今、この時代を生きる人を描きながら、四畳半フォーク的世界を展開し、綿密な描きこみで版画の様な作風の山川直人の新作「短編文藝漫画集」(水窓出版/新刊1980円)がでました。内容は横光利一「機械」、萩原朔太郎「猫町」、太宰治「東京だより」という短編小説を漫画化したものです。漫画には、それぞれ原作小説が付いていて、原作を読んでかから、漫画を読むと、山川がその原作をどう解釈していたのかを窺い知ることが出来ます。

1935年に発表された萩原朔太郎「猫町」は、極めて幻想的スタイルを持った短編です。モルヒネ、あるいはコカインで体を崩した主人公が体験する不思議な散歩を描いた物語で、初めて読んだ時、面白さがよくわからん小説でしたが、今回これは散歩の楽しさを萩原らしい視点で描いたものと解釈しました。山川は、ひょんなことから現実の世界なのか、幻の世界なのか判別不能の状態に陥った主人公を飄々と描いています。

戦時中、軍事工場で働く足の悪い少女への思いを綴った太宰の「東京だより」は、ほんの数ページの短編ですが、戦時下で働く女性への温かい思いを描いた作品です。山川漫画のラストシーンも太宰の世界観を見事に映し出していると思います。

今日マチ子の「Distanceわたしの#stayhome」(rnpress/新刊1650円)は、タイトルからわかる通り、2020年4月に出た緊急事態宣言以降、変化してゆく町や人々の様子を、彼女らしい静謐なタッチで描いたイラスト日記です。ステイホーム、ソーシャルディスタンスという今までなかった行動スタイルの中で、新しい日常を生きる人々の姿をそっと見せてくれます。

高橋源一郎が「大切な風景。愛おしい場所、人。今日さんの本を開きさえすれば、ぼくたちは、きっと、みんな思い出すことができるのだ。」と推薦の言葉を書いていますが、あぁ、こんな風景あったよなといつか思い出す事になるのでしょう。切なくて、ちょっと悲しくて、ぎゅっと抱きしめたくなる。そんな素敵な本です。

「秋の終わりの夜、いつも通る道に、十字架が現れる事に気づいた。ビルの照明が、壁と窓に反射してちょうどきれいに十字架になっている。道ゆく人はこの建物を見上げないから、誰も気づいていないのだと思う。毎日通り過ぎるどうでも良い場所。別に十字架でなくても、温泉マークでも、何だって良かったのだけど、狭い日常の中、誰にも見えないものをわたしは見つけたのだ。」

ステイホーム、ソーシャルディスタンスの中でも、彼女は自分にしか見えないものを見つけているのです。

 

文化人類学者奥野克己と漫画家MOSAのコラボ「マンガ人類学講義」(日本実業出版社/古書1300円)には「ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか」と、めったやたらに長いサブタイトルが付いています。

奥野は2006年から約1年間、その後も何度もボルネオ島の熱帯雨林に住む狩猟民プナンの元を訪れて共に住み、共に狩猟に出かけました。共同執筆者のMOSAも、短期ではありますが、2019年に、ここを訪れています。その二人が組んで「民族誌マンガ」と命名したのが本書です。

これを読んで思ったこと。世界は広く、文化は深いという、当たり前のことの再確認でした。ボルネオのプナンの民にはモノを所有するという概念がありません。彼らの言葉には、「貸す」「借りる」という言葉がありません。だから、何かを貸しても感謝されないし、借りたものを無くしても反省しない。そう、サブタイトル通りなのです。では、欲張りなのか?と人類学者は考え、彼らの生活を見つめてゆくと、そこには深い意味が隠されていたのです。

彼らは人が死んだ時、遺品はすべて燃やして、死体は土葬し、速やかに離れる。儀式は一切ありません。死者を敬うことはないのか?やはり、ここにも彼らの死生観があるのです。

おかしかったのは、世界の民族の性に関しての調査、研究です。題して「セックスの人類学」。え?そんなんあり??と驚愕の物語がドンドン出てきます。それを未熟なというのか、ヘェ〜おおらかな考えね、と捉えるかは読者次第ですが、笑えます。

また、「アホ犬会議」という章では、「良い犬」と「アホ犬」に区別されることついてご当地の犬たちが論じる、犬好きには興味深いものも描かれています。「アホかわいい犬」を目指す犬が愛玩犬として生き延びるのかもしれません。

