2005年に出た「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」以来、ノンフィクション作家として着実な歩みを続けている梯久美子。「狂うひとー『死の棘』の妻・島尾ミホ」「原民喜 生と死と孤独の青春」と傑作を出しています。

そして今回は樺太、サハリンと呼ばれている北方の島。大日本帝国時代は、半分が日本の領土で国境線が引かれていた場所です。この地には北原白秋、林芙美子が訪れました。また宮沢賢治は、最愛の妹トシを亡くした翌年に、故郷花巻からトシの魂を求めてこの地を旅し、多くの詩を残しています。日本人だけに留まらず、チェーホフもやってきていました。この地の何が彼らを惹きつけるのか、その答えを探しに、鉄道大好きの筆者が二度に渡ってサハリンを旅したのが「サガレン 樺太・サハリン境界を旅する」(角川書店/古書1300円)です。

筆者は鉄ちゃんですが、中でも廃線跡を歩くのが好きで、しかもそこに掛かっていた橋を見つける橋梁派であり、今回の旅でも、もう使われることもなく放置された橋に出会っています。「失われた鉄路を歩くことは、時間をさかのぼって旅をすることなのだ」と書いています。第一部は、寝台急行に乗車して、北へ、北へと旅するルポルタージュ。筆者も大好きな大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」を聴きながら読みたい紀行エッセイです。

第二部は、この地を旅した宮沢賢治をめぐる文学的ルポルタージュです。1923年、賢治は樺太へと旅立ちます。この鉄道の旅が、後年の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったのではないかと言われています。その前年に妹トシを亡くし、死者の魂を追いかけて北に向かったというのが定説になっていますが、

「正直言って、私にはいまひとつピンとこなかった。妹がなくなったのは生まれ育った花巻で、墓もそこにある。樺太には縁もゆかりもないし、死んだ人の魂が北方へ行くという考え方も、一般的なものではないように思う。」

きっと鉄道好きだった賢治が、日本最北の地まで汽車に乗りたかっただけという筆者の考え方に、私も納得しました。賢治の旅した行程を丹念にトレースし、彼が見たもの、聞いたものを探しながら、この地で書かれた賢治の詩を丁寧に解読していきます。この地を舞台にした作品に暗澹たるものが多数あったのですが、喪失から、新たな希望を見つけるのが彼の旅だったのです。この本のおかげでよくわかりました。

「見知らぬ土地で偶然に出会うさまざまなものたちー植物や動物、ふれあった人々、そしてときには空の色や空気の感触までーに、つかのまであれ救われ、力をもらうのが旅というものだ。」

トシの魂を追い求め、自らの死も覚悟した旅という定説を打ち破り、賢治を解放した一冊とも言えます。賢治ファンは必読です!

なお、本書のタイトルを「サハリン」ではなく、「サガレン」としたのは、賢治がそう呼んだからであり、ここを舞台にした「サガレンと八月」という未刊の小説もあるからだ、と筆者は最後に補足しています。

 

 

読み応え十分のノンフィクション。ピュリッツアー賞を受賞しただけの価値のある一冊「その名を暴け」(新潮社/古書1500円)。ニューヨーク・タイムズの新聞記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーの二人が追いかけたのは、ハリウッドで絶大な権力を誇る映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン。辣腕プロデューサーとして傑作映画を製作する一方で、自らの権力を利用して、女優や、女性従業員に対して性的行為に及び、バレそうになると示談金を提示し、そのことを口外しないように迫りました。

ハリウッドに君臨するワインスタインについて、地道な調査をし、被害者に会い、被害を取材させてくれるまで粘り続け、事実を積み重ね、記事を作り上げるまでの数年間の苦闘をまとめたのが本書です。この記事が、その後アメリカから全世界へと広がった「#MeToo運動」に火をつけたのです。

アメリカの新聞記者による傑作ノンフィクションといえば、ワシントンポストの二人の若い新聞記者がニクソン大統領の民主党盗聴事件を追いかけた「大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日」がありますが、それに負けない力作です。性被害を受けた女性たちの精神的苦痛をいかに和らげられるか、公開を前提に取材してゆく記者たちの苦労と、今こそ自分たちが受けた苦痛を世に公開すべきか、せざるべきかで悩む被害者たちの人生が、かなり細かく描かれています。だから、性犯罪のリアルなシーンも当然出てきます。読むのが辛いと思われる方もおられるかもしれません。

記者のミーガンは、取材のために、それまで何度も「招かれてもしていない家を訪問し、玄関扉を叩いたが、毎回心が重かった。」と書いています。そして、今回も「大きな木の扉を叩きながら、自分が他人の静かな生活へ押し入っていくような気がしてならなかった。」と感じていました。それでも、彼女たちは取材を続けました。

調査が進んでいき、いよいよ記事公開へ。ワインスタインが持てる力を駆使して、記事の公開中止を画策しますが、二人の記者とニューヨーク・タイムズは一歩も引きません。公開寸前のギリギリの攻防の描写はもう映画を見ているようです。

ワインスタインが役をあてがう代償として、肉体関係を要求する「キャスティング・カウチ」の虐待を行ない、それが組織化されていたことが白日の下にさらされます。彼はハリウッドを去り、検察当局から訴追されました。

