ユダヤ人精神科医ヴィクトール・エーミール・フランクルが、ナチスによって強制収容所に送られた体験を綴った「夜と霧」という本のことは、ご存知の方も多いとおもいます。一筋の希望もなく、待っているのは悲惨な死のみという環境下で、その不条理を受け入れ、運命にどういう態度を取るのかを決める精神の自由を説いた本書は、日本では1956年に発売され、現在まで読み継がれています。

朝日新聞記者を経て、現在編集委員を務める河原理子が、自らの人生に大きな影響を与えた「夜と霧」を辿って、現地へ赴き様々な人に会い、河原自身が、この本とどう向き合ってきたのかをまとめたのが「「フランクル『夜と霧』への旅」(平凡社/古書1300円)です。

大学時代、一度「夜と霧」を手に取りましたが、巻末に収録された収容所で実際に行われてきた非人道的行為を証明する写真の数々に圧倒されて、途中で本を閉じた記憶があります。そして、これはそういう特別な場所でのナチの悲惨極まる行為を告発したものだと、今まで思ってきました。しかし河原は、「そう、これは、希望の書、だったのだ。明るい未来の希望、というよりは、心にしみいる希望の書。」と結論付けています。その後に、「そのことが腑に落ちるまでに、私は時間がかかった。」とも書いていますが……。

収容所に入れられることは、死を待つことに他ならない状況です。実際にフランクルは、妻を収容所で亡くしています。ガス室送りか、毒殺か、銃殺か……。どこに希望などがあるのでしょうか?著者はフランクルの他の書物も精読し、彼の残された家族や、収容所の生き残りの人達に会い、話を聞き、「希望」を見つけてゆくのです。

フランクルは、その人生を通して、憎悪という感情を排除してきました。演説でこう話しています。

「考えてみてください。いったい、私は誰を憎んだらいいのでしょうか。私が知っているのは犠牲者です。加害者は知りません。少なくとも個人的に知っているわけではありません。私は、集団に属するために誰かを有罪とすることに反対します」

彼は収容所から解放された時から、人間には、品格のある人たちと、そうでない人たちの二種類だけが存在すると繰り返し主張してきました。彼の全集の中に、演説原稿が残されています。

「強制収容所のなかでも、ときにはちゃんとした親衛隊員に出会うことがありましたし、またならず者の囚人もいたのです。ちゃんとした人たちが当時少数だったこと、またいつもそうだったこと、これからも少数派にとどまることを、私たちは受け入れるしかありません。事態が危険になるのは、政治体制が国民のなかからならず者を選んで上に行かせてしまうことです。」そして、こう結んでいます。

「だからあえて言う。どこの国だって、別のホロコーストを引き起こす可能性があるのです。」

今、この警告はより大きな真実味を帯びて聞こえてきます。

 

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