休みを利用して、兵庫県立美術館で開催されている「1945年±5年」という展示会に行ってきました。1940年から1950年頃の日本の画家達の、油彩を中心とした作品展です。戦争と敗戦、そして占領の時代、作家はどうキャンバスに向き合ったかを知る絶好の展覧会でした。

個人的には、松本竣介(左写真参)と香月泰男の作品が観たかったのですが、深窓のお嬢様を描いていると思いこんでいた小磯良平が、今まさに突撃する兵士の一瞬をダイナミックに描いた作品に出会ったりしました。

この展示会に駒井哲郎の、40年代の河岸を描いた版画がありました。平和な河岸の、戦争の影などまるで見えない、心和む作品です。駒井は、文章も巧みで作家論、芸術論を小難しくならずに静謐な随筆で読ませてくれます。

「白と黒の造形」(講談社文芸文庫/絶版1450円)は、敬愛する画家たちへのオマージュに溢れたエッセイ集です。この中で、彼が手掛けた詩集、訳詩集の挿画の事に触れていて、ロオトレアモン作、青柳瑞穂「マルドロオルの歌」(限定350部 1951年発行)に五枚の挿絵、カット一点、全部オリジナルの銅版画を用いたとあります。さぞかし豪華な本だったんでしょうね。因みにネットでは現在10万円ぐらいの値段が付いています。さらに、安東次男の詩集「からんどりえ」は豪華版7部、普及版30部という超少数出版だったとか。

また、恩地孝四郎への敬愛に満ちた「音痴先生の思い出」というエッセイで、1935年頃からに発行された月刊書物誌「書窓」に掲載されていた挿絵や詩から恩地に魅き込まれ、駒井17歳の時、当時40過ぎだった恩地に出会い、親交を深めていった大事な時間を、慈しむように描いています。恩地は、こんな詩を彼に贈っています。

「五月は黄色い風にのってくる 窓辺は白くなり 内は青く染まるのだ 空にむけた心は光を呼吸する 投げこまれたエンベロブには何もかいていない 風は文字を持たないからだ ”bon ami” 形のない返事をかきつける」

そして駒井は恩地のことを、こんな文章で締めくっています。

「少年のような感受性を生涯持ち続けたなんとも優しい先生だったように思う」と。

 

 

日本のハードボイルド小説の創始者とも言える結城昌治(1927〜66年)は、「ゴメスの名はゴメス」等、スパイ物を一時、読み漁った作家でした。しかし、一方、「軍旗はためく下で」で、日本軍部の裏側を描き出した作家でもあります。

彼の「終着駅」(中央公論社/初版700円)という本が入荷しました。昭和58年に文芸誌「海」に掲載されたものをまとめたもので、終戦直後の暗い世相と闇市に浮かび上がる猥雑さが奇妙に入り交じった都市空間で生きる男の連作小説です。どぶにはまって死んだ「ウニ三」という奇妙な名前の男をめぐって小説は始まります。復員したものの、未来に何の当てもなく、覚醒剤ヒロポン、米や芋から作った密造酒カストリに身体を蝕まれつつも生きてゆく男たちの悲愁が綴られています。クールな描写とストイックな文体は、やはりハードボイルド小説を生み出した作家の持ち味ですね。

なお、この本には栞が付いていますが、そこに「終戦直後の俗語から」という一覧が描かれているのが興味深いですね。

さて、もう一点、三木卓の「路地」(講談社 /初版900円)をご紹介します。こちらも、文芸誌「群像」に連載されていたものをまとめた「鎌倉」を改題し、加筆訂正したものです。「鎌倉」というタイトルからお分かりのように、舞台は鎌倉です。

「うつむいた姿勢のまま『草迷宮』の初版本に新しいグラシン紙を巻く、という作業をつづけていた。」という文書で始まる「古書肆文芳洞」は古書店が舞台の小説です。空襲を受けなかった鎌倉の町で、妻の残した遺産でひっそりと古書店を営む西内。古い古書店に忍び込んでいる孤独が顔を出すこともある日常に、飛び込んで来た女性。えっ〜、古書店で起こるかよ!こんなこと、と激怒するも、最後にちょっとやさしく、暖かい風が吹き込んでくる心地にさせられる作家の腕前に堪能しました。舞台が、古都鎌倉のせいかもしれません。

