夏葉社の島田さんが新刊の営業にこれられて、「今度出す本は本屋さんの本なんですが….」と切り出された時、本屋の本かぁ〜と半分興味を失いかけましたが、内容を聞いてびっくり。本が到着するやいなや読んで唖然としました。

「本屋で待つ」(新刊/1760円)に登場する本屋は、広島県庄原市東城町にある「ウィー東城店」です。棚を特化した個性的な本屋でもなけれな、おしゃれなカフェのある店でもない。地方によくある郊外型の書店です。

著者の佐藤友則さんは、広島県の山あいの町で「佐藤書店」という、本・文房具・化粧品・タバコを販売する店に生まれました。大阪の大学に通い始めたものの面白くなく、パチンコに明け暮れる日々が続いていました。将来の希望も展望もなくした彼が、様々な大人と出会い、故郷に戻り本屋を継いでゆく過程が描かれています。

「ぼくの目標は、お母さんに連れられてきた赤ちゃんを一度でいいから抱っこさせてもらうことだ

った。お客さんに『抱っこさせてください』とお願いして、抱っこさせてもらうのではなく、『もしよかったら、抱っこしますか?』といわれて抱っこさせてもらえるような、そんな関係をお客さんとの間に築きたかった。」

これは、かなりハードルが高い目標です。私もかつて大きな書店で働いていましたが、これはできません。彼は、ひたすら地域の人たちの中に入り込み、愛されることを心がけたのです。それは信頼へとつながり、「ウィー東城店に行けばなんとかしてくれる」という声が出てきます。ラジオが故障したからとかと持ち込んでくるおじいちゃんまで登場します。

本は、人々の暮らしに中に根づき、読む人たちの数限りない疑問に答えてきました。本を読めば解決策が見つかる。それが本への信頼になる。「学者や作家やマンガ家といった人たちが、長い時間をかけて、その信頼を築いたのだ。毎日レジに立っていると、そうした本への信頼をひしひしと感じる。 本屋さんならなにか知っているだろう。本屋さんへ行けばヒントがあるだろう、というお客さんの声。 そうでなければ、本屋に壊れたラジオをもってくるなんてことはないのではないだろうか?」

本書の後半は、この本屋で働く若者たちのことが書かれています。学校に行きたくなくて保健室で過ごした経験や、コミュニケーションが取れず引きこもり状態だった彼らが、本屋での仕事を通して再生するさまが、著者のあたたかい視線で描きこまれています。もう、これだけで、この本屋が只者ではない、と痛感します。

 

大阪出身で京都大学卒業の作家、万城目学には関西を舞台にした小説が何点かあります。京都が舞台の「鴨川ホルモー」、奈良が舞台の「鹿男あおによし」、大阪が舞台の「プリンセス・トヨトミ」など奇想天外な物語ながら小説を読む醍醐味に溢れた作品が多く、私の好きな作家の一人です。

今年、十数年ぶりにエッセイ集「万感のおもい」(夏葉社/新刊1760円)が出ました。その中に「京都へのおもい」と題した章があります。2017年に京都新聞に掲載された三点を含めたものですが、京都の夏の大文字送り火について書いています。これが名文です。

「大学に通うべく京都で下宿していた五年間のうち、送り火を見たのは二度だったけれど、あの肌を不快に押し包む夜の湿気、大文字山の斜面におぼろに浮かぶ炎の等間隔、火が消えると同時に訪れる寂蓼の気配、さらに給水タンクにおそるおそる立つ感覚は、今もって忘れられない。」

ん?給水タンク??

