柴崎友香の「百年と一日」(筑摩書房/古書1300円)は、180ページの中に33の物語が詰め込まれています。一つのお話が数ページなので、短編というよりショートショートに近い構成です。

それぞれの物語の冒頭に長めのタイトルが組まれています。例えば、「たまたま降りた駅で引越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」というように。

どの物語もいい。生きてきた時間の長さとか、変転してゆく人生の哀感とかが見事に凝縮されています。読んでゆくうちに、あれ?これと同じこと経験したよな?と思う瞬間があるかもしれません。

どの物語にも詩情が込められていて、ドラマティックに展開していきそうなものでも静かで淡々とした語り口で進行していきます。

登場する人物や、時や場所は様々で、いつの時代の話か、どこの国のどんな場所なのか何も書かれていません。けれども具体的な名前が書き込まれていない街の、そこにある建物や住居の色合いや風景、登場する人物の仕草や表情まで想像できます。

変わってゆく時代のうねりに飲み込まれたり押し流されたりする人々が生きる、ほんの数コマを切り取るような描き方がとても面白い。ちょっと、O・ヘンリーの短編を読んでいるような感覚になったりしました。

「商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く閉店して閉店した」というタイトルの話は、いつもと違う音楽をかけると店内の様子がガラリと変わると思っている店主が、ある暑い夏の夜、河内音頭をかけてみた。すると、なんだか客が楽しそうに音頭を取り始めて踊りだし、盛り上がって終わります。

「目には見えない音楽が空気中に広がって、その場の空気をすべて変えてしまう」こんな経験、私にもあります。河内音頭じゃなかったけれど。

音楽の不思議な力ですね。

「スターウォーズ」第一作が公開された1977年。大学4年だった私は、就職も卒業もほったらかしにしてアメリカ西海岸にいました。自分なりの理由はありましたが、本音を言ってしまえば現実からの逃亡でした。日本に帰ったらどうなるのかなぁ〜と思い悩みながら、アメリカの日々を楽しんでいました。そこで出会ったのがこの映画でした。バスに乗ってサンフランシスコの映画館へ、2度見に行きました。アメリカ映画の楽しさがすべてここにある、こんな映画に出会いたくて映画館に通っていたんだと、暗闇で自分を納得させていました。

帰国してなんとか就職。1980年「帝国の逆襲」、1983年「ジェダイの帰還」を映画館で観ました。その間、会社の倒産、転職を経て結婚して、1999年公開の「ファントム・メナス」は女房と一緒に観に行きました。最初の三部作に比較してCG技術が格段に飛躍していましたが、物語が脆弱で、その後公開された「クローンの攻撃」、「シスの復讐」は映画館で見ずに、レンタルビデオで済ましてしまいました。自分の中での「スターウォーズ」の存在が小さくなった時期でした。

それまでのレコード店から書店へと勤務が変わり、親の死など様々な出来事に対処していた頃であり、荒唐無稽な世界はお呼びじゃなかったのかもしれません。

しかし、2015年「フォースの覚醒」からスタートする三部作には、引き込まれていきました。最初の三部作を観ていた頃の青春の輝きみたいなものが蘇ってきたのです。この三部作には、最初の三本に出ていた人物が3人登場します。皺の増えた彼らの顔を見ていると、こちらも歳をとったことを痛感しました。そして、昨年大晦日に最新作「スカイウォーカーの夜明け」を観にいきました。

派手なアクション満載でエキサイトしましたが、ラストシーンで涙が止まりませんでした。詳しくは書きませんが、ヒロインの取る行動が、最初の三部作を葬り去るような象徴的なものに見えたのです。

本場アメリカで観た第一作から、それなりの人生を経て、この第九作まで観てきた長い時間、「スターウォーズ」はずっと私のそばにいたのです。どこかでこの映画に支えられてきたんだなぁ〜という思いで一杯になりました。ふと横を見ると、私と同じ世代のおっちゃんも涙ぐんでいました。あぁ〜、このひとも「スターウォーズ」と一緒に生きてきたんだ….。ヒロインの最後の微笑みは「よく生きてきましたね」と言ってくれているように感じました。

「スターウォーズ」と共に生きて来られてよかった。

Tagged with:
 

以前ブログで紹介した「長いお別れ」に続いて、中島京子の「夢見る帝国図書館」(文藝春秋/古書1350円)のご紹介です。長編小説を読んだ満足感100%の出来上がりでした。安心して読める作家の一人ではないかと思います。

