ジャズを聞かない方でも、ナベさんこと渡辺貞夫の名前はご存知だと思います。1933年生まれのアルトサックス奏者。父親は薩摩琵琶奏者です。若い時にアメリカに渡り、ジャズを学び、帰国後、日本ジャズ界のトップランナーとして走り続けてきました。
そんな彼が、何と全曲バッハの曲に挑戦したのが「sadao plays Bach」(CD・中古1600円)です。今まで、多くのジャズミュージシャンがクラシックに挑戦してきましたが、どれも違和感がありました。古典音楽に挑戦しようとする高い意識が張り詰めたアルバムばかりで、聴いていてしんどくなるのです。
その点ナベさんは、彼のバッハへ、というか音楽への愛が溢れていて、クラシックなのに「ご機嫌な」気分にさせてもらえます。柔らかい視線、微笑みを絶やさない口元がトレードマークのナベさんの人間性が、そのサックスの音に現れているのですね。
このアルバムは、2000年8月のライブ録音。響きの良いことで有名なサントリーホールなのですが、柔らかなサックスの音が心地よく響いてきます。全曲、ピアノの小林道夫とのデュオローブです。バッハのフルートソナタをアルトサックスに置き換えて演奏しています。美しい音楽というのは、こういうサウンドのことを言うのだと思います。
驚くべきことは、アンコールでブラジル音楽の第一人者アントニオ・C・ジョビンの曲を演奏するのですが、そこまでのバッハの曲と何ら違和感がないところです。ナベさんにとって、バッハもジョビンも関係なく、ひたすら素敵な音楽を演奏することが幸せなのだと思います。彼が感じた幸せを、私たちにもおすそ分けしてもらいましょう。
ジャズ喫茶ベイシーの菅原正二は、このアルバムについてこんなことを書いています。
「『しあわせ』を手にした方々に、より『しあわせ』になる方法を教えます。それは、このアルバム、何時間でもかけっ放しにしておくことです。太陽のまわりを回る惑星軌道のように円を描き、終わりのない『しあわせ』が持続するからであります。ちなみに僕は12時間というのが今のところの最長記録で、いずれ記録を更新したい」
しばらく店でかけ続けることにします。
久々にCDのご紹介です。暑いからボサノヴァ!などという素人(?)選曲ではありません。
一つ目は、オランダの歌姫アン・バートンです。1966年から1988年までのラジオ局での録音を集めた「メモリアルアルバム1966-1988 」(国内プレス/1600円)。ジャズボーカルというと、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ボーン、あるいはビリー・ホリディの名前が上がりますが、このクソ暑い時期には聴く気分にはなりません。エラが、あの巨体でシャバダバ、シャバダバ♩で迫ってこられると、ちょっと遠慮させてくださいと言いたくなりません?
その点、アン・バートンは、ぐいぐいと迫ってくることはありません。地味で、大人しい音楽です。そこには静寂とある種の倦怠感のような落ち着きが漂っています。そして彼女のバラード曲に流れる哀愁。そっと寄り添ってくる大人な雰囲気。こんな音楽を、真夏の夜の友としたいものです。当店では、アン・バートンは人気のシンガーで、過去何度かCDを入荷しましたが、すべて売切れています。渋い趣味の方が多いみたいです。
次にご紹介するのは、グラディ・テイトの「風のささやき」(国内プレス/1700円)です。グラディ・テイトをご存知の方は、余程のジャズファンだと思います。元々はドラマーで、多くのジャズアルバムでドラムソロなんて滅多にやらずに、しっかりと音楽を支えて来たミュージシャンです。その彼がボーカリストとして吹き込んだのが本作です。夏の午睡には、これとビール、その二つさえあれば幸せになれるはず。
アルバムタイトルの「風のささやき」は、S・マックィーン主演の映画「華麗なる駆け」の主題歌として有名な曲です。ゆっくりと、囁くように歌い始め、ストリングスオーケストラが絡んでくるあたりで、ゆっくり昼寝ができそうです。黒人シンガーらしいシャウトする曲もあるのですが、ギラギラした感じがなく、汗をかくことはありません。ビタースィートな心地よさ、タイトなリズムでリスナーを包んでくれます。
