戦場で傷つけた左目に、真っ黒のアイパッチを付け、ウォッカロックを飲みながら、タバコスパスパで戦場を渡り歩く女性ジャーナリストの生涯を描いた「プライベイト・ウォー」を観に行きました。

英国サンデー・タイムズ紙の特派員として、世界中の戦地に赴き、レバノン内戦や湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争などを取材してきた女性記者、メリー・コルヴィン。スリランカ内戦で左目を失明し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、黒の眼帯をトレードマークに世界を駆け巡りますが、2012年、シリアで砲撃を受けて命を落としました。

地獄のような戦場を再現しながら、映画は、世界にその姿を知らせようとした彼女を、決して英雄として描いていません。私たちは、なぜ殺し合いをするのかという永遠の命題を突きつけてきます。そして、子供、女性、一般市民が虐殺される様を見つめていきます。決して後味のいい映画ではありませんが、たとえ、宗教上の問題や、国境の問題などがあるにせよ、私たちは戦争をしてはいけないのだと改めて認識させてくれる映画でした。監督は「ラッカは静かに虐殺されている」で、シリアの悲劇をドキュメンタリー映画として制作したマシュー・ハイネマン。今度はドラマで戦争の悲惨さを描き出しました。

もう一人、戦争をしてはいけないことを最後まで言い続けた映画人がいます。菅原文太です。坂本俊夫著「おてんとうさんに申し訳ない」(現代書館/古書1400円)という彼の自伝の最後「文太の思い」という章に詳しく書かれています。

彼は、俳優として忙しい日々を送っていた頃から、少しずつ社会との関わりを深めていきます。日本の食料自給率を考えると、これからは農業こそ最も重要な産業にしていかねばという意識が、彼を農業生産法人会社「おひさまファーム竜土自然農園」を2009年に山梨県に設立させ、有機無農薬農業へと向かわせます。2011年の東日本大震災以降は、反原発、脱原発を推進する活動を始め、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴、赤川次郎らと「自然エネルギー推進会議」の発起人になります。

そして、戦争中の悲惨な体験が風化されてゆく現状に対して、こう発言しています。

「いまの総理大臣こそが『戦争は、誰が、どんな理由で起こそうとも間違っている』と言わなければならない。『日本は二度と戦争をしない。手助けであろうが絶対にしてはいけない』と率先して示さなければいかんのに、いま逆の現象が起きている」

戦争経験者ならではの、昨今の危機感の表れです。彼は、行動で示すために沖縄辺野古へと向かい、基地反対闘争を支援し、沖縄知事選の応援役も買って出ます。沖縄出身ではないのに、ここまで行動する根底には「やっぱり日本人として恥ずかしい気持ちがあるんですよ。いいかげん、何らかの決着をつけなきゃいけないのに、何も変わらない」という思いがあったからです。

この本は、文太の俳優人生を丸ごと描いているのですが、最後は役者としてではなく、社会と真剣に関わった一市民として亡くなった彼の姿で終わります。彼の思いを、私たちみんながそれぞれの立場で、繋いでゆくべきだと思います。

 

 


「沖縄では戦争で県民の四人に一人に当たる十数万人が亡くなったそうです。本土決戦のための時間稼ぎとして戦った結果、多くの住民が巻き込まれ、命を失いました。戦争は、国のためにするのであって、そこに住む人は守らないのだと思いました。」

このしっかりした文章を書いたのは、15歳の時、故郷石川県を離れて、一人沖縄に向かい、珊瑚舎スコーレという名前の無許可の学校に通い始めた坂本菜の花さんです。彼女が高等部入学と同時に、北陸中日新聞で連載の始まった「菜の花の沖縄日記」(ヘウレーカ/新刊1728円)の中の一節です。

彼女が沖縄に行こうと思ったのは、中学の修学旅行で感じた漠然とした魅力からでした。沖縄にある面白い学校、珊瑚舎スコーレを見つけ、一人で故郷を飛び出したのです。高校3年間で感じたさまざまの事、例えば学校のこと、友人のこと、辺野古のことなど、彼女が見つめた沖縄の今の姿が、高校生らしい真っ直ぐな文章で綴られています。

楽しいことも多いけど、やはり基地の町という現実に直面します。内地の人間は、なぜ沖縄のことを他人ごとだと思っているのだろうという疑問に対して、自分はどう考えるのか、どう生きて行くのかという自分のスタンスをこう言い切っています。