小説家を目指すライターの”私”が、「短い白い髪をして、奇天烈な装いをしていた。」貴和子さんと出会ったところから、物語が始まります。貴和子さんは本が好きで、図書館が大好きな老女です。”私”は誘われるままに、「路地の奥のそこだけが江戸時代を背負っているみたいに古かった」小さな部屋に行き、四畳半の狭い部屋に樋口一葉全集があるのを目撃します。そして、彼女が小説を書いて欲しいと頼んでくるのですが、それはとても奇妙な設定の物語なのです。こんな会話が続きます。

「上野図書館が主人公みたいなイメージなの」「図書館が主人公?」「そう、図書館が語る、みたいな」「図書館の一人称っていうこと? 我輩は図書館である、みたいな?」

そこから、樋口一葉に恋ゴゴロを持ち、宮沢賢治と唯一の友の友情を見守り、関東大震災を耐え抜き、戦時中隣接する動物園の猛獣処分で殺されてゆく動物たちの嘆きに悲しみ、敗戦後に「帝国」図書館の役目を終えるまでの”図書館の人生 “が脈々と語られていくのです。図書館の眼差しが、時に優しく時に切ないところに涙してしまいます。

同時に”私”は、貴和子さんの戦前戦後の苦難の歴史と人生を知り、彼女が纏っている謎を解明してゆく物語が進行していきます。ひとりの女性の人生と、時代に翻弄されながらも本を守り続けた図書館の姿が、後半見事にシンクロしていく、巧みな構成です。

日本国憲法草案のため、アメリカから派遣された女性ベアテは、この図書館で資料を集めながら考えます。

「わたしが憲法草案を書くなら、と、ベアテは考えた。この国の女は男とまったく平等だと書く。神様がわたしのようなちっぽけな人間に、こんな大きな仕事をさせようとしているなら、間違えちゃいけない。わたしはこのチャンスを、彼女たちのために使わなきゃいけない」と、本をしっかり抱きかかえて、立ち去ります。その姿を図書館は優しく見つめていました。

晩年の喜和子さんが家を捨て、自ら選んだ道で幸せな日々を送られたことに”私”も、読者もホッとします。小説の完成を待たずに喜和子さんはこの世を去ります。最後の散骨シーンと、帝国の看板を下ろして役目を終えた図書館の姿がクロスして、大きな歴史を描いた物語は終わりを告げます。

「真理がわれらを自由にする」という最後の言葉は、心の底からジーンときて鮮やかな終わり方でした。

 

♫トーク&ライブのお知らせ  

7月13日(土)18時30分より 『澤口たまみ(語り)石澤由男(ベース)ライブ』

今年1月、当店で行われた「宮沢賢治愛のうた」(澤口たまみ著)出版記念イベントのお二人のトーク&ライブが再び
やってきます。澤口たまみがさんが岩手のイントネーションで賢治作品を朗読。
ベーシスト石澤由男が伴奏を添えま

す。 朗読作品は、岩手の自然を見つめ、野原や林からおはなしを貰ってきたという「鹿おどりのはじまり」他を予定。

●18時受付開始  18時30分より (2000円)ご予約ください。

 

 

札幌に、「くすみ書房」という名前の本屋がありました。

2015年、内外のファンに惜しまれつつ、約70年間の書店の歴史の幕を下ろしました。二年後の春、店主久住邦晴氏は病に倒れ、復活することを強く希望されていましが、その年の夏の終わりに他界されました。享年66歳でした。

ミシマ社から出た「奇蹟の本屋をつくりたい」(1620円)は、その闘病時に書き残した原稿をもとに構成されています。本が売れない時代に、なんとか本を売ろうと奮闘努力した書店の記録です。

1999年、様々な外的要因でくすみ書房は経営のピンチに陥ります。営業努力しても一向に売上げは回復せず、支払いは滞り、督促の電話が鳴り続けます。そして、どん底の2002年、高校に入学されたばかりの邦晴氏の息子さんが白血病で亡くなりました。葬儀の香典をかき集めて、本の支払いに回したその日、閉店することを決意します。しかし、邦晴氏はそこで、「くすみ書房さんは、きっと息子さんを亡くして力を落とし店を閉めたんだろう。しょうがないね」と言われるだろう、閉店を息子のせいにするわけにはいかない、と思い直します。

