1980年、たざわ書房から発行された「アタゴオル・ゴロナオ通信」(初版/帯無し2400円)と1996年、朝日ソノラマから発行された「円棺惑星」(重版/帯付き1900円)が入荷しました。

前者は、いつもの大食い猫ヒデヨシが登場する物語を集めたもので、雑誌「宝島」や「猫の手帳」に掲載されたものです。友達には絶対したくないヒデヨシと仲間たちが巻き起こす騒動を描いた、奇妙で、不思議で、奇想天外なファンタジー世界。実際にヒデヨシと飲んだ日には、お前の顔なんか二度と見たくない!と大げんか必定のはずですが、なんだか憎めない奴だなぁ〜と思ってしまうのです。ますむらは、ヒデヨシの物語と同時進行で、宮沢賢治の童話を次々と、猫を主役にコミック化しています。特に、「虔十公園林」という、今でいうナショナルトラスト運動の原点を描いたような賢治作品は、原作を超えていると思います

ところで「アタゴオル・ゴロナオ通信」に「青猫島雨床通り」という作品が載っています。これは「自由時間」1976年1月号に発表された作品ですが、他のアタゴオル作品のタッチとは全く違います。

「青猫島にある鯖岸森には、200年間休みなく雨の降り続いている『雨床通り』という床屋街がある。」という文章で始まる短い作品です。銅版画のようなタッチで描かれた三枚の絵に文章がくっ付いた小品です。ちょっと不思議な街に彷徨い込んで、ふらりふらりして、はっと現実に戻ったような気分にさせてくれます。登場するのは、もちろん猫たちですが、どの猫も全く感情が読み取れない顔つきが、印象的です。

さて、もう一点の「円棺惑星」は、猫の登場しない作品です。ある奇妙な惑星で展開するファンタジーなのですが、暴力的で、グロテスクで、残酷な描写も登場します。アタゴオルに馴染んだファンの方は、もしかしたら戸惑うかもしれませんが面白いです。第一話「マネキン森は月の耳」で、マネキンと呼ばれる植物性人間が三日月の頃になると、人間の耳を齧るという事件が描かれます。で、このラスト。事件を解決した主人公の受羅という若者は、ふとこんな台詞を口にします

「マネキンが耳食うくらいたいした事じゃないかもしれない。オレたちの先祖は地球を食いつくしたんだ」

ここで、読者はこの世界は、人間が滅茶滅茶にした地球の未来の世界だったことを知ります。映画「猿の惑星」ラストで、自由の女神の一部が海岸から出ているのを発見した宇宙飛行士が、自分たちの星は核戦争で滅んだことを知って愕然とする、あの衝撃を目論んだのかもしれません。

今回入荷したものは帯も付いていて、中身も綺麗です。お買い得です。

ところで、8月20日まで著者の生まれ故郷の山形県米沢市立図書館で「ますむらひろし展」が開催中です。著者サイン入りの読書通帳もプレゼントされているとか。ファンなら見逃せませんぞ。

「虔十公園林」をご存知でしょうか。実際にある公園ではありません。宮沢賢治の小説のタイトルです。

いつも子供たちからバカにされている少年虔十が、ある日、野原に杉の種を撒き、育てようとします。周りの人達は、あんな所に杉が育つわけないとバカ呼ばわりしますが、なんと、すくすくと育っていき、子供たちの遊び場へと変わっていきます。雨の日も、晴れの日も杉林を見回る虔十でしたが、あっけなくチフスで死んでしまいます。

彼が死んでから20年。彼の町は発展し、森も林も消えています。しかし、彼の名前を付けた「虔十公園」だけは、ここに住む人達が開発のためには売るまいと、守っていました。そして、多くの人達の憩いの場所となっていたのです。

「全く全くこの虔十公園の杉の黒い立派な緑 さわやかな匂い 夏の涼しい陰 月光色の芝生が これから何千人の人たちに 本当のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした そして林は虔十の居た時の通り 雨が降っては すき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落し お日様が輝いては 新しい綺麗な空気をさわやかに はき出すのでした」

という文章で終わります。賢治がこの小品を書いたのは1934年。住民が、自分たちの周囲の自然を守るというナショナルトラスト運動を予感させる貴重な作品だと思います。

この作品を、ますむらひろしが漫画化した「ますむらひろし版宮沢賢治童話集」が入荷しました。2014年に新聞掲載されたものを書籍化したもので、「オッペルと象」も同時収録されています。26cm×19cmの大型の判型で表紙の絵も、印刷も装丁も素敵な出来上がりです。「やまなし」「ひかりの素足」を収録したものも同時に入荷しました。版元は子供服でお馴染みのミキハウス。丁寧な作りには、賢治への深い愛情が感じられます。(どちらも1400円)

