お恥ずかしい話を一つ。レティシア書房開店前、少しは古書業界を知っておこうと、古書に関する本を乱読しました。その中で、野呂邦暢とか上林暁とか木山 捷平とか小山清とか、今まで読んだ事のない作家が、しばしば登場してきました。これは、拙い!と思い読み始めました。

古くさいなぁ〜、退屈〜と感じた作品もありましたが、野呂の「鳥たちの河口」を読んだ時は、唸りました。37年長崎生まれで、諫早で育った彼が73年に「文学界」に発表した小説です。会社の労働争議で辞職を受け入れざるを得なかった男が、百日間河口に通い、鳥の観察をするだけの話です。

当時、野呂が住んでいた家の裏を流れる本明川を、河口まで歩くのが本人の日課でした。毎日の散歩で見た風景を見事に小説に組み込み、自然描写の素晴らしさで読者を誘い込みます。主人公の置かれた状況が状況なんで、晴々とした風景が登場することはありません。なんせ、「空は暗い」で始まりますから。

主人公は河口で死んだカモメも見つけます。

「のどから腹にかけてひきむしったように皮が裂け、肉がえぐられている。はみだした暗紫色の内臓に鼻を近づけた。」

こんな導入部で、小説はシンボリックに、生きる恐れ、よるべなき明日、忍び寄る不安を描いていきます。河口の風景と、主人公が助けた渡り鳥にだけ描写を絞った分だけ、ぐっと凝縮された世界が押し寄せてきます。文学の強靭な力とは、こういう作品の事でしょうね。

ラスト、この渡り鳥を大空に放つところで終わるのですが、決して開放的ではなく、重く、苦いものが残ります。白黒映画黄金時代のフランス映画みたいです。

この小説を含めた「野呂邦暢集大成」(文遊社)の1巻「棕櫚の葉を風にそよがせよ」、2巻「日が沈むのを」が入りました(どちらも2400円)。2013年に刊行が始まった本シリーズは、装幀、字体、デザイン等隅々まで入念に作られていてお薦めです。持った感触も良く、現在、7巻まで刊行されています。いずれは全巻揃えておきたいものです。

木版で漫画を描くか……..?と、ページを捲って先ず思ってしまいます。

「魂を削るようにして木版に向かった」先に出来上がった一コマ、一コマは、もうアートです。とにかく今年最も驚かされ、引込まれた一冊が、藤宮史「黒猫堂商店の一夜」(青林虹工藝舎1100円)。

主人公は猫です。彼が営む「黒猫堂商店」が舞台ですが、ストーリーはあるようなないような、長編の詩を読んでいるような感覚です。主人公の猫が、首尾一貫静謐で、哲学者のような、詩人のような表情が、モノクロ画面に染み込んでいきます。

第三話「星のはじまりの話」は、宮沢賢治の世界を彷彿とさせます。

「星をけずって 薄荷水を溶かし 星のインクをつくってみる 夜空の星を 眺める と星は<わたし>が思うように輝き そして 消え入りもする ー羽ペンの先に 星のインクをつけてみる」

というモノローグと共に、ペンを走らせる彼の穏やかな表情を見つめているだけで、落ち着いた気持ちになります。

第四話「夜をゆく」は、萩原朔太郎的な世界。「月のない深夜 誰とも 往きあわない 町へ出て 水晶の眼鏡で 町を眺めてみると あちらこちらにキラキラした言葉が浮かんでいる」

楽しさに微笑む彼が、全く異次元の空間へとトリップしてしまう幻想的世界が展開します。マンホールを下りたら駅があり、やってきた汽車は、喫茶店の椅子の上に彼を運びます。古風な街角を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口にする様が心に残ります。

途方もない時間と労力による木版画で構成された漫画は、扉の言葉にあるように「穏やかな懐かしさと柔らかい孤独を心地よい手触りで甦らせてくれる」ようです。

第七話「漂う日々」では、最初のページには「一コマ2秒間ずつ見てください」と書かれています。ゆっくり、ゆっくりと読んでくださいという作者の思いです。永遠に続く孤独を、穏やかに、穏やかに、遥か彼方に流してしまうような豊かな世界が広がります。描いた線はおしゃべりですが、彫った線は、実に寡黙です。

