そこで語られる戦争の悲劇、愛、憎しみが複雑に展開する物語として、宮崎駿の漫画版の「風の谷のナウシカ」ほど世界観が大きいものはありませんが、それに匹敵する作品として、伊図透の「銃座のウルナ」(全7巻セット/古書2400円)を忘れてはいけません。

少数民族のヅードとの戦いに身を投じる女性狙撃手ウルナの過酷な人生を描いたドラマです。2018年に、「第21回文化庁メディア芸術祭」でマンガ部門優秀賞を受賞しました。

極北の雪原を進んでゆく大型ソリに、辺境の前線に派遣される新兵が乗っています。新兵の名前はウルナ・トロップ・ヨンク。覇権国家レズモアの若い女性狙撃手です。1年中、殆どが雪と吹雪が荒れ狂う島リズル。ここに生息する蛮族ヅード族とレズモアは交戦状態が続いています。

その最前線基地に着任したウルナ。前線基地の向こうには長いジャンプ台があり、ここから飛び立つヅード族を狙撃するのが彼女の仕事でした。この戦場で、彼女が見て、体験したことから壮大な物語が始まります。

ヅード族が悪者で覇権国家レズモアが、彼らを駆逐すると言うような単純な構成ではありません。巨大な国家が、小国を殲滅し、その真実を人々の記憶から抹殺してしまう。その絶望を描いていきます。圧倒的な情景描写力は宮崎作品を凌駕しています。雪深い戦場の情景。微細な所まで書き込まれた基地の中の暗闇。苛烈極まる戦闘描写。その一方で、光に満ちた美しいウルナの故郷の姿。よくも、ここまで描きこんだものだと、漫画の持つ力に感動しました。

ナウシカも、彼らの血塗られた歴史と殺戮の中で、葛藤し、ボロボロになりながらも真実を見つける旅をしてゆくのですが、それ以上にウルナは過酷です。

最後まで読むのは、辛く、悲しい。でも、読んでおいた方が絶対にいい。軍部のクーデターで、片っぱしから市民を殺している東南アジアの国にも、ウルナみたいな女性がいるかもしれません。正義とは、国家とは、そして歴史とは、という大きな問題を射程に入れたコミックの大作です。

一つ救いがあります。ウルナが着任した基地にいる大型犬たちがとても可愛いくて、彼らが出てくるとホッとします。

「三回忌を機に石牟礼さんについて本を2冊にまとめようと思った。」と池澤はあとがきに書いています。一冊は、以前紹介した二人の対話集「みっちんの声」であり、もう一冊が、この「されく魂」(河出書房新社/古書1200円)です。

「されく」とは漢字では「漂浪く」と書き、水俣の言葉で魂がさまようことを意味するのだそうです。「ある種の人々は生まれつきこの性癖を持っている」と池澤は書き、石牟礼道子もそうだったと考えています。

石牟礼の代表作「苦海浄土」を、「語られる内容に、悲惨と幸福と欺瞞と闘争のあまりのスケールに驚く一方で、作者がそれを語ろうとする不屈の努力に引き込まれる。逃げられなくなる。陣痛の現場に背を向けるわけにはいかない。」と池澤は書いています。そうだからこそ、「陣痛の現場」を読むことのしんどさからずっと私は逃げてきました。

でも、本書に登場する「苦海浄土」の文章を目にして、少し距離が縮まった気がします。例えば、水俣病患者が東京のチッソ本社を訪ねるくだりです。

「あのような建物の中身に永年思いを懸けて来て、はじめて泊まってあけた朝、身内ばかりじゃなし、チッソの衆の誰彼なしに懐かしゅうなったのが不思議じゃった。」と、自分たちをさんざん痛めつけた絶対的な存在の会社の幹部を身のうちに取り込んでしまうのです。

「両者はそれこそ圧倒的な非対称の関係にあって、チッソ側は患者に病気をおしつけ、それを否認し、責任を回避し、補償を値切り、国を味方に付け、正当な要求を強引に突っぱねる。これに対して患者の側はずっと無力だった。」決して赦せる相手ではないのですが、赦すという究極の顕現を持っていることを知っています。

