柴田元幸責任編集の雑誌「MONKEYvol.21」(スイッチ・パブリッシング/古書800円)の中で、作家の西崎憲が、柴田と「音のいいバンドは歌詞もいい」というタイトルで対談していることを知りました。。西田は、小説「飛行士と東京の雨の森」という傑作を出す一方で翻訳や作曲などでも作品を発表し、文学雑誌「食べるのがおそい」の編集長と、マルチな活動をしています。最近の彼の著書「全ロック史」は極めて良質のロック史なのですが、4000円ほどする本で、しかも分厚い。当ブログ用の読書に追いかけられている私には、今はなかなか手が出ない一冊なのです。だからせめて「MONKEY」の対談だけでも読もうと思いました。

もちろん、この対談も音楽好きには必読なのですが、今号の中でご紹介したいのは、巻頭を飾るブレイディみかこの小説「Everyday is like Sunday,isn’t it ?」です。今のイギリスの現状を鋭く突っ込んで描く彼女のノンフィクション作品は、以前当ブログで何度か紹介しました。小説は初めて読んだのですが、面白い!

主人公は、登校拒否と自傷行為で里親たちの間をたらい回しにされてきたスティーヴンという少年です。彼が、学校にいるバディというセラピー犬に出会い、少しづつ変化してゆく様が描かれていきます。「狼と熊が混ざったようなもこもこしたアキタ犬を一目見たとき、スティーヴンには彼がスペシャルだという子が瞬時にわかった。」らしいのです。

で、このバディの独白が何度か登場しますが、この犬、博多弁なのです(笑)。こんな感じです。

「どうも小耳に挟んだところによれば、コーヴィッド19っちゅう病気があって、それがえらい流行りだしだしとうらしいけん、ジョニーがあげなこと言いだしともそれと関係あるとかもしれん。

それにしたっちゃ暇……….。もし学校に行っとったら、今頃はカーム・ルームにおったっちゃけどね。」

そうこれは、コロナの流行で学校に行けなくなった少年と犬のお話です。しかし、犬のおかげで少年が前向きに生きてゆくとか、輝きを取り返すという風な物語ではありません。そこは、リアルにイギリスの今の状況を反映してあります。

コロナのために学校が休校になる措置が取られているのですが、施設入所中の子供や、ソーシャルワーカーが家庭に介入している家の子供たちは、逆に登校しなければならないのです。しかし、もとより登校拒否を繰り返していたスティーヴンは、やはり学校に行かなくなります。学校に行ってもバディがいないからです。

自分の部屋に閉じこもるスティーヴン。「子供の素行の改善は一進一退だということを知っている。魔法の杖で全てが一瞬にして良くなるわけではない」ことを熟知している里親ヘレンは、バディと彼を会わせる計画を作ります。オンラインで画面で向かい会うというものです。

「お?おお?お、おおおお、こ、この顔は、ひょっとすると……..、やっぱカーム・ルームに毎日来よった子やん、わん、わん、わん、わん、立て続けに吠えてしもうたが、ああ、懐かしかあ。元気しとったかや?」

いうのが、スティーヴンを見たときのバディの心の声ですが、もの言いたげなバディな顔を見たスティーヴンは、

「まったく、すべてがバカバカしいよね。こんな世界なんか滅んでしまえばいいのに。君と会えないのなら、世の終わりが来たっていいんだ、ダブルデッカーバスか十トンのトラックに轢かれて死んででもかまわない。」と言いたかったのかな、と考えてから、ちょっと最近聞いてる音楽に影響されてるかも、などと思います。

「毎日が日曜日みたい。毎日が静かで、灰色。」という文章で小説は終わります。

著者は、1988年、サッチャー政権以降のイギリスを代表するミュージシャン、モリッシーのヒット曲”Everyday is like Sunday,isn’t it ?”を元にして、この作品を書き上げました。作中スティーヴンの聞いていた音楽はこの曲です。

