韓国の作家チョン・イヒョンの「優しい暴力の時代」(河出書房新社/古書1600円)を推薦します。類い稀なストーリーテーラーと高い評価を得ているチョンの7作品と、韓国現代文学賞を受賞した「三豊百貨店」を加えた日本オリジナルの短編集として発売されました。

ぬいぐるみの動物と暮らす青年の元へやってきた亀との日常を描く「ミス・チョと僕と亀」が最初に載っています。

「亀は僕の方を見ないでのろ、のろ、と僕が立っているのとは反対方向へ這っていった。ふいに、もうすぐ誕生日だということに気づいた。今や僕は、十七歳のアルブダラゾウガメと、猫の形のぬいぐるみを持つ四十歳の男になるのだ。それ以外何も持っていないという意味だ。」

「岩」と名付けられた亀と、シャクシャクという名のぬいぐるみと、僕の不思議な関係。モノクロームな風景が広がってゆきます。

ファンタジーと言ってもよい二人の少女の青春を描いた「ずうっと、夏」は、架空のKという国で展開します。一夏の成長物語というには、あまりにも痛みの多すぎる物語です。一年中、夏という国Kにとじ込まれた少女が、自分とは何者かを知る小説だと思います。

「一九九五年六月二十九日木曜日、午後五時五十五分、端草区端草洞一六七五-三番地の三豊百貨店が崩壊した。一階部分が崩れ落ちるのにかかった時間は、一秒にすぎなかった。」

という文章で始まる「三豊百貨店」は、実際に起きた三豊百貨店の崩壊事故を、事故から10年後に振り返って描いた作品です。この百貨店は韓国バブルの象徴で、安全性を無視した設計と手抜き工事で崩壊、多くの犠牲者を出しました。著者自身、この百貨店は馴染みの場所だったみたいで、ノスタルジーも含めて、ここで働くデパートガールと、彼女と仲良くなった就活中の女性の交流を描いていきます。

「今もときどきその前を通り過ぎる。胸の片すみがぎゅっと締めつけられる時もあれば、そうでないときもある。故郷が常に、心から懐かしいばかりの場所とは限るまい」

様々な人生があり、そこで生きて死んでゆく、そのレクイエムとも呼べる作品集だと思います。

「ミス・チョと僕と亀」の最後の言葉はこうです。

「それでも僕たちは生きていくだろうし、ゆっくりと消滅していくだろう」