「だからこそ彼らは『チッソのえらか衆にも、永生きしてもらわんば、世の中は、にぎやわん』と晴れやかに笑って言うことができるのだ。」

“悲惨”な現状を描いた作品としてイメージされている「苦海浄土」ですが、深い文学作品として屹立しているのです。

「今も水俣病を生んだ原理は生きている。形を変えて世界中に出没し、多くの災厄を生んでいる。だからこそ、災厄を生き延びて心の剛直を保つ支えである『苦海浄土』三部作の価値は、残念ながらと言うべきなのだろうかが、いよいよ高まっているのである。」

TVのオリンピック中継を見ない、オリンピック関係の感動記事を読まない。そんな暇があったら「苦海浄土」を読む。私の今年の夏の課題です。

文化人類学者西江雅之の「異郷日記」(青土舎/古書1900円)を読みました。西江は、子供の時から、昆虫や鳥、小動物に憧れていました。飼育するのではなく、そんな動物になりたいと本気で思っていたそうです。しかし、どう頑張ってもスズメや蟻になれないことが分かり、10代の頃には挫折感のようなものを味わったそうです。(不思議な人ですね)

「二十代に入って初めて耳にした”文化人類学”などという学問に関係するようになったのは、動物になろうとした少年時代の”諦め”感に原因があるのであって、人間好きだからというわけではない。」(へそ曲がりかも)

文化人類学を学ぶ中で、研究のための調査目的で多くの国を訪れるようになりますが、観光目的ではないだけに、普通では行けない場所にも入って行きました。そんな海外での体験、学んだことをまとめたのが本書です。私はこの手の本にはすぐに手を出すタイプで、世界の広さを知るには最適だと思っています。ニューギニア、ザンジバル、バリ島、マレーシア、ソマリア等々が登場します。

文化人類学の研究本ではありません。何度も言いますが、世界は広いという認識を再確認するための旅の本です。

現在はタンザニア共和国に属している、東インド洋上にあるザンジバル諸島で見た日本の車について、面白いことを伝えてくれます。

「ザンジバルの町には、日本の車が非常に多い。日本製のというだけではない。日本で走っている時のままの姿、すなわち、日本語で書かれた会社名、商店名、番地、等々が車体に残されたままの車が、途切れることなく走っているのだ」(日本では考えられません)

なぜか? ここでは車泥棒が多発していて、車に書かれてある複雑なデザインや文字を記憶しておけば、転売されていても自分の車かどうか即座に判断できるからだそうです。「メデイカルスポーツプラザ 会員募集中」と書かれたバンの写真に仰天しました。

もちろん、そんな面白い話ばかりではありません。西洋史に暗い影を落とす奴隷制度のことも何度か出てきます。そして「逃亡奴隷」の存在も知りました。

「ギアナでは、アフリカ系住民のうち、奴隷解放の時代が訪れてから自由の身となった人々とは別に、自力で逃亡し、自由を得た人々がいた。”逃亡奴隷”と呼ばれる人々である。初期の逃亡奴隷の中には、自分たちが積み込まれている奴隷船を集団で乗っ取り、未知の土地に上陸し、奥地に逃げ込んで生き延びた人々がいた。連れて行かれた先の農園で、仲間と共謀して逃亡に成功した人々もいた。例えてみれば、三百年以上も長い歳月にわたって “フィリピンのルパング島の小野田さん”と同様の生活をしてきた人々がいるということになる。」

題名も内容もおおかた忘れましたが、カッコいい黒人奴隷が暴動を先導して白人を倒す映画を観た記憶があります。それって作り話だと思っていましたが、そうでもなかったみたいです。

コロナのおかげで海外を旅することが難しい日々が続いていますが、そんな時こそこの本をお勧めします。濃密な旅をしたような気分になりますよ。

映画館に足を運ぶとき、この辺りまで描いてくればいいなぁ〜と思いながら席に着き、まずまず期待通りだと、うん良かったという感想になります。

しかしたまに、こちらの意に反して、え?ここまで描くの?こっちへ行くの?みたいな映画に出会い、未知の世界へと誘い入れてくれると、傑作だった!と言ったりします。

カナダ映画「やすらぎの森」はまさに、そんな傑作の一本でした。世のしがらみを捨てた男たちが、誰も人がやって来ない森の奥の湖畔で、最後の人生を愛犬と暮らす日々を送っています。こう書くと、余裕ある人の引退後のアウトドアライフが頭に浮かんできますね。