「そう、私にとって送り火といったら、給水タンクなのだ。ところで、京都に長年住む人でも、五つの送り火すべてを同時に見た経験を持つ方は少ないのではないか。私は五つ、ひとときにみたことがある」

それが、京都大学校舎の屋上で、当夜、学生たちが「ゾンビ映画の如く、館内の消灯済みの暗い階段を上がっていく。」そして、屋上の給水タンクに登って五山送り火を見たらしい。

大文字の送り火にちなんだエッセイとしては、格別の味わいがあると思います。

また、京大付近にズラリと並んでいた名物とも言える立て看板が、大学側の要請で撤去されたことについて、著者はこんな感想を持っています。

「私は京大が結界を失ったように思えてならない。やがて大学も、学生も、結果的に目指すことになる『普通の大学』になったとき、気づくのではないか。」

つまり、京大生がアホなことしても、まぁ、京大はんなら、しゃあないなぁ〜みたいな生ぬるい擁護や、居並ぶ立て看絵を見て怖くて構内に入れなかった、みたいな普通ではない特別な何かが目減りしていることに気づくのではないか、と。

「結界の消滅とともに、『アホが今日もアホしてる』と無形の安心感を与えてくれた依代も立ち去ったことを。何より、今の社会がのどから手が出るほど欲しがっている若者の元気を、いとも容易く手放してしまったことを。」

京大の立て看撤去について、一時様々な意見を新聞等で読みましたが、万城目のこのエッセイが最も、うん成る程!と思わせてくれました。

久々に密度の濃いエッセイを楽しみました。ところで、今、レティシア書房では「上野かおる装幀術展」を開催中ですが、いつものことながら夏葉社の今回の装幀も素敵です。

 

いけばな関係者、映画本マニア、あるいは古書マニア以外のほとんどの方は第一藝文社のことをご存知ないと思います。

早田リツ子「第一藝文社をさがして」(夏葉社/新刊2750円)は、この小さな出版社への深い愛情に満ちた本であり、資料を丹念に探し、読み込んだ労作です。(その割にこの値段は安い!)

戦前から戦後にかけて、映画理論書、花道論、そして評論、詩集を出した滋賀県にあった小出版社で、一時は、京都の河原町丸太町に会社があったみたいです。

1979年12月の京都新聞「さろん」欄にこんな記事が載りました。

「昭和九年から、映画書を中心に七十点余を出版、十九年に第二次企業整備で姿を消したが、大津と京都市内のアパートを居に、たった一人の出版業で『少しは映画史に残るものをやったというのが気休め……..。』という中塚勝博さん。いま、出身地の湖国で奥さんとひっそりと暮らしている」

中塚勝博(戸籍上の名前は道祐)さんが、第一藝文社オーナーで本書の主人公です。彼が出版活動を始めた1934年(昭和9年)は、小林多喜二が拘束され拷問で死んだ年であり、日本は国際連盟から脱退し、孤立外交から戦争への道を走り始めた頃です。著者は右傾化する国内で、良心的な本作りに苦闘する第一藝文社の姿を詳細に描いていきます。出版人の戦時下を描きながら、当時の民衆の姿が浮き彫りにされていきます。

1937年、伊丹十三の父親である伊丹万作の「影画雑記」を刊行。序文で志賀直哉が、この本に収録されている「映画界手近の問題」を取り上げ「伊丹君の勇気に敬意を払った」と賛辞を述べています。四社協定によって映画界の労働状況が映画人の生命線を剥奪するという論評でした。

1941年、太平洋戦争が始まった年に、今村太平の「漫画映画論」を発行します。この本は、その後、スタジオジブリが復刻版を出しました。その帯には、「1941年、長編アニメーションを見られなかった時代に映画作品としてアニメーションを積極的に評価し、いずれ映画の主流を担うと予感した映画評論家・今村太平。その独創に満ちた代表作」と紹介されていました。高畑勲も学生時代、この本で映画の勉強をしたと述べています。

第一藝文社のことを友人から聞かされるまで全く知らなかった著者が、なぜこの出版社に興味を持ったのか?それは、「滋賀を発祥の地とする第一藝文社とはどういう出版社なのか、どういう本を出版したのだろう、という単純な疑問が出発点だった。」と「あとがき」に書いています。そして、

「もともと映画史にうとい人間が、この出版社について書くことにはためらいもあった。しかし第一藝文社から刊行された書籍は、戦前の歴史を伝える資料でもあることから、少しずつ調べてみることにしたのである。」ひとつ、またひとつと、中塚の残したものを読みながら、中塚の年譜を埋めていく作業を進める旅。その熱意が十分に伝わってくる本であり、戦前戦後を通じて、やりたかった出版の世界を生きた人間の、すごい人生を描いた傑作だと思います。

