こんな台詞が、小説の最後に登場します。その前に「未完成なものだけが完成に到達できる。」という一文があ流のですが、でもこれ、為せば成るみたいな陳腐な人生訓の本ではありません。

吉田篤弘の「流星シネマ」(角川春樹事務所/古書1300円)の最後のページです。吉田は、(私が読んだ限りにおいて)どの小説もとても良いのですが、この作品は、その中でも最も静謐で、切ない物語だと思いました。

「鯨塚」と呼ばれるガケの下にある、小さな町に居着いたアメリカ人の青年アルフレッドが発行するフリーペーパー「流星新聞」。その手伝いをする太郎くんが主人公です。彼の周りには、一癖も二癖もある人々が生活しています。

「ここを訪れる人に共通しているのは、彼らが皆、物静かであることだ。それは、おそらくアルフレッドが物静かであるからで、こうしたところに通って仕事をしていれば、僕もまた一日を静かに過ごすことになる。」

と太郎くんが「流星新聞」の事務所のことを説明していますが、この「静けさ」が小説の全体のトーンを決定づけています。

ある日、アルフレッドは「クリーニング屋の受付カウンターはこの世でいちばん静かなところです。私はその静けさの中で生まれ育ちました。あそこが私の始まりの静けさです。ですから、人生の最後はその静けさに戻ると決めていました」と言い、両親の経営するアメリカのクリーニング屋に戻っていきます。「流星新聞」は太郎が続けることになり、ここから物語が思ってもいない方向へ進んでいきます。

物語が終わってほしくない、永遠に続いて欲しい、その側に立っていたい…..。そんな気分がどんどんと湧き上がっってきます。

かなり昔、この町を流れる川に鯨が迷い込んだという、伝説のような事実のようなことがあります。住人たちは眉唾もののように思っていたのですが、ある雨の日、

「ガケは崩れ落ちながらも雨に打たれ、いままで誰も見たことのなかった土の中に眠っていたものをー大小さまざまな無数の白い骨を次々と暴きながらガケ下の町に撒き散らした。鯨の骨だった。」

この鯨の骨を巡って、町の人々を巻き込んだ奇跡のようなことが起こっていきます。本書のタイトルが「流星シネマ」と「シネマ」が入っていますが、ここに登場するのは8ミリ映画です。アルフレッドが撮影したこの町の映像なのです。その古い映像がもたらす切ない感情。大げさに盛り上がることなく、物語はひっそりと終わっていきます。

「冬にもまた、こうして終わるがくる。冬が終わって春がめぐってくる。春の暖かさは命を持つものすべてを励ますようにつくられている。多分、きっと、おそらくは。」

人生の再生を促すような囁きをポソッと放って、幕が閉じます。穏やかで、暖かい小説でした。

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