北海道に行けば、かつては必ずと言っていいほどお土産になった、鮭をくわえた木彫りの熊。どこの家にも飾ってあって、でもその内にどこかにしまい込んでしまった、というお宅も多いと思います。

しかし、一刀彫の木彫り熊を作る藤戸竹喜(1934年〜)の作品は全く世界が異なります。

数年前、釧路湿原で「ヒッコリーウインド」を経営している安藤誠さんのロッジに宿泊した時、偶然にも藤戸さんのトークショーと作品に出逢いました。当時は、スミソニアン博物館で展示されているような人とも知らず、初めて作品を観せてもらったのですが、神が宿ると言っても過言ではないような輝きがありました。小さな熊の顔にとても魅かれたのですが、我々には高価で手が出ませんでした。無理をしても手に入れるべきだったと、後悔しています。

さて、新刊で入荷した「熊を彫る人」(村岡俊也・文/在本彌生・写真 小学館2484円)は、個人的にも持っていたい一冊です。藤戸さんの作品も沢山収録されています。森の中に置かれた熊たちの動きと表情をご覧いただきたいと思います。

「熊や狼という動物は、アイヌの人々にとって神なのだ。自身を取り巻くあらゆる自然、山であり、川であり、動物が神であるという考え方。いや、考え方というよりも、生き方と言った方が近いだろう。それは阿寒湖畔に暮す” 熊彫り”である藤戸竹喜の中にも息づいていて、その発露として木彫り熊はある」

写真ではわかりにくいかもしれませんが、つややかな熊の毛並み、大地を踏みしめる足先の力強さは、熊を神とあがめるアイヌの豊かな世界観が見事に結実しています。本の中程に、河原をぐっと睨み、鮭を探す一頭の熊の作品が載っています。全体にみなぎる緊張感が伝わってきます。

藤戸さんは17歳の時、札幌の植物園でエゾ狼の剥製に出会います。その剥製から何かが伝わったのでしょうか、40年ぐらい前から試作を初めて、20年ぐらい経過した頃から、いい埋め木があれば、狼の連作を作り始めています。雪の中に立つ狼。森の孤高の王者の尊厳が伝わります。藤戸さんはこう言います

「土に埋もれて灰色に変色した埋れ木で狼を彫って、なんとか狼を甦らせたかったのかもしれない。熊もとても大事な動物だけど、俺にとって狼はやっぱり特別な動物だ。」

作業場で一心に作品を彫り続けている彼の顔が、とてもいいんです。

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真左・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

 

森岡書店店主が推薦する写真集をまとめた「写真集 誰かに贈りたくなる108冊」(河出書房コロナブックス1500円)は、ユニークな本です。

森岡さんが気になる人、平松洋子、大竹昭子、坂口恭平、辛酸なめこ、ピーコ、しまおまほ、など様々なジャンルで表現活動をしている人に、貴方にはこんな写真集がお薦めという切り口で、本と推薦した理由を書いた文章を添えています。

例えば、坂口恭平には、こんな文章でスタートします。

「海には『海の幸』があり、山には『山の幸』がありるように、都会には『都市の幸』があるという坂口さん。『都会の幸』という観点からすれば、路肩にすてられているゴミや、川面に漂う廃材は、一転して実り豊かな生活資源として立ち現れます。」

そんな都市の幸を巧みに生活に取り込み、小さなダンボールハウスに住まいする人達の豊かな想像力に共感する作家へ送る写真集はフィリップ・モリソン他による「POWERS OF TEN」です。その推薦理由は

「本書は、宇宙の果てから、物質の最小単位までを旅するように構成されていて、目には見えない世界の広がりを見るという意味で、やはり想像力が要になっているといえます」

また、ピーコに贈りたいという写真集は、資生堂初代社長にして、写真家だった福原信三が、1922年ヨーロッパ滞在中に撮影した「巴里とセイヌ」。

ガンを告知され、片目を摘出し、数年間死と向き合ったピーコの著書「片目を失って見えてきたもの」を読んだ森岡さんは

「作者の『人格・個性』が『写真芸術』の『内容』を作る、と強調していた福原信三の観点からすると『巴里とセイヌ』に写しこまれた写真の美しさと、『片目を失って見えてきたもの』でピーコさんの伝えたい人間の美しさは、同じ意味といってもよいと思うのです。」と書いています。

