「日々の営みの先に、確かな未来がつながっている」

これは、中村明珍著「ダンス・イン・ファーム」(ミシマ社/新刊2090円)の最後のページに書かれた言葉です。

著者は1978年東京生まれ。ロックミュージシャンとして活躍していましたが、2013年山口県周防大島に移住して、「中村農園」で農業に従事する一方で、僧侶もしています。この本は、それまでのミュージシャンから、180度転換した島の暮らしを選ぶまでの経緯、そして未知数だった農家としての暮らしぶりを綴ったものです。

「七十五才は新人よのう」

これ、敬老会に入っている方と、これから入る方のやり取り。

150人足らずの集落のうち、30〜40代は自分達だけで、主力の住人は70〜80代。だから、若いというだけで大歓迎されて島暮らしがスタートです。

貯金0円で34才の時に移住。島のジャム屋さんでアルバイトを開始して、移住後一週間で、「オリーブの苗木寄贈と植樹」と「寺で出家」の二つの儀式を通過します。野菜栽培になんども挑戦、寺の修行での激ヤセ、と前途多難な滑り出しですが、著者の性格なんでしょうね。切実なんだけど、おかしくて、どんどん読んでいけます。

「なせばなる」一言で言ってしまうと身も蓋もないのですが、そういうことです。

畑を耕し、島の老人たちと関わり、また、自ら様々なイベントを企画して島の魅力をアピールしたりしながら、著者は「お金」のこと、「地球環境」のこと、「老いる」ことへと視野を広げていきます。農家として、やっていきたいことを地道に続け、トライ&エラーの繰り返しの日々が、充実した人生への道を開いていく。冒頭の言葉は、そんな経験から生まれてきたのですね。

ところで、この周防大島って名前に聞き覚えがありませんか。2018年10月、島と本土を結ぶ橋にドイツ船籍の船がぶつかり、橋に掛けたあった水道管が破壊されて、島の水が出なくなった事故があった場所です。その時の様子も詳しく書かれています。

最後のページに載っている、著者の子供と飼っているヤギの後ろ姿の写真が、なんとも微笑ましく、幸せをもらいました。

 

西川美和監督の最新作「すばらしき世界」は、完璧な出来がりの人間ドラマでした。主演は役所広司。

闇社会で生き、挙句に殺人事件を引き起こし、刑務所に収監された三上が、刑期満了で出所するところから始まります。旭川刑務所から、身元引受人の弁護士の住む東京へやってきます。ある意味まっすぐなこの男が、どのようにして社会復帰してゆくのかを、私たち観客は固唾を飲んで見守ることになります。

直情的で、すぐに暴力をふるってしまう三上は、一方で他人の苦しみや不幸を見過ごせない正義感があります。目の前の揉め事に対して周りの人たちのように受け流すことができません。別れた妻が言うように、今の世の中では生きにくい人なのです。まして元暴力団、殺人者という経歴は、真っ当な暮らしを確保することが難しい。持病があって生活保護を受けるにも、すんなりと行かないのが現状です。

身元引受人夫婦のおかげで、やっと小さなアパートに住むことができ、職探しをするのですが、なかなか見つかりません。役所広司が、一度は社会から拒否された男の孤独や不安、もがきながら復帰しようとする刑務所から出てきたばかりの男を、それはもう巧みに演じ、三上がそこに生きているとしか見えません。役所広司は、西川監督たっての希望と聞きましたが、おそらく緻密に書き込まれた西川の脚本を、それ以上に具体化していたのではないか、と。役所広司が、積み上げてきたキャリアを、今、この年齢でしかできないという名演だと思います。泣けます。

映画は後半、なんとか希望の見えてきた三上を映し出すのですが、周囲の力と善意でなんとかなりました、とか、努力したけれどまた暴力の世界に戻って行きました、なんていう物語にこの監督がするはずがありません。

作家の角田光代は「正しいもまちがいもない。このようにしか生きられないひとりの人の姿が在る。その静かな重みに圧倒される」とコメントを寄せています。

ところでエンドクレジットの「協力」に、なんとミシマ社さんの名前がトップに出てきます。早速ミシマ社さんに聞いてみたところ、「みんなのミシマガジン」(2021年2月10日)に監督とのインタビューが載っていました。「佐木隆三の長編小説『身分帳』を原案とした本作、4年ほど前に企画が立ち上がった当初、ひょんなご縁からミシマ社も取材などに協力させていただきました。」とのことでした。

