イギリス在住のコラムニストのブレイディみかこは、労働者階級の子供達を通じて英国の現状をあぶり出し、それでもどっこい生きている姿をビビッドに描いてきました。

今回は、労働者階級のうだつの上がらないおっさん群像を描いて、EU離脱に揺れる大国の姿を見せてくれます。「ワイルドサイドをほっつき歩け」(筑摩書房/古書950円)です。

ここに登場するおっさんたちは、BBCが発表した階級表(英国は階級社会であるというのは常識)によると「トラディショナル・ワーキング・クラス」に該当します。著者はこの階級の人をこのように解説しています。

「収入は低いが、資産が全くないわけではない。自分と同じような職業の人々と交際している。フイットネスジムに通うとかソーシャルメディアを使うというような現代風の文化はあまり取り入れない。ダンプの運転手、清掃職員、電気技師などの仕事をしていることが多い。」

著者は、連れ合いの男友達のおっさんや、女ともだちの旦那たちとの付き合いの中から、彼らの人生観や国の将来の展望を、いつものパワフル母さん調で語ります。

「海外には、英国はすでにEUを離脱したものと思っている人たちもいるが、実はまだEUの中にいる。離脱の条件に関する取り決めがぐちゃぐちゃといつまでもまとまらず、もはやすっかり国民がダレている状態」だというのが現状だとか。

政府の緊縮財政政策による医療体制の崩壊、景気悪化による失業、酒で身を持ち崩して妻に逃げられる、等々おっさんたちを取り巻く環境は厳しさが増しています。

「寝ゲロはやべえんだよ。喉に詰まって死んだりするから。年をとったら食道も繊細になるから。自重して飲まないと。」

「うん、俺たちの年になると泥酔するのも命がけ」

などとぼやきながらぐいぐいビールを飲んでいるおっさんたちを、見守る著者の愛情がかいま見えてきます。「おめえ、アンチトランプデモに行ったろ」と友人のデモ参加をワイワイ言い合ったりしながら、おっさんたちは前に進んでいこうとします。帯に「絶望している暇はない」と書かれていますが、その通りの忙しい日々が続いていきます。人情ドラマを見ているような気分になりました。

「労働者の立場が弱すぎる現代に求められている新しい労働者階級の姿とは、多様な人種とジェンダーと性的指向と宗教と生活習慣と文化を持ち、それでも『カネと雇用』の一点突破で繋がれる、そんなグループに違いない」という著者の言葉が力強く響いてくる一冊です。おっさん、頑張ろ!!

 

 

 

 

 

数ヶ月ぶりに美術館に行ってきました。京都国立近代美術館で公開中の「チェコ・デザイン100年の旅」。

チェコといえば、私はチェコアニメがすぐ浮かびます。オーストリア・ハンガリー帝国からの独立、第二次世界大戦を経て、社会主義国家としての歩み。そして民主化への道、という激動の20世紀を経験したこの国の様々なジャンルのデザインの変遷を一気に見ることが出来る企画で、ずっと観たかった展覧会でした。

入館すると、先ず目に飛び込んでくるのがアルフォンヌ・ミュシャの有名なポスター「ジスモンダ」です。まろやかな曲線美の女性と、卓越したデザインの衣装。本好きには、カレル・チャペックの戯曲「ロボット」(1925年の初版)の表紙が魅力的。兄のヨゼフが作ったもので、フランスでキュビズムの影響を受けていたことのわかる作品です。

時代と共に変わっていくデザインに、この国独特のオリジナルティーを感じます。現代に至るまで、日用品やおもちゃ、工芸品、家具、書籍と多方面に渡っています。このバイクなんか、暫く観ていましたが、飽きて来ないですね。

民族伝統へ傾いた第二次世界大戦期以降も、社会・政治情勢の変遷と共に絶えず新しいものを創り出してきました。その100年間を見ることができる展覧会です。

 

美術館3階で行われている「日本・ポーランド国交樹立100周年記念ポーランドの映画ポスター」展も面白い。非共産圏の国から入ってきた映画ポスターって、全て国内でオリジナルとは全く違う形に作りかえられます。え?これがあの映画なの??というものばかりです。蛇が絡み合うグロテスクなポスターは、「ローズマリーの赤ちゃん」だったり、可愛らしいおもちゃの新幹線が描かれたものは、日本映画の傑作「新幹線爆破」だったり。「ゴジラ」のポスターもユーモラスでした。

