毎年2月恒例の「女子の古本市」改め「女性店主による一箱古本市」が次週2月5日(水)より始まります。今年も27店舗参加していただくことになり、今、各地から続々と本が入荷中です。その中から、ご案内していきます。

今日は、本に関する本を数点ご紹介します。

先月亡くなった坪内祐三の著書を、少し前にブログで紹介しましたが、二冊見つけました。明治時代を生き抜いた文豪達の青春を、膨大な資料をもとに描きこんだ「慶応三年生まれ七人の旋毛曲り」(新潮文庫450円/出品・古書ますく堂)は、日本近代文学を読むときには、目を通しておきたい一冊です。もう一冊、個人的に好きだった「私の体を通り抜けていった雑誌たち」(新潮文庫250円/出品・古書ますく堂)には、印象に残る文章があります。それは、雑誌「ブルータス」創刊時、作家の田中康夫がこの雑誌を批判しましたが、そのことについて。

「田中康夫の眼には、当時の『ブルータス』が、団塊世代(全共闘世代)の転向雑誌に見えたのである。つまり、1960年代末から70年代初めにかけて、社会に対して異を唱えラディカルにあばれてきたはずの彼らが、1980年代に入って、30歳を過ぎ、社会が安定し、その中でそれなりの身分を得たら、その『おいしい生活』を堪能する消費者になってしまったことを。そしてそのくせ、かつて社会派(ラディカル)の名残りをイレズミのように時どきチラつかせることを、田中は批判した。」

やや、強引な解釈ですが、田中康夫という人物をどう捉えていいのかわからなかった私は、この文章で納得した記憶があります。

本に関するエッセイとしては、かなりニューウェイブ風の仕上がりの一冊が、小林聡美「読まされ図書室』(宝島社400円/出品・榊翠簾堂)です。職業はてんでばらばらの老若男女から推薦された本を、小林が読んでゆくという企画です。井上陽水、吉本ばなな、皆川明、酒井順子等々、個性的なメンバーが繰り出してくる本を小林が料理してゆきます。写真家の高橋ヨーコが推挙したのは、なんと「オバケのQ太郎」だったり。小林のセンスの良さが一杯の面白い一冊です。

 

こんな雑誌あったんですね、知りませんでした。「本の探検マガジンBOOKMAN」(トパーズプレス/各150円)です。20号(1987年)から、26号(1989年)まで揃っています。今でいうなら、「本の雑誌」みたいなものだと思います。

資料として貴重なのは、21号の「東京古本屋帝国ベスト店」と「関東古本屋帝国ベスト店」ですね。この当時、取材された店舗の写真がずらりと並んでいます。添えてあるコメントも面白いものが沢山あります。80年代後半の書籍界が俯瞰できる、まとめて買っておくべき雑誌です。

★期間中、出品されている本を日々、紹介していきます。面白そうと思われたら、ご予約いただければお取り置きしておきます。なんせ期間中のみの販売ですから。

★古本市準備のため2/3(月)〜4 (火)連休いたします。


 

 

今年の1月13日だったと思いますが、新聞に坪内祐三の死亡記事が載っていました、1958年生まれですから61歳。心不全だったそうです。

雑誌「東京人」の編集者を経て、評論家の道を歩みだし、多くの文芸評論やエッセイを書き残しました。彼の最初の本「ストリートワイズ」(1977年晶文社)を読んだ時の衝撃は、忘れられません。本を愛し、東京の街を愛し、方々をさまよい歩きながら、新しい物の見方を教えてくれた一冊でした。その2年後、「靖国」を発表。一体、靖国神社のある靖国という場所は、建立当初はどのような場所だったのだろうかという疑問に対して、膨大な史料を駆使して解明してゆくスリリングな一冊でした。首相の靖国参拝という政治的イデオロギーばかりが目立つこの神社をリアルな場として語り尽くした傑作でした。

その後、本が出るたびに読みました。とりわけ古書に関するものと、「酒日記」、「三茶日記」、「酒中日記」と続く日記ものは、愛読していました。読んだ中ではこの三冊は日記もののベスト3に入るものと思っています。

彼が「東京人」をやめた頃、「ストリートワイズ」でこんな風に語っています。「文化人類学者の山口昌男さんがのちに『「敗者」の精神史』に結実する明治大正の面白本や雑誌を古書展で探しはじめたころである。(中略)山口さんに誘われて私は毎週末のように古書展に通いはじめた。そして私もまた明治大正の面白本や雑誌、人物にズブズブに引かれていった」