60年代から詩人として作品を発表、その後、小説も手掛けるようになった三木は94年に心筋梗塞で生死の境を彷徨ったあと、鎌倉に移住。97年に児童文学「イヌのヒロシ」(理論社700円)で路傍の石文学賞し、同年にこの小説で谷崎潤一郎賞受賞を受け、その後も鎌倉を拠点に活躍しました。

なお、この本の装幀は杉浦日向子によるものです。

 

 

原作は読んだ。ピエール瀧主演でNHKがTVドラマ化した作品も観た。筋も、結末も知っているのに、横山秀夫原作「64」の映画をトータル4時間、一気に観ました。映画は前編と後編に分けて公開されています。なので、この日は朝一番にとりあえず前編だけをみようと出掛けたのですが、そのまま後編をみないわけにはいかなくなりました。

横山の小説の多くがTV化、映画化されていますが、役者の魅力を熟知し、大勢の登場人物を巧みに交通整理し、小細工をせず、一気呵成に大団円まで持って行ける監督なら、第一級の作品を作れます。その好例が「クライマーズ・ハイ」でした。群馬県山中に墜落したジャンボ機の大事故を追いかける新聞記者の激闘の日々を見事に映像化していました。

「64」は、たった数日間だけの昭和最後の年、元号が平成に変わる直前に起こった少女誘拐殺人事件を縦軸に、警察内部の権力闘争を横軸に、捜査一課から、広報部に移動した刑事の苦闘を描いていきます。多彩な登場人物に、それぞれ主演級の役者を配して、演技合戦でドラマの緊張感を高めていきます。よくもまぁ、ここまで役者を揃えたものだ!と先ず感心します。椎名桔平なんて、嫌味な刑事部長役で、僅か数分だけの出演ですからね。

小説なら「昭和が終り、平成の世が始まる」の一文で済むところを、映画は、天皇崩御から平成という年号に変わったことを報道するTVニュースの断片を挟み込み、当時の町の世相や、背景を構築し、丹念に描き込んでいきます。このお金の掛け方、これぞ映画です。

制作会社にTBSというTV会社が絡んでいることから、そう遠くない時期にTVで公開されることでしょう。しかし、TVでは鑑賞できないものもあります。

それは、登場人物の(言い換えれば俳優の)「皺」です。新聞記者との報道を巡る交渉で疲労する広報官の皺、権力闘争で破れていく警察官僚や、刑事たちの皺、そして、少女誘拐事件に巻き込まれた人々の抱えた深い闇と孤独を象徴するかのような皺と、それぞれの皺の深さを見つめる映画でもあります。

ぜひ、映画館で鑑賞していただきたい作品です。特に雨宮という重要な役を演じる永瀬正敏の見事な表情作りは見逃せません。

監督は瀬々敬久。知らなかったのですが、京大卒業後、ポルノ映画から出発した方でした。「人妻ワイセツ暴行」やら「痴漢電車巨乳がいっぱい」等々、ポルノ映画界を渡り歩きながら、一般映画にも進出。数年前、なんと4時間20分に及ぶ大作「ヘブンズ・ストーリー」を公開して、ベルリン映画祭で高く評価されています。また、新しい才能に出会えた一編でした。

 

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小さな額絵がずらーっとギャラリーの壁に並びました。宝石のようにキラキラして、なんとも可愛い作品展。

白崎和雄さんは、もともと油絵を描かれていたのですが、2年程まえから小さなガラス絵の世界に魅了されたということです。なんでも息子さんの奥様がネイルアートが得意で、それを見ているうちに、ガラスに絵を描こうと思いつかれたとか。ネイルカラーは、速乾性があるので、その時の勢いで描けるのがとても面白く、上手くいったときの爽快感は格別。対象と向き合って、サッと描く。バラの花も、アスパラガスも、みずみずしい感じがそのまま絵になり、潔くて逡巡がありません。コツコツ時間をかけ、深く掘り下げるものではなく、どちらかというと、白い紙に一気に筆を走らせる書のような感覚かもしれない、と思いました。