「人ごとという理由でいろんな出来事を片付けてしまわないために、いろんな場所、県、国で友だちをつくること。これは私が中二のときに、世界で起きている戦争を調べてたどり着いた答えの一つでした。そして、最近思うのが、そういう出来事にアンテナを張りながら自分の場所で生きること。疑問に出会うたびに原点に返ります。」

実に明確です。

沖縄戦で、「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉を信じた多くの民間人が自決しました。そんな自決こそ日本人の本分、という社会の雰囲気を作り出したのは日本国です。その事に気付いた著者は「私はヤマトンチュ(本土の人)です。加害者側です。『沖縄はアメリカに翻弄されて、自国の日本にも翻弄されている。昔も今も沖縄の立ち位置は変わっていない』と同級生の男の子は最後に言いました。戦争は終わっていません」

これは深い言葉です。

現在、彼女はこの高校を卒業して、故郷に戻ってきています。各地を旅しながら、世界がどんどん悪くなる今を、未来を考えているはずです。最後に素敵な言葉を彼女は書いています。それは、ガンジーの言葉です。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

もっといろんな事を知り、多くの人と出会い、考え続ける。それが彼女の人生です。

この本が映画になったみたいです。「菜の花の沖縄日記」本と同じタイトルで2020年公開予定です。

 

ガラス絵の魅力は、つるんとした透明感です。パンジーの瑞々しい花弁をサッと捉えた一枚などは、ガラスにネイルカラーの鮮やかな群青色が美しく、小さな宝石のよう。

白崎和雄さんの「ミニガラス絵」展は今回で4回目を数えます。ガラスの上に速乾性のあるネイルカラーで、一瞬のきらめきを定着させる技が見事です。2016年に初めて作品を見た時から、きっとご自身がすごく楽しんで作っておられるのだろうと思っていましたが、毎年20枚以上の新作を作り続けることに驚きます。描くのは、身の回りにあるお気に入りの小物や、花や、果物などです。興味を持って一つ一つを作品にしていく豊かな時間。その余裕が、観る者に幸せを感じさせてくれるのかもしれません。

ガラス絵は、透明なガラスに裏から色をつけていきます。そのため、出来上がった時に一番上に乗る色から置いていくのですが「たんぽぽ」(写真左下)の作品では、背景の黒色を先に塗って少し花がぎこちなくなったと、反省されていました。でも、そのたんぽぽの花が、プリントの花柄のようでとっても可愛いのです。計画通りには描けないことも含めて、そのやりとりが、絵を描く楽しみのうちなのでしょう。

白崎さんは学生時代は油絵を専攻されて、会社勤めを辞めたのち、再び筆を取るようになりました。毎年、学生時代の仲間と、ガラス絵の個展と同じ時期に近くのギャラリー「ヒルゲート」(寺町三条上る・9/22まで)で作品展をされています。暑さも少しずつ和らいできました。京都の町の散策には良い季節到来。ギャラリー散歩にお出かけいただければ嬉しいです。(女房)

 

 

 

★ネイルカラーで描いた「ミニガラス絵展」は9月17日(火)〜29日(日)12:00〜20:00(最終日は18:00まで)

 

23日(月)は定休日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨晩、ベランダから中秋の名月を観ながら、お酒を飲んでいました。ゆったりとした気分が流れる時間でした。そんな気分置いて、ご紹介する本は、おぞましい3冊です。(嫌味ではありません)

H.R.ギーガー、あぁ〜、あの化け物をデザインしたアーティストかと思い出された方、そうです。映画「エイリアン」に登場する凶暴異星人を創り出した人物です。おぞましく、悪寒の走る凶悪な怪物と、彼らの住む湿気ムンムンの惑星を造形し、観客を恐怖のどん底に落としました。その後、映画はシリーズ化され、私も映画館で観て、DVD まで買った”愛すべき"シリーズです。

そのギーガーの作品を集めた画集を3点入荷しました。先ずは「ギーガーズエイリアン」(トレヴィル/古書4000円)です。これはタイトル通り、映画のために彼が創造したキャラクター、舞台背景を集めたものです。エイリアンが生まれる卵や、人間の顔に取り付いたエイリアンの子供など、目を背けたくなる造形物で一杯です。この映画でギーガーは、一躍世間に知られるようになり、国内で個展も開催されました。確か西武大津店の美術館に出かけた記憶があります。

