mikihouseが出している宮沢賢治絵本シリーズは、とても素敵なセレクトです。スズキコージ「注文の多い料理店」、黒井健「水仙月の四日」、田島征三「どんぐりと山猫」、あべ弘士「なめとこ山の熊」など、数え上げたら限りがありません。今回ご紹介する「氷河鼠の毛皮」(古書/1100円)は、賢治の小説の中でも、それほど有名な物語ではないかもしれません。

「十二月の二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを発った人たちが、どんな眼にあったのか、きっとどなたも知りたいでしょう。これはそのおはなしです。」

猛吹雪の中、出発した列車にはひとくせもふたくせもありそうな男たちが乗車していました。「毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指輪をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持っていかにも元気そう」な紳士が登場します。おいおい、列車内に銃器持ち込んでいいの?と思うのですが、物語は進みます。賢治の登場人物の描写力が冴えています。

「痩せた赤ひげの人が北極狐のようにきょとんとすまして腰を掛け、こちらの斜かいの窓のそばにはかたい帆布の上着を着て愉快そうに自分にだけ聞こえるような微かな口笛を吹いている若い船乗りらしい男が乗っていました。」

この二人の人物が後半の物語の主人公です。かなりサスペンスに満ちた展開になっていくので、ここではこれ以上書きません。読んでのお楽しみ。

で、この物語の絵を担当しているのが堀川理万子さんです。寒い駅で、たき火にあたって列車の出発を待つ男たちの背中を描いたページに魅かれました。吹雪の寒さとたき火の暖かさが見事に表現されています。次に、毛皮を一杯に着込んだ紳士を、ローアングル気味でやや誇張し、どうもこの人物が良からぬ奴らしいと読者に思わせます。そして、今度は俯瞰気味に列車内を捉え、痩せた赤ひげの人の人を目立たないように描き、前方にはかたい帆布の上着を着た若者を描いています。

彼の着ているコートの色が黄色なんですが、この色がラスト近くで強烈な印象を残すことになります。「俄に窓のとこに居た俯瞰の上着の青年がまるで天井にぶつかる位のろしのように飛びあがりました」という場面で、カメラを下に置いて、その上を飛び越えてゆくような黄色いコートがダイナミックに翻ります。映画的な作風だと感心しました。賢治作品にしては、最後にスパイまで登場する荒唐無稽さもあるのですが、この不思議な物語を躍動感ある構図で描いています

 

先日、堀川理万子さんに偶然お会いする機会を得ました。メリーゴーランド京都店のギャラリーで個展をされていたのです。(左の写真はその時展示されていた作品です)その会場におられたので、いろいろとお話を伺い楽しい一時を過ごさせてもらいました。堀川さん、ありがとうございました。

 

★10月27日(土)の安藤誠トークショーは満席になりました。お申し込みありがとうございました。狭い店内のため、締め切らせていただきます。

澤口たまみ著「新版宮沢賢治愛のうた」(夕書房/古書1300円)は、彼の若き日の恋愛と作品の関係を解き明かした労作です。

宮沢賢治は、生涯恋人もいず、童貞であった。或は擬似的恋愛感情を若くして死んだ妹トシに抱いていたとか、学生時代の後輩の男性に同性愛的感情を抱いていたという説がフツーになっています。しかし、それはおかしくない?まあ、自分のことを引合にだすのはなんですが、10代、20代を振り返っても、女性に触れることに血道を上げていたし、周りの友達もみなそうでした。性欲やら、恋愛感情なしの若い日々なんて信じられない。そんな人物がこんなにも美しい文学を作り上げるのだろうかと常々疑問に思っていました。

「賢治は年譜に記されていない恋をしていた」と、確信めいた思いを持った著者は、丹念に作品を読み漁り、検証作業を積み重ねて、彼には結婚まで考えていた女性がいて、その女性との恋が、彼の小説や詩に少なからず影響を与えていたことに迫っていきます。ただ、思い込みと推理だけで走りだすと、あったような、なかったような女性週刊誌の芸能ゴシップ記事になりかねません。僅かばかりの証拠をもとに、当時の賢治の行動と作品をねばり強く検証してゆく姿勢は、彼への愛情なくしてはありえません。

