先日、 DVDで「20センチュリー・ウーマン」を観ました。三世代にわたる女性の人生に焦点をあてた良い映画でした。三人の中で、写真家を目指す若い女性アビーを演じたグレタ・カーウィグが、初めて監督した映画「レディ・バード」。各映画祭で、高く評価され、アカデミー賞レースでも監督賞受賞になるかと話題になっていました。

アメリカ西海岸の、ちょっと田舎の都市に住む高校生の娘とその母親の物語です。何の刺激もない町から出て、NYの大学へ行こうとしている娘と、その娘のために、細かいことまで指導する母。お互い、口喧嘩が絶えません。映画は、二人の毎日の些細な事柄を丁寧に描き出して、等身大の二人の女性の日々を追いかけていきます。好きになった男の子が、実はゲイだったとか、父親が職を失い、鬱になっていくとか様々な事は起こります。でも、殊更に大げさに取り上げて、強引に感動を呼び起こすような愚かな演出をカーウィグ監督は選択しませんでした。

誰の日常にもある、瑣末な、または納得しがたい事柄をなんとか乗り越えて、ほんの少しだけ前に進むことが、生きるってことだと励ましてくれるような映画です。自分の住んでいる町を出たいという娘の気持ちも、地元の大学に入って、着実に歩んでほしいと思う母親の気持ちも、よくよく理解できます。越えられない溝を残したまま、娘はついにNYへと旅立ちます。しかし、その一方で、彼女は母の愛情の深さ、人生の悩みに気づき始めます。映画はさり気なく終りますが、そこが素敵です。人が身近な人の深い気持ちを理解するのは、こんなものなのです。

娘を演じたシアーシャ・ローナン、母親役のローリー・メトカーフを見ていると元気になること間違いありません。気持ちが下向きになった時、不安に押しつぶされそうになった時、この映画は、きっとどこかで支えてくれるような気がします。

 

 

アメリカの小説家、詩人のメイ・サートンは、「わたしの愛する孤独」(700円)の中で、

「考えてごらん、人の栄光がどこから始る、終わるのかを。そしてわたしの栄光とは、このような豊かな友人を持ったことだ」というイギリスの詩人イェーツの言葉に共感すると書いています。

サートンも、ヴァージニア・ウルフ達の素敵な友人に囲まれ豊かな人生を一時過ごしました。けれど、老境に差し掛かり、こう考えます。

「わたしはおそろしく孤独です。けれど、その孤独に夢中になっています。きっと、孤独こそが、わたしが最後に愛する友なのでしょう」

そして、60年代、同性愛者であることをカミングアウトし、大学を追われた彼女が未知の田舎で一人暮らしを始めた頃の日記をまとめた「独り居の日記」(1300円)の出だしは

 

「さあ始めよう。雨がふっている」

 

今から20年程前、駆け出しの書店員として右も左も分からず、下ばっかり向いていた時期に、この一行を読んだ時、とても感動したのを覚えています。

この本は日記です。だからどこから読んでもいい。ふっと開いたページから読むのもいいし、ちょっと気になる言葉を見つけたらそこから読み始めてもいい。片田舎で、自然を友に静かに暮らす文学者のゆっくりした語りに魅了されます。でも彼女は、ただ心優しいだけの女性ではありません。

例えば、小説「今かくあれども」(1050円)はこのように始ります。

「私は狂気ではない。年をとっただけだ」

これは、老人ホームに入れられた主人公最後の大反逆を描くお話です。かつてのキャサリン・ヘップバーンや、今ならメリル・ストリープに演じてほしいような、最後の最後まで尊厳を失わない主人公は、おそらくサートン自身の姿でしょう。

自由と尊厳を愛し、孤独を恐れないサートンは、猫好きでした。1950年代に一冊の小説を書きます。「猫の紳士の物語」(1200円)です。紳士猫トム・ジョーンズのほろ苦いファンタジーのような物語です。

「六月の太陽をいっぱいに ひなたぼっこと洒落るのは おれさまのオツな権利だぜ。 だから誰なと出くわすものに おれは警告をくれてやる 優猫トムがおれの名さ けんかは死んでも買わないぜ」

大向こうから「待ってました!」と声かけたくなる猫です。

明日16日、19時30分より、朗読会「藤沢周平を読む」を開催します。お時間あればどうぞお越し下さい(事前にご連絡ください)。

このイベントのために店舗は19時閉店となります。ご了承ください。 

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1975年9月21日。ある日本人女性がサンフランシスコ→沖縄2000キロの太平洋をたった一人で横断するレースに出る。日本人女性初の、太平洋単独横断58日間をやり遂げた小林則子のドキュメントが「リブ号の航海」(文藝春秋500円)です。

