現在、京都シネマにて上映中の長編アニメ「幸福路のチー」は、台湾から彗星の如く飛び出したソン・シンインが監督した作品です。彼女は、京都大学大学院で映画論を学んでいて、数年間京都に滞在していました。その時の京都での暮らしを綴ったのが「いつもひとりだった、京都での日々」(早川書房/古書1300円)です。

台湾からやってきた若い女性と、彼女の周りを去来する人たちの交流を瑞々しく綴ったエッセイです。半分観光ガイドっぽい京都暮らし本とは一線を画している、とても素敵な一冊でした。

新宿から夜行バスに乗り、京都へと向かい、早朝の京都駅八条口に降り立ちます。初めての古都の印象は、こんな風でした。

「駅の周辺はからっぽ。わたしだけ。暗くて、静かな空間。急に怖くなった。慌てて重たいスーツケースを引きずり、地下街に身を潜めた。何かに飲み込まれてしまいそうで怖かった。 地下街は明るかった。けれど、誰ひとりいない。スーツケースに座って、静かに時が過ぎるのを待つ。古都が目覚めるのを待った。」

静寂感と孤独感。この本を覆っているのは、この二つです。来日直前、彼女は親友の自殺を知ります。友人を失った悲しみと「いつもひとりだった、京都での日々」。

でもこの町と、そこに暮らすおかしくて不思議な人たちとの交流を通して、固まっていた心の中がほぐされていきます。その春風のような優しさが、文章にはあふれています。

居心地が良かったけれど、ひっそりと消えていったカラオケボックス。おばあさん一人がやっている喫茶店。そこは、なんと注文してコーヒーが1時間過ぎて、やっと出てくるお店です。店の名前は「クンパルシータ」。普通なら、二度ど来るか!と思うとことですが、行くんですね、彼女は。やがて、その店も閉じてしまいます。他には、京大吉田寮で出会った天才的ピアニストや、着物フェチの坊主とか、不思議な、そしてちょっと切ないような人たち。

「京都の銭湯が大好きだ」という彼女。銭湯で交わされる京都弁は、当初さっぱり理解できなかったのですが、距離が縮まって、ある時「お風呂あがりに冷たい牛乳を飲むのんが人生最高のことやね。これぞジャパニーズ・スタイルや」と見知らぬおばさんからプレゼントされます。残念ながら、この銭湯も店をたたむことになります。彼女にとって「この銭湯だけが、わたしが厳寒の京都を過ごした場所であり、京都弁を学び、人情の温かさを学んだ場所だということが重要なのだ。」という場所だったのです。

「しゃあないわ。何事にも賞味期限いうもんがあるしなぁ」とは銭湯のおかみさんの言葉です。深い言葉ですね。

最後に彼女はこう書いています。

「神様。京都でひとりぼっちの日々をくださって、ありがとうございます。」

来週、映画「幸福路のチー」を見にゆく予定です。

 

予告

12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。


 

 

 

佐藤究の「Ank a mirroring ape」(講談社文庫/古書500円)には、ただただ脱帽致しました。

どんなお話かといえば、2026年京都市内各地で暴動が起き、人種国籍を超えて目の前の他人を誰彼構わず襲い始めます。あぁ〜、よくある架空のウィルスか、テロリストの仕業の類の活劇モノやね、と軽く流したアナタ!痛い目に合いますよ。

違うんです、これが。ウイルスでもなく、汚染物質でもなく、テロでもない。原因は一匹のチンパンジーなのです。はは〜ん、それじゃそいつが黴菌を撒き散らすヤツか…….それも違います。

チンパンジーが発する警戒音が、惨劇の原因なのです。嵐山渡月橋を疾走し、銀閣寺を走り抜け、京都御所に立て籠もるAnkと名付けられたチンパンジー。彼が通り抜けた場所にいた人々は、突然、暴徒と化し、お互いに殺し合いを始めるのです。毎朝、我が家の犬の散歩でお世話になっている御所は、もう血だらけの悲惨な場へと変貌します。

警察小説で人気作家の今野敏が、解説でこう書いています。「『Ank』は、私にとって衝撃だった。どれくらい衝撃だったかというと、読後、小説家を辞めてしまおうかと思ったぐらいだった。」

