「獲物を狩るのは面白い。そこにはたしかな興奮と喜びがある。準備を整え、じっと状況を積み重ね、備え、そして訪れた遭遇の瞬間に、すべての感情を封鎖する。精神と肉体は装置となり、絞り込まれるように連動して、破壊の一点に向い集約する。殺生とは相手を殺すことのようで、自分という人間をひととき殺すことだ。」

これは服部文祥の「息子と狩猟に」(新潮社1100円)の一節です。

死体を抱え山に遺棄しにきた詐欺集団の男と、息子を連れて鹿狩りに来ていたハンターが山中で遭遇するというお話です。遺棄の現場を見られた男は、ハンターと息子を殺そうとする、という展開は冒険小説の典型です。そしてその手の小説ならば、山に有利なハンターが、人智を尽くして危機を乗り越えるという風に向かうのですが、これはそうではありません。多分こんなエンディングは誰も考えないでしょう。重い、という言葉が適しているかもしれません。先程引用した文章の最後「自分という人間をひととき殺すことだ」が響いてきます。

この本には、もう一作「K2」という小説が収録されています。こちらは、タイトル通りK2登頂の話ですが、テーマとして浮き上がるのは人肉を食べるということです。カニバリズムというモチーフは、武田 泰淳の「ひかりごけ」など多くの文学に、最近ではメルヴィルの「白鯨」の後日談的なナサニエル・フィルブリックの「白鯨の闘い」にも登場します。「K2」では、登頂に成功した二人のクライマーが、下山途中で遭遇した天候の悪化、雪崩等の自然現象でベースキャンプに帰還できなくなり、偶然見つけた遭難者の死体を食料にするという物語です。ここでは、人の肉を喰らう罪悪とか原罪っぽいテーマが出てきません。圧倒的なリアリティーで、人間の生を描いています。

「『ポケットの脳みそ食べよう』 ポケットから脳みそを出した。ポケットの脳みそは照りだした太陽と体温で溶けはじめていた。」

そこに在るものを食って生きてゆくという事実だけです。著者の服部文祥は実際にクライマーでで、最近は装備と食料を切り詰めたサバイバル登山を行っています。