ドキッとするようなタイトル「重版未来 表現の自由はなぜ失われたか」(白水社/古書900円)の著者、川崎昌平のことは、全く知りませんでした。タイトルと表紙のカワイイ系キャラのイラストと、本書の半分を占める不思議なコミックに興味を持ちました。コミックの舞台になっているのは、検閲が極端に強化され、表現者が迫害されている社会です。地下に潜った出版社に勤務する人たちが、法に違反した人々を殺戮してゆく軍人の追跡を振り切って、出版活動に従事するという物語です。陰惨な設定にも関わらず、キャラはカワイイ系ばかりが登場してきますので、そのギャップに戸惑います。
物語が進行していった終わりの方に、「表現の自由はなぜ失われたか」という著者の論考がボンと差し込まれます。時代設定は2030年。その時代を生きる男が10年前を振り返り、「京都アニメーション放火事件」や「愛知トリエンターレ事件」が、表現の自由を脅かしてしまったと後悔するのです。風変わりな設定ですが、ひたひたと押し寄せる検閲社会への警告の書です。
コミックの中で、地下に潜った編集者が「怖いのは・・・・・本がー表現が残せない未来だ」と発言します。「表現が残せない」、即ち表現が無理やり封じ込められることに、音楽・書籍販売に携わってきた私は3回遭遇しました。しかも、ソフトで穏便なやり方で。
1度目は、日本のロックバンドRCサクセションが反原発の歌詞を含んだカバーアルバムを出したが、レコード会社の親会社が原発関係に絡んでいたので、それを”考慮”して、自主的に発売を取りやめた時。
2度目は、EP-4という京都のバンドがメジャーデビューアルバム「昭和大赦」を発売した時です。アルバムジャケに藤原新也が撮影した写真が使われたのですが、それは、当時話題になった金属バットで両親を殺害した少年の家でした。その時もレコード会社は、社会的影響を”考慮”して、”自主 “回収を求めてきました。因みに、最初にこのアルバムについたタイトルは「昭和崩御」でしたが、「それは如何なものか」となり、大慌てでタイトルを変えた曰く付きアルバムです。(今はどちらも販売されています)
3度目は、オウム真理教がサリン事件を引き起こした時です。オウムは出版部門を持っていて、多くの出版物を出していました。事件が事件だっただけに、その社会的影響を”考慮”して、店頭からの撤去を、やはり”自主 “的にお願いされました。
社会への悪影響という問題はあるとはいえ、どれも、どこかの、誰かへの忖度が働いているような感じでした。私は「表現の自由を犯すな」みたいな社会的正義感でなく、ある種の生理的嫌悪感から、RCのアルバムの時は、レコード会社批判のポスターを店員たちが書いたものを張り出し、2度目の時は、そのまま販売を続け、3度目の時も、返本せず販売を続行し、おかげで店内を公安の方にウロチョロされました。
確か、各々の事件の後、業界の団体から「それは如何なものか」みたいな文書が送られてきましたが、店員たちと、なんかようわからん文章やな〜と話をしたと記憶しています。
たかだか20年余の仕事の中でさえ、これだけあった忖度。今はもっとあるのではないでしょうか。役者であり、ミュージシャンのピエール瀧が麻薬で逮捕された時、彼のバンド「電気グルーブ」のCDが自主回収されたことを知った時、変わってないなと思いました。その時、坂本龍一が「音楽に罪はない」と抗議したのはさすがでした。
コミックのラストは、ディストピア社会を生きる編集者が「一緒にボロボロになりながら本をつくっていこうよ」と言うところで幕を閉じます。出版社も書店も、そうあって欲しいと思います。私自身も、「生理的嫌悪感」を失うことのない本屋でいたいと思います。
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