久々の津村記久子です。2009年度芥川賞受賞作品「ポストライムの舟」で、いいなぁ〜この小説と思ってから割と読んできました。大阪出身のせいか、関西方面の物語も多かったようです。

さて、今回ご紹介するのは短編集「サキの忘れ物」(新潮社/古書1100円)。「サキ」と聞いて、あの「サキ」と思われた方は、海外文学ファンですね。オー・ヘンリーと並ぶ短編小説の名手です。彼の短編を集めた文庫本がキーポイントになるのがタイトル作です。

アルバイト先のカフェで、常連の女性が忘れていったサキの短編集を見つけた千春は、この本との出会いでどん詰まりの人生から、少しづつ自分の生き方を見つけていきます。そして、書店員となったある日、店でその女性と再会を果たすという物語です。

収録されている9作品は、発表された時期も、初出もバラバラ、作品世界も多種多様ですが、「全部すごい」と作家の福永信は雑誌「波」に書評を載せています。

「行列」という作品は、異彩を放っています。”あれ”とだけ表現されるものを鑑賞するために延々並ぶ人たちが主人公で、彼らの精神力、忍耐力に圧倒されるお話です。最後まで”あれ”が何なのかは判らずじまいで小説は幕を閉じます。福永曰く「何が何だかわからないまま不思議なことに面白く最後まで読めてしまう!」と書いていますが、このヘンテコな設定に乗せられてしまいます。

さらに、もっとヘンテコなのが「真夜中をさまようゲームブック」です。家に帰ってきた男が家の鍵を失くしたことに気づきます。運の悪いことに家人は留守。さぁ、どうする。読者の前に様々な選択肢が提示されています。ゲームブックスタイルの小説のスタートです。「紙とえんぴつを用意し、パラグラフ番号をメモしながら読んだほうが、失敗があった時に元に戻りやすいですし、行動の途中で捨得した物も確実に記憶しておけますので、おすすめいたします。」とは、巻頭に書かれた作者の言葉です。

個人的には「河川敷のガゼル」という作品が一番印象に残りました。今年読んだ短編集としてはピカイチです。

 

数年前、くぼやまさとるさんの「ニセ蟲図鑑」(1800円)という本が持ち込まれました。全ページ精密な虫の絵で、「フグアブ科」」「エビスコガネ科」「カメダマシ科」と、それぞれ科目別に整理されています。「ニセ蟲」のタイトルにひっかりながらも、美しい水彩画に誘われてページを繰ると、さらに、各々の虫に詳しい解説が付いていました。

「雨上がりの夕方に、虹とともに現れ、虹とともに姿を消す」というのはニジオビウカビテントウ。

そう、この本に描かれている虫は、「惑星キムネジネ」という架空の星に暮らしている想像上の虫の図鑑で、当然その名前も、解説も著者の作り話。全100ページ!その詳細な楽しい解説と、透明感のある美しい虫たちの姿は見応えがあります。

「オトアツメ科」の虫たちは卵の孵化や蛹の羽化が音によって促進されるとかで、「タマヒゲオトスキ」は、沿岸部に生息して夕凪の音を集めて聴くし、「アカヒゲオトアツメ」は焚き火のパチパチ音が受精を促進する。想像がどんどん膨らんでいく感じでしょ。「チリヂリス」だの、「ヒゲカゲロウ」だの、聞いたことがあるような無いような虫がいっぱい、カラフル模様の背中を見せて並んでいます。

くぼやまさんのポストカードは店にも置いていましたが、いつか原画を見たいと思っていました。不思議の星に生息するニセ虫たちは、思っていたよりも繊細で、かわいい奴らでした。政治家の嘘にはうんざりですが、こんなキュートな嘘なら騙されても笑えます。

今回は、原画(3300円〜52000円)を始め、ブローチ(2000円)、陶器(2500円)、手ぬぐい(1800円)などのグッズも販売しております。(女房)

★くぼやまさとる水彩画展「星の虫ワールド」は7/8(水)〜19(日)13:00〜19:00 月・火定休

 

 

