動物写真家の宮崎学を初めて知ったのは、野生動物の死体が、虫や小動物、そして多くの動物たちによって食べられて、骨だけになってゆく姿を撮影した写真でした。ご本人は「動物写真家」と呼ばれることを嫌い「自然界の報道写真家」と自称されているそうです。

動物を主体に撮影する他の写真家と大きく異なるのは、自分で開発した赤外線センサーとカメラを組み合わせた撮影機で動物を撮影するところです。

小原真史が宮崎との対談を元にして文章を構成した「森の探偵」(亜紀書房/古書1600円)は、いわば宮崎版森の自然界調査報告書です。方々に仕掛けられたカメラが捉えた写真を分析して、変容する自然の世界を私たちに教えてくれます。

「今は全国各地で20台くらい稼動しているから、それだけ優秀な助手がいるようなものかもしれないね。」

24時間、365日、カメラに反応するものがあればシャッターが切られるというスタイルは、当初は批判もされたと本書で語っています。

多くの作品が収録されていますが、驚くべきことは動物たちは、私たちが思っている以上に賢いという事実です。例えば、高速道路にかかっている高架橋の下に鹿が集まってくるところがあります。これ、道路上にまかれる凍結防止剤の主成分になっている塩化ナトリウムや塩化カルシウムという人口の塩を食べにきているのです。山中では貴重な塩分を、摂取できるのです。(その写真もあります)そして、人間が動物たちに与えることになってしまった塩が自然環境を変えていく可能性についても書かれています。

前述した、動物の死体が他の動物によって食べられてゆく写真も何点か掲載されています。見事としか言いようのない流れで、死体は骨だけになり、土へと帰っていきます。

「その季節に最も活動が盛んになる生物が登場しては、死体を餌として処理していきます。さっきも言ったように、肉食動物たちに持ち去られて骨髄までしゃぶり尽くされてほうぼうに分散された骨は、最終的に行動範囲の狭いノネズミや小動物たちのカルシウム源になり、徐々に土に還っていく。」

続けて宮崎は日本人の死生観をこう解釈します。

「死が次の生の出発点にもなっているから、自然の中の死というのは、物質的に終息することなく、別の生へと連綿と引き継がれていくことになる。そのことが小高い山や森に登って祖霊となり、やがて神となるという日本人の死生観にも反映されているのではないでしょうか。」

生きて、死に、そして土に還り、何もなくなる。その当たり前の事実を動物たちの生と死を通して理解する一冊です。

「肉親が火葬された際の灰を見たときに強烈な虚しさと哀しさに襲われたのですが、もしかしたらそれは、人間が一挙に物質的な終息を迎えてしまうことへの憤りだったのかもしれません。僕も死ぬときにはやはり自然に戻りたい。できればいきなり『さようなら』という火葬ではなくゆっくりと土に還る土葬とか山の中での野垂れ死にがいいなぁ。」

宮崎が半世紀をかけて撮り続けてきた作品を見ながら、彼の言葉に耳を傾けているとむべなるかなと思ってしまいます。

余談ですが、日本で「エコロジー」という言葉を最初に使ったのが誰だったかご存知でしたか?南方熊楠だったことを本書で初めて知りました。

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