「チェコ・デザイン100年の旅」は7月5日まで、「日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランドの映画ポスター」は12日まで開催されています。映画館や美術館に出向くのはやっぱり楽しい。

新刊書店員時代の最後の年だったと思います。入荷してきた絵本を何気なく手に取り読み出して、最後のページで、思わず泣いてしまいました。その現場を児童書担当の女性スタッフに見られてしまいました。「店長って絵本で泣くような人じゃないのに、何か家庭であったみたい」「会社でいじめられたのかも」とか、休憩室で噂になったらしいです。

その絵本が、越智典子(文)・沢田としき(絵)による「ピリカ、おかあさんへの旅」(福音館書店/古書1100円)。越智典子は、東京大学理学部生物学科を卒業後、絵本作家になりました。沢田としきは、1996年「アフリカの音」で日本絵本賞を受賞した絵本作家です。

主人公のピリカは、シャケです。大きくなって外海にいます。ある日「だれかのよぶ声がして、ピリカは目をさまし、空を見上げました」でも誰もいません。しかし、ピリカはお母さんの声を聞いた気がしました。

「ほかのさけたちも。空を見上げるようになりました。『誰かがぼくらをよんでいるよ』むれは、呼び声にこたえて泳ぎだしました」

シャケたちは、故郷の川を目指して泳ぎ始めたのです。広大な海を泳ぎきり、懐かしい匂いのする川へと戻ってきました。

「なつかしい匂いのする水は、あとからあとから流れてきます。それは、しょっぱくない、真水でした。ピリカは急に体が重たくなって、くるしくて、パシッと自らはねました。」

「お母さんが近くにいる!」河口付近で跳ね上がるピリカの姿。やがて、ピリカは自分の体に多くのタマゴを宿していることを知ります。産卵までの時間が瑞々しいタッチの絵で描かれていきます。産卵を終えたピリカは、静かに自分の生を終えました。体を横たえたピリカの横には、おかあさん、そのおかあさん、さらにその前のおかあさんもいるのです。『「おかえり……おかえり…….ピリカは光につつまれました」』

最後のページにはこう書かれています

「やがてピリカの体は、もう一つの旅に出るでしょう。キタキツネにたべられて、キタキツネになったなら、春には子ギツネをうむかもしれません。

オジロワシにつつかれて、オジロワシになったら、空を飛ぶかもしれません。

それでもいつかは、土になり、木になり、森になり、ゆたかな川の水になるでしょう。」

一匹のシャケの一生を描きながら、命の循環をわかりやすく描いた素敵な絵本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の本専門店メリーゴーランド京都の店長鈴木潤さんの、二冊目の著書が出ました。「物語を売る小さな本屋の物語」(晶文社/新刊1815円)です。

「私が生まれた四日市の少し郊外の松本という町にメリーゴーランドができたのが1976年。私が4歳の頃のことだ。当時周りは田んぼだらけでそこにポツンと三階建てのビルが建った。その一階が子ども本専門店メリーゴーランドだった。」

彼女はこの店に入り浸りになり、絵本や児童文学の世界にはまっていきます。そして青春時代、世界を見たいという欲求に動かされていきます。当時、憧れの存在だった筑紫哲也(高校生にしては渋い趣味)がポスターに出ていたピースボートを見た瞬間、東京へ飛び出します。広い世界を見て、今度は就職活動もせずにアメリカへと旅立っていきます。絵本好きの少女は、ストレートに絵本専門店で働き出したのではないのです。この、彼女の疾風怒濤の時代が本の前半に描かれています。

動き出したら一気にいくという資質は、この時代にできたものなのか、先天的に当たって砕けろ精神があったのかは知りませんが、その後の絵本屋人生で大きな力となっていきます。

1996年、彼女は四日市のメリーゴーランドでアルバイトとして働き出します。私が、ここを立ち上げた増田社長の声を初めて聞いた時、どこのヤクザや?と思ったほどドスのある声でした。とても、絵本専門店の社長には見えませんでした。個性的な社長と鈴木さんが、お互いの言い分をぶつけて喧嘩をしながら、絵本書店の運営の面白さにのめり込んでいきます。この二人のやり取りが方々に出てきますが、似た者同士のように思います。

「ある日増田さんが『京都に店出すぞ。潤、京都に行くやろ」と言い出しました。」

そして、京都へ。物件探し、住まい探し、開店準備と慌ただしく時間は過ぎていきます。後半は、京都出店までのスリルに満ちた日々、そして結婚、出産を通じて彼女が考えていることが綴られています。