彼はこの文章の後に、それは冗談ではなく、もう自分の出る幕はないとまで書き記しています。トップクラスの作家にそこまで言わせるぐらい、この小説はスケールも内容も深い作品です。決して、荒唐無稽なだけの小説ではありません。

「自己鏡像認識こそが、われわれの意識を変化させる。鏡を見る自分をさらに見るーこのことによって、これは自分だ、これは自分ではない、という神経のフィードバックが起こる。これが脳を活性化させ、より内省的な意識を生み、抽象的なイメージを描くことを可能にする。イメージは共感を生み、ある対象を別の対象に置き換える比喩を生み、ついには言語を生み出すに至る。」

この認識ができるのは、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オラウータン、そして人類だけ。本作のベースにあるのは「自己鏡像認識」です。DNAの塩基配列やら、自己認識やら、類人猿の話がポンポン飛び出してくると、私なんぞ???でしたが、物語の面白さに押されて読み切りました。

主人公は亀岡に巨大な霊長類研究所を設置して、その研究を仕切る鈴木望。彼が見た真実の、恐ろしく、しかも深遠な姿。

「十月二十六日の夜が明けると、京都府警右京署の混乱はさらにひどくなった。鳴り続ける電話。増え続ける死傷者。」後半、小説は一気に加速度をあげて、混乱する京都市内の姿を描いていきます。なんせ、私にとってはリアルに知っている通りやら場所が登場するので、恐怖感も一入です。

でも、Ankと鈴木が、濁流と化した鴨川に四条大橋から飛び込むシーンでは、もう泣けて、泣けて……….。

なんでこの物語の場所を京都に設定したのか、その答えは「中京区。西桐院通りと油小路通に挟まれた場所に猩々町という町がある」という鈴木の言葉にあります。「猩々」とは、古い言葉で、オラウンターンを意味する言葉だったのです。さらにいえばチンパンジーを「黒猩々」と、かつての日本人は呼んでいたそうです。

吉川英治文学新人賞、大藪春彦賞、ダブル受賞だけのことはあります。

「何度かハンドルを左右に切り、24号線に入った。このまま北上すれば、JR京都駅に出る。そこから更に北へ向かい、河原町を御池通まで進むと、その西側が河原町署だった。更にその西側は本能寺だ。」

京都の方なら地図が頭に浮かんだことと思います。今の中央信用金庫の御池支店のあるあたり。もちろん、これはフィクションですので河原町署はありません。

読まなければならぬ本が山ほどあるのに、また警察小説に手を出してしまいました。

「『千本興業』は、京都市下京区の西に事務所を置く暴力団である」なんて、一文が目に入ってしまい、手に取ったのが池田久輝の「沈黙の誓い」(ハルキ文庫/中古200円)です。舞台は京都ですが、いかにも名所旧蹟を散りばめたものではなく、特に何もない場所が多く登場します。主人公の安城友市は、「自宅マンションは京都御所の南、高倉夷川にある。」って、うちの店のすぐ近所にお住まいみたいです。ちなみに著者は京都府生まれ、同志社大学法学部卒業なので地の利があります。

 

7年前に雨で増水した桂川で、刑事だった安城の兄が命を落とします。事件性がなかったので、事故死として処理されたのですが、不審な匂いを感じ取った友市は、兄の死の原因を究明すべく刑事となり、河原町署に配属されます。そこに、不審な手紙が送られてきます。そして、事件が動き出します……。

刑事あるいは探偵小説って、だいたい主人公の行動を追って展開します。しかし、この小説はちょっと変わっています。弟の友市が、今担当している事件と、7年前の兄の行動が交互に出てきます。主人公友市の行動が、章が変わるとパタッと切れてしまうのです。著者は作家であると同時に脚本家でもあるので、映画的センスでこうしたのかもしれません。そしてラストで、兄の死と今の事件がクロスして、隠されていた真実が友市の前にさらけ出されます。闇を抱えた老刑事橋詰など、フランス映画に出てきそうな登場人物のキャラも巧みに描かれています。

「お前のシャツ、何で濡れてるんや」「さっきの雨に打たれました。ですが兄は………もっと濡れていた。桂川に流されて。橋詰さん、教えて下さい。兄がどうしてそうなったのか」