恋人は大畠ヤスという女性です。大正6年、花巻高等女学校卒業後、小学校の教員をしていました。賢治との出会いは、彼が主宰していたレコードコンサート。普段から、賢治は変わり者と評されていたのですが、美しい日本語で音楽の世界を語る賢治に彼女は惹かれていきます。しかし、賢治とヤスは近所同士の教師同士。賢治の家は金持ちで、彼は変人で有名。一方、ヤスは美人で知られた蕎麦屋の看板娘。万一、二人が付き合っているのが公になったら、大騒ぎになります。人知れず二人は交際を深めていきます。彼女を自分のものにしたいという欲望との葛藤が表れているのが、傑作長編詩「小岩井農場」です。

結局二人の恋は成就しませんでした。賢治最愛の妹が結核でこの世を去り、自らもその疑いがあること、そして二人の家のこと等々、超えられない問題の前で、賢治はこの恋にピリオドを打ちます。

小説「ヤマナシ」の最後「私の幻燈はこれでおしまひであります」二人の恋もまるで幻燈のように消えていったと著者は書いています。

ところで、ヤスは、その後、結核を発病しますが、年齢の離れた医者と結婚し、渡米し、アメリカで生涯を閉じました。彼女が暮らしたシカゴの町から「木と空気の悪いのが悲しくて悲しくて」と書いた手紙を賢治に送っています。故郷、花巻の美しさとそこにいた賢治の姿を思っての言葉だったのかもしれません。

この本で描かれていることが本当だったのかどうかはわかりません。著者の妄想なのかもしれません。ただ私としては、こんな恋の苦しみがあったからこそ、美しい作品を残せたのだと思いたいものです。

★レティシア書房恒例「夏の古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)開催です。


 

ますむらひろしが、宮沢賢治の童話を漫画にした作品群は、当店の人気シリーズです。

ますむらが、自分の漫画作品として賢治を描こうとした思いと、「銀河鉄道の夜」の謎に迫るチャレンジを綴った「イーハトーブ乱入記」(ちくま新書/古書1000円)が久々に入ってきました。

第一章「賢治がくれた水いろの切符」では、小学校の教科書で賢治と出会ってから、やがてその不思議な世界にはまり込み、そして、まんが家として東京で悪戦苦闘する日々が描かれます。

ビートルズに狂っていた中学時代に、彼は賢治の亡き妹への思いを綴った「永訣の朝」に出会います。詩や小説に全く興味のなかった少年が、不思議な世界に魅入られます。デザイナーに憧れて上京するも悶々とした日が続いた、そんなある日、水俣病の実験調査のため、汚染した魚を食べて、もがき苦しむ猫の画像に遭遇します。死んでゆく猫たちに破壊される自然の姿を見出した彼の、当時の気持ちがこう書かれています。

「鉛に包まれたようなイライラの日々が続き、もはや一枚のイラストでは描ききれない気持ちの中、色褪せてゆく商業デザインへの想いにかわって湧いてくるものがあった。『ああ。マンガが描きたい』」

そして雑誌「ガロ」に「ヨネザアド物語」を発表します。この物語の主人公が、不敵な笑いを終始絶やさない太っちょ猫、ヒデヨシです。大酒は飲む、借金は踏み倒す、平気で人を裏切る、とんでもない不良猫ヒデヨシに、なぜか多くの読者が惹きつけられて行きました。ヒデヨシのハチャメチャな日常を描いた「アタゴオル物語」は、今も人気があります。

数年後、賢治の童話をマンガで、という依頼が舞い込みます。しかし、「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床」なんて賢治の文章を絵に表せるのか? 「楽しいも苦しい」という時間が始まります。しかも、編集者から「登場人物はすべて猫で」という注文が付く中、「水俣病実験の猫から始まる猫という自然と人との対立。そしてアタゴオルでの猫と人との共存。そうした道へ導き、そして何よりも僕に、『猫=人』と気づかせたのは宮沢賢治その人なのだ。」

数年後、猫が主人公の漫画が登場。やがて「銀河鉄道の夜」は、そのまま猫のジョバンニとカンパネルラで映像化されます。猫が主人公であることに、方々から反対の声も上がりましたが、見事賢治の思想を映像化して、高い評価を得ました。

第二章「謎だらけの銀河鉄道」は、「銀河鉄道の夜」を巡る謎に迫っています。この章を読む前には、「銀河鉄道の夜」並びにその初期形版の同作品をお読み下さい。でないと、さっぱり理解できません。その後、ますむらの解説を読むと、この作品の重層的に張り巡らされた謎の本質が分かってきます。

