少し前に木村友祐との対談「私とあなたのあいだ」(新刊1870円)を紹介した温又柔(おん・ゆうじゅう)。彼女の短編を集めた「空港時光」(河出書房新社/古書1100円)は、台湾の飛行場から日本へ、あるいは東京の空港から台湾に向かって旅立とうとしている人々の姿を簡潔に描いた作品が並んでいます。

温又柔は1980年台湾に生まれ。3歳の時に家族と東京に移住し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで、日本語教育を受けて育ちました。2009年すばる文学賞佳作を受賞し、その後日本語で作品を発表し続けています。国籍は台湾で、日本に帰化せずに作家活動を行なっています。「私とあなたのあいだ」では、自身のナショナリティーから派生する差別についても語ってくれました。

台湾と日本。そこに交錯する台湾語、中国語、日本語を聞き取りながら、登場する人々の人生を、まるで飛行場の待合室から見たり聞いたりしている感覚で描いていきます。「好書好日」というネットの書評ページにこんな文章を見つけました。

「温さん自身、よく待合室で時間を過ごす。『いろんな人がいる。いろんな日本といろんな台湾を行き来している』。あの人はどんな旅を、あっちの人は、と『空想と妄想でいっぱいになる』そうだ。」

なるほど彼女は、「空想と妄想でいっぱい」になりながら、それぞれの人が母国での揺れる心情の機微を浮かび上がらせています。多くの日本人は台湾人は親日というステロタイプな刷り込みを持っていますが、読んでいると、それは偏見に値する場合もありうるという状況にも直面することになります。

「『入境』と『上陸』を繰り返し、三十五年が経つ。両親とは別に、自分だけでも帰化を、と考えたことがないわけではない。ただ、年数を重ねれば重ねるほど、日本の国籍があってもなくても、自分はとっくに日本人のようなものだから、今さら別にね、という気持ちが大きくなってゆく。申請に関する煩雑な手続きが億劫なのもある。逆に、自分がパスポートまで日本のものを持つようになれば、台湾では完全に『外国人』となってしまう。それをもったいなく思う気持ちもある。」

これは「到着」という短編の主人公の言葉ですが、そのまま著者の思いでしょう。

この物語のラストで、台湾から日本へと帰ってきた主人公咲蓉は、こんな感情を抱きます。

「英語、中国語、韓国語……東京に到着した訪日客を歓迎する文字の中に、おかえりなさい というひらがなが混じっている。これが目に入ると、帰ってきたと咲蓉は思う。台湾語まじりの中国語が耳に飛び込んできた時にも同じ感情を、咲蓉は抱く。」

国境、パスポート、それぞれの国の言葉。そこから人は逃れられない。日本で生まれ、ここで育ち、死んでゆく私たちには見つけられない世界があります。

 

温又柔( Wen Yuju)と木村友祐の二人の作家による書簡集「私とあなたのあいだ」(明石書店/新刊1870円)は、サブタイトルに「いま、この国で生きるということ」とあります。

この本は、いまこの国で真っ当に生きていけるのか?という疑問を、台湾生まれで日本語で本を書く温又柔と、虐げられて行き場を失う人々に焦点を当てた作品を出している木村友祐が、語り合います。はっきり言って、かなりしんどい。でもいま私たちが直面している、見たくない、考えたくない状況を目の前に広げてくれます。300ページにも及ぶ往復書簡集ですが、読んでよかったと思う手応え十分の一冊です。

私が本書を読んだのは、こんな文章に出会ったからです。

「飢えの苦しみを味わうことなく、芳醇な餌を与えられながらすくすくと育ったかれらが、痩せっぽちで生まれたきり餌もろくにもらえず喰うものを自力で求めてもがくしかない魚たちにむかって、『おまえは努力が足りない』とあざ笑う姿は、ただもう醜いとしか言いようがありません(いま私も麻生太郎を思い浮かべています)。」

すくすく育ったのは、特権階級の政治家たち。もがいているのは、貧困に苦しむ階級のことです。麻生太郎をこんな風に書いてくれたのを、初めて見ました。木村は「いま私も」と書いているように、温又柔もまた麻生をそういうふうに見ているのです。

空疎な言葉を連発し続けた安倍、国民を見下し続ける麻生のような政治家に実権を握られた日本の政治的社会的状況に、二人の文学者が異議ありの声をあげ、どうあるべきかを語ってゆきます。とりわけ、帰化せずに台湾国籍のまま、国内で文筆活動を続ける温又柔の受けた差別は、いかにこの国が自国以外の人間に優しくないかを実証するものでした。

選挙権がない彼女は、「投票したいなら、帰化するのが礼儀だ」という言葉をぶつけられました。

「礼儀?だれへの?まさか、国への?ならば、日本国籍を所持しながら投票しない有権者のほとんどは、自国に対してものすごく無礼だということになります。」

正論です。本書の持つ力は、二人の言葉の力なのですが、私たちが権力者の言葉のまやかしを打破するための力となるでしょう。

「たとえ、ガイジンで、さらにいえばアジアの、親日であるはずの台湾出身の、それもオンナであるおまえが生意気なことを言うな、と私の口をふさごうとするひとがいても、これからもわたしは、あなたたちこそ、この国の当事者だ、としつこく言い続けます。」と言う、温又柔の側に立っていたいと思います。