小林信彦が、みずからの集団疎開体験を描いた「冬の神話」(角川文庫800円)が入荷しました。昭和50年に発行された時のカバーの絵は金子國義。手元にあるのは51年の重版分ですが、金子のカバーで、この版を集めておられる方もおられるはず。やや表紙が汚れているのでこの価格です。

小林はあとがきで、かつての疎開児学童たちが、疎開地を再訪し、現地の人たちとあの時代の思い出を語りあう、という美談風のハートウォーミングな記事について、不快感を滲ませてこう書いています。

「いまや中年太りした『疎開学童』たちと『純朴な』農民たちとの交歓を称える新聞の文章は、疎開学童を『ヨイコ』と猫撫で声で呼んだ戦争中の新聞記事と奇妙に似通ったところがある。現代史の空白部分といわれる集団疎開の真実は、これら偽善的な記事の向こう側に塗り込められたままになっている。」

体験した疎開先での出来事を元に、小林は、慢性的食料不足による飢餓感、周囲から隔絶した閉鎖的空間が生む歪んだ人間関係、それが誘発する暴力、窃盗、リンチ等々、とても”ハートウォーミング”などという言葉では片付けられない世界を描いています。これは、兵隊こそ登場しませんが、戦争を描いた傑作です。

戦後を生きる元刑務官が、東京裁判で裁かれた囚人たちが収容される「巣鴨プリズン収容所」勤務時代を回想する、吉村昭「プリズンの満月」(新潮社700円)も、戦場を描くことなく、戦争に翻弄される男たちの姿をリアルに描いています。小説は現代からスタートします。収容所があった場所に建つ巨大ビル群。そのビルの管理会社に勤務する男が、退職の日、かつて、ここにあった収容所を忘れない為に建てられた戦犯の碑の前に立ったところから、時代は昭和25年の時代へと一気に戻っていきます。そこからドキュメンタリータッチで、収容所を管理する米軍との軋轢、囚人との亀裂等が描かれていきます。巣鴨プリズンを主役にした小説ってこれぐらいじゃないでしょうか。

もう一人、とんでもない戦争体験を、自らの作品に色濃く投影しているのが島尾敏雄です。終戦直前に特攻命令を受け、まさに死に行く直前、敗戦が決定したという体験を持つ彼が描いたのが「出発は遂に訪れず」です。この小説については「戦争はどのように語られてきたか」(朝日新聞社600円)という鼎談集のなかで、高橋源一郎が文芸評論家川村湊、近代日本史が専門の成田龍一と「戦後の戦争文学を読む」という章で取り上げていますので、こちらをお読み下さい。

「遂に最後の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図がいっこうにかからぬままに足ぶみしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた」

と島尾は小説の中に書いています。それが、どんな心理状態であったのか、私たちには想像を絶します。