今、注目されている、農業史・食の思想史の研究家藤原辰史の新作「縁食論 孤食と縁食のあいだ」(ミシマ社/新刊1870円)は、刺激的な一冊でした。

「縁食」って言葉は著者の造語です。「家族以外の人と飲んだり食べたり笑ったりしながら、意見や情報やアイデアを交換したり、くつろいだりできる行為を、私は『個食』でも『共食』でもなく、『縁食』と呼んできた。」

では、『共食』とは何を意味するのか。著者によれば食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が高い食事の場所だと言います。私の知ってるのでは、新年の出版業界の集まりで、拳を振り上げて「エイ、エイ、オー」と叫びながら、今年も頑張るぞ!とビールを飲むような場かと思います。

「縁」は、人間同士の深いつながりではなく、「単にめぐりあわせという意味である」。緩やかなネットワークの中で、誰もが自由に食事をして、好きなことを話し、笑って別れる。そんな場所で食べる食事を『縁食』と思ってください。

ところがそんな場所が、今消えていきつつあります。「人がものを食べる空間に、中世の居酒屋や東京市の公衆食堂のような多様な側面があるほうが自然ではないのか。食べる場所が、ただ食べるための場所になってしまったことによって、食べるという行為が本来持っていた多様な可能性、食べることによって生まれる多様な出会いが失われてしまったのではないか。」

食卓の前では、性別、国籍、年齢、経済的貧富が問われず、矯正もなく、誰もが自由に出入りして、去ってゆく。食べるという基本的な人間の行為を軸にして、他人との縁がゆるく絡まって、解けてゆく『縁食』の必要性を著者は説いています。

小さい頃の縁側。「ぼん、スイカ冷えてんで、早よ来いや」、「いやぁ、おっちゃん、今日は仕事終わりかいな、スイカ食べていきいな。おっちゃんの同僚か、あんた?よかったら食べていきな……。」と、わいわいがやがやして、しばらくして、「ごちそうさん、ほなまた明日。」とそれぞれの家に戻ってゆく、そんな場面を思い出しました。

食べるという基本的行為を通して、私たちのあるべき幸せな姿を論じた一冊です。

 

 

京都に本拠地を置く出版社、ミシマ社の社長三島邦弘さんが本を出しました。タイトルは「パルプ・ノンフィクション」(河出書房・新刊1980円)です。何やら、タランティーノ監督の映画「パルプフィクション」に似たタイトル。あの映画みたいに血飛沫とび散る、業界粛清の本かとビクッとしましたが、そうではありません。

三島さんが出版社を立ち上げ、旧態依然とした書籍業界の常識に挑み、販路を開拓し、会社をどうまとめていったかを描いた、いわば社長一代記なのです。成功者にありがちな、説教臭さはなく、ちょっと失礼して社長の頭の中覗かせてもらいまっせ、へぇ〜こんな事、考えたはったんや、そら大変どしたなぁ〜と、ご本人とお話したくなる本です。

ミシマ社さんとレティシア書房は、開店の頃からのおつきあいです。一冊一冊に、作家と出版社の思いのこもった本を出されてきました。だから当店では、新刊だけではなく既刊本もできる限り置いています。2018年4月「ミシマ社と京都の本屋さん展」の時は社員総出で、当店のギャラリーの壁面を巨大な京都書店地図とミシマ社の本のポップで埋め尽くしてもらいました。

「会社を作る直前のことだ。2006年のある日、寝ていたら突然、やってきた。『出版社をつくりなさい』、天からの声のようなものが聞こえた。」

え?ホンマかいな?そんな風に脱線しながら彼の物語は始まっていきます。脱線しまくるところもあって、はよ進まんかい、と言いたくなったりするのですが、これもまた社長の個性です。

現在日本に流通している本は、出版社が直接書店に届けるものではありません。取次という問屋を経由して、そこから書店の規模、売上に基づいて分配されていきます。ところが、このシステムが今や疲弊し、何ら有効性を持っていない状況にあるのに、改善されていません。その弊害を取り除き、書店の利益を上げる流通形態をミシマ社は作り上げ、会社の方針と出版物に協賛する書店を増やしていきました。