「ムーミンママの『誰だって秘密の一つや二つ持つ権利があるものよ』というセリフは本当にその通りだと思う。子どもだからといって何でもかんでも親に話す必要なんてないのだ。私は子供が秘密を持ったとき、そのことをそれとなく感じながら見守れたらいいなと思っている。秘密が人を成長させることだってあると思うから。」

二人目の男の子を出産して、子どもを抱きかかえて店に出ておられた時の彼女の姿を覚えています。鈴木さんとは、当店の開店以来仲良くさせてもらっています。

「本が『さあ、面白いから手に取って』と本棚を眺める人たち語りかけてくるような場所でありたい」と本書で書かれていますが、メリーゴーランドはいつ行ってもそんな場所になっていると、私は思っています。

さて、映画館が頑張って安全対策をとっていることがわかり、こちらも久々の京都シネマ。理想の農場をつくるために奮闘する夫婦のドキュメント「ビッグ・リトル・ファーム」を観てきました。

野生動物のカメラマン、映画製作者として活躍していたジョン・チェスター(本作の監督)と、妻で料理家のモリーは、殺処分寸前で保護した愛犬のトッドと都会で暮らしていました。が、トッドの鳴き声が原因でアパートを追い出されてしまいます。愛犬のため、そして、本当に体にいい食べ物を育てるため、郊外へと移り住むことを決心します。

しかし、購入した200エーカー(東京ドーム約17個分らしい)の土地は荒れ果てた農地でした。

彼らは、有機農法を基本とした自然と共生する農場作りのため、ノウハウを持っている人をインターネットで探し出し、アラン・ヨークを雇い入れ、彼を師匠と仰ぎ、土地の改良を開始します。映画は、彼らの農場作りの第一歩から撮影されています。植物も生えていなかった土地が、豚、牛、羊、鶏など多くの家畜たちとともに少しずつ良くなっていき、やがて野生の生き物たちも集まってきます。ここでは、植物も、農産物も、家畜も野生動物も、全てが手を取り合いながら、一つの生態系を形成してゆくことを目的とされています。見るも無残だった土地が、美しい風景へと変貌していきます。

しかし、自然はそう簡単な相手ではありません。害虫の発生、家畜を狙うコヨーテ等々、農場の存続を脅かす問題が次々に襲ってきます。ある日、ジョンは農場内に侵入したコヨーテを撃ち殺します。死んだコヨーテの表情を真正面から捉えたとき、ジョンはコヨーテは無用の存在だったのか、と自らに問いかけます。

そうではなかったのです。そのことを、後半映画は語っていきます。コヨーテも生態系の中で、生きる目的が存在したのです。野ネズミに散々、農作物や果物を食い荒らされて頭を抱えたこともありましたが、やがて農場にはフクロウや猛禽類が住み着くようになり、野ネズミを捕食してくれるのです。しかも、その野ネズミにさえ生きる目的を自然は用意していたのです。全ては、つながって回ってゆく、その大きな自然の流れを、美しい映像が見せてくれる90分です。

オリジナルタイトルは”The Biggest LittleFarm” ”The Biggest”は、最も大きな生態系を回している地球であり、”Little”は、その大きな生態系のほんの一部を再生した農場という意味だと、私は思いました。

連休明けのある日、中須俊治さん著の「Go to Togo」(烽火書房/1650円)を持って、出版社の嶋田翔伍さんが来られました。アフリカのトーゴ共和国へ向かった青年が、この国の織物の美しさに惹かれて、京都の伝統工芸の技と融合ささせようと奮闘したプロセスを描いた本です。著者も京都、版元も京都。う〜ん、これは置くしかないと店長が判断したそうです。

ちょうどギャラリーも空いているし、出版記念の展覧会の話がまとまりました。急遽決まったことでしたが、嶋田さん、著者の中須さん、お友達の協力で素敵な展示になりました。トーゴの街角のウキウキするような鮮やかな布地屋さんの写真が中央に飾られています。一方の京都の職人西田さんの写真は、窓から差し込む光の中で作業されている姿が渋くてかっこいい。

本の中で中須さんは、生まれたばかりの娘さんに「お父さん、それかっこいい」と言ってもらえるような仕事をしていきたいと述べていましたが、京都の職人さんもトーゴの女性の顔も輝いています。