腕のいい映画監督が撮ったら素敵なシーンになりそうです。ただし配役が大事。京都弁の喋れない役者の2時間ドラマにだけはしないで下さい。

 

トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再びやってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。ベーシスト石澤由男が伴奏を添えます。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

森見が2003年「太陽の塔」で第15回日本ファンタジーノーベル大賞を受賞した時、面白い作家が登場した!と喜び、その後の作品を読んでいきましたが、ちょっとご無沙汰していました。久々に読んだ「夜行」(小学館/古書900円)は、森見世界の集大成と言える傑作です。ファンタジー、オカルト、そして文学性が巧みにブレンドされていて、居心地の良い読書時間を持ちました。

主人公の大橋君が「叡山電車は市街地を抜けて北へ向かう。学生の頃、叡山電車は私にとって浪漫だった。夕陽に沈む町を走り抜けていくその姿は、まるで『不思議の国』へ向かう列車のように見えた。たまに乗ったときは、ひどく遠くへ旅をしたように感じられたものである。」と懐古するように、舞台は京都です。

話は、「鞍馬の火祭り」から始まります。10年前、京都の英会話スクールに通っていた年齢の違う男女5名が登場人物で、大橋君も含めて彼らが「鞍馬の火祭り」を見に行くために10年ぶりに集まります。以前、彼らが「鞍馬の火祭り」に行った時、英会話スクールのメンバーの長谷川さんという女性が突然失踪してしまいます。彼女の失踪以降、それぞれのメンバーの、不思議で恐ろしい体験をポツリポツリと語りあいます。彼らの体験に共通しているのは、岸田道生という画家が描いた「夜行」という銅版画に出会うということでした。結論は語られぬまま、読者はクライマックスへと導かれていきます。タイトル通り、私たちを夜行列車に乗せて、未知の世界へと連れて行ってくれます。

「黒々とした山かげや淋しい町の灯が流れ、通りすぎる見知らぬ駅舎の灯りが妻の横顔を青白く照らした。車輪がレールの継ぎ目を超えていく音に耳を澄ましていると、まるで夜の底を走っていくように感じられた。」

登場人物たちが集まって、過去を振り返る古典的な手法で、お話は進んで行きます。

彼らが語る物語に現れる謎はほとんどそのままで、読んでる時にふとゾワゾワとした気分になったり、得体の知れない怖さに取り憑かれたりすることもあります。その宙ぶらりんの状態のまま最終章で、旅先でぽっかりと開いた穴に吸い込まれた長谷川さんと大橋君が再会するのですが、そこで飛び出してくるのは、あり得ないような世界です。疑問に対する明確な答えがない不安感、そして不気味さに包まれて物語は幕を閉じます。

「世界はつねに夜なのよ」と長谷川さんのセリフの通り、夜の世界が支配しています。けれど、ラスト、出町柳の賀茂川べりで大橋君はこんな朝を迎えます。

「土手の石段を上がって賀茂川の方へ歩いていった。犬の散歩をさせる人や、ジョキングをする人たちが、白い息を吐いて川べりを行き交っていた。朝露に濡れた土手に腰をおろして、私はしばらく茫然としていた。冷たい朝の空気を吸い、洗い清められた美しい星を見上げた。」

夜の世界から、朝の世界へとぐるっと転換するエンディングに、深く感動しました。

 

 

 

 

 

 

 

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と、このシャツの名前を出しただけで、あそこのシャツか、とぱっと浮かんだら、お洒落な方かも。「モリカゲシャツ」で販売されているシャツは決して安くはありません。でも、楽しくなるのです。

何年も前、女房がこのお店を見つけて一着買ってくれました。前はボタンダウンの白のワイシャツ。しかし、背中の上半分にストライプが走っていて遊び心に溢れたシャツです。前から見るとフツウ、背後から見ると遊びに行こう感満杯の一着を今も大切に着ています。

北海道発の京都案内新聞「その界隈」最新号(540円)をめくると、大きくモリカゲシャツが特集されています。店主の森陰さんは、京都生まれの生粋の京都人。東京の文化服装学院からファッション関係の仕事の中で、大量生産、大量消費のバブル感に違和感を感じ、「作ってる人とそれを買って着る人の関係性が、もうちょっと近いところでできないか」と考えたあげく、オーダーメイドのシャツを作るお店を始めました。

