久々に庄野潤三の短編小説を読みました。まるで戦後の小津映画みたいに、穏やかな家庭の話を延々繰り返す世界は、まぁ、もういいかなと思っていたのですが、今回短編を集めた「葦切り」(新潮社/古書900円)を読んで、やっぱり上手いと感心しました。

「葦切り」は、わずか80数ページで、とある河川の工事技術者の一生を描いてしまうのです。しかも、登場人物は二人だけ。主人公は大正生まれ(らしい)篠崎さん。彼は河川の工事の仕事の合間に、短歌を作っていました。その彼の作品のことを聞きにきた人物との会話だけで構成されています。しかし、会話の内容は、短歌の背景のことだけではありません。戦争中の米軍機による機銃掃射、空襲、戦後の凄まじい食糧難を生き延びた体験談や、自分の技術の話などが盛り込まれ、一人の男の半世紀(それは昭和の歴史そのものと重なってきます)が語られていきます。二人芝居を見ているような、篠崎さんと聴き手の会話です。穏やかな会話の中に、深いものを見せてくれる中編小説だと思います。

庄野らしい小説が「メイフラワー日和」という短編でした。老年夫婦が、宝塚歌劇を見に行くために乗車した阪急電車車内に場面はほぼ限定されています。それなりに財をなした夫と、専業主婦の妻が、「メイフラワー」という舞台を見にゆくため来阪します。「何年ぶりかの宝塚なのだから(東京では家族行事の一つになっている)、ゆったりとした心持ちで出かけたい。」とホテルで妻と話しあい、余裕を持って朝七時に出かけましょうと妻と決めます。もう、こういう会話だけからも、上品で、教養のある家庭人であることが見えてきます。車内で夫が、宝塚までの阪急沿線のことを思い出したり、旧友のことを妻と語り合ううちに到着する。そして駅前の荷物一時預かり所に自分たちの荷物を預けるところで小説は終わります。起伏のある物語では全くありません。しかし、あずき色の阪急電車のシートに座りながら、ゆったりとした気分になるような不思議な魅力に満ちていいます。

この本の最初の持ち主のものか、北海道新聞の書評の切り抜きが入っていました。そこにこう書かれてありました。「平凡でつまらないはずの事実をほとんどありのままに描いて、しかも小説を読むよろこびを感じさせる不思議な作家」。多分、もうこんな作家は現れないでしょう。

「失せ物」という作品では、飛んでくる鳥のためにエサをいれた庭の木のカゴが野良猫に持っていかれる、もう瑣末な事件のみに終始したお話です。でも、目には全く見えないけれども、結婚し、子供を育て世の中に送り出した、夫婦の積み重ねてきた人生の長い時間が存在しています。読者はそれを読み取っているのです。

なお、夏葉社が最近出した「庄野潤三の本 山の上の家」(新刊書/2200円税別)は、庄野が住んでいた家の紹介と、エッセイ等を集めた素敵な本です。この本に収められた写真を見ながら、彼の小説を読むのもいいのではないでしょうか。

★大阪にある古書店「本は人生のおやつです」で開催中の「本のヌード展」に当店も参加しています。大阪に行かれることあればお寄り下さい(20日まで)

 

 

 

 

 

 

 ★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏葉社の新刊「庄野潤三の本 山の上の家」(2376円)は、1961年に完成した、東京生田の山の上に建つ、庄野家の写真から始まります。当時はまだまだ、人家の少なかった場所にあり、庄野は約50年間、ここで小説を書き続けました。

2009年に逝去した後は、庄野の妻が一人で暮らしました。家族たちは、作家の部屋も、机の上も書架もそのままのかたちで保存していました。2017年、作家を支え続けた妻が亡くなりました。誰もいなくなった家にカメラが入り、端正な佇まいと清潔感あふれる家の中の表情を、写真家の白石和弘が撮影しました。

子供たちが過ごした部屋、風通しの良さそうな作家の仕事部屋、そして本棚。井伏鱒二、佐藤春夫らの本が並んでいます。須賀敦子が庄野の「夕べの雲」のイタリア語に翻訳した版もあります。決して贅沢にお金をつぎこんだという風ではなく、慎ましい、でも住み心地の良い住居、気持ちのよい家の香りのする写真です。

これらの素敵な写真に続いて、佐伯一麦の特別寄稿文、庄野の随筆、家族が語る父親の姿、単行本未収録作品「青葉の笛」、庄野全著作案内と、この作家を丸ごと紹介してゆく魅力的な内容です。

書評家の岡崎武志はこの本の中で、庄野と親交のあった作家藤沢 桓夫が、「自分の家の畳の上にやっと横になれたような、ふるさとの草っ原に仰向けにねて空の青さと再び対面したような、不思議な心の安らぎがよみがえって来る」と、彼の文学の特徴を書いた文章を紹介しています。慎ましく、静かで平和な暮らしの描写は、小津映画の世界に相通じるものがあります。そういった暮らしぶりが、伝わってきそうな昭和30年代の家族写真が色々並んでいます。自宅の庭で、息子達と梅の土用干しをする姿を撮った写真には、家族の幸せが伝わってきます。

もうすぐ夏の甲子園が始まりますが、終戦直後、大阪旧制今宮中学で教鞭をとっていた庄野は、野球部部長として選抜中等学校野球大会(のちの選抜高校野球)に大阪代表として出場しました。「日本文学史上、いわゆる『甲子園の土』を指導者として踏んだ文学者は、庄野潤三だけではないか」と岡崎は書いています。

丸ごと庄野潤三を詰め込んだこの本をパラパラめくって、拾い読みしているだけで、心持ちが豊かになり、ゴロンと昼寝をしたくなってきます。相変わらず、いい本を出しますね、夏葉社の島田さんは!

同社からは「親子の時間 庄野潤三小説撰集」(2592円)も出ています。こちらもどうぞ。

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。なお、準備のため6日(月)7日(火)は連休いたします。