晩年、中塚は口語歌集を自費出版しています。その中に、こんなのがありました。

「寂れてる小さな貧しい雑貨屋に わざわざ わたしは ノート買いに行く」

 

ホホホ座店主山下賢二さんの「喫茶店で松本隆さんから聞いたこと」(新刊/1540円)が、夏葉社から発売されました。

京都市内にあるお店、「ヤマトヤ」「イノダコーヒー本店旧館」「かもがわカフェ」「カフェ火裏蓮花」で、山下さんが松本隆さんにインタビューしたものをまとめた一冊です。これは音楽家としての松本隆を振り返る本ではありません。もちろん、音楽の話も登場しますが、本題ではありません。人生論?、このお二人で?? でも、ちょっとそんなニュアンスもあり、覚えておきたい言葉がたくさん出てきます。

「人と人ってすごく有機的だから、空気でも伝わるんだと思う。オーラも伝わるんだと思う。だから、できるだけ天才に会った方がいい。ものをつくる人はね、若いうちに。」

それぞれのカフェで、テーマを決めて話が始まります。例えばかもがわカフェでは、「賢さについて」。松本さんはこう言います。

「考える力というのは、その人が自分で鍛えないといけない。だから、若いときはとにかくたくさん暗記するのがいいと思う。ひとつでも多く単語を頭に入れておく。作詞力で言うと、それが語彙になる。」

どの章も難しい言葉はなく、簡潔にまとめられているので、スッと頭に入ってきます。インタビューは、もっと長い時間だったのでしょうが、ここまでシンプルにまとめた山下さんの手腕に拍手です。ポケットに入れて、ひょいと出して読む。何度も。それがこの本の読み方かもしれません。

なるほど、と思ったのは松本さんが作詞するときに気をつけていること。

「僕が使わない言葉は、言わなくてもいい人称代名詞。つまり『僕』とか『君』とか『あなた』。理由は字数の無駄だから。重要なところに『あなたに』なんて書いてしまうと、それだけで四文字も使っちゃう。それを言わなくてもわかるように書けばいいわけだから、必要最小限度にとどめる。そうすれば、ほかでいろんなことが言える。」

最後まで読んで思ったのは、この二人、よほど気が合ったんだなぁ〜。気取ったところも全く無いし。

「思えば、松本隆という人はずっと異色だったのかもしれない。誰も囲わない。どこにも属さない。まさにボヘミアンのように業界も居住地も自分の気分のよい方向へと進んでいく人。その突然変異的な足どりが、僕みたいな人間とも親しくさせてしまったのだろう。僕は、七二歳の青年と出会ってしまったのかもしれない。」

という山下さんの言葉でも、二人の出会いが幸せなものだったということがわかります。

「私はこれまで、他人のためにはもとより、自分自身のためにさえ、奮発したという覚えがいちどもありません。何もそれを自慢にしているわけではないのですが。」

と、下向きな文章を書いているのは、「落穂拾ひ」「小さな町」などの短編小説で多くのファンを持っている小山清です。1911年東京浅草生まれ、太宰治に師事し小説家の道を目指しました。58年に脳血栓で倒れ、65年死去。

先月夏葉社より、小山が1950年代に、様々な雑誌等に掲載したエッセイをまとめた「風のたより」(夏葉社/新刊1760円)が出版されました。「清純な作家が残した、つつましやかな11編の随筆」と、帯に書かれている通りの随筆集です。身の回りのあれこれを文章にしたものばかりで特にどうといった感じではないのですが、読んでいると、何やら穏やかな気分になってくるのです。

「動物園にて」というエッセイで、狐の獣舎に立つ青年をこう描写しています。

「その青年はビスケットを入れた大きな袋を携帯していて、動物たちの小屋を一つ一つ見舞っていた。その青年は狐の小屋の前にも立った。狐は青年の掌からビスケットをもらって食べた。青年には狐の臭さに辟易している様子はさらに見えなかった。