そこから、邦晴氏は新しい本屋の姿を模索してチャレンジを開始します。

業界、マスコミが注目したのが「なぜだ、売れない文庫フェア」と称する文庫の企画展でした。POSデータではじき出された文庫売上げ順位の下位には、名作が並んでいます。でも、売行き不良でどの本屋にも置いていない。良書が消滅する危機感と、売上げデータ最優先の画一的品揃えのナショナルチェーンへの抵抗の意味も含めて、このフェアを敢行します。これが当たりました。マスコミを味方につけた戦略も功を奏して、店の売上げも復活してゆきます。さらに、当時まだ珍しかった店内での朗読会を始めます。

出版社や取次ぎのお仕着せで、独創性のないフェアに背を向けて、「本屋のオヤジのおせっかい『中学生はこれを読め』」といった書店独自の企画で勝負をしていきます。順調に回復していったのも束の間、またもた大型書店の出店で売上は下降。思いきって、本屋を始めた場所を捨て、新しい土地に移転を決意します。

しかし、今度は邦晴氏の妻が病に倒れます。何度かの手術の後、2011年、57歳で妻は天国に旅立ってしまいます。そんな失意の中にあっても、「高校生はこれを読め」展を企画し、実行します。だが、本屋を取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。移転した店も2015年6月閉鎖。再建を目指そうとした矢先、病が発覚。肺がんでした。

闘病中、彼は本書の執筆に全精力を傾けます。最後にこんな事を伝えます。

「お金がなくても作れる本屋 だから借金の無い経営 きちんと休みのとれる本屋 知的好奇心の満たされる本屋 文化を発信できる本屋 置きたい本だけを置いている本屋 何者にも束縛されない本屋を目指します」

この言葉を書店業に携わる人間は、真摯に受け止めるべきだと思います。「奇蹟の本屋をつくりたい」は、不幸にも病に倒れた本屋の一代記と同時に、人が一生かかって、一つの事を成し遂げる長い道程を支える希望を語った本です。多くの読者に読んでもらいたいお薦めの一冊です。

なお、店内にはこの本の出版記念として、各地で活躍する書店主さんが書いた本を並べています。夢の実現に悪戦苦闘したステキな人達です。

 

「こんなクソみたいな国のオリンピックなんか、どうでもいいよ。それより、人を殺しても良い法律作ってくれよ、頼むよ」

なんて、殺伐とした台詞の飛び出すのは、橋口亮輔監督の「恋人たち」のワンシーンです。個人的には、この映画、今年の日本映画最高の収穫だと言い切ります。

数年前に通り魔に妻を殺された労働者の男、無口な夫と姑の世話に明け暮れる女、そしてゲイの弁護士。この三人の、明るい明日の全く見えて来ない人生模様を丹念に描いてゆく映画です。前作「ぐるりのこと」でも徹底的にリアリズムに拘った作風は、今回も健在です。もう色気もなにもない、やるせない妻の夫とのセックスシーンもあります。(まぁ、見たくないけど……)

三人の、無機質に過ぎてゆく日常の冷え冷えとした暮らしを、巧みに組み合わせながら物語が進行します。全然何も起こらないのに、息を殺して画面を凝視してしまいました。私は、この主役の三人を演じている篠原篤、成嶋瞳子、池田良、という役者を知らないので、それがまたとてもリアルに感じました。劇的な何かを内包しないとはいえ、それでも三人に事件が起こります。その過程を描きながら、見事に人生を肯定していきます。

 

その人の悩みや苦労は、他人と相対化できないものです。なんだ、そんな悩みか、と他人に笑われても本人にとっては死ぬか生きるかという場合もあります。そういう悩みや苦しみは、ある程度生きていれば、誰にでもあるもの。でも、それを、ある日、ひょいと越えた瞬間、今までどうも思わなかった風景が輝くことがあります。

映画の三人にもそんな一瞬が訪れます。汚く濁った川が、高速道路の隙間から見える青空が、通勤途中の田舎の道が、薄汚い飲み屋街が、とても素敵に見えてきます。生きていたら、こんな一時もある、とでも言いたげなラスト。画面に広がる青空を見ると、それなりに真面目に生きて来た人なら、泣けてきます。

そして、この三人が、その状況を越えることができたのは、彼らが自分の言葉で、自分を語ったからこそなのです。ぐちゃぐちゃの日常を整理整頓して、一歩足を踏み出すために、きちんと言葉で自分と向き合うことを教えてくれる、至極全うな映画だと思いました。

でも、もう一回、見るかと誘われれば、まっぴらごめんですね。あの生き地獄のような日々の暗闇に、再び向き合うのは勘弁して欲しいです。是非、人はこうして救われるのだということを劇場で体験してみて下さい。