ギーガーは長いキャリアを持っているシュールレアリズムの画家です。そんな彼の歴史を振り返ったのが「バイオメカニクス」(トレヴィル/古書4000円)。1964年、チューリッヒの美術学校に通っていた頃の作品から本書はスタートします。グロテスクさと、悪魔的幻想さを兼ねあわせた作風は若い時から突出しています。狂気と正気の境目まで行ってしまったかのような、凶暴な線が乱舞するスケッチなど、この作家を理解する上で重要な作品も多数収録されています。

そして3冊目「ネクロノミコン」(トレヴィル/古書3000円)。タイトルの「ネクロノミコン」とは怪奇作家ラヴクラフトの一連の作品に登場する架空の書物です。ラヴクラフトが創造したクトウルフシ神話の中で重要なアイテムとして登場し、クトゥルフ神話を書き継いだ他の作家たちも自作の中に登場させて、この書物の遍歴を追加しています。ギーガーは1977年に本作品集を発行し、収録作の一つ「ネクロノームIV」に描かれた異形の怪物が「エイリアン」の原型になっています。

グロテスクな作品のオンパレードですが、魅力的でもあります。人間の憎悪、狂気、妄想の極地に到達したからこその、無機質な美が確実にここにはあります。今でも、熱心なファンが多いギーガーですが、未見の方は、怖いもの見たさでページを開いてみてはいかがでしょう。なお、「ギーガーズエイリアン」以外の2冊は縦43cm横30cmの大型美術本なので、迫力十分です。

今晩の月には、ウサギではなくエイリアンが映っているかも…….。

 

 

 

 

「本の雑誌」に吉野が連載していた書評というか、本を紹介するコミック「お父さんは時代小説が大好き」「お母さんは『赤毛のアン』が大好き」「弟の家には本棚がない」「本を読む兄、読まぬ兄」「犬は本より電信柱が大好き」「神様は本を読まない」、悪魔が本とやってくる」「天使は本棚に住んでいる」全8冊のうち、「弟の家には本棚がない」(古書600円)、「本を読む兄、読まぬ兄」(古書600円)、「悪魔が本とやってくる」(800円)、「犬は本より電信柱が大好き」(古書800円)を入荷しました。

まずは「悪魔が本とやってくる」がオススメです。「シンデレラ」を読んでいる少女のそばに来た悪魔が、結婚したシンデレラと王子の将来についてこう囁きます。

「だって苦労知らずのバカ王子と苦労人の美少女だよ うまくいくわけないじゃん」「きっと浮気するね」と言い残して消えていきます。この最初の一編だけで、笑えてきますよね。このイントロにハマったら、本編もどんどんいきましょう。

本編の主人公は、ウエルッシュ・コーギー犬を一匹飼っている著者です。毎回、読んだ本についての読書体験がユーモアたっぷりに描かれています。幅広い本が紹介されています。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、穂村弘「君がいない夜のごはん」、アシモフ「コンプリート・ロボット」などなど、ジャンルクロスオーバーしていくところがミソです。阿佐田哲也「Aクラス麻雀」まで遡上に上がっているのですから。

そして、そこに紹介されている本を読みたくなるかと言えば、まぁそうでもないところが良いのです。本筋とは全く無関係なことばかりの章も沢山あります。本を肴にして、ほのぼのとした味わいのあるコミックが展開し、おっ、この本で、こうくるか??というヒネリを楽しんでください。

「本を読む兄、読まぬ兄」の「他人の本棚」という章で、堀江敏幸「雪沼とその周辺」、ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」、ステーブン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」の3冊が登場します。いかにも、という本であることは、読書好きの貴方ならお分かりでしょう。主人公の独白はこうです。

「自分が人に見せるなら見栄を張ってミルハウザーとかオースターとか堀江さんとか並べちゃうかな でもそれじゃ芸が無いよな きれいすぎる わざと読んでもいないベストセラーでも入れるか んーあざとすぎる じゃあ誰も知らなそうな渋い本を」

その一方で、知らなかった事実をゲットしたりもできます。ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」がアメリカで初上演された時のこと。あまりに退屈で、理解不能だと客がみんな帰ってしまったのですが、二人だけ最後まで観た客がいたのです。その二人とは、なんとウィリアム・サローヤンとテネシー・ウイリアムズだったそうです。

「必読!」とか「癒されます」と言った陳腐な推薦の言葉は全く登場しません。なんだか読書がさらに楽しみになる不思議な4冊です。それぞれの本のタイトルが意味深のようでもあり、そうでもないようでもあり…….。

 

海外文学で台湾、韓国の作家が注目されています。白水社エクス・リブリスという海外文学シリーズに、若手の旬な作家の作品が集められています。その中の一冊、呉明益の「歩道橋の魔術師」(古書/1800円)を読みました。