ところで、この新書はすで絶版です。どれぐらいで売買されているのかネットで調べてみたら、なんと当店価格の3倍以上の高値!!なんなんだ、この価格は!確かに中身は高濃度ですが、高価すぎるというのも……。

 

★お知らせ   勝手ながら、6月4日(月)5日(火)連休いたします。

ギャラリー案内  梅田香織「日傘とブックカバーの展覧会」が6日(水)から始まります。 

エスペラント語は、ルドヴィコ・ザメンホフ達が考案・整備した人口言語です。母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする言葉で、宮沢賢治が熱心に普及活動をしていました。一方のユニバーサル言語は、映画「メッセージ」で、ヒロインのルイーズ博士が、高度な知性を持つ宇宙人から伝授された言語です。

映画館で初めて「メッセージ」を観た時、「賢治の世界に近似しているけど、一体何が?」とモヤモヤしていたのですが、購入した映画のブルーレイを先日見直して、胸のつかえが取れたような気がしました。

賢治はおそらく、彼の永遠のテーマだった「世界が幸せにならない限り、個人の幸せはない」を実践するツールとして、この言語を考え、ルイーズ博士もまた、世界が一つになる言語として宇宙からの贈り物を考えたのだと思います。つまり世界を一つの共同体として結びつける言葉こそが、人間を幸せにするのだという考え方です。

「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニは時空を越えて旅を続けました。そしてルイーズ博士も、これからやってくる未来を見つめる旅に出ます。その結果、ジョバンニは親友カンパネルラの死に、そしてルイーズ博士は、自分の娘の死という悲しい現場に立ち会うことになります。でも、ジョバンニは「きっと、ほんとうの幸福を求めます」と前を向き、ルイーズ博士も、辛い未来があることを承知の上で、その道を選びます。

「銀河鉄道の夜」には初期形「ブルカニロ博士編」というのがあり、個人的にはこちらの方が好きです。カンパネルラを失ったジョバンニの前に、優しそうなブルカニロ博士が登場してきて、生と死、永遠の時間の流れなど極めて高度な哲学的テーマを語りかけます。この辺りの描写はますむらひろし版の「宮沢賢治全集2」(メディアファクトリー/古書900円)をお読みいただければイメージが掴めます。ブルカニロ博士はジョバンニをタイムスリップさせて、これから彼が進むべき道を示唆します。一方、「メッセージ」のルイーズ博士は、未来を解き明かす言語を与えられ、これからの人類が進むべき道を歩んでいきます。

最も大事なことは「言葉」です。

賢治は言葉の魔術師だと思います。彼の長編詩などは、その最たるものです。彼の詩や、童話に登場する言葉の深い思いを読み解くのが、池澤夏樹の「言葉の流星群」(角川書店/古書1200円)です。何冊か賢治解読の本を読みましたが、今のところこれに勝るものを私は知りません。「流星群」なんて、宇宙に関係する単語がタイトルに入っているのも、何やら「メッセージ」を連想して、この二つの共通点を感じました。

 

●レティシア書房のお知らせ●

 年始年末 12月29日(金)〜1月4日(木)休業いたします。


 

賢治の絵本が2点入荷しました。

くもん出版が出している「宮沢賢治絵童話集」の第一巻(900円)は、ねずみが主人公の3編「ツェねずみ」「鳥箱先生とフウねずみ」「クンねずみ」と「どんぐりと山猫」が収録されています。ねずみ3編の絵を書いているのが、イラストレーターの飯野和好。クローズアップや、デフォルメされた映画的な構図で絵本の世界に引っぱりこまれます。そして「どんぐりと山猫」は司修が担当。こちらはハッとする色彩に溢れた絵で、主人公のやまねこって、こんなに女性っぽかったの?と原作を再読してしまいました。

もう一点は、「竜のはなし」(戸田デザイン研究室700円)。宮沢賢治のそんなタイトルの童話あったけ?と首を傾げましたが、これ、遺族の了解のもと、「手紙一」を改題したものです。内容的には、「よたかの星」、「グスコーブドリの伝記」に繋がる”自己犠牲”が主題になっています。戸田孝四郎の絵が、悲しくも美しい物語を見事に具象化しています。主人公の竜の変わり果てた姿が強い印象を残します。賢治自身が「このはなしはおとぎばなしではありません」と残しているところから、仏教的な説話を目指したのかもしれません。

