「読書する一人の人間には二人分の価値がある」

という文章にグッときて読んだのが、カウテル・アディミ「アルジェリア、シャラ通りの小さな書店」(作品社/古書1950円)です。

幅4メートル奥行き7メートル。(うちの店とほぼ同じくらいです)アルジェリアに実在したこの小さな書店の名前は〈真の富〉といいいます。この書店を開けたのは、若干21歳のエドモンド・シャルロ。彼は書店経営と同時に出版も手がけました。昨今、出版部門を立ち上げている日本の個性的な書店の、先駆けですね。

シャルロはアルベール・カミュを世に送り出し、ここにはサン=テグジュペリやジッドらそうそうたる作家たちも集ってきました。

「1943年3月5日 ジッド、サン=テグジュペリと夕食。今後は二人ともアルジェに落ち着く。サン=テグジュペリは意気消沈しているように見えた。アメリカ軍が彼の飛行を拒否したからだ。」

こんな文章を目にすると、その情景が浮かび上がってきます。

シャルロはアルジェリア生まれのフランス人。小説は彼のメモを辿りつつ、ちっぽけな書店が大きな歴史の渦に翻弄されてゆく姿を描いていきます。

ご存知のように、アルジェリアはフランス領でした。第二次大戦をフランス側で戦いますが、やがて独立運動が起こります。本書でも触れられていますが、運動の過程で起こる大量虐殺があり、現代の戦争の歴史そのもののが凝縮されような国で〈真の富〉書店はこう宣言します。

「地中海的な概念を持つ友情の場所  言語や宗教の区別なく、地中海をめぐるあらゆる国々の作家や読者を呼び寄せる、ここの、この大地の、この海の人々を呼び寄せる場所。そして何よりも、偏狭なアルジェリア主義者に反対する。それを超越して進むこと!」

面白いのは、小説の構成です。シャルロのメモを中心にして、書店に長く住み込み守ってきたアラブの老人アブダラーの物語に、この書店の解体に来た現代青年リヤドの物語が絡んできます。最初はまごつきましたが、激烈な歴史を生き抜いてきた過去と現代がクロスしていきます。

アルジェリアだけではなく、我が国でも書店が激減しています。この本を読んでいると、書店とはいかなる存在なのか?と思いを巡らしてしまいました。人と本が出会い、その出会いが広がってゆく場所。そんな場所が少なくならないような世界であってほしいものです。

本作の著者カウテル・アディミは、アルジェリア出身の女性作家で、本作が長編3作目です。「アルジェリア生まれのフランスで一般にあまり知られていない出版社の事業を掘り起こし、仮構の手帳を創造して彼の半生を生き生きと描き上げた」ことが高い評価になったと、訳者があとがきで書いています。同感です。

様々なジャンルで活躍する安田登は、下掛宝生流能楽師です。「見えないものを探す旅」(亜紀書房/新刊書/1650円)は、古典文学、能楽などを、今を生きる私たちの目の前に表出させて、生きることを考えるヒントを提示してくれます。

「姥捨」という能は、主役(能楽ではシテと呼ばれる)は姥捨山に捨てられた老女です。孤独を受け入れ、夜空に光る月を友として暮らしています。そんな老婆のところに立ち寄った旅人の前で、「胡蝶の舞を戯れ舞い、ついに月と一体化して山気の中に昇華する」のです。

「かつて日本人は、孤独の中で一体化するすべを知っていた。それは、姥捨山に捨てられた老女という、絶対の孤独者であってすらだ。そして、それは芸能として長きに亘って人々に、老いとは何か、孤独とは何かという問いかけを投げかけていた。それは孤独の芸能、能だからできたことではなかっただろうか。

現代人である私たちは、そこから何を学び、未来に向けて何を提示することができるだろうか。」

 

本書は、「旅」「夢と鬼神 夏目漱石と三島由紀夫」「神々と非在 古事記と松尾芭蕉」「能の中の中国」そして「日常の向こう側」に分かれています。タイトルだけ見れば、文学評論、古典芸能評論っぽい感じを持たれるかもしれませんが、能の演目なんて知らなくても、著者がその世界へと連れて行ってくれます。

ところで、著者は能でいうワキ(シテに対して)役者です。能の舞台では、ワキだけが亡霊に出会えるのです。その理由を「ワキは、『分く』を語源とする『境界にいる人物』だからだ。この世とあの世、生者と死者との境界にいる。」と解説しています。

「ワキには、本来出会うことができないあの世とこの世とを『ここ』で出会わせてしまう力もある。だからこそ、能の観客も、ワキの目を通じてあの世を見ることができるのだ。」

