遅めの夏休みをいただいて、北海道斜里町にある「北のアルプ美術館」を訪れました。山の文芸雑誌「アルプ」は、哲学者であり詩人であり優れたエッセイストであった串田孫一が代表になり、作家の深田久弥、尾崎喜八や写真家の内田耕作が中心になって、昭和33年に創刊されました。以来25年間にわたって、多くの自然を愛する作家や画家の紀行文、絵画、写真などを掲載してきました。そして昭和58年まで25年に渡り300号まで発行しました。
美術館には、なんと創刊号から最終号まで並べられた部屋があるのです!表紙のカットは串田が担当、そのセンスの良さは、こうして部屋に展示されたものを眺めているとはっきりわかります。室内には素敵な椅子が一脚置かれています。そこに座って、棚いっぱいに飾られた「アルプ」をじっと眺めるのは至福の時間でした!!
「北のアルプ美術館」は、三井農林(株)斜里事務所が、1961年に社員寮として建築したものを改修して、1992年に開館しました。白樺樹林の中にひっそりと建っている姿に、もうワクワクします。私自身は、串田の本を熱心に読み漁ったということはないのですが、「北海道の旅」という紀行文集を読んで惹きこまれました。生涯にわたって、自然を愛し山を歩き続けた作家の魂は、どこまでも澄み切っていて美しく輝いていました。何かの雑誌で、北の地にこの美術館があることを知り、いつか行ってみたいと思っていました。
ぜひ見てみたかったのが、串田の書斎でした。元々は武蔵野にあったものを、串田に惚れ込んだ北海道の実業家山崎猛が、そっくりそのままここに移したのです。随筆、詩、小説、哲学、博物誌、さらに音楽に至るまで書き続けた広範囲にわたる「知」が渦巻く書斎。豪華な造りというのではありませんが、木の香りと、収集した本の匂いが漂ってくるような素敵な部屋でした。ガラス越しですが、そこに作家が座ってペンを走らせている姿が見えてくるようでした。
そしてもう一箇所、まさかこんな展示が見られるとは思わなかったものに出会いました。網走の北海道立北方民族博物館で開催されている「イヌイトの壁掛けと先住民アート」です。当店でもよく売れた岩崎昌子著「イヌイットの壁掛け」(絶版)で紹介されていたイヌイットの壁掛けと、先住民アートが展示されているのです。ホッキョクグマやトナカイなどの動物の姿や、彼らとともに生きるイヌイットの暮らしが、一枚の壁掛けに表現されています。とてつもなく厳しい生活を送っている彼らなのですが、見ていると心がゆっくりと和んでくるのです。数多く描かれている犬ゾリによる狩の姿が印象的でした。
この日(9/14)の温度は17度、風も強く、オホーツクの海の波が高く打ち寄せていました。そんな中、知床の絵本作家あかしのぶこさんが、女房と私を車で連れて行ってくれました。あかしさんには、前日から色々なところを案内してもらい、北海道の素敵な人たちに会えることができました。この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
☆ご案内 あかしのぶこ「えほんのえ展」は9月21日(水)〜10月2日(日)開催予定です。
串田孫一(1915~2005)といえば、山の本で有名な作家です。「山のパンセ」などをお読みになった方、多いと思います。
でも私にとって、初の”串田体験”は、文房具について書いたエッセイ集「文房具」(白日社/古書900円)でした。串田の本が数冊入荷した中に懐かしいこの本がありました。判型もちょっと小振りで、シンプルな装丁なのですが、持った感覚が手によく馴染みます。昭和54年発行で、版元は白日社。
「帳面」「ペン先」「消しゴム」といったタイトルで数十点のエッセイが収録されています。今でこそ文房具に関する本はたくさんありますが、これは草分け的存在でしょう。
「画鋲を一つ、中指の腹に、勿論針を向こうにむけてのせ、腕を大きく降るようにして投げると、板戸や板塀などに、気分のいい音を立ててささる。中学生の頃に友だちにおそわったのであるが…….」
という描写があって、同じように投げたけれど串田が言うように「気分のいい音」なんて聞こえなかったことを覚えています。
串田は、愛用の文房具への気持ち一杯、ということもなく、淡々とこうして使ったああして使ったと書いています。昨今の文房具ライターのような、思い入れたっぷりで気取ったところが全くないのがいいです。
「太平洋戦争というあんな大掛かりな戦争に遭い家が焼け、着るものもなくなって、全くひどい生活をしていたというのに、どういうことか古い鳩目パンチが残っていて、今もそれを使っている。」