誰もいない湖で、素っ裸で泳ぎ、愛犬と戯れ、畑を耕しているシーンはありますが、この作品、美しい情景描写で終わる映画ではありません。

男たちは三人。映画が始まってすぐに一人は亡くなります。残った二人の老人は、それまでと同じ生活を繰り返しています。ある日、そこへ、闖入者が現れます。少女時代に不当な措置で精神病院に入れられて、60年以上も外界と隔絶した生活を送ってきたジェルトルードです。

最初は、男たちと打ち解けなかった彼女ですが、この自然環境が彼女に力を与えていきます。そして、男の一人チャーリーと少しづつ近づいていきます。そして、お互いを認め合い夜を共にします。80歳を過ぎた老人二人の営みを、繊細に、優しく、誠実に撮っているのです。これには、感動しました。BGMは森で鳴く鳥の声と、ストーブで弾ける木の音だけです。

こんなシーン、男性監督には無理だと思っていたら、やはり監督は女性でした。1970年生まれのルイーズ・アツシャンボー監督は、丁寧に、丁寧にこの二人を撮ってゆくのです。

その一方で、老後を自由に生きている男たちが、自らの死について、自分で決着をつけようとしていることがわかってきます。三人とも青酸カリの瓶を持っていて、今日は死ぬにもってこいの日だと決めたら、その瓶の中身を飲むのです。チャーリーと最後まで一緒だったトムも、もう自分の体がこの冬は越せないと判断し、この世を去る決心をします。チャーリーと二人で穴を掘り、そこに入り、薬を飲みます。愛犬がどうなるか、ちょっと辛いシーンが待っています。

ジェルトルードを演じたアンドレ・ラシャペルは、1931年生まれのカナダを代表する女優。本作で引退するということで、70年近くに渡るキャリアに幕を閉じました。80歳を過ぎて、老いた自分の裸体を見せるなんて、簡単にできることではないと思います。よほど、この役柄が気に入ったのでしょう。その後、癌のため2019年11月に亡くなりました。享年88歳でした。

歌手の加藤登紀子は、「生と死の境界線を超えるテーマなのに、対話が詩のように美しい。」と表現しています。そうなのです、ほんとに詩のような映画なのです。心に響いてきます。劇中、トムが歌うレーナード・コーエンの名曲「バード・オン・ファイア」で、涙が溢れました。

 

 

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九州から新しい雑誌「TRAVEL UNA」が到着しました。現在3号まで出ています。「UNA」って何?

創刊の挨拶からの文章を引用します。

「九州は、中国、朝鮮、東南アジアやヨーロッパとの長い交流を通して育まれた、独自の文化が息づいている土地です。

織物や陶磁器などの伝統的なものづくり、森と海の恵みを存分に受けた食べもの、バラエティに富んだ温泉地、独自の発展を遂げたキリスト教信仰……。

これらは九州の風土や歴史に根ざした、現代に生きる文化です。それらは私たちは敬意を込めて<native acumen>、その土地の叡智と呼びます。

united native acumenの頭文字を冠したTRAVEL UNA(ユーナ)は、毎号テーマを決めて九州の魅力を生み出すトラベルガイドです。」

1号は「ネイティブテキスタイルをめぐる旅」です。国内の繊維産地とデザイナーを結びつける仕事をされているファッションキューレーターの宮浦普哉さんが、九州の風土、歴史に根付いたテキスタイルの作り手を訪ね歩く特集です。

2号は、ズバリ「米」。田んぼ、ご飯、日本酒、スイーツ、クラフト、祭りなどおよそ米に関わることを総特集してあります。

「九州を『米』という視点から見てみたら、新しい姿が見えてくるのではないか。『米』という漢字は米粒が八つあるようにも見える。そこで私たちは、米をご飯、稲作、日本酒、和菓子、工芸、わら、信仰という、八つの角度から捉えてみた。」

そうか、米ってこんなに私たちの身近にあったものだったのね、と再認識しました。米だけで、一冊作ってしまうとは!!