不思議な芸能ですね。

この世とあの世の境界にいる「ワキ」は、安田がよく使う「あはい」という言葉とも重なっています。「あはい」は、例えばお盆という時のようにあの世とこの世の接点で、それは、「間」とは違い、少し重なった「糊代」のようなもの。建築でいえば縁側みたいに外と内を緩やかに繋ぐような。生活の中でいえば、「門掃き」のように、自分の家の前だけでなく隣家の前も少しだけ掃除するような。または「掛詞」のように意味を重ねて使うような。

日本にはそういう「あはい」の文化がもともとあることを、能楽や古典から引っ張ってきて、その面白さを平易に伝えてくれます。

 

 

 

 

政治家の名前は、オードリー・タン。35歳という史上最年少の若さで台湾のデジタル担当大臣に就任した天才です。でも、それ以上に、2020年台湾の新型コロナ対策で、自国の薬局などで販売されているマスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリを導入し、瞬く間に全国民にマスクを配布したことで有名です。

そのオードリーがインタビューの形で、若い世代に向けて、これからの社会に通用する考え方を書いたのが「自由への手紙」(講談社/新刊1540円)です。本書は「格差から自由になる」「不安から自由になる」「ジェンダーから自由になる」「デフォルトから自由になる」「仕事から自由になる」という4章からなっています。各章ごとに、具体的な対応、考え方が述べられています。一読して、この人の頭の柔らかさには脱帽します。そして、キャパシティーの広さに驚かされます。

こんな文章があります。「私には、思春期が2回ありました。」どういうことか?

「2度目の思春期は、24歳のとき。ホルモン剤を服用し、女性として思春期入りすることを自分で決めた時で、それは2年ほど続きました。

こうして2回目の思春期を経験したのち、『男か女か』という二者択一的な考え方が、私の中から消えました。」

この人物がコロナ対策を仕切るのです。台湾における感染予防対策の成功要因を問われた時に、オードリーはこう答えています。

「速やかに、オープンに、公平に楽しくやることが大切です。」

「楽しく」??つまりこういうことです。全国民にマスクを配布した時、白色のマスクが不足して、ピンク色のマスクを配りました。それを付けて登校すれば、ピンクのマスクでは学校でいじめられると男の子の親から連絡がありました。その時に、オードリーが取った政策は、というと、担当各部署の官僚や政治家がTVに出るときは、全員ピンクのマスク着用に切り替えたのです。大臣以下全員ピンクのマスクで登場したので、全くいじめられることなく、クラスで一番クールな少年へとなったのです。

これ、日本でできます? そんな事を提案する官僚もいなければ、OKと即断する大臣もいないでしょう。過去から続いてきた、あるいはお上が決めた「正しさ」なんかに合わす必要など全くない、というオードリーの哲学が、随所に出てきます。オードリーの速射砲的な実行力もさることながら、その施策を実現させる台湾政界の柔軟さを羨ましく思いました。

思春期を二回体験した人物を政策のトップに据えるなんて、頭の枯れたジイさんが集まっている国では想像さえできませんね。

ホホホ座店主山下賢二さんの「喫茶店で松本隆さんから聞いたこと」(新刊/1540円)が、夏葉社から発売されました。

京都市内にあるお店、「ヤマトヤ」「イノダコーヒー本店旧館」「かもがわカフェ」「カフェ火裏蓮花」で、山下さんが松本隆さんにインタビューしたものをまとめた一冊です。これは音楽家としての松本隆を振り返る本ではありません。もちろん、音楽の話も登場しますが、本題ではありません。人生論?、このお二人で?? でも、ちょっとそんなニュアンスもあり、覚えておきたい言葉がたくさん出てきます。

「人と人ってすごく有機的だから、空気でも伝わるんだと思う。オーラも伝わるんだと思う。だから、できるだけ天才に会った方がいい。ものをつくる人はね、若いうちに。」

それぞれのカフェで、テーマを決めて話が始まります。例えばかもがわカフェでは、「賢さについて」。松本さんはこう言います。

「考える力というのは、その人が自分で鍛えないといけない。だから、若いときはとにかくたくさん暗記するのがいいと思う。ひとつでも多く単語を頭に入れておく。作詞力で言うと、それが語彙になる。」

どの章も難しい言葉はなく、簡潔にまとめられているので、スッと頭に入ってきます。インタビューは、もっと長い時間だったのでしょうが、ここまでシンプルにまとめた山下さんの手腕に拍手です。ポケットに入れて、ひょいと出して読む。何度も。それがこの本の読み方かもしれません。

