岸政彦「リリアン」(新潮社/古書1300円)は、大阪を舞台にした小説です。大阪の南の街で暮らすジャズベーシストと、近所の酒場で知り合った女の人生を描いていきます。

シュノーケリングで海に潜るのが趣味の主人公は、街の様子を海の中に例えます。

「海のなかはすべてが揺れているが、地上もそれは変わりない。まばらな店にともる明かりがゆらゆらとまたたいている。規則正しく街灯が並び、オレンジ色の光がまぶしい。そしてはるか上空に満月が登っていて、金色の光が千本も海底に差し込んでいる。風が吹いて、枯れかけた街路樹がおだやかに揺れている。海も街も変わらない。どこへ行くかも決めずにひとりで玄関を出て、海のような街をゆっくりと泳ぐように歩く。」

男はジャズベーシストとして、ライブハウスを掛け持ちしてなんとか暮らしているが、未来は見えない。一方の女(美沙)は、若い時に子供が水死したという過去があります。行きつけの酒場で知り合った二人は、なんとなく付き合いを深めていきます。

「あ、ほんまや!ウッドベースって、鯨に似てるな」「そやな、でかいしな。」

こんな大阪弁の会話で物語は進むのですが、柔らかい大阪弁が、どんどん気持ちよく響いてきます。

ジャズプレイヤーとして、もうこれ以上の進歩はないだろうと思い続ける男と、最初は美容師として生きてゆくつもりだったのに、これからの人生の方向性を見出せない美沙。二人のまったりした日常を淡々と描いていきます。悲劇も喜劇もなく時間だけがゆっくりと進んでゆく、その流れに乗った途端、とても心地よい時間を過ごせるのです。こういう感覚を持つことができるのが文学の力というのかもしれません。

雪の降る元日の早朝、二人はコンビニで肉まんを食べています。その時、美沙が外を歩く一匹の白い犬を見つけます。

「あの子、ひとりかな。飼い主おらへんのやろか。野良ちゃうよな。毛並みいいしな。体格も立派やし。なんでひとりなんやろ。心配やなあ。 どっか暖かい寝床があるといいけどな。私ここでドッグフード買って、あげてこよかな。どこか、暖かい布団で、一緒に寝るひとがいたらええねんけどなあ。」

という会話で物語は終わります。これは孤独で、なんら新しい価値を見出せないまま、人生の折り返しを過ぎた二人が、それでもなんとか生きていこうとする思いだったような気がします。

 

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