「鳩目パンチ」をご存知ない方は右写真をどうぞ。
戦争中、生きるのに大して役に立ちそうにもない鳩目パンチが、なぜ手元に残っているのか本人にもわからないらしいのですが、サビの出たこのパンチを、作家は40年以上使っていました。
「どんなに戦争が激しくなっても、好きな文房具類は自分の仕事の道具として手放さなかったと言えば、誰かに褒めてもらえるだろうか。」
モノに対する視線の優しさ、柔らかさがこの本の魅力かもしれません。
串田の本をもう一冊。昭和31年発行の「博物誌」(創文社/古書1900円)です。このエッセイの挿絵も著者が描いています。付録の「博物誌通信」が付いていて、その中に谷川俊太郎が文章を寄せています。こちらもおすすめです。
宮沢賢治を特集した雑誌は、ほとんど買いません。賢治は大好きな作家で、何度も読み返していますが、雑誌で特集したものは何故か魅力的なものが少ない。ところが、「Coyote」のWinter2022号「山行 宮沢賢治の旅」(switchPublishing/古書950円)は、極めて面白い一冊でした。
おっ!と思ったのは、特集の巻頭のインタビュー記事が五十嵐大介だったことです。ご承知のように、「海獣の子供」「魔女」等の長編漫画で、圧倒的な支持を集めました。私も好きな漫画家の一人で、「海獣の子供」を初めて読んだ時に、底辺にアニミズム的な思考があることに気づきました。この雑誌の最初に彼のインタビューを載せた編集者も、そう思っていたのかもしれません。
「五十嵐の初期の短編『はなしっぱなし』や『そらトびタマシイ』に収録されているマンガは、まるで宮沢賢治の童話や柳田国男の『遠野物語』のような、人間がふとした時に得体の知れないモノに出会ってしまうというような世界観がある。」
実際に、五十嵐はこの二人から影響を受けたと語っています。
傑作「海獣の子供」の着想を得たのは、賢治の生まれた岩手県にある衣河村に住んでいた時らしいです。
「日々山や森の中を歩いている感覚を海の中に置き換えて描きました。森の中もすごく立体的な世界で、例えば木の上や足元の茂みの中に熊が隠れているかもしれないので、けっこうびくびくしながらいつも歩いていたんです。その時の感覚と海の中ってひょっとしたら似たような感じなんかじゃないかなとか、足元の小さな草むらの中にだって生態系があるように、海の中も同じなんじゃないかなと、森での感覚を海の中の世界に置き換えて描き始めたんです。」
「海獣の子供」の豊穣な世界が、そのまま賢治の世界につながるとは思いませんが、この世界のほとんどの部分は人間ではないもので構成されているという世界観は賢治と同じでしょう。私の読書体験としては、賢治が先で五十嵐が後でしたが、「海獣の子供」に圧倒されたのは賢治体験があったからかもしれません。
賢治は散歩が大好きな作家でしたが、五十嵐も、一人ぶらぶら散歩しながら観察して妄想するのが好きみたいです。「人間って脳じゃなくて足で考えていると思うんです」とインタビューの中で言っていますが、脳は身体全体の統制役であって、思考は他の部位が受け持っている。だから、「自分の身体にちゃんと向き合うことで何か見えてくる気がするんです。」その時の感覚を表現したいという欲望が創作に向かうと語っています。
本書は他に、串田孫一が1956年に編集した「宮沢賢治名作集」のあとがきや、池澤夏樹による「『銀河鉄道の夜』の夜」、イッセー尾形の「再訪としての『小岩井農場』」など、刺激的な記事が山盛りです。もちろん、この雑誌らしい素敵な写真も多く掲載されています。
串田孫一が1981に出した画文集「山と行為」(同時代社/古書800円)は、串田のセンス溢れる絵が楽しめます。本は、「山に生きる」「山と行為」「山の暦」「山での思考」の四章に分かれていて、ほとんどの章に、串田の絵画が掲載されています。しかも、左ページに絵画、右ページに文章というパターンで統一されています。
第一章「山に生きる」は、山で出くわす動物達が平易な文章で語られています。
「熊に出会うといつも困ってしまうのだが、果たしてこの熊は人間に敵意を抱いているのだろうかと考える。人間には敵意を抱いているとして、私にはどうなのだろうか。 秋に山の木の実をさがして歩いているのなら、手伝ってもいいと思う。そういう契約を交わせたら、私は裏切るようなことはしない。」という「熊」の文章の横に、ちょっと下向き加減の熊が、深い森の緑の中に描かれています。
第二章「山と行為」では、英字新聞を人の形に切り抜いて、コラージュした作品が並びます。面白い文章がありました。タイトルは「踊ることについて」です。こう書かれています。