池澤夏樹と、娘の池澤春菜が読書について語り合った「ぜんぶ本の話」(毎日新聞社/1300円)は、本を読むことについての楽しさに満ちた一冊です。そして、読書の楽しさの彼方に見える池澤家に流れていた幸せな時間を感じる一冊です。

春菜さんは、現在声優・エッセイスト、さらには歌手として活躍中です。小説ではSFやファンタジーに造詣が深く、本書でもその知識量を披露しています。

「うちに昔、屋根裏部屋があったでしょ?階段を下ろして部屋へ上がる作りで、部屋には本棚やら机やら、雑多なものが置いてあった。わたしはいつも棚の一番下に入って、そこで本を読んでいた。(略)あの部屋、秘密基地っぽくて好きだったな。パパの書庫の一番奥に潜り込んで読むこともあったね。」

彼女は、こんな雰囲気で読書に浸ってたんですね。本書では、児童文学・少年小説・SF・ミステリーのジャンルに分けて、二人が読んだ本について思いを語っていきます。

「少年小説」を、彼女は「冒険小説ってトラブルや障害が起こる仕掛けを用意周到にすればするほど作為的になっちゃう。それじゃダメで、物語中に起きた偶然の出来事が自然な形で転がっていき、無理なく展開し結末にたどり着くようになっていないと。」と定義しています。

そして、親子で優れた少年小説を選び出してその魅力を語っていきます。微笑ましい父娘の会話を聴く感じです。

最後の「読書三代」では池澤夏樹が、彼の父親福永武彦について娘と対話します。池澤の母親と福永は離婚。その後母の再婚で、福永姓から池澤姓になったという幼少の話も、初めて知りました。

高校時代、再会した福永武彦のイメージを「なにしろ一緒に暮らしていないから、生活感がない。ちょっと名前の知られた親戚のおじさんと会うという感じ。それでも話をすると感覚的に合うのはわかる。」と回想しています。福永の生前、池澤父娘は家族でギリシャに住んでいたから、春菜さんは祖父に会うことはありませんでした。

「その内容を書くのに一番適したスタイル、適した文章、適した入口が何なのか。『こうとしか書けない』というギリギリまで自分を追い込みたい。仮に掲載する媒体が違ったとしても、文章量が違っていても、結局この言葉になる。そういうところまで持っていかねば、という気持ちで書いています。」と春菜さんが作家のあり方を語れば、父は「プロとはそういうものです。」と答える。

さすがに作家親子の対談でした。

 

2019年、小澤みゆきさんが「かわいいウルフ」という雑誌を出されました。イギリスを代表する作家ヴァージニア・ウルフを多角的に論じた文芸雑誌です。ヴァージニア・ウルフを「可愛い」で括るって凄い!と思っていたのですが、なんとソールドアウトでした。

小澤さんが新たに編集したのが「海響」(1650円)です。第一号の特集は「大恋愛」。

「自分はなぜ文学が好きなのか。何年も飽きずによく読んだり、書いたり続けていると思う。私は多分、根本的に、愛したり、愛されたりすることしか興味がないのだ。人を愛することの喜び、そのときめきを何度でも知るために、私はページをめくってきた。新しい本を作ろうと思ったとき、まずはこのことについてまとめておきたいと思った。」

そして、もう一つ。

「ヴァージニア・ウルフという作家が、いかにフェミニズムにとって重要で、大切にされているかを。ウルフだけではない。親しんできた女性の書き手たちとその作品について、そういった視点から改めて読み直す必要があると感じた。」

女性作家の書いたテキストを読み込み、その言葉と向き合い、小澤みゆき自身のフェミニズムを考えてゆくことことを、この雑誌は目的にしています。

「小澤みゆきと十三人の恋すること」と題して、様々な女性作家が紹介されています。マーガレット・ミッチェル、ゼルダ・フィッジェラルド、ヴァージニア・ウルフそしてアンネ・フランクなどが登場します。その中で、私の愛読書でもありアメリカ文学の傑作カーソン・マッカラーズ「心は孤独な狩人」が紹介されています。アメリカ南部にいる聾唖の男性をめぐる物語です。残念ながらこの本は現在、古本、しかも高価でしか入手できません。