今年、最も鮮やかな印象を残す短編集でした。ノスタルジックな雰囲気に抱きしめられて、読書の快楽を思い切り感じさせてくれました。

呉明益は、1971年台北生まれのエッセイスト、小説家です。本作品には、タイトルになっている「歩道橋の魔術師」のほか、10作品の短編が収められています。そして、幾つかの作品に魔術師が登場し、物語に深い幻想的雰囲気を出しています。

舞台は、戒厳令解除(1987年)の前夜、台北の繁華街「中華商場」。経済成長の熱気ムンムンの商店街に生きる子どもたちが、遊び、学び、働いている姿には、日本の昭和30年代〜40年代のノスタルジックな雰囲気が濃厚です。作者自身、尚場で青年期を過ごしています。だからと言って、そんな気分だけの物語ではありません。

歩道橋に魔術師がいて、現実世界とは違う世界を見せてくれる。しかし、それはともすれば、子どもたちを、現実とイリュージョンの彼方へと引きずりこみます。ただ、物語の視点は、大人になった子どもたちのそれであり、あの時代を見つめ、すでに自分の人生の方向が決まっていたことを冷ややかに思い出すのです。その距離感が、巧みです。

本作を翻訳した天野健太郎は、「呉明益の平易で、かつしっかりとした透明感のある文体は淡々と人物、会話、風景を描写し、でも最後、なにかがこぼれ落ちたように、たしかに心をうつ。」と解説しています。

「たしかに心をうつ。」 ホント、そうなんです。

「わたしは浴室に向かって叫んだ。ねぇ、服借りていい? いいよ、右手の戸を開けると、シャツが入っている。わたしはクローゼットを開けた。するとそこにゾウがいた」

という不思議な描写で幕をあける「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」という小説には、読者の心をうつ、何かが潜んでいます。昨今、簡単に号泣させたり、感動させたりする小説が多いのですが、そんなレベルとは遠く、忘れていた自分の心の痛みや、甘酸っぱい後悔を思い出す傑作短編が並んでいます。

絶対、オススメです。

昨年だったでしょうか、「翻訳できない世界の言葉のことば」という本がベストセラーになっていました。著者はエラ・フランシス・サンダース。彼女の新しい著書「ことばにできない宇宙のふしぎ」(創元社/古書1300円)をご紹介します。全51章で、左ページに彼女の描いた素敵なイラストが、右ページに文章が載っています。

第1章「私は炭素でできている/ I am made from carbon」は、こんな文章で始まります。

「恒星は、死ぬとき最後に大きな一呼吸を終えると、焼きすぎたスフレのように中心に向かって潰れていきます。このとき、星の外側の物質が、広大な無で在り同時にすべてでもある宇宙空間に放出されます。毎年4万tものこんな星くずが地球に放り注ぎ、そして、その星くずは、地球上の命の絶え間ない営みに使われる元素を含んでいます。」

科学で解明された事実を、文学的な文章で表わすためには高度な技術が必要でしょう。著者は時にクールに、時にユーモラスに、宇宙を、原子の世界を、自然界の摂理を、語っていきます。「私たちは、太陽を食べていきます」なんて一文に出会うと、え、ホンマかいな?と思いつつ、引き込まれていきます。

静かな空間を滑るように進む宇宙船が登場するSF映画の影響かもしれませんが、なんとなく宇宙って静謐な空間だと思っていますよね。しかし「実際には、宇宙はとんでもない騒音と、絶え間ない大混乱に満ちているのです。」と著者は言います。60年代に天文学者は、鬱陶しい雑音が宇宙から聞こえてくることに気づきました。これは、「ビッグバンの残滓である『宇宙マイクロ波背景放射』で、宇宙で最も古い音だったのです。それ以来、私たちは宇宙の奏でる精巧で不思議な音を知るようになりました。」と続けているのですが、天文学や、宇宙物理学の難しいことばを使わずに、この宇宙空間の不思議さを解説していく手腕がお見事です。現代科学で解明されていった事実が少し身近に感じられる、小さな、でもとても美しい本なのです。

私が一番気に入ったのは、「私たちのDNAは、チンパンジーとも1.3%しか違わないのです。また、90%は猫と、80%は牛と、60%をニワトリと、もしくはショウジョウバエと共有し、バナナとさえも50%の遺伝子を共有しています。」という件りです。

地球上の全ての生きものは、程度の差こそあれ、遺伝的に共通している。”We are The one”という所ですね。アメリカ第一主義という単語しか知らないトランプ氏の脳細胞に刷り込みたいものです。

 

アンドリュー・ワイエスという画家をご存知でしょうか?