★連休のご案内 8月5日(月))6日(火)は恒例「レティシア書房 夏の古本市」(8/7〜8/18 参加27店舗)の準備のためにお休みさせていただきます。
当店で配布しているJAZZの無料ペーパー「WAY OUT WEST」というミニコミ紙から、影響を受けたジャズの本を3冊選んでくださいという企画がありました。何を紹介したかは次号をご覧いただくとして、ジャズプレイヤーとしても、人間としても、この凄味と深い思想には、敵わないと思える人物が一人います。
ピアニスト、作曲家、オーケストラ指揮者の秋吉敏子。大学時代のこと、高野悦子の「二十歳の原点」にも登場するジャズ喫茶「シアンクレール」で、煙草プカプカさせながら、うつらうつらジャズを聴いていた時、いきなり小鼓と大鼓の音が巨大なスピーカーから流れてきました。なんだ、なんだ、ここは邦楽も鳴らすのか?と思っていたら、まるで尺八みたいなフルートが流れてきたのです。そして分厚いホーンセクションが、能の地謡みたいな重々しいサウンドを奏で出しました。
レコードを見せてもらうと、「秋吉敏子&ルー・タバキンビッグバンド/孤軍」と書かれていました。ここからです、彼女の音楽家としての人生に興味を持ったのは。1956年、たった一人で渡米して、ジャズプレイヤーとしての修行が始まります。日本から来た女性ということで、バカにされたり差別されたりした事がたくさんあったと思いますが、着々と頭角を表わし、なんと自分のオーケストラを持つに至りました。しかも、このオーケストラは、彼女の作曲したものしか演奏しない、スタンダードナンバーなんて絶対にやらないという、あり得ないビッグバンドです。
当然「孤軍」も彼女の作曲です。おそらく、たった一人でアメリカで音楽を追求した自分の人生を象徴させたタイトルなんでしょう。深く心に突き刺さってくる音楽です。このアルバムの2年後、「インサイツ」という作品を発表。この中に「ミナマタ」という組曲が入っていました。観世寿夫、亀井忠雄らの能楽家も参加したこの曲は、タイトルから分かるように水俣の公害病と、病に苦しむ街を音楽で表現したものです。凄いな、ジャズでここまでやるんだ!と驚きました。
その後、「ヒロシマーそして終焉から」とうアルバムで、未来の平和を祈るアルバムを発表します。原爆記念日の8月6日、ヒロシマでお披露目公演が行われ、CD化されました(1300円)。曲は三章に分かれていて、第二章で、重森涼子さんが原爆落下直後の惨状を朗読します。そして、第三章では「これは原爆の無い世界、そして願わくは平和な世界を、と云う、広島からの愛と希望を込めた、全世界へのメッセージです」というナレーションと共に、力強いジャズサウンドが爆発します。会場にいた人達は恐ろしいほど深い感動に包まれたことでしょう。
1929年満州生まれ、今年88歳。長い人生をひたむきにジャズに生きてきた女性です。彼女の音楽に出会えたことに感謝します。
蛇足ながら、you tubeで彼女のオーケストラと和太鼓奏者林栄哲のNYでのコラボライブが観ることができます。夫君ルー・タバキンと林の凄まじいアドリブはジャズも、邦楽も飛び越した唯一無比の音楽を作り出しています。
なお「孤軍」はアナログレコードのみ在庫があります。(800円)
★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。
本日より「映画が映画だった時代への憧憬」が始まりました。北岡広子さんのシネマ、ジャズをテーマにした銅版画に、店主が集めたジャズ、映画に関する本やCDをぶつけてみました。
シネマの方は、フランスの女優ジャンヌ・モローや、映画「男と女」の名シーンを版画にした作品等が並びました。一方ジャズは、マイルス、コルトレーン、エバンスらのトップミュージシャンからインスパイアされた版画作品が並んでいます。