私はなんて優しい人だろうと思った。この青年はきっと素直な、正直な心の持主に違いない。」

他人を見つめる優しい眼差し。

また「私について」の章では、

「私には生活信条のようなものは、なんにもない。ややはっきりしているものは、好き嫌いであるが、これだって必ずしも頑固に主張しようとは思わない。人と気まずくなるよりは、妥協したい方である。私の二、三の小説だって、自分の好き嫌いをはっきりさせるというよりは、ただ『自分の好き』をだらしなく氾濫させたものでしかないだろう。」と書いています。

欲がないというべきか。ほんとうに慎ましいと言うほかないと思います。しかし一方で、「私が勤先の金を盗んで刑務所にはいったのは、いまから二十余年も昔のことになります。」と「その頃のこと」の冒頭にありました。荒れた刑務所生活のことを書いているかと思えば、愛着の湧いた看守さんに呼称番号を呼ばれた思い出を書いているのです。

高橋和枝の装画がとても暖かく、相変わらず素敵な装丁の美しい本です。

おそらく現代では出てこない小説家ですね。なお当店には、昭和28年に発行された「落穂拾ひ」(筑摩書房・初版/古書6000円)があります。

 

 

島田潤一郎さんは、ご存知のようにひとり出版社「夏葉社」の代表です。上質の本をコンスタントに発行されています。近著「古くてあたらしい仕事」(新潮社/新刊1980円)は、多くの人に読んで欲しい一冊で、生きる事、仕事をすることの本質が、ぎっしりと詰まっています。

大学卒業後就職した仕事に馴染めず、様々の会社を渡り歩き、自分の人生の方向を決められない日々が続きます。その時彼を支えたのは、当時ロッテ球団の監督だったバレンタインの、こんな言葉でした。

「人生でもっとも大切なのは、人から必要とされる事だ」

島田さんは、仕事とはそういうものだと思いつつづけてきました。誰かを支えたい。「仕事のスタートとは、そういう純粋なものである」というのが彼の哲学になっていきました。

「一冊の本が人生を救うというようなことはないのかもしれない。でも、僕にはきっと、なにかできることがある。僕にしかできないことがある。」

そんな思いを胸に秘めながら、出版社「夏葉社」を立ち上げ、自ら編集し、自社のことを理解してくれる全国の本屋さんを営業するという、仕事がスタートしていきます。彼の起こした出版社の優れたところは、彼自身の言葉で言えば、

「いまを生きる作家の本は、既存のたくさんの出版社がつくっている。それならば、ぼくはかつて出版され、絶版になっている本を、もう一度自分の手で出してみたかった。 数十年前の作家と編集者が魂を削ってつくった本に、もう一度あらたな息吹を吹き込んでみたかった。魂のリサイクル。」

読者の顔を思い浮かべ、それを置いてくれる書店員のことを考えて作る本、著者はそれを「親密で、私信のような本。仕事もまた同じ。一対一でしか伝えられないことがある。」と表現しています。合理性、効率で考えるのではない仕事。「今日、誰のために、なにをするのか。 仕事の出発点は、いつもそこだ。」という考えが、くり返し、本書には登場します。

本書で、一箇所だけ当店の名前が登場します(P138)。「大量生産、大量消費以前のやり方を現代に蘇らせることによって、自分の仕事の場所を保持しているように見える」書店の一つとして、名前を挙げていただきました。

「それはいってみれば、大きな声でなく、小さな声を尊重する店のあり方だ、『みんながそういっている』というのではなく、『あのひとはこういっている』という本の並べ方」と。よくぞ、言ってくれました!島田さん。ありがとうございました。

彼が編集した「ガケ書房の頃」の中に、著者の山下賢二さんが、こんなことを書いています。

「本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になった時には、町の本屋へ駆け込んだらいい」と。

そして、しんどい時、憂鬱な時、本屋が支えになるのは、「強い者の味方ではなく、弱者の側に立って、ぼくの心を励まし、こんな生き方もあるよ、と粘り強く教えてくれたからだ。」という島田さんの言葉を、私もその通りだと思いますし、当店もそういう本屋でありたいと仕事をしています。

この本は大手出版社の新潮社から出ていますので、大きい書店にはあると思います。当店でなくても、お近くの書店で見つけて、ぜひお読みください。

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

 