「タンポポの綿毛」(写真下)は可愛くて、このまま部屋に飾っておきたいと思ってしまいました。ホント、愛らしい!スピードが勝負といっても繊細でやさしげ。これらのガラス絵は、裏側から描いていき出来上がると裏返すので、一番前になるものから先に描くと解説していただきました。速く、瑞々しく表現する技を2年で習得されたのはすごいことです。

店長が「懐かしい!これ好きやな・・・」と、呟いたのが、「ビー玉」(写真右)でした。つるんとした艶は、ネイルカラーの特性とよく合っています。それと、白崎さんの絵が入っている額が、とても素敵です。小さないい額があると買っておいて、絵を合わせるのが面白いのにちがいありません。そういう楽しみが、小さな作品にいっぱいつまっています。

ここ2年間で描かれた50点ほど、一堂に並べていただきました。お宅の庭の花、野菜や置物など、身の回りにある好きなものを、すぐに描くことが楽しくてたまらないって感じが伝わってきます。(女房)

白崎和雄「ネイルカラーで描くガラス絵展」は6月26日まで。作品はすべて販売しております。

 

 

世界的文豪川端康成を「エロ親爺」呼ばわりするなど、不届き千万のお叱りを受けそうなブログで失礼します。

川端の本は、学生時代に「雪国」「伊豆の踊り子」を読み初めましたが、退屈なので放棄。大人になってから「古都」に挑戦しましたが、響いて来ませんでした。

印象が変わったのは、60年代半ばに篠田正浩が、川端の原作を映画化した「美しさと哀しみと」を見た時でした。同性愛の女性二人(八千草薫と加賀まりこが絶品でした!)が男の家庭を滅茶苦茶にするという「濃い」お話に、ヘェ〜川端さんって、こんな小説書くんだとびっくりしました。

「たちの悪いいたづらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」

で、はじまる「眠れる美女」(新潮社/初版1300円)は、不能になった老人が、秘密めいた場所で、意識がなく眠らされた裸の若い娘の傍らで一夜を過ごすというお話ですが、デカダンスとエロスの深い縁を彷徨う世界にぐっと引込まれてしまいました。老人の究極の恍惚を、ここまで描く作家の奥を覗いてみたいと思い、他にも手を出しました。

「みづうみ」(新潮社/初版1800円)になると、さらに加速します。気に入った美しい女を見かけると、その後を追ってしまう奇行癖のある男(ストーカーですね)が、少女の美しい黒い目の中の「みづうみ」を裸で泳ぎたいと願うという、もうわけのわからん妄想の世界へと突入していきます。主人公は元高校の教師。教え子を付け回すは、肉体関係を結ぶは、ハチャメチャです。そして、犬を散歩させている可憐な15歳の少女に血道をあげ、「みづうみ」で裸で泳ぎたい欲望に捉われていきます。

ストーリーだけ書いていると、エロ小説みたいですが、研ぎ澄まされた美意識が生み出す文章に導かれて、人間という奇々怪々な、複雑な姿を見せられます。それが快感になってくるから、不思議ですね。

なお、こちらの小説は吉田喜重監督が、岡田茉莉子主演「女のみづうみ」というタイトルで映画化されたみたいです。松竹ヌーベルバーグ派の篠田、吉田と揃って川端作品を映画化しているんですね。

もう一点、舞踏の世界を巡って展開する川端エロスが楽しめる「舞姫の恋」(毎日新聞社600円)も入荷しました。

 

 

★「かっこいい〜」と思わず叫んでしまった女性が、下の写真です。

アメリカに「アラバマシェイクス」というロックバンドがあります。リードボーカルは、Youtubeで映像を見た時、え・・・と、この人、男性?女性?どっちかわからない風貌で、めちゃくちゃパワフル。ダイエットなぞ、どこ吹く風といわんばかりの巨体から、絞り出すように歌うブルース。有無を言わせないパワーにただただ圧倒されました。

