2019年、長年活動の場としていたアフガニスタンのジャララバードで武装集団に襲撃されて、亡くなった中村哲の「希望の一滴」(西日本新聞社/古書1300円)は、日本が先の大戦で敗北した日に読みたい一冊です。

医者としてアフガニスタンの僻地医療に携わっていた中村は、2000年の凄まじい干ばつで、自給自足の農業に従事していた人々が飢饉で難民になる危険性が極めて高くなり、地元民と協力して灌漑事業に着手しました。

この本は、1600本にも及ぶ井戸を掘り、用水路を建設し、砂漠化した大地に緑が戻るまでの記録です。どれほどの困難と苦闘を乗り越えてきたか、想像を絶するものがあります。何よりも良いのは、数多く収録されている写真です。著者と共に、灌漑工事に携わる住民たちの表情が、とても心に染み込んできます。彼らが田植えをしている写真を見ていると、平和であること、自分たちの土地が豊かなものになったことが、これほど人々の顔を明るくするのだということがよく分かります。

「自然は決して過剰な要求をしない。『過酷な自然』とは、人間側が欲望の分だけ言うのであって、自然を意のままに操作しようとする昨今の風潮は思いあがりである。インダス川の支流、クナール川は簡単に制御できるものではない。殊に取水口の建設は、人為と自然の危うい接点であり、『少しばかりお恵みください』という姿勢がなければとても成功するものではなかった。」

今年の大雨で発生した各地の災害の様子を見て、この文章が浮かんできました。

中村哲がやろうとしてきたこと、やってきたことが一杯詰まっているのですが、読んでいて、全く難しくないのは、彼の人間性と知性によると思います。多くのアフガニスタン民衆に愛されたのも、当然だと思いました。彼が亡くなった時、前総理の全く気持ちのこもっていない記者会見を見て、あの政治家には優しさのかけらもないのだと落胆しました。

「国益だ、正義の戦争だ軍隊の増派だのと、騒がしい世界とは無縁なところに平和に生きる道が備わってあるのだ。私たちもまた必死だ。世界で何が起きようと、ひたすらシャベルを振るい、水を送って耕し、その日を無事に過ごせたことに感謝する。」

こんな言葉こそ、敗戦の日には相応しいと思います。困難な地での、過酷な仕事の物語ながら、なぜか心休まる不思議な本でもあります。

アフガニスタン政権交代で、著者の残した仕事がこれからどうなってゆくのか心配です。

 

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福岡出身の医師中村哲さんが、アフガニスタンのジャラーラーバードで武装勢力に銃撃されて死亡したのは2019年のことでした。パキスタン、アフガニスタンでの医療活動を通して、日本以上に現地では高く評価され、尊敬されてきました。

本書は1993年、若者向けに編集された新書「ちくまプリマーブックス」の一冊として発行されたもが文庫化されたものです。(古書/400円)

「私を最初にこの地と結びつけたのは、雄大なカラコルムの自然と私の好きな蝶であった。何も初めから『海外医療協力』などという大仰な考えがあったわけではない。」と著者は語り始めます。その後、何度も現地を訪れて、その魅力に引き込まれていきます。荒涼たる自然、モスクから流れる祈り、現地の人々の人情など、異国であるはずのこの国への郷愁があったからこそ、困難を極めた後年の医療活動を進めていけたのでしょう。

1984年、パキスタン北西辺境州のらい病根絶計画の支援のため、ペシャワールに着任。86年にJAMS(日本-アフガン医療サービス)を組織。87年、活動を国境山岳地帯の難民キャンプへと伸ばします。そして翌年、アフガニスタン復興の一環として、農村医療計画を立案し、活動を広げていきました。

彼の医療活動の記録であり、同時に彼が見つめたイスラム社会、その社会への国際社会の偏見とエゴが書かれています。「私は一介の臨床医で、もの書きでも学者でもありません。ただ、生身の人間とのふれあいを日常とする医師という立場上、新聞などで伝わらぬ底辺の人々の実情の一端を紹介することができるだけです、」という言葉通り、読む者は戦争と飢餓と病気の中で生きてゆく人々の日常を見つめることになります。「もの書きでも学者でもありません。」と著者は言いますが、その抑制の効いた文章故に、リアルな現状が伝わってきます。

以前、内藤正典著「となりのイスラム」(ミシマ社/1760円)という絶好のイスラム文化入門書をご紹介しました。無知であることからくる差別、偏見ほど恐いものはありません。一人の医師が、はるか彼方の国で奮戦した本書を読むことで、世界はこうなっているんだという理解に結びつくのではないかと思います。

文庫版あとがきはこう結ばれています。

「人が人である限り、失ってならぬものを守る限り、破局を恐れて『不安の運動』に惑わされる必要はないということである。人が守らねばならぬものは、そう多くはない。そして、人間の希望は観念の中で捏造できるものではない。本書が少しでもこの事実を伝えうるなら、幸いである。」

コロナウィルス蔓延の恐怖の中で、私たちが立ち止まらなければならない言葉です。

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