「ゆっくりと読まなければならない」本というものがあります。難しい理論や、抽象的概念を論じたものではなく、言葉はフツーなんだけれども、ゆっくり、噛みしめなければ何も残らない本。今、再読している石牟礼道子の「椿の海の記」なんかまさにそんな一冊です。(また、ブログでご紹介します)

中央公論社で「婦人公論」の編集長を勤め、2010年から新潮社の「考える人」の編集長を務める河野通和の「言葉はかくして生き残った」(ミシマ社2592円)も、やはりゆっくりと読むべき本です。基本的には書評集なのですが、取り上げた本への著者の思いや、或は作家が使った言葉への敬意が散りばめられたエッセイと言った方が的確です。

「こんな古本屋があった」で取り上げられているのは、関口良雄の「昔日の客」(夏葉社2376円)です。1977年、59歳で亡くなった「山王書房」店主、関口良雄が古書組合の組合報に書いた文章をまとめたものですが、書物への愛情と、古書店主としての矜持が迫ってくる名著です。河野は、この古書店のことを沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」で知ったこと、そして店主と、42歳で急逝した作家、野呂邦暢の交流を紹介しています。これがいいんですね。店主としてかく有りたいと思わせるハートウォーミングなエピソードです。

そして、店主のご子息が、父親の仕事をこう語っていたことを紹介しています。

「古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本質は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。」

こういった文章が37章収められています。ささっと読むにはあまりにも惜しい。私は店を開ける前に一章ずつ読んでいます。

「安部公房と堤清二」で描かれる堤清二像も、文学に携わる者の姿勢が明確に出ていました。とある文学賞授賞式会場で、あまりにも露骨で安易な身内受けスピーチを発言した者と、そのスピーチをヨイショした主宰者の態度に堤は、同席していた河野に自分の怒りを伝えます。それを受けて、堤の、そしておそらくは自分自身の、文学への思いも含めてこう書きます。

「あらゆる人間的行為の基底をなすのは文学ではないか、それを軽んじる者、侮る者、汚す者を許すわけにはいかない」

日頃は控え目に、私は文学をする者として初心者ですからと、安易な文学論を口にしなかった堤の怒りに「文学に寄せる思いの強さとともに、堤さんの魂そのものの底なしの暗闇に畏れを感じたのでした」

真摯に文学に、言葉に、向き合った河野通和の一貫した生き方を知る絶好の本だと思います。

著者が編集長を務める「考える人」は4月4日発売号で廃刊になるらしいです…….。残念!