自らの正しさを声高に主張せず、相手の愚かさを糾弾せず、そんな人間同士が戦うことの無意味さを歌う“Don’t Gonna Fight”を一度見て下さい。アメリカのマツコデラックスなんて言わずに、性別や人種の境界線を越えてゆく姿を堪能して下さい。(ちなみに彼女は白人の母親と黒人の父親を持っています。)CDは店に置いてます(US盤1600円)。女性ロッカーというレッテルを吹き飛ばすブリトニー・ハワードは、ひれ伏したいくらいカッコイイ人でした。

★復活を!

日本で悪役やらせたらベスト5の俳優といえば、成田三樹夫、金子信夫、佐藤慶、石橋蓮司、そして郷鍈治だというのが私のセレクションです。その郷鍈治の連れ合い、ちあきなおみには、これはもう見果てぬ夢なのかもわかりませんが、復活して欲しいと切に思っています。切れ味、凄みとも独特だった郷鍈治亡き後、彼女は、ぷっつりと歌謡界から消えました。石井隆監督作品「GONIN」で、ちあきの「赤い花」が挿入歌として巧みに使われていましたが、男と女の暗い情念を歌い上げた絶品でした。そんな彼女が古いスタンダードや、ポピュラーナンバーを取り上げて、グッド?オールドアメリカンの世界を歌った「Three Hundreds Club」(1200円)が入荷しました。ノスタルジックを込めて歌う、彼女の魅力を発見できる作品です。

★マニア必読の本入荷

大手CDショップのディスクユニオンが出版社を設立。「DU BOOKS」という名前で、音楽マニア必読の本を出版しています。その中の一冊、鈴木惣一郎「細野晴臣 録音術」(2000円)が入荷しました。フォーク、ロック、歌謡曲、ニューウェイブ、テクノ、ワールドミュージックとあらゆるジャンルの音楽を自分のものとして、刺激的な音楽をクリエイトしている細野晴臣が、彼の創作現場を支えたレコーディングエンジニアへのインタビューを通して、日本のポップスがどう作られて来たのかを見せてくれる労作です。もちろん、細野自身のインタビューも満載です。近年の傑作「ホソノバ」に谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」のほの暗さが充満しているなんて話は興味津々です。

彼がサントラを担当したますむらひろし版「銀河鉄道の夜」(1400円)も再入荷しました。

 

 

先月、このブログで、木山捷平の本の紹介で取り上げた「幻戯書房」のシブイ文芸書が数点入ってきました。

先ず、常盤新平の「酒場の風景」(1950円)。雑誌「クロワッサン」や「小説現代」に連載されていた短篇小説をまとめた一冊ですが、銀座の小さな酒場で繰り広げられる男と女のお話が続いていきます。特に深い話があるわけではありませんが、短篇の名手と呼ばれる常盤の真骨頂です。

例えば、「グラスの持ち方」。これ、タイトル通りのグラスの持ち方のウンチク話かと思いきや、妻とのセックスの回数が減っている作家と編集者のお話で、どお〜ってことのない短篇ですが、街の片隅にある小さなバーで、ボソボソと話し合っている中年男の背中が見えてきます。常盤新平は、長編「遠いアメリカ」とアーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」の翻訳がベストだと思いますが、深い香りのアイリッシュウイスキーを飲みながら、ずっと読んでいたい酒場短篇集です。

その中で、「イクスクィジット」という短篇は、日本語に訳すると「名器」、つまり女性性器の事なのですが、これを巡ってああーだ、こうだと話をする青年達に向かって、タンカをきる女性が登場します。こればっかりは、飲む手を留めて拍手、拍手ですね。

次にご紹介するのは、田中小実昌「くりかえすけど」(2900円)。この作家の世界って、飄々としていて、脈絡がなく、あっちへフラフラ、こっちへフラフラなのですが、不思議に、突然心地よくなってきます。