なるほど、と思ったのは松本さんが作詞するときに気をつけていること。

「僕が使わない言葉は、言わなくてもいい人称代名詞。つまり『僕』とか『君』とか『あなた』。理由は字数の無駄だから。重要なところに『あなたに』なんて書いてしまうと、それだけで四文字も使っちゃう。それを言わなくてもわかるように書けばいいわけだから、必要最小限度にとどめる。そうすれば、ほかでいろんなことが言える。」

最後まで読んで思ったのは、この二人、よほど気が合ったんだなぁ〜。気取ったところも全く無いし。

「思えば、松本隆という人はずっと異色だったのかもしれない。誰も囲わない。どこにも属さない。まさにボヘミアンのように業界も居住地も自分の気分のよい方向へと進んでいく人。その突然変異的な足どりが、僕みたいな人間とも親しくさせてしまったのだろう。僕は、七二歳の青年と出会ってしまったのかもしれない。」

という山下さんの言葉でも、二人の出会いが幸せなものだったということがわかります。

この写真は、ジャズアルバム”WE INSIST!”のジャケです。カフェのカウンターに座ってこちらを振り返る黒人三人。ちょっと迷惑そうな顔の白人のウェイターを後方に配しています。レコーディングされたのは1960年8月末。同年の2月に、北カロライナ州グリーンズボロで起こった黒人学生の座り込み運動など、黒人差別への抵抗運動の盛り上がりを受けて、アルバムのリーダー、マックス・ローチ(ドラムス)は公民権運動に関わっていた詩人/歌手のオスカー・ブラウンJrの詩を取り上げて、白人による人種差別に抵抗したこのレコードを録音しました。

推測ですが、ジャケットに写っているカフェは、白人専用の店舗で、そこに黒人がどかっと座ったものだから、ウェイターが至極迷惑そうな顔をしているのではないか。中身も過激で、寝る前に聴くジャズには適しませんが、私の大好きな一枚です。今、店にあるのはアナログ盤(1000円)で、ライナーノートは植草甚一が書いています。

黒人音楽家たちが受けた差別や偏見については、5月にブログで紹介した「歌と映像で読み解くブラック・ライブズ・マター」(1400円)をお読みください。また、本書でも大きく取り上げられているビリー・ホリディについては、油井正一&大橋巨泉訳による「奇妙な果実」(晶文社/古書1300円)もあります。今月末から、ビリー・ホリディのドキュメンタリー映画「ビリー」も上映されるようです。

もう一冊、ブラックミュージックの本を取り上げます。ピーター・バラカン著「新版 魂(ソウル)のゆくえ」(ARTES/新刊1980円)。ここでは、ソウルミュージックの今日までの歩みを、448曲のプレイリストを加えて紹介しています。

 

「これは専門家のための本でもなく、ソウルの教科書でもありません。ソウルミュージックとともに何かがなくなった、と僕自身はこの頃ずっと感じていて、その何かは一体どんなものか、その正体をちょっと考えてみたい、そう思ってこの本を書きました。」

最初に出たのは30年前。それが新版として蘇りました。バラカンの本は、どれもおススメです。

 

本2冊とビデオテープ2本セットの豪華な「資生堂宣伝史」(8000円)は、おそらく企業内で出され、関係各位に配布したと思われる企業内出版物ですが、さすが資生堂と言いたくなる程の美しい出来栄えです。発行は1992年。編集は資生堂宣伝部。

本の一冊目は「資生堂宣伝史 総合編1979〜1991」巻頭に、当時の福原義春社長のこんな言葉が載っています。

「時代ごとに永遠の美しさを追求したことは、決して商業活動を超える目的を持つものではなかったが、そのうちのあるものは歳月の荒波を経て、芸術作品とも比較される評価を得るようになり、時代の変節が繰り返される中で、文化の一部を担ってきたのではないかと考えてみたいのです。」

本書では、1979年から1991年までの12年間の間に資生堂が送り出してきた宣伝ポスターや商品を一堂に集めることで、その時代その時代の美意識、ライフフスタイル、この会社が作り出そうとしてきた新しい美を知ることができます。

1980年、同社はフランスに進出します。その時にイメージクリエーターとして起用されたのがセルジュ・ルタンスです。彼の広範囲にわたるクリエイティブ活動によって、ヨーロッパにおける同社のイメージが飛躍的に向上しました。セルジュ・ルタンスが担当したポスター、その他の宣伝素材を集めたのが「セルジュ・ルタンス編」という本になっています。

文字の配列、モデルの仕草、全体の色合い等、細部まで徹底的に考えられた作品群は、社長が言うように「芸術作品とも比較される評価を得るように」なったのですね。

資生堂の宣伝といえば、起用される女優に注目されがちですが、こんな男性も出ていたのですね。映画監督の森田芳光、ジャズピアニストの山下洋輔、作詞家の阿久悠、そして安西水丸も。新聞広告に登場するのですが、ピアノの前にジャージ姿で座っている山下の横に「僕はオジサンだ」のコピーが入っています。いいなぁ、この山下!