その後、連べ打ちに新しい企画を立ち上げ、現在に至っています。

「中途半端な仕事をしたり、形式的にだけ仕事をするようなことは、この小舟の会社では不要です。本気で、一冊を作り、届ける。これをまっすぐ気持ち良くできる人たちとだけ、これからも働きたい。」とは社長が、部下に放った言葉です。そういう姿勢で作った本をあなたは誠実に売ってくれるんでしょうね、とこちらに言われている気がします。

ミシマ社の本はどれも大事です。だからこそ「ミシマ社」というコーナーを作り、できる限り(狭い店ですが)の在庫を持たせています。作家、出版社、書店そして読者が同一線上に並んでいる。新刊書店時代には、ほとんど感じなかった気分をミシマ社は与えてくれ続けています。一人の青年が立ち上げた出版社の壮大な実験と検証、そして反省の記録として、本好きの人にはぜひお読みいただきたいと思います。

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月7日(木)、9日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。(次週からは、開店する日を増やす予定です)

ミシマ社から出ていた「小商いのすすめ」、「21世紀の楕円幻想論」の著者平川克美の「見えないものとの対話」(大和書房/古書1200円)は、心に沁みこむ一冊です。そして、この本で紹介されている詩人の詩を、きちんと読んでみたくなりました。

「文芸とは何かの役に立ってはいけないのだ。損得勘定とは最も遠いところに、文芸の意味はあるはずであり、たとえ何か、別の崇高な目的を達成するための手段であってもいけない」

そういう視点で本書は書かれていますが、決して文芸評論ものではありません。1950年、東京の下町にある町工場に生まれた彼が、生きてきた時代の断面と、その都度その都度、影響を受け、人生の指針になってきた文学と詩について語っています。

「円谷幸吉が死んで、50年が経過した。」

円谷幸吉と聞いて、あっ、あの悲劇のマラソンランナー、とすぐわかる人は、ある程度以上歳を重ねた人でしょう。1964年の東京オリンピック、マラソンのゴール目前で後ろのランナーに抜かれ、三位になった選手で、そのあと、ここでも紹介されている、まるで詩の如き不思議な遺書を残して自殺してしまいました。

「円谷幸吉は、時代に追い越され、行き場のないところへ追い詰められていったのではなかろうかと。」と著者は、彼と円谷の生きた時代を振り返っていきます。

学園紛争、大学への不信、そして放浪に明け暮れ、やがて仲間と翻訳会社を起こしてゆく青年時代(この会社の仲間が内田樹でした)、そして反発していた父親を介護し、見送った著者の人生後半の日々の移ろいの中、すぐそばにあった詩のことが、最後まで静かに語られています。

面白いなぁ〜と思ったのは、著者が懇意にしていた音楽家大瀧詠一との会話です。人間の一生には、不思議な偶然が何度か起こります。あの時あの人に出会わなかったら、あの本をたまたま手に取らなかったら、あるいは、あの時刻にあの場所にいなかったら………。

「大瀧詠一さんは、それを『ご縁』と言っていた。そして、『ご縁』には私たちには見えない必然が隠されているのだと信じていたようである。『ご縁』は、わたしたちには見えないだけでなく、わたしたちがそれをコントロールすることもできない。」

『ご縁』で、人生は微妙に変化してゆきます。「わたしたちは、全てを見通せているわけでもないし、何か筋書きがあってこの世の中に巡り合わせることになったわけでもないのだ。」

本や、映画、音楽との出会いもそうですね。たとえばその本の持っている力と、読者のその時の状況がピタリと合ったときに何かが変化する、あるいは新しいものが生まれ出る……。その時、初めてその作品は読者のものになるのでしょう。

著者が経営するコーヒーショップ「隣町珈琲」が編集出版する「地域文芸誌mal”"」(1540円)が創刊されました。当店の人気の一冊です。

 

お知らせ コロナウィルス感染拡大の緊急事態下、これ以上感染者を出さないために、4月23日(木)より当面休業中です。予定しておりましたギャラリーの個展もしばらくの間お休みいたします。この「店長日誌」は毎日更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです。ご希望の本があれば、お取り置き、または通販も対応させていただきます。(メールにてご連絡ください。)

★★ 5月2日(土)午後2時より4時ぐらいまで開けています。ご用があれば声をかけてください。


 

ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、親の介護、などなどの諸問題を、ちょっとだけ「自分のこと」として引き寄せて考え、文章にした青山ゆみこ「ほんのちょっと当事者」(ミシマ社/新刊1760円)は、笑って、泣かせて、そうだよなと納得させ、最後にまた泣かせてくれる松竹新喜劇みたいに楽しい。そして、実は極めて深刻な状況を生きなければならない我々の姿を浮き彫りにしてくれます。彼女自身は、「ほんのちょっとした」どころではない当事者だったのですが……。

彼女は、小さい時に家庭に来ていた、ある医師に性暴力らしきものを受けています。第4章「あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について」でかなり詳しく告白されています。「もう三十年だぜ。それぐらい性暴力は根深い傷跡を残すのだ。そしていまならわかる。あれは治療なんかではなく、単なるわいせつな性行為であったことが。」と総括し、こう書いています。

「性暴力は被害者を何重にも傷つける。たかが痴漢だなんて思わないでほしい。その被害者が、あなたの大切な娘であり、妻であり、家族があるかもしれない。

そして、それは女性に限ったことではない。あなたの大事な息子が、性被害を受けて傷ついているかもしれないのだ。他人事ではない。そう感じて欲しいと切に願う。」

彼女は、様々な体験の中から自分の心の中を見つめていきます。こういうことが、本当の「自分探し」かもしれません。「自分が弱く愚かで、正義とは反対の真反対にいる人間であることを、わたしは日常でもよく思いしらされる。その度に、自分の弱さが誰かに対して暴力に変わるかもしれないと、とても怖くなる。」

「『参院選』元派遣労働者のシングルマザーが立候補へ。「ボロ雑巾のように捨てられた。世の中を変えたい」

これ、参院選に「れいわ新撰組」から立候補した渡辺照子さんのニュースのヘッドラインです。第8章「わたしのトホホな『働き方改革』」の巻頭は、このニュースから始まります。ほんとに、トホホな彼女の就活なのですが、笑って済ませられない現状が見えてきます。「一億総活躍社会」って、どこの国のこと?という有様が語られていきます。

悩み、悲しみ、時にはイラつきながら、「当事者」にならざるを得なかった彼女が最後に対峙したのが、親の看取りでした。彼女は父親と長い長い確執の時間がありました。第9章「父のすててこ」では、母のこと、父のことを振り返ります。しんどい事ばかりだった彼女が、本文最後で「パパ、ありがとう」という言葉を書くことができるまでの物語に、親を見送った人なら涙するかもしれません。

「わたしたちが『生きる』ということは、『なにかの当事者となる』ことなのではないだろうか』という文章が強く響いてくる本です。

 

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円(少なくなってきました) 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

ミシマ社から「バンド クリープパイプ」(新刊2090円)が出ました。

これは、「インタビュー」(ミシマ社2420円)や「善き書店員」(ミシマ社1980円)等の著者木村俊介が、今年バンド結成して10周年を迎えるクリープハイプのメンバーに、インタビューしたものです。4人のメンバー一人一人から丁寧に話を聞き取り、インディーズアルバムの成功とメジャーデビュー、解散の危機、バンドへのバッシング、ミュージシャンとしての身体的トラブルなど、10年間の様々な困難の中で、彼らが何を感じたのかが語られています。

しかし音楽に限らず、表現の場で問題にどう対処し、乗り越え、時にはその渦中で自分自身をどう見失ってゆくのか、他者とのコミュニケーションの難しさ、表現者として、人間としてどう伸びてゆくのかを、インタビューから浮かび上がらせた本だと思います。

フロントマンの尾崎世界観(ボーカル・ギター)は、こんなことを話しています。

「他流試合のような場面では、とくに積極的に『自分のなにがダメなのか』を人に訊いたり、確認し たりしています。そのあたりの勉強は、必ず音楽に返ってくると思っています。 そうやって『知らない、わからないという自分の至らなさ』に向き合うプロセスのなかでは、気づくことがいくつかある。その新鮮さを、かつてそうだったように音楽で感じられるのが、ほんとうはいいのですが。でも、十代の頃からバンドばかりずっとやってきたなかでは、それなりに音楽というものの本質が見えてきています。」

これは、一人の若者がいかに謙虚に自分の表現に向き合っているのかを、木村が聞き出した場面です。尾崎は、この春から夕方の放送のラジオ番組でパーソナリティーを担当しています。リスナーの年齢層が高いところで、さらに研鑽しようとしています。初回のゲストは落語家の立川談春さん。立川の話し方を聞いて、彼はこう語っています。

「談春さんは『自分の言葉は、確実に伝わる』という確信を持ちながら喋っているように見えるんです。そこを見習いたいと思って、話をさせてもらいました。」

彼の学びへの姿勢はとても素敵です。「何事も勉強」こんな古臭い言葉が新鮮な輝きを伴って蘇ってくる一冊です。

クリープハイプの曲では「ただ」がオススメです。youtubeで聴けます。

 

 

 

左京区浄土寺にある「ホホホ座」は、皆さんよくご存知の書店。この店を切り盛りする二人、山下賢二さんと松本伸哉さんの本「ホホホ座の反省文」(ミシマ社1944円)は、最初、なんや二人の愚痴本かいなぁ〜、なめんとんなぁ〜、などと思いつつ読み始めたところ・・・・・。

読み進めてゆくと、実に面白い。

「『わざわざ言いたいためだけに、遠回りをする』ことは、意識的にやっているわけではないのですが、なぜか、ホホホ座では多い気がします。日頃、無駄話ばかりしているからでしょうか。面白い表現は、合理性から離れたところから生まれる。そんな気もしています。」とか、「あらゆる物事は、自然発生的に始まることが、一番長続きし、強い。と僕は考えています」という山下さんの文章に出会うと、そうだよな、と納得します。

ホホホ座開店への道、そして京都市左京区という特殊な環境下で、どのようにしてホホホ座を育ててゆくか、二人の考えが明らかにされていきます。ホホホ座が開店したビルの二階で、元々古本屋「コトバヨネット」を営んでいた松本さんは、2000年前後から書店業界でのナチュラルな暮らし・生活を目指す流行に対して、こうぼやきます。

「ひたひたと忍び寄る『暮らし・生活系』の足音に、お店の存続をかけて歩調を合わせながらも、時として、その道に、バラバラと画鋲をまき散らしたくなることもあります。それは、常に人生の脇道に追いやられていた、サブカル者としての怨念と、燃えカスのようなプライドがもたらす、屈折した感情なのかもしれません」

「バラバラと画鋲をまき散らしたくなる」というご意見、私も同感です。その手の本一色に染まってゆくことへの苛立ちは、今もあります。

これは素晴らしいと思った山下さんの考え方を見つけました。子供が買って欲しいとねだった本を、親が難しいからもう少し大きくなってからと拒む、よく見かける光景に対して彼はこう書いています。

「その本に『大きくなってから』出会うチャンスは、決して多くはありません。そもそも、本は可能性を開拓するためにあるので、今この時点で、理解できるかどうかは、たいして重要ではないのです。

可能性しかない子どもが、直感で『面白そう』と思った本は、なるべく買ってあげるべきだと、僕は考えています。」

ぼやき本かと思っていたら、深く考えさせる。あるいは、こんな新しい仕事のやり方ってあるんだと驚かせてもらえる刺激に満ちた本でした。二人の中年男の今後に嫌が応にも期待度アップ。

ところで、版元のミシマ社が作ったポップが素晴らしい出来!

「もはや夢も希望もなく それでも毎日店あけてます。」

そして帯の文章

「『ていねいな暮らし』『セレクトショップ』『夢を持とう』…..そういうものに疲れてしまったすべての人へ。」

お見事!座布団一枚です。

 

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

 

最近リリースされているミシマ社の新刊は、眠っている脳みそをハンマーで殴って、刺激を与えてくれる本が多いように思います。森田真生著「数学の贈り物」(1728円)、松村圭一郎著「うしろめたさの人類学」(1836円)そして、最近出された安田登著「すごい論語」(1944円)も、そんな一冊でした。

今から2000年以上も前に、孔子の言行を弟子たちがまとめたのが「論語」です。「子曰く」で始まるアレです。あぁ、早くも辛気くさそうな気配がしてきますが、孔子の研究者ではない三人の著名人が、著者の安田と語り合うというスタイルを取っているので読み進めることができました。その三人とは、音楽家で作家のいとうせいこう、宗教家の釈轍宗、情報学のドミニク・チェン。安田も本職は能楽師ですので、これまた論語の専門家ではありません。

で、これを読んで論語がわかったかと問われれば、理解できないことも多々ありました。しかし、なんだかもうメチャクチャ面白い。いとうせいこうとは、「『論語』に『音楽』を投げてみる」というテーマでスタートするのですが、

