レティシア書房での、松本紀子さんの写真展は今回で3回目です。
2019年、シンガーソングライターのヤマモトケイジさんの詞から「そのかわり その代わりに」という小さな写真集を作り、それを持って店に来られたのが出会いでした。写真集の販売を兼ねた個展に続き、2021年には「Dream」という写真集を自費出版されました。これは、山崎まさよしさんの楽曲の中の「夢」という言葉が出てくる歌からイメージして作られました。いずれも敬愛するミュージシャンの歌に触発されたものでした。
そして今回、映画のワンシーンのような作品が並びました。彼女の内にあるこの映画のストーリーはわかりませんが、自身の中から紡ぎ出した言葉を写真に焼き付けたのだと思いました。溢れる感情を静かに受け止めて、シャッターを切る音が聞こえてくるようです。
「偽りの自分で君の話を聞く 君が夜が怖いなら いつでもここにいる 本当の自分を隠して君の話を聞く きみが朝が怖いなら いつでもここにいる 赤い秘密が胸を焦がすけど 君が教えてくれた歌だけが 私の心を癒す」個展のフライヤーに書かれた松本さんの詞です。
言葉と写真。これからも、きっと自分の気持ちにまっすぐに向き合って撮り続ける松本さんの新しい旅立ちのような作品展です。どうぞ御高覧下さいませ。(女房)
☆松本紀子写真展
8月31日(水)〜9月10日(土)13:00〜19:00 月火定休(最終日は18:00まで)
☆レティシア書房からのお知らせ
9月11日(日)〜15日(木)休業いたします。よろしくお願いいたします。
カメラを網にして昆虫採集をする「虫撮り」。グラフィックデザイナー菊池千賀子さんの写真展のタイトルです。菊池さんが、仕事とは別に写真を撮り始めて最初に「ハマった」のは水滴だそうです。
「雨上がりに植物や花についた丸い水玉を面白い!可愛い!と見つめていると色々なものに出会います。水滴を狙ってシャッターを切った写真に、想像もしていなかったものが写っていることがあって、そのなかに虫たちがいました。」(個展挨拶文より)
川崎市にお住いの菊池さんは、都会のごく身近にいる虫たちをカメラに収め、虫や花に興味を持ち、名前を調べていくうち彼らと友だちになっていきます。虫カゴならぬ写真に採集された虫たちは、今生きてる瞬間を全身で楽しんでいるように見えます。
黄色の花(ルドベキア・タカオ)を撮っていたとき気配を感じて見たら、同じ色の「アズチグモ」を捉えたという奇跡の一枚のタイトルは「あ・・・」です(写真・上)。菊池さんの嬉しい驚きが、そのまま伝わってきます。もちろん、この難しい花の名前は調べたのだそうです。名前がわかると、人でも街でも急に親しみが持てますよね。そして、下の写真のタイトルは「俺の背中」。ラミーカミキリの美しい背中の模様を見てやってください!自慢気なラミーさんのポーズが愛らしい。
これらの虫たちのサイズ感がわかる小さな額も並んでいます(各1000円)。実に小さいのですが、そんな彼らを見つけて、じっとファインダーを覗く菊池さんの幸せそうな様子を想像すると、こちらも嬉しくなってきます。蒸し暑い夏に、小さな虫と可愛い花の素晴らしい世界をご覧ください。(女房)
☆「わたしの昆虫採集 虫撮り」菊池千賀子写真展8月17日(水)〜28日(日)13:00〜19:00 月火定休日
「素晴らしい人生を送ることができるのに、なぜここに留まって、惨めでへとへとに疲れる生活を続けているのか?別の場所の上でも同じ星が瞬いているというのに」
〜ヘンリー・ディヴィッド・ソロー「ウォーデン森に生活」より
ブリス・ポルトラーノの文章と写真による「NO SIGNAL」(日経ナショナルジオグラフィック/新刊2420円)は、それまでの生活を捨て去って、大自然の中で生きるということに舵を切った10人の人生に迫ったものです。著者はフランス生まれの写真家で、自然と共に生きる人たちを世界各地に訪ねました。さすが、ナショナルジオグラフィックが出版するだけの素晴らしい写真がふんだんに使われている一冊。
登場するのは、ノルウェーの無人島で灯台守として暮らすエレナ、ギリシャの廃村で暮らすシルヴィア一家、フィンランドのツンドラで犬と共に生きるティニヤ、イランで古より伝わるペルシャ騎士の生活を固持する元大学教授アリ、モンゴルの少数民族と共にトナカイの遊牧をするアメリカ帰りのモンゴルの女性ザヤ、アメリカのユタ州で完全自給自足の生活を営むベンとキャサリン、等々です。
先ずは、写真を見てみましょう!よくもまぁこんな所で生きてるなぁ〜と驚いたり、共に暮らす動物たちの姿に見入ったりと、私は何度もページを繰りました。電気もガスも水道もない場所で、自分の力で生きてゆくなんてことは都会の人間には無理、と思ってしまいます。