夏葉社の新刊「サンライト」(2160円)は、永井宏の初のアンソロジーです。彼の著作はほぼ全て読んでいます。この人の言葉は、人を一歩前に押し出して、さぁ、楽しもうよ!という気持ちにしてくれます。後書きで、、やはり彼に後押しされて出版社「アノニマスタジオ」を立ち上げた丹治史彦が、永井宏のことをこう表現しています。

「一番最初に先ず『励ます人』という言葉が思い浮かぶ。『背中を押す人』『けしかける人』『種をまく人』、言い方はいろいろあるが、永井さんはとにかく人に何かをすることを勧めるのが上手だった。」

私が初めて読んだのは、大きな書店を任されて、にっちもさっちもならない時だったと記憶しています。「がんばれ」とか「諦めるな」とかそんな野暮なことを言わず、気持ちよく仕事をして、毎日を暮らすコツを教えてくれました。

永井宏は1951年東京に生まれました。美術作家として様々なジャンルの作品を発表しながら、80年代には「ブルータス」の編集にも携わります。しかし、99年、都心を離れ神奈川の海辺の町に引っ越し、生活に根ざしたアートを推進する「サンライト・ギャラリー」を運営しつつ、著作を発表していきます。

アノニマスタジオが活動し始めた頃に創刊された「クウネル」、「天然生活」に関係していたライター、編集者にも永井さんと交流があった人がいました。「くらし系」に出版物発行に、影響が少なからずあったみたいです。

「その夏は、トマトの初々しい緑との対話の日々が続いた。そしてそれは、だんだんと自分が望むようになってきた。光と水と土を見つめながら暮らすような、ささやかな生活の始まりでもあったような気がする。」

多くを求めず、日々の暮らしに価値を見つけるライフスタイルは、たくさんの支持者を生んでいきました。トレンドを素早く自分のものにする器用さではなく、今、ここで生きている意味を見つめ続ける愚直さを、軽やかに提唱した人だったと思います。

「気持ちが良いにしても悪いにしても太陽の光はいつもあるのだから、それを毎日どう受け止める生き方をしているかということが基本なのだ。」

そんな思いを持ちながら、ワークショップやらポエトリーディングを開催、多くの若者を背中を押し続け、2011年59歳の若さで天国へと旅立っていきました。惜しい、本当に惜しい人でした…….。今こそ、再評価される人物です。

先ずは、この散文集をお読みになって、いいなぁ〜、この人と思われたらぜひ彼の著作をお読みください。

特典!ただいま「夏葉社」の本をお買い上げの方には、この出版社の歴史がわかる素敵な小冊子「10年34冊」をプレゼント中です。

誠光社店主、堀部篤史さんの「90年代のこと」(夏葉社/1728円)が出ました。サブタイトルに「僕の修行時代」と書かれています。

「昔は良かったなどと言うつもりはないが、もうこれ以上いらないと強く思う。」これ以上リッチなもの、便利なもの、美味しいものはいらない。「せめて本当に必要なものを取捨選択できるぐらいは覚めていたい。そのためにはかつてわれわれに何がなく、代わりに何があったかを思い出す必要がある。」というのが、この本の出発点です。

1994年、高校生だった彼の愛読書は「ガロ」でした。仲間たちは、「週間少年ジャンプ」などの週間漫画雑誌に夢中でしたが、彼は「人と違うものを選ぶことで、かれらとははっきりと違う自分の立ち位置を確保しようと必死だった。」のです。そして、「ガロ」を始め、オルタナティブなアイテムを探しもとめ、あちらの本屋、こちらの本屋とかけずり回ります。辿り着いたのが「三月書房」。そこで「ガロ」を起点に、知らない作家や未知の作品へと触手を広げていきます。本だけでなく、音楽、映画、アートの世界へと無限に広がってゆく世界を見つけるのです。

「過去に触れてきたものがある時点でつながり、違った見え方をする。無関係だったもの同士がジャンルを越えてつながる。音楽を聴き、映画を観続けていると必ずそんな瞬間が訪れる。」