大型書店にいた頃、大量に入ってくる本を、中身も見ずに販売し、大量に返本するシステムに違和感を持ち、本を書く人、売る人、そして読者の関係がこんなに離れていていいの?と思い、レティシア書房を始めたのと似ていると感じました。まだ、モリカゲシャツでオーダーメイドシャツをお願いしたことはないのですが、そろそろ作ってもらいに行きたいな。

「その界隈」で連載中の「その界隈的[博物誌]」の特集は落語「はてなの茶碗」です。上方落語の十八番であり、桂米朝、枝雀の名演があります。落語の舞台となった清水寺の音羽の滝やら、登場する茶道具屋がある衣棚通などが紹介されています。衣棚通は時々途切れたりする南北の通りですが、めったに紹介されません。

面白かったのは、「京都の自転車」という写真特集です。景観写真評論家の田中三光さんが、無造作に撮った市内各所に止めてある自転車と建物。どれも風情があります。あ、これ、あそこだ!とわかる所が何カ所かありました。皆さんもチェックしてみてはいかがですか。

 

ギャラリー開催中 町田尚子原画展「ネコヅメのよる」

ご当地サイン入の絵本「ネコヅメのよる」と、カレンダー「Charity Calendar2018」は完売いたしました。ありがとうございました。

オリジナルシール・ポストカード・手ぬぐいは、残り僅かになりました。

原画展は、21日(日曜日)まで。なお21日は18時で終了いたします。


 

レティシア書房のお客様、作家中村理聖さんの「小説すばる」新人賞受賞後第一作「若葉の宿」(集英社1728円)が発売されたので、平積み(!)中です。

「一年ぶりにハレの舞台に現れた橋弁慶山を見上げると、夏目若葉の心は重たくなった。会所の向いにある町家旅館・山吹屋は、若葉の実家である。町名の由来となった山を眺めていると、汗が噴き出し、不快感が増してゆく。祭りのざわめきが遠く感じられ、違う世界の出来事のように思った。」

という書出しのように、舞台は京都、祗園祭りの鉾町にある小さな旅館山吹屋。祖母とき子に幼い頃より厳しく育てられ、今は老舗の旅館で新米仲居として働く若葉が、小説の主人公です。京都を舞台にしたサスペンスものや、ラブストーリーものは、多数出版されていますが、それらの小説で展開されるようなドラマチックなお話はありません。静謐な筆運びで、旅館の日々と移り変わってゆく京の四季を追いかけていきます。

「祇園祭が終わって八月を迎えると、京都の夏は一段と重苦しくなった。」なんて、文章に出会うと、京都で暮らしている人は、そうそう、と納得してしまいます。こんな時期に京都観光によう来るわ、というのが偽らざる気持ちですが、この小説を読みながら、京都の季節感、その時々の感情を味わって下さい。

事情があって祖父母に育てられた若葉は、自分がこの旅館を継いでゆくことに疑問を持っています。私の人生、これでいいの?一方、古い旅館や、呉服屋さん等が集まる界隈にも、時代の波が押し寄せてきます。「若葉が暮らす中京区でも、小綺麗なホテルやお洒落なマンションが増えていた。近隣にあるマンションで、無断で民泊を始めた住人がいて、そこに泊った外国人たちが、騒音やごみ出しで問題を起こしたこともある。」

変わりゆく京都の街と、自分の生き方に確たるものが見出せない若葉の心の迷いが、巧みに描写されていきます。小説は後半、一気に進みます。その渦に巻き込まれてゆく若葉。自分の居場所を求めて若葉が辿り着いた結論は?

