現在店内で展開中の「ミシマ社フェア」の本命商品、安田登「三流のすすめ」(1760円)を会期中に読むことができました。

「本書がめざす人物像は『三流の人』です。三流の人になりましょう!というのが本書の主張です。」ただし、「一流」はもちろん素晴らしいし、目指すことは価値があり、それを否定してはいるわけではありません。

では、著者のいう「三流の人」とは何か?

三流人の理論と実践を、古今東西の古典などから解説していきますが、のっけから、こんな文章にぶつかります。

「いいですか。ここのところをよく覚えておいてください。三流をめざすと、なにもものになりませんせんし、ほとんどのことは役に立ちません。」

おいおい、そんな本を読むのか、と思われるかもしれませんが、コロナでこれまでの社会のあり方や生き方、働き方を木っ端微塵にされた今、これからのあるべき姿は、一流を目指すのではなく、「三流の人」なのです。

三流の人をめざすためには、「ほめられようとしない」「そしられても気にしない」というのは大事だと書かれています。会社にいる間は、昇進を重ね仕事ぶりを認められていた男性が、退職後、地域の活動やデイケアで浮いてしまうことが多々あります。

「会社の中でほめられたり、おだてられたりする機会が多かったのでしょう。会社をやめた後でもそれを期待してしまう。そうするとこういう人になってしまいます。ですから、ある年齢になったら『もう自分はほめられることはのぞまないようにしよう』と決める。かりにほめる人がいても『本心は違うんだ』と思うようにする。」

さて、本書の肝は、第四章以降にあります。四章は「三流の聖典『論語』」です。

「『論語』が三流だなんて言うと怒る人もいると思うのですが、じつは孔子こそ三流人の代表です」と著者は断言しています。ここから、「論語」やその他の中国の古典がどんどん登場してきます。

なんか、難しそう? いえいえ、そんなことは全くありません。漢字大嫌いの私が納得できたのですから、著者の教え方が巧いと言うことですね。

読み終わるのに時間がかかったのは、四章以降をゆっくりと、着実に読んだからかもしれません。

無理やり盛り上げようとキャンキャン騒ぐキャスターのTVオリンピック報道なんぞ消して(しつこく言ってますが)、中国古典の世界に入り込んでください。ミシマ社三島邦弘社長の本展挨拶文に書かれた「あら、三流って楽しいかもね」という言葉に実感が持てますよ。

 

本日より、安田登著「三流のすすめ」発売記念「ミシマ社フェア」が始まりました。2018年に、ミシマ社のフェアを初めて開催した時同様、今回もギャラリーの壁一面、平台も全部を使い、スタッフ五人が数時間かかって製作してくれました。ご苦労様でした。

安田登氏は能楽師ですが、能楽以外にも多くのジャンルに足を突っ込みながら、面白い著作を連発しています。今回のテーマは「三流」。ご丁寧にミシマ社三島社長が、自らも三流出版社と名乗りをあげる挨拶文を掲げてくださいました。

「三流」とは何か?は、ぜひこの本を読んでいただきたいのですが、店内に「三流人の特徴」が貼ってあります。項目は以下の通りです。

「・飽きっぽい ・ものにならない ・役に立たない ・評価をされない ・求めない ・短絡的 ・究めない」

私などは、見事に合格です。あ、私もそうかもと思われたら、ぜひ一度遊びに来てください。

「ミシマ社のここが三流」と題して具体的事例が写真と共に説明されています。曰く、「オンライン配信をすぐに事業化しちゃう」し、「いろんなジャンルに手を出しちゃう」し、「場所関係なくどこでも本を売っちゃう」し、「シリーズ物が動かず……」だし、「本作り以外のことにも手を出しちゃう」し、「本じゃないものも作っちゃう」など。でも、だからこそ、近年、とても内容のある素敵な本を世に送ることが可能だったということですね。常に楽しく、自由に本を作っている出版社の雰囲気が展示からも伝わってきます。そんな同社が誇る傑作が、所狭しと並んでいます。

そして、「京都書店MAP」の最新バージョンがお目見えです。全て手作りの京都市内地図に、点在する書店を描きこまれた地図は、もう「作品」と言ってしまいましょう。まだ、見たことのない方は、この機会に是非にも見てきてください!