そんな場所で得た古本の世界、知識を簡潔な文章で語ったのが「古本的」(毎日新聞社/古書1250円)です。

「箱入りの、あまりにも素っ気ない装丁の背表紙に『随筆集小鹿物語」とだけある。著者名はない。数週間前に出かけた神田の古書展でのことだ。箱から本を取り出し、まず、値段をチェックした。八百円以上なら、そのまま箱に戻していただろう。(略) で、三百円だった。そして、はじめて目次を開いて、驚いた」

という古本市巡りをする人なら経験したことのあるゾワゾワした感じで、古本の世界へと誘ってくれます。

また、「四百字十一枚」(みすず書房/古書1300円)の「10年前に私は、タヌキの置き物の飾ってある定食屋で岡崎武志と昼食を共にした」という長いタイトルのエッセイでは、書評家岡崎武志との出会いだけでなく、銀閣寺の古書店「善行堂」の山本店主まで登場してきて、面白い古本談義を繰り広げます。

レティシア書房を開店するために、多くの書評家や文芸評論家の本を読みましたが、本の知識だけでなく、本の見方、選び方など多くのことを教えてくれたのは坪内だけでした。まだまだ教えていただきたいことがあったのに、残念です。ご冥福をお祈りします。

 

 

★2/5(水)〜2/16(日) 恒例となりました女性店主による『冬の古本市』を開催します。今年も神戸・大阪・岐阜・東京・御殿場・京都などの女性店主の選書です。ぜひお立ち寄りください

 

 

Tagged with:
 

まぁ、ほぼ手を出さない作家というのがいます。例えば染織家、志村ふくみがそうです。しかし、彼女の「ちよう、はたり」(ちくま文庫800円)は、読みました。

何故かというと、女優で文筆家の山口智子が書いていた解説を読んだからです。「色っぽい人間でありたいなと思う」で始まる解説は「人生において忘れたくないもの、それは私にとっては『色気』だ。」と続き、志村ふくみが持つ色気をこう解説します。

「まるで生まれたての生糸のような、春爛漫の菜の花畑の羽色のような、初々しくも神々しい光の束のような色彩。私がいつも心奪われるふくみさんが纏う色気は、きよらかで眩しい。」

「色は、世界に降り注がれる光の化身。魂を震わせる宇宙からの寄せ来る波。」と。

これは読まねば、と思い本文へと入りました。本のタイトルにもなっている「ちよう、はたり」の意味を解説する最初から研ぎ澄まされた美しい言葉に数多く出会うことができました。

文庫の後に付いている解説って、通り一遍の事しか書いていないセンスのないものもありますが、店頭でパラパラと眺めて、その解説が気に入って買ったものも多数ありました。

映画、文芸評論家川本三郎が桜木紫乃の「誰もいない夜に咲く」(角川文庫400円)もそんな一冊でした。北海道出身の桜木の描く世界を「文章のなかから北海道の風景が立ち上がってくる。観光絵葉書にあるような美しい北海道ではない。人びとの暮らしがしみこんだ風景、人間を小さな存在に見せてしまう荒涼とした風景、桜木紫乃は風景のなかに人間を置こうとする。」

その言葉通り、桜木の小説にはそんな北海道が登場します。川本は最後に、地方に留まり普遍を描くという意味で、諫早に踏みとどまった野呂邦暢を引き合いに出し、彼女も同じ思いだろうと結論づけています。

解説がしっかりしているという点では、講談社文芸文庫が優れているということは、皆さんご存知かと思います。

小林信彦の「決壊」(700円)の解説を書いた坪内祐三の文章は、「『家』の問題こそ、小林文学の、小説やノンフィクションを問わず、一貫したテーマでもある。」

と言い切っていますが、小林の小説を読み続けて来た者として、的を得ていると思いました。

 

★8月9日(水)〜20日(日)「レティシア書房 夏の古本市」を店内で開催します。

個性的な28店のよりすぐりの古本が大集合です!(14日は休み)

 

「政治の原語はギリシアの都市、つまり、我々が住んでいる町といふ意味の言葉から転化したもので、経済の語源は家といふギリシア語である。そしてこれでも解る通り、炉返の幸福をしっかり掴んでいなければ、政治も経済も健全な発達を遂げるものではないし、この基礎的な感情を忘れてどんなに文化人的に利いた風なことを言ってもどうにもならない。先ず炉返の幸福、である。」

吉田健一のエッセイ「乞食王子」に入っている「炉返の幸福」の一節で、坪内祐三著「考える人」(新潮文庫300円)の「吉田健一」の章に収録されています。

坪内は、吉田の文章から、こう考えます。

「政治、経済というと大問題のような感じがします。しかしその政治、経済という言葉の向こうに都市や家という言葉を垣間見ると、それが一気に実質を持って迫ります。その上での炉返の幸福なのです」

