「もしも/人の身体に鋼の刃がくいこんで/人の血が流れたとしても/それはそのうち/夕陽の鮮やかな色を浴びて/そして明日には/その血の跡を 雨が洗い流してしまう。/それが意味するものは、たぶん命をかけた諍いに/けりがつけられたという/ただそれだけの事。/暴力からはなにも始まらないのに。/一度だって、なかったのに……./この怒り狂った星の上で/生を受けた全ての命が/とてもとても/脆くて壊れやすいものだということを/決して忘れたりしてはならないのに」

朝鮮半島や中近東で睨み合っている政治家たちにぜひ読ませたい詩句です。これ、ロックシンガー、スティングの名曲「フラジャイル」です。

音羽信の著書「愛歌」(未知谷1800円)は、60年代から最近までのロックの曲を取り上げて、歌詞の一部をもとに、その時代がシンガーに与えたものを解説したものです。ロックを全く知らない人にこそ読んでもらいたいと思います。戦争、飢饉、暴動、差別等々、様々な形で牙を剥く暴力を、歌い手たちがどのように受け止め、歌ったのかが語られています。

1992年、ボブ・ディランレコードデビュー30周年コンサートで、ゲスト参加していたシニード・オコナーという女性シンガーが、恐ろしい程のブーイングを受けました。彼女はその直前に、幼児虐待に対するバチカンのローマ・カトリック教会とローマ法王の姿勢に抗議したため、全米から批判され、このコンサートでも起こったブーイングでした。彼女は騒然として歌う事が出来なくなった会場で、毅然とした態度で、たった一人歌いました。

「あらゆる人種差別、階級差別、幼児虐待。基本的人権を侵害するあらゆる差別や暴力が根絶されるまで、世界はどこだって戦争状態にあるんだ。それらが撲滅されるまで、私は戦う」

これは、ジャマイカを代表する歌手、ボブ・マーリーの「WAR」の一部でした。著者は、「こんな客をつくるためにロックがあったのではなかったはず。」とこのブーイングに憤慨しています。

著者の音羽信は、70年代に一枚だけアルバムを発表して、スペインに住まいを移し、音楽シーンから消えた人物です。そんな彼の、いわば、ロックと共に生きた半生記です。でも、音楽ファン向けのレコード紹介でもなければ、マニア向けの些細な情報本でもありません。

多くのロッカーが歌った愛歌は、「人や人生を愛し、自分や誰かを含めたみんなが、今よりすこしでもマシになることを願って歌われた、人が生きる場所の今と明日と、そこにあっていいはずの美を愛する歌」だと断言しています。かなりベタな言い回しですが、真実であることは間違いありません。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ  明日4月17日(月)と18日(火)連休いたします。

 19日(水)〜23日(日) 上仲竜太イラスト展「ひとり旅」を開催します。

「耳のなかで縛られた真紅の焔が/高くころがり大きなワナ/焔の道に火とともに跳ねる/思想をわたしの地図としながら。/「せとぎわであろう、じきに」とわたしは言った/ひたいをあつくして誇らかに。/ああ、あのときわたしは今よりもふけていて/今はあのときよりも ずっとわかい」

象徴詩のような言葉が並んでいますが、最後のフレーズで音楽好きの人には、あ〜あれか、とピンと来るでしょう。そう、ボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」の一番の歌詞です。なんのこっちゃ理解不能にもかかわらず、”Ah , but I was so much older then ,I’m younger than that now.”というリフレインに心躍らされて来ました。

大学時代に初めて聴いて、衝撃を受けて、片桐ユズルの翻訳した分厚い詩集を買って、解った様な気分でキャンパスを闊歩していたことを思いだします。しかし、その後、ディランは、うっとおしい存在になったり、聴きたくもなくなったり、しかし、急にのめり込んだりという事を繰り返してきました。ボブ・ディランというミュージシャンは、私にとって不思議な人です。

思うに、気分的に後ろ向きの時とか、やましい時なんかに、ディランは忍びこんでくるのかもしれません。だからと言って、癒してくれるとか慰めてくれるとか、そんなことはありません。その時のそのままの姿を肯定してくれて、ま、そんなものでしょう、とため息混じりに去ってゆく・・・ような気がします。

64年、ディランはこんな言葉を残しています

「内側から素直に出て来る歌だけを歌いたい。歩いたり、話したりするのと同じように歌が書きたいのさ」

彼の言葉を集めた「自由に生きる言葉」(イーストプレス600円)には、そんな言葉がギッシリ詰まっています。

私のお薦めはアルバム”SLOW TRAIN COMING”(US盤800円)です。

「ぐだぐだ言わず、働いて、安酒飲んで寝ちまえ」みたいな積極的後ろ向き人生を歌ってくれているのが、心地よいアルバムです。忌野清志郎が、名曲「いい事ばかり ありゃしない」で、「新宿駅のベンチでウトウト、吉祥寺あたりで ゲロ吐いて すっかり 酔いも 醒めちまった 涙ぐんでも はじまらねえ 金が欲しくて働いて 眠るだけ」と歌っていますが、あの気分です。

でも、そんな歌こそが、ほんの、ほんの少しだけの生きる力を与えてくれると思うのです。

 

 

「もう 月も 星々も すっかり隠れはじめ 女まじない師でさえ 商売道具を片づけている カインとアベル ノートルダムのせむし男をのぞけば みんなセックスをしたり そうでなければ あてもなく雨を望んでいる サマリア人はとっておきのドレスを着こんで ショーの出番を待っている 彼が行くカーニバルは 今夜の 廃墟の街だ」

こんなさっぱり意味不明の詩が、延々11分も続くボブ・ディランの「廃墟の街」。多くの人が訳詞に挑戦し、くだけ散った曲です。マンハッタンの地獄を綴った、ジム・キャロルの「夢うつつ」(晶文社900円)のごときドラッグポエトリーの世界なのか、F・フェリーニが描く万華鏡のように変幻する映画の世界なのか、私には理解できません。ところが、何度聞いてもこの曲が、不思議なことに心の奥に染み込むのは何故でしょうか。孤独に苛まれたり、不安にいら立つ時、この曲は救い上げる力を持っているのです。

一方、ディランの詩とは正反対に、全く平易な言葉だけで綴られた阪田寛夫の「含羞詩集」(河出書房400円)にも、さぁ!と手を差し伸べる詩をみつけました

 

「うるさいな  朝からおはよう、おはようって  おまえらいったい、なんの用?  用はないけど、ただ、おはよう  きのうは土曜、きょうは日曜  さあ行くよう、って  雨上がりの地めんから、いい匂いが  空へのぼっていった」

スニーカーの紐をぎゅっとしめて、威勢良く飛び出したくなりませんか?

もちろん、ディランの曲も、この詩も、それがどうしたの?と何も感じない方もおられるでしょう。その人には、その人にだけ響く言葉や、メロディーがあるはず。ならば、それが少ないよりは、多い方が豊かな日常が送れるはずだと思います。

誠に勝手ながら、レティシア書房は9月1日(月)〜5日(金)まで臨時休業させて頂きます。よろしくお願いいたします。

 

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