川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

WOWWOWで放映された大島弓子原作のドラマ「グーグーだって猫である」を楽しみました。

映画は小泉今日子主演でしたが、今回は宮沢りえ。TV版も映画も監督は犬童一心ですが、連続ドラマと映画ではアプローチが全く違っていて、それぞれ面白かったです。猫と生きるマンガ家の、ストーリーのあるような、ないような日常を描いたドラマ版の方が、より原作に近い気がします。ラスト、主人公が、納得した表情で夜の公園を歩んで行くところは、こんな歩き方、大島の漫画で見た気がします。

同じ原作で主役を演じた、二人のアイドル出身の女優さんの表情が、どちらもとてもチャーミングでした。映画版ラストの小泉は、フィナーレに相応しい笑顔でしたね。

この二人に薬師丸ひろ子を加えた三人は、熾烈な芸能界を生き抜き、修羅場をたぶん幾つも乗り越え、歳と共に新しい魅力を見せてくれています。いや〜この年齢の重ね方はお見事です。

ドラマ版の音楽は、高田漣(高田渡の息子さん)、映画版は細野晴臣。これまたどちらも、脱力系の素敵な音楽でした。

残念ながら「グーグーだって猫である」の原作本は在庫してませんが、漫画といえば、ちょっと面白い「ガロ」が入荷しました。1995年9月号(1000円)です。特集は「宮澤賢治の世界」です。

ますむらひろしが「空飛ぶ賢治には、空で逢おう」でこんなこと言ってます

「60年代の終り、マリファナを吸って森で怠けていた者たちの書くミニコミ誌の中に、『宮沢賢治』に対する共感の言葉があるのを見た。朝から『飛んでいる』者は、賢治の童話のあちこちに『飛ぶ賢治』を感じた」

なんか、時代を感じる文章ですね。漫画としては、森雅之「星めぐりの歌」や、やまだ紫の「フランドン農学校の豚」、あるいは人気イラストレーターだった矢吹申彦が四コマで「賢治ずいぶん」を書いています。

驚くべきは筑摩書房版「新校本・宮沢賢治全集」の編集者へのインタビューが掲載されていたことです。この全集、一冊に本文篇と校異編が入っている密度の濃いものでした。私も何巻かは購入しましたが、なんせ高額商品だったので途中挫折しました。その全集に携わった編集者のひたむきな熱意の溢れるインタビューでした。