「猫マンガのますむら」らしく、登場するのはすべて猫。「ひかりの素足」は元々辛いお話ですが、猫で描かれると、猫好き、動物好きには涙無しでは読めないかもしれません。

同社はあべ弘士による「なめとこ山の熊」(売切)、荒井良二「オツベルと象」(売切)など、やはり隅々まで手を抜かない作りで賢治の絵本シリーズを刊行中です。どれも目が離せません。

宮沢賢治という作家は、徹底的に推敲する人でした。その徹底ぶりはオタクに近いものがあります。以前、完成形と、その前のバージョンを読み比べたことがありますが、ここまで一つの言葉、文章に拘るのかと感心しました。

名作「銀河鉄道の夜」にも「初期編」と「完成編」があります。この小説は1924年頃に初稿が書き出されて、31年ぐらいまで推敲が繰返されました。第1次稿から第4次稿まで、3回にわたって大きな改稿が行われたことが後の研究で明らかになりました。第1〜3次稿(初期形)と、第4次稿(最終形)の間には大きな差があり、同じ小説とは思えない程です。

この小説を漫画にしたますむらひろしの本に「最終形」と「初期形−ブルカニロ博士編」をセットにした一冊があります。(1500円)。初期の第三次稿が「初期形−ブルカニロ博士編」として知られています。賢治本人の書いたものよりも、ますむらの作品は、賢治の描いた世界をさらに彼方へ向かわせる力があるように思えます。

天国へ旅立ったカンパネルラを探して、泣き叫ぶジョバンニの前に現れるブルカニロ博士が、様々なことを語り出します。宇宙の真理、生きること、死ぬことの意味、ジョバンニが探すべき「本当の幸せ」とは何か・・・。

そして、こんな台詞を残して一気に次元を越えて、過去から現在へ時空を旅します。

「みんながめいめいじぶんの神様がほんとうの神さまというだろう。けれどもお互いほかの神さまを信じる人たちのしたことでも、涙がこぼれるだろう。

それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。

けれどももしおまえがほんとうに勉強して 実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、

もう信仰も化学と同じようになる。」

どこか悟りを開いたような澄み切った表情の、博士のキャラクターが、原作以上に胸に迫ってきます。完成形では、この博士は登場しません。なぜ、賢治が外したか、それは分かりません。

 

漫画家ますむらひろしの描いた宮沢賢治関連のコミックは、当店では人気で、まとめてにマーケットに出ることもなく、見つける度に仕入れて出すと、直ぐに売れてしまいます。

彼の人気は、「銀河鉄道の夜」の世界を猫に置き換えて映像化したアニメ「銀河鉄道の夜」のヒットも大きいと思います。音楽は細野晴臣が担当、無国籍音楽の典型みたいな心地よきサウンドでした。

ますむらと賢治コンビは、大判コミック、ハードカバー、文庫と多く出ています。今回、ハードカバー版の「ますむらひろし宮沢賢治選集」の第2集と第3集が入りました。

第2集は「銀河鉄道の夜」。これには初期形「ブルカニロ博士編」というのがあります。親友カンパネルラを亡くして悲しみにくれるジョバンニの前に登場する、愁を帯びた眼を持つ、知性と優しさを兼ね備えた猫は、原作を越えた造形です。多分、彼なら平和に生きて行ける共同体の設計やら、新しい時代のあるべき姿も教えてくれそうです。「科学も信仰も同じだ」それが人間全体の幸せになるならば、と大胆な考えの持ち主だった賢治の分身みたいですね。「銀河鉄道の夜 最終形」も収録されていて、その微妙な違いも楽しめます。個人的には初期形の方が好きです。


 

「ブルカニロ博士編」の最後にこんな台詞があります。

「何かいろいろのものが 一ぺんにジョバンニの胸に集まって 何とも言えずかなしいような新しいような気がするのでした」

賢治は、人生を、日々悲しいような、日々新しいようなものと捉えていたのかもしれません。

 

第3集は「風の又三郎」、「雪渡り」、「十石の金剛石」他が収録されています。「十石の金剛石」は、殆ど植物が主役の物語ですが、原作で読んだ時よりも深く心に染み込んできました。ラストのいばらを外す猫の王子の姿は忘れられません。

「風の又三郎」ですが、大判のコミック(朝日ソノラマ)もあります。ますむららしい猫キャラの動かし方を楽しむなら、こちらをお薦めいたします。このシリーズは全六巻発売されていますが、なんとか揃えていきたいものです。

 

★ 勝手ながら6月30日(月)7月1日(火)と連休させていただきます 。よろしくお願いいたします。

 

 

 

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