付属の2本のビデオは、「1960〜1976TV・CM編」、「セルジュ・ルタンス作品/TV・CM編1977〜1991年」です。

竹倉史人「土偶を読む」(晶文社/古書1550円)は、とにかく、とことん面白い本です。

みなさんご存知の、宇宙人みたいな縄文時代の遮光器土偶。これを著者は、本書の最後でこう結論づけます。

「遮光器土偶は サトイモの精霊像であり、その紡錘形に膨らんだ四肢はサトイモをかたどっていた」

サトイモ? 驚きの結論ですが、もちろん当てずっぽうで書いているわけはありません。縄文時代に数多く作られた土偶。その正体をめぐっては「妊娠女性説」「地母神説」など多くの説が出ていますが、確証はありません。著者は、土偶の形態を具体的に分析するイコノロジー研究の手法に、植物学、環境文化史などのデータを加味して、新しい土偶論を展開していきます。

340ページ余りの大作ですが、研究書風の難しさは全くなく、推理小説を読むようなスリリングな展開に時間を忘れました。

そしてこの本の良いのは、始まって4ページで、ズバリ著者の考えをこう言うところです。

「土偶は縄文人の姿を象っているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。植物の姿をかたどっているのである。」

これを、様々な形態の土偶を観察しながら、実証してゆくのです。あいつが犯人だ。その証拠はこれとこれ、みたいな方法です。ちなみに著者は、遮光器土偶のレプリカを購入し、「数日間は、私は嬉しくてベッドで一緒に眠ったほどです。」(25Pにその土偶の写真あり)

著者はなぜ、土偶と植物を結びつけたのか? 「植物栽培」にまつわる神話と儀礼に注目します。「ヨーロッパであればムギ、アジアであればイネ、南米であればトウモロコシやイモが主食として栽培されてきたが、こうした植物を植え、育成し、収穫して食用に供する人々は、それぞれの農事暦に沿って当該の植物霊を祭祀する儀礼を古代より行ってきたのである。」

縄文時代、広範囲な食用植物の資源利用が存在していたにも関わらず、植物利用に伴う儀礼が行われていた痕跡が縄文遺跡から全く発見されていません。ここから、著者のコペルニクス的展開がスタートします。いや、痕跡がないのではない。私たちが気づいていないだけなのだ。

「縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない」

と言う著者のシナリオに沿って、本書はスリリングに進んでいきます。各種土偶の写真や、実証データなどの配置も巧みに、読者を飽きさせない工夫が随所にあります。現代人が縄文人の気持ちを、超音速並みのスピードで知ることができる画期的な本でした。

「これまで男性たちによって独占的に形成されきた『職業としての学問』では土偶の謎は解けなかった」と、現在の学界を皮肉る最終章の「土偶の解読を終えて」も面白いですよ。

 

 

 

 

 

 

安西水丸が亡くなった後、彼の著書が異様に値上がりして、なかなか入手が難しくなっていますが、ちょっと珍しい本を2冊入荷しました。

一冊めの「mysteric resutaurant」(架空社/古書2200円)は、正確に言えば、安西一人の本ではありません。多くのデザイナー、画家が集まって作った本の中に安西も参加しているという本です。

アルフベットのAからZまで、ひとり一文字づつ担当して、その文字から始まる食べ物を描いています。全作品とも、文字の下には、自分が描いた作品を捕捉するような俳句や詩が添えられています。

トップバッター「A」の安西は、「Apple」をチョイスして、「青りんご 浅き眠りを 眠りおり」という俳句とともに、青いリンゴを描いています。

他に、宇野亜喜良、スズキコージ、大橋歩、たむらしげる、田代卓、矢吹申彦などが参加しています。(Wの矢吹がgood!)