女優で、書評家の中江有里さんは、この小説を「『心あらわれる』とはこういう読後感をいうのだ。」と高く評価されてますが、ページを閉じた時、祇園祭から始まって葵祭の五月で終わるこの小説の、爽やかな初夏の空を見上げた気分になりました。

NHKさん、朝の連続ドラマにいかがですか。

 

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「京都綾小路通は、平安京造営のときに開かれた古い路である」という京都案内みたいな文章が表紙に書かれていますが、吉岡秀明著「京都綾小路通」(淡交社500円/絶版)は、古都案内の本ではありません。

これは、今年5月に死去したフランス文学者で、エッセイストの杉本秀太郎の足跡を辿りながら、この人の生きた京都という町の風景を描き出した本です。杉本秀太郎は、いわゆる京都大学桑原武夫学派につらなる仏文学者ですが、専門のフランス文学に留まらず、日本の古典文学や詩歌にも造詣のある学者です。

そして、何と言っても、二百数十年の歴史を持つ杉本家の九代目として知られています。京都的に表現すれば

「寛永三年どしたさかいな。四条烏丸に呉服商としてお商売始めはってね。で、明治になって、こっちの方移ってきゃはりましたんえ。平安時代は、あの辺は、琵琶法師さんらの集まらはる場所で、ぎょうさん法師さんが来やはったみたいですなぁ〜。

杉本は昭和三年、京都綾小路通新町西入るにある、現在の杉本家に生まれました。旧制松原中学を経て京都大学に入り、桑原武夫の元でフランス文学を研究する。この大学時代に登場する人々が面白い。日本文学の高橋和己、フランス文学者の多田道太郎、エッセイストとして今も人気の山田稔等の文化人達です。

その後、京都女子大学で教職に就き、数十年在職しますが、60年代の学園紛争では、この女子大学でも火の手が上がります。大学は実力行使で封鎖解除を決定しますが、対話を主張する杉本は拒否をしました。蛇足ながら、封鎖解除の日、立てこもっていた女学生は教官の股間を蹴り上げて抵抗したみたいです。

私が杉本のことを知ったのは、エッセイ「洛中生息」(みすず書房900円)でした。みずみずしい文章で綴られて、「外から眺めた」京都への文章ではなく、「内に住んで」書かれた文章ばかりです。

「鞍馬口から東へ、加茂の堤に出るまでの数町を歩くとき、私はなにかしら昔の匂いといったものを鼻先にかぎあてる思いがする。それは豆腐屋の軒を湯気になって流れる匂いのようなものであるし、打綿に初秋の日が射して、ほのかに、かげろうのような舞い立つ綿の匂い、あるいは駄菓子屋を走り出した女の子のさげ髪の匂いのようである。」

という文章で始まるのは、個人的に思い出深い「上御霊神社」。

続編もあります。ゆっくり読んで、ふらっと古都の町を散歩してみてください。

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京都、出町柳。駅近くの鴨柳アパートを拠点に活躍する「もじゃハウスプロダクツ」が製作するミニプレレス「House”n”landscape」の第2号が発売(540円)されました。「家と緑と、もじゃもじゃ」をテーマに植物が鬱蒼と生い茂る家を訪ねて、オーナーに話を聴くユニークな内容で、当店では人気のミニプレスです。(1号も在庫しています)

今回、最初に取り上げられているのは、レティシア書房の近くにある「cafe mole」(御幸町二条下がる)です。クスノキが茂るビルの奥にあるカフェで、犬の散歩で、店先は通りますが、通りからは、植物の枝や葉っぱで覆い隠されて、よく見えません。この特集のおかげで、ちょっとうす暗い店内は、ゆっくりと時間が流れているみたいで素敵な雰囲気がわかりました。

編集長はこの店へ突撃取材を敢行。それが記事になっています。店内から外を撮影した写真が掲載されていますが、森の奥からちょっと外の世界を覗いている感じです。リラックスできそうです。

次のインタビューは、「ちょっとずつ、もじゃもじゃになってます」という方の、野生と化しつつあるお庭とご自宅拝見記です。

「せっかくここまで野生化している訳ですし、庭だと思わず、植物の生息圏、人間の生息圏って言う風に割り切って、もっともじゃもじゃに」

との編集長の言葉には説得力があります。

最後に、現在ミニプレスを研究中の女子大生と編集長のやり取りが載っていますが、彼女は、当店で熱心にミニプレスをチェックしてくださるお客様です。面白いのがあるよと、この雑誌をご紹介しました。こうして、お客様と作り手の交流が始まるのは、書店冥利。とても嬉しいことです。

「京都旧市内の方言(いわゆる京ことば)、御所ことば、職業集団語等2000語を収録、見出し語にアクセントを付け、文例を示し、意味用法の把握につとめた」という「京都語辞典」(東京堂出版 昭和50年発行1000円)が入荷しました。こんな感じです