 

 

 

 

 

 

マリー・カスティユ・マンシオン・シャール監督の「奇跡の教室 受け継ぐものたちへ」(京都シネマ)を観てきました。

フランスのベテラン女性教師が、落ちこぼれ生徒達を全国歴史コンクールに出場させて、栄冠を得るというお話ですが、熱血先生が落ちこぼれ生徒を救う手合いの学校もの感動ストーリーではありません。

先生が、コンクール出場のために選んだテーマは、先の大戦で起こったナチスドイツによる大虐殺、そしてアウシュビッツ収容所です。もちろん、勉強なんてまっぴらの生徒達が、最初から熱心に勉強するわけがありません。映画は、少し距離を置きながら、ドキュメンタリーのように、生徒の日常、授業の風景を散文的に描いていきます。

映画の中で、実在のアウシュビッツ収容所の生き残りの老人が、生徒達にその地獄の日々を、極めて理性的に語るシーンがあります。腕には、収容所で焼き付けられた番号が残っています。今まで持っていた、彼の名前も生い立ちもはぎ取られて生きる日々の始まりです。

この映画に登場する生徒達は髪型、服装、話し方など、極めて個性的です。そんな彼らが、その人の持つ個性をはぎ取り、番号だけの人生を生きさせられた老人の言葉を受けて、考えることを開始します。戦争って何?その時フランス人は何を考えていたのか?なんで人は虐殺が出来るのか?等々。そして、それぞれのアプローチでこの問題に取り組み、発表していきます。それぞれの思いで、深く考える、そこから個性が表れてくることが分かります。(写真右は撮影中の監督−手前の女性です)

映画は、高校生がアウシュビッツと向き合い、どう変化したかを描いていきますが、その一方で、自分たちで考え、まとめ、それを表現するという作業から、一人一人の持ち味が出来上がってくるまでを描いたように思えます。ラスト、彼らは、収容所で死んでいった人達への追悼を込めて、色とりどりの風船に、亡くなった人の名前をひとつずつつけて、青空に放ちます。彼らの新たな旅立ちを象徴するような素敵な幕切れでした。

本作は、アハメッド・ドゥラメという当時18歳だった少年が、シャール監督へ送った一通のメールから映画化の道が始まりました。生徒の一人マリック役を務めた21歳のドゥラメは、自身の高校一年生のときの体験を元に監督と共に脚本に参加しています。正に、落ちこぼれだった生徒が、アウシュビッツに向き合うことで、人生を見つめなおし、自分の道を見つけるまでを描いたドキュメントでもあったわけです。

ところで、彼が目ざしているのが映画監督。いつか、アハメッド・ドゥラメ監督作品が観られる日がくるかもしれません。(写真はマリック役のアハメッド・ドゥラメと先生役のアリアンヌ・アスカリッド)

 

福岡在住の作家9cue(キュー)さんの絵本「cherry」(メイドイン編集舎1296円)をはじめて見たのは、昨年夏のことでした。

木と金物と革で作られた人や動物たちが、物語を紡ぐ絵本を、すぐに店長がブログにアップ。その造形がキュートなので、ぜひ実物をみたい!とメールしたところ、今回個展開催の運びとなりました。願えば、叶うものなんですね。

作者の9cueさんも本が大好きだということで、個展のタイトルは「本とともだち」。九州福岡市からやって来た「女の子」や「オオカミ」や「うさぎさん」たちは、京都の本屋の本たちとすぐに仲良くなって、びっくりするくらい馴染んでいます。なにより色合いが素敵です。木材を好きな風合いが出るまで加工し、革も染めて、古い金物と創り上げていきます。その一つ一つが、ずーっとここで暮らして来たみたいに、おしゃべりをしているようです。