膨大な量のレコードを聴き、古本を買いあさり、映画館に足しげく通うことで、自らの思想を作り上げてゆく。インターネットなど皆無だった頃、すべての評価が検索一発で瞬時に目前に並ぶ時代ではありません。駄作、見込み外れ、失敗作を浴びることで自分なりの批評精神が磨かれてゆく。B級、C級の映画を見続けて、私も私なりの修行時代を通過したように思います。

誠光社には、よく行きます。堀部さんとは、本よりも音楽の話で盛り上がる事が多いです。本著にもアメリカのロックバンド、ソニックユースとダイナソーJrに夢中だったことが書かれていますが、80年代これらのバンドが出てきた時、私自身、パンク少年、ニューウェーブ少女たちの溜まり場みたいな、京都でも過激で、新しい音楽を扱っていたレコード店の店長をしていました。部下たちは、彼らの音楽を絶賛していましたが、しかしながら、私はダメでした。はきそうになるぐらい聴き続け、バックグラウンドや、音楽状況の情報を探しだしましたが、どうしても受け入れることは無理でした。そして、新しい音楽には新しい店長を、とバトンタッチしました。

この時に、流行の音楽、映像、文学、アートを無視して、自分で選んだものを観て、読んで、聴いたことは大きな経験でした。インターネットなんてまだまだ先の話、という時代、自分なりのアメリカンカルチャーの文脈を組立てる作業は楽しかった堀部さんも書いています。「検索型の世界は時に文脈を崩壊させる。背景のない検索結果がでたらめな組み合わせを産み、意味は剥奪され、表層だけがコピーされ続けてゆく」

最終章「1996年、本屋は僕の学校だった」で、元の職場である恵文社に、POSシステムが導入された時のことに触れています。「出版社、取次、書店の三者が無駄を減らし利益をあげられるシステムだというが、そこには『読者』のことは勘定に入っていない。効率の代わりに犠牲となるのは多様性だ。読者の傾向や層を数値化しすることによって、最大公約数を求める店舗を平均化していくことが目に見えるようだった。」

私も同じようなことを十数年前に、取次ぎのエライさんや、経営陣に向かって発言したことがあります。その場の嘲笑的な雰囲気が今も忘れられません。でも、この本を読んで、あの時の考えは間違いではなかったんだ、と力づけられました。

堀部さんが、90年代に、観て、聴いて、読んだ膨大な量の情報の一部を再生しながら、あの時代の雰囲気を見つめ、今の時代に欠けているものを明らかにしてゆく作業をまとめた本であり、その思想が、誠光社の書架に生きていることがわかります。そして私にとっては、過去のある時代の情景が目前に現れてきた刺激的な本でもありました。

 

 

 

 

本に関わっている様々な人たちが、自分の仕事への思いを綴った「本を贈る」(三輪社/新刊1944円)は、本への愛に溢れた素敵な書物です。編集者、装丁家、校正者、印刷、製本、取次、出版営業、そして書店員たちが登場します。

トップバッターで登場するのは、島田潤一郎さん。隅々まで神経の行き届いた本をリリースする夏葉社を主宰されています。島田さんは、出版する姿勢をこう語っています。

「ぼくが本をとおして伝えたいのは、メッセージでもなく、主張でもなく、婉曲的ななにかでもない。ぼくは、なにかの全体をだれかにまるごと伝えたい。大げさにいえば、人生の全体。物語の、感情の、思いの全部。そのひとの全部。そういう全部を伝えるのには、本がいちばんいいと思っている。」

この島田さんの思いの一端を担うつもりで、当店では夏葉社のすべてのラインナップを揃えています。

二番目に登場するのは、京都在住の装丁家矢萩多聞さん。型破りな生き方を通して、本当に大切な暮らしと仕事を見つめた「偶然の装丁家」(晶文社/古書850円)を、是非お読みください。装丁家として仕事をされる一方で、インドのタバブックスの本の仕入れ、業務もこなされています。手仕事で作られたタバブックスの本は、どれも魂がこもっています。彼は常々「人間はいったいなんのために本をつくりつづけるのか。」という問いを持っていました。

「ちいさくても、ゆっくりでいい。他人の本をデザインして終わりではなく、自分で本をつくり、届けるところまでやってみたい。それをやらないと、気持ちもバランスもとれなくなって、このまま慌ただしい流れのなかにうずもれてしまうんじゃないか」

