1994年北斗出版から「森は海の恋人」が出版されました。著者の畠山 重篤は、1943年上海生まれ。戦後、父親の実家のある宮城県気仙沼で牡蠣、帆立の養殖に従事していました。汚水の垂れ流し等で海の汚染が始まった時、上流山間部の森林が果たす役割に着目し、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山へ植樹を開始します。その経緯を書いたのが「森は海の恋人」でした。

今年、”牡蠣爺さん"こと畠山さんへの聞き語りで、「牡蠣の森と生きる」(中央公論社/古書950円)が出版されました。三キロもある大ダコを素手で捕まえていた幼年時代、父親が始めた牡蠣の養殖を手伝い出した若い頃、チリ地震で発生した津波で大打撃を受けたこと、帆立養殖に挑戦し、何度も失敗しながら、軌道に乗せて暮らしが楽になってきた日々、そして高度成長時代、三陸の海に異変が起こるまでが前半です。

東京オリンピックで日本が沸き立っていた頃、先ずノリの養殖に異変が起き、続けて牡蠣が思うように育たなくなります。海の汚染です。企業活動による排水や生活排水の汚れなどが、海を河川を汚していきます。そんな時、森の豊かな場所に魚が集まることを科学的に立証した北大の松永勝彦教授に出会います。

植物プランクトンが海藻や海中の窒素やリン等の栄養分を吸収するのを助けるのが、鉄分です。広葉樹が秋に落葉し、腐植土になる時に出来るフルボ酸は、地中の鉄と結合し、フルボ酸鉄となり、川を経由して海に流れ込んできます。鉄分を海に運んでいたのは、森で生まれたフルボ酸だったのです。

畠山さんは、早速仲間たちと植林運動を立ち上げ、森を豊かにしていきます。そのことが、長い目で見れば、海を豊かにするのです。

「森と川、海がつながり、鉄が供給されれば美しいふるさとはよみがえる。それがわたしの信念です」

畠山さんは、本業の傍ら植林作業を行い、地元の小学生の海辺の体験学習へと、活動のエリアを広げていきます。全て、順調と思っていた矢先、再び津波がこの地を襲います。東日本大震災です。その破壊の凄まじさが語られます。老人ホームに入所していた母親を失い、何もかもが流され、もうダメだと思ったある日のこと、「魚がいる!」と孫たちが叫びます。さらに、湾を調査した京大の田中克先生は、こんな言葉を伝えます。

「津波では、干潟を埋め立てた場所での被害は大きいですが、川や森の被害はほとんどありません。海が、津波で撹拌されて養分が海底から浮上してきたところに、森の養分が川を通して安定的に供給されています。畠山さん、”森は海の恋人”は真実です」

牡蠣を守り、海と山を守ってきた畠山さんの半生が、よくわかる聞き語りです。