篇の名手です。20世紀初頭のアイルランドに登場したこの作家は、当時の過激な、例えばバージニア・ウルフ、ジョイスらの英語圏の文学の流れをかえる作家とは異なり、いささかクラシックで、地味な作風ですが、人生の機微を巧みに描いています。

結婚を許されないカソリック神父の元に届いた謎の花輪を巡って展開する「花輪」のラストは、冷たい風の吹く荒地に佇む主人公の姿と、彼の心の奥にしまい込んだ愛が描かれていて、それが私の頭の中で、映像化されて焼き付きます。

訳者は解説で、こう書いています。

「オコナーの原点にあるのは、やはり『語る』という姿勢なのである。ストーリーを展開させることで、人物に生命を吹き込みたいという作家的な欲求にあふれている。理屈に溺れるより、たとえ昔ながらのものであっても、きちんと物語の場をあつらえ読者に入ってきてもらいたいのである。」

どの短篇の主人公たちも、さあ、どうぞと読者が参加してくるのを待っています。そして、人物の造形以上に、アイルランドの自然描写が魅力的です

「一日を通し、水平線には無数の赤銅色の千切れ雲があふれていた。丸みを帯びて小さく、さながら聖母の絵に描かれた幼い天使たちのように、空の果てまで埋めつくしている。そのうち、雲は膨らみはじめ、次々に泡を吹くかのように巨大になり、異なった色へと変わっていった。」

そんな情景描写に誘われながらオコナーの小説世界へとトリップしてください。

蛇足ながら、表紙カバーの絵画は、彼と同じくアイルランド出身のショーン・カスリーの作品です。

 

ただいまギャラリーで開催中の、「あかしのぶこ動物たちの肖像画展 ぼくらは知床に暮らしている。」よりお知らせ

知床斜里町のパン屋さんメーメーベーカリーから、美味しいパンが届きます。12日(火)到着予定。初日に売り切れてしま い、残念!という方、ぜひこの機会に味わってみて下さい。

15日(金)19時半より あかしさんのトークショーがあります。知床で出会った動物たちのお話が聞けます。お問い合わせはレティシア書房(075−212−1772)まで。

 

 

兵庫県立美術館で、12月8日〜2月14日まで「ジョルジュ・モランディ終わりなき変奏」展が開催されています。お正月2日からオープンしていたので、行ってきました。

モランディは20世紀イタリア美術史で最も重視される画家の一人です。独自のスタイルで、ひたすら静物画を描いた孤高の画家です。

作家、堀江敏幸は、モランディの静物画をこう表現しています。

「日常使っている品々が、そのどれにも似ていない存在感を放っている。私たちのまなざしは、壜と壜のあいだに、花瓶と壜のあいだに、花瓶と水差しのあいだに、つまりはざまに吸い込まれ、ひとつひとつの物ではなく、物と物のあいだに生じる呼気のようなものに否応なく惹きつけられる。」

ひたすら瓶を描き続けた不思議な作品がズラリと並んでいます。どこにでもあるような瓶なのですが、堀江の指摘する通り、その隙間の向こうをじっくり見つめると、彼の家に来てから今日まで、瓶の上に積み重ねられた長い時間が、ふわっと伝わってきます。

映画監督小津安二郎は、戦後の作品で、どこの家にでもあるやかん、お椀、茶碗、おちょこといった小物を、必要以上に画面の中に配置していました。そうするとその小物たちが、家族と共に過ごした長い時間を伝えてくれるのです。普通の家庭の、普通の生活を描き続けることで、観客は自分たちの生きてきた長い時間を見つめ直すことになります。同じように、モランディの家にあった瓶は、単なる瓶から、見るものに様々な思いをもたらす存在へと変化していくのでしょう。

モランディは1890年、ボローニャに生まれ、生涯、ボローニャとその近郊から出ることなく一生を過ごしたそうです。そして自分のアトリエの薄暗い部屋に閉じこもり、卓上静物と風景という限られたテーマに取り組みました。風景画にも人物は殆ど登場しません。

今回の作品展で、近くの街並みを描いた作品が展示されていて、これがとても素敵なのです。爽やかな日の光を浴びながら、マルチェロ・マストロヤンニみたいな陽気なイタリア男が、ワイン片手に煙草を曇らしながらベランダにいると、洗濯ものを一杯詰め込んだソフィア・ローレンのような大らかな女性が、声をかける・・・そんな情景が浮かんできます。展示会場を何度も往復しながら、その作品を見つめていました。

 

店にある「ジョルジュ・モランディ」(新刊/FOIL3240円)には、写真家ルイジ・ギッリが撮影したモランディのアトリエを見ることができますが、こちらも作品以上に、塵ひとつない空間で、静寂感が漂っています。こういう空間から、激しい自己主張や、物語を一切排した作品が出来上がってくるのですね。

静かな時間を堪能して、帰途に着いた途端、駅は初詣の人々で大混雑でした。そうだ、お正月だったんだ!と、満員の阪急電車で思いしった次第です。