中須さんは京都信用金庫に勤務しておられた経験から、若い情熱だけで無謀にもアフリカと京都をつなげる、と言った冒険ではなく、作り手の顔が見えるしっかりした商品を届けたいという思いで起業されました。そのプロセスが軽快な文章で綴られています。自分一人で乗り越えられない苦労も、仲間や先輩に支えられて一つ一つ解決していきます。それもただ夢のような話ではなく、人と人がつながるリアルな描写が心地よい本です。この気持ち良さは、きっと著者の人柄でしょう。

現在トーゴもロックダウンされていて、美しい布の展示はできませんでしたが、ブックカバー(3500円)、名刺入れ(4000円)、蝶ネクタイ(4000円)、ペンケース(3000円)、パスポートケース(4000円)、ミニマット(1000円)などの雑貨を展示販売しています。見たことのないトーゴという国を想像しながら手にとってみてください。

トーゴ共和国は、チョコレートで有名なガーナ共和国の隣で、周辺国に比べると経済資源の少ない世界最貧国の一つだそうですが、アフリカンプリントと呼ばれる布にはトーゴで生産されているものが多いのです。そしてその中でもケンテという布は王族に献上される一級品。そういう「ものづくり」をリスペクトし、京都の技術と融合させて新しい価値を生み出し「みんなが笑って過ごせる世界をつくる」ことを目指す取り組みにご注目いただけたら幸いです。

この本の仕様は変わっていて、日本での話は縦書きで、トーゴで起こる様々なことは横書きになっています。その度に読み手は本をひっくり返しながら読まなくてはなりません。面倒くさいな〜と、敬遠していたのですが、読み始めるとちょっとした気分転換という感じで面白く読み進むことができました。本の製作過程の展示パネルもありますので、ご覧ください。

前日の展覧会の準備は、仲間と一つのものを作り上げる楽しそうで、少し懐かしく羨ましく見ていました。人が繋がっていく輪の中に、本屋もちょっと入れてもらえたとしたらこんな嬉しいことはありません。(女房)

『中須俊治「Go to Togo 一着の服を旅してつくる」 アフリカ布と京都のものづくり展』は6/24(水)〜7/5(日) 13:00〜19:00   (6/29  6/30は休み)

 

 

 

 

 

 

MACの創始者スティーブ・ジョブスは、若き日、禅僧になることを人生の目的にしていたそうです。それを押しとどめ、社会の中で役立つことをしなさいと諭したのが、禅師乙川弘文。この禅師がまたすごい人物で、女性問題、アルコール飲酒等々で問題を引き起こした「破戒僧」でした。しかし、多くの弟子から慕われた人物でもありました。

そんな波乱の男の一生を追いかけたのが、柳田由紀子著「宿無し弘文」(集英社/古書1400円)です。この僧もさることながら、世界中に散らばる関係者に会って、弘文のことを聞き出し、文章にした著者のエネルギーと執念に脱帽です。300ページの厚い本ですが、全て聞き語りなのでスラスラと読めます。

 

弘文は、1938年新潟県のお寺の息子として生まれます。京都大学大学院を経て、永平寺で修行、その後アメリカに渡り、アメリカ人に禅を教えていきます。離婚、再婚を繰り返しながらも、多くの弟子を育てていきます。しかし2002年、スイスで娘と共に溺死。64歳の生涯を閉じました。彼の死を知ったジョブスは泣き崩れたそうです。その一年後、彼は癌の告知をされます。

ジョブスの友人、レス・ケイは弘文を「精神的な賢者であるかたわら、未熟な少年でした」と振り返っています。お酒にも、お金にもルーズだったとか…….。

弘文が教えたカリフォルニアにある禅寺慈光寺は、本国の曹洞宗から認可されていませんでした 。それは彼が本国へ届けを出していなかったからです。

「弘文は、日本の曹洞宗を布教したかったわけじゃない。法、つまり仏陀の教えを伝えたかった。弘文には欠点もいっぱいあったけれど、釈迦の心をひたむきに学び、真実に生きた」とは弟子のアンジィ・ポオサヴァンの印象です。

禅僧として不適格者、人生の失格者という評価と、釈迦の教えを真摯に教えた無欲の僧という評価が交錯する弘文を巡って、著者も混乱しつつ、各地にいる関係者に取材していきます。著者の困惑を私たちも抱きながら、旅を続けることになります。

