青春時代ってどのあたりをいうか、人によって違うと思いますが、まぁ16〜7才から20代後半としてその頃に、私がこの人の映画はすべて観ておこうとのめり込んだ俳優が、スティーブ・マックィーン、ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、そして菅原文太でした。マックィーンと文太は亡くなりましたが、レッドフォードとイーストウッドは健在です。二人の共通点は、ハリウッドとの距離を保ちながら自分の世界を作ってきたことです。そのレッドフォードが「俳優引退」宣言をした映画「さらば、愛しきアウトロー」を観ました。

時は1980年代初頭、アメリカ。スーツのポケットに忍ばせた拳銃をチラと見せるだけで、誰も傷つけず、銀行強盗を成功させる男、フォレスト・タッカー。なんと74歳現役。被害者のはずの銀行の人間たちは警察の取り調べに対して、彼のことを「紳士だった」「礼儀正しかった」「微笑んでいた」と褒める始末です。その男を、御歳83才のレッドフォードが演じます。かつての美貌は跡形もなく消え去り、皺だらけの顔に最初はちょっと引きました。

思えば、1960年「明日に向かって撃て」で登場した彼は、もうカッコいい!としか表現できませんでした。それから、「スティング」「追憶」「大統領の陰謀」「ナチュラル」とどれだけ彼の映画を観てきたことか……。彼の皺だらけの顔を見ているうちに、こちらも年齢を重ねて来たんだなぁ〜としみじみ思ってしまいました。

レッドフォードは、彼だけが持っている軽妙洒脱な雰囲気を上手く使っている作品が多くあります。この映画も彼のそんな特質が生かされています。1980年代のノスタルジックな雰囲気も、彼にとても似合っています。監督はデビット・ロウリー。昨年の「ゴーストストーリー」で、その手腕に感心し、ブログにも書きました。昨今の過剰なまでのスピードアップの演出とは全く違い、ゆっくりと、物語を紡いでいきます。それが、60年代後半から70年代後半のアメリカ映画のリズムだったことを思い出させてくれます。あの時代のアメリカ映画を浴びるほど観てきた青春時代を想い、ノスタルジックな感傷に浸ってしまいました。

撃ちあいも、スリリングな銀行強盗のシーンもありませんが、アメリカ映画のいい匂いが立ち込めている作品でした。ホッコリする強盗映画です。共演のシシー・スペイセクが、美しく歳を重ねてレッドフォードに静かに寄り添い、素敵でした。

ところで、この邦題のセンスはどうよ!オリジナルタイトルの「オールドマン・アンド・ザ・ガン」の方が、よっぽど映画を表現しています。が、こういう邦題のつけ方もなんだか懐かしいかな。

 

 

 

 

 

オオカミへのイメージって、決して良いものではないみたいですね。生まれて最初に接するのは、かの有名な童話「赤ずきんちゃん」に登場する、ずる賢い残忍なオオカミでしょう。幼少の時にこれをインプリントされたら、オオカミへの印象は悪くなります。

ジム&ジェイミー・ダッチャー夫妻の「オオカミたちの隠された生活」(エクスナレッジ)を読むと、彼らの本当の姿を、文章と魅力的な写真でみることできます。夫妻は、数年間にわたり、米国アイダホ州ソートゥーズ山脈で、オオカミの群れに囲まれた生活を送り、彼らの社会生活を記録しました。2005年には「リビング・ウィズ・ウルブス」というNPOを立ち上げ、保護活動や人々との共生を模索する活動を始めました。

 