写真集を贈る側と贈られた側の思想、美意識をみることのできる一冊です。

筆者が自ら経営する書店のことを書いた「森岡書店のこと」も収録されています。オープンから今日までの、長いようで短い道程を読むことができます。ぜひ行きたい書店です。

 

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「本を読むというのは元来のんびりした趣味であって、それこそ川辺に椅子を出してそよ風の中で読みすすみ、時に柳の葉が頬をなでるというようなエレガントなものであるべきだ」

と池澤夏樹は書評集「風がページを」(文藝春秋1100円)で書いています。

静かに時の流れる中で、本を読む事の至福を撮影したアンドレ・ケルテスの写真集「読む時間」(創元社2376円)は、とてもステキな本です。様々な場所で、様々なポーズで読書する人たちを捉えたこの写真集の、お気に入りのページをぐっと開いて、机の上、或は食卓に置き、そして、今度は自分の読みかけの本を開いて読み出す。ちょっと疲れたら、先程開いた写真集を眺める。すると池澤が述べたようなエレガントな時間が流れてきます。次の日には、違うページを開いて立てかけておく。本は傷むかもしれませんが、それがこの本の正しい使用法です。(と、思います)

「読む時間」の巻頭に谷川俊太郎が「読むこと」という詩を寄せています。その後半を引用します

「いまこの瞬間この地球という星の上で いったい何人の女や男が子どもや老人が 紙の上の文字を読んでいるのだろう 右から左へ左から右へ上から下へ下へ(ときに斜めに) 似ても似つかないさまざまな形の文字を 窓辺で木陰で病床でカフェで図書室で なんて不思議・・・・あなたは思わず微笑みます 違う文字が違う言葉が違う声が違う意味でさえ 私たちの魂で同じひとつの生きる力になっていく しばらく目を木々の緑に遊ばせて あなたはふたたび次のページへと旅立ちます」

本なんて読まなくても生きていける、でも本を読む幸せを知っている人なら、この写真集を捲るたびに微笑むことでしょう。41ページには、おそらく阪急電車だと思われる車内で、頭を剃った和服姿の女性が、手元の本に目を落としている作品が載っています。車外から射し込んでくる日光が彼女の手元をやさしく照らしています。タイトル通り「読む時間」が流れていきます。

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

 

トラピスチヌ修道院は、函館市郊外にあるトラピスト会系の女子修道院「天使の聖母トラピスチヌ修道院」の通称で、通称天使園とも呼ばれる日本最初の女子修道院です。

この修道院は周囲を高い堀で囲っていて、家族であっても立ち入りは許されません。中では、厳しい戒律を守りながら、隠遁修道生活が営まれています。

この修道院の設立100年を迎えるに当たって記念の写真集を発行することになりました。それが、野呂希一の写真集「天使の聖母 トラピスチヌ修道院」(菁菁社1400円)です。修道院の写真集?と思われるかもしれませんが、素敵な写真集です。

農作業をする修道女達の背後に広がる夏の青空、緑色の畑の眩しさ、稲作業を包み込むような冬の陽射し、修道院の中に射し込む柔らかい光、朝の祈りの後、廊下を静かに進む修道女達の清らかさ、等々心休まる作品が次々と登場します。図書室や、個室で一心に読書に励む彼女たちの後ろ姿には、「学ぶ」という事のプリミティブな姿が捉えられている気がします。

写真家が修道院の内部撮影をすることになったきっかけは、あるシスターが、野呂希一の作品集「WOODS」に共感し、自分たちの考えが「WOODS」の視点と共通するということでした。そして、「生命の織物」というコピーを野呂さんに渡されたことで、お互いを理解できたのです。

それは、1854年、アメリカの先住民達の土地を時の大統領が買い上げたいという申し出に対して、ネイティブアメリカンの首長が大統領に送った手紙でした。

「我々の住む土地も空気も聖なるもの。それらは人間の所有物ではなく、人間も大地の一部で、大地は自分自身、あらゆるものはつながっていて、人間が生命の織物を織ったものではなく、織物の中の一本の糸にすぎないのに、それをどうして売買などできようか」

というもので、「環境問題の旧約聖書」と呼ばれています。

この修道院では、自然のうちに生かされていることを最も大事に考えています。だからなのでしょうか、この写真集は、野外で自然とともに生き、働く姿が数多く収められています。所有しないことの美しさ、働くことの喜び、移り行く自然の姿が崇高に、見事に捉えられています。

蛇足ながらここで作っているクッキーが美味しくてお土産として人気とか。函館で買えるのかなあ?

