河出書房新社発行の文藝誌「文藝」は、他の文芸誌「文学界」、「群像」、「新潮」と比較すると新しい文学を紹介している雑誌です。この雑誌主宰の「文藝賞」の近年の受賞者、例えば田中康夫「なんとなくクリスタル」、長野まゆみ「少年アリス」、現役高校生だった綿矢りさ「蹴りたい背中」という作品を見ればなんとなくお分かりでしょう。

この「文藝」が戦中、戦後どのような歴史を辿ったかを簡潔な文章で書いたのが佐久間文子「『文藝』戦後文学史」(河出書房新社1400円)です。

「文藝」は1933年に創刊されます。当時の版元は改造社で、初代編集の主任は、作家の上林暁。新しい文芸運動を盛り上げるために新人発掘に力を入れていきます。その中には「夫婦善哉」の織田作之助もいました。作家陣を充実させて邁進しようとしたところに、暗い影を落としたのが第二次世界大戦でした。1942年雑誌掲載の太宰治「花火」が公序良俗に反するとの理由で削除処分を受けてしまいます。官憲の圧力だけでなく、物資不足で用紙を集めるもの一苦労するようになり、さらに追い打ちをかけるように、反体制的と見なされた改造社は解散命令を受け廃業させられてしまいます。

その時「文藝」の権利を譲渡されたのが、河出書房です。増々激しくなる空襲と物資不足でしたが、当時の編集長、野田宇太郎は、爆弾の落ちる音を聞きながら、編集作業を続行。

「わたくしが爆死しない限り、東京中が焼野原になっても。『文藝』の発行には決して支障をきたさぬ覚悟」とカーキ色のショルダーバッグに原稿をしまい込み、空襲の中を逃げ回りながら、雑誌を発行し続けました。

そして、戦後を迎えます。焼跡から経済復興、バブルを経て今日に至るまで、一冊の文芸誌の変遷が描き込まれています。そうか、あの時はこんな作家が登場してきたのか、成る程、と思いながら読みました。

ところで、河出という出版社は何度も倒産しています。しかし、何とか雑誌の刊行を続けようと獅子奮迅の努力をします。そんな編集者の一人に坂本一亀という出版部から移動してきた人物がいました。野間宏「真空地帯」、三島由紀夫「仮面の告白」、高橋和己「悲の器」など戦後文学の名作を次々と手がけた編集者です。57年、一度目の倒産の時、再建要員として抜擢、編集長を務めました。何を隠そう、坂本龍一のお父様です。

堅苦しい文学史ではありませんので、読み物として楽しめる一冊です。巻末には「文藝」略年譜が付いていて、これが結構面白いです。