元弟子で現在心理療法士になったステファンは「自分を価値あるものと思うこと。自身の経験を敬うこと、目的のためでなく、ただ座禅すること。毎日が禅だということ」ということを教えられたと懐しく語っています。

多くの関係者が登場し、語るのですが、彼の本質はなかなか見えてきません。ジョブスがなぜこれほどまでに弘文に傾倒したのかについても、様々な意見が出てきます。でも諦めずに著者は彼をめぐる旅を続けます。読んでいくうち、もっと弘文を知りたいと思えるから不思議です。

本書のラストは「弘文さんは生きていた 新潟県加茂市市民課の話」です。弘文の最後を飾るにには、なんとも微笑ましいような、ファンタステイックな幕切れです。

「理想的な座禅とは、呼吸さえも意識しないものです。円を描くように呼吸してごらん」という弘文の言葉が印象に残りました。

 

昨日に続いてご紹介します。島田潤一郎さんの新レーベル「岬書店」から出た新刊「本屋さんしか行きたいとこがない」(1100円)です。

巻頭で、「アンネの日記増補改訂版」を読んだ後、自分のような小出版社の役割をこう書いています。

「ぼくもまた、アンネのような小さな声を大切にしたいと思う。注意して聞かなければ聞き取れないような声にこそ、耳を澄ませ、そこから企画を立ち上げていきたいと思う。小さな出版社の役割とは、そういうものではないだろうか。」

書物を愛してやまない島田さんが、よく行った書店や思い出深い書店について語りながら、ご自身と本のつながりを綴っています。

「ぼくの頭のなかの八王子には、ほとんど本屋さんしかない。本屋さんと本屋さんをむすぶ線がそのまま町の輪郭になり、本屋さんへの道のりがそのまま町の印象となる。」

彼にとって、本屋さんが町の中心であり、いい本屋さんのある町が、いい町なのです。それは、もしかしたら本を愛する皆さんの共通認識じゃないでしょうか。私も、水無瀬の町の中心は「長谷川書店」だし、大和高田の真ん中は「とほん」だし、そんな風に町のイメージが出来上がっています。

長谷川書店については、本書でも取り上げられています。「新刊の棚も、マンガの棚も、なにがなんだかよくわからない棚も、みんな有機的に結びついている。それはただ単純に、一人の人間が棚を日々整え、自分がいつか読みたいなあと思った本を選書しているからだろう。本屋さんというより、自分の友人の家を初めて訪ねたときのよろこびに似ている。」

「自分がいつか読みたいなあと思った本を選書」というのは、きっと大正解です。そして、この本を読んで、あの人に伝えようという”Hand To Hand” 、手渡してゆくというのが本屋の原点だと思います。

「だれかからの言葉を切実に欲しているとき、本はそのひとの日々を救うだろう。それは、絶望から、希望へ、というような大げさな転換をもたらすものとしてではなく、文章と言葉を頼りに、少しづつ読者の生活を立て直すものとして、読者のそばにあり続けるだろう。」

だからこそ、島田さんは本を信じて、素敵な本を出して、注文書を持って全国を渡り歩いていけるのだろうと思います。

★HP内で紹介している本は全て通販可能です。まずは、メールinfo@book-laetitia.mond.jpまでご連絡ください。

 

 

夏葉社を営む島田潤一郎さんが起こした新レーベルの岬書店から、本に関する書籍が二冊発売されました。二冊共面白い!そこで、本日と明日の二回に分けてご紹介します。

まずは「ブックオフ大学ぶらぶら学部」(1430円)。多分こういうアプローチでブックオフ書店を論じたものは無かったと思います。「ブックオフ大学ぶらぶら学部」代表の島田さんが、書店主やライターなどに、ブックオフについて書いてもらいました。

ライターの武田砂鉄が「ブックオフにあり、新刊書店や目利きのいる古本屋には無い点とは何か。『本のことをよくわかっていない人が、これはたぶんこっちじゃないかと並べてみちゃった感じ』である」と、その特徴をピックアップしていますが、いっときのブックオフはそんな感じがありました。私もよくブックオフに仕入れに行きましたが、なんでこの本がこんな所に?しかもこの価格で出すかな?とニンマリしながら、買った時がありました。

さらに「新刊書店は体調が悪くても楽しめるけれど、ブックオフは体調が悪いと楽しめない」と書いていますが、正解ですね。膨大な量を納めた棚を見つめるには体力と集中力が必要なのです。