賢治の傑作詩集「春と修羅」(日本図書センター2500円)の再発版も入荷しました。この詩集は、大正13年4月、東京の関根書店というところが発行元になっていますが、実質はほぼ私家版です。1000部発行の、当時のミニプレスみたいなものなので、この詩集のオリジナルなんて見ることは少ない本です。再発版もきちんと函に入っていて、オリジナル仕様に出来ています。

「四月の気層のひかりの底を唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」というカッコイイフレーズがよく引用されますが、なかなか理解できるものではありません。何度も読み返しました。長編詩「小岩井農場」で、賢治に散々引っぱり回されて、幻想の彼方と現実が交差する世界で立ち往生しましたが、それでも何度でもトライしたい詩集です。書き込み、線引きするなら、この再発版が便利です。

もう一点、金子民雄著「宮沢賢治と西域幻想」(中公 /絶版600円)をご紹介します。法華経を深く信仰していた賢治にとって多くの仏典が発見された西域は、永遠の憧れの場所でした。彼の作品や、詩に登場する西域を例示して、その意味を考察しています。タリム盆地からパミール、インド、ペルシア、さらに賢治は中近東までを視野に入れて、多くの物語を書いています。もちろん彼は、この地方を旅したことは全くありません。彼の心象に立上がってくるイメージをもとに描いていったのです。

 

★レティシア書房臨時休業のお知らせ 4月17日(月)18日(火)連休いたします。

池澤夏樹編集の日本文学全集の一冊で「宮沢賢治 中島敦」(河出書房新社1800円)を一冊にした本の紹介です。何故この二人?という疑問に編者はこう答えています。

「中島敦は宮沢賢治の十三年後に生まれ、その死の九年後に亡くなった。賢治は享年三十七歳、敦は享年三十三歳。若くして他界したことだけだなく、二人には共に遠くを見ていたという共通点があるように思う。自分というものの扱いに苦労したところも似ている。」

「共に遠くを見ていた」、「自分というものの扱いに苦労」した作家……..。

宮沢はまさにそんな作家だと思います。自分という存在に苦しみ、銀河の果てまで飛んでいってしまった。

死ぬ直前には、「そしてわたしはまもなく死ぬのだろう わたくしというのはいったい何だ 何べん考えなほし読みあさり さうともきかうも教えられても 結局まだはっきりしていない わたくしといふのは」

という「そしてわたしはまもなく死ぬだろう」(未完)の詩を残しています。「これで二時間 咽喉からの血はとまらない おもてはもう人もあるかず 樹などしづかに息してめぐむ春の夜」という詩を書きながら、己がいるべき遥か彼方に地へと向かっていたのでしょう。

中島は1941年、ミクロネシアに渡り、数ヶ月滞在しています。その時、彼が見た南洋の自然、風物、そこに暮らす人々を描いたのが、この全集に収録されている「環礁ーミクロネシア巡島記妙ー」です。

「寂しい島だ」という文章で始まるこの旅行記は、「薄く空一面を覆うた雲の下で、空気は水分に飽和して重く淀んでいる。暑い。全く、どう逃れようもなく暑い。」とその気候に辟易しながらも、歩き回る。デング熱が治りきらない状態で、眩暈と、息苦しさでガタガタになってくる。しかし、それでも作家は幻覚に近い美の中で陶酔してゆく。今なら飛行機でヒョイと飛んでいけるのだが、中島が渡航した時代は、当然船の旅。時間をかけて地に果てに行き着いたという感覚ではなかったでしょうか。自分を持て余していた男の放浪記として、私は読みました。

因みに店には昭和11年発行の「南島譚」(今日の問題社/初版2500円)もあります。全集収録の「悟淨出世」「梧淨歎異」も入っていて、古色蒼然とした一冊ですが、手に取ってみてください。

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子どもの本専門店「メリーゴーランド京都」店長、鈴木潤さんの「絵本といっしょに まっすぐまっすぐ」(アノニマスタジオ1620円)が発売されました。

鈴木さんとは、レティシア書房が店を始めた時からのお付き合いで、開店間もない頃に、店内でウクレレのライブもしていただきました。メリーゴーランド京都は、併設されているギャラリーも面白い展示が多く、いつも覗かせてもらっています。今回、発売された本は、彼女のブログを一冊にまとめたものです。最初から読んでいくのもいいですが、巻末に、この本で紹介された本の一覧が掲載されていますので、それを見ながら、興味ある本を探しながら、ページを捲るのも面白いかも。