これからも海外作家だけで企画を組んでゆくのか、国内の作家にも目を向けてゆくのか、定かではありませんが、きっと興味深い雑誌になることでしょう。

 

 

本職が何かようわからん度ナンバーワンの京都人みうらじゅん先生の「マイ仏教」(新潮新書/古書500円)は、仏の道を説くありがたい(?)一冊です。

小学校6年の時、買ってもらった仏像を床に落としてしまい、それが木っ端微塵になって彼の頭に去来したのは、「諸行無常。仏の形を模し、その教えの詰まった仏像とて粉々になる」

仏の教えに惹かれて、住職になりたい!と、仏教系の中高一貫の男子校へ進学します。そのまま勉学に勤しめば、住職になれたかもしれないのですが、ロックに狂ってしまいます。

「怪獣が好きだった時は円谷英二になりたかったし、仏像が好きだった頃はお坊さんになりたかった。そしてこの時は、ボブ・ディランになりたくて仕方がなかったのです。」

「好き=なりたい」という直情型少年は、高校生で横尾忠則に憧れ、美大を目指します。そして、武蔵野美術大学在学中に、漫画雑誌「ガロ」でデビュー。仏教界と疎遠になっていましたが、仏像オタクのいとうせいこう氏との出会いを通して、仏教の世界へと再び近づいていきます。本書は前半が、はちゃめちゃな青春時代を描き、後半で彼の考えている仏教の世界が語られます。

第3章は、仏教の教えの基本と呼ばれる「四法印」について。そのうちの一つ「諸法無我」は「いかなるものにも実体はない、と言うお釈迦さんの尊い教えのひとつです。」と書き、そこから「自分探し」という言葉に向かいます。

「自分探しを始めた人で、見事本当に自分を見つけたという人がいるのでしょうか? 仏教では『無我』つまり『本当の自分』なんてものはない。ということを2500年前から説かれているのです。」

「私は『自分探し』よりもむしろ、『自分なくし』の方が大事なのではないかと思っています。お釈迦さんの教えにならい『自分探しの旅』ではなく、『自分なくしの旅』を目指すべきなのです。」

では、どうやって自分をなくすのか。誰かを好きになって、必死で真似る。それが自分なくしの技術獲得の道だとか。そして、「リスペクトする人をどうしても真似しきれなかった余りの部分、いわゆるそれが『コンプレックス』と呼ばれるやつですが、そのコンプレックスこそが『自分』なのであって、これこそが『個性』なのです。」

これを「僕滅運動」と命名しました。座布団一枚の素敵な命名です。

こんな具合に、ありがたいお話が続いていきます。笑って、笑って、お釈迦さんの教えに触れることができます。

蛇足ながら、みうらじゅんさんは第52回仏教伝道文化賞を受賞しました。最初は、仏教もわからん青二才が適当なこと言いやがって、とバカにされていたのにです。拍手、拍手です。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督作品「その手に触れるまで」(京都シネマにて上映中)は、一人よがりの正義感にのめり込んだ少年の心は、元に戻せるか…..を描いています。

ベルギーに暮らす13歳のアメッドは、数ヶ月前まではゲーム好きの普通の少年でした。ところが、この街に暮らすイスラム指導者に感化され、過激な思想にのめり込んでいきます。学校の先生をイスラムの敵と考え、抹殺しようと計画し、アパートに押しかけますが失敗。逮捕されて、矯正施設に送られました。施設のスタッフたちは、狂信的な考えに取り憑かれたアメッドの気持ちを変えようとするのですが……。

アメッドは、何度も何度も口をゆすいだり、手を洗います。まるで他人と接すると悪魔が乗り移る、とでも考えているぐらい潔癖な行為です。母親とはお休みのキスを、先生ともお別れのキスを拒否します。大人のムスリムは女性とは接触しないという教えを厳格に守っているのです。狂信的な考えを持っているようには全く見えず、どこにでもいる普通の少年のように見えますが、アメッドは一度も笑うことも、はしゃぐこともありません。先生を襲うときも、凶暴になったりしない。淡々と先生を刺そうとするのです。そこが怖い。