3号は「アートとクラフトの旅」です。

「誌面に掲載された町や工房に、旅行業も手がけるUNAラボラトリーズのツアープ ログラムで実際に訪問することができる、旅とマガジンが一体化した特別編集号です。第1特集は『アートのある町へ』。古く からの温泉地であり、芸術祭を契機に街中にアート活動が溶け込む大分県別府市、水俣病からの地域再生を発端にアートによ るまちづくりを展開する熊本県津奈木(つなぎ)町を紹介。第2特集は『未来をひらくクラフトピープルに出会う旅』。九州各 地で伝統や歴史を引き継ぎつつ、新しいアプローチを模索するつくり手を訪ねます。 」

同社が実施しているツアープログラムのチラシも送っていただきました。なんと14種ものツアーがあります。みているだけで楽しいです。(ご自由にお持ち帰りください。)

しっかりとした目的意識と、それを視覚化する技術とノウハウを持った雑誌だと思います。頑張って販売していきます。昨日から販売を開始したのですが、早速2冊ほど売れました。お客様も、良いものはよく分かっておられるみたいです。

芥川賞・直木賞以上に私が密かに楽しみにしているのが、江戸川乱歩賞です。1954年、江戸川乱歩の寄付金を基金として探偵小説の推励のために制定されました。仁木悦子「猫は知っていた」(昭和32年)、戸川昌子「大いなる幻影」(昭和37年)、森村誠一「高層の死角(昭和44年)などの巨匠クラスの作品から、真保裕一、桐野夏生、池井戸潤など、現代の第一線の作家も受賞しています。

64回受賞作、斎藤詠一「到達不能極」(講談社文庫/古書500円)は出た時から読みたかったのですが、文庫化されました。いやぁ〜、いやぁ〜、とても面白い小説です。

著者の斎藤詠一は、商店街にある小さな本屋に生まれ、育ちました。サラリーマン稼業のかたわら小説を書き続け、本賞を受賞しました。処女作での受賞です。

スケールの大きい物語。201X年、海外ツアー添乗員の望月拓海を乗せたチャーター機にトラブルが発生、南極へ不時着してしまいます。拓海は、一人でツアーに参加していた日本人でワケありの老人や、アメリカ人のベイカーらとともに、生存のための物資を探しに、旧ソ連が建て、今は破棄された「到達不能極」という名の基地を目指します。

ここで、時代が一気に過去へと向かいます。1945年、ペナン島の日本海軍基地。訓練生の星野信之は、ドイツから来た博士とその娘ロッテを、南極の奥地に密かにナチスが作った実験基地へ送り届ける任務を言い渡されます。ロッテはナチスが秘密裏に行う研究の実験台にされる運命にありました。
現代の南極と、1945年の南極で展開するサスペンスを主軸に、この基地で行われていた実験の実態があぶり出されていきます。

選考委員の池井戸潤は、この作品についてこう語っています。

「『到達不能極』の作者は、職業作家としてやっていける十分な筆力がある。本作は、不時着した南極ツアー、第二次世界大戦、南極観測隊という、ともすれば盛り込み過ぎになりがちな素材、複数の視点を混乱なく読ませる構成力が群を抜いていた。ヒトラーのオカルト趣味を隠し味に使い、半世紀もの時を経て成就するストーリーのスケール感も魅力的だ。」

同じく選考委員の湊かなえは、文章の上手さに高い評価をしています。南極の荒涼たる自然、辺境の地にあった日本軍の飛行機クルーの描き方など、まるで映画を観ているようです。

ナチスの秘密基地で行われていた「擬似意識」という設定は、ハードコアSF的世界なのですが、そこも一般読者に理解できるように描かれています。

ラストに火葬場で望月が流す涙の印象もさりげなくて、気持ちよく本を閉じることができました。

蛇足ながら、乱歩賞受賞作品はフジテレビが優先的映像化権を持っているようですが、センチで、空疎なアクションドラマにだけはして欲しくないですね。

 

 

少し前に木村友祐との対談「私とあなたのあいだ」(新刊1870円)を紹介した温又柔(おん・ゆうじゅう)。彼女の短編を集めた「空港時光」(河出書房新社/古書1100円)は、台湾の飛行場から日本へ、あるいは東京の空港から台湾に向かって旅立とうとしている人々の姿を簡潔に描いた作品が並んでいます。

温又柔は1980年台湾に生まれ。3歳の時に家族と東京に移住し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで、日本語教育を受けて育ちました。2009年すばる文学賞佳作を受賞し、その後日本語で作品を発表し続けています。国籍は台湾で、日本に帰化せずに作家活動を行なっています。「私とあなたのあいだ」では、自身のナショナリティーから派生する差別についても語ってくれました。