展示は絵本「cherry」の物語に沿って、壁に飾られました。店長のお気に入りは「オオカミ」(写真上)。首、歯を作っている金物やたてがみの釘に加えて、ちょっと傷のあるなかなかの面構えです。絵本「cherry」のお話の中では、チェリーちゃんという女の子についてる赤いホッペが、出会う者たちに小さな幸せをあげていくのですが、このオオカミも赤いホッペをもらうと、強面から笑顔になったり。

9cueさんは、釘やワッシャーやネジなど古い金物が大好きで、コレクションしています。知り合いのお宅から出た木材から釘を抜き出したり、どこでみつけてきたのか銹びた鋏などを使って、独特の世界を創られます。作品の多くは、そういった金物を手にしたときから始まるのだとか。もしかしたら9cueさんの磁場に、面白い金物が寄せられてくるのかもしれません。

街も少し秋めいてきました。ぜひ本屋でのおしゃべりを覗いてみてください。(女房)

 

クラフトアート絵本「本とともだち」展は10月30日まで。(24日定休日)

台に並んでいる小さなロボットや怪獣たちは、販売しております。(2500円〜15000円)

 

 

 

明治37年生まれの小説家随筆家の永井龍男は、東京を描いた良い随筆がありますが、まぁ、そんなに読みたい〜と思いませんでした。”オールドファッション”なイメージしかありませんでしたが、「青梅雨」(講談社/昭和41年発行500円)という短篇を読んで、そのイメージがコロリと変わりました。出だしはこんな感じです。

「十九日午後二時ごろ、神奈川県F市八三八無職太田千三さん(77)方で、太田と妻のひでさん(67)養女の春枝さん(51)ひでさんの実姉林ゆきさん(72)の四人が、自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さん(47)がみつけ、F署に届けた」

え、推理小説?? 違うんですね。場面は一日前に戻ります。「九時少し前に東京駅を出た湘南電車が、F駅へ着いた。」。この電車には主の太田千三が乗っています。そして、我が家へと向かいます。出迎えてくれる家族、うん、まるで小津映画に出てくる幸せな中流家族の一コマみたいですが、ここから全員自殺へと向かっていくのです。しかも文章は淡々と進み、自殺を仄めかす雰囲気もありません。お風呂に入り、新しい浴衣に袖を通し、ちょっとお酒を呑みながら、歓談する場面が続きます。

しかし、「二人とも、けさから、死ぬなんてこと、一口も口に出さないんです、あたし、あたし、えらいと思って」

という台詞を最後に、場面は現場検証の場面になり、小説はそこで終ります。愛しい様な最後の晩餐がくっきりと現れ、静寂の中に、生と死を捉えた短篇でした。

この短篇集には、忍び寄る老いの孤独を描いた「冬の日」が収録されていて、こちらもお薦めです。夫に先立たれ、娘までも天国へ旅立った妻は、その娘の子供を世話していたのですが、娘の亭主が再婚することになり、子供を新しい母に返し、長年住んでいた家を手放します。立ち退きの迫った年末の数日を描いているのですが、深い孤独とやがて訪れる死を前にした、彼女の心情が簡潔な描写の中に浮き上がってきます。

「床の間に供えられた小さな鏡餅には、もう罅が入っているようであった。」

という文章で小説は幕を閉じます。年を重ねた我々世代には、ちょっと辛いけど、生きるってこういことなんよね、と納得します。

この静かな描写は、小津映画ファンの方にもお薦めです。

 

 

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河出書房新社発行の文藝誌「文藝」は、他の文芸誌「文学界」、「群像」、「新潮」と比較すると新しい文学を紹介している雑誌です。この雑誌主宰の「文藝賞」の近年の受賞者、例えば田中康夫「なんとなくクリスタル」、長野まゆみ「少年アリス」、現役高校生だった綿矢りさ「蹴りたい背中」という作品を見ればなんとなくお分かりでしょう。