矯正施設に付属している農場で、農作業や牧畜を手伝う彼を、スタッフたちが普通の少年の日常に戻そうとしても、彼の心の奥に住みついた狂信的宗教心は揺らぎません。映画は、まるでドキュメンタリーのように少年の日々の暮らしを追いかけていきます。全く感情に動かされない少年の行動や淡白な受け答えを見つめても、世間で言うところの日常に復帰したのかどうかわかりません。

先生への殺意は消えることなく存在し、ついに施設を脱走して学校へと忍びこみます。太い釘を手にして侵入しようとした瞬間、学校の屋上から転落します。さて、ここから彼が取った行動が意味するものは複雑です。小さな希望なのか?それとも、人は永遠に変われないものなのか?

人は変わることができる、なんて簡単に言って欲しくないと突きつけられた映画でした。

 

 

 

 

イギリス在住のコラムニストのブレイディみかこは、労働者階級の子供達を通じて英国の現状をあぶり出し、それでもどっこい生きている姿をビビッドに描いてきました。

今回は、労働者階級のうだつの上がらないおっさん群像を描いて、EU離脱に揺れる大国の姿を見せてくれます。「ワイルドサイドをほっつき歩け」(筑摩書房/古書950円)です。

ここに登場するおっさんたちは、BBCが発表した階級表(英国は階級社会であるというのは常識)によると「トラディショナル・ワーキング・クラス」に該当します。著者はこの階級の人をこのように解説しています。

「収入は低いが、資産が全くないわけではない。自分と同じような職業の人々と交際している。フイットネスジムに通うとかソーシャルメディアを使うというような現代風の文化はあまり取り入れない。ダンプの運転手、清掃職員、電気技師などの仕事をしていることが多い。」

著者は、連れ合いの男友達のおっさんや、女ともだちの旦那たちとの付き合いの中から、彼らの人生観や国の将来の展望を、いつものパワフル母さん調で語ります。

「海外には、英国はすでにEUを離脱したものと思っている人たちもいるが、実はまだEUの中にいる。離脱の条件に関する取り決めがぐちゃぐちゃといつまでもまとまらず、もはやすっかり国民がダレている状態」だというのが現状だとか。

政府の緊縮財政政策による医療体制の崩壊、景気悪化による失業、酒で身を持ち崩して妻に逃げられる、等々おっさんたちを取り巻く環境は厳しさが増しています。

「寝ゲロはやべえんだよ。喉に詰まって死んだりするから。年をとったら食道も繊細になるから。自重して飲まないと。」

「うん、俺たちの年になると泥酔するのも命がけ」

などとぼやきながらぐいぐいビールを飲んでいるおっさんたちを、見守る著者の愛情がかいま見えてきます。「おめえ、アンチトランプデモに行ったろ」と友人のデモ参加をワイワイ言い合ったりしながら、おっさんたちは前に進んでいこうとします。帯に「絶望している暇はない」と書かれていますが、その通りの忙しい日々が続いていきます。人情ドラマを見ているような気分になりました。

「労働者の立場が弱すぎる現代に求められている新しい労働者階級の姿とは、多様な人種とジェンダーと性的指向と宗教と生活習慣と文化を持ち、それでも『カネと雇用』の一点突破で繋がれる、そんなグループに違いない」という著者の言葉が力強く響いてくる一冊です。おっさん、頑張ろ!!