でも、パタゴニアで夫と息子と共に牧畜を営むスカイは、こんなことを言います。
「都会に行くたびに、とてつもなく虚しさを覚えます。そして、自分がいかに自然やこの人生とつながっているかにも気づきます。鶏の鳴き声や鳥の歌声が聞こえない場所で暮らすなんて、私には理解できません」
また、ユタ州で自給自足生活を送るベンは「森の中を25キロ歩いても空腹を感じないのに、一日じゅうパソコンの前にいると腹が減るってどういうこと? まったくナンセンスな話ですよね!僕たちの体はどうしていいかわからず、怒っています。本来、一日じゅうパソコンの前に座って過ごすようにはできていないんです」と。
だからといって、彼らが現代文明を拒否しているのではありません。「むしろ現代社会が提供するテクノロジーを思慮深く活用するものだと証明している」と著者は、その印象を書いています。
何かを捨て何かを得る、というシンプルな考え方に対して、何もかも得る、という方向へ私たちは向かっています。だから息苦しいし、疲れるのかもしれません。随所にアメリカの思想家ヘンリー・ディヴィッド・ソローの言葉を散りばめた本書を読みながら、一歩留まって、自分の暮らしを支えるものを見直すのもいいと思います。
京都駅ビル内の美術館「えき」でやっている鋤田正義写真展「BOWIE KYOTO SUKITA」に行ってきました。ご承知のように、デヴィッド・ボウイはイギリスのロックシンガーで、2016年69歳でこの世を去りました。生涯に渡って新しいサウンドと新しいファッションを追求した人でした。そんな彼を追い続けてきたカメラマンが鋤田正義です。1972年、グラムロック界の雄T-REXを撮影にロンドンに行った時、ボウイと知り合いになり、73年のツアーに同行しました。そして77年の傑作アルバム「ヒーローズ」のジャケ写真を撮影しています。
ボウイは京都が好きで、来日した時には長期間京都に滞在していて、今回の写真展でもボウイが京都にいた時の作品が並んでいました。阪急河原町駅で、電車をバックに撮っているものや、商店街でおっちゃんと談笑しながら買い物をしているものなど、過激でアグレッシブな音楽活動を続けたボウイとは別の、穏やかな顔を見ることができます。
個人的に「ヒーローズ」はベスト1だと思っています。このアルバムに収められた「ヒーローズ」を、西ドイツでライブ演奏した時、スピーカーを東ドイツの方に向けたため多くの東ドイツの若者が境界線に集まり、その後の東西ドイツの壁崩壊のきっかけになりました。そのジャケ写真も飾ってありました。(当店にはアナログレコードあります。2000円)美しさと気高さがこれほどまでに揃った作品はないと思います。
ボウイは読書好きで、ジョン・オコーネル著「デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊」(亜紀書房/新刊2420円)という一冊があります。小さい時から、数多くの本を読み込んできた彼は、自分の音楽作りに役立ててきました。本書は、少なからず彼の人生に影響を与えた書物に、著者が解説を加えていったものです。
フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」、ケルアック「オン・ザ・ロード」、オーウェル「1984年」、エリオット「荒地」、ホメロス「イリアス」、カポーティー「冷血」などが並んでいます。
各作品の解説に加えてその本にあったボウイの曲が紹介され、さらに、紹介された本を読んで気に入ったら、次に読む本まで書かれています。ここまでくると立派な文学案内ですね。
スパークの「ミスブロディの青春」とか、ブレインの「年上の女」とか、私は先に映画で観ていたのですが、こんな渋い本をボウイは好きだったんだと思うと、ボウイをもっとライブで聴きたかった。
いつだったか、大阪堂島にあった書店「本は人生のおやつです」の店主(現在は兵庫県朝来市で開店)に、きっとレティシアさんなら本を置いてくれるよと聞いて、「電気風呂」のミニプレスを持ってやってきたのが銭湯愛好家のけんちんさんでした。「私は電気風呂の専門家です」と自己紹介されて、京都の銭湯と電気風呂の関係などを熱く語ってくれました。その話があんまり面白かったので、けんちんさんの書かれた「電気風呂御案内200」と「蒐集 下足札」を販売することになりました。
その後もお風呂帰りに立ち寄って、話してくれる銭湯愛は尽きることがありません。写真や資料も沢山あるとの事だったので、じゃあ一度、その銭湯への思いをギャラリーで展示してみようか、よし!ということになりました。
そして、本日より「銭湯文化的大解剖展」(おしどり浴場組合)が始まりました。って、「銭湯文化的大解剖展」ってなに?おしどり浴場組合??