この「文藝」が戦中、戦後どのような歴史を辿ったかを簡潔な文章で書いたのが佐久間文子「『文藝』戦後文学史」(河出書房新社1400円)です。

「文藝」は1933年に創刊されます。当時の版元は改造社で、初代編集の主任は、作家の上林暁。新しい文芸運動を盛り上げるために新人発掘に力を入れていきます。その中には「夫婦善哉」の織田作之助もいました。作家陣を充実させて邁進しようとしたところに、暗い影を落としたのが第二次世界大戦でした。1942年雑誌掲載の太宰治「花火」が公序良俗に反するとの理由で削除処分を受けてしまいます。官憲の圧力だけでなく、物資不足で用紙を集めるもの一苦労するようになり、さらに追い打ちをかけるように、反体制的と見なされた改造社は解散命令を受け廃業させられてしまいます。

その時「文藝」の権利を譲渡されたのが、河出書房です。増々激しくなる空襲と物資不足でしたが、当時の編集長、野田宇太郎は、爆弾の落ちる音を聞きながら、編集作業を続行。

「わたくしが爆死しない限り、東京中が焼野原になっても。『文藝』の発行には決して支障をきたさぬ覚悟」とカーキ色のショルダーバッグに原稿をしまい込み、空襲の中を逃げ回りながら、雑誌を発行し続けました。

そして、戦後を迎えます。焼跡から経済復興、バブルを経て今日に至るまで、一冊の文芸誌の変遷が描き込まれています。そうか、あの時はこんな作家が登場してきたのか、成る程、と思いながら読みました。

ところで、河出という出版社は何度も倒産しています。しかし、何とか雑誌の刊行を続けようと獅子奮迅の努力をします。そんな編集者の一人に坂本一亀という出版部から移動してきた人物がいました。野間宏「真空地帯」、三島由紀夫「仮面の告白」、高橋和己「悲の器」など戦後文学の名作を次々と手がけた編集者です。57年、一度目の倒産の時、再建要員として抜擢、編集長を務めました。何を隠そう、坂本龍一のお父様です。

堅苦しい文学史ではありませんので、読み物として楽しめる一冊です。巻末には「文藝」略年譜が付いていて、これが結構面白いです。

村上春樹受賞のニュースなら、そりゃ目出たいね、ぐらいの軽い気持ちで済んだのに。よもやディランが文学賞とはなぁ〜。いや、もちろん彼の詩に文学性がないとは思っていません。重層的に構成された言葉とアメリカ音楽の伝統を引き継ぎながら作り出されるメロディーを持つ多くの作品群は、真に研究する必要があります。

私にとってのディラン初体験は、数十年前のアメリカ西海岸滞在時でした。ベトナム戦争は終焉を迎え、白けたムードが漂う一方で、ゲイパワー、レズビアン運動が盛んだったアメリカで、何人かの学生、知識人がディランの事を語っていました。その複雑な意味合いを持たせた言葉を巡って、しばしば会話が盛り上がっていましたが、なんせ拙い英語力。ただディランの名前だけはしっかりと覚えて帰国しました。

その後、片桐ユズル訳の詩集片手に毎日、聴いていた日々がありました。時には、これはスゴイ!と思ったり、時には聴きたくなくなったりと、何十年のお付き合いとなりました。

それにしても、ディランの曲って、どうして他の歌手が歌うと、どれもディランが歌う以上に最高に素晴らしい

のは何故なんだ? 美しく、切なく、生きることの奥深さを表現できる曲を、当の本人が歌うと上手いのか、下手なのわかんなくなる時があります。不思議な音楽家ですよね、例えば、西海岸のバンド、バーズのアルバム「ディランを歌う」(1500円)を聴くと、ディランのメロディーラインに、どれ程心を打たれることか。

あるいは、数年前に観た映画「チョコレートドーナツ」。ゲイカップルが、育児放棄された障がい児の養育を巡って社会の壁にぶつかる名作ですが、この映画のオリジナルタイトルは”Any day now”です。ディランの名曲”I Shall Be Relaesed”のサビの言葉です。ラスト、主人公がこの曲を歌うのです。日本語の歌詞を読んでもさっぱり理解できなかったこの曲が、僅かしかない明日への希望を、生きてゆく重さを歌っていたのか!と腑に落ちました。

デビュー以来、感情を表立って歌うことを拒否しながら、人間の奥を見つめてきたディランは、私には今もって不思議で面白い人です。それはノーベル賞を取ろうが、取るまいが全く関係ありません。

 

森泉岳土「ハルはめぐりて」(enterbrain400円)は、中学生になったハルが世界を旅する様を描いたコミックです。

訪れたベトナム、台湾、モンゴルとアジア各地で、とんでもない冒険が待ち受けているわけではありません。コーヒーを飲み、海に出会えば泳ぎ、夜には月を見上げるといった旅を描いているのですが、これが良い。「良い本を読むのと旅をするのは似ている」という思いと共にベトナムの農村を歩きながら、「きっと一生かかっても読み切れないんだろうなあ」という言葉を残して、中国へと向かいます。読み切れないのに沢山の本を買い込んでしまう人なら、この言葉の意味が分かりますね。さらに、彼女は中国の北投(ペイトウ)の図書館で、その蔵書量の驚き、思わず

「ここで泳ぎたい」と言います。

愛書家の方ならわかりますよね、この気持ち。この作家は、細部まで描きこむスタイルではなく、シンプルな線とベタの部分を巧みに織り交ぜながら、ハルと一緒にふいと旅に連れ出してくれそうなフットワークの軽さが魅力です。

もう一点、戸田誠二「音楽と漫画と人」(宙出版600円)。ショート・ショートに味わい深い作品の多い漫画家が、雑誌「音楽と人」に連載された2貢×69作品を全収録したものです。一応、登場人物たちは音楽に関わっている人達ばかりですが、別に音楽に詳しくなくても愉しめます。殆ど音楽家の名前とかアルバムタイトルなんて登場しません。たった、2ページで、様々な場面で音楽の関わっていきている人達の人生の一コマが描かれていきます。どこにでも転がっている話ばかりなのですが、それなりに生きてくると、じわっときますね。常盤新平、あるいはアーウィン・ショー辺りの短篇集を読んでいるような気分になるコミックです。

「人類がいつ風景を、音を美しいと感じるようになったのか そんなムダなことを考えるのをいつやめたんだろう。教えて下さい 私たちが忘れていることを」

日々、忙しさの中で、私たちが忘れかけていることを思いださせてくれるかもしれません。

 

 

西村書店は1900年代初頭にスタートした出版社です。医学書、並びに絵本の販売がメインです。その絵本の中に中々面白い「アート絵本」というジャンルがあって、現在9点程刊行されています。ゲーテ原作の「ファウスト」、NY近代美術館が発行した「ぼくは建築家 ヤング・フランク」とか捻った作品が多く、西村書店のこのジャンルをお探しの方がおられますが、なかなか中古では見当たりません。

今回、二冊ありました。

一冊めはベレニーチェ・カパッティ(文)、オクタヴィア・モナコ(絵)による「クリムトと猫」(1500円)。クリムトの愛猫が、クリムトの作品や、彼のアトリエでの日々の営みを紹介するスタイルで話が進みます。ご承知のように、クリムトは作品に金色を豊富に使い、きらびやかな画面で官能的な女性像を演出しています。絵本も、クリムト風を巧みに取り込んでいます。登場人物の動きが極端にデフォルメされて、全体がふんわりとした空気に包まれていることで、とても穏やかな気分にさせてくれる絵本です。因みに、クリムトは生涯独身で、大の愛猫家。8匹もの猫を飼っていたみたいです。最後のページには、彼が猫を抱いている写真も載っています。

もう一冊は、グイド・ヴイスコンティ(文)、ビンバ・ランドマン(絵)による「天才レオナルド・ダ・ヴィンチと少年ジャコモ」(1600円)です。ダ・ヴィンチの下で、身の回りの世話をするジャコモという少年の眼を通して、ダ・ヴィンチが語られていきます。実際に彼はジャコモという少年と二十数年間共に暮らしていますから、ここに描かれていることは、全くのフィクションではありません。特徴的なのは、登場人物達の顔の向きが極端に曲がっているところです。ちょいと人間離れした雰囲気が絶妙で、いかにも「天才」ダ・ヴィンチという描き方ではなく、どことなく哀しみと愁いを滲ませているところに味があります。最後のページは、ダ・ヴィンチとジャコモが月を見ながら語り合う場面です。ここに描かれるダ・ヴィンチは天才というより、何事にも興味を持ち、知ろうとした老人と、そんな彼に憧れる少年の、未来への思いが込められた一瞬を切り取ったような場面です。