各種文芸雑誌に載せたものを一冊にまとめたこの本の中では、「軽列車と旅団長閣下」が、いかにも田中的世界でした。日中戦争時代の中国で、旅団長にションベンをひっかけた「ぼく」のお話ですが、軍隊の暴力性をえぐり出すような濃密なものではありません。ただ、戦争下ではふと思いついたことをうっかりしただけで、銃殺になるかもしれないと、「銃を肩にのっけたまま小便したことも罪になるのか?」と、悩んでしまう「ぼく」の独白で終わるのです。戦争などバカバカしいと思っている人間の正直な感覚が、独特の語り口で書かれています。

もう一点。戦前の前衛詩を引っ張った詩人、北園克衛が1930年代に書き上げた小説を集めた「北園克衛モダン小説集」(2900円)

「街には花咲く春が訪れて来た。そして街の少女たちはシイルやアストラカンの外套の重さに耐えかねて、チュウリップの水々しい茎のような溌剌とした四肢を、晴々しい春の微風のなかに投げ入れた。

ある明るいエキゾチックな午後であった」

なんて文章で始まる、この詩人らしいエスプリに溢れた小説集です。1930年代に書かれた、モダンな精神に富んだ作品が並んでいます。本の表紙には「白昼のスカイスクレエパア」と書かれていますが、そんなタイトルの小説は載っていません。

白昼の高層ビルに太陽光線が当たった、その眩しさに潜む幻想的なイメージを象徴させたかったのかもしれませんね。

 

大学時代だったと思います。小さなホールで、当時ソビエト連邦に属していたグルジア共和国の映画「ピロスマニ」を観ました。他にいっぱい面白い映画があったのに、何故これを観たのかは覚えていませんが、静謐な佇まいに感動しました。

 

さてその映画の主人公で、不遇のまま世を去った画家ニコ・ピロスマニの画集「ニコ・ピロスマニ」(文遊社5000円)が入荷しました。

ニコ・ピロスマニは、19世紀末から20世紀初頭、国内を放浪しながら絵を描き続けました。荒野に生きる動物であったり、ささやかな食卓を囲む農民達の夕餉の様子を素朴に描いています。あまりにもプリミティブゆえに、幼稚だと評価され、極貧の中で死去します。

プリミティブと言われれば、そうとしか表現できないのかもしれませんが、これほどに、日々を質素に生きる人の佇まい描き続け画家もいないのではないでしょうか。「薪売りの少年」や「乳搾りをする女」の日々の労働への眼差し、収穫を祝う男たちの、今まさに始まらんとする野外での宴席を描いた「収穫祭」、大鹿、クマ等々の野生の生き物達のポートレイトに満ちあふれた画家の深い愛、その無垢な魂に触れてしまうと、先程までいらついていた感情が、消えていくような不思議な世界です。

絵本作家の、堀内誠一は「”村の祭”とか、”ビールが来た”とかいう主題の、人間とその生活、動物、自然一切を愛しくなでた絵の無欲な自由、暗い中の温かさを、僕もグルジアという名前と共に記憶するだろう。」と書いています。

「無欲な自由」これは、ピロスマニの資質を言い当てた言葉ですね。

居酒屋でパンとワインのために絵を書き、町から町へ彷徨い、草原をゆきかい、ロシア革命の翌年、誰にも看取られずに56歳の生涯を閉じたピロスマニの作品が、今、世界的に評価されているのは、雑音と情報に取り囲まれて出口を見失った私たちに、ほれ、こっちこっちと手を差し伸べてくれているからかもしれません。

 

この画集に寄稿しているのは、スズキコージ、山口昌男、池内紀、小栗康平、あがた森魚、四方田犬彦、そして堀内誠一等々という顔ぶれです。彼らの文章を読みながら、作品を眺めてみると、また新たな発見があります。

 

 

シャーロット・ランプリング主演「さざなみ」を観て来ました。上等な映画に久々に出会いました。ここで言う「上等」という意味は、抑制のきいた演出と、簡潔な脚本、そして過剰にならない演技で、じっくりと人間の心の奥を見つめる作品のことです。