戦前から戦後にかけてのアメリカ東部の田舎に生きる人々を、鉛筆、水彩、などで詩情豊かに描きました。柔らかい画調で描かれたような世界が、映画「ゴールデン・リバー」のラスト5分間に登場します。長い旅から戻ってきた二人の兄弟を迎え入れる老いた母親。久々に浴びるお風呂、ベッドに寝転ぶと、柔らかい日差しの向こうから吹き込んでくるそよ風。地上の天国のような情景です。でも、そんなシーンは5分間のみです。

ヨーロッパで多くの映画賞を受賞してきたフランス人監督、ジャック・オーディアール初の西部劇「ゴールデン・リバー」は、西部劇のスタイルをとっていますが、多面的な面白さを見せてくれる作品でした。

先ず、撃ち合いシーンにカタルシスも、格好良さも全くありません。主人公は、殺し屋稼業の兄弟。シスターズ家の「シスターズブラザー」です。ゴールドラッシュ真っ盛りの時代、特殊な薬品を使って、砂金を見つける方法を知っている化学者を追いかけ、その方法を奪って抹殺することが与えられたミッションです。西へ、西へと向かってゆくのですが、その道中の描き方がユニークです。寝込んでいびきをかいていた兄の口に大きな蜘蛛が入り込み、飲み込んでしまい、次の日、顔がむくみ、悪寒と白熱で苦しむ兄イーライ。初めて、歯磨き粉を買い、楽しそうに歯を磨くおとぼけぶりもあります。また、山中で夜を明かした時、熊が乗ってきた馬に襲いかかってきます、熊を撃ち殺したものの、馬の頭部に傷が残り、ハエがたかり傷が悪化し死んでしまいます。可愛がっていたイーライは、死体を前にして呆然とします。

あっちへふらふら、こっちへふらふらと無為な日々、果てのない殺し合いが続いていきます。やっと見つけた化学者でしたが、砂金に目がくらみ、山分けを条件に砂金掘りに協力します。はは〜ん、この連中が仲間割れを起こして殺し合いをして映画は、その業の深さと人間の愚かさを描いてエンド、と、ある程度映画を見てきた者なら予測しますが、大外れです!

特殊な薬品を川に流すと、不思議なことに砂金が光るのです。そのことに狂喜した連中は、なんと薬を全部川にぶちまけるのです。この薬品には、人間の肌には良くないものを含んでいたのでしょう。皮膚は血だらけになり、苦しみ出し、のたうち廻って死んでしまいます。なんとか、難を逃れた兄弟でしたが、弟チャーリーは、腕がボロボロになっていて、そのままでは毒素が全体に回るので、飛び込んだ医者の家で、ノコギリで腕を切断します。最初、ギコギコという音がしていたので、何かなと画面を凝視すると弟の腕……。

地獄のような旅を描いた作品ですが、ラストに登場するのが、アンドリュー・ワイエス的世界です。兄弟には天国のような穏やかな時間が流れます。観客も救われた気分です。

作家の乃南アサは、この映画を評価して「すぐ傍まで文明が押し寄せている西部開拓時代に、あえて荒野を目指す兄弟の姿は、そのまま欲望と理性、未開と文明とを象徴している。」
さすが、美味い表現です。
蛇足ながらワイエスの作品集、”ANDREW WYETH”(洋書3000円)が店にあります。
いい作品が並んでいますよ。

 

本日より松本紀子さんの写真展が始まりました。

タイトルの「そのかわり その代わりに」というのは、シンガーソングライターのヤマモトケイジさんの「ストーリー」という楽曲にある言葉。松本さんはヤマモトケイジさんの紡ぐ言葉が好きで、5ヶ月に及ぶフォトセッションを重ね、彼の魅力を写真で表現しようと「ストーリー」の歌詞とともに小さな写真集「そのかわり、その代わりに」(税込1000円)を作りました。レティシア書房に写真集を持ってこられたのがお付き合いの始まりです。

アコースティックギターの音色が聞こえてくるような作品の数々。松本さんが、ヤマモトさんの音楽を愛し、深く理解しようとしたから撮ることのできた写真ではないかと思います。岡山市内にある大正時代に建てられた「禁酒会館」の中で撮影された写真は、風格のあるインテリアがとても素敵で、そこにだけ流れる静謐な空気を感じました。

