「グリコ・森永事件」は、1984年3月にグリコ社長を誘拐、身代金を要求した事件を発端に、同社に対して脅迫や放火を起こした事件です。その後、森永やハウス食品など、大手食品企業を脅迫。現金の引き渡しには次々と指定場所を変更して捜査陣を撹乱し、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。さらに同年、小売店に青酸入りの菓子を置き、全国に不安が広がりました。結局、犯人は逮捕されずに、事件は時効を迎えました。
この事件を元にしたのが、塩田武士「罪の声」(講談社文庫/古書300円)で、当ブログで8月に紹介しています。2016年の「週刊文春」ミステリーベスト10第1位、山田風太郎賞受賞、本屋大賞第3位と高い評価を得て、私も面白い!の一言に尽きると書いていました。
多くの人物が登場し、時代をまたがって進む長編小説だったので、2時間そこそこの映画では筋を追いかけているだけで、面白くないだろうと、映画の方は公開されても見向きもしませんでした。
ところが、見に行かれた方の「良かった!」という声もあり、脚本を担当した野木亜希子が切れ者だという噂も聞いて、ちょっと見てみようと思い立ちました。
いや〜パーフェクトな出来、私の中では今年の日本映画のベスト1でした。噂通りに野木の脚本が申し分ない出来で、多くの登場人物を見事に捌き、ストーリーを追いかけるだけの事件ものにしていないのです。
新聞記者の阿久津(小栗旬)と、家族の犯罪に悩む仕立て屋の曽根(星野源)が、事件の核心に迫って行く様を地道に描きながら、登場人物全ての人生の悲しみを語っていきます。主演二人の人気俳優以外は、割合地味な実力派の役者を揃え、リアルに徹しているところも巧みでした。
最初は阿久津の接近に距離を置いていた曽根が、徐々に関係を深めて行く辺りの描き方は、よくアメリカ映画のモチーフになっている、男二人もののロードムービーのような演出がされていて大いに楽しめました。
ミステリーだけに詳しくストーリーを語れないのですが、ラストを締める宇崎竜童、梶芽衣子の芝居で、あぁ〜、ここは泣くだろうなと思っていると、やはり劇場全体もそんな感じになっていましたね。
若いあなたがこの映画を見たら、よく出来た話ね、で終わるかもしれません。しかし、真面目に生きて、それなりに苦しいこと、悲しいことを経験して歳を重ねてきた方が見たら、宇崎や梶の顔に刻まれた皺のアップにも泣けてくるかもしれません。犯罪映画とはいえ、彼らの皺一本一本に染み込んだ悲しみが心にしみます。
でも、私が最も泣けたのは、きっとそんなラストシーンだろうと予測していた通りの展開で、エンディングに見せた小栗旬の笑顔でした。この笑顔に会いに、もう一度劇場に出かけようかな〜。
舞台の一つが京都なので、地元人には、あ〜!あんなところでロケしていたのか!と見つけるのも楽しい。オススメです。
私は都会の暗闇に潜む男たち、女たちを、或は巨大な警察組織で苦闘する男たちを描いたサスペンス小説の愛好家です。「公安」という言葉が帯に書いてあるだけで、手が出ることさえあります。そんな世界の魅力を教えてくれたのは大沢在昌の「新宿鮫」シリーズだったことは間違いありません。
川本三郎著「ミステリと東京」(平凡社900円)という本があります。東京を舞台にした作品を糸口にして、変貌する東京を様々な角度から論じた都市論へと展開されていきます。
取り上げられる作家は久生十蘭、中井英夫、宮部みゆき、大沢在昌等数十名です。宮部みゆき「理由」、桐野夏生「OUT」、乃南アサ「凍える牙」、高村薫「照柿」、戸川昌子「猟人日記」等、女性作家の傑作はもちろん取り上げられていて、詳細に論じられています。
とりわけ、桐野夏生の作品に登場する探偵、村野ミロには、林芙美子の「放浪記」に登場する、作家自身である「私」の自由な精神を受継いでいるという指摘は、成る程と唸りました。
ところで、この本で取り上げられている作家で、小泉喜美子は全く知りませんでした。1982年に発表された「血の季節」。これ、ドラキュラ奇譚です。ドラキュラが東京に表れるという奇妙な話ですが、時代は戦争真っ最中の昭和初期。クライマックスが昭和20年の東京大空襲という設定で、その炎の中からドラキュラが現れるという設定です。
作者の小泉喜美子は昭和9年生まれで、20年の東京大空襲の被災者でした。だから、その描写は凄まじいそうです。空襲で燃え上がる東京とドラキュラ幻想を組み合わせた小説、ぜひ読んでみたいですね。(文春文庫で出ていましたが絶版です。)
なお、彼女は、この小説の刊行の3年後に、新宿の酒場の階段から落下して死亡しました。享年51歳という若さでした。