「山の中での踊りは自分だけの踊りである。仲間と共に、登頂に成功した日の夕暮にれ、天幕の傍で輪になって踊りたまえとすすめているのではない。 独りで、自然に、悦びを表さずにはいられないようになった時に、その人は山に棲める資格の一つが身についたことになる。 山には天狗の踊り場がある。君の踊りは深い森の中がいいだろう」その横には、ホイホイと踊っているコラージュ。森の中で、独り踊るってどんな感じでしょう。
山登りをする人でなくとも、澄んだ美しい文章とモダンなコラージュ絵が十分に楽しい一冊です。
この本以外の串田の本を10冊程入荷しています。興味のある方、ぜひ見に来て下さい。私は、熱心な串田のファンではありませんが、彼の本が沢山あると、澄み切った気分になってきます。
年始は1月8日(火)より通常営業いたします。
★イベントのお知らせ「宮沢賢治 愛のうた 百年の謎解き」
2019年1月18日(金)19時より、「新叛宮沢賢治 愛のうた」を出された澤口たまみさんとベーシスト石澤由男さんをお迎えしてトーク&ライブを行います。ご予約受付中(1500円)
梨木香歩のエッセイ集「鳥と雲と薬草袋」(新潮社1050円)は、ぜひ、ハードカバーで持っていたい一冊です。49の土地の来歴を綴り重ねた随筆集で、その地名に惹かれた著者がフラリと訪れた様が描かれています。
「日ノ岡に、日向大神宮という神宮がある。ひゅうが、ではなく、ひむかい、と読む」
京都市内の三条通りを東に向い、山科方面に向かうと日ノ岡峠に出るのですが、これはこの土地を描いた「日ノ岡」の出だしです。無駄のない、しっかりした文章で描写されていき、一緒にフラリと日向大神宮に詣でた気分になります。最後は「蹴上(けあげ)」という地名の由来も明かされますが、義経がからんでいたとは面白いもんです。
安心して読ませてくれる文章というのは、気持ちがいい。そして、そんな本の中身をサポートするような装幀が施されていると、なおいいですね。装幀は出版社の装幀部が行っているのですが、カバーの色合いや、ページの余白まで愛情が籠っています。何より素敵なのは、挿画・装画を西淑さんが担当しているところです。表紙の渡り鳥に始まり、随所に描かれる小さなイラストが、そっと本の中身に寄り添って心憎い演出です。部屋に立てかけて眺めていたい本です。
もう一点。昭和39年発行の串田孫一「昨日の絵 今日の歌」(勁草書房1100円)は、函から本を出すとオレンジ色の表紙。この本は串田が、絵のこと、音楽のことなど彼が出会った芸術を、エッセイ風に書き綴ってあります。
「静かに針を下ろして、あらかじめその位置に置いた自分の椅子にすみやかに戻って、音の鳴り出す瞬間を待つほんの僅かの時間に、私はやはり彼らの気持ちは今充分にかよい合い、研ぎすまされ、呼吸もまた鼓動さえもぴったりと合ったその容子をちらっと想わないわけには行かない。」これは「室内楽」と題した章の一部です。
各章には、串田自身によるステキなスケッチが描かれています。
やはり、大事に、大事に本棚に置いておきたい一冊です。私は、この本に入っている、やや長めのエッセイ「天使の翼」ほど、音楽を美しく描いたものを読んだ事がありません。静謐で、澄み切った空気の中に、自分を置きたい時には最適です。
いつの頃からか、作家の書く日記とか、書簡に魅かれだしました。最初から日記文学として、公開されるのを年頭に置いて書かれたものもあれば、作家の死後、研究者や編集者の手によって出されたものもあります。さて、これはどちらかなのかと推理しながら読むのも面白いものです。
1943年から46年、太平洋戦争終結前後の時期に作家が何を考えて過ごしてきたのかを、読み取ることができるのが串田孫一の「日記」(実業之日本社)です。「未発表」と帯に記載されていることから、これは発表するつもりはなかったのでしょう。敗戦の前年の日記の中に、「私の家に残っている洋酒の名称と数」という一覧があって、お〜っ、戦時下でもこんなに持ってたんだと、驚きました。唐木順三、渡辺一夫、森有正らの知識人との交流も楽しい日記です。
同じく未発表書簡70通あまりを収録した水上勉著「谷崎先生の書簡」(中央公論社)は、昭和2年から約20年間、谷崎から当時の中央公論社社長中嶋雄作氏に当てたものです。出版人と作家という関係以上の友情に満ちた書簡は、全くの私信なのですが、谷崎の文学への苦闘が滲み出ていたので、ご家族の許可を取った上で公開された書簡集。対戦中、軍部の圧力で発行できなかった「細雪」をひたすら書き続けていた谷崎が、敗戦を迎え「とうとう平和が参り候」とその喜びを書き綴り、「細雪」の完結に全力を注ぐと決意表明をしているところに、作家の戦争への憎しみが表れています。