写真家のかくたみほさんの新刊「MOIMOIそばにいる」(求龍堂2484円)が入荷しました。彼女には、当店のギャラリーで、二度個展をしていただきました。

2006年、初めてフィンランドを訪れたかくたさんは、この国の魅力にハマり、その後十数回も渡航を重ねます。

「自然の恵みを活用して循環できている中に、生きる人と動物の知恵があり美しいのです。日本のように自然信仰がベースにある考え方は居心地良くて、みんなが仕事より暮すことに重きのある生活を送っていることにも惹かれました。」と、書かれています。

当店での写真展で在廊中に、我が家の愛犬マロンを撮影していただきました。ちょうど2015年度のカレンダーの仕事で、犬をたくさん撮影していらした時で、なんとマロンは、表紙になりました。(その時の飼主のバカ喜びぶりは以前ブログに書きました。)

犬の写真には定評のある彼女なので、この写真集でも、フィンランドの優しい自然の中で、のんびり暮す犬たちが撮影されています。犬ぞりで冬の大地を駆け抜ける作品は、おそろしく寒いだろうけど、たまらなく魅力的な夜明けが撮影されています。

「犬ゾリで凍った湖の上を走る。am10:00明るくなり始めた美しい空。太陽が低いのでピンクとブルーのファンタジーな色が数時間続くのが日本の空とは違う。私が冬に魅せられた色だ。」疾走する犬ゾリの前方にうっすらとピンク色で輝く地平線が美しい。

犬ぞり最後尾を走る、しっかり者の犬が、ちゃんと付いて来てる?と振り返ってチェックする様を捉えたユーモアたっぷりの作品などを見ていると、かくたさんと、この犬の間に伝わるものが感じられます。

サンタクロースが住んでいるとされているラップランド。スウェーデン、ノルウェイ、フィンランド、ロシアの4カ国にまたがっている広大な場所は、原住民のサーミ人が暮らしています。かくたさんは、ここを訪れて、トナカイと暮す人達もファインダーに収めています。湖に佇むトナカイを見ていると、サンタさんが住んでいても不思議ではないと思いました。

サーミの華やかな民族衣装に身を固めた人物が、飼っているトナカイと一緒に収まっている写真が最後を飾っています。暖炉にあたりながら、魅力的な神話を語ってもらえそうです。

彼女の前作「キラリキラリ」(パイインターナショナル)も置いていますので、こちらもぜひご覧下さい。

◉写真集発売記念の個展が神戸であります。5月12日〜31日 神戸・iiba ギャラリー

 

 

“お散歩”フォトグラファー、呑海龍哉さんの写真集 「京都夢物語」(DOM・PHOTO1944円)が入荷しました。

「若旦那」という名前の、唐草模様の手ぬぐいを撒いた子いぬが扉から外を覗いている表紙からして、微笑ましい。花街に出没するサギを捉えた「予約のサギですけど」という作品のお隣には、祇園祭のサギ舞の写真が並べてあるセンスも面白く、次の写真をとページを捲りたくなってきます。こんな風に、ユーモア、ペーゾスを交え、京都のごく日常の姿を捉えていて、いかにも、ザ・京都的な写真はありません。

時代劇さながらの雰囲気で尺八を吹く男を捉えた「さすらいの尺八奏者」、静かな朝チェロの練習を、クラブのボックスで一心不乱にする女子学生の姿を捉えた「練習中」、あぁ〜今日も客が来ねえなぁ〜、とため息混じりの飲み屋の親爺の後ろ姿を撮った「今日も坊主」等。私が思わず笑ったのは、「気分は銅像」。これ、三条大橋にある銅像につながれたワンちゃんの微笑ましい姿をおさめたもの。もうひとつ、横転した車を起こそうと、必死になっている警官たちを捉えた「よっこいしょ」も、「頑張れ」と声を掛けたくなります。

さて、もう一冊京都関連本のご紹介。絵本「市電22番」(文理閣1800円・初版)です。タイトルにあるように、京都市内を走っていた市電22番系統を主人公にした絵本です。市電に乗って、通学、通勤された方には、あのパンタグラフ、つり革、正面から見た面構えなど、懐かしいなぁ〜と思われるのではないでしょうか。

表紙をめくると北大路橋を往く市電と、鴨川で遊んでいる子供たちを捉えた写真が載っています。かつてここにも市電が走っていたんだなぁ〜という感慨に耽ってしまいました。絵本は、交通渋滞の一因にもなりかねない市電の撤去を描いています。