もう一冊は、「東京美女1」(モッツ出版/古書3100円)。こちらには、実は安西のイラストは一点もありません。写真家の小沢 忠恭が撮った、原田美枝子、森高千里、八代亜紀、沢口靖子、いしだあゆみなど、女性のポートレイト写真に安西が文章を書いているのです。

撮影している場所が東京の各地で、その風景と女優と安西のコラボ作品です。一番好きなのは、いしだあゆみ。勝鬨橋に佇む彼女を捉えた作品に、安西はこんな文章を添えています。

「いしだあゆみの立っている勝鬨橋は、昭和六年に架設に入り、昭和十五年六月に完成している。今は開いていないが、この橋は跳開橋で、時間がくると開き高いマストがそこを通れるようになっていた。三島由紀夫の『鏡子の家』はこの勝鬨橋を女性連れの三人の主人公が眺めるシーンからはじまっている。」安西の自筆の文字がステキです。

撮影されたのは平成10年。その時代の雰囲気がよく出ています。沢口靖子も若くて、可愛くて、下町によく似合っています。

たがわさんのスケッチ展は今回で4回目。2015年はイタリアの、2017年2回目は南フランスの、という風にいずれも旅先で描かれた風景画でした。4回目のタイトルは「夏 旅したい。ー旅の記憶ー」展。このコロナ禍で大好きな旅行ができない今、描きためていた絵から旅の記憶を心に呼び戻すような展示になりました。

リヨン、パリ、アビニヨン、ローマ、アッシジ、フィレンツェなど、絵に添えられた地名を見ていると、このところ移動を極端に制限しなくてはならなかった窮屈さがあったせいか、楽しかった彼の地の時間を分けてもらっているような軽やかな気分になります。

学生時代にはクラブで油絵を描いていましたが、退職した後は毎日水彩画のスケッチを楽しんでいる、と初めての個展の時に話しておられました。旅先で急に風景を描こうとしても、どこから描き出したらいいものやら迷います。やはり、日々描くことで身についた技術が、その時々の想いを形にしていくに違いありません。

といっても、たがわさんの絵には気負いがなく、記憶を留めておきたい素直な想いが、見ている側にも伝わってきてほっこりします。「ローマ劇場跡のきのこ」は、遺跡の前に突然ニョキッと生えた大きなキノコが描かれています。アレ?と思ったままの印象が楽しい。旅のお土産など、身近にあるグッズのスケッチも、目の前のものをじっと見つめて手を動かす充実した時間を感じます。

清涼感のある水彩画で、ほっこりしたり、旅に思いを馳せたり…….。ジメジメした日が続いていますが、お時間があればぜひご覧くださいませ。(女房)

⭐️『夏 旅したい。〜旅の記憶〜』たがわゆきお展は、

7月7日(水)〜18日(日)

13:00〜19:00   月火定休日

 

1971年ソウル生まれの絵本作家ペク・ヒナは、「あめだま」で第24回日本絵本賞の翻訳絵本賞と読者賞をダブル受賞し、今、最も注目されている絵本作家です。

大阪生まれの絵本作家長谷川義史が、彼女とタッグを組み、何作品も翻訳を担当しています。今回ご紹介するのは、本年翻訳出版された「お月さんのシャーベット」(ブロンズ新社/新刊1540円)です。

「それは それは ねぐるしい なつの ばんやった。あつくて あつくて ねるどころか どうしようも あらへん。」

大阪弁の翻訳が、関西人にはしっくりきます。狐のような、狼のような動物が住むアパートが舞台です。みんな、なんとか寝ようとしています。そんな時です。ポタポタ、と雫が天から落ちてきます。しっかり者のおばあちゃん。どうやらこのアパートの班長さんらしい。

「あれまぁ えらいこっちゃ。えらいこっちゃ。お月さん とけてはるがな」

おばあちゃんは、落ちてきた雫を溜めて、シャーベットを作ってしまいます。その夜、クーラーの過剰使用で、ついにアパートの電気がパンク。真っ暗な中、お月さん色に満ちたおばあちゃんの部屋に住人が集まってきました。おばあちゃんはみんなにシャーベットをおすそ分けします。

「なんでやろ。お月さんのシャーベット たべたら あついのが すうーっと とんでいった」

その夜は、みんなクーラーなしで深い眠りについたのです。その様子がリアルであり、またおかしくもあり、とてもいい感じです。

やれやれと思ったおばあちゃん。眠りにつこうとすると、ドアを叩く音が。なんと、「お月さん きえてしもて すむところが なくなったん」と月のウサギたちが訪ねてきたのです。さて、どうなることやら…….。

寝苦しい夜には最適の一冊となるかも。

ペク・ヒナの作風はユニークです。実際のセットを組み、小道具を制作し、そこにストップ・モーション・アニメ(一コマ撮りのアニメ)の手法で、キャラクターを動かしています。リアルとファンタジーが巧みにブレンドされた世界です。