このNPOの名誉理事になっているのが、俳優、監督そしてサンダンス映画祭プロデューサーのロバート・レッドフォードで、この本にも序文を寄せています。西部開拓が始まる以前は、彼らは他の動物たちと平和に暮らしていました。しかし、開拓が始まると、家畜を殺すという妄想に取り憑かれた人間は、徹底的な殺戮を始め、生態系のトップの座を奪い取りました。レッドフォードは、オオカミと同じ遺伝子を共有する犬が、ペットとして人間社会で贅沢な特権を得たのに、「とらばさみや、くくりなわ(どちらも苦痛を与えるワナ)に捉えられて拷問のような苦しみを味わい、子どもたちもろとも銃で撃たれ」ている状況を非難し、今日でさえ、有権者に媚を売る州政府に対し「彼らは真剣に問題を考えている野生生物研究者の助言を無視し、これからもオオカミを殺し続けることを可能にする令状を出し続けている。」と現状を憂いています。

本書は、悪者のレッテルを貼付けられたオオカミが、強い社会的絆を持ち、家族というグループの中で、子育てを行い、仲間を守ってゆく動物であり、知性ある存在であることを解説していきます。先ずは、夫妻が撮った写真をご覧下さい。オオカミの写真集と言ってもいい程に、魅力的な姿を見ることができます。

荒々しい大自然の中で生き抜く彼らの表情、体の動きに、時に獰猛さを、時に内なる心の思いに深さに、オオカミとしての尊厳を感じます。力強さ、優しさ、淋しさ、そして喜び等々、私たち人間が持っている感情を彼らも持っていることを知ることになります。

 

アメリカ先住民のことわざ「オオカミの目を見つめることは、あなた自身の魂を見つめることである」が載っているページの側に、こちらを見つめるオオカミの写真があります。深い憂いを湛えたその視線から、あなたはきちんと世界を見ている?という問いかけを感じます。

あっ、これはきっといいと思わせる映画は出だしが、静かです。それが、役者出身の監督なら、尚更そうです。ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッドの作品は、役者の演技を邪魔するな、と言わんばかりにそっと静かに始まります。

レッドフォード監督作品「ランナウェイ」を観て来ました。名女優スーザン・サランドン扮する主婦が、キッチンで洗い物をしているところから映画は始まりますが、カメラは微妙に動きながら、彼女に近づきます。平和な、何気ない朝。しかし、そこから一気に観客の心をグィと掴んで、快調に展開していきます。レッドフォードが「大統領の陰謀」以来、持ち続けて来たアメリカ合衆国への不信を色濃く反映させつつ、後味は悪くない、そしてサスペンス映画なのに、一発の銃弾も発射されず、車も激突しない。近頃のハリウッドでは珍しく、うるさい音楽、絶叫するだけの出演者も皆無。作り手の力量がわかります。ある程度、話の落ち着く先は見えてきますが、それでも見事に2時間でエンディング。ハリウッドから遠く離れ、自分の手で映画を作り続けてきたから出来ることなのでしょう。

イーストウッドが明言していましたが、映画は脚本だという真実をレッドフォードもよく理解しています。その展開に齟齬はないか、前のシーンと次のシーンの繋がりはどうかを慎重に見極めながら演出していきます。昨今、非力なのに、群像劇的展開で、スピーディにつなげるだけの強引な監督が多いですが、彼は本物です。自ら離れていったハリウッドの、かつての良き映画の気風みたいなものが身に付いて、技術力の確かさを感じました。

なんといっても役者の使い方が巧みです。映画好きなら、あっ〜あの役者か!と嬉しい再会です。こちらも若かった頃、ハツラツとしていた俳優達が、いい年の重ね方をしてきた、その道を思わず一緒に振り返ってしまいます。多分、彼のことを信用して、ジュリー・クリスティー等多くの役者が集まってくるんでしょうね。そう言えば、「大統領の陰謀」の共演者ダスティン・ホフマンも、初監督作品「カルテット」で、やはりマギー・スミスなどの名優たちを巧みに配置して、演出していました。ホフマンとレッドフォード、それぞれの年寄りの映画を観て、けっこう幸せな気分に浸りました。

金、金、金のハリウッドでも、やはり最後に信頼されるのは、こういう深い人間性と真摯に映画を作る人達なのですね。ロバート・レッドフォードのファンでよかった。