朝日新聞社発行の雑誌「考える人」の中で連載されていた『考える人』というエッセイをまとめたのが、この本です。

坪内が「考える人」として取り上げたのが、小林秀雄、田中小実昌、中野重治、武田百合子、唐木順三、神谷美恵子、長谷川四郎、森有正、深代惇郎、幸田文、植草甚一、吉田健一、吉行淳之介、須賀敦子、福田恆存の論壇、文壇の大御所です。坪内は、これらの作家たちの作品論や人となりを解説しているのではありません。端的に言えば、彼らの思考が、どういう経路を辿るのか、を思考しているのです。取り上げた人物の著書を熟読し、それぞれの文章の中に、彼らの思考のベースを探してゆくスリリングな評論集です。

何が良いと言って、この本は難しくないのです。この手の評論集には、数ページ読んだだけで退屈になるものも多いのですが、一人20数ページの分量で、簡潔にまとめられています。最初に、何故吉田の文章を紹介したかと言うと、彼の著書の持ってまわった表現方法に何度も挫折した苦い経験があったからで、こんなに簡潔に社会を見つめていたのが理解できて、ここから吉田の世界に再度挑戦したくなったからです。

そういう意味で、本読み人としての坪内を信頼しています。新刊が出れば、取りあえず買ってます。彼が中学一年だった1972年をひとつの時代を「『はじまりのおわり』であり『おわりのはじまり』でもある」と捉えて、この時代を丸ごと裸にしようとした「一九七二」(文藝春秋1000円)は、彼の傑作だと確信しています。これを読むと、72年が政治、経済は言うに及ばす、文化、エンタメの分野まで目まぐるしい新陳代謝を起こしていたことが理解できます。

 

Tagged with:
 

工事現場にいるガードマンの60過ぎのおじさんが、休憩時間だろうか、道ばたに座って文庫本を読んでいる。何の本かと思って、ちらっと覗くと「藤沢周平」だった。

「おじさんが、どんな人生経験を経て、どういう境地で藤沢周平の小説を味わっていたのかわからないけれど、その歩道の端の『座り読書』は、とても、贅沢な感じがした」

と坪内祐三は自著「古くさいぞ私は」(晶文社500円)で述べています。

この本、一応本に関するエッセイを集めたものなのですが、本自体よりも、本の匂いのする街のこと、作家にまつわる食べ物のこと、ふらっと出た散歩のこと等々を書いた部分に、著者のフットワークの軽さと、ユーモアが溢れていて、そんな文章を読んでいると、街に出かけたくなります。

夜の神田神保町。「安く、旨く、そして、余り混んでいない」という、いい店3条件を満たしてくれる店を見つけた帰り、ふと立ち止まった時、都心のど真ん中なのに、人の数が少ない。その瞬間に去来する思い。」

「通りの向うに古本屋が見える。ひんやりとした夜景が顔に触れる。その時、私は自分が今、戦前の東京の町にいるのではないかと錯覚におちいってしまう。

書評集を読んでいて疲れるのは、この本の世界はこうで、この本の文章の秀逸なのはこうでと、まるで退屈な大学の文学概論っぽいものばかりが溢れかえっている時です。その点、坪内はさすが元編集者だけに、フットワークも軽く、街歩きの視点から書かれた書評は退屈しません。

街歩きといえば、山下達郎率いるシュガーベイブのナンバーに「いつも通り」があります。

「街はいつも通り いつも表通り にぎやかな人並があふれている だからひとりで 飛び出す」

一人で街へ飛び出し、ホイホイと古本屋の店頭を覗き込む楽しさですね。

私が「古くさいぞ私は」で、一番記憶に残っているのは色川武大について書かれた「ランドセルを背負い続けた人」です。

「色川武大は無垢でかつ汚れた人だった。子供は純粋で大人は不純だなどという紋切り的表現は使いたくないが、子供でありながらすでに大人の神経を持った、そして大人になっても少年性を失わない人物だった。ということは、つまり、大人でも子供でもない人物だった。幼くして大人だった色川武大はいわゆる成熟とは無縁の歳のとり方をして、ちょうど還暦の時まで生きた。」

今まで興味のなかった作家へ手を伸ばさせる文章です。

坪内の本は「酒日誌」(マガジンハウス700円)も入荷しました。

いいなぁ〜こんな毎日。(本人は大変でしょうが)

Tagged with: