コイケ龍一「アフリカノオト」(河出書房/古書1000円)は、引っ込み思案で、将来何を目的に生きていけばいいか皆目見当がつかず悶々としていた青年が、ある日、太鼓の音に惹かれ、単身アフリカに太鼓を学びにゆく自伝的ノンフィクションです。

太鼓の音に魅力を感じていた時、著者はテレビで東アフリカの音楽家フクウェ・ザウォセさんの番組に出会います。

「世界には、あんなにのびのび音楽をやっている人もいるんだ。その生活のすべてが、のんきで、楽しそうで、自由だった。」

そして、無謀にも一人でアフリカへと旅立つのです。しかし、アフリカへの幻影は儚くも崩れ去ります。アフリカ =マサイ族の勇者というイメージがありますが、彼らとて生活があります。世界中の人々がマサイの生活を見ようと会いにきます。そこに、貨幣経済が忍び込み、マサイの中にお金が入ってきます。著者曰く「自国に帰って、『マサイに会った』と自慢する為だけに会いに来るのだ」というのが現状です。

しかし、少しづつアフリカの風土に人々に順応し、そして自分のことを深く掘り下げていきます。

スワヒリ語で、「カマ・ムング・アキペンダ」という言葉があります。これ、別れ際に発する言葉なのですが、その意味は「もし神様が望んだらまた会おう」ということです。「この、のうてんきな考え方が、彼らをのんびり守っているような気がする」と著者は書いています。日本とは真逆のその生き方の中で、太鼓を習い、貧しい暮らしをする家族と共にご飯を食べ、アフリカとは何かということを考えていきます。

これは自分探し、あるいは、自分磨きの旅とは違い、全く知らない文化と風土の中で、世界を知ってゆく旅なのです。マラリアにかかって死ぬ一歩手前になったり、金を巻き上げられたりと散々な目に会いながらも、太鼓を学び、叩き、旅を続けていきます。これこそ旅だなと思いました。

現在は、帰国して岡山で暮らし、「薪でご飯を炊いたり、お米を作ったり、カリンバを作ったり、畑仕事をしたりしながら演奏活動を続けている」のだそうです。そして、このほんのラストにはこう書かれています

「 ザウォセさんが大事にしてきた『暮らしが音楽を生み出す』という生活を軸に、僕も暮しの中から音楽を奏でていたいと思う。」