その思いから、自分たちで本を作り、販売していきます。小さく、小さく売ってゆく…..。手間をかけて、その本が必要としている人の元に届ける。それは収入は少なくとも好きなことを細々と続け、慎ましく幸せに暮らす「小さな暮らし」へと結びつきます。経済成長なんて言葉に踊らされずに、小商いに生きる人達が増えているのは、正しいことですね。

ミニプレス「ヨレヨレ」(当店のロングセラーでした/絶版)を作っていた鹿子裕文さんが、「ヨレヨレ」に登場する「宅老所よりあい」という施設の顛末記「へろへろ」(ナナロク社/新刊1620円)を書いた時の、校正を担当した牟田都子さんが登場します。

本の校正って、赤鉛筆で間違いを直す仕事というイメージがありますが、彼女の話から、中々奥の深い仕事であることを納得しました。送られてきた原稿にペンを入れることで、著者とのコミュニケーションをはかっているのです。過剰なペン入れは著者の表現を逸脱するのではという不安が常に頭をよぎる作業です。言葉の一つ一つに対する徹底的な調査には脱帽です。

「贈るように本をつくり、本を届ける10人のエッセイ」というのは、帯の言葉ですが、そんな人達の努力と手間が、書店に置かれたとき、この本は何か違うとキラリと光るものを生み出しているのでしょう。

 

 

 

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

 

10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)


 

 

 

 

夏葉社の新刊「庄野潤三の本 山の上の家」(2376円)は、1961年に完成した、東京生田の山の上に建つ、庄野家の写真から始まります。当時はまだまだ、人家の少なかった場所にあり、庄野は約50年間、ここで小説を書き続けました。

2009年に逝去した後は、庄野の妻が一人で暮らしました。家族たちは、作家の部屋も、机の上も書架もそのままのかたちで保存していました。2017年、作家を支え続けた妻が亡くなりました。誰もいなくなった家にカメラが入り、端正な佇まいと清潔感あふれる家の中の表情を、写真家の白石和弘が撮影しました。

子供たちが過ごした部屋、風通しの良さそうな作家の仕事部屋、そして本棚。井伏鱒二、佐藤春夫らの本が並んでいます。須賀敦子が庄野の「夕べの雲」のイタリア語に翻訳した版もあります。決して贅沢にお金をつぎこんだという風ではなく、慎ましい、でも住み心地の良い住居、気持ちのよい家の香りのする写真です。

これらの素敵な写真に続いて、佐伯一麦の特別寄稿文、庄野の随筆、家族が語る父親の姿、単行本未収録作品「青葉の笛」、庄野全著作案内と、この作家を丸ごと紹介してゆく魅力的な内容です。

書評家の岡崎武志はこの本の中で、庄野と親交のあった作家藤沢 桓夫が、「自分の家の畳の上にやっと横になれたような、ふるさとの草っ原に仰向けにねて空の青さと再び対面したような、不思議な心の安らぎがよみがえって来る」と、彼の文学の特徴を書いた文章を紹介しています。慎ましく、静かで平和な暮らしの描写は、小津映画の世界に相通じるものがあります。そういった暮らしぶりが、伝わってきそうな昭和30年代の家族写真が色々並んでいます。自宅の庭で、息子達と梅の土用干しをする姿を撮った写真には、家族の幸せが伝わってきます。

もうすぐ夏の甲子園が始まりますが、終戦直後、大阪旧制今宮中学で教鞭をとっていた庄野は、野球部部長として選抜中等学校野球大会(のちの選抜高校野球)に大阪代表として出場しました。「日本文学史上、いわゆる『甲子園の土』を指導者として踏んだ文学者は、庄野潤三だけではないか」と岡崎は書いています。

丸ごと庄野潤三を詰め込んだこの本をパラパラめくって、拾い読みしているだけで、心持ちが豊かになり、ゴロンと昼寝をしたくなってきます。相変わらず、いい本を出しますね、夏葉社の島田さんは!

同社からは「親子の時間 庄野潤三小説撰集」(2592円)も出ています。こちらもどうぞ。

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。なお、準備のため6日(月)7日(火)は連休いたします。