スタートの9月21日から、フィニッシュの11月18日までに、彼女が小さなヨットで経験したすべてが語られて行きます。気取りもなく、オ−バーな言い回しでなく、静かに。例えば、こんな風にです。

「こうして、毎日、太陽と風とうねりの中で生活していると、これ以外の生活があることが実感としてわいてこなくなる。無線の”雑音”が介入することがなければ、自然の変化に神経をたてていても、精神的にはおだやかな生活が送れると思う。悠久の昔から息づき続けている変転の中に、ごく自然に身を置くことができる。そして、そのことが、とても私を安堵させる。」

暴風雨、灼熱地獄、何度も発生するトラブル、そして孤独、襲い来る疲労の波にも関わらず、彼女の自然に身を委ねた心の有り様が、読者にも安堵感をもたらせます。

そして、出発前から話題になっていた「女性初の航海」という点のみを強調した扱われ方に距離をおき、「国際婦人年に、女が太平洋を渡った」というマスコミ好みのキャッチフレーズに踊らされることなく、

「ヨットや、海の遊びというものが、特殊な金持ちのものではなく、だれにでも楽しめるものであることを、ひとりでも多くの人に知ってもらえるきっけになればそれでいい」

という立ち位置を明確にしているところもいいです。

そういえば、旅に関する本で、心に残ったものは女性の書き手が目立ちます。中村安希のユーラシア・アフリカ大陸684日のドキュメント「インパラの朝」(集英社700円)、50歳目前にして、すべてを放り出して、リュック一つで世界に飛び出したキム・ヨンの「それでも、私は旅に出る」(岩波書店800円)等。

 

気負いのなさが、いい具合に読めるのかもしれません。

 

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と言っても、待っておられるのは数人ぐらいですが、彼女の著作が何冊か揃いました。入荷したのは、「ベジタリアンのいきいきクッキング」(NHK1100円)、「野菜いっぱい大地の食卓」(知恵の森文庫500円)、「母なる自然の食卓」(東洋書林1100円)の三冊です。

鶴田静さんは1975年から 77年までウィリアム・モリス研究のためイギリスに滞在し、そこでベジタリアンになり、その思想と料理を研究。帰国後、最初のエッセイを出版して以来、自然生活、環境、食文化、庭園と草花につい ての執筆、英語翻訳をして、現在は夫の写真家エドワード・レビンソン氏と犬1匹と房総半島の農村在住。

私が初めてこの人の本を読んだのは、「ベジタリアン宮沢賢治」でした。ちょっと文章が難しくて、当時は理解できなかったことも多くありましたが、何故か気になる作家でした。

最後の晩餐はカツ丼大盛りを食べたい私は、ベジタリアンではありませんが、ベジタリアンという言葉の意味合いを初めて教えてくれたのは、宮沢賢治の「ベジタリアン大祭」という小説でした。そして、その次が、賢治について書かれていた鶴田さんの著作でした。あれから、20年余り。今、読み返すと、そうだよねと納得することばかりです。レシピとエッセイの一緒になった「母なる自然の食卓」で、こんな文章に出会いました。

「植物はどうして人間のからだのことを知っているのだろうか。といつも私は感心し、その不思議に驚きながら食べている。人間のからだは自然から作られているから、それで自然は人間のからだと共鳴し、もしからだが悪くなったら、自然がその部分を治してくれるのだろう。」

自然と人間のからだが共鳴しているなんて、当たり前のことのなのですが、皆忘れていますよね。

三冊とも、野菜レシピ満載の本です。同時に入荷してきた「植物史」や素敵な料理本と一緒に入り口付近の書架の二番目に設置してありますので、興味のある方はどうぞ。

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エイズで弱冠42歳で死んだ写真家ロバート・メイプルソール。写真集を輸入しようとして、税関でわいせつと断定され、出版社が訴訟にふみきり、最高裁まで闘い無罪を勝ち取った「メイプルソール事件」でも有名な写真家です。彼は、一時NYパンクロックの女王的存在のパティ・スミスと同棲していました。そして、彼女のアルバムの写真を撮っていました。その最高傑作がこれです。

