神戸元町に「トンカ書店」という名物古書店がありました。当店の古本市にも、いつも参加していただいていました。店主トンカさんのおおらかさに包まれて居心地がよく、皆に愛された「トンカ書店」が引越しをしました。「花森書林」と屋号を変えてスタートされたので、先日遊びに行ってきました。

児童書、絵本、雑誌、文学書、人文書、写真集、画集、図録などが、所狭しと置かれて、どの書架も面白くて、これも買いたい、あれも買いたいという気分になってきます。下に積まれていた本をゴソゴソしていると、八木重吉の詩集「普及版定本 八木重吉詩集」(彌生書房)が出てきました。

この詩人の詩集を探していたのです。八木は1898年生まれで、生前に刊行した詩集は1冊のみ。1927年には29歳で結核で亡くなりました。この人の詩は、とにかく短い作品が多いのです。

「日はあかるいなかへ沈んではゆくが みている私の胸をうってしずんでゆく」

「日が沈む」という詩です。

私が、はじめて出会ったのは、何かの本か或いは映画で誰かが語っていたのか、もうさっぱり覚えていませんが「できることなら くだものさえ殺さずにいきたい」という僅か、二行の「断章」という詩でした。これが、この詩人の作品だということをどういう経過で知ったのかも、まったく記憶にないというのが困りものです。

詩集をゲットして、パラパラめくっていたら、「雨」という詩を見つけました。

「雨は土をうるおしてゆく 雨というもののそばにしゃがんで 雨のすることをみていたい」

もし、雨のすることを眺めていたら、きっと幸せな時間が流れることでしょう。

偶然ですが、昨日ご紹介した田尻久子さんの「みぎわに立って」の中でも、八木のこんな詩が紹介されていました。

「雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしずかに死んでゆこう」

やはり雨なのです。因みにこの詩集、昭和34年発行で、私が今回入手したのは昭和51年版。なんと20回も重版を重ねています。

「花森書林」は、当然ながらかつての「トンカ書店」の匂いの漂う居心地の良いお店でした。店内壁面で、ご近所の店の店主の写真展も開催されていて、私たちも帰りに、昔懐かしい雰囲気の純喫茶ポエムに立ち寄りました。

もし、元町に行かれることあれば、ぜひ「花森書林」へお出かけください。

 

 

 

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人気作家の江國香織が、古書店のブログで紹介されることは皆無ですが、本の紹介エッセイが好きです。彼女に興味を持ったのは、「絵本を抱えて部屋のすみへ」(白泉社/ハードカバー/絶版450円)でした。ガブリエル・バンサン、M・センダック等の海外の絵本作家を紹介しているのですが、その中で田中弘子(文)、田中靖夫(絵)の「ファミリー・レポート」が取り上げられています。これ、かつてよく出入りしていたジャズ喫茶の窓辺に立てかけてあった絵本です。犬小屋を持たない犬とニューヨーカーたちの十数編の物語です。NYという都会のイキな空間を捉えた絵本でした。

もう一点、最近入荷したのが「活発な暗闇」(いそっぷ社1050円)です。これは、彼女が選んだ詩を集めてあるのですが、カーヴァー、ブローディガン、サバ、ロルカ等の海外の詩人がかなり収録されています。

「ホテルの窓から外を見ると ニューヨークは雪だ、夥しい数の巨大な雪片、まるで 無数の透明な洗濯機がこの都会の 汚れた大気を撹拌して、洗濯しているようだ。」

ブローディガンの詩ですが、マイルス・ディビスのクールなジャズサウンドが、聴こえてきそうなぐらいかっこいいなぁ〜と、個人的には好きな詩です。

江國自身このアンソロジーを「かなり無秩序な、無論ひどく偏った、でもどう見ても力強いアンソロジーです。」と書いています。「力強いアンソロジー」という表現は、的を得た言い方です。林芙美子、室生犀星、金子光晴、中原中也の間に、「クマのプーさん」のA.Aミルン、幻想的歴史小説「シルトの岸辺」で日本でも人気の高いジュリアン・グラックが顔を出す、というアナーキーな編集は作品が持っている強靭な精神を伝えてきます。

さらに彼女はイギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの「来るんじゃない 私が死んだならば」を自ら翻訳して収録しています。この詩は「来るんじゃない 私が死んだならば お前のおろかな涙など 私の墓にこぼしてくれるな」という直球ど真ん中の力強いものです。

中でも私が一番好きなのは、八木重吉の、たった二行の詩「雪」です。

「雪がふっている さびしいから 何か食べよう」

なんか、ほっとしません?

この新装改訂版の表紙絵は酒井駒子です。駒子ファンも見逃せません。