このMAPには、ミシマ社とおつきあいのある京都の書店が「ミシマ社とは?」という問いに対するコメントを寄せています。

「新しい考え方、生き方を提供する柔軟思考の出版社」これは、私のコメントです。本当に、硬直した頭や心を解きほぐすのに最適の本が揃っています。

メッキのハゲたオリンピックなんか観ないで、この夏はミシマ社の本を読みましょう。本企画は、オリンピック終了の8月8日(日)まで、しつこくやってます。

 

ミシマ社から出た網代幸介「手紙がきたな きしししし」(新刊/1980円)は、子供が読んでも、大人が読んでも、ヒヤヒヤ、ワクワク、そしてハハハッと声を出してしまいそうな絵本です。

古い謎の洋館。そこに手紙を届ける郵便配達のおじさんは、なんか嫌だなぁ〜と思いながら、館内に入っていきます。「きししし」という不気味な音、この洋館に住むお化けたちがぞろぞろと出てきます。手紙がきたことに喜ぶお化けたちは盛り上がり、ついに手紙は最上階に住む主人のところに届くのですが……..。

奥行きと重厚感のある絵は、ファンタジーに説得力を持たせ、おどろおどろしさと、可愛らしさと、はちゃめちゃ感が絶妙にブレンドされています。夢から醒めたようなラストの展開も洒落ています。

雑誌「美術手帖」に、「網代幸介は1980年生まれ。古代文明やヨーロッパ中世に描かれた遺物や神話、寓話などから影響を受け、想像上の人や動物を描いた絵画を中心に、独自の物語を題材とした立体作品やアニメーションなどを制作。作品のなかに経年劣化による物の存在感や朽ち果てていくはかなさを投影し、幻想とリアリティのあいだを表現している。東京を拠点に活動し、これまで国内外で作品を発表。アートワークの提供や装画、演劇のヴィジュアルなども手がけている。」と横顔が紹介されていました。

トホホな表情の郵便配達人と、ドラキュラ伯爵が住んでいそうな、朽ち果てる一歩手前の洋館。次から次へと登場する妖怪たちは、手紙がきた!と舞台で踊りまくり、それにやんややんやと拍手を送る観客のお化けたち。手紙が飛び交い、郵便配達人まで、舞台に引っ張りあげられてしまいます。

子供の時、ちょっと怖いけど、スクリーンに見入っていた暗い映画館の雰囲気を思い出します。

三条京阪近くのギャラリーnowakiさんで、現在この原画を中心にした作品展が始まっています。私も観にいきましたが、やはり原画の迫力は違いますよ!! ぜひ!(7月5日まで)

 

数年前に「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社売切れ)という本をブログで紹介しました。大量生産・大量消費システムの大きな渦の中で、これはおかしい?と思ったパン職人の渡邉格が、自らが目指すパン屋を開店させるまでを描いた本でした。その第二弾とでもいうべき本が、ミシマ社より刊行されました。それが「菌の声を聴け」(新刊/1980円)です。

自家製酵母と国産小麦で、オリジナルのビールやパンを作る著者の店「タルマーリー」。前作では、パン作りに相応しい環境を求めて岡山県真庭市に移住し、パン作りを始めるまでが描かれていました。新作の「菌の声を聴け」は、なんとこの地を離れて鳥取県智頭町へ転居するところから始まります。え?わざわざ車でパンを買いに来る人がいるほど繁盛していたお店を閉めて、さらに山奥へと移住するのは何故?と思われる方も多いと思います。

 

「『パン工房の外の自然環境こそが大事なのではないか』という菌たちからのメッセージを感じていたからこそ、この智頭に移転してきたのだ。きっと建物の中だけではなく、もっと広い周辺の自然環境を整える必要があるからこそ、人口最少県の中間地、町の面積の93%が森林の鳥取県智頭町に移転した。」と書かれています。