パティは私の尊敬する女性の一人です。はっきり言って、彼女の音楽はどなたにでもお薦めできるものではありません。不安にさせるようなノイジーなギターサウンド、地獄から響いてきそうな呪術師のような歌声。リスナーを無視して一気にアナーキーでカオスな世界に突入してしまう身勝手な世界。(このアルバムで一曲目の”Gloria”で猛烈に加速してゆくサウンドに陶酔出来ない人には騒がしい音にしか聞こえません)メロウでソフトな音楽に反抗し、保守化するアメリカ社会に剥き出しの敵意で襲いかかり、「くそったれ、ブッシュ」とステージでこき下ろす戦闘的なステージ。

しかし、このジャケットの彼女は、その過激なライフスタイルを超越して、強靭な意志を秘めながら、まるで悟ったような静かな佇まいです。彼女の本質を捉えているメイプルソールの見事な作品です。1枚の写真が、一人の女性の内在する葛藤、孤独、それを乗り越える精神の強さまでも捉えています。この写真に、彼女の歌に、生き方にどれほど勇気づけられたことか。

雑誌「SwitchJune2004」(300円)に、9・11以降危険な道へとはまり込んだアメリカ社会で、彼女は何をどう考えているかを語ったインタビュー「パンク詩人が辿り着いた愛と平和」が掲載されています。彼女の発言です。

「9月11日を忘れてはいけない。自分が9月11日にどんな人間だったを忘れてはダメよ。自分はブッシュ政権にイラクに爆弾を落とすことを許したか。そこにいる一般庶民を押しつぶすようなことを許したのか。この街をあの恐怖とパラノイアの入り混じる街にするようなことを許したのか。あの日、自分がどんな人間だったのか忘れてはいけない。」

これ、「9・11」を「3・11」に変えて、あと少し固有名詞を変えれば、我々のことですね。

今年1月、彼女は仙台からライブツアーを開始しました。名曲”My Generation”を生で聴いてみたいものですね。

 

 

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レティシア書房の人気作家御三家の一人は須賀敦子です。須賀敦子と言えば、長い間住んでおられたイタリアは切り離せません。あちらで書店をされていたぐらいですから。そのイタリアと彼女との深い関係を追っかけたのが大竹昭子です。

1950年生まれの写真家であり、小説家の大竹昭子は「須賀敦子のミラノ」、「須賀敦子のヴェネツィア」、そして「須賀敦子のローマ」の三冊の本を出しました。写真家ですから、各都市の切り取り方はどれも見事です。そして、その写真には須賀の本の文章が抜粋されています。ミラノ、ドゥオモ周辺の夕暮れ時の写真には、須賀が翻訳したウンベルト・サバの「三つの都市ーミラノ」からこんな文章が引用されています。

石と霧のあいだで、ぼくは/休暇を楽しむ。大聖堂の/広場に来てほっとする。/かわりに/夜ごと、ことばに灯がともる。

生きることほど、/人生の疲れを癒してくれるものは、ない。

須賀の愛したミラノ、ヴェネツィア、ローマの街をくまなく歩き回り、人々の顔を、威厳ある古い建物を、血管の如く隅々までに行き渡っている運河をファインダーに捉えながら、彼女は「須賀敦子」という実像を追っかける。そして、こう言い切る

自分が「淋しい生き方」をすることをあるときから自覚し、人生のひとつひとつの過程をおろそかにせず、ていねいに生きてきた。絶望のときにも、その先にかならず光があることを生き方をとおして体験的に学んできた。須賀敦子の文学はこのような生き方と切り離して考えることはできないだろう。作品は「虚構」だが、彼女の生き方は「虚構」ではないのだ。

大竹と須賀が個人的に知り合いであったかどうかはさておき、「須賀敦子」的なるもの(これは、小説、エッセイを読んでいただくしかない)を自分の生き方の指針と定め、彼女を追いかけ、彼女を反芻し、自分に返すという長く、そして楽しい知的な旅の結果すべてがこの三冊には表れています。

大竹は99年に、それまで雑誌に発表した短編に、写真を加えた短編集「図鑑少年」を出版しました。その中の一編「穴池」の最後はこんな文書で終わります。

光がともると池の表面が持ち上がり、消えるとすっと沈む。光の点滅にあわせて水面が上がったり下がったりを繰り返した。まるで池が呼吸しているようだった。私は目を細めて光を追った。細めれば細めるほど、光の粒は鮮やかになっていった。

この光の粒は、須賀敦子だっだのかもしれませんね。

注1須賀敦子と大竹昭子の作品は一つにして棚にありますが、文藝の所にはありません。ゆっくりお探しください。

注2もう一点「須賀敦子のトリエステと記憶の町」という同じような本がありますが、こちらは文、写真とも岡本太郎です。

 

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