おしどり浴場組合は、銭湯をこよなく愛する七人のメンバーが2020年秋に結成したクラブみたいなもので、それぞれが、執筆、イラスト、撮影などを担当して「銭湯文化的大解剖!」という雑誌を作りました。(税込1980円)銭湯の「外観」「玄関」「脱衣場」「入浴券」そしてもちろん「浴室」など、細かすぎるこだわり。銭湯の歴史、電気風呂(これはもちろんけんちんさんの専門)、お風呂やさんのインタビュー、おしどり浴場組合員の推し銭湯など、読み応え充分です。
さて今回の展示は、大きな『ゆ』と染め上げられたのれんとメンバー紹介から始まって、①メンバーが撮った銭湯の外観や浴室の写真、②6月5日に惜しまれつつ閉店した京都の「錦湯」で最後まで使用されていた「料金表」や「湯ぶねに入るときの注意書き」「柳行李」「閉店挨拶文」など、③「電気風呂コーナー」、で構成されています。ちなみにけんちんさんによると、電気風呂は、昭和40〜50年代には京都のお風呂屋さんにフツーに設置されていた日本独自の文化だそうです。現在電気風呂を利用するのはお年寄りの方が多く、若い方には少し敬遠されているとか。けんちんさんが電気風呂を深掘りして広めたいと思うのは、このままでは大好きな電気風呂がなくなるかもしれないという危機感かもしれませんね。
そして、なんと今回の展示に合わせて作られたミニプレス「銭湯生活」第1号(2022年6月15日発行)が、「銭湯文化的大解剖!」とともに積み上げられています。ぜひ手にとってページをめくってみてください。「銭湯が好き!」で繋がったおしどり浴場組合員たちの銭湯愛が溢れ出てきますよ。オリジナルのマスキングテープ(715円)缶バッチ(550円)も販売しています。(女房)
☆「銭湯文化的大解剖展」(おしどり浴場組合)は6月15日(水)〜26日(日)
月火定休 13:00〜19:00
「美術館えきKYOTO」(京都伊勢丹内)で開催中の、「平間至 写真展」に行ってきました。平間至は、TOWERレコードのコンセプトを表現した「NO LIFE NO MUSIC」のポスターで知っていました。ポップス中心のレコード会社に、石川さゆりを被写体にしたポスターを見たときには驚きました。しかも、これがカッコいい!