プナンの人々を描いたマンガを通して、私たちは生きること、働くこと、セックスのことなどを、もう一度見直してみることになる一冊です。

 

鯨庭(クジラバ)の初作品集「千の夏と夢」(リイド社/古書600円)について、朝日新聞の「好書好日」でこんな文章を見つけました。

「職人がひとつひとつ手で仕上げた工芸品などから、生体エネルギーの迸り感じる時がある。躍動する竜のしなりに辺りの空気を震わせるグリフィンの羽ばたき 本作に登場する伝説の生き物を描いた線からも、エネルギーの放出を感じた。」

決して緻密な線で描かれた漫画ではないのですが、明らかに空中に飛び出すエネルギーを感じました。

短編が5つ収納されています。村に雨を降らすために龍神の生贄として献上された娘と、龍神との心の交流を描いた「いとしくておいしい」、山で人間の子供を拾い名前をつけて育てた鬼と、人間社会へと帰ってゆく子供との永遠の別れを描いた「ばかな鬼」、生物兵器として育てられたケンタロプスが戦後に目覚める「君はそれでも優しかった」、鷲の頭と馬の後半身があわされたヒポグリフと研究者の交流を描いた「僕のジル」、そして父親をなくした娘を見守る掛け軸の中に描かれた龍の物語「千の夏と夢」。どれも幻の獣と人間の交流を描いています、

どの作品にも感情移入してしまいそうですが、やっぱり第一話の「いとしくておいしい」のラストシーンでしょうか。本当は生贄を食べたくないのだが、村に恵の雨をもたらすために食いちぎる竜の迫力あるカットに続いて、目に涙を浮かべる龍神、そして、降り出す雨。龍神が流す涙のように降り続きます。

ファンタジーですが、慈愛に満ちていて、ある時は悲恋のような物語は涙を誘います。最終話の「千の夏と夢」で、幼い娘を残して天国へ旅立った父。父の納骨の朝、娘はそれまで彼女を見守ってきた掛け軸の竜にそっと触れるワンカットで幕を閉じます。これは泣ける。今後の活躍が期待の作家です。

 

 

谷口ジローのコミックは、若かったらその小市民的世界に辟易したかもしれませんが、年をとると、これがグググッ〜と心に染み込んできます。

私が最初に読んだのは「犬を飼う」です。昨年愛犬をなくしたので、この本を開くだけで涙が溢れてきます。谷口ジローといえば、夏目漱石を中心として明治の時代と文壇を描いた「坊ちゃんの時代」が有名ですが、これは全5巻の大河ドラマなので、読み切るにはちょっと根気が要ります。

その点、「犬を飼う そして猫を飼う」(小学館/古書750円)、「欅の木」(小学館/古書800円)、「歩く人plus」(光文社/1400円)、「遥かな町へ」(小学館/古書1200円)は、さらっと読めて、しかも心に残るものばかりです。

老夫婦が、新しく引っ越してきた家に残っていた欅の木を、一度は切ってしまおうとするのですが、この木を守っていこうと決意する「欅の木」には、市井に生きる人々の優しさが滲み出ています。感動的な盛り上がりがあるわけでもなく、日々を誠実に生きる人たちの哀歓を巧みに描いてる短編が並んでいます。多分、若い時にはわからなかった人生の真実がここにはあって、それを理解できる年齢になったということかもしれません、

「犬を飼う」で、年を取った犬のタムに、おばあちゃんが語りかけるシーンがあります。おばあちゃんは生きていても他の人の迷惑になるだけだから、早く死んでしまいたいと思っています。タムに向かって「あたしゃね、迷惑かけたくないんだよ…..。この子だってそう思っている。そう思っているんだよ。でもね、死ねないんだよ…..。なかなか……死ねないもんだよ。思うようにはね……。なかなかいかないもんだね」と語りかけます。