 

 

 

 

 

数ヶ月ぶりに美術館に行ってきました。京都国立近代美術館で公開中の「チェコ・デザイン100年の旅」。

チェコといえば、私はチェコアニメがすぐ浮かびます。オーストリア・ハンガリー帝国からの独立、第二次世界大戦を経て、社会主義国家としての歩み。そして民主化への道、という激動の20世紀を経験したこの国の様々なジャンルのデザインの変遷を一気に見ることが出来る企画で、ずっと観たかった展覧会でした。

入館すると、先ず目に飛び込んでくるのがアルフォンヌ・ミュシャの有名なポスター「ジスモンダ」です。まろやかな曲線美の女性と、卓越したデザインの衣装。本好きには、カレル・チャペックの戯曲「ロボット」(1925年の初版)の表紙が魅力的。兄のヨゼフが作ったもので、フランスでキュビズムの影響を受けていたことのわかる作品です。

時代と共に変わっていくデザインに、この国独特のオリジナルティーを感じます。現代に至るまで、日用品やおもちゃ、工芸品、家具、書籍と多方面に渡っています。このバイクなんか、暫く観ていましたが、飽きて来ないですね。

民族伝統へ傾いた第二次世界大戦期以降も、社会・政治情勢の変遷と共に絶えず新しいものを創り出してきました。その100年間を見ることができる展覧会です。

 

美術館3階で行われている「日本・ポーランド国交樹立100周年記念ポーランドの映画ポスター」展も面白い。非共産圏の国から入ってきた映画ポスターって、全て国内でオリジナルとは全く違う形に作りかえられます。え?これがあの映画なの??というものばかりです。蛇が絡み合うグロテスクなポスターは、「ローズマリーの赤ちゃん」だったり、可愛らしいおもちゃの新幹線が描かれたものは、日本映画の傑作「新幹線爆破」だったり。「ゴジラ」のポスターもユーモラスでした。

「チェコ・デザイン100年の旅」は7月5日まで、「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランドの映画ポスター」は12日まで開催されています。映画館や美術館に出向くのはやっぱり楽しい。

新刊書店員時代の最後の年だったと思います。入荷してきた絵本を何気なく手に取り読み出して、最後のページで、思わず泣いてしまいました。その現場を児童書担当の女性スタッフに見られてしまいました。「店長って絵本で泣くような人じゃないのに、何か家庭であったみたい」「会社でいじめられたのかも」とか、休憩室で噂になったらしいです。

その絵本が、越智典子(文)・沢田としき(絵)による「ピリカ、おかあさんへの旅」(福音館書店/古書1100円)。越智典子は、東京大学理学部生物学科を卒業後、絵本作家になりました。沢田としきは、1996年「アフリカの音」で日本絵本賞を受賞した絵本作家です。

主人公のピリカは、シャケです。大きくなって外海にいます。ある日「だれかのよぶ声がして、ピリカは目をさまし、空を見上げました」でも誰もいません。しかし、ピリカはお母さんの声を聞いた気がしました。

「ほかのさけたちも。空を見上げるようになりました。『誰かがぼくらをよんでいるよ』むれは、呼び声にこたえて泳ぎだしました」

シャケたちは、故郷の川を目指して泳ぎ始めたのです。広大な海を泳ぎきり、懐かしい匂いのする川へと戻ってきました。

「なつかしい匂いのする水は、あとからあとから流れてきます。それは、しょっぱくない、真水でした。ピリカは急に体が重たくなって、くるしくて、パシッと自らはねました。」

「お母さんが近くにいる!」河口付近で跳ね上がるピリカの姿。やがて、ピリカは自分の体に多くのタマゴを宿していることを知ります。産卵までの時間が瑞々しいタッチの絵で描かれていきます。産卵を終えたピリカは、静かに自分の生を終えました。体を横たえたピリカの横には、おかあさん、そのおかあさん、さらにその前のおかあさんもいるのです。『「おかえり……おかえり…….ピリカは光につつまれました」』

最後のページにはこう書かれています

「やがてピリカの体は、もう一つの旅に出るでしょう。キタキツネにたべられて、キタキツネになったなら、春には子ギツネをうむかもしれません。

オジロワシにつつかれて、オジロワシになったら、空を飛ぶかもしれません。

それでもいつかは、土になり、木になり、森になり、ゆたかな川の水になるでしょう。」

一匹のシャケの一生を描きながら、命の循環をわかりやすく描いた素敵な絵本です。