今回の写真展、前半はミュージシャンの作品が並んでいます。旬の、あるいは円熟期を迎えたミュージシャンの姿が輝いています。安室奈美恵の迫力ある姿や、ポップシーン最前線に飛び出したスピードの勢いのある視線に足を止めました。その一方で、和田アキ子のブルージィな横顔や、実力派の貫禄をにおわせる忌野清志郎など、写真が”ロック”していました。傘を手元に置いて、こちらを見つめる細野晴臣は絶品。
展覧会は、「すべては音楽のおかげ」「光景」「田中泯<場踊り>より」、そして「平間写真館 TOKYO 」に分かれています。
中でも「平間写真館 TOKYO 」が、とても楽しい。2015年に開いた写真館では、多くの家族が訪れて撮影しています。子供達、親子、夫婦、成人式を迎えた女性の姿など家族の時々を捉えた写真は、もう、見ているだけで笑顔になれます。平間の祖父は写真館を営んでいました。かつてどの町にもあった写真館は、多くの家族の特別な日や、幸せな瞬間をカメラに収めてきたはず。その精神を引き継ぎ、平間はこの時代に写真館を復活させて、多くの人々の幸福な時間をフィルムに焼き付けています。
「僕にとって、写真を撮るという行為はひとつのライブ。被写体が撮られていることを意識しなくなった瞬間、自発的で生き生きとした写真が生まれる」という言葉通り、屈託のない生き生きした表情に取り囲まれます。その熱気に当てられて、見ている私たちもウキウキしてくるのかもしれません。
彼の作品を集めた「ITARU HIRAMA 平間至1990−2022」(TWO VIRGINS/新刊2200円)を入荷しました。ほぼ展覧会通りに作品が並んでいます。ホント、かっこいいですよ。
現在開催中の「KYOTO GRAPHIE 」に、今週も行ってきました。
今日は、京都市美術館別館の「アーヴィング・ペン」展からスタートです。スタジオポートレートの第一人者であるペン(1917〜2009)は、後世の写真家たちに多大な影響を与えた作家の一人です。パリにあるヨーロッパ写真美術館のコレクションから、約80点が展示されています。静物写真、風景写真、ポートレイト、ファッション写真等々、多彩な活動をしてきたペンの、モノクローム・カラー写真を見ることができます。
お!と感激したのはジャズトランペッターマイルス・ディビスの手を撮った連作です。この手からあの驚異的ジャスサウンドが出てきたのかと、しなやかで力強い手の姿に見入ってしまいました。
次に訪れたのは、この会場から歩いて10分くらいのところにある琵琶湖疏水記念館で行われているサミュエル・ボレンドルフ「人魚の涙」展です。フォトジャーナリストとして世界を駆け巡る作家が捉えた環境汚染。産業マイクロビーズなどのプラスチックゴミ汚染にさらされる海洋の写真が、京都市動物園に続く外壁いっぱいに並んでいます。一見美しい海に見えるのですが、そこでは汚染が進んでいるのです。また、すぐ近くの蹴上インクラインの壁でも、震災後の福島に焦点を当てた作品を見ることができます。ここまできたら、季節もいいので、インクラインの散歩もいいかもしれません。
最後に向かったのは、京都文化博物館別館のギイ・ブルダン「滑稽と崇高」展です。フランスの雑誌「VOGUE」に、1955年初めてファッション写真が掲載され、注目を浴び、シャネルなどのブランド品の広告も手がけています。綿密に構成されたもの、色彩効果溢れでるもの、そして映画のワンカット風のものと多彩な展開で、楽しい。映像作品も上映されていて、フランスヌーベルバーグ派っぽい映像に懐かしさを感じました。
今、京都市内で開催されている大規模な写真展「KYOTO GRAPHIE2022」。十数カ所の会場で行われていますが、先日三つの会場へ行ってきました。
個人的に好きな奈良原一高の写真展が、建仁寺の塔頭両足院で開催されているので、朝一番に向かいました。戦後ヨーロッパに渡り、逆に日本文化の魅力に目覚め、帰国後Japasnesqueシリーズの作品を発表。その一つ「禅」を主題にした作品が展示されていました。禅僧や僧堂を被写体にした作品には、静けさの中に力強く流れる時間が表現されています。眩しいほど美しい両足院の庭を望む書院は、この写真展に相応しい場所でした。
次に向かったのは呉服屋の誉田屋源兵衛氏の蔵と奥座敷で開かれている「イサベル・ムニョス✖️田中泯✖️山口源兵衛展」です。舞踏家田中泯が、水中で水と戯れるように舞っている姿を撮影した写真が薄暗い部屋(一階)に展示されていました。撮影された場所は奄美大島で、会場二階には、水中を独特の動きで歩き、浮遊する様を捉えた映像が上映されていて、飽きることなく観ていました。
また、イサベル・ムニョスがスペインで製作したプラチナプリントを京都に持ち込み裁断して、糸に紡ぎ織り上げられた山口源兵衛氏の帯が三本、こちらは三階の不思議な空間に設置されていました。
そして、烏丸御池近くの嶋臺ギャラリーでは、マイムーナ・ゲレージの作品を鑑賞しました。今までの二会場の作品は白黒だったのですが、こちらは目も覚めるようなカラー写真におぉ〜と声が出そうになりました。イタリア系セネガル人アーテイストです。アフリカ・アラブの宗教的、神話的象徴を表現しています。青や赤のくっきりとした衣装、女性が手に持った小枝や枯れ枝と、背景となる土壁の色合いなどが絶妙に混じり合い融合しています。エキゾチックで、モダンなファッション写真のようでありながら宗教絵画的でもある美しい世界です。ここでも、映像作品が流れています。こちらも面白い!
