ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」の最新号(1620円)の特集は「教育×地元」です。この中に、誠光社の店主、堀部篤史さんが「地元的なるもの」を巡ってのインタビュー記事が載っていました。同業者として、成る程とか、共感するところが多々ありましたのでご紹介します。

彼は地元をこう定義しています。

「コミュニティという意味での『地元』は、町内やご近所のことではなく、同じような姿勢、規模で、同じような嗜好品や文化的なものを扱うお店やそのお客さんになるんです。」そして「通ううちに、だんだんとだけど、つきあいが深まってゆく。ぼくが言及している『地元的なるもの』は、エリアのみによるかつてからの『地元』よりはもうちょっと擬似的な共同体なのかもしれませんね。」

私についていえば、新刊書店の店長だったときと大きく異なるのは、同業古書店や、個性的書店の方々とのお付き合いや、交流が深まり、そのお店のお客様とも親交が出来た事です。そんな事は、ただただ忙しいだけの新刊書店時代には全くありませんでした。

「地域も属性も無関係に、同じスタートラインに立って何を買うかによって差異をつくる、ヨコのつながりでなくて、経験の長さや深さによる時間軸の積み重ねの中で、いわばコミュニティに属する人どうしがタテのつながりも重視しておたがいを認識するところからはじまるゆるやかな『地元』」

こういうコミュニティを彼は「物語的」なものと呼んでいます。

ミニプレスの編集者、ギャラリーで個展をしていただいた作家の皆さん、そして私が選んだ本を、これ、これやがな〜と嬉しそうに書架から抜かれたお客様達と、同じ時間軸を共用してゆくことで、物語的なものが形成されるのかもしれません。そういう意味では、お店って小さな物語が沢山ぶら下がった木なのかもしれません。

堀部さんは「物語的」なコミュニティと対立するものとして、「消費的」な場を上げています。「ブランド品だから」「雑誌が推薦しているから」という、時間軸が介在しない場や関係性のことです。

「要するに記号を選択して消費することによって自分の属性とする行為です。そこには『こういう状況の自分にとって』とか『何故それに至ったか』というストーリーがありません。話を単純にすることで考えることを放棄しちゃっているのと同じ」

カズオイシグロがノーベル文学賞を獲得した時、ただ日系であるというアイデンティティのみに執着し、号外まで出すわ、大幅増刷をする場面をニュースで見ましたが、それで本を買った人のどれ程が最後まで読むのだろうと、疑問符がつきました。そこには、どうして彼の小説を読もという気分に至ったかという「物語」が欠如している気がします。当店にあった彼の小説も完売しましたが、その方々には、ちゃんとカズオ作品に至る読書時間がありました。

まだまだ堀部さんのインタビューは続きますが、多くの方に読んでもらいたいと思います。

この本を出したミシマ社×誠光社×古書&レコードの100000アローントコの三者共同による「かもがわご近所マップ」(500円)が入荷しました。吉田篤弘、いしいしんじのコラムも載っていますよ!