愛犬の一生を描きながら、私たちの死を見つめた名シーンだと思います。

ところで谷口は、2000年代からヨーロッパでの評価が高まり、フランスを中心に数々の芸術系統の賞を受賞しました。きっかけは「歩く人」や「遥かな町へ」などの翻訳版刊行でした。カルテイエの2007年と翌年の広告を複数の画家とともに担当し、本国フランスのブティックではカルティエに関する漫画の入った小冊子まで配布されています。「歩く人」は、どの物語も極端にセリフが抑えられています。だから、ヨーロッパの人に理解されやすかったのかもしれません。しかし、小津安二郎の映画が、ヨーロッパで圧倒的な人気を持っているのと同じく、谷口のマンガ世界には、日本人独特でありながら世界にも通用する自然観、死生観、人生観があり、受け入れられたのではないでしょうか。

「歩く人」の世界は、どこにでもある日常です。でも、ここにはホンモノの喜びと哀しみがあるのです。谷口ジローは2017年70歳でこの世を去りました。きっと天国で、彼の愛犬達と遊んでいることでしょう。

「本の雑誌」に吉野が連載していた書評というか、本を紹介するコミック「お父さんは時代小説が大好き」「お母さんは『赤毛のアン』が大好き」「弟の家には本棚がない」「本を読む兄、読まぬ兄」「犬は本より電信柱が大好き」「神様は本を読まない」、悪魔が本とやってくる」「天使は本棚に住んでいる」全8冊のうち、「弟の家には本棚がない」(古書600円)、「本を読む兄、読まぬ兄」(古書600円)、「悪魔が本とやってくる」(800円)、「犬は本より電信柱が大好き」(古書800円)を入荷しました。

まずは「悪魔が本とやってくる」がオススメです。「シンデレラ」を読んでいる少女のそばに来た悪魔が、結婚したシンデレラと王子の将来についてこう囁きます。

「だって苦労知らずのバカ王子と苦労人の美少女だよ うまくいくわけないじゃん」「きっと浮気するね」と言い残して消えていきます。この最初の一編だけで、笑えてきますよね。このイントロにハマったら、本編もどんどんいきましょう。

本編の主人公は、ウエルッシュ・コーギー犬を一匹飼っている著者です。毎回、読んだ本についての読書体験がユーモアたっぷりに描かれています。幅広い本が紹介されています。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、穂村弘「君がいない夜のごはん」、アシモフ「コンプリート・ロボット」などなど、ジャンルクロスオーバーしていくところがミソです。阿佐田哲也「Aクラス麻雀」まで遡上に上がっているのですから。

そして、そこに紹介されている本を読みたくなるかと言えば、まぁそうでもないところが良いのです。本筋とは全く無関係なことばかりの章も沢山あります。本を肴にして、ほのぼのとした味わいのあるコミックが展開し、おっ、この本で、こうくるか??というヒネリを楽しんでください。

「本を読む兄、読まぬ兄」の「他人の本棚」という章で、堀江敏幸「雪沼とその周辺」、ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」、ステーブン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」の3冊が登場します。いかにも、という本であることは、読書好きの貴方ならお分かりでしょう。主人公の独白はこうです。

「自分が人に見せるなら見栄を張ってミルハウザーとかオースターとか堀江さんとか並べちゃうかな でもそれじゃ芸が無いよな きれいすぎる わざと読んでもいないベストセラーでも入れるか んーあざとすぎる じゃあ誰も知らなそうな渋い本を」

その一方で、知らなかった事実をゲットしたりもできます。ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」がアメリカで初上演された時のこと。あまりに退屈で、理解不能だと客がみんな帰ってしまったのですが、二人だけ最後まで観た客がいたのです。その二人とは、なんとウィリアム・サローヤンとテネシー・ウイリアムズだったそうです。

「必読!」とか「癒されます」と言った陳腐な推薦の言葉は全く登場しません。なんだか読書がさらに楽しみになる不思議な4冊です。それぞれの本のタイトルが意味深のようでもあり、そうでもないようでもあり…….。

 

手塚治虫、白土三平、横山光輝など漫画家界の大御所の中で、個人的に最も好きな作家は石ノ森章太郎です。

 

代表作「サイボーグ009/ヨミ編」ラスト、宇宙空間から一気に地球に突入する二人のサイボーグの姿に涙した方も大勢おられると思います。

石ノ森を熱心に読んだのは、コマ割り、登場人物たちの動き、効果音の使い方など極めて映画的だったからです。「サイボーグ009」でも、彗星のように地球に落下してくる二人と、それを見つめる女性が描かれていますが、そのまま映画的興奮に満ちたラストシーンが出来上がるはずです、