安田 「あの、本題からどんどん離れちゃっていいですか?」 いとう「どんどん行きましょう。僕もそういう方向に話を展開していますから」

という具合に、四方八方へと話題が飛びまくるのです。論語で音楽を意味する「樂」という言葉を巡る話から、笑いの話へと移行し、いとうが「『樂』の対象はもともと先祖だったんですね。芸事の基本は先祖を喜ばせることにあるっていうのは、僕はすごくしっくりきます。」と発言し、客席の一番前を笑わせているのはたいした事のない芸人で、大向こうの客を笑わすこと、それは延長すれば、そこにいない人、すでにこの世にいない人を喜ばせる感覚を理解しているという言葉に対して、

安田「なるほどまさに、『樂』を届かせようとするのは、いまここにいない人です。そこに届かせるところから、『樂』や芸事は始まったという事ですね」

と答えています。もう、ここら辺りは芸とは何かみたいな論議です。

三人の中で最後に登場するドミニク・チェンは、一番知名度が低い人だと思いますが、彼が言った「ヒューマン2.0」を巡ってのスリリングな対話は、脳みそガンガンとやられます。とても私には要約できませんので、本文をお読みください。

読み終わって、アレ?論語の本読んでたんだよなぁ、と再度タイトルを確認しました。頭脳明晰な人たちの会話って、これほど刺激を受けるものなのだ、ということを見せつけられた一冊でした。

著者とは、一度ミシマ社のパーティーでお会いして、少しお話をさせていただきましたが、何事にも興味津々という知性の塊のような、面白そうな方でした。そのイメージ通りの本です、これは。

★イベントのお知らせ

「世界ひとめぐり旅路録」展開催中の小幡明さんが、14日(金)19時半より、FMひらかたパーソナリティー久保有美さんと一緒に「小幡明の旅の話アレコレ」と題したトークショーを当店にて開催します。(参加費1000円/要予約)


ミシマ社から出た森田真生「数学の贈り物」(新刊/1728円)を読みました……..。『「一般に、自然数のたし算とかけ算の間には、a(b +c)=ab+ac という『法則』が成り立ち、これが『分配則』と呼ばれる。」 

なんや、これ、さっぱりわからん! こらぁ、ミシマ社!お前ん所は、いつから専門書出版社になったんや!責任者、出てこんか!と本を投げつけようと思いましたが、なぜか、頭の方は読み続けようとするのです。イライラするなぁ〜と歯ぎしりしながらも読んでいくと、なんだかわからんままに、これが面白いのです。

この本、数学研究者として在野で研究を続ける著者の初の随筆集です。中学の時、古代ギリシアの数学者ユークリッドに出会い、彼の編纂した「原論」に触れます。「学校の数学で、第一巻の命題の証明を、一つずつ再現させられる授業があった。僕はこの授業が気に入って、毎週、幾何の時間が楽しみだった。」という数学少年でした。

だからと言って、この随筆集は数学に関するものではありません。一人の子供の親として、日々感じたこと、暮らしの中で気づいたことを、数学者らしい思考で書いてあります。芭蕉、道元、マルクハーン、岡潔など、多彩な人物が登場しますが、明晰な文章が読む者の心に響いてきます。いかなる権威のある機関、大学に頼ることなく、在野で研究し、発信し続けている学者の矜持があるので、(私にとっては)ややこしい数式を前にしても、この人の考えていることを知りたいと思うのかもしれません。

「自明視されていた様々な規範が、音を立てて壊れていく」のが現代だと指摘し、そんな不確定な時代を生き抜くために、「不確かな未来を恐れてパニックに陥ることは、不確かな未来は『悪い』未来であると、決めつける傲慢さの裏返しだからだ。『戸惑い(bewilderment)』は『パニック』よりも謙虚なのである。『恐ろしい未来がくる』と思考停止で叫ぶよりは、『何が起きているのかさっぱりだ』と困惑しながら、考え続けることの方が前向きだ。」という意見には、そうだ、そうだと拍手したくなりました。

最初に書いたように、すべてを理解できているとは思えませんが、う〜む、ここは手強いなと思いつつも、再度ページをめくっています。「数には、人の心の向きをそろえる働きがある。『六日後に会おう』と約束すれば、まだ来ぬ時間に向かって心が揃う。『右から二番目の椰子の木』と言えば、会話している二人の注意が、同じ木の方へ揃う。数は世界を切り分け、その切り分けに応じて、人の心の向きを揃えていくのだ。」という著者に、注目していきます。