そして新天地で、新しいビール作りに七転八倒する様がユーモアたっぷりに語られていきます。読みながら、菌という存在について、様々なことを学びました。

「野生の菌で発酵させる場合、人間だけでなく菌こそが心地よく遊べるような場を作ることが重要である。具体的に言うと、パンの原料の生産現場やパン工房の周辺環境から、化学物質を排除する必要がある。森、川、田畑…….といった里山を汚染することなく、自然環境を保全していかなければならない。そして発酵に関わる職人は、生活を取り巻く化学物質ー殺虫剤、防虫剤、合成洗剤、化粧品、添加物、化学薬品などーも使わない暮らしを実践する。」

山極壽一氏が「『カビを食べる人』のパンとビール作りが未来の共生社会を拓く」と帯に推薦の言葉を書いています。菌とともに生きることで、我々がこれから自然と共生してゆく術を教えてくれます。

野生の菌は人間がコントロールできないので生産性が悪いと言うのが世間の常識だそうですが、だからこそ相手を知り、仲良くなって、美味しいものを作ってゆく。そこにパン職人の楽しさがあるといいます。

なお、この本では「タルマーリー」女将の麻里子さんがエピローグを書いています。獅子奮迅する夫を見つめながら、本当に身体と心に良い暮らしや子育てを語ってくれます。

 

「日々の営みの先に、確かな未来がつながっている」

これは、中村明珍著「ダンス・イン・ファーム」(ミシマ社/新刊2090円)の最後のページに書かれた言葉です。

著者は1978年東京生まれ。ロックミュージシャンとして活躍していましたが、2013年山口県周防大島に移住して、「中村農園」で農業に従事する一方で、僧侶もしています。この本は、それまでのミュージシャンから、180度転換した島の暮らしを選ぶまでの経緯、そして未知数だった農家としての暮らしぶりを綴ったものです。

「七十五才は新人よのう」

これ、敬老会に入っている方と、これから入る方のやり取り。

150人足らずの集落のうち、30〜40代は自分達だけで、主力の住人は70〜80代。だから、若いというだけで大歓迎されて島暮らしがスタートです。

貯金0円で34才の時に移住。島のジャム屋さんでアルバイトを開始して、移住後一週間で、「オリーブの苗木寄贈と植樹」と「寺で出家」の二つの儀式を通過します。野菜栽培になんども挑戦、寺の修行での激ヤセ、と前途多難な滑り出しですが、著者の性格なんでしょうね。切実なんだけど、おかしくて、どんどん読んでいけます。

「なせばなる」一言で言ってしまうと身も蓋もないのですが、そういうことです。

畑を耕し、島の老人たちと関わり、また、自ら様々なイベントを企画して島の魅力をアピールしたりしながら、著者は「お金」のこと、「地球環境」のこと、「老いる」ことへと視野を広げていきます。農家として、やっていきたいことを地道に続け、トライ&エラーの繰り返しの日々が、充実した人生への道を開いていく。冒頭の言葉は、そんな経験から生まれてきたのですね。

ところで、この周防大島って名前に聞き覚えがありませんか。2018年10月、島と本土を結ぶ橋にドイツ船籍の船がぶつかり、橋に掛けたあった水道管が破壊されて、島の水が出なくなった事故があった場所です。その時の様子も詳しく書かれています。

最後のページに載っている、著者の子供と飼っているヤギの後ろ姿の写真が、なんとも微笑ましく、幸せをもらいました。

 

西川美和監督の最新作「すばらしき世界」は、完璧な出来がりの人間ドラマでした。主演は役所広司。

闇社会で生き、挙句に殺人事件を引き起こし、刑務所に収監された三上が、刑期満了で出所するところから始まります。旭川刑務所から、身元引受人の弁護士の住む東京へやってきます。ある意味まっすぐなこの男が、どのようにして社会復帰してゆくのかを、私たち観客は固唾を飲んで見守ることになります。

直情的で、すぐに暴力をふるってしまう三上は、一方で他人の苦しみや不幸を見過ごせない正義感があります。目の前の揉め事に対して周りの人たちのように受け流すことができません。別れた妻が言うように、今の世の中では生きにくい人なのです。まして元暴力団、殺人者という経歴は、真っ当な暮らしを確保することが難しい。持病があって生活保護を受けるにも、すんなりと行かないのが現状です。