さて、最近ちくま文庫から「佐武と市捕物控」シリーズが文庫化されて登場しました。江戸を舞台にした下っぴきの佐武と、あんまを営む盲目の市が、コンビを組んで殺人事件の解決に挑む、ミステリー短編集です。普通のミステリーなら、岡っ引き(今なら刑事)が主人公になるのですが、その配下にいる下っぴきが主人公になっているのが特徴的です。1966年「週刊少年サンデー」で連載開始、同年毎日放送をメインにしてTVアニメ化されました。

 

かっこいい音楽で始まるアニメで、斬新な実験映像も駆使した大人向けコミックに先ず虜になり、その勢いで原作コミックを読み出しました。宝島出版が出している「佐武と市捕物控」シリーズから、「闇の片脚」、「野ざらし」、「隅田川物語」の3冊(各950円絶版)を入荷しました。

何十年ぶりかの再読でしたが、卓越したセンスの良さにやはり魅了されました。俯瞰が多用されているのですが、中でも「入梅穴」の冒頭、雨が降っている俯瞰のコマが、映画のファーストシーンの如く、悲劇の始まりを予感させます。市の剣術さばきを見せるシーンでの、流れるようなアクション、江戸情緒いっぱいの町民たちの暮らしの点描等々、数え出したらキリがありません。

石ノ森には、前衛的作品「ジュン」(全4巻/各2100円絶版)があります。

実験的コミック作品を数多く掲載していた雑誌「COM」連載時から話題沸騰だった、まるで映像詩みたいな作品ですが、「佐武と市捕物控」シリーズにも、彼の新しい漫画表現を見ることができます。情感、哀愁、エロティシズム、様式美、迫力ある殺陣など、石ノ森コミックの代表作の一つですね。

蛇足ながら、三浦友和が佐武を、梅宮辰夫が市を演じたTVドラマもありましたが、もうトホホという出来具合だったことぐらいしか思い出せません。

 

 

手差ユニッツによるコミック「素晴らしき七番地」と、コミックの各章のタイトルに合わせた音楽を演奏するザ・ロスト・クラブのCDがカップリングされたミニプレスを、入荷しました。(ミニプレス1080円)

コミックの方は、何ということのない日常をすくい上げた脱力系。日常生活のありふれた一瞬を浮き上がらせる中に、これは上手い!と思わせる作品をいくつか見つけました。

Tシャツを着た青年が電車に乗ります。するとどこからか飛んできたトンボが、すっと青年のシャツに止まります。その様子を見ていた年配の女性が隣の乗客に「トンボですよ。じっとして 羽が好きとおってキレイです。」語りかけられた人が「それは、もう秋の話題だね」と答えると、トンボは青年のシャツを離れて飛んでいきます。6コマのたったそれだけのものなのですが、女性が語りかけた隣の人は、視覚障害者なのです。挽夏の昼過ぎの空気感と、秋の予感を切り取ったセンス、優しさが漂います。

 

あるいは、花火大会に行こうと思っていたカップルが、電車延着で間に合いそうにない状況になります。花火の音が聞こえてくる中、せっかくもらった花火大会の「指定席」が無駄になると電車を降りて、ふと見上げるとホームの向こうに打ち上げ花火が上がっているのが見えて、「自由席!」と二人は笑い合います。ほのぼの…..。

このコミックについている音楽も素敵でした。80年代の英国アコーステイックサウンドの切なさや、日本のシティーミュージック創成期の品の良さを、自分たちのモノにした音楽です。全7曲。自宅や車内でエンドレスに流しても邪魔になりません。

もう一冊、ほのぼのと笑わせてくれるのが、鶴谷香央理の「メタモルフォーゼの縁側1巻」(角川書店500円)です。75歳のおばあちゃんが立ち寄った書店で、手にした一冊の本。なんと、それはボーイズラブの漫画だったのです。このおばあちゃんと、書店で働くボーイズラブ大好きの女子高校生との交流を暖かく見つめていきます。一人暮らしのおばあちゃんと、周りのキャピキャピした環境に馴染めない高校生が、ボーイズラブの漫画を接点にして、新しい毎日を生きてゆくというのが物語の骨格になっています。マニアックな世界に閉ざされていたボーイズラブを、こんな風に何の衒いもなく出してきたセンスの良さに驚かされました。(現在3巻まで単行本化されています)