「バスのほうが好きや 早いもん そやかておいこせるやん 電車はレールの上 走ってるしおいこせん なんで しでんなくなるや 車はしるのに じゃまになるしかな」

という子供のモノローグ通り廃止になりました。ラストカットは、どしゃぶりの雨の中を、遠くに消えてゆく市電を描いてあります。市電が泣いていたのかもしれません。

なお、この絵本ほ発行は1978年。一応ビニールで保護していますが、表紙カバーに破損があることをご了解下さい。

呑海龍哉さんの写真展は、2017年1月31日(火)〜2月5日(日)レティシア書房にて開催予定

 

 

「2008年11月3日 昼間の高速バスに乗り、京都駅に着いたときは20時を少し過ぎていた」という日記で始まります。消費者金融に多額の借金を残し、自己破産寸前の父を、なんとか社会復帰させようと努力する息子の記録した日記は、2009年8月まで続きます。

だが、ある日、父がフッと姿を消してしまいます。そして、またフッと戻ってきます。その繰り返しの日々。

そんな父親の姿を、写真家である息子が撮影し始めます。

写真家はこう思っています。

「ある日突然いなくなり、しばらくのあいだ姿が見えなくなる。そのような『蒸発』を繰り返すことで、私の父は何もない人間になること。それはおそらく父自身が望んだことだ。何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。」

「何もない人間」って何?を知る為に、写真家は膨大な写真を撮っていきます。一体、父の人生って何だったのか、父の心はどこにいったのか、その闇の奥へと向かった試行錯誤。それを一冊の本にしたのが、金川晋吾の処女写真集「father」(青幻舎2916円)です。

圧巻は最後に収録されている、父自身が撮影した自分の顔の数多くの写真です。自画像と言っていいのでしょうね。多くのことを語っていそうで、実はすべて消去してしまったかのような表情です。

この顔から、何を読み取れるのかは、人それぞれ、その人の人生観で変わると思います。しかし、そもそも外側から判るものがどれほどあるのか。

「やっぱり生きていくのが、面倒くさい」

これは、その父が書き残したメモ書きです。

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昨日のブログでご紹介した「へろへろ」の版元ナナロク社は、小さな出版社ですが、どれも個性的な本を出しています。何点か入荷しているのですが、今日ご紹介する本の迫力は一見に値します。

渡辺雄吉写真集「張り込み日記」(2916円)です。このタイトルで思いだすのは、1955年に出た松本清張の「張込み」であり、その数年後に映画化された同名映画です。映画は、あの当時の日本を見事に捉えた作品でした。

この本は映画とは全く別のものですが、捜査の最前線に立つホンモノの刑事達の姿を密着取材した驚異のドキュメントです。

昭和33年、水戸市でバラバラ事件が発生し、事件を担当する二人の刑事の地道な捜査の日々を写真に収めています。事件発生から解決まで半年がかかりましたが、その間の20日程を密着して、なんと1000枚程残された写真を再構成して出来上がりました。

張り込みの現場、捜査会議、聞き込みと、第一線の刑事の現場がドキュメントされています。日本の敗戦から十数年経ているとはいえ、町のあちこちに戦争の残り火みたいなものが漂っています。当時の日本の市民社会を収めた貴重な写真集でもあります。

雑踏を歩く二人の刑事の面構え。今ではあまり見られなくなったような、無骨な、深みのある男の顔です。黒澤明の映画「野良犬」をそのまま写真にしたような世界ですが、あちらは虚構、こちらに嘘はありません。右下の写真も、映画のワンカットみたいですが、本物の捜査の現場です。

トレンチコートに、帽子姿で、聞き込みに回る二人の刑事姿なんて、いまどきの刑事物ドラマよりかっこいい!