お話は極めてシンプルです。初老を迎えた夫婦の幸せな一日からスタートします。その夫に一通の手紙が届きます。妻と一緒になる前につき合っていた女性がかつて山で遭難、その遺体が何十年かぶりに見つかったという内容でした。最初は気にもとめていなかった妻ですが、徐々に、心の中に言いようのないさざ波が立ち始めます。別に夫が不倫してたとか、愛人がいたとか生臭い話ではありません。もう40年以上前の話です。しかし、妻の心に打ち寄せる苛立ち、不安が途絶えることがありません。

思わす、上手い!と拍手しそうになったのが、ぼんやりと川辺を見ていた妻の前を、一隻のモーターボートが横切っていく場面。静かな水面にさざ波が出来ていきます。妻の心に起こることを予期させるような見事な演出です。

極めて上等な作り故に、映画はリズムが急激に乱高下することなく静かに進行していきます。90分間、私たちも息をひそめて、この夫婦と時間を過ごす事になります。ゲイの青年同士の二日間を描いた「ウィークエンド」で注目された41歳の若手監督アンドリュー・ヘイは、デビット・コンスタンティンの短編小説を元に、深く心に留まる省察のドラマを作り上げました。ラストの妻の複雑な表情は、彼女の心にうまれた波がおそらく一生おさまる事はないと予感させます。一人でいるより二人の方が、孤独の闇は深いものですね。

シャーロット・ランプリングも夫を演じたトム・コートネィも、絶品です。

★お知らせ

すずきまいこさんの個展(6/5で終了)で販売していた絵本「ぼく、生きたかったよ」(かりん舎)は、反響が大きく、このままお取り扱いを続けます。よろしくお願いします。

国文学者、折口信夫が釈迢空(しゃく・ちょうくう)の名で1943年に出版したた「死者の書」が、近藤ようこによって上下巻のコミックとしてリメイクされました。(角川書店2冊1100円)

奈良県にある当麻寺に伝わる当麻曼陀羅の伝説を基に書き上げられた幻想小説です。

時代は平城京の盛りの頃。お彼岸の日、藤原四家の一つ豊成の娘、郎女(いらつめ)は、日が落ちる山に尊い御方の幻影を見ます。 千部写経の成就に導かれ、非業の死を遂げた大津皇子の亡霊と交わり、尊い御方の姿を蓮糸で曼陀羅に織り上げた姫は、自らも浄土へと誘われてゆく、というお話です。

原作を読んだ時、錯綜する人物、古代の宗教観、死生観等が入り交じって進行するものですから、なかなか読みづらい小説でした。しかし、

「した、した、した」という言葉で死者が目覚める物語の始まりから、何か得たいのしれない力にぐいと掴まれて、魍魎たる世界へと入ってしまいました。

この死者は射干玉(ぬばたま)の闇の中でゆっくりとに記憶を呼び戻し、かつて好きだった耳面刀自(ミミモノトジ)に語りかけていきます。非業の死を遂げた若者のキャラクター造形が見事で、あの小説はこういう話だったんだと納得しました。

近藤ようこは坂口安吾原作による「戦争と一人の女」(青林工藝舎800円)で、狂気の戦争とその後を生き抜く男と女の姿を、見事にコミックとして成立させていましたが、「死者の書」も、原作へのイントロダクションとして、或は、原作で展開する西国浄土への幻影の視覚化に成功しています。

ラスト、曼陀羅を書き上げた姫が、誰にも気づかれずに、この世から、浄土へと旅だってゆく数ページの描き方は、ひょっとしたら小説以上かもしれません。

松岡正剛は「死者の書」を「日本の女が見た古代の魂の物語なのである。」と「松岡正剛の千夜一夜」で書いていますが、近藤版「死者の書」は、自らの魂の進むべき方向に、すべてを捧げた女の一生の物語と言えるのではないでしょうか。

情報によれば、次回マンガ化するのは、夏目漱石の「夢十夜」だとか。こちらも期待ですね。

 

★臨時休業のお知らせ 6月6日(月)、7日(火)お休みいたします。

 

 

 

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