例えば、モーリス・センダックの「うさぎさん てつだってほしいの」(冨士房600円)を見つけてページを開きます。

お母さんへのプレゼントの悩む女の子に、うさぎさんが適切なアドバイスを与えるという絵本です。本の紹介と、鈴木さんの思い出話がありました。小さい時、弟たちが母の日プレゼントに、八百屋できゅうりとお豆腐を選んだことを思いだして、こう書かれています。

「あの時は『はずかしい』と思ったのに、今は『誇らしい』と思います。」と。

あるいは、歯医者とそこへ治療にやってきたワニ君の抱腹絶倒のコメディー(私は歯医者の待合室で読んで、大笑いしました)を描いた五味太郎の「わにさんどきっ はいしゃさんどきっ」(偕成社400円)では、息子さんの口元から「こりこり こりこり」という不思議な音が聞えてきた、と書かれています。口の中には何もない?? そこで鈴木さんはもう一度、覗き込みます。

「あれあれ、上の歯ぐきから白いものが顔を出していたのです。『こりこり』の正体は歯ぎしりだったのです。」

おかあさんになられて、絵本の世界がまた一回り広がったような感じが素敵です。

そして、写真と詩をミックスした「子どもたちの遺言」(校成出版社800円)。谷川俊太郎が詩を書き、田渕章三が写真を撮った本です。赤ちゃんから青春真っただ中の若い人たちの横顔が次々と登場します。

「わたしは幸せです。でもわたしが幸せなだけでは、世界は良くならないと思うのです。違いますか?」と、図書館で本を読む少年が問いかけてきます。宮沢賢治が突きつけた永遠の課題を、この少年も背負っている、そんな風に見えてきます。この本の後書きに谷川は、「うまれたばかりの赤ん坊に遺言されるような危うい時代に私たちは生きている。そう感じているのは私だけだろうか」と書いていました。

おかあさんとして、鈴木さんが意識している今という時代の危機を感じました。

この街に、しっかりとした考えとセンスで本を選び、こどもたちに提供している本屋があることは、私にとって本当にありがたいことです。

「虔十公園林」をご存知でしょうか。実際にある公園ではありません。宮沢賢治の小説のタイトルです。

いつも子供たちからバカにされている少年虔十が、ある日、野原に杉の種を撒き、育てようとします。周りの人達は、あんな所に杉が育つわけないとバカ呼ばわりしますが、なんと、すくすくと育っていき、子供たちの遊び場へと変わっていきます。雨の日も、晴れの日も杉林を見回る虔十でしたが、あっけなくチフスで死んでしまいます。

彼が死んでから20年。彼の町は発展し、森も林も消えています。しかし、彼の名前を付けた「虔十公園」だけは、ここに住む人達が開発のためには売るまいと、守っていました。そして、多くの人達の憩いの場所となっていたのです。

「全く全くこの虔十公園の杉の黒い立派な緑 さわやかな匂い 夏の涼しい陰 月光色の芝生が これから何千人の人たちに 本当のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした そして林は虔十の居た時の通り 雨が降っては すき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落し お日様が輝いては 新しい綺麗な空気をさわやかに はき出すのでした」

という文章で終わります。賢治がこの小品を書いたのは1934年。住民が、自分たちの周囲の自然を守るというナショナルトラスト運動を予感させる貴重な作品だと思います。

この作品を、ますむらひろしが漫画化した「ますむらひろし版宮沢賢治童話集」が入荷しました。2014年に新聞掲載されたものを書籍化したもので、「オッペルと象」も同時収録されています。26cm×19cmの大型の判型で表紙の絵も、印刷も装丁も素敵な出来上がりです。「やまなし」「ひかりの素足」を収録したものも同時に入荷しました。版元は子供服でお馴染みのミキハウス。丁寧な作りには、賢治への深い愛情が感じられます。(どちらも1400円)

「猫マンガのますむら」らしく、登場するのはすべて猫。「ひかりの素足」は元々辛いお話ですが、猫で描かれると、猫好き、動物好きには涙無しでは読めないかもしれません。

同社はあべ弘士による「なめとこ山の熊」(売切)、荒井良二「オツベルと象」(売切)など、やはり隅々まで手を抜かない作りで賢治の絵本シリーズを刊行中です。どれも目が離せません。

宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩は、皆様ご存知だと思います。

この詩には不幸な過去がありました。戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」の世論に同調するように、この質素な暮らしこそ、お国の勝利に繋がるという解釈をされてしまったそうです。バカな(あるいは狡猾な)政治家、軍人が跋扈すると、こうなるんですね。

写真は、2014年に発行されたアーサー・ビナードの英語翻訳による「雨ニモマケズーRain Won’t」(今人舎1500円)。ちょっと表現が古くさいと感じていたこの詩が、そうか、こんなに素晴らしいものだったのか!!と、わかります。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」が英訳ではこうです.

“Rain won’t stop me    Wind won’t stop me”

「私」が「雨に負けない」のではなく、「雨」は「私を止めない」になっています。つまり、自然が主語になっています。その後に続く「雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ」も

“Sweltering summer heat will only raise my determination”.

翻訳すれば「夏のうだるような暑さは,私の決意を確たるものにするに過ぎない」です。

もちろん、大自然の脅威に負けない私の意志は、きっちりと表現されています。けれど、悪戦苦闘する私の存在なんぞ、自然の前では小さなものなのです。だからこそ、雨や風、そして夏の暑さが主語になっているのです。

賢治は、この詩で、人知の及ばない自然と共生するには、我欲を捨て、進歩を望まず、ほんの少しの自然からの贈りものを大切にいただきながら暮らすことだと明言しています。

最後の詩句「サウイフモノニワタシハナリタイ」は英訳で、こう表現されています

“All this is my goal-the person I want to become”

どうです、ど真ん中剛速球で、気持ちいいですね。

そう、この英訳、音読するととても気持ちいいのです。朝一番に大きな声で読んでみてはいかがですか。

絵は、「頭山」で世界的に注目されたアニメ作家、山村浩二が、日本の自然の美しさを描いています。風の匂いや、夜の冷気を感じる絵を楽しみながら、ぜひ音読してください。

 

 

 

 

WOWWOWで放映された大島弓子原作のドラマ「グーグーだって猫である」を楽しみました。

映画は小泉今日子主演でしたが、今回は宮沢りえ。TV版も映画も監督は犬童一心ですが、連続ドラマと映画ではアプローチが全く違っていて、それぞれ面白かったです。猫と生きるマンガ家の、ストーリーのあるような、ないような日常を描いたドラマ版の方が、より原作に近い気がします。ラスト、主人公が、納得した表情で夜の公園を歩んで行くところは、こんな歩き方、大島の漫画で見た気がします。

同じ原作で主役を演じた、二人のアイドル出身の女優さんの表情が、どちらもとてもチャーミングでした。映画版ラストの小泉は、フィナーレに相応しい笑顔でしたね。

この二人に薬師丸ひろ子を加えた三人は、熾烈な芸能界を生き抜き、修羅場をたぶん幾つも乗り越え、歳と共に新しい魅力を見せてくれています。いや〜この年齢の重ね方はお見事です。

ドラマ版の音楽は、高田漣(高田渡の息子さん)、映画版は細野晴臣。これまたどちらも、脱力系の素敵な音楽でした。

残念ながら「グーグーだって猫である」の原作本は在庫してませんが、漫画といえば、ちょっと面白い「ガロ」が入荷しました。1995年9月号(1000円)です。特集は「宮澤賢治の世界」です。

ますむらひろしが「空飛ぶ賢治には、空で逢おう」でこんなこと言ってます

「60年代の終り、マリファナを吸って森で怠けていた者たちの書くミニコミ誌の中に、『宮沢賢治』に対する共感の言葉があるのを見た。朝から『飛んでいる』者は、賢治の童話のあちこちに『飛ぶ賢治』を感じた」

なんか、時代を感じる文章ですね。漫画としては、森雅之「星めぐりの歌」や、やまだ紫の「フランドン農学校の豚」、あるいは人気イラストレーターだった矢吹申彦が四コマで「賢治ずいぶん」を書いています。

驚くべきは筑摩書房版「新校本・宮沢賢治全集」の編集者へのインタビューが掲載されていたことです。この全集、一冊に本文篇と校異編が入っている密度の濃いものでした。私も何巻かは購入しましたが、なんせ高額商品だったので途中挫折しました。その全集に携わった編集者のひたむきな熱意の溢れるインタビューでした。