この本の構成をしたのは、乙一。若い方ならよくご存知ですよね、ライトノベル界で注目され、2005年発表の「ZOO」でブレイクした若手作家です。彼は後書きでこうコメントしています。

「ページをめくるうちに建物が高くなり、背景となる都市の暗闇は増す。二人の刑事がその深奥へと入っていくような構造にしたかった。人探しをする刑事の姿に、都市に埋没しそうな自分を探す現代人の姿を重ねた。」

今まで、浴びるほどに刑事小説を読み、デカもの映画も欠かさず観てきましたが、それらを吹っ飛ばすぐらいの力に満ちた写真集です。今や、総禁煙時代。この本に出てくる刑事たちみたいに煙草吸いながらの捜査の日々、なんてシーンもお目にかからなくなりました。

イケメンでもなければ、おしゃれでもないのですが、いや、もう痺れる程カッコいい男たちを見せてくれる希有な写真集です。

一冊は手元に置いておくべし。きっと、何かの役に立つ?かな。

 


 

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今年、「SAPEURS/サプール」(青幻舎2484円)という本がよく売れました。アフリカの下層階級の人達が、生活費をけずっても買い込んだ高級ブランドに身を包んで、街を闊歩する姿を撮影した写真集です。エレガンスの極みみたいな一冊ですが、本を買われた方からは、なんか元気でるよね、という感想をいただいたりしました。

黒い肌の美しさに魅せられるという意味では、「Skin」(扶桑社1500円)もお薦めです。アーティストひびきこづえのコスチュームを身に纏った男たち、女たちを写真家、高木由利子が捉えた作品です。二人は、ケニア、トルコ、タイへと旅を続け、その地で暮らす人達とのコラボを収録しています。

それぞれに物語性があり、神話的世界、幻想的世界、祝祭的世界を表現しています。肌の色にしても、すべてがブラックという訳ではありません。でも、それぞれに美しいのです。彼らが着ている極めて装飾的なコスチュームがなかったとしても、彼らの佇まいはきっと素敵なものであるのは間違いないでしょうが、非現実的な服を身につけることで、演劇性の高い人物へと変身して、ページを捲るごとに、私たちを天空の想像世界へと誘ってくれます。

写真集といえば、久しぶりにアラーキー(荒木経惟)のデビュー作品集「さっちん」(新潮社700円)が入ってきました。昭和30年代の、どこにでもいる少年少女の日常を捉えたものですが、なんて幸せそうな表情でしょう!毎日が楽しくて仕方ないという感じが、伝わってきます。まさに天真爛漫。思いきり笑った瞬間の大きな口、面白いことは絶対見逃すまいとする目の動き。世界は僕たちのためにあるということを抱きしめて遊べるなんて、最高じゃないですか。

アラーキーは、こう語っています。

「少年性っつうのはね、一番の魅力のことなんだ。そんなものはね、十歳とかそんな頃に、いくらまわりの環境がどうだったって、奪い取れるものじゃない。それをね、いまの時代がだめにしたなんていったりしちゃあだめだよ。チャンスがあればいつだって呼び戻すかもしんないよ。もって生まれた少年の野生っつうのをさ、そういうものを」

「もって生まれた少年の野生」って、いい言葉だと思います。

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奈良原一高の写真集「王国ー沈黙の薗・壁の中ー」(朝日ソノラマ写真選書・初版・著者サイン入り)を、入手しました。

奈良原は1931年、福岡生まれの写真家です。67年発表の『ヨーロッパ・静止した時間』で、日本写真批評家協会作家賞他を受賞して以来、数々の賞を受賞しています。

その中でも、この「王国」は撮影対象の特異さで注目された作品です。作品の前半は北海道のカソリック修道院で修行する僧を撮影した「沈黙の薗」、後半は和歌山の婦人刑務所の受刑者を集めた「壁の中」です。

いわば、日常世界から遠く離れた世界の中に生きる人びとの一瞬を捉えた作品集です。不思議な静寂に満ちた作品が並んでいます。「黙々と生きる」とは、こういうことなのかもしれません。厳格に定められた通りの日々を捉えた写真の一方で、野良仕事に向かう僧侶の前で、草を食べている羊を収めた作品には、温もりも溢れています。

後半の女子刑務所の中を撮影した作品群は、受刑者の悲しみとか、怒り、憎しみといった複雑に絡み合う感情を排して、やはり不思議な静謐感に溢れています。刑務所内でパーマをかけている受刑者の作品には、どこかユーモアさえ漂っています。撮影はどちらも1958年に行われていますので、古びた世界ではありますが、強靭な力を保持しています。作者は、こう書いています

「事実は観念をとびこえる肉体を持っている。そのような僕にとって、うつし出された写真の世界そのものは、遂には外にある現実と内にある心の領域とが出会ってひとつとなった光景のようにさえ思えたのだ。」

カメラという現実を映し出すものが、見事に作者の心象風景を描いた傑作です。この本は、1971年に中央公論社から出た「王国」を再編集した改訂版ですが、貴重です。お値段は8000円です。

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