京都「ホホホ座」の山下店長も参加してます。4〜5時間ブックオフで楽しむことができる筋金入りの人です。「最近いちばんよかったのは、あれですよ。向田邦子のエッセイを岸田今日子が朗読しているCD。めちゃくちゃいいですよ。」

きっと、均一価格のCD棚で見つけたんでしょうね。私も500円コーナーはじっくりチェックしますが、280円コーナーまではとてもとても身が持ちません。

「ぼく、ブックオフがつぶれたらほんとに困るんですよ。あそこはとにかくほっといてくれるし、広いし、多様性があるし、生活と地続きな感じがあるし。居てて安心するんです。ぼくみたいな『オッサン』がいつまでもいてていい場所ですからね」

この意見には同感です。オッサンが100円文庫棚を真剣に見つめている様はなんかホッとさせてくれます。ところで、ブックオフ店内で携帯電話片手に本のバーコードを読み取っては、店内のカゴに本を山盛り入れている人物、ご存知でしょうか。いわゆる”せどらー”さんです。バーコードリーダーで価格を読み取り、ネット上の販売価格と比較して、安ければ買って、高く売るという商いをされている方々です。

「ブックオフで仕入れた本を、Anazonで売ることによって、差益を得る人種」と、便宜上ここでは、せどらーを定義しています。私もたまには仕入れにゆくので、その時はせどらーになるわけです。(Amazonでは売りませんが)本書では、このせどらーの生態と、日々の業務?についてかなり詳しい解説が付いています。いやぁ〜凄いですね。これで生活している人がいるんですから。せどりのハウツー本まであるんです。

最後にぶらぶら学部代表の島田さんが、2000年代前半のブックオフの状況を「お金がなくて、時間だけがある文化系の若者たちはこぞってブックオフに足を運んだ。」と振り返っています。

「ブックオフはまるでセーフティネットのようだった。社会に行き場のない人たちが集い、カルチャーをなんとか摂取しようとしていつまでも粘る場所。」であり、105円出せば、なんらかの本をゲットでき、新しい文化、芸術を知ることができる場所であったのです。

最近のブックオフは粗視化され、すべての本がデータ化されたため、おっ!この本がこの価格!という驚きは無くなりました。でも、何時間いても文句も言われずに本に出会える場所であることは間違いありません。

本書の裏表紙に、ブックオフそっくりの価格表が付いています。ブックオフへの愛着一杯のシールです。

3月末に映画館に行って以来、数ヶ月ぶりに劇場に入りました。やはり、映画は映画館で見るものだと再認識しました。音響、照明、美術など映画に携わるプロの精密な仕事は、大きな画面、音響でしか見えてこない、聴こえてこないものです。

さて久しぶりの映画は、何度も映画化された「若草物語」。1868年に発表されたオルコットの小説は時代があまりにも古く、今の時代では退屈かと思われましたが、まず脚本が見事で、美術・衣装・俳優、すべてが素晴らしく、優れた作品に仕上がっていました。

日本タイトルには「ストーリー・オブ・マイライフ」そして「私の」若草物語になっています。映画は、「若草物語」に描かれた四姉妹の美しく過ぎ去っていった少女時代を丁寧に描きながら、次女のジョーが、自分たちのことを小説にして「若草物語」としてこの作品を世に出すという構成です。

ファーストシーンは、この映画全体のテーマを物語っています。ジョーの書いた短編小説が初めて雑誌に採用されます。その喜びで一杯の彼女は、街を駆け抜けていきます。女性は結婚するしか生きていく手立てのなかった時代、彼女は自分の力で稼いで生きる第一歩を踏み出します。その喜びを見事にファーストシーンで象徴させていました。監督のグレタ・ガーヴイングは、繊細なタッチで姉妹の過去を描きつつ、今を生きるジョーの姿を追いかけていきます。巧みなカットバック手法で少女時代と、大人になった時代を交錯させつつ、女性の新しい人生を語っていきます。優しかった母親、姉妹それぞれの性格、隣人、慎ましいけれど幸せだった日々、初恋、別れ、死、そして新しい出会い。ジョーは長編小説を書き綴りながら一歩ずつ、新しい世界を広げていきます。

出版が決まり、本が製本工場から一冊の本になるまでの描写。ジョーの長年の思いが一冊の本になってゆくのです。彼女に刷り上がったばかりの本が手渡されるこのシーンは、本好きにはぜひ、映画館で対面して欲しいと思います。一冊の本に詰め込まれた思いが溢れて感動しました。