夏葉社から吉田篤弘の新刊「神様のいる街」(1728円)が出ました。

吉田と神戸、そして神保町の関わりを描いた私小説的短編「トカゲ色の靴」と、「二匹の犬の街」、幻の処女作「ホテル・トロール・メモ」の三作品が収録されています。

持っていたレコードを売り払い、それを旅費にして早朝、家を出る。著者二十歳の時です。「どうしても神戸に行きたかった。行かなくてはならない。(いま行かなくては駄目だ)と、どこからか声が聞こえてきた。」

その思いはどこから来るのか。「神戸にいると、僕は神様の声が聞こえるのだ。(いいか、いまのうちに見ておけ)」と何度も囁かれて、街をさ迷います。海に突き出た人工島を、グルリと周回する無人電車(ポートライナー)に乗って一周したりして、時間が過ぎてゆきます。ここで時間は、しばらく前、東京の美術系大学を落ちて、専門学校に籍を置いていた頃に戻ります。授業にも出ず、自分の居場所が見つからず、無為の日々が過ぎていきます。

「学校にはほとんど通わず、毎日ひたすら神保町に通いつづけた」という具合に、この街の凄味に巻き込まれていきます。そんなある日、彼は老舗書店で、上林暁の本と出会います。貧しい生活の中から、高価な上林の本をいかに買うかという描写は、本好き、古本好きにはたまりません。

戦争の匂いにしみついたボロボロの本を読むことは、

「本に戦争は染みついていた。そこに時間が流れていた。本の中の時間が右手と左手からステレオで伝わってくる。ざらざらした紙に触れることは、そのまま時間に触れることで、古本を買うということ…..手に入れるというのは、こういうことなのだと、ようやく理解しつつあった。」

そして、自分も本をつくりたいという思いが強くなってゆく,,,,。

後半に収録されている「二匹の犬の街」は、ちょっと切ない恋物語です。ここで登場するのは、今はもうない新刊書店「海文堂書店」です。古本は神保町で買うが、新刊は”わざわざ”神戸元町のこの書店で買うその理由が語られていきます。

神保町と神戸を舞台にして、本との、街との、そして恋の物語が描かれた素敵な一冊です。相変わらず夏葉社の装幀は、美しい!

 

勝手ながらレティシア書房は、5月7日(月)〜10日(木)連休させていただきます。

よろしくお願いします。

5月26日(木)夜、レティシア書房で、京都在住のシンガー&ソングライター世田谷ピンポンズさんのライブでした(「COME BACK FOLK」ツァーの一環)。当店では、二度目でしたが、満足度100%の素敵なひとときでした。

「僕と君の暮らすアパートの灯りはあのあたりかしら 君の胸に紅い花 きっといつか咲くでしょう それを夢とよびましょう 星を撒いた街の隅っこで」

という歌詞で終わる名曲「赤い花」を再び聴くこともできました。ピンポンズさん、ありがとうございました。広島から来られたお客様、無事に帰れました?

ピンポンズさんは本好きです。「赤い花」のラストに登場する「星を撒いた街」という言葉は、私小説作家上林暁の作品を集めた「星を撒いた街」(夏葉社2376円)からの引用でしょう。日本文学史における私小説の流れは、田山花袋の「蒲団」から、西村賢太まで多くの作家を生み出しました。

ピンポンズさんの歌詞にも、やはりその影響を見ることができます。まぁ、日本のフォークが「四畳半フォーク」と言われてきたことを考えれば、当たり前かもしれません。

個人的には、特に私小説が好みと言うわけではありませんが、木山捷平の「耳学問」、上林暁の「白い屋形舟」などの文学への溢れんばかりの愛情が、美しい日本語となった作品には唸らされました。中でも、感銘を受けたのは原民喜の「夏の花」(日本ブックエース850円)です。広島への原爆投下で、この世を去った妻の新盆の一日を追いかけたこの小説を私小説にカテゴライズしていいのかという疑問はさておき、悲惨な広島の現状を描きながらも、凛とした文章の輝きに引込まれていきました。

手元にある文庫版(青木文庫500円)に、「庭」という詩があります。

「暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であった。わたしは妻が死んだのを知っておどろき泣いていた。泣きさけぶ聲で目がさめると、妻はかたわらにねむっていた。

………..その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまった。庭にふりつのるまっくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。」

悲しいけれど美しい。 

 

私小説は全くといっていいほど読んでこなかったんですが、古書店をやるんだし、始める前に一応読んでおこうと、葛西善藏やら、尾崎 一雄やら、上林暁、小沼丹やらの小説に挑戦しました。しかし、その「貧乏くささ」と起伏のない物語に辟易してしまい、どれも途中で放り出しました。リアリズムを追求するのが私小説なので、ロマン主義的な大きな物語のうねりを期待する方が間違っているのはわかっているのですが….。

さて、講談社文芸文庫で出版されている上林暁の「白い館船」(950円)が入荷してきました。そうしたら、本の方から、もう一回読んでみたらどう?みたいな信号を送ってきた気がして、再度挑戦しました。途中挫折することもなく、面白く読み切りました。「つまらない」という印象から数年しかたっていませんが、人間って成長するというか、老いるというか、心持ちって変化するんですね。

読売文学賞「白い館船」、川端賞「ブロンズの首」等のよく知られた作品よりも、上林のご両親のこと、友、そして故郷の風景を綴った短篇に強く魅かれました。

「だが私は、父イタロウと同じ脳溢血で苦しんでいる。これは父から受け継いだといえるかもしれない」

で終わる「父イタロウ」の簡潔な文章の味というものが、少しは理解できたようです。最初に読んだ時、おそらく小説=物語に拘ったために、削いで削いで美しく仕上げた文章を読む楽しさに、気づかなかったのかもしれません。

脳溢血、右半身、下半身不随、言語障害、さらには精神を病んだ妻との死別と、苦難の人生でしたが、文庫の解説通り「不業不屈の執念」で、ひたすら文学の道を歩んだ作家の魂に触れる短編集でした。

夏葉社から出ている「星を撒いた街」((2376円)の最後に収録されている「星を撒いた街」の冷え冷えとした風景の世界にもう一度入るのも悪くないものです。

夏葉社からは、もう一点「故郷の本箱」(2376円)という題名の随筆集が出版されています。銀閣寺の古書店「善行堂」店主山本さんが、解説を書いておられます。彼は上林の大ファンで、若き日、彼の文章を、うれしい時、悲しい時、苦しい時に何度も読み返して、その時々に自分自身を見つめる読書になったとのこと。けだし、幸せな読書とはこういう事なのでしょう。

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