台湾と日本。そこに交錯する台湾語、中国語、日本語を聞き取りながら、登場する人々の人生を、まるで飛行場の待合室から見たり聞いたりしている感覚で描いていきます。「好書好日」というネットの書評ページにこんな文章を見つけました。

「温さん自身、よく待合室で時間を過ごす。『いろんな人がいる。いろんな日本といろんな台湾を行き来している』。あの人はどんな旅を、あっちの人は、と『空想と妄想でいっぱいになる』そうだ。」

なるほど彼女は、「空想と妄想でいっぱい」になりながら、それぞれの人が母国での揺れる心情の機微を浮かび上がらせています。多くの日本人は台湾人は親日というステロタイプな刷り込みを持っていますが、読んでいると、それは偏見に値する場合もありうるという状況にも直面することになります。

「『入境』と『上陸』を繰り返し、三十五年が経つ。両親とは別に、自分だけでも帰化を、と考えたことがないわけではない。ただ、年数を重ねれば重ねるほど、日本の国籍があってもなくても、自分はとっくに日本人のようなものだから、今さら別にね、という気持ちが大きくなってゆく。申請に関する煩雑な手続きが億劫なのもある。逆に、自分がパスポートまで日本のものを持つようになれば、台湾では完全に『外国人』となってしまう。それをもったいなく思う気持ちもある。」

これは「到着」という短編の主人公の言葉ですが、そのまま著者の思いでしょう。

この物語のラストで、台湾から日本へと帰ってきた主人公咲蓉は、こんな感情を抱きます。

「英語、中国語、韓国語……東京に到着した訪日客を歓迎する文字の中に、おかえりなさい というひらがなが混じっている。これが目に入ると、帰ってきたと咲蓉は思う。台湾語まじりの中国語が耳に飛び込んできた時にも同じ感情を、咲蓉は抱く。」

国境、パスポート、それぞれの国の言葉。そこから人は逃れられない。日本で生まれ、ここで育ち、死んでゆく私たちには見つけられない世界があります。

 

ミシマ社から出た網代幸介「手紙がきたな きしししし」(新刊/1980円)は、子供が読んでも、大人が読んでも、ヒヤヒヤ、ワクワク、そしてハハハッと声を出してしまいそうな絵本です。

古い謎の洋館。そこに手紙を届ける郵便配達のおじさんは、なんか嫌だなぁ〜と思いながら、館内に入っていきます。「きししし」という不気味な音、この洋館に住むお化けたちがぞろぞろと出てきます。手紙がきたことに喜ぶお化けたちは盛り上がり、ついに手紙は最上階に住む主人のところに届くのですが……..。

奥行きと重厚感のある絵は、ファンタジーに説得力を持たせ、おどろおどろしさと、可愛らしさと、はちゃめちゃ感が絶妙にブレンドされています。夢から醒めたようなラストの展開も洒落ています。

雑誌「美術手帖」に、「網代幸介は1980年生まれ。古代文明やヨーロッパ中世に描かれた遺物や神話、寓話などから影響を受け、想像上の人や動物を描いた絵画を中心に、独自の物語を題材とした立体作品やアニメーションなどを制作。作品のなかに経年劣化による物の存在感や朽ち果てていくはかなさを投影し、幻想とリアリティのあいだを表現している。東京を拠点に活動し、これまで国内外で作品を発表。アートワークの提供や装画、演劇のヴィジュアルなども手がけている。」と横顔が紹介されていました。

トホホな表情の郵便配達人と、ドラキュラ伯爵が住んでいそうな、朽ち果てる一歩手前の洋館。次から次へと登場する妖怪たちは、手紙がきた!と舞台で踊りまくり、それにやんややんやと拍手を送る観客のお化けたち。手紙が飛び交い、郵便配達人まで、舞台に引っ張りあげられてしまいます。

子供の時、ちょっと怖いけど、スクリーンに見入っていた暗い映画館の雰囲気を思い出します。

三条京阪近くのギャラリーnowakiさんで、現在この原画を中心にした作品展が始まっています。私も観にいきましたが、やはり原画の迫力は違いますよ!! ぜひ!(7月5日まで)

 

