松本大洋がルーヴル美術館に暮らす猫を描いた「ルーヴルの猫」(上下巻/古書2200円)は、切ない物語です。ルーヴル美術館の奥、誰にも知られていない屋根裏部屋に、昔から猫たちが住みついています。それを世話しているのが、ルーヴルで生まれ育ったような老人マルセルです。物語はマルセルと、ここで働くセシルという女性と、猫たちが絡み合いながら進行していきます。

猫同士が話している時は、擬人化された姿で描かれて、人間の視線で彼らを見ている時は、猫の姿で描かれています。さてあるとき、セシルは、マルセルから不思議な話を聞きます。彼にはアリエッタという姉がいたのですが、他の子どもとなじめず、絵を見ている時だけが幸せでした。そして「絵の声が聞こえる」と言い残して、マルセルの前から姿を消しました。

「この館に大量にある絵の中のどこかで……姉は暮らしている…..ずっとな。」と、マルセルは信じています。絵の中で生きているなんていう話を信用しなかったセシルも、やがて一緒に探そう とします。それまで、下向きに生きてきた彼女のうつろな視線が、徐々に光を持つようになってきます。そして、アリエッタが子どものままで生きているのは、 アントワーヌ・カロンの「アモルの葬列」の絵の中であるらしいことが分かってきます。後半では、この絵をめぐって様々な物語が展開していきます。(この不思議な絵は、上巻の最初に掲載されています)実は、猫たちの中にいる白猫”ゆきのこ”も、ふっと姿を消して絵の中に入ったりできるのです。どこか孤独な影を引きずるゆきのこもまた、絵の中に自分の幸せを求めているのかもしれません。マルセルは果たしてアリエッタと再会できるのか…….。この結末は、切なく迫ってきます。映画だったら、きっと泣けてくるシーンです。

ラスト、立派なオス猫になったゆきのこは、危険があるのは承知の上で、外の世界を見ようと旅立ちます。その彼の背後で囁くアリエッタの声。「ゆきのこさん、今はもう….わたしの声はあなたに届かない。(中略)天高く尾を上げてたたかっていらっしゃい。わたしはいつでもここにいるわ。」別れと旅立ち、そして希望。見事にブレンダされた秀逸なエンディングです。何度も読み返したくなりました。

 

川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」

という、とぼけた出だしで始まるのが、内田百閒の「第一阿房列車」(新潮文庫/古書200円)です。用事もないのに、ひょいと列車に乗る行程を「阿房列車」と命名、弟子の”ヒマラヤ山系”と旅に出た記録です。二人の軽妙洒脱な会話が楽しめて、旅のお供にピッタリの一冊ではないでしょうか。文庫本の表紙の内田センセはいかめしい顔つきで立っています。

これが、一條裕子によって漫画化され、3巻まで出版されました。第1巻「阿房列車1号」(小学館/古書500円)を入荷しました。どこか浮世離れしていて、小難しいけれでも、ユーモアもある作家として描かれています。

用事もないのに、長距離列車に乗るのだから、一等席をリザーブしたい、しかし、お金がなければ三等席もやむなしか。しかし、二等席には坐りたくない。

「どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである」などと、へ理屈をこね回しながら、ああでもない、こうでもないと悩む内田センセの姿が、可愛らしい。内田の無理難題と、わがままぶりに笑いながら、私たちも、この意味のない、しかし極上の旅に参加することになります。

原作にある「鹿児島阿房列車」の巻頭の文章が、私は好きです。

「六月晦日、宵の九時、電気機関車が一声嘶いて、汽車が動き出した。第三七列車博多行各等急行筑紫号の一等コムパアトに、私は国有鉄道のヒマラヤ山系君と乗っている」

「快調で無駄のない出だし」と森まゆみが解説で指摘しています。きりっと引き締まった文体が魅力の、鉄道紀行文学の雰囲気を漫画版も踏襲しています。というより、原作に魅力があるから、コミックに姿を変えても面白いのでしょう。何より列車の絵が上手い。後半(112p)に「西日を受けて 金色にきらきら光るレールの上を走って、第三四列車が這入って来た。」という文章に登場する電気機関車は、その通り、日の光りを一杯受けてきらきら走ります。

原作から読んでも良し。コミックから読んでも良しという「阿房列車」です。

 

コミックの世界は面白い!と思わせる新旧の作品を入荷しました。

前作「うとそうそう」(光文社/古書800円)では、極端に少ない線でアーティスティックな世界を作り上げた森泉岳士は、「報いは報い、罰は罰」(角川/古書/サイン入り上下巻1700円)で、圧巻のゴシックホラーが展開させています。塗り潰した様な真っ黒の画面の彼方に広がるおぞましい世界を堪能して下さい。古い館で起こる惨劇好き、なら必読ですぞ。

暗黒漫画から、ガラリと変わって「団地マンガ」の新星?、石山さやかの「サザンウインドウ サザンドア」(祥伝社/.古書700円)をご紹介します。昨年、団地小説の傑作、柴崎友香の「千の扉」(中古公論新社/古書1000円)を読んだり、坂本順治監督の映画「団地」や、サミュエル・ベンシェトリ監督の「アスファルト」といった、内外の団地映画に出会いましたが、コミックの世界にもあるんですね。

このコミックは、団地に住む様々な人々の、人生のある瞬間を切り取ってゆくという手法で、映画や小説ではお馴染みのスタイルです。団地を舞台にしているところがミソです。リアルに描いてしまうと、現代の悲惨なドラマの集大成になってしまうところを、懐かしさという感情を巧みに織り込みながら、団地の住人の人生を肯定していきます。妻に先立たれ、一人暮らしをする夫と、一人娘の交流を描いた「わたしの団地」は、いい短篇小説を読んだ気分です。

もうひとつ、ほっとリラックスできるコミック。益田ミリ「結婚しなくていいですか」(幻冬舎/古書650円)は、40才が見えてきたOL、すーちゃんと仲間の日々の暮らしのスケッチ集です。老後のことを心配したり、このまま1人で生きてゆくのかなぁ〜と不安になったりしながら、それなりに元気に毎日を送る彼女と、同世代の女性たちへの応援歌みたいな作品です。一日一日、歳をとってゆくという現実を、淡々と描いた作品です。

最後にご紹介するのは、小林エリカの「親愛なるキティーたちへ」(リトルモア/古書1400円)です。彼女には放射能をテーマにした「光の子ども」という傑作がありますが、「親愛なるキティーたちへ」はアンネ・フランクがテーマです。しかも、これはコミックではなく、エッセイです。

幼少の頃、彼女は家の本棚の奥で、「アンネの日記」を読み、いかなる不条理にも困難な状況にも立ち向かってゆくアンネの姿に感動します。そして、それから21年が過ぎ、30才を越した彼女は再び実家の古びた本棚の奥でもう一つの日記を見つけます、それは、アンネと同じ年に生まれた自分の父親が敗戦の日々を綴ったものでした。

「ユダヤ人たちを虐殺したナチス。ドイツと日本は同盟関係にあった。歴史的な事実を考えると、戦争の中で、彼女は死に追いやられ、彼は間接的に彼女を死に追いやったということになる。それと同時に、彼女は私が心から尊敬し夢中になったアンネ・フランクであり、彼は愛する私の父小林司だった。」

二つの日記に誘われるように、著者はアンネが収容されていた強制収容所を巡る旅に出掛けます。それは2009年3月のことでした。アンネがタライ回しにされた強制収容所のあった場所に立ち、著者の心の中に浮かび上がってきたものが描かれていきます。

アンネが死ぬ、ほぼ一年前の1944年4月16日の日記と、同じ頃の昭和21年4月15日の小林司の日記、そして、著者が旅から戻ってきた2009年4月15日の思いが並ぶラストまで一気に読んでしまいます。

森泉岳土の「うとそうそう」(光文社800円)は、「小説宝石」に2015年から翌年まで連載されたコミックを一冊にまとめたものです。「うとそうそう」とは、解説を書いている映画監督の大林宣彦によれば、「うと」は「烏」(う)と「兎」(と)のことで、「太陽に烏が、太陰(月)には兎が棲んでいて、そうそう(匆々)とは荒々しい様を意味する。因って、烏兎匆々とは月日が経つのが速いこと」と書いています。つまり、このマンガは「時間」がテーマなのです。そして長い時間の積み重ねの中で、貴方も、私も失った何かを愛しむように振り返る。各8ページ、主人公のモノローグだけを8Bのエンピツで綴った、短篇小説のような淡い世界です。

 

私が、森泉の作品に出会ったのは、確か2013年に出版された「祈りと署名」(KADOKAWA500円)でした。毛筆の様なタッチで描かれた独特の世界に引込まれていきました。この作品集の中に、中原中也の「湖上」をベースにした「夜は昵懇しく」は、3.11の後の都会に生きる少年と少女が公園でデートする姿に、中原の詩がかぶさってくるという構成になっています。

「ポッカリ月が出ましたら 舟を浮かべて出掛けませう 波はヒタヒタ打つでせう 風は少しあるでせう」で始まる中也の詩を巧みに使った短編でした。

新作「うとそうそう」は、余分な線や、背景を排除できるだけ排除して描かれています。さらに「名前はいらない」という作品に登場する猫は、大胆にもコマからはみ出て動き回っています。誰しも自分の生きてきた時間の中で感じる、悲愁、孤独、憧憬などといった感情の揺れをコミックのスタイルで描いていますが、これは詩に近い作品集です。あちこちに広がる余白は、フツーに時間をつみかさね自分の人生を生きてきた人が、様々な色合いで埋められるのかもしれません。

因みに、彼がカフカの「城」、漱石の「こころ」より“先生と私”、ポーの「盗まれた手紙」、ドストエフスキーの「鰐」に挑んだ「城」も近日中に入荷しますのでお楽しみに。

★臨時休業のお知らせ

11月6日(月)7日(火)連休いたします。

 

「千年女優」、「東京ゴッドファーザーズ」、「妄想代理人」等のオリジナル劇場用アニメで一躍注目されながら、47歳でこの世を去った漫画家、今敏の「海帰線」(美術出版社/絶版1300円)が入荷しました。

海人の卵と言われる、未知なる生物の卵を守る青年の冒険を描いた作品です。衰退する漁業で過疎化する町で、明日の生き方も見えて来ない青年が主人公です。そこへ巨大なリゾート開発が進行します。建設反対、賛成に揺れる町の住民と、リゾート開発会社の思惑が複雑に絡み合う構図の中で、青年は卵に向き合います。海に還そうとする冒険ファンタジーとしても、海の神秘を描いた作品としても読めます。ラストシーンは、きっと映像化したかったに違いない、スペクタクルと美しさに満ちています

一途な青年の話の後には、劇作家の松尾スズキがストーリーを書き、エロ漫画を引っ張り続ける山本直樹が絵を書いた「破戒」(イーストプレス700円)は如何でしょう。狂気と抒情が交錯する奇妙な世界。吹き出す血しぶき、制御不可の暴力、そして歪な笑いが渾然となったコミックです。誰もいない学校のプールでセックスに耽る二人を描いたシーンは山本のエロス満開ですね。

「すいません血みどろで」「いいの、それでいいの」

で終わるスプラッタな状況ながら、静謐感に満ちたラストカットまで、目の離せないシュールなコミックです。

そして、ハードな作品の次は、山川直人の「珈琲色に夜は更けて」(角川書店600円)でブレイクなどいいかも。

現代が舞台ながら、山川は、70年代的四畳半フォーク時代を彷彿させる、生活模様や恋愛描写を得意とします。綿密な描き込みによる版画の様な絵とデフォルメされた人物像が特徴的です。この作品は、売れない漫画家が立ち寄る、様々なカフェで出会う、ほんの一瞬の細やかな物語です。煙草の煙と珈琲の湯気が、淡い幻想を作り出す不思議な世界です。なお、著者は珈琲を入れるのと、ボブ・ディランを聴くのが趣味です。

 

★レティシア書房 年末年始休業のお知らせ

12月29日〜2017年1月4日まで休業いたします。新年は1月5日から平常通り営業いたします。

映画館で観たいと思っていた「バクマン」を、ブルーレイで見ることができました。これ、「少年ジャンプ」(実名で登場)を舞台に、高校生漫画家二人の奮闘を描いた青春映画です。漫画雑誌のコンセプトはというと「友情・努力・勝利」と口に出すだけで赤面するのですが、監督の大根仁は、だからどうした!と開き直って、前向き根性努力ものに邁進。その態度良し、拍手です。

で、こういう漫画家の映画だと、机に向かって必死に書いているシーンばかりの退屈な映像につき合わされることになるのですが、そこは違います。一コマ、一コマの漫画が動きだし、走り出します。圧巻はライバル漫画家とバトルするシーン。ペンを槍みたいに構えて大立ち回り。お互いのコミックのワンカットが、手裏剣よろしく飛んでいくというCG効果も満点です。そして、もう一つ重要なのが、ペンの音です。おそらく、かなり試行錯誤した結果でしょう、ペンが走る音が、まるで彼らの青春の疾走を表現するごとく響き渡るのです。この音、映画館で聞いてみたかったですね。

漫画の映画化って、イージーな企画だと批判されますが、文学の映画化と違って、新しい表現方法、あるいは全く違う視点に立つドラマが作りやすいのかもしれません。良い例が、西原理恵子です。彼女のコミック、もしくは人生を映画化した、「酔いがさめたらうちに帰ろう」、「毎日かあさん」、「パ−マネント野バラ」、「上京ものがたり」と映画化していますが、どれも優れた作品でした。

愛読している野田サトル「ゴールデンカムイ」(ヤングジャンプコミック)。アイヌ民族の生活を丹念に織り込みながら、展開する明治時代のアクション活劇ですが、これは、大河ドラマにして欲しい。今のNHKにアイヌをメインに置いたドラマを作る根性はないでしょうが……..。

石森章太郎が全編台詞なしのコミック(タイトルは忘れましたが)を発表した頃から、今日まで常に新しい表現を模索してきたジャンルであることは間違いありません。新しい感覚の漫画家を、どんどん店頭に並べていきたいと思っています。

 

 

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショー 「極北 カナダ・ユーコン&アラスカの旅と暮し」(7時より)を予定しております

  (要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

高浜寛「四谷区花園町」(竹書房650円)が入荷しました。

太平洋戦争前夜、新宿でエロ雑誌「性の扉」を編集している人々を描いたコミックです。主人公は至心と書いて「よしむね」と読む若きライター。前半は、この本の帯で、映画監督の行定勲が賞賛するように「青春漫画の王道だ!”エロ”はどんな時代にも生きる勇気を与えてくれる」タッチで話は進みます。そして、彼が娼婦上がりのアキチャンに出会い、一緒になるあたりまでは、ドタバタありのほんわか青春コミックなのです。

しかし、戦争へと突き進む国は、このご時世に不謹慎との理由で、雑誌を発禁処分にしてしまいます。編集長は地下に潜り、やはり非合法と見なされているアカ系印刷会社から出版すべきかと悩みます。そんな時、アキチャンが社会主義運動に加担した容疑で逮捕。ここから物語は大きく動き出します。

編集長は、妻と子供を守るため、寝返って戦争礼賛の戦艦雑誌を立ち上げ、多くの友を失い、一方、心至のもとには、召集令状が届きます。やがて、物語は悲しみのエンディングを迎えます。悲惨なのは、この編集長の人生でした。戦後、戦犯扱いされて消えていきます。

このコミックのステキなところは、戦時中の悲しい話に留まらないエピローグにあります。

時代は一気に現代にとんで、同じ「四谷区花園町」界隈で、バーを営むアキチャンの孫娘が登場します。そこで、編集長の人生を振り返りながら、こう呟きます。

「だーれも自分の未来なんか見えなかったんだよね。ただ目の前の小さな事に決断していくうちに気付けばそんな事になっている……。」

戦争へと世の中が進んでいく様を、見事に表現しているではありませんか。

行定勲が「映画にしたいと思った」と書いているのですが、それは、アキチャンの孫が、ボーイフレンドに祖母の最後を語る、このエピローグがあったからでしょう。もうそのまま映画用の絵コンテ使用で、行定が映画に、と思うのも当然でしょうね。なお、高山寛の傑作「イエローバックス」も近日入荷予定です。

 

 

 

 

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

★★カナダ在住で、ドールシープを撮影されている写真家、上村知さんの写真展を11月1日(火)〜13日(日)まで開催します。5日(土)夜に、上村さんによるスライドショーを予定しております。(要・予約 同じくレティシア書房までお願いします)

ギャグマンガでお馴染みの上野顕太郎が、自分の妻の死を描いた「さよならもいわずに」(ビームコミック400円)を入手しました。元来、ナンセンスでシュールな世界を描いて来た漫画家が、突然の妻との永遠の別れを、どう描いているのか興味はありましたが、そんじょそこらのお涙ものにしていないのはさすがです。

作家は、本編の中でこう書いています。

「葬式が済んだ直後に、私はこの作品に着手する旨を担当に表明しており、直ちにネームにとりかかっている。それは生々しく、作品として客観性を欠いていた」

しかし、出来上がった作品は冷静です。妻の死亡から、その後の一年を描いているのですが、各章の見出しは「2004年12月9日 午後5時55分」とか、「2004年12月初旬」という風になっています。まるで、映像によるドキュメタリーみたいな感覚で、こちらも過剰な感情移入をすることなく、この作家の生きてきた時間を見つめることができます。細かい所まで描き込んだセレモニーとしての葬儀のシーンは、実際に身内を送った方には、そう、そうこういう感じだったよねと思いだされるかもしれません。

喪失感に苛まれた年が終り、新しい年を迎えます。だからといって、心機一転とならず、人生は続く。作者は、またこう言います。

「この作品の最後にあるのは絶望だ。だが、その先に希望があることを今の私は知っている。」

家に帰るのが好きだった主人公の「ただいま」という言葉で始まったこの本の、最後の章「2010年6月」の、最終のページに書いてある言葉は「おかえり」です。

コミックの様々な技法、或は映画的手法を駆使しながら、一人の作家の悲しみを描いた、いわば私小説ならぬ、私漫画の傑作でしょう。

★毎年恒例になりました『ネイチャーガイド安藤誠さんの自然トーク「安藤塾」』は、10月28日(金)7時30分より開催が決定しました。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

小説では表せない世界を、コミックという表現手段を駆使すれば、とても面白い世界が展開することがあります。最近、何冊かそんな本に出会いました。

「辺境で」(角川400円)というタイトルに魅かれて手に取ったのが、伊図透の作品集です。壮大な物語がこれから展開しそうな最新作『銃座のウルナ』(1巻発売中)で話題の作家の、初期から最近作まで集めた作品集です。クールなタッチで描かれる「辺境で」は、冷たい風が吹き荒れる北の大地で繰り広げられるサスペンス。ハードボイルドタッチで物語は進みますが、人物造形が見事です。

次に紹介するのは、ガラリと世界が変わり、秋山亜由子の「こんちゅう家業」(青林工藝舎800円)。なんとも不思議な世界が展開する、一種のファンタジーです。タイトル通り、こんちゅう達が主人公なのですが、人間のごとき姿の虫?も登場して、奇妙な世界が展開していきます。グロテスクなようで、哀れで、そして切ない感情が入り乱れます。黄泉時を巡って展開する「十三夜」、花の精が登場する「つくも神」はお薦め。表紙に「あんじょういきますように…..」と京都弁で書かれていますが、まさに「あんじょういかはる」世界です。因みにこの京都弁「(過不足なく、ほどほどに)上手く行きますように」というニュアンスです。

 

さて、もう一冊。Panpanya「蟹に誘われて」(白泉社700円)です。これ、文章で説明するのが難しい。「いずれが幻なのか この世か。あの世か」と帯に書かれていますが、その通りの世界です。とは言え、妖怪やら魑魅魍魎が闊歩するものではありません。脱力系キャラの女の子の日常を散文的に描いてあるのですが、どうにも説明できないシュールな世界なのです。ちょい、つげ義春風に書き込まれた背景に佇むかわいい女の子。ユルキャラっぽい山椒魚に、イルカまで登場して、物語があるような、ないような展開が続きます。なんだこれ、とは思いながら、不思議とこの世界が心地良いのです。やはり、幻なのか、あの世なのか…..。多分、描き込まれた背景がリアルなこの世で、女の子たちはあの世の住人。その接点をフラフラ漂いながら、読みました。

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