三冊目は、がらりと変わりますが、野崎正幸著「駆け出しネット古書店日記」(晶文社)です。
「2001年1月1日。まさか自分が本屋になろうとは 」から始まるこの日記は、フリーライターだった著者がいかにネット古書店を始めたかを、赤裸裸に書いたものです。サイトの立ち上げ、古物商認可申請、古書店開店準備、失敗やら誤算を繰返しながら、自分らしい店を作り上げていくまでの過程は、ご本人は必死だったのでしょうが、読者としては楽しく読みました。レティシア書房を始める時に読んだのですが、今、再読すると、実店舗とネット書店というスタイルの差はあっても、そうそう、と納得する事が多いです。古書店をしようとお思いの方にはマストアイテムでしょう。
「本を蒐めるということは、もっとも興味のあることだと思っている。」などという文章で始まる本は、いかにも本コレクターの書いた書物だろうと思ってしまいます。確かにそうなのですが、昭和38年発行、小林義正著「山と書物」(築地書館・初版4000円)は、山の本ばかり集めた著者のコレクションを収めた一冊です。
「山の本といっても、紀行や随想はもちろん、山に取材した文芸書からからかずかずの科学的研究、民族的なものまで含めてきわめて広範囲にわたる」と、山登りを嗜まれている著者自身が述べているが、とんでもないコレクションです。
蒐集した本の写真がふんだんに掲載されているので、それを眺めているだけでも楽しい。小島鳥水「日本アルプス」の表紙の可愛らしさに驚き、明治26年に出版された幸田露伴の「枕頭山水」を拝見しました。さらに、後半では海外の文献も紹介されています。1744年、初めてアルプスの氷河を解説した本を紹介しています。因みに、アルプス最高峰のモン・ブランの名が登場するのもこの本が最初だそうです。
真面目に、コツコツと好きな事に情熱を傾け、蒐集家によくいる見せびらかし態度もない、真摯な著者の姿勢が見える、しっかりした書物です。
ただ、この本はハードカバー300ページの大著ですので、持ち運びには不向きです。その点、串田孫一自選の「山のパンセ」(岩波文庫650円)はポケットに入れるには最適です。春爛漫の季節の登山、夏草かおる木陰で居眠りをした時の様子を、こう書いています。
「ふと目をさますと、そこは、ふるい夏の日に毎日午後の三、四時間をすごしに来た松林の中のような気がした。」
「ふるい夏の日」という表現が素敵です。郊外電車、例えば京都の京福電鉄なんかで、鞍馬辺りに行くときなどに、ガタン、ゴトンと揺られながら読むと、青空や素敵な風を感じられる本かもしれません。蛇足ながら、この素敵なカバー画は、串田自身の作品です。
「街と山のあいだ」をテーマに毎回、楽しい企画のミニプレス「murren」(540円)最新号が入荷しました。今回のテーマは「山でパンとスープ」です。
「山でパンとスープの会」は、季節ごとに山に登り、スープを作って、帰ってくるという女性だけの会です。09年に始まり、14年秋で15回の山登りを行っています。関東中心ですが、数時間の山歩きコースと、その時に作って食べたスープのレシピが紹介されています。
「インゲンとマッシュルームのニョッキスープ」「シーフードガンボ」「押麦とコーン入りソーセージスープ」「バターナッツスープ」「白菜とかぶのスープカッペリーニ入り」「トムヤムヌードルスープ」「にんじんとリーキのスープ粒パスタ入り」「簡単クラムチャウダー」「春の豆スープ」「いろいろキノコのクリームスープ」の10品です。
もちろん、これを家庭で作っても十分美味しいでしょうが、熱々の出来たてスープを啜りながら、パンをかじる目前に広がるのが青い空だとしたら、それは極上の味になると思います。
「北八ヶ岳高見石 森と池をめぐる夏」(約2時間35分)なんて、一度行ってみたいな〜。
山をこよなく愛した串田孫一の「遠い鐘の音」(筑摩書房1250円)の中に、「山頂」という詩があります。
「まぁここへ腰を下ろしましょう 疲れましたか ここが針の木岳の頂上です 水ですか ぼくはあとで貰います この光る眞夏の天の清冽 ぼくたちはもうその中にいるんです」で始まる、山を歩くことが人を幸せにすることを詩った詩です。
多分、こんな情景でスープを食べたら、その味は一生忘れないでしょう。
ところで、今号の表紙のところに、 アウトドアグッズ企業の「THE NORTH FACE」のロゴマークが入っていました。「山でパンとスープの会」は「murren」と「THE NORTH FACE」のコラボレーション企画みたいです。