「この作品を描いたのはお前か」とナチス将校はピカソに詰め寄ります。しかし、ピカソは動じることなく、将校に向かって、こう言い放ちます。「いや、描いたのはお前らだ」と。

1937年4月、スペインバスク地方の都市ゲルニカにナチス空軍が無差別爆撃を敢行し、多くの死傷者を出しました。その無差別爆撃に怒り、絵筆をとってナチスを戦争を非難した作品が有名な「ゲルニカ」です。作品は、当時開催中だった万国博覧会のスペイン館に掲げられました。

冒頭のやり取りは、そのときスペイン館の前で行われかもしれないと作家が想像して小説にした部分です。原田マハの「暗幕のゲルニカ」。焼夷弾をバラまいて多くの非戦闘員を殺害した残虐行為がなかったら、こんな絵を書かなかった。だから、お前等ナチスがこの絵を描かせたのだ、という作家の思いです。

キュレーター出身の原田は、美術界を舞台に多くの本を書いています。「楽園のカンバス」でルソーを、「サロメ」でビアズリーを、「ユニコーン」では、中世美術の最高傑作「貴婦人と一角獣」を、そしてこの「暗幕のゲルニカ」でピカソ最大の問題作「ゲルニカ」を描いています。文学的深みであるとか、文章の奥深さはともかく、彼女の本はストーリーが骨太で、テンポ良く進み、ドンドン読ませます。何より良いのは、小説の舞台になった世界の事を、もっと深く知ろうと思い立たせることです。これは、大事なことだと思います。

「ゲルニカ」が戦時中、難を逃れてアメリカに渡った経緯が細かく描かれていて、そこに関わった財閥の話や、NYの美術館館長の話など、もっと知りたいと思わせます。そして、アメリカがイラク侵攻作戦を宣言した国連安保理事会での出来事。ここには通常「ゲルニカ」の複製タピストリーが飾ってあるのですが、この時にかぎり幕で覆われていたというのです。

小説も、この幕を降ろさせたのは誰だ?というところからサスペンスで一杯に始まります。実際、当時のパウエル国務大臣は、この前でイラクに大量破壊兵器があるから攻撃すると宣言したのでした。反戦の象徴的的存在の「ゲルニカ」の前で、侵攻作戦の宣言なんて、ナンセンスもいいとこです。トランプ翁なら、それをぶっ壊して、戦争始めるぞ!!などと叫びそうですが……..。

店にあるラッセル・マーティン著「ピカソの戦争<ゲルニカ)の真実」(白水社/絶版1750円)は、ピカソがこの大作を描き出した時代と、その後の作品の数奇な運命を丁寧に描いてあります。巻末にはスペイン内戦の年表も付いていますので、本文を読みながら、スペインが独裁政権に支配されていった道程を追いかけてください。

このノンフィクションを読んでいる時に、恐ろしい符号に気づきました。それは、「ゲルニカ」がスペインに戻ったのが1981年9月10日。その20年後の9月11日。もう、何が起こったのか言うまでもありません。ひょっとして、原田は、その事実を知って、この小説を書いたのかもしれませんね。

因みに、私は「暗闇のゲルニカ」は電子書籍版で読んでしまいました。今、店頭にあるのは、山本周五郎賞受賞作品「楽園カンヴァス」(新潮文庫350円)だけです。