身元引受人夫婦のおかげで、やっと小さなアパートに住むことができ、職探しをするのですが、なかなか見つかりません。役所広司が、一度は社会から拒否された男の孤独や不安、もがきながら復帰しようとする刑務所から出てきたばかりの男を、それはもう巧みに演じ、三上がそこに生きているとしか見えません。役所広司は、西川監督たっての希望と聞きましたが、おそらく緻密に書き込まれた西川の脚本を、それ以上に具体化していたのではないか、と。役所広司が、積み上げてきたキャリアを、今、この年齢でしかできないという名演だと思います。泣けます。

映画は後半、なんとか希望の見えてきた三上を映し出すのですが、周囲の力と善意でなんとかなりました、とか、努力したけれどまた暴力の世界に戻って行きました、なんていう物語にこの監督がするはずがありません。

作家の角田光代は「正しいもまちがいもない。このようにしか生きられないひとりの人の姿が在る。その静かな重みに圧倒される」とコメントを寄せています。

ところでエンドクレジットの「協力」に、なんとミシマ社さんの名前がトップに出てきます。早速ミシマ社さんに聞いてみたところ、「みんなのミシマガジン」(2021年2月10日)に監督とのインタビューが載っていました。「佐木隆三の長編小説『身分帳』を原案とした本作、4年ほど前に企画が立ち上がった当初、ひょんなご縁からミシマ社も取材などに協力させていただきました。」とのことでした。

今、注目されている、農業史・食の思想史の研究家藤原辰史の新作「縁食論 孤食と縁食のあいだ」(ミシマ社/新刊1870円)は、刺激的な一冊でした。

「縁食」って言葉は著者の造語です。「家族以外の人と飲んだり食べたり笑ったりしながら、意見や情報やアイデアを交換したり、くつろいだりできる行為を、私は『個食』でも『共食』でもなく、『縁食』と呼んできた。」

では、『共食』とは何を意味するのか。著者によれば食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が高い食事の場所だと言います。私の知ってるのでは、新年の出版業界の集まりで、拳を振り上げて「エイ、エイ、オー」と叫びながら、今年も頑張るぞ!とビールを飲むような場かと思います。

「縁」は、人間同士の深いつながりではなく、「単にめぐりあわせという意味である」。緩やかなネットワークの中で、誰もが自由に食事をして、好きなことを話し、笑って別れる。そんな場所で食べる食事を『縁食』と思ってください。

ところがそんな場所が、今消えていきつつあります。「人がものを食べる空間に、中世の居酒屋や東京市の公衆食堂のような多様な側面があるほうが自然ではないのか。食べる場所が、ただ食べるための場所になってしまったことによって、食べるという行為が本来持っていた多様な可能性、食べることによって生まれる多様な出会いが失われてしまったのではないか。」

食卓の前では、性別、国籍、年齢、経済的貧富が問われず、矯正もなく、誰もが自由に出入りして、去ってゆく。食べるという基本的な人間の行為を軸にして、他人との縁がゆるく絡まって、解けてゆく『縁食』の必要性を著者は説いています。

小さい頃の縁側。「ぼん、スイカ冷えてんで、早よ来いや」、「いやぁ、おっちゃん、今日は仕事終わりかいな、スイカ食べていきいな。おっちゃんの同僚か、あんた?よかったら食べていきな……。」と、わいわいがやがやして、しばらくして、「ごちそうさん、ほなまた明日。」とそれぞれの家に戻ってゆく、そんな場面を思い出しました。

食べるという基本的行為を通して、私たちのあるべき幸せな姿を論じた一冊です。

 

 

京都に本拠地を置く出版社、ミシマ社の社長三島邦弘さんが本を出しました。タイトルは「パルプ・ノンフィクション」(河出書房・新刊1980円)です。何やら、タランティーノ監督の映画「パルプフィクション」に似たタイトル。あの映画みたいに血飛沫とび散る、業界粛清の本かとビクッとしましたが、そうではありません。

