政津勉の「つげ義春『ガロ』時代」(作品社/古書1700円)は、本のタイトル通り、「ガロ」連載時期のつげの作品を読み直し、その深い世界を論じたものです。

「月刊漫画ガロ」は1964年7月に創刊されました。本来は白土三平の「カムイ外伝」の発表の場所を確保するのが目的でしたが、ここにつげが参加し、新しい漫画表現を作っていくことになります。

1965年、白戸がつげを旅に誘い出します。そこに白戸のプロダクションで秘書的な仕事をしていた岩崎稔が同行します。

「じつはこの岩崎がそう、つげを語る上で外せない、たいせつな人物である。それはつげがこの人から初めて井伏鱒二の名を教えられたからだ。実際、これからのち井伏の文学がどれだけつげ漫画の深化にあずかったか。まことにその影響は甚大なものがある。」

と著者は書いています。確かにつげ漫画と井伏の小説世界にあい通じるものがあります。

私がつげ漫画に驚かされた最初は、「沼」という短編で、それまでの漫画の規則みたいな、起承転結を無視して、自由で映像的な世界を作り出したことでした。著者はそれを「<起承転結>の坐り整いではなく、あえてそれを捨てさることで、<序破急>の走り乱れのほうへ、はっきりと転換したことである。」と説明しています。

そして、1967年傑作「赤い花」が登場します。全編に渡って響き渡る「ミーン、ミーン」というセミの鳴き声が、夏の気だるさを見事に表現した作品ですが、当時、この作品はどう受け止められていたのだろう?と思います。この年、つげは「海辺の叙景」「李さん一家」など忘れられない作品を世に送り出しています。

本書は、解説している漫画の象徴的なカットを載せているので、つげ漫画を読んだことのない人にも、その世界観が伝わるようになっています。「海辺の叙景」や「李さん一家」などは、独特のつげ世界をうまく解説していると思います。そして、いよいよ「ねじ式」へと向かいます。

う〜ん、この作品、なんども読んでいるのですが、いまだによく理解できません。それでも何度も読んでしまうのですね。もう一つの傑作「ゲンセンカン主人」について、著者も「だがやはり易しくはない。ほんとうに難しいのだ。なんやようわからんよな。」と書いています。

そうなのです。「なんやようわからん」世界を、つげはどんどん膨張させているのです。そこが、一番の魅力なのかもしれません。社会の底辺をリアリステックに描きながら、シュールな世界へと読者を誘う、つげマジックは、一旦その虜になると逃げられない魅力が潜んでいることを、改めてこの本は教えてくれます。