京都御所の南西、梅林の中に立つ大きな榎の木は、見事な枝ぶりです。

これが、くさはらさんの絵本「おおきなきと であったら」(福音館書店・ちいさなかがくのとも/427円)の主人公。広く張った根は、まるで生き物のようで、初めてこの木と出会った女の子はぐるっと周り、枝を見上げて、その豊かさに感激するのです。

巨木の堂々とした絵は、小さな草花を描いてきた画家くさはらさん自身が目にした感激をそのまま写しとっているよう。色鉛筆を塗り重ねて、丁寧に描かれる木肌の表情、高い枝葉。一度でも、木のスケッチをしたことのある人なら、枝の複雑な形や葉っぱに四苦八苦したことを覚えていらっしゃると思います。何度も何度も通って、時間をかけて描きこまれた労作です。特にこだわって作ってきたという深い緑色の美しさ。個展のタイトル「緑と歩こう」に込められた思いです。

2019年12月、当ギャラリーで開催したあかしのぶこさんの絵本の原画展にくさはらさんが来廊された折、この絵本のことを知りました。

京都御所は、私の毎朝の散歩コース。地元で原画展をぜひ開きたいと思い、今年実現しました。
福音館書店の絵本シリーズの先輩であるあかしさんと、くさはらさんの出会いが、ご縁を繋いでくれました。

くさはらかなさんは、兵庫県生まれ。京都精華大学芸術部造形学科日本画分野卒業。今回の個展では、やはり色鉛筆の繊細なタッチで、新作絵本「ふゆのぺたんこぐさ」(福音館書店・ちいさなかがくのとも/440円)の原画も並びました。

こちらは、地面に張り付いたように咲くロゼット(地面に放射線状に葉を広げる植物)たちが主人公です。冬の間、ぺたんこになって春を待つ植物を1年かけて探して、そしてスケッチ、作画と3年かけて作られた絵本です。温かな土の色合い、見落としてしまいそうな草花の佇まいに、作者の自然に対する愛情を感じます。

二冊の絵本と、小さな手作り絵本「だれのあたま?」(1100円)も販売しています。他に、美しい草花のポストカード(165円)が10種類ありますので手にとってみてください。

蒸し暑い日が続きますが、くさはらさんの「大きな木」に会いに来てください。お帰りには、ぜひ京都御所へ。歩いて10分ほどです。(女房)

✳️くさはらかな「緑と歩こう」は6月23日(水)〜7月4日(日)

 13:00〜19:00  月火定休日

極地探検で知られる写真家石川直樹が文を書き、イラストレーターの梨木羊が絵を書いた絵本「シェルパのポルパ エベレストにのぼる」(岩波書店/新刊1800円)。

ヒマラヤの麓で生まれた少年ポルパが、シェルパへと成長する姿を描いています。標高5300メートルのところにベースキャンプを置き、そこから四つのキャンプを設置して、8749メートルの頂上を目指す登坂ルートも、書き込まれています。

「エベレストの麓に広がるクンブー地方は、山岳民族であるシェルパたちの生活の場です。彼らはチベットからヒラヤマ山脈を超えてやってきた人々の末裔で、田畑を耕し、ヤクなどの家畜を飼育し、春と秋の登山シーズンには、観光客を受け入れて生活しています。」

と、後書きで石川は解説しています。石川自身、ヒマラヤで多くのシェルパの友人を作ったので、彼らのことを知って欲しくて絵本を製作したようです。

シェルパを目指す少年ポルパは、ベテランのテンジンおじさんに連れられて初の登山に挑戦します。その途中でポルパが見たもの、経験したものが描かれています。山頂近くで、ポルパは鳥の大群に出会います。

「あれはなに?」

「かぜのとりさ。かぜにさからうのではなく、かぜといっしょにとんでいる。チベットから、ヒマラヤのやまをこえて、あたたかいインドでふゆをこすんだ。」

厳冬の時期にエベレストを越えてゆく鳥がいるんだ、と語るクライマーの小説を以前読んだ記憶があります。見開きページ一杯に描かれた、頂上を極めた瞬間のポルパの顔が実にいいですね。

石川直樹の写真集「POLAR」(古書絶版/2600円)も入荷しました。

石川がほぼ10年にもわたって旅してきた北極圏の、今の姿を捉えた写真集です。この地に生きる人々の表情、暮らしを取り込み、北極の真っ白な世界のイメージを覆すような作品がならんでいます。素顔の北極圏が見えてきます。