「声あげたその日から  数えきれぬほどに重ねてきた  すてきなこと  許せぬこと  涙あふれるほどふるえること  ひとりひとりが胸にあずけたもの  思い出でこの星はあふれている  知らぬ間に時は往き  楽しみに待つことも  ああ、減りました  そのかわり  その代わりに  あなたの横にいる、それが楽しく  ひとつひとつが意味を紡がずとも  今ここにあるものが偶然でも  めぐる季節がうたうように終わる日まで  どうかこころのままに歩いてゆけ」

この写真展のテーマ「そのかわり その代わりに」の歌詞です。歌詞のひとつひとつが写真のタイトルになっています。遠くを見つめる眼差しと、目の前にある愛しいものたちが、美しく捉えられていて、穏やかな心持ちになる作品が並んでいます。幸せというのは、実は小さなもので、大きな幸せなんてものはないかもしれません。静かに考える時間、大切な人と過ごすひとときを大切にしたいと思う写真展です。

松本さんは岡山県出身、京都の大学で4年間過ごされました。この写真展が、東京、岡山、大阪に続き、懐かしい土地で開かれたことにささやかなご縁を感じて、またこの続きをぜひ見てみたいと思っています。残暑厳しい折ですが、少しほっこりした気持ちになってください。なお、ヤマモトケイジCD「青図点描集」(1300円)も販売中。(女房)

★松本紀子Photo Exhibition「そのかわり  その代わりに」9月10日(火)〜15日(日)12:00〜20:00(最終日は18:00まで)

 

 

 

 

 

物語の面白さに目覚めた最初は、小学校低学年のとき、親が買ってくれた「少年少女ベルヌ全集、第1巻海底二万マイル」(学研)でした。作者のジュール・ガブリエル・ヴェルヌ(1828〜1905年)は、フランスの小説家でSFの父とも呼ばれる存在。「海底二万マイル」は、誰も見たことのないような潜水艦ノーチラス号に乗って、世界を駆け巡るネモ船長の物語で、読まれた方も多いも思います。

深海で起こる様々なドラマや大ダコとの格闘など、子供にとっては血湧き肉踊るワクワクする世界でした。何度も読み返して、自分自身もノーチラス号に乗っているような錯覚に陥ったものでした。

今回、副音館書店から再発されている「海底二万海里」(古書950円)を読み返しましたが、その面白さは他のベルヌの作品の中で群を抜いていました。時代設定は1866年。「いくつかの船が海上で<何かばかでかい物>に出会っていたのだ。それは、長い紡錘形の物体を発し、クジラよりもはるかに大きく、またずっと速かったのである。」という、なにやら不気味なオープニングで始まります。もちろん当時は、潜水艦なんてものは存在しません。現代の潜水艦に通じるイメージを創り出したベルヌの筆の力には恐れ入ります。

ネモ船長率いるノーチラス号に乗船することになった、アナロックス教授たちとの深海への旅が物語の中心です。未知の生物たちとに遭遇したり、海底を特殊な服を着用して歩いたり、地図上にも書かれていない島々の美しさに驚かされたり、とレイチェル・カーソンが言った「センス・オブ・ワンダー」の世界が広がっていきます。

その一方で、ネモ船長の複雑な心の内へと物語は入っていきます。この男は何者なのか、どこの国の人間なのか、船を建造した目的は何なのか………。深海に佇むノーチラス号の中で一人パイプオルガンを弾く船長には人を寄せ付けない孤独があります。そして、軍艦への激しい憎悪はどこから来るのか。

当時のヨーロッパは、大国による植民地争奪の時代でした。征服され、略奪されてゆく未開の国々。圧政を行う文明国への激しい怒りは、実は、著者ベルヌ自身の被圧迫民族解放の擁護者としての思いだったのです。小説のなかで、ネモ船長は未開人よりも野蛮な文明国家への怒りを表し、「地球に必要なのはあたらしい人間だ」と断言します。

そう、この小説には力のない者の侵略に対する抗議が底辺に流れているのです。日本による東南アジアへの侵略、アメリカのベトナム侵攻、ソビエトの東ヨーロッパへの武力介入などなど、野蛮な行いは続いています。だから、ネモ船長の怒りと悲しみが、切実に迫ってくるのかもしれません。

本作は、1954年ディズニー製作で劇映画として上映されました。それ以降、一度も映像化されていません。ネモ船長の深い人間性を中心にした映画が作られることを期待します。