わたくし、店主の方からは古今東西の映画本、サントラCD、LP、映画パンフレット、チラシなどを並べてみました。LPは「男と女」、「ロシュフォールの恋人たち」、「死刑台のエレベーター」などの秀逸なデザインのものを展示即売。
この展示会につけた「映画が映画だった時代」というタイトルにはちょっと思いをこめました。3Dもなければ、CGもない、いわば映画黄金の時代に、新鮮な映像表現に挑んだ映画作家たち。フランスではヌーベルバーグ、アメリカではニューシネマのムーブメントの中、既存の映画をぶち壊そうとして、徹底的にシナリオを練り上げ、完璧な演技を演出する世代の作品がシノギを削った時代です。幸せな時を映画館で過ごした我ら二人のコラボをお楽しみ頂けたらと思っています。
ところで、昨晩TVのBSで「ブリット」を放映していました。もう何度観たことか。結婚してからも女房と5〜6回は観ていて、「なんで、こんなに面白いんだろう」と二人で話していました。完璧なシナリオ、究極のクールな演出で、主演のスティーブ・マックィーンという存在を使い切った映画だからこそでしょう。役者に託す部分が多いというのは、少し時間がゆったりしないとなかなかうまくいきません。そういう映画が今は少なくなった気がします。それに、有名なカーチェイスシーンにおいて、音楽なし、殺し屋の台詞なしなんて演出は、最近のハリウッドではあまりお目にかかれません。インターネット普及以前の通信手段が電話とテレックスというのも味があります。情報の速度が増すと、演出もそれだけ忙しくなるのは仕方ないことかもしれません。
と言う事で、昨日から店内の配置換えを行ってます。文庫、ミニプレスが増えたことや、年末に到着した多くの文芸書を出すために、ギックリ腰に注意しながら始めました。3日は棚の移動。本日4日、朝から本の移動とディスプレイです。ギャラリーの個展は8日(火)から、「ひらやまなみ木版画展 空と樹」が始まります。5(土)、6(日)の二日間はギャラリースペースにて絵本&児童書のフェアを展開します。お時間あればお立ち寄り下さい。
さて、今年最初に観た映画は「情熱のピアニズム」。ジャズピアニスト、ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリーです。生まれつき骨形成不全症という障害を背負い、このため彼の身長は成長期になっても1メートルほどにしか伸びず、骨はもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられます。スポーツ、野外活動が全く出来きませんでした。しかし、ジャズピアニストだった父親の影響でペトルチアーニの関心はもっぱら音楽に向けられるようになり、デューク・エリントンの音楽との出会いからジャズに傾倒し、ピアニストへの道を歩み始めます。
たった1メートル弱の身長で、つまり満足にフットペダルも踏むことができない、さらに骨がもろいゆえに叩き付けるようなパーカッシブなタッチが弾けないハンディを持ちながら、恐ろしく早い速度で情熱的な曲を演奏するかと思えば、美しいバラードも弾くというピアニストでした。その一方、多くの女性と恋をして、結婚、そして二世も誕生しました。ペトルチアーニのことは以前から知っていましたが、同じ様な障害を持った子どもがいたことは知りませんでした。映画は、彼の誕生から、36歳でこの世を去るまでを、本人や関係者へのインタビュー、ライブシーンを巧みに編集して追いかけます。自信家、悦楽主義者、女性問題を始終抱え込む好色家と様々なレッテルが貼られそうな人物ですが、彼はこう言っています
「フツーの人間がこの位置なら、その下にいるのが奇異な人。フツーの人の上にいるのが特別な人。私はその特別な人になる。」
ちょっと聴くと、硬質の冷え冷えとしたタッチのピアノの音ですが、その奥に広がる豊穣な世界に引き込まれると虜になってしまうサウンドは、「特別な人」にしか演奏できません。店にはエリントンの曲をソロで演奏したCDがありますので、良かったら聴いてみて下さい。