三島さんが出版社を立ち上げ、旧態依然とした書籍業界の常識に挑み、販路を開拓し、会社をどうまとめていったかを描いた、いわば社長一代記なのです。成功者にありがちな、説教臭さはなく、ちょっと失礼して社長の頭の中覗かせてもらいまっせ、へぇ〜こんな事、考えたはったんや、そら大変どしたなぁ〜と、ご本人とお話したくなる本です。

ミシマ社さんとレティシア書房は、開店の頃からのおつきあいです。一冊一冊に、作家と出版社の思いのこもった本を出されてきました。だから当店では、新刊だけではなく既刊本もできる限り置いています。2018年4月「ミシマ社と京都の本屋さん展」の時は社員総出で、当店のギャラリーの壁面を巨大な京都書店地図とミシマ社の本のポップで埋め尽くしてもらいました。

「会社を作る直前のことだ。2006年のある日、寝ていたら突然、やってきた。『出版社をつくりなさい』、天からの声のようなものが聞こえた。」

え?ホンマかいな?そんな風に脱線しながら彼の物語は始まっていきます。脱線しまくるところもあって、はよ進まんかい、と言いたくなったりするのですが、これもまた社長の個性です。

現在日本に流通している本は、出版社が直接書店に届けるものではありません。取次という問屋を経由して、そこから書店の規模、売上に基づいて分配されていきます。ところが、このシステムが今や疲弊し、何ら有効性を持っていない状況にあるのに、改善されていません。その弊害を取り除き、書店の利益を上げる流通形態をミシマ社は作り上げ、会社の方針と出版物に協賛する書店を増やしていきました。

その後、連べ打ちに新しい企画を立ち上げ、現在に至っています。

「中途半端な仕事をしたり、形式的にだけ仕事をするようなことは、この小舟の会社では不要です。本気で、一冊を作り、届ける。これをまっすぐ気持ち良くできる人たちとだけ、これからも働きたい。」とは社長が、部下に放った言葉です。そういう姿勢で作った本をあなたは誠実に売ってくれるんでしょうね、とこちらに言われている気がします。

ミシマ社の本はどれも大事です。だからこそ「ミシマ社」というコーナーを作り、できる限り(狭い店ですが)の在庫を持たせています。作家、出版社、書店そして読者が同一線上に並んでいる。新刊書店時代には、ほとんど感じなかった気分をミシマ社は与えてくれ続けています。一人の青年が立ち上げた出版社の壮大な実験と検証、そして反省の記録として、本好きの人にはぜひお読みいただきたいと思います。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月7日(木)、9日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。(次週からは、開店する日を増やす予定です)

ミシマ社から出ていた「小商いのすすめ」、「21世紀の楕円幻想論」の著者平川克美の「見えないものとの対話」(大和書房/古書1200円)は、心に沁みこむ一冊です。そして、この本で紹介されている詩人の詩を、きちんと読んでみたくなりました。

「文芸とは何かの役に立ってはいけないのだ。損得勘定とは最も遠いところに、文芸の意味はあるはずであり、たとえ何か、別の崇高な目的を達成するための手段であってもいけない」

そういう視点で本書は書かれていますが、決して文芸評論ものではありません。1950年、東京の下町にある町工場に生まれた彼が、生きてきた時代の断面と、その都度その都度、影響を受け、人生の指針になってきた文学と詩について語っています。

「円谷幸吉が死んで、50年が経過した。」

円谷幸吉と聞いて、あっ、あの悲劇のマラソンランナー、とすぐわかる人は、ある程度以上歳を重ねた人でしょう。1964年の東京オリンピック、マラソンのゴール目前で後ろのランナーに抜かれ、三位になった選手で、そのあと、ここでも紹介されている、まるで詩の如き不思議な遺書を残して自殺してしまいました。

「円谷幸吉は、時代に追い越され、行き場のないところへ追い詰められていったのではなかろうかと。」と著者は、彼と円谷の生きた時代を振り返っていきます。

学園紛争、大学への不信、そして放浪に明け暮れ、やがて仲間と翻訳会社を起こしてゆく青年時代(この会社の仲間が内田樹でした)、そして反発していた父親を介護し、見送った著者の人生後半の日々の移ろいの中、すぐそばにあった詩のことが、最後まで静かに語られています。