このような細部まで行き届いた絵本を、部屋に置いておくだけでも素敵ですね。他の本もこれぐらいの価格で、美本をなんとか探していきたいのですが、難しい…….。

 

★★10月28日(金)『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、満席になりました。

尚、「安藤塾」は、10月29日(土)19時より「町家ギャラリー龍」にて開催します。こちらの方は、参加者募集中です。お問い合わせは直接 「町家ギャラリー龍」(075−555−5615)まで。

 

★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。

尚、11月5日(土)の、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」は満席になりましたので申し込みを終了いたします。ご了承ください。


NHKで土曜日夜に放送している「漱石の妻」ってご存知でしょうか。今、はまっているドラマです。

このドラマで漱石の妻のことを、初めて知りました。漱石が結婚して、帝大の教授を経て、国民的作家となっていく様を描いています。漱石には「シン・ゴジラ」で獅子奮迅の活躍をしていた長谷川博己、その妻には尾野真千子。彼女は、NHKドラマで織田作之助原作の「夫婦善哉」の健気なヒロインを演じていました。

で、この芝居の上手い二人の、時にはエキセントリックな、時にはドタバタ喜劇風の、時にはペーソス溢れるやり取りが、実に見物。あくまでフィクションですが、感情の起伏の激しい漱石という作家の姿が、見事に立上がって来ます。先週は、漱石の養父役で竹中直人が登場、立派になった子供に金をせびる小心な男を、演じていましたが、これが絶品でした。ちょっと、漱石の生い立ちを調べてみたくなりました。ドラマの原案になっているのは、夏目鏡子・松岡譲著「漱石の思い出」です。

漱石といえば、「坊ちゃん」、「わが輩は猫である」以外は、何故か知識人の憂鬱と苦悩を描いた小説が目立ちます。漱石が生きた明治時代を描いた関川夏央原作、谷口ジロー漫画による「坊ちゃんの時代」(アクションコミックス全5巻2500円)は、お薦めです。

漱石を中心にして、鴎外、啄木、秋水等の多くの文学者を登場させて、明治という時代を描いた群像激です。文学だけでなく、変転してゆく社会の様と時代に翻弄される人々の姿を全5冊に描き込んでいます。明治43年、天皇暗殺を企てた容疑で、社会主義者幸徳秋水らが逮捕、処刑された「大逆事件」のことも、この本で学びました。この全集は是非とも、高校の現代史のテキストに使用していただきたいものです。

第二部「「秋の舞姫」は森鴎外と、彼を追いかけて日本に来た舞姫エリスの愛憎を中心に、日本とヨーロッパのはざまで苦悩する鴎外を、第三部「かの蒼空に」では、彗星の如く登場した歌人、石川啄木の青春。第四部「明治流星雨」では、先程の大逆事件に翻弄される秋水を描き、最終の第五部「不機嫌亭漱石」で、病に倒れた漱石と明治の終りを描いて完結します。各巻300ページあまりの力作を、じっくりとお読み下さい。

当店在庫の全5巻の中で、第2巻だけ本の帯が違っています。他は「手塚治虫文化賞受賞」と文字の入った赤い帯ですが。第2巻は初版出荷時の白い帯で「それは鴎外の青春であった。」のポップが印刷されています。

 

★★10月28日(金)『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、満席になりました。

尚、「安藤塾」は、10月29日(土)19時より「町家ギャラリー龍」にて開催します。こちらの方は、参加者募集中です。お問い合わせは直接 「町家ギャラリー龍」(075−555−5615)まで。

 

★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。

尚、11月5日(土)の、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」は満席になりましたので申し込みを終了いたします。ご了承ください。