 

 

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

松本大洋がルーヴル美術館に暮らす猫を描いた「ルーヴルの猫」(上下巻/古書2200円)は、切ない物語です。ルーヴル美術館の奥、誰にも知られていない屋根裏部屋に、昔から猫たちが住みついています。それを世話しているのが、ルーヴルで生まれ育ったような老人マルセルです。物語はマルセルと、ここで働くセシルという女性と、猫たちが絡み合いながら進行していきます。

猫同士が話している時は、擬人化された姿で描かれて、人間の視線で彼らを見ている時は、猫の姿で描かれています。さてあるとき、セシルは、マルセルから不思議な話を聞きます。彼にはアリエッタという姉がいたのですが、他の子どもとなじめず、絵を見ている時だけが幸せでした。そして「絵の声が聞こえる」と言い残して、マルセルの前から姿を消しました。

「この館に大量にある絵の中のどこかで……姉は暮らしている…..ずっとな。」と、マルセルは信じています。絵の中で生きているなんていう話を信用しなかったセシルも、やがて一緒に探そう とします。それまで、下向きに生きてきた彼女のうつろな視線が、徐々に光を持つようになってきます。そして、アリエッタが子どものままで生きているのは、 アントワーヌ・カロンの「アモルの葬列」の絵の中であるらしいことが分かってきます。後半では、この絵をめぐって様々な物語が展開していきます。(この不思議な絵は、上巻の最初に掲載されています)実は、猫たちの中にいる白猫”ゆきのこ”も、ふっと姿を消して絵の中に入ったりできるのです。どこか孤独な影を引きずるゆきのこもまた、絵の中に自分の幸せを求めているのかもしれません。マルセルは果たしてアリエッタと再会できるのか…….。この結末は、切なく迫ってきます。映画だったら、きっと泣けてくるシーンです。

ラスト、立派なオス猫になったゆきのこは、危険があるのは承知の上で、外の世界を見ようと旅立ちます。その彼の背後で囁くアリエッタの声。「ゆきのこさん、今はもう….わたしの声はあなたに届かない。(中略)天高く尾を上げてたたかっていらっしゃい。わたしはいつでもここにいるわ。」別れと旅立ち、そして希望。見事にブレンダされた秀逸なエンディングです。何度も読み返したくなりました。

 

川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」

という、とぼけた出だしで始まるのが、内田百閒の「第一阿房列車」(新潮文庫/古書200円)です。用事もないのに、ひょいと列車に乗る行程を「阿房列車」と命名、弟子の”ヒマラヤ山系”と旅に出た記録です。二人の軽妙洒脱な会話が楽しめて、旅のお供にピッタリの一冊ではないでしょうか。文庫本の表紙の内田センセはいかめしい顔つきで立っています。

これが、一條裕子によって漫画化され、3巻まで出版されました。第1巻「阿房列車1号」(小学館/古書500円)を入荷しました。どこか浮世離れしていて、小難しいけれでも、ユーモアもある作家として描かれています。

用事もないのに、長距離列車に乗るのだから、一等席をリザーブしたい、しかし、お金がなければ三等席もやむなしか。しかし、二等席には坐りたくない。

「どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである」などと、へ理屈をこね回しながら、ああでもない、こうでもないと悩む内田センセの姿が、可愛らしい。内田の無理難題と、わがままぶりに笑いながら、私たちも、この意味のない、しかし極上の旅に参加することになります。

原作にある「鹿児島阿房列車」の巻頭の文章が、私は好きです。

「六月晦日、宵の九時、電気機関車が一声嘶いて、汽車が動き出した。第三七列車博多行各等急行筑紫号の一等コムパアトに、私は国有鉄道のヒマラヤ山系君と乗っている」

「快調で無駄のない出だし」と森まゆみが解説で指摘しています。きりっと引き締まった文体が魅力の、鉄道紀行文学の雰囲気を漫画版も踏襲しています。というより、原作に魅力があるから、コミックに姿を変えても面白いのでしょう。何より列車の絵が上手い。後半(112p)に「西日を受けて 金色にきらきら光るレールの上を走って、第三四列車が這入って来た。」という文章に登場する電気機関車は、その通り、日の光りを一杯受けてきらきら走ります。

原作から読んでも良し。コミックから読んでも良しという「阿房列車」です。