乗代雄介の新作「パパイヤ・ママイヤ」(小学館/新刊1760円)は、眩しく輝く”girl meets girl ”小説の傑作です。
SNSで知り合った二人の女の子、パパイヤとママイヤは、木更津の寂しい河口にある干潟で待ち合わせて、毎日を過ごすようになります。そこは流木が折り重なっている、まるで木の墓場のような所です。
「そこにわたしがいる。この人生がろくなものだと思えず、冷やかして回りたいような気分でいながら、そのくせこんな誰もいないところで、皮を剥いて横たわっている木に腰かけて足をぶらぶらさせて、オーバーサイズのフィッシングベストを着て、一人ぼっちで。
わたしたちの目はすぐに引き合った。『ママイヤ?』とパパイヤは言った。ちょっと笑って、ぶら下げていた足を引き上げながら、わたしは言った。『ほんとに着たんだね、パパイヤ』
これが、わたしたちの初めてに出会い、十七歳の夏の始まり」
二人の家庭環境は複雑です。しかし、著者はそこに焦点を当てることはしません。家族のエピソードを口にすることはあっても登場はしません。ひたすら彼女たちの魂が解放されてゆく輝しく眩しい物語です。
パパイヤは、「なんか、なりたい自分だって気がするんだよね、あんたといる時だけ」と打ち明けます。未来なんか考えられない生活環境、息苦しい学校生活の中で知り合った二人ですが、傷を舐め合ったり、癒したりなんてことはしません。ただ、暗いところにいた自分を明るい日の下へと向かわせる。そのためにはお互いが必要なのです。夏の空の青さ、太陽の眩しさ、吹いてくる海風、何もかもが彼女たちを祝福するのです。
そしてラスト。こんな美しい幕切れを描けるんだ!
作家の町田康がこの幕切れをこんな風に語っています。「最後の最後、その夏の道中の果てに、十七歳の生命の中にあった思いが、『美しくて汚くて寂しくて優しい』その場所に、夢のような踊りとして顕れたその様は、息が詰まるような美しさと悲しみを湛えていて、私はたまらない気持ちになった。」
二人の少女に幸あれ……。そんな気持ちで本を閉じました。
乗代雄介の新刊は、小山田浩子や岸政彦が新作を出すと早速読みたいのと同じくらい注目しています。
さて、新作「皆のあらばしり」(新潮社/新刊1650円)はとても不思議な世界でした。以前ご紹介した「旅する練習」は少女とおじさんのロードノベルでしたが、今回は歴史研究部に所属する高校生の「ぼく」と、博学な関西弁バリバリの中年男の物語です。
栃木駅から離れたところにある皆川城跡、正確に言えば城跡にあるベンチのみが舞台です。ここで、「ぼく」は「ただの出張ついでの観光客や」と近づいてくる中年男に出会います。最初は胡散臭い輩やと一歩引いていましたが、この男の博学さに惹かれていきます。
「言うやないか、青年」とか言いながら、「ぼく」を巻き込んでゆく中年男。なんだかフーテンの寅さんみたいに、滑舌よくポンポンと言葉が飛び出してきます。
定期的にここで会うことなった二人。出張中ってほんとに仕事してんの?と疑問符を挟みたくなるのですが、このおっちゃんが魅力的で、物語にひき込まれていきます。
「ぼく」が持っていた、城下にある古い家の古書目録をチラッと見た男は、そこに小津久足の「皆のあらばしり」という本の書名を見つけます。この人物、映画監督の小津安二郎の親戚にあたり、江戸末期に実際にいた人物で紀行文学の本を出しています。そんな小津久足の本、今まで見たことないけど、まだ世に出ていない本や、大発見や!と言われて、「ぼく」もなんだか興奮していき、それが本物かどうかを調べることになるのですが……..。
歴史の話、本をめぐる話、さらにはディズニーランドの楽しみ方まで、中年男のスリリングな会話のテンポがとても心地良い。
「ぼくが今まで出会った中で一番すごい人間だ。誰も比べものにならないくらい、断トツで。あんたと知り合って半年、本当に楽しかった。それはあんたと一緒にいない時でもそうだ。他のこと全部がどうでもよくなるくらい、この世界がおもしろく見えてきたんだ。だから、あんたのどうしても認められたいと思った」「ぼく」はそんな思いを男に伝えます。
青春の一コマで物語が終わるのかと思いきや、「どうしても認められたい」と思った「ぼく」の取った行動は、胸がすくような、拍手喝采の、めちゃくちゃ大爆笑ものなのです。
直球ど真ん中を、センターバックスクリーンに放り込んだような爽快感一杯のエンディングでした。
乗代雄介の長編小説「旅する練習」(講談社/古書1200円)は、サッカー大好き少女亜美と小説家の叔父が、利根川沿いに数日間かかってテクテク歩き、鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅を描いた、ロードムービーならぬロードノベルです。小説のありがたみを堪能する傑作です。
春休みになったら、鹿島にあったサッカー合宿所で亜美が借りたままの本を返しに行く、ついでに鹿島の試合を観ようという計画を立てていた二人。しかし、コロナ感染拡大のため、試合も、学校の授業も全て白紙になってしまいます。
でも、本だけは返しに行こうと、二人は利根川に沿って歩いて鹿島まで行くプランを実行します。この利根川沿いの風景や自然の描写が生き生きとしていて、実際に行ったことはないのに、その空気感が染み込んできます。叔父が、道中つけている日記に登場する鳥たちの生態が詳しく書き込まれていて、こちらもその光景が目に浮かびます。
歩くこと、ボールを蹴ること、そして二人とも日記を書くことを、旅の日課としてスタートします。ボールを蹴ることが至上の喜びの亜美、それを見つめながら日記をつける叔父の姿に、私たちは一緒に歩いているような錯覚に陥ります。気持ちのいい時間を心ゆくまで味わえる小説です。
旅の途中で、やはり歩いてアントラーズの本拠地までゆくみどりさんという女性も加わり、珍道中は続きます。サッカーの話、特に名手A・ジーコの話が印象的です。「人生には絶対に忘れてはならない二つの大切な言葉がある。それは忍耐と記憶という言葉だ。忍耐という言葉を忘れない記憶が必要だということさ。」というジーコの言葉を巡って、叔父の解釈が日記に綴られていきます。
旅の終わり頃、亜美は「サッカーは仕事じゃないけどさ、本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい。ジーコもそうだったんじゃないかな。そう思ったら、サッカーと出会ってなかったらって不思議に思えてきたの。」と考えるようになります。
心から好きなものの存在は、人生を考えさせる力となるのです。
鹿島神宮でみどりさんと別れ、本を返し、亜美の新しい人生がスタートするのかと思って、最後のページを捲った途端、とんでもない悲しみと絶望を味わうことになりました。その単語を見た途端、私はえっ??と思い、何度も読み返しました。
これが小説のエンディングとして最適なのか疑問は残りますが、もう一度読みたい、もう一度あの風景に、あの鳥たちに会いに行きたいと思わせる力を持った小説でした。巧みな物語の構成、会話の妙味、自然描写の見事さなど、欠けるものがない作品でした。