来週も他の会場を回ってきます。(写真展は5月8日まで)
西洋絵画の肖像画というのが、私はどうも苦手で、その良さがイマイチわかりません。でも、肖像写真となると話は変わります。割と好きです。
雑誌「太陽」1990年7月号が「世界を創った肖像写真100枚」という特集を組んでいます。100人の写真家と100人の被写体で綴る物語が並んでいます。(古書500円)
野島康三、木村伊兵衛、土門拳、ロベール・アノー、ブレッソン、ユージン・スミスらの巨匠だけでなく、初めて知った写真家も数多くいました。インドの詩人タゴールが来日した時、横顔を捉えた五十嵐与七の写真は、「深い内面性と峻厳な孤高の精神が把握されている」という紹介の言葉通りの作品でした。
早田雄二が、黒澤明の「白痴」に出演していた原節子の写真も強烈な印象を残します。雪原に黒いマントを着てこちらを見つめる姿を捉えていますが、早田が「原の黒いマント姿が、白雪の上に雄大にそそり立っているような印象が残っている」とその場の雰囲気を語っています。小津映画に出ている原は、清潔なお嬢様といったイメージですが、これは妖艶で力強くまた違った魅力があります。
わたしの好きな奈良林一高が、同業者中平卓馬の妹を捉えた「ハイティーンの肖像」は、少女の心象をシャープに視覚化していて、彼の卓越した技術力に感心します。
そのほかにも、馴染みの踊り子に囲まれて写真に納まる永井荷風のちょっとはにかんだような表情を撮った稲村隆正の作品など珍しいものもあります。
写真家は眼力の奥にある魂を拾い上げます。小川隆之のオーソン・ウェルズ、ロバート・メイプルソープのパティ・スミス、ブレッソンのサルトルなどの作品が光っています。
被写体はエイブラハム・リンカーンから高校生まで。なお、特集最後を飾るのは森村泰昌とアラーキー。森村は現在、京都市美術館で個展開催中です。
フランスの写真家ロベール・ドアノー(1912〜1994)の「パリ市庁舎前のキス」は、日本でも大人気になりました。主として報道写真、ファッション写真の分野で活躍した写真家です。
いま、京都のえき美術館で「ドアノーと音楽、パリ」という写真展が開催されています。中々、素敵な写真展でした。ドアノーは一生を通じて愛したパリと、その郊外を散策し続けました。第二次世界対戦後、パリの街並みには音楽があふれていました。ドアノー自身、少しバイオリンを習っていましたが、音楽家への道は諦め、辻々から聞こえてくる無名の音楽家たちが奏でる音楽を愛していました。アコーデオン弾き、ギタリスト、バーで歌う歌手などをカメラに収めています。ジュリエット・グレコやジャンゴ・ラインハルトといった大御所たちの日常のスナップも見ることができます。
どの写真からも生きる楽しみ、喜びが聴こえてくるようです。「流しのピエレット・ドリオン」というタイトルの女性アコーディオン奏者を捉えた一連の作品の格好良さといったら!まるで、フランス映画のワンカットをみているみたいです。
今回の作品展に合わせて出版された「ドアーノと音楽、パリ」(小学館/新刊2400円)の中で作家の堀江敏幸が、こう語っています。
「動画でもなく録音でもない一枚の写真から、なぜこんなふうに音楽が流れてくるのだろう。音楽家や楽器がとらえられているのではない。全体の空気がすでにひとつの音楽になっているのだ。」
ドアノーは、楽器を弾く人とその周りで楽しんでいる人々、そして音楽が流れる街を深く愛していたのでしょう。ミュージシャンだけでなく、楽器を作る職人たちをとらえた作品にも彼らへのリスペクトがにじみ出ています。