400ページ余の本書を読み終えた時、あぁ〜この本はきっと野心的な女優、もしくは女性プロデューサーが映画化するだろうなぁ、と思いました。いや、ぜひして欲しいです。二人を管理する上司の編集者コルベット役は、きっと多くの女優がやりたいと手を挙げるでしょう。

最後に、著者の二人は「謝辞」をこんな言葉で締めくくっています。

「わたしたちの娘たち、そしてみなさんのお嬢さんたちへ。あなた方が職場やそのほかの場で、常に敬意と尊厳を受けられますように」

全世界へ向けられたメッセージです。

 

「強くなることが使命・・・・使命までいくか分からないですけれど、自分のすべきことだと思います。どのような景色が見えるのか。強くならなきゃいけないと思っています。将棋は奥が深い。強くなっても、強くなった先にある深遠さを見ていたいです。」

弱冠15歳の藤井聡太の言葉です。ベテランの棋士が言うならいざしらず、15才過ぎの青春真っ盛りの青年から、強くなった先にある深遠さを見ていたい、なんてセリフが出てきますか? なんとも凄味があります。

北野新太著「等身の棋士」(ミシマ社1728円)は、藤井聡太、羽生善治等の棋士へのインタビューと、対戦の日々をドキュメントしたノンフィクションです。私は、将棋のことは全く知らないし、やったこともありません。でも、これは面白かった。100%理解できたとは言えませんが、肉体と精神のギリギリのところで、勝負している人達がいることに驚かされました。

「棋士という二文字は『将棋を指す侍』を示している。プロ棋士という言葉を散見されるが、厳密には誤用である。力士と同じように、棋士という単語はプロフェッショナルであることを示す意味が初めから内包している。アマチュア棋士はいない」

勝つか負けるか、喰うか喰われるか、の世界です。筆者は、藤井や羽生といった人気の棋士だけでなく、非情な世界で生き抜く男達、そして女達を追いかけていきます。

驚いたのは、ワルシャワから日本に来て、女流棋士を目指すカロリーナ・ステチェンカという女性でした。彼女は15年12月、女流名人戦で山口恵梨子初段に敗れ、デビュー戦を飾れませんでした。遥か彼方の異国から、将棋を指しにこさせる原動力は如何なるものなのか興味は尽きません。

「等身の棋士」には、今まで読んだスポーツノンフィクションの傑作、例えば山際淳司の野球もの、沢木耕太郎のボクシングものと同じような匂いがします。簡潔でストイックな文体が、登場する男たち、女たちの心の襞を捉えていく手法です。

「かつて羽生は言ったんだ。将棋には人をおかしくさせる何かがあると。」

そんな奥深い暗闇でもがき続ける勝負師たちにストレートに立ち向かった筆者の愛情が溢れたノンフィクションです。

なお筆者には、ミシマ社からもう一冊「透明の棋士」(1080円)があります。こちらもどうぞ。

 

1925年。ベーリング海峡を挟んでシベリア目前のアラスカの北西端に位置する小さな町ノーム。その町にとんでもない疫病が、襲いかかろうとしていました。ジフテリアです。

この病気に対抗できる唯一の手段は「ジフテリア抗毒素血清」なのですが、運悪く、町の診療所にある血清は期限切れでした。さらに、厳寒の悪天候で、港は氷結し、接岸不可能。視界ゼロで飛行機に輸送も出来ないという八方ふさがりの状況。

たった一つ、残された手段は犬ぞりによる血清搬送だけ。そして、様々な思惑はあるものの、立上がった30人の猛者たちと犬が、氷点下50度の危険極まりない氷原の疾走を開始する。もう、ここまででスペクタクル感動映画のオープニングみたいですね。これ、ゲイ・ソールズベリー&レニー・ソールズベリーによるノンフィクション「ユーコンの疾走」(光文社文庫450円)なのです。真っ白な氷原を疾駆する犬ぞりの写真は表紙に使用されていますが、犬好きには、涙ものです。

血清を運んだ距離はというと、本の中に載っている地図を見ると、気が遠くなります。このコース最大の難所、強風と生き物のように絶えず変化する氷に満ちたノートン灣を突っきって行く「氷の工場」はクライマックスです。

「気がつけば、彼は白い世界に取り囲まれていた。ホワイトアウトだ。前方に見えていたはずの水平線は、嵐の吹き荒れる曇空と、ブルーベリーヒルズの無限に続く白い僚線との間に飲み込まれてしまった。」

という状況下、この地を熟知している犬たちがひたすら走り続けていきます。空輸による血清搬送に期待していた州知事は、こう新聞に語っています。

「航空機は可能なときに飛び立つが、犬たちは可能であれ不可能であれトレイルへ飛び出していく。彼等にはただ敬服するのみである」

しかし、その後のテクノロジーの開発で、いかなる天候下でも飛行機による救出が可能になり、犬たちによる搬送は伝説になりました。この本のラストが素敵です。当時の搬送に加わった犬ぞりドライバーで最後の生き残りエドガー・ノルナーが99年1月この世を去ります。その数年前、通信社のインタビューにこう答えています。

「人助けがしたかった、ただそれだけのことさ」

なんか、渋い役者ばかりで、全編アラスカロケといった形で映像化していただきたいものです。

 

 

 

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