面白いなぁ〜と思ったのは、著者が懇意にしていた音楽家大瀧詠一との会話です。人間の一生には、不思議な偶然が何度か起こります。あの時あの人に出会わなかったら、あの本をたまたま手に取らなかったら、あるいは、あの時刻にあの場所にいなかったら………。

「大瀧詠一さんは、それを『ご縁』と言っていた。そして、『ご縁』には私たちには見えない必然が隠されているのだと信じていたようである。『ご縁』は、わたしたちには見えないだけでなく、わたしたちがそれをコントロールすることもできない。」

『ご縁』で、人生は微妙に変化してゆきます。「わたしたちは、全てを見通せているわけでもないし、何か筋書きがあってこの世の中に巡り合わせることになったわけでもないのだ。」

本や、映画、音楽との出会いもそうですね。たとえばその本の持っている力と、読者のその時の状況がピタリと合ったときに何かが変化する、あるいは新しいものが生まれ出る……。その時、初めてその作品は読者のものになるのでしょう。

著者が経営するコーヒーショップ「隣町珈琲」が編集出版する「地域文芸誌mal”"」(1540円)が創刊されました。当店の人気の一冊です。

 

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月2日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。


 

ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、親の介護、などなどの諸問題を、ちょっとだけ「自分のこと」として引き寄せて考え、文章にした青山ゆみこ「ほんのちょっと当事者」(ミシマ社/新刊1760円)は、笑って、泣かせて、そうだよなと納得させ、最後にまた泣かせてくれる松竹新喜劇みたいに楽しい。そして、実は極めて深刻な状況を生きなければならない我々の姿を浮き彫りにしてくれます。彼女自身は、「ほんのちょっとした」どころではない当事者だったのですが……。

彼女は、小さい時に家庭に来ていた、ある医師に性暴力らしきものを受けています。第4章「あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について」でかなり詳しく告白されています。「もう三十年だぜ。それぐらい性暴力は根深い傷跡を残すのだ。そしていまならわかる。あれは治療なんかではなく、単なるわいせつな性行為であったことが。」と総括し、こう書いています。

「性暴力は被害者を何重にも傷つける。たかが痴漢だなんて思わないでほしい。その被害者が、あなたの大切な娘であり、妻であり、家族があるかもしれない。

そして、それは女性に限ったことではない。あなたの大事な息子が、性被害を受けて傷ついているかもしれないのだ。他人事ではない。そう感じて欲しいと切に願う。」

彼女は、様々な体験の中から自分の心の中を見つめていきます。こういうことが、本当の「自分探し」かもしれません。「自分が弱く愚かで、正義とは反対の真反対にいる人間であることを、わたしは日常でもよく思いしらされる。その度に、自分の弱さが誰かに対して暴力に変わるかもしれないと、とても怖くなる。」

「『参院選』元派遣労働者のシングルマザーが立候補へ。「ボロ雑巾のように捨てられた。世の中を変えたい」

これ、参院選に「れいわ新撰組」から立候補した渡辺照子さんのニュースのヘッドラインです。第8章「わたしのトホホな『働き方改革』」の巻頭は、このニュースから始まります。ほんとに、トホホな彼女の就活なのですが、笑って済ませられない現状が見えてきます。「一億総活躍社会」って、どこの国のこと?という有様が語られていきます。

悩み、悲しみ、時にはイラつきながら、「当事者」にならざるを得なかった彼女が最後に対峙したのが、親の看取りでした。彼女は父親と長い長い確執の時間がありました。第9章「父のすててこ」では、母のこと、父のことを振り返ります。しんどい事ばかりだった彼女が、本文最後で「パパ、ありがとう」という言葉を書くことができるまでの物語に、親を見送った人なら涙するかもしれません。

「わたしたちが『生きる』ということは、『なにかの当事者となる』ことなのではないだろうか』という文章が強く響いてくる本です。

 

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

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