「オトンゴ(名)末子『あの子オトンゴヤし、甘やかしてイヤハルわ』 八瀬方面ではオトーとも」

「オヤカマッサン 辞去のときのあいさつ語」

「ハシタナイ・カワワタリ・セントキヤス (慣用語)女を変えて、またはお茶屋や場所を変えて遊ぶ客をたしなめることば。」

という具合に京都言葉が網羅されています。井之口有一、堀井令以知共編となっていますが、いやこれだけよく集めたものですね。まぁ、この本持っていたところで、利用できるかと言われば疑問ですが、独特の意味合いを持つ京言葉の奥深さというか、嫌みさをひしひしと感じる辞典です。

前に「チョチョコバってたんや。」と言って、「チョチョコバル?って何?」と関東出身の友人に笑われたことがありました。もちろん「かがむ・しゃがむ」という意味ですが、ちゃんとこの辞書は解説してくれていて、ほっとしました。例文には「そんなとこにチョチョコバって、なんのエー(絵)書いタハルの。」などとありました。改めて聞き返されると、時々、自分の使う言葉に自信がないときがあるもんで。あるいは北山は地名かとおもいきや、これ「接吻」の意味を持っているとか。「北山の衣笠にいた巫女が死んだ人を呼び出したり、口寄せしたところから出た隠語」と解説されています。へぇ〜、ほぉ〜と楽しめる本でもあります。

一緒にこんな京都本も入荷しました

ナカムラユキ「京都文具探訪」(KTC中央出版900円)   

木村衣有子「京都の喫茶店 昨日・今日・明日」(平凡社1100円)

近代ナリコ「京おんなモダン・ストーリーズ」(PHP900円)

こちらは実用性の高い優れた本ばかりです

誠に勝手ながら、レティシア書房は9月1日(月)〜5日(金)まで臨時休業させて頂きます。よろしくお願いいたします。

6日から、新刊アートブックフェア開催です。

 

 

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「花咲いて思ひだす人皆遠し

窓越しに、つぼみがほころぶアモンドの木を見ていたら、ふっと正岡子規の俳句が頭に浮かんだ」

という文章で始るこの本の著者は、日本人ではありません。京都工業繊維大学大学院で学び、日本建築史、日本庭園史をご専門にされる京都在住のエマニュエル・マレスさん。フランス人です。彼が「縁側から庭へ■フランスからの京都回願録」(あいり出版1296円)を出版しました。

「私がこれから書こうとしているのは「失われた京都」や「誰も知らない京都」というものではない。またフランスの芸術家や知識人が書く様な才藻奇抜に日本文化を描いたエッセイでもない。さらに言えば、日本に住んでいる外国人の自己啓発、現代的なサクセスストーリーでもない」

では、専門知識を総動員した専門書かといと、違うんですね。縁側に興味を抱き、「縁側の近代化ー夏目漱石の文学を通して」という博士論文を執筆する話から始まり、庭の魅力に取り憑かれていく様を、専門知識を織り交ぜながら、わかりやすい日本語で書かれています。各章の始まりで、読者の好奇心をくすぐる様な書き方が絶妙です。阪急電車のあずき色の車体の話からスタートしたり、谷口ジローの傑作漫画「坊ちゃんの時代」のワンカットを提示して、漱石と縁側の深い関係性に誘ったり。或は、いきなり鴨長明の「無名抄」の引用から始まり、古文は苦手だけどこの古風な世界が好き、なんて文章に出会うと、どんどん読みたくなってきます。足利義政とナウシカが一緒に出てくる「第九章腐界にてー植治の庭」なんて、面白すぎです。

このどんどんページをめくりたくなる気分は、たぶん、不思議で、様々な美を醸し出す京都の庭に魅かれて、知的好奇心の赴くままに一直線に学んでゆく著者のワクワクする気持ちと一緒に、ワクワクする楽しさを体験させてもらっているからかもしれません。

知らないこと、知るって楽しいよね、という当たり前の事を教えてくれる一冊です。

エマニュエルさんとは、少しお話をさせていただきましたが、魅力的な方でした。またゆっくりお話を聴きたいものです。

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