今年亡くなった坪内祐三の遺作「玉電松原物語」(新潮社/古書1300円)は、昭和33年生まれの著者が、小中学校時代を過ごした世田谷区赤堤のことを、抜群の記憶力を駆使して書かれています。

チンチン電車が走る東急玉川線(通称玉電)というローカル線の松原駅は、彼の家から歩いて7〜8分、商店街がありました。

「商店街といった時、私は、本屋、おもちゃ屋、お菓子屋、文房具屋、電気屋などがある町をイメージする。ところが今や、本屋、おもちゃ屋、文房具屋を見かけない。」

同じ世代の人ならよくわかります。駄菓子屋、貸本屋、鉛筆が積み上げられているような文房具屋、というのが私の小学校時代も周りにありました。

さらに著者によると、現在とは違い松原駅の近所には、畑だけでなく四谷軒牧場という大きな牧場があり、小学校6年の時には、「四谷軒牧場から逃げ出した牛が通りの真ん中にデンと座っているのだ」という現場を目撃しています。そういうのどかな時代だったのです。

「世田谷は高級住宅地だと思われていて、実際、今の世田谷はそうかもしれないが、私が引っ越してきた当時の世田谷、特に赤堤界隈は少しも高級ではなかった。もちろん、低級でもない。つまり、田舎だった。」

そんな場所で育った著者の、当時あったお店への憧憬が語られてゆくのですが、東京のことなのに、何故か自分の育った場所みたいに見えてくるのです。日本中、どこにでもあった商店街、空き地、川……。そこで遊び、買い物をして、安くて美味しいものを食べた記憶がよみがってくるのです。

その中に、ジュースのプラッシーのことが出てきます。

「私の実家が利用していた米屋が歩いて二〜三分の所にあったのだが、少年時代、赤松公園で遊んだ帰り、時々、その米屋を覗いた。」

プラッシーにお世話になった方ならお分かりですね。そう、このジュースは米屋のみで販売していたのです。私の実家でも、お米の配達と一緒に届けてもらっていました。

この本は、私小説的な味わいを色濃く出したエッセイですが、バブルに向かう前の、そして戦争の傷跡から立ち直った、平和な時代、昭和の町の文化論になっています。

